第5話 ある日、森の中、カミサマに出会った

〈 玖 〉


 オートキャンプ場の管理人には事前に連絡を入れていた。

 ふたりは現地に到着すると早々に当時、三鷹一家が使用していたというキャンプサイトに案内される。


「ええ、ええ。覚えてますとも。よく、ご家族でいらっしゃるお客さんでね。事件のこともあって刑事さんも何回も来てるから、忘れるわけがありませんよ」


 腰の曲がった管理人は、しっかりとした足取りでふたりの前を歩く。

 歳の割にはハキハキとしゃべるし、事件当時の記憶もまだハッキリとしている。


「むかしは今みたいなブームになる前でね。キャンプサイトったって、テントが張れるようにちょっと切り開いただけでほぼ森みたいなもんだったんですよ。倒木やら薪やらも、自由に拾って使ってもらったりしてね」


「へぇ。そうだったんすねぇ~」


 士郎は人懐っこい表情でキャンプ場の管理人に相槌を打つ。

 聴取や聞き込みの際、相手を過度に警戒させない雰囲気を持つ刑事というのは、どの課でも重宝がられるが、士郎はまさにそういうタイプだった。


「えっと、ここですね。改装しちゃったから当時とは全然イメージ違うと思うけど、森のほうに入るようならお気をつけてね」


「ありがとうございます」


 ふたりが案内されたのは、かなりゆったりとしたスペースを持つ区画サイトだった。ざっと見渡しただけでも二十組は設営できる規模である。

 平日の昼間ということもあり今現在テントの数はまばらだが、見晴らしもよく少し下れば川遊びも堪能出来るらしく人気のほどが伺える。


「どうよ、桔梗ちゃん。なんか分かる?」


 ガタガタの山道を歩いてすでにクタクタになっている陰陽師は、肩で息をしていた。

 愛用のキャリーケースを引く元気もなく、キャンプ場の入り口の時点から士郎にずっと預けっぱなしである。

 車中で食べた、てりたま分くらいはもう消費したかもと錯覚するくらいには疲弊している。


「ど、どぅって……あ、あんま、いま、っしゃべらせないでっ」


「桔梗ちゃん……身体鍛えな?」


「う、うるさいっ」


 桔梗の呼吸待ちの間に、士郎はあらためてキャンプ場を眺める。

 サイトは確かに綺麗に整地されているが、森の奥はかなり鬱そうとしていた。おそらく原生林ではないのだろうが、極力、ひとの手が入ってなさそうな野性味がある。『なにか』があるとしたらこの中だ。

 士郎は目を細めて、より遠くを見ようと努めた。


「ふぅ……しんどかった……」


「お、復活したか」


 すこし青白くなった表情で桔梗はコートの懐から紙切れを取り出した。

 パッと見、折り紙で作ったひな人形にも似ている。


「それは?」


式神シキよ。兵頭さん、あなたタバコは吸うかしら」


 彼女は「一本ちょうだい」と二本の指をクイクイっとさせてタバコをねだる。疲れているせいか、どこか艶めかしく煽情的だった。

 桔梗は士郎から一服点けてもらうと手慣れた様子で紫煙をくゆらせる。


「軽いわね」


「やめるつもりで減煙してんだよ」


「そういうのはスパっとやめないとダラダラ続くだけよ?」


「うっせ。そういう自分はどうなんだよ」


「普段は吸わない。ちょっと気合いを入れたいときにだけ、ね。軽いトランス状態に入るためというか。むかしのひとみたいに大麻吸うわけにもいかないじゃない」


「『麻取マトリ』が動くのは本職もご遠慮願う」


 チリチリとタバコの火が真っ赤に燃える。

 煙はただゆらゆらと揺れ、風に乗って森のほうへと流されていった。


「携帯灰皿」


「おう。ちゃんとしてんな。もういいのか」


 まだ残ってんぞ、と言うが早いか、桔梗が式神と呼ぶ紙切れにタバコの火を近づけると、まるで手品のように一瞬にして燃え上がりオレンジの炎が宙に舞う。


「うおっ! なんだ!」


 火はすぐに収まり、炭化した紙切れがヒラヒラと地に落ちる。桔梗はそれを拾い上げ、タバコの吸い殻と共に携帯灰皿へと突っ込んだ。


「さ、行きましょう。こっちだって」


 桔梗はタバコの煙が流れていった森のほうへと歩き出した。

 慌ててキャリーケースを抱えてあとを追う士郎。颯爽と砂利道をゆく彼女の背中が頼もしい。ついさっきまでゼエゼェと肩で息をしていいたとは思えない。


「こっちって、誰が言ってんの?」


「三鷹さん」


「ちょ、連れてきたのかよっ」


「どこで神さまを怒らせたかは、本人が一番知ってるでしょ?」


 あっけらかんとそうのたまう桔梗の顔に士郎はまた言葉を失う。

 いい加減慣れたつもりではあったが、心霊の世界はまだまだ奥が深い。




〈 拾 〉


 実際に足を踏み入れてみると森の中は予想以上に荒々しかった。たくましい木の根っこが無数に地表へ顔を出し、苔むしたそれらに幾度となく足を取られる。

 よろめく桔梗を支えながら、樹々の間を抜けていった。

 森に立ち入ってまだ数分だというのに、気を緩めれば前も後ろも分からなくなりそうだ。


「くそっ。スニーカー履いてこれば良かった。このパンプス買ったばっかなのに!」


「知らんがな」


 不安定な足場に文句たらたらの桔梗の手を、士郎は自然と引いていた。もう片方の手には彼女のキャリーケース。「こっちでいいのか」と何度も尋ねて、ふたりは道なき道を越えてゆく。


「どうやら着いたみたい」


 しばらくするとふたりの前には一際、幹の太いブナの木が現れていた。

 周囲の樹々とは明らかに風格が違っている。

 ブナの樹齢など知る由もない浅学な士郎でさえ、その佇まいから百年単位の歴史を感じ取っていた。


「三鷹さん、木の根元を指差してる。こうやって……」


 つないだ手と反対のほうで桔梗は地面を指差した。

 木の根本は、落ち葉や伐採された太い枝などで埋もれている。「退かすか」と士郎が一歩足を踏み出すと左手がクンっと引っ張られてつんのめる。

 桔梗はまだ手を放していなかった。


「あ、ごめんっ」


「お、おう」


 ベタなラブコメみたいなシチュエーションにお互い頬を染める。

 これも『守護霊たち』に見られてんのかなと思うことで精神を強引に刑事モードへ戻した。


 大樹の周りはふわふわとした落ち葉の絨毯が敷かれていた。

 桔梗ほどではないにしろ士郎も大概、山を舐めた格好なので歩き難い。変なちからの入り方をしている。明日はきっと筋肉痛だと悪態をつく。


「手を切らないように気をつけてね~」


「お気遣いどうも……っと」


 ジャケットとスラックスのすそをドロドロにしながら、やっとのことで木の根元を露出させると士郎はそこに小さな樹洞を見つける。

 サッカーボールが入るかどうかというくらいの大きさだ。


「ウロだ、木のウロがある」


「中には? 中になにかない?」


「……人使い荒ぇな」


「なんか言った?」


「いいえ!」


 四つん這いになり落ち葉の絨毯へと顔を近づけてみると、そこには小さな命が息づいていた。というか大きめのゴキちゃんやらヤスデやらがぞろぞろと湧いては消えてゆく。高架下で殺人事件の凶器を探すためにローラー作戦したのを思い出した。


 ウロの中に手を突っ込むと、指先になにやら硬い感触を覚える。木や枝の類ではない。ましてや野生動物の巣になっているわけでもないらしい。


「なんじゃこりゃ」


 引っ張り出してみた物は、士郎の両手にすこし余るほどの石の塊であった。

 湿った泥を払い落としてみると、そこには蛇の頭が現れた。


「おい。これが『神さま』ってヤツか?」


 振り向くと桔梗は丸レンズのサングラスを外していた。

 大きな瞳にグッとちからを込めて眇めているが、士郎にはなにが視えているのか皆目見当がつかない。そして、どうやら近くにいる故・三鷹氏の幽霊と会話もしているようだ。


「正確には元・神さまね。そこにはもうなにも居ない。ねえ、それの胴体ってどうなってる?」


「どうなってるって……あ、なんか欠けてんな。身体のほう人間みたいに手足があるけど……マジかよ……右腕が……ないっ」


 座禅を組んだ首の長い蛇頭人身の石像。経年により造形が分かりにくくなってはいるが、目立って欠損しているのは右腕だけだ。それも自然に割れたというよりは、道具を使って叩き割られた印象である。


「桔梗ちゃん。三鷹さん、なんて?」


「薪を探してこのあたりで例の斧を使ったらしいの。その時に枯れ枝に埋もれた『神さま』の腕を斬ってしまった――だって」


「それが『自分を斬りつけた斧はどこだ』につながるのか」


 士郎は物言わぬ『神さま』に向かって、うっかり「心狭すぎねぇ?」と呟いてしまう。

 さらに桔梗の通訳は続いている。


「石像を壊したのには気づいていたけど謝りもしなかった。家に帰って『神さま』が来たからもう逃げられないと思ったって」


「いや抵抗しろよ!」


「多分、神域に入って思考を奪われていたんだと思う」


「しんいき?」


 士郎の頭の上には無数のクエスチョンマークが飛んでいる。


「三鷹さんありがとう。ひとりで帰れますか? うんうん。出来ればご自分のお墓に行ってください。そこに奥さんがいると思いますから……はい。絵里ちゃんのことは任せてください」


やっこさん、行っちまったのか?」


「うん」


 サングラスを外した桔梗の表情は、まるで少女のようだ。

 切ない視線が、はるか上空を見つめていた。


「兵頭さん、三鷹さんち周辺の事故物件って調べられません?」


「事故物件って……自殺やら殺人事件の現場になって心理的瑕疵かしがどうのこうのってヤツか」


「そう。絵里ちゃんの部屋にいた『臭い幽霊』って覚えてる?」


「ああ、人形の扇んときの」


「あいつが言うには『神さま』はまだ近くにいるって。絵里ちゃんもそこにいるけど怖くて近寄れないだって」


「生きてたら生活安全課のお世話になりそうなセリフだな」


 死してなお難儀なヤツはいるもんだとため息をつく。

 士郎はスマホを取り出すと、通信の圏内であることを確認する。一昔前のことを思えば、対応エリアも随分と拡大したものだ。


「事故物件ったらやっぱりアレだろ。テレビとか動画番組でもおなじみの検索サイト」


 いまとなっては誰もが名前を知っている有名な事故物件公示サイト。そこに三鷹家周辺の住所を入力すると、確かにいくつかの炎アイコンがマップに表示されていた。


「しかし祟ってる神さまが近所にいるからって、事故物件になってるとは……あ」


「なに?」


「過去十年間で四回も住人が死んでる部屋がある」


「それだ!」


 こうしてふたりは元来た道を引き返していった。

 時刻は三時をすこし回ったところ。

 桔梗はおやつにドーナッツが食べたいと言う。陰陽師ってのは燃費が悪いもんなんだなと士郎は思った。



(つづく)

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