オレンジの鳥、ゴールデン・リバー街にて
和田崎由子
オレンジの鳥、ゴールデン・リバー街にて
私がその鳥と出会ったのは四月のゴールデン・リバー街だった。当時の私は世話になっていたラシャ叔母さんの用事で月に一回、ここアトモスから少し離れたところにあるゴールデン・リバー街に行くことを許されていた。緑に囲まれ家屋が点在するアトモスとは違い、店や公共施設が秩序正しく並び、多くの人が行き交うゴールデン・リバー街は非日常の世界だった。同い年の子どもがごく当たり前に受けることのできる教育を許されず家畜の世話に明け暮れる私にとって、月に一回の用命は褒美とも思われた。
ゴールデン・リバー街のメイン広場に乗合馬車が止まると、はやる気持ちを抑えられず我先にと下車をした。人々の合間を縫うように走り、ある店の前で足をとめる。そこは高級文具店で、陳列窓には美しいガラスペンが数本並んでいた。色鮮やかで繊細な形をしたそれらは隣の宝飾店の陳列窓に並ぶ物にも見劣りしない。このガラスペンを眺めることが、この街の楽しみのひとつであった。ずっと眺めていたかったが、気持ちを切り替えて用事を済ませることにした。まだもう一つの楽しみが残っているからだ。さっさと用事を終わらせよう。
ところが、その日は最悪だった。仲介業者の店主が体調を崩し、おかみさんが代わりに働いていた。その要領の悪いこと! 狭い部屋に人と苛立ちが充満していた。いつもより二時間も多く時間を取られてしまった。それでも丁寧におかみさんに礼を言うと、おかみさんが駄賃を握らせてくれた。それを雑にポケットにしまい、部屋を出る。すると通りの向こうに何かが見えた。
鳥だ。オレンジ色の、丸々とした鳥がいた。一見フクロウのようだが、派手な羽角がある。ミミズクだろうか。何やら小脇に本を抱えていた。首をすばやく左右に動かし、何かを探しているようだった。別の道でいこうか。しかし、それでは余計に時間がかかってしまう。私は意を決し息を殺して、できるだけ早足で鳥の横を通り過ぎようとした。
「少年少年。ちょっ、少年!」
喋った! しかも、明らかに私を呼び止めているのがわかった。驚きのあまり、立ち止まりそうになる。しかし、この怪しげな鳥に構っていては図書館に間に合わない。ただでさえ、今日は時間がないのだ。私は無視を決め込んだ。だがどうしても気になってしまい、角を曲がったところで足を止め、そっと影から通ってきた道を覗いた。人々の間からあの鳥が見える。先程と同じようにキョロキョロとあたりを見回していた。周囲の人間は誰も足を止めない。一瞥することもない。私とは違い、まるでその鳥が見えていないかのようだった。私の心に小さな罪悪感が生まれた。あの鳥を助ける義理はまるでないが、助けることができるのは私だけだと直感したからだ。私は道に戻った。
「どうしたんですか?」
「お! 助けてくれるか少年! いやぁ、道に迷っちゃってねェ。道順を書いた紙どっかに落っことしちゃって」
「どこへ?」
「フェザー通りの『マダム・ヒロコ』っていうお店なんだけど」
フェザー通りはゴールデン・リバー街のメイン通りから少し離れていた。ここから歩いて三十分はかかり、私の向かおうとしていた図書館は真逆方向だった。途中までは道が入り組んでいるが、そこを過ぎれば比較的わかりやすい道にでる。そこまで案内することにした。
「僕の名前はR.B.ブッコロー。少年は?」
「パピルスです」
「おぉ! それはいい名前だ!」
ブッコローと名乗る鳥は上機嫌にその翼で私の背中をバシバシと叩いた。道中ブッコローは絶え間なく話をしていたが、時間が気になって仕方なかった私はそれどころではなかった。目的の場所まで案内し終えると、ブッコローの礼もろくに聞かず図書館に向かった。しかし、人通りの多いゴールデン・リバー街では思うように進まない。急いだ甲斐も虚しく、着いた頃には図書館の扉は閉まっていた。あと十分、いやあと五分早ければ!
ショックのあまり図書館前の階段に座り込んでしまった。どれくらいの時間そうしていただろうか。突然、頭上から声がした。
「やぁやぁ、少年。また会ったね。さっきはありがとう。……ってなーんか浮かない顔をしているね」
その軽薄な口調に少し腹が立った。思わず語気が強くなってしまう。
「図書館が閉まってしまったんです。今日は閉館時間がいつもより早くて、それで急いでいたのに」
「本読むの好きなんだ?」
「……はい。僕はこの街の市民じゃないから、図書館で本を借りることができません。なので、できるだけ用事を早く済ませて、図書館で本を読むようにしていたんです」
「買って読んだりはしないの?」
「そんなお金、僕にはありません」
「おうちに本は?」
「あまり。叔父さんも叔母さんも本を読まない人だから」
家にある本と言えば、叔母さんの息子が使わなくなった教科書くらいだった。
「ふーん。じゃあ、書いたら?」
「え?」
「読む本がなければ、自分で書けばいいじゃない! なんという名案! 読み書きはできるんだよね?」
「多少は……」
学校に通うことは許されなかったが、読み書きは必要だからと叔母さんが教えてくれていた。叔母さんの息子も憐れみからか教科書を譲ってくれていた。
「オッケー。じゃあ、これあげるよ。今日のお礼」
そう言ってブッコローは羽毛の中から包みを取り出し(どのように仕舞っていたかは不明だが)、私に渡してきた。訳がわからずブッコローの顔を見ると、彼は開けるように促した。
中にはなんと、ガラスペンとインク、帳面が二冊入っていた。ガラスペンはあの店ほどのものではないが、十分に良いものだと一目でわかった。
私はこの鳥の神経を疑った。たかが道案内の礼がこれらに値するわけがなかった。
「いただけません! これほどに高価なもの」
「いいっていいって。いや〜、昨日買ったバケンが大当たりして! まさか6番人気のマニケラトプスがくるとはねェ。なので臨時収入がっぽりよ。トリ仲間誘って飲み明かしてもよかったんだけど、ここは未来ある少年に投資させてちょうだいよ〜」
「でも何を書けばいいのか……」
「なーんでもいいんだよ。君の目で見るもの、君の肌で感じるもの、君の中にあるもの、それらすべては君しか知らない世界なんだから、その世界がなくなる前に文字で残しておいてよ。それでいつかこのブッコローにその世界を見せておくれ」
その言葉を聞いた瞬間、謎の高揚感が私を包み私は大きく頷いた。
「じゃあ、そろそろ行くわ。あ! もし、君が売れっ子作家になった暁には……」
私と約束を一つ交わし、ブッコローは去っていった。あの図体でも、空を飛べるとは驚きだった。
アトモスに戻り、真っ先に寝床にガラスペンたちを隠した。叔母さんに見つかってしまっては、取り上げられるに違いない。その晩から、みなが寝静まったのを確認してから私はもらった帳面に話を書いた。少年が子猫を助ける話、貧乏から這い上がる男の話、マニケラトプス(恐らく恐竜の仲間だと思われる)の話、もちろんあの不思議な鳥の話も。もらった帳面はあっという間に二冊とも埋まってしまい、その後は叔母さんが仕事で使っている帳面を数枚破って失敬するのを繰り返した。この行為は叔母さんにばれてしまい叱られたが、勉強するのに帳面が欲しいと言えば、意外にもあっさり手に入った。叔母さんは心なしか嬉しそうな表情をしていた。
私がブッコローにあったのは、あの一度だけであった。あの日以降も月に一回ゴールデン・リバー街に行き、その度に彼を探した。成人しラシャ叔母さんのもとを離れたあとは、街の隅にあるアパルトマンを借り生活していたこともあった。だが、彼を見つけることができなかった。あの日のことは夢だったのではないか。では、私の手元にあるガラスペンたちはどう説明をつければよいのだろうか。ブッコローとの出会いから半世紀の時が経ち、作家の端くれとして生活できるようになった今でも、あの日のことは鮮明に覚えていた。
「おじいちゃん、おじいちゃん! さっき家の前でヘンな鳥にあったの!」
学校から帰ってきた孫娘がかばんも下ろさずに私のもとへやってきた。
「ヘンな鳥?」
「うん。オレンジ色でおめめがギョロギョロしてて、角が虹色だったの。でね、おじいちゃんに伝えてねって」
「なんて言っていたか教えてくれるかい?」
「んとね、『今までのインタビューで、一度も【僕が売れたのはブッコローさんのおかげです】って言ってねーじゃねェか! 嘘つき!』だって」
急いで表へ出たが誰もおらず、オレンジ色の羽毛が一片落ちているだけであった。
オレンジの鳥、ゴールデン・リバー街にて 和田崎由子 @wadasaki_yoruko
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