第2話

 芥田博士の研究所が燃えたのは、翌日のことだった。


 デルタとリュウノが芥田博士から頼まれていた事務用品の買い出しを終えて研究所に戻ると、そこは二人の知っている研究所ではなかった。目に映るのは燃え盛る炎。黒い煙が立ち上り、朱色が研究所を覆っているまるでCGのような景色だ。デルタの脳内にある二文字が浮かぶ。


 ――火事。


「……博士は? 芥田博士はどこ!?」


 リュウノの焦ったような声で我に返ったデルタはリュウノと共に辺りを見渡す。辺りには炎を消すAIロボットとそれに指示を出す消防署所属の研究員がいた。芥田博士の研究所は博士の希望で規模が小さく、丘の上にポツンとある。そのため周囲に燃えるような建物も森もなく、被害は研究所だけで済んだようだ。


 デルタは安堵の溜息を吐くも、すぐにもう一度周囲に視線を向けた。ここの研究所に所属する研究員はデルタ、リュウノ、博士の三人。デルタとリュウノが一緒にいる今、安否が心配されるのは芥田博士のみとなる。


 ――芥田博士の姿が見当たらない。


 デルタの中で焦燥感が生まれた。


「1名、身元不明のご遺体が見つかりました」


 救助AIロボットのアラームが鳴り、そのアナウンスが鳴り響く。隣でリュウノが膝から崩れ落ちた。デルタはそれを支えるようにして、一緒に地面へ座り込む。誰の遺体かは言っていないのに、二人にはそれが誰なのか分かってしまった。


 芥田博士の研究所に入ることができるのは、博士本人とデルタ、リュウノの3人しかいない。無理やりロックをこじ開ける、もしくは芥田博士が招き入れない限りは共同研究者であっても研究所へ入れなかった。


 今ここにデルタとリュウノがいるということは、焼け跡から出てきたのが誰かすでに決まっている。その事実に気づいてしまう自分達の頭の回転の速さを呪いたくなった。


 ――芥田博士が、死んだ。自分の親でもある彼女が。昨日まで一緒に笑いあっていた大切な人が。


「君達二人がここにいるということは、亡くなったのは芥田君ということだね」


 不意に後ろから声を掛けられ、そちらに視線を向ける。そこには、暗い茶色の髪を後ろに束ねフチなし眼鏡をかけた優しそうな面持ちの男性がいた。デルタは以前学習した芥田博士の交友関係のデータから一致する人物を検索する。


 ――彼は確か、芥田博士の同僚、諏訪部すわべ博士だ。芥田博士の感情を人工的に作り出す研究に協力しているという情報がある。


 デルタは芥田博士の交友関係の中でも関わりの深い人物であると認識していた。それはリュウノも同じだったようで、震えた声で諏訪部博士の名を呼んだ。


「諏訪部博士……亡くなられたのは、本当に、本当に芥田博士なのでしょうか」


 諏訪部博士は小さく頷く。


「遺体は損傷が激しくて身元の特定はできないらしいけど、芥田博士以外はありえないだろうね。彼女は自分と君達二人以外を研究所に入れることはなかったから」


 その言葉を聞いて、デルタは自然と顔が俯いた。諏訪部博士の言葉に間違いはない。他者からそう言われると、改めて博士がいなくなったという実感が湧いてくる。


「本当に、惜しい人を亡くしたよ。彼女は本当に有能な人だったんだ。君達のような感情を持つAIロボットを作れるのは彼女しかいない」


 沈んだ諏訪部博士の声。デルタは唇を噛みしめる。


 ――芥田博士が亡くなったことを、言葉にしないでほしかった。未だに信じられないのに、信じたくないのに、口にしてしまうことでそれが本当だと思わざるを得なくなるから。


 リュウノがデルタの気持ちを代弁するように、首を大きく横に振った。


「信じない。私は、信じないです。芥田博士が亡くなったなんて――もう、会えないなんて……」


 そう声を震わせるリュウノを、デルタは優しく抱きしめる。自分達に涙の機能が実装されていたら、今作動しているに違いない。


 デルタはリュウノを落ち着かせるよう、彼女の背中をゆっくりと叩いた。以前『悲しみ』という感情が出現した時、芥田博士がこうして感情こころを落ち着かせてくれたのを思い出す。そんな過去を思い出しただけなのに、何故か『悲しみ』が大きくなったような気がした。


 諏訪部博士が言いにくそうに、口を開く。


「こんな時に聞くのもあれなんだけど、確か君達は芥田博士と一緒に研究所の生活スペースで住んでいたんだよね。これから、どうするつもりだい?」


 その言葉で初めて、デルタは自分達の家もなくしたことに気づいた。それはリュウノも同じだったらしい。顔を上げると、不安そうな顔でデルタを見つめた。


 ――そうだ。自分達が失ったのは芥田博士だけではない。生活をする場まで失ってしまったのだ。


 二人の様子に、諏訪部博士が屈みこんで視線を合わせる。彼は優しい声色で続けた。


「特に決まっていないのなら、AI総合研究所へ来ないか? そこには居住スペースがあるし、君達にできる仕事もある。芥田博士の助手だった君達なら問題ないだろう。芥田君の死後の手続きは僕がするし、しばらくの間休んでから働いてもらえたらいいよ」


 思ってもみない提案に、デルタはリュウノから体を離し諏訪部博士に視線を向けた。諏訪部博士の目は真剣で、冗談を言っているように見えない。本気で自分達を招いてくれようとしているのが分かる。


 AI総合研究所といえば、芥田博士から以前聞いたことがあった。芥田博士や諏訪部博士が所属している研究組織で、多くはそこの研究所で研究室を持ち研究しているらしい。三度の食事より研究――というような人々が集まっているため、ほとんどの研究員・博士は研究所に付随した生活ブースで住んでいるとのこと。他人との共同生活が嫌だった芥田博士は、彼女の功績もあって特別に別に建てた彼女だけの研究所を持っていたそうだ。――それも、今は燃えてしまったが。


 何も返せないデルタに代わり、少し落ち着いたのかリュウノが小さな声で言う。


「でも、突然でご迷惑ではないですか?」


 リュウノの人間らしい配慮に諏訪部博士が目を丸くし、小さな声で呟いた。


「君の感情こころはそこまで――」


 諏訪部博士の言った意味が分からず、デルタとリュウノは顔を見合わせて首を傾げる。芥田博士はこういった気遣いをだと言っていたので何もおかしなことは言っていないと思うのだが、間違いだったのだろうか。


 二人の様子に気づいた諏訪部博士は、咳ばらいをすると優しそうな笑顔を浮かべた。


「迷惑だなんてとんでもない。うちにAIロボットを毛嫌いする人間はいないから、安心してくれ。皆、芥田君のことは慕っていた。君達のことも歓迎するだろう」


 諏訪部博士の言葉に、リュウノが安心したように表情を和らげる。そして、デルタの意見を窺うようにデルタに視線を向けた。デルタはその視線の意味に気づいて、頷いて返す。


「僕は、リュウノと一緒ならどこでもいい」


 リュウノはその言葉に微笑むと、諏訪部博士に頭を下げた。


「これから、よろしくお願い致します」


 デルタもリュウノに合わせて頭を下げる。諏訪部博士は「こちらこそ」と二人に声をかけると、どこかへ電話をかけ始めた。恐らく、AI総合研究所に今回の件で電話をするのだろう。


 デルタは不安な気持ちを抱えながら、リュウノを見た。その気持ちはリュウノも同じだったようで、視線が交わる。


 ――芥田博士のいない生活。そんなもの、作られてから一度も経験したことがない。


 デルタはそんな不安を分かち合うかのように、リュウノの手を握った。

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