第3話 ささやく者たちの証言

〈 伍 〉


 およそ一時間ほどのドライブの末にふたりがたどり着いたのは、バブル期の区画整理により誕生した新興住宅地のひとつだった。

 事件当時はまだ全体の二割ほどしか買い手が付かなかったというが、いまでは空地を探すほうが難しい。デザインの統一された真新しい建売住宅が立ち並び、まるでそれらが無限に続いているのではないかという錯覚さえ引き起こす中、明らかに時代に取り残された古めかしい一軒家が建っていた。


 故・三鷹幸一邸。

 木造二階建ての4LDK。一階にはシャッター付きのガレージもあり、趣味だったキャンプの道具も余裕をもって収納できたことだろう。

 新築から三年後、惨劇は起きた。愛娘の小学校入学に合わせて建てられた彼らの城での生活は、わずか三年という短さで終焉を迎えたのである。

 士郎はこの主を失った哀れな建物を見るたびに、なんとも言えない気持ちになるのだ。


「ここが犯行現場となった被害者宅だ。カギはご遺族から預かってきた」


 安物のスーツの内ポケットから取り出したのはカラビナでまとめられた鍵束だった。これもまた故人が好んで愛用したキャンプ用品のひとつだと士郎は語る。


 彼が門扉を開錠していると、背後でひそひそと話し声が聞こえてきた。どうやら随伴者である女性陰陽師が、またぞろ自分には視えない誰かと会話しているらしいと気が付いた。

 もはや驚くことすら失礼のように感じられ妙な気分を味わう。


「桔梗ちゃんさぁ」


「なによ。けっきょく『ちゃん』付け? お祖父さんそっくり」


 桔梗は『何者か』との会話を切り上げ、ショッキングピンクのキャリーケースを引いて小走りに士郎のあとに続く。

 玄関までの芝もよく手入れされており、三鷹氏の死後も庭を荒れさせまいとする遺族の強い気持ちが伝わって来るようだ。

 玄関を開錠した士郎は、ドアを開けるまえに桔梗に言う。


「うちらもここ十数年。なにもやってなかった訳じゃないんだ。それでもなにも出て来なかったんだよ。厳しいこと言うようだが、これからおまえさんがなにをしようと、正直あんま期待してない」


 そんな言葉を浴びられながら表情ひとつ変えない桔梗をジッと見つめ「それでもやるってんなら」と、緊張した面持ちでドアノブを握り締める。


「このヤマ、あんたに預けるぜ」


 ギ……と静かに軋んでマホガニー材のドアが開かれてゆく。

 玄関先から奥へと真っ直ぐに伸びる廊下は、まだ昼間だというのにひどく薄暗く感じられた。室温も冷房でもつけているのではないかというほど肌寒い。

 スプリングコートを身にまとう桔梗でさえ、指先をすり合わせて温めていた。


「あ、今更、現状保存もないんだけどさ。一応、これ履いてくれる?」


 士郎は下駄箱の天板に置かれていたビニール製のフットカバーを桔梗に手渡した。これは警察の備品ではなく、遺族側が常備しているものだと説明する。


「ご遺族の想いが偲ばれるわね……」


 桔梗は持参してきた革手袋とフットカバーで装備を整えると、愛用のキャリーケースをその場に残して家の奥へと歩を進める。彼女は玄関を上がる前にしっかりと手を合わせ、士郎にはよく分からないお経のようなものを唱えた。


「……では参りましょうか」


 隣りから眺める彼女の横顔は凛々しかった。

 カッと見開かれた大きな瞳が丸レンズの隙間からのぞく。美しさと強さを兼ね備えた神秘的な眼差しを目の当たりにし、士郎は上司であるベテラン刑事・柴山の言葉を思い出していた。


 兵頭、世の中は目に見えるものだけがすべてじゃねえぞ――と。


 その時は凶悪犯罪に浸りきった刑事畑一筋の中年オヤジが酒の肴に、後輩相手に業界のフォークロアでも聞かせているのかと思っていた。

 事実つい一時間ほど前までは、心霊捜査などハナから馬鹿にしていたほどだ。

 しかし今では分かる――かも知れない。

 神も仏の区別もない、いたって現実主義者の自分が得体の知れない『なにか』を信じ始めるくらいには謎の説得力があった。この井桁桔梗という人物には。




〈 陸 〉


 まずふたりが向かったのはダイニングキッチンに繋がる広いリビングだった。

 誰かが定期的にメンテナンスをしに来ているのだろう、今にも明るい家族の笑い声が聞こえてきそうである。テレビもソファーも当時のもの。テーブルに置かれたなんてことない小物たちも期日の迫る解体工事さえなければ、ずっとあの日のままだっただろう。

 悲しいタイムカプセル――。

 佐々良署の刑事たちはこの家をそう呼ぶ。


「ここが犯行現場ね?」


 キッチン周辺を観察しながら、桔梗が出し抜けに言った。


 タブレット端末が壊れたことをこれ幸いと、士郎は彼女を試すつもりであえて現場の情報を与えなかった。現場保全はもう何年も前に解かれている。家の中は清掃業者が入り、すっかり綺麗になっていた。被害者の血痕などおよそ肉眼で確認できるものではない。

 しかし桔梗は、なんの事前情報もないまま次々と当時の惨状を言い当てていく。

 士郎はただただ唖然とする。


「こっちに男性……旦那さんか。顔がめちゃくちゃ。キッチンに奥さんが立ってるのが視えるけどそこにいるわけじゃない。誰の記憶なんだろうこれ?」


「お、おいっ。被害者の霊がそこにいるのかよっ」


 床に触れていた桔梗は、首を振りながら立ち上がり「残念だけど」とこぼす。


「このお家、近所の霊体がたまり場にしてるみたいで、関係ないのはそこら中にいるんだけど、ご家族がどこにもいない。成仏したか、それとも追い出されたか」


 小さな頭を横に傾げて「うーん」と唸る。


「とにかくまともに話を訊けるひとが少ないから困ったなぁ。さっきから過去の映像だけは頭に飛び込んでくるんだけど」


「な、なあ心霊捜査って基本的になにすんの?」


「なにって捜査の基本は聞き込みでしょう? なに言ってんのよ」


「だからそれこっちのセリフなんだよ。なんかこう遺留品とか触ったら、生前の持ち主の記憶がぶわ~とかじゃねえの?」


「ほいほーいとかぶわ~とか漫画じゃないんだからさ」


 はっはっは。困っちゃうなぁ~と現代の陰陽師は乾いた笑みを浮かべる。

 士郎には漫画と彼女のやってることの違いが、いまひとつ区別がつかない。

 それよりもこの空間が幽霊に満たされていることのほうが気掛かりだった。なんだか落ち着かない。


「お子さんは……二階か。不思議ね。犯人の姿だけ視えないけど、この奥さん、四人分のご飯を用意してる。ホントに知り合いじゃないの?」


「――そうなんだ。被害者は犯人をもてなしてる形跡があった。だから血眼になって交友関係を洗ったんだが、ことごとく徒労に終わっている」


「ふむ……。やっぱり知り合いじゃないかも。奥さん緊張してる」


「緊張?」


 桔梗は訝しむ士郎を無視してキッチンからリビングへと所在を移す。そこで『なにか』の視線を感じたのか、すたすたと迷いなくオーディオラックの前に立った。


「おまえかー。さっきからやかましかったのは」


 彼女が話しかけていたのは、ガラスケースに入った博多人形だった。艶めかしいを作った踊り子の姿をしており、いまにも動き出しそうである。こうした工芸品に明るくない士郎にもちょっとしたものだというのは分かった。


「うん。うん。扇? そういえば持ってないね……絵里ちゃん? 絵里ちゃんが持ってっちゃったの?」


「お、おい、ちょっと」


 幽霊云々は百歩譲ってまあアリだとしよう。

 しかし「わたしお人形さんとお話できます」は、ちょっと許容できないものがある。思わず口を出してしまったが、桔梗は言われ慣れているのかどこ吹く風だ。


「兵頭さん、娘さんのお部屋に行きましょう。この子の扇を探します」


「事件の手掛かりか?」


「いえ、ずっと『わたしの扇返せ』って罵詈雑言がヒドいので」


 士郎は半ば呆れつつ彼女のあとについていった。

 もはや流石と言うほかないが、桔梗はなんの迷いもなく二階へと上がり、一人娘である絵里の部屋の前に立った。ドアノブを掴むと動きを止め、一瞬表情を曇らせる。


「娘さん。ここで殺された?」


「やっぱり分かるんだな」


「ここだけすごいニオい。血生臭いというか、生ごみクサいというか」


 言われて士郎は鼻を利かせるが、空き家特有のわずかなホコリの臭いくらいしか分からなかった。だが彼女の顔のしかめっぷりを見ると相当なものらしい。


「開けます!」


 グッと体重を前に掛けてドアを開けた瞬間。

 桔梗は「きゃあっ」と叫び声を上げた。驚いた勢いで後ろに倒れ込みそうになるところを士郎が抱いて支えてやった。


「なんだ! どうした!」


「び、びっくりした。目の前に浮浪者っぽいおじさんが……ごめん、このひと生きてる人間じゃないよね?」


「少なくとも俺には誰も見えん。安心しろ。安心しろ?」


 自分の言ったセリフに小首を傾げる。

 ふわりと香った桔梗の匂いに士郎は慌てて身体を放した。


「この生臭いのあんた? もうヤダちょっとそこ退いてよ。あ、お人形の扇知らない? 筆箱の中? 絵里ちゃんの? なんで知ってんの。え……ずっといるの? ストーカーかよ」


 桔梗はこの幽霊にはどうにも厳しい。

 霊感など皆無である士郎でさえ、この部屋にいるという浮浪者の姿が目に浮かぶようだった。ただニュアンスとして浮浪者に厳しいというよりは、清潔感のない男が嫌いっぽい。


 そうこうしていると勉強机の周りでちょろちょろしていた桔梗が、精巧なミニチュアサイズの扇を手にしてドア先まで戻ってきた。


「おまえマジか……マジかおまえ」


「なにが?」


 頭では理解しつつあっても、やはりあらためて目の当たりにするとゾっとする。

 これが『目に見えない世界』なのだろうかと、士郎は自分に問うた。


「え、なに? 絵里ちゃんの右腕? 神さまが持ってった? なんの話それ」


 浮浪者の幽霊と会話を続ける桔梗の言葉に、士郎は今日一番の寒気を味わった。

 血の気が引くというのは、こういうことを言うんだろう。

 強行犯係の応援でヤクザを相手にしているほうがはるかにマシだった。


「言ってなかったんだけど……」


「ん?」


「娘の絵里ちゃんな。右腕を斧で切断されて失血性ショックで亡くなったんだ。んで……斬られた右腕は現在もまだ見つかってない……」


 桔梗はカタチのいい鼻に人差し指を当てて得心する。

 彼女はこの部屋を満たしている血生臭さの正体を知り、遅ればせながらと手を合わせた。



(つづく/コメントお待ちしております^^)

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