第4話 最初に出会っていたのね

〈 漆 〉


「ケース外してもいい?」


 ミニチュアの扇を探し出した時はうっかり勝手に持ってきてしまったと。

 桔梗は、博多人形が飾られているガラスケースに手を掛けると「あっ」と思い出したように、士郎のほうへと振り向いてそう訊いてきた。


 二階にある娘の部屋からリビングへと戻ったふたりは、オーディオラックに置かれていた例の博多人形の手に、娘の部屋から持ってきたミニチュアの扇を返してやった。

 人形のポーズからしても、確かにこちらのほうがしっくりくる。

 士郎は佐々良署の刑事になってから何度もこの人形は目にしていたはずだが、扇を手にしていないことなど考えもしなかった。

 心なしか人形の表情もやわらいだ気がするのは不思議だった。


「どう?」


「うん。喜んでる」


 桔梗は人形の頭をひと撫ですると、ガラスケースをもとあったように被せた。てっきりそれで一件落着かと思いきや『彼女』はまだ言い足りないことがあったらしい。


「え? うんうん。なんで?」


 二三、言葉を交わしたかと思うと、桔梗は突然黙り込んでしまった。

 人差し指と中指。二本の指を立てて下唇に触れさせると、またお経を唱えた。「なんとかそわか」と言ってる。士郎には漫画やアニメの知識しかないが、たしか真言とかいうまじないだったはずだ。


「桔梗ちゃん?」


 お経が終わったようなので声を掛けると、彼女はハッと我に返った。家の中に入っても取ろうとしなかった丸レンズのサングラスを急に外して周囲を見渡す。

 何事かと尋ねると博多人形がこんなことを言ったという。


「さっきからわたしに事件当日の映像を見せてたのがこの人形だったのね。なのになんで犯人の姿だけ見せないのかって訊いたら『神さまだから怖くて見れなかった』って」


「神……さまって、さっき二階のも……」


「そう。犯人が神さまってどういうことだろう。扇のお礼ってそれだけ教えてくれたけど、もうなにも話さなくなっちゃったし」


「……重要参考人に人形と幽霊引っ張ってくわけにもいかねえしな」


 うーむ、とふたりして腕組みしていると、桔梗が窓辺に立て掛けられた家族写真とそれを取り囲むように並べられたぬいぐるみの山を見つけた。

 どうやらさっきまで博多人形がやかまし過ぎて気付かなかったらしい。

 タバコやお茶なども供えられており、士郎は遺族からの供養の品々だと教えた。


 家族三人並んだ集合写真。どこかのテーマパークで撮ったのか、後ろには大きな観覧車も写っている。これから自分たちにどんな運命が待っているのかなぞ知る由もなく、どの顔もはち切れんばかりの笑顔だ。


「こっちの男のひとが旦那さん?」


「そうだけど」


「やだ。さっきのひとじゃん。顔潰れてたから分かんなかった!」


 と、言ってバタバタ玄関先まで引き返していった。

 出遅れた士郎が彼女のあとを追うが、桔梗はすでに家の外だった。開け放たれたドアの向こうに見えるのは、門扉の近くで『なにか』と話している現代の陰陽師の姿。


「兵頭さーん。わたしのキャリー取ってくれる~」


「あ? キャリーケース? これ?」


 玄関に置いたままになっていたショッキングピンクのキャリーケース。

 士郎がそれを引いて門扉までやって来ると、桔梗はロックを外してペットボトルの水を取り出した。ケースの中には、ほかにお札みたいなものが見えた。


「三鷹さんですよね。お水飲みます? じゃあ手で受けてもらって……」


 はたから見れば、ただ地面に水を捨てているようにしか見えないが、桔梗はやや首を持ち上げて『なにか』と目線を合わせようとしていた。被害者・三鷹幸一の身長は178センチ。実際に対峙するとなれば納得できる角度である。


 彼女は故・三鷹氏と思しき幽霊の事情聴取を続けている。

 殺人事件を担当した刑事であるならば誰しもが一度は考えたことだろう、もし被害者本人から直接証言が取れればこんな苦労はしないのにと。


 だがこうも考える。


 何百人という捜査員が脚で稼いだ情報が、霊能力などという立証も不可能なものに頼ってひっくり返される。ふざけんなという話だ。

 とは言え、十数年も見つかっていない犯人を逮捕できるなら藁にでもすがりたいところ。

 士郎の心境は複雑だった。


「ふんふん……それで神さまの話なんですけど……あ、ごめんなさい! 思い出したくないですよね。無理しないで――」


 ふるべ ゆらゆらと ふるべ

 ひふみ よいむなや ここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ


 桔梗は呪文のようなものを唱えると手をかざした。位置的に考えて、三鷹氏の頭に向かってなにかをしているらしい。

 士郎がなんのまじないかと尋ねると「事件のことを思い出したら頭が割れちゃったから」と予想外の答えが返ってきたので一瞬、思考が停止した。


「――さん、――兵頭さんってば」


「え? あ、ごめん。聞いてなかった。なに?」


「三鷹さんが通ってたキャンプ場って分かります?」


「キャンプ場っつーとアレか。忽那山のオートキャンプ場だ。なんでもここに家建てたのも、車で一時間ちょいで行けるからだったらしい」


「くつな……くちなぁ……くちなわ。ああ、なるほど」


 ひとり合点がいったように桔梗は「うんうん」と激しくうなずいた。

 対照的にキョトンとしている士郎に向かって「いまからそこへ行きましょう」と。


「詳しいことは道々、説明します。お昼過ぎくらいには着きますよね」


 こうして陰陽師による故・三鷹幸一邸の心霊的な見分は終わった。解体まであとわずか。士郎はもしかするとこれがここに来る最後かも知れないと思いながらドアを締めた。

 ふと香った家の中の匂いは、気のせいか来た時よりも清らかなものに感じられた。




〈 捌 〉


 佐々良川を西に数十キロ走るとそこはもう山道だった。

 ふたりを乗せた公用車は、忽那山にあるというオートキャンプ場を目指している。時刻はすでに正午を回っていた――。


「やっぱり春はてりたまよね」


「ちょっとソースこぼさないでよ! 交通課に俺が怒られんだから!」


 途中、腹ごなしにと寄った某有名ハンバーガーチェーン店の季節限定商品に舌鼓を打つ。

 最近あまりジャンクフード的なものを食べてないという桔梗の提案に全力で乗っかったものの未舗装の山道に士郎は辟易としていた。

 型落ちとはいえ腐っても国産高級車と高を括っていたが、ヘタり始めたサスペンションは悪路に完全敗北している。

 車内に充満する身体に悪そうな油のニオイ。

 シートに染み付いてもいけないとカーエアコンを外気導入に切り替える。すると湿った土の匂いが吹き出し口から流れてきた。街中にいるとついぞ忘れてしまう自然の香りに、士郎は子供のころに駆け回った野原を思い出す。


「三鷹さんが言うにはね、キャンプ場で蛇の神さまを怒らせてしまったって」


「また神さまかよ」


 ハンバーガーのほかにナゲットとポテトも頬張っていた桔梗が、それらをコーラで胃にしっかりと流し込むと、故・三鷹幸一氏の幽霊と思しき『なにか』との会話を説明し始めた。


「あの日、キャンプから帰ってくると――」


 夜桜イベントの花火が見たいとはしゃいでいた一人娘の絵里は、キャンプの疲れが出たのか家に戻るなり自室で寝てしまったらしい。妻の圭子がキッチンで夕飯の支度をしていると、家の呼び鈴が鳴った。

 カメラ付きドアホンではなかったので、氏は「こんな時間に誰だろう」と思ったという。

 揚げ物をしていた妻を制して自ら訪問者を出迎えたが、そこには蛇の顔をしたひとりの男が立っていた。


「いや、立っていたっておまえ……」


「身体は普通のひとなんだけど、顔だけ蛇に見えたんだって。それで一目見て神さまだって分かったらしいの」


「意味不明なんだが」


「でね。謝罪をしないといけないと思って、家の中に迎え入れたんだって――」


 彼を連れてリビングへ戻ると、妻もすぐにキャンプ場の神さまであると気づいた。ふたりともそれが不思議なことだとは思わなかったという。

 妻は神さまをもてなす準備を始め、氏もとっておきの日本酒を卸して謝罪に努めた。


「そのうち神さまから『自分を斬りつけた斧はどこだ』と言われて、ガレージに片付けたそれを持って戻ってくると……」


「なんだ? なんだ、どうした?」


「そこで頭がバッと割れて、三鷹さんグロい感じに」


「ああ……」


 神さまとは一体何者なんだろう。状況から見て犯人であることは間違いなさそうなのだが。

 なぜ、三鷹氏と妻は無抵抗のままに殺されたのか。

 なぜ、犯人のDNAや指紋は出ないのか。

 なぜ、誰も犯人を見てないのか。

 

 なぜ、なぜ、なぜ――。


「娘ちゃんの右腕だけが持ち去られていることにヒントがありそうね」


「ヒントってなんだよ」


「それをこれから確かめに行くんでしょ」


「忽那山か……そういやなんか言ってたよな。くちなわが何とかって」


「土地の名前というのはそれなりに由来があるの。埋め立てた場所には水に関係する地名が付いていたり、塚が付く場所にむかしはお墓があったりね」


「ほうほう」


「くちなわは蛇のこと。長い時間を掛けて訛ったか、直接呼ぶのは畏れ多いから忌避きひされてそうなったのかは分からないけど、くちなわが忽那になったのかな。言ったでしょ、悪霊でも祀られれば神になると」


「お、おい待てよ、それじゃなにか? 柴山シバさんたちはその蛇に祟られてんのかよ!」


「まったく冗談じゃないわよねぇ」


 まるで近所のおばちゃんの井戸端会議くらいに軽いノリで彼女は言う。

 これまでに祟りや呪いなんてものに引っ掛かった捜査官はいない。少なくとも士郎の記憶にはなかったはずだ。

 だとすれば自分らの上司たちは、かなりの核心に触れてしまったのではないか。

 神の怒りを買うほどに――。


 正直、桔梗の話を100パーセント鵜呑みにしているわけではない。

 しかしこの事件に関わってから、始めてなにかが動こうとしているのを士郎は感じている。確証など持てるはずもないが、刑事の勘がそう告げる。

 ここに来て自分の背中を押しているのが、ただの勘ということに士郎は苦笑した。



(つづく)

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