第5話
坂江博士の研究室は、物が少なくシンプルな内装だった。デルタは芥田博士の研究所を思い出す。芥田とリュウノは整理整頓が苦手で、よくデルタが片付けをしたものだった。今朝まであったことなのに、何故か懐かしく感じられる。
デルタはセンチメンタルな気分になり、小さく首を横に振った。今はそんなことを考えている場合ではない。気分を入れ替えなければ――。
「それで、私に話って何?」
坂江博士がソファの背もたれに寄りかかりながら尋ねる。偉そうな態度にも顔色を変えず、リュウノは口を開いた。
「芥田博士のことについて、知りたいのです。私達が知っている博士はきっと一部。坂江博士から見た芥田博士について教えていただけないでしょうか」
瞼を伏せがちに言うリュウノ。坂江博士はリュウノの気持ちを汲んだのか、体を起こすと遠くを見つめた。
「製作者のことが知りたいだなんて……本当にあなた達は人間みたいね」
製作者という言葉に違和感を覚えたデルタは思わず口を挟む。
「僕達にとって、芥田博士は親です」
坂江博士は目を丸くすると、小さく微笑んだ。
「そう。そう思ってもらえるなんて、芥田は幸せ者ね。彼女の研究は成功したと言えるでしょう」
デルタとリュウノは顔を見合せる。坂江博士は視線を二人から逸らすと、言葉を続けた。
「芥田は私にとってライバルだった。芥田の眼中に私はいなかったと思うけど。それくらい、私と芥田の間には大きな差があったの。芥田はね、楽しそうにすごいものを開発する。一方の私は必死な思いで開発し、ようやくできたものも芥田の開発品には敵わない。だから、彼女の才能に私は嫉妬していた」
そこまで一気に話すと、顔を俯ける坂江博士。
「あなた達の親は、すごい人だったのよ。それなのに……それなのに、勝手に先に死んじゃって。これじゃあ、私が芥田を超えることができないじゃない」
坂江博士は声を震わせながら、言葉を続けた。その様子から彼女が本当に芥田博士を嫌っているわけではないと分かる。
「あなたは……芥田博士を尊敬していたのですね」
リュウノの言葉に坂江博士は目元に手を当てた。
「そうかもしれないわね。彼女は私のライバルであり憧れだった」
その言葉を最後に沈黙が場を支配する。リュウノは坂江博士の感情を汲み取ったのか、辛そうな表情を浮かべ、顔を俯き加減にした。
デルタも、自然と顔が俯いていく。これが自分の悲しみなのか、坂江博士への同情なのか、分からない。ただ、デルタやリュウノと同じ感情を坂江博士が抱いているのは明らかだった。もちろん、坂江博士の様子が演技で、彼女の悲しみが嘘である可能性も考えてはいる。しかし、嘘を吐いているようにはどうしても見えなかった。
「坂江博士」
しばらくして、誰かの声が沈黙を破った。3人はその声の主へ視線を向ける。そこには黒髪短髪の少年型AIロボットがいた。坂江博士の助手的な存在だろうか。彼は心配そうに坂江博士を見つめている。
「ハロン」
坂江博士はそう少年型AIロボットを呼ぶと、柔らかく微笑み立ち上がった。
「わざわざ呼びに来てくれたのね。ありがとう」
そして二人に視線を向けると、言葉を続ける。
「もう、いいかしら。そろそろ研究に戻りたいんだけど」
リュウノがハッとしたように立ち上がる。デルタもそれに倣って立ち上がった。
「そうですよね。お時間をいただいて、ありがとうございました」
デルタとリュウノは同時に頭を下げる。坂江博士はそれを横目に、研究スペースへと戻った。勝手に出ていけ、ということだろう。
デルタはリュウノと顔を合わせると、頷いて研究室の出口へ向かった。後ろからリュウノが着いてくる気配がする。
――諏訪部博士達にも話を聞いた方がいいだろう。
デルタはリュウノも同じ考えだろうと推測し、足先を諏訪部博士の研究室へと向けた。
***
廊下に出て、リュウノが静かに口を開いた。
「坂江博士ではないのかな」
デルタは俯き加減に返事をする。
「どうだろう。彼女が嘘を吐いていない証拠はないから、今は何とも言えない」
「そうだよね。それだったら、やっぱり諏訪部博士達にも話を聞いた方がいいかな」
想像通りの言葉に、デルタは顔を上げ微かに笑みを浮かべた。
「僕もそう思ってた。リュウノもそう言うだろうと思って、諏訪部博士の研究室に向かってる」
リュウノが「そうだったの!」と驚いたような声を出す。そしてデルタの横に並ぶと、言葉を続けた。
「さすがデルタ。得意分野は違っても、思考回路は同じだ」
「当たり前じゃん。僕達は二人でひとつ。二人がひとつになることで初めて完璧な人間として完成するって、博士は言っていたでしょう」
デルタはそう言いながら、芥田博士が言っていた言葉を思い出す。
――完璧な人間などいない。だから、足りないところを補い合うようにして、人間は社会で生きていく。あなた達も同じ。二人が揃うことで初めて完璧な人間になる。互いに足りないところを補い合うんだよ。
そう言われたとき、デルタは芥田博士に尋ねた。
――どうして、完璧な人間のAIロボットを作らなかったのか。
芥田博士は寂しそうに笑って答えた。
――この世に存在しない方がいいものもあるんだよ。
デルタはその意味が分からなかったが、芥田博士がそれ以上に聞くなと言わんばかりに話をそらしたため、結局教えてもらうことができなかった。芥田博士のあの言葉は、今でも疑問に思っている。
彼女の言い方では、完璧な人間というものがこの世に存在しない方がいいと言っているように捉えられた。しかし、完璧とは誰しもが憧れ、一番の目標とするものなのではないだろうか。そういう人間が多いと学習していたデルタは、芥田博士のその言葉に違和感を覚えたのだ。
そんな懐かしいことを思い出しながら歩いていると、気付けば諏訪部博士の研究室の前まで来ていた。芥田博士の引継ぎなどでいろいろと忙しいところ申し訳ないと思いつつ、デルタの気持ちは変わらない。少しだけでいいから、時間をもらおう。
そうデルタが覚悟を決めていると、隣でリュウノが一歩前に出て研究室の扉を叩いた。
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