第2話 見えざる犯人
〈 参 〉
200X年――。
佐々良署管内で発生した一家惨殺事件があった。当時は特捜本部が立ち上がり、のべ800人以上の警察官を動員して昼夜の別なく犯人の捜索は続けられた。
しかし彼らの懸命な努力にも関わらず、捜査は難航。最初の通報から一ヶ月を経るも、被疑者のひとりも候補に浮上せず。その後しばらくして特捜本部は解散してしまったが、事件は佐々良署の継続捜査班に引き継がれ現在に至る。
「――被害に遭ったのは当時、大手総合商社に勤務していた三鷹幸一、36歳。同い年の妻、圭子と10歳の一人娘、絵里との三人家族。三人は斧により斬りつけられ死亡した」
そらんじた調書を淡々と語ってゆく兵頭士郎。
殺人事件における公訴時効が撤廃されてからはや十数年。佐々良署の新任刑事は代々この事件の引き継ぎも行われる。記載されている情報のひとつひとつが、先達の汗と努力の結晶である。士郎は一言一句に注意を払う。
「斧?」
一方で早くも情報の多さに辟易し始めた井桁桔梗だが、ちゃんと聞いているぞと主張するべく聞き返した。ちなみに正面を見るのはやっぱり無理なので、新調したネイルを眺めている。
「ああ。凶器となった斧は薪割り用のもので、被害者宅にあったものだ。長期の休みになると家族でキャンプをするのが趣味だったらしい」
「……犯人は被害者の顔見知りだったのかしら」
「なんでそう思う?」
「だってそんなもの、物色している間に逃げる余裕とかいくらでもあったでしょうに。だとしたら普通に犯人を家にあげて、新しく買ったキャンプ用品の自慢でもしてる時にやられたんじゃないの?」
「当時もそういう意見はあったよ。だから交友関係はがっつり当たった。でも――」
悔しげに唇を歪め、士郎は首を横に振る。
「なにも出てこない。犯人と思しきDNAや靴跡さえ犯行現場には残されていなかった。凶器となった斧もその場に放置されていたが、指紋のひとつも出てこない。こんなことってありえると思うか?」
「言いたくないけど無理心中ってことはないわよね」
「旦那にいたっちゃ頭部を叩き割られてんだぞ。そんな器用な死に方があるかよ」
「奥さんがゴリラ並の腕力だったかも知れないじゃない」
「じゃあ奥さん誰が殺したんだよ」
「……娘?」
小首を傾げる桔梗に向かって士郎が「馬鹿言うな」とたしなめる。
さすがに失言だと思ったのか、彼女も肩をすくめた。
「初動捜査が後手に回ったのが本件を迷宮入りさせた最大の原因でもあるんだが、とにかく犯人につながる情報がない。目撃情報すらないんだ」
事件当夜、夜桜のイベントで花火が打ち上がっていた。
犯行現場は被害者の自宅。一般的な住宅地で近所づきあいも悪くはなかったという。当時、三鷹氏は毎年恒例の春キャンプのため長期休暇をとっていた。娘の絵里が新学期になっても登校しなかったことから事件が発覚する。鑑識によるとすでに死亡から三日は経過していた。
ドライブレコーダーや防犯カメラの普及率もいまとは比較にならない。
こうして犯人は夜桜イベントの喧噪に紛れてまんまと行方をくらましたのだった――士郎は苦々しくそう語る。
「犯行時の悲鳴や音は花火や祭囃子にかき消されたか……ともかく十数年経ったいまでも捜査に進展はないんだ」
「……でもなんで今更、心霊捜査?」
「それは――」
捜査開始から十数年。遺族の強い要望もあって犯行現場となった被害者宅は現在まで維持されている。三鷹氏の建てた新築三年目の一軒家だ。ローンも遺族が支払いを続け、少しでも新しい発見がないかと一縷の望みを託していた。
しかし、このほどついに被害者宅が解体されることになったのだ。
「ご遺族の高齢化が一番の理由だが、これ以上待っても新しい物証とか見つかりそうにないのが心苦しいというかなんというか……」
士郎の口調が明らかにトーンダウンする。
「……事故にあった例のウチの上司な。
「なんて?」
「これは俺のヤマだ。自分が退官するまでに必ずホシを挙げてみせるってよ」
「昭和のデカじゃん。アツいわね」
桔梗が馬鹿にするでもなく笑みをこぼした。
ルームミラー越しにそれを見た士郎もまた「まぁな」と悪い気はしない。
「それからそっちの班長さん? と、何度か修羅場を踏んだことがあったらしくって、現場が取り壊されるまえに一度、霊視っつーの? を、してもらおうって話になったみたいでよ」
「なるほど。それがこれから行くお家ってことね」
桔梗はまた彼女しか見えない飛び出す幽霊を避けながら「ふむふむ」と頷いていた。
ざっと事件の概要を伝えると、士郎は後部座席に向かって「で」と軽い感じで切り出す。対する桔梗もまた「で?」と、サングラスの向こう側で眉をグッと持ち上げて聞き返した。
「なんか分かった?」
「なんかって?」
「いや、だからその……犯人とか」
このときの桔梗の呆れ顔といったらなかった。
たとえサングラスで目元が覆われていようとも、一発で「この馬鹿、なにを言い出しやがる」と分かるほどだ。
一度持ち上げた眉毛が今度は八の字に垂れ下がる。
「プロの捜査員が800人がかりで十数年見つかってないのに、いまのコンドームよりもうっすいやり取りだけでどうしろと?」
「コっ……や、でもテレビとかだとFBIの超能力捜査官が被害者の写真見ただけで、殺害現場とか凶器の投棄場所とかほいほーいって言い当てたりするじゃん」
「そんなんで見つかれば苦労はないのよ。日本の警察官ナメないでくれる?」
「それこっちのセリフなんですけど」
流れゆく風景が都心部から次第に住宅地へと変わりつつある。
大きな川に掛かる橋を越えれば目的地は近い。
堤防沿いに続く桜並木を目にし「あの日もこんなにキレイだったのだろうか」と、亡くなった被害者一家に思いをはせるたび士郎の胸は苦しくなった。
何としてでも犯人を探し出す――それはこの事件に関わったすべての警察官の思いでもある。
〈 肆 〉
気持ちを切り替えるように士郎は話題を変えた。
どの運転手も桜並木を眺めているのか、車の流れも緩やかになり、ルームミラー越しではあるが桔梗とも何度か目が合うようになっている。無論、サングラスはしたままだが。
「そもそも幽霊ってどういう風に見えてんの? あとあれ、守護霊ってヤツ? 誰にでも憑いてたりするわけ? さっきの祖父さんなんかもさ」
「しーつーもーんーがーおーおーいー」
「ああ、ゴメンゴメン。気になっちゃってさ」
「訊いたところで信じてないのに?」
「う――」
痛い所をつかれた。
士郎はそんな表情をした。つくづく分かりやすい男である。
「じゃあ逆に訊くけど拳銃でひと撃ったことある? 犯人を殺したいって思ったことは?」
すると士郎はまた分かりやすく不機嫌になって「ねぇよ!」とぶっきらぼうに答えるのであった。桔梗は彼がそう答えるのを知っていたかのように「だよね」と一言。
「その質問、警察官だったらもう吐きそうなぐらい訊かれてるでしょ」
「――まぁな」
「うちらも一緒。『幽霊視えるんですか?』『守護霊っているんですか?』『神さま
もう、うんざり。
言葉にはしないがへの字になった口元がそう物語っていた。
「知るかってのよ。たかが人間ごときが神さまをどうこうしようってのがまずおこがましいわ。うちらみたいな真っ当な霊能者が迷惑するんだから、巷にはびこってるインチキ霊感商法とかもっと厳しく取り締まってよね!」
「ど、努力します……」
怒ったりしょんぼりしたりと忙しい男だ。
桔梗は「はぁ~」と深いため息をつくと「冗談よ」と彼の反省を茶化した。
「ちょっと意地悪しただけ。そうね――」
小さなあごに手を添えてしばし按ずる。
ただでさえ小顔なのによりほっそりして見える。それほど長身ではないが、イメージとして八頭身くらいに感じるモデル体型をしていた。組んだ脚も長い。
足元は春色をしたスウェードのパンプス。
かかとを外して、つま先だけで引っ掛けプラプラしている。
ちょっとリラックスしすぎじゃねえか――士郎はあえてつっこまない。
「さっきも言ったけど少なくともわたしには霊体と生きてる人間の区別がつかない。挙動や表情でやっと『あ、このひと生きてないんだ』って分かる。もちろん相性もあるから視えるときと視えないときもあるし、ピントというかテレビやラジオみたいにチャンネル? が、合ってないと視えない霊体もいるわ」
「ふーん」
「守護霊って一口にいうけどいつもそばにいるわけじゃないし、あなたの場合、お祖父さんのほかにあと数体いるの。みんな何らかのご縁があるひと達みたいよ」
「マジか! 誰だろ?」
ちなみにまだお祖父さんは助手席に座ってると言われ、慌てて壊れたタブレット端末をグローボックスの中にしまい込んだ。
「あとこれはホントに注意して欲しいんだけど……」
桔梗が居住まいを正して、上体を若干前のめりに座り直す。
やはり正面は見たくないのか、顔だけは横に背けて。
「俗に悪霊と呼ばれるものでも
「でも神さまになったら悪霊じゃなくなるんだろ? いいことじゃん」
「
狭い車内が不穏な空気で満たされていくようだった。
その後のふたりにさしたる会話はなく、静かな時間が流れてゆく。車窓から堤防を見下ろせば桜の花びらで染まった川面が揺れていた。
目的地となる被害者宅は、もうまもなくである。
(つづく)
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