心霊捜査官・井桁桔梗

真野てん

第1話 桜吹雪と陰陽師

〈 壱 〉 


 そもそも心霊捜査などという眉唾な話には懐疑的だった。

 何年にも亘って、何百人もの捜査員を投入したにもかかわらず解決しなかったというのに、今更オカルトを頼ってどうするのか。

 誤認逮捕や冤罪を生む危険性をも大いに孕んでいる。ご遺族やこれまで捜査に関わった先輩たちのことを思うと胸が締め付けられるようだ――佐々良ささら署の新任刑事である兵頭士郎は、桜舞い散るコインパーキング内で苛立ちを隠せないでいた。

 型落ちの公用車に背を預け、彼は署の備品であるタブレット端末を睨む。


 画面に表示されていたのはひとりの女性のデータファイルだった。

 彼女はこれから士郎が落ち合う予定の人物で、とある未解決事件の捜査協力者である。


 井桁桔梗いげたききょう――。

 年齢は21歳。士郎は自分の2コ下かと思った。

 所属は宮内庁、陰陽寮おんみょうりょう・心霊捜査班となっている。


「宮内庁? てっきり本庁の附属機関だとばかり――」


 などと独り言ちていると、一際強く風が吹いた。

 パーキングエリアへと続く長い並木道。桜吹雪と共に現れたのは、黒髪ロングに丸いレンズのサングラスが印象的な細身の女性だった。全体的に落ち着いた雰囲気なのに対し、手には目の痛くなるようなショッキングピンクのキャリーケースを引いている。


 あまりにも浮世離れした光景に士郎が呆気に取られていると、あちら側から声を掛けてきた。


「陰陽寮は律令制時代の日本に存在した政府機関のひとつです。我々が仕えるのは国家ではなく国土と八百万の神々のみ。だから宮内庁の所属でなんら問題もありません」


「え――」


 風にかき消えるほどの小声だった。しかも耳をそば立てて聴こえるような距離じゃない。

 いよいよもって士郎の困惑が止まらない中、彼女はサングラスをずらして上目遣いに彼を見やる。くりくりとした灰色がかった瞳は左目だけが二重まぶただった。


「佐々良署、刑事課捜査一係の兵頭士郎巡査部長――かしら?」


「ど、どうしてそれをっ」


 すると女性は口元に手を添えて、くすりと表情を綻ばせる。「どうして、と言われましても」と前置きし小首を傾げた。


「仕事ですから、一応、随伴者の氏素性うじすじょうは前もってお知らせ頂いておりますが」


「そうじゃなくって! あの……言ってないですよね、俺、あなたにその……さっきのは独り言みたいなもんだったし聴こえるはずが」


 そこまで言って彼女は「ああ」と得心した。


「それはですね。さっきから隣りにいらっしゃる方にお伺いを……うん、うん……お孫さん? あなたは……二郎さんとおっしゃるんですね」


「ちょ、なんで爺さんの名前がここで出てくんだよっ」


 立場も忘れて言葉も乱れる。十数年前に亡くなったはずの祖父が「隣りにいる」と言われ、その場を跳び退った。

 一方で彼女は表情も変えず、さらに「ふむふむ」と虚空に向けて頷いている。


「あなたのお爺さんが『おねしょは治ったか?』ですって」


「ぶっ! 寝ションベンっていつの話だよ! あ、いや、もう分かりました! 十分にあなたのおちからは分かりましたからっ……」


 実祖父といえどもこれ以上の情報漏洩は捜査に支障をきたしてしまう。冷や汗と狼狽の止まらない士郎が必死で彼女の言葉を遮った。


 ふふふ、と鈴の音を転がしたように笑う彼女は右手を差し出し「改めまして」と。


「心霊捜査班、陰陽師――井桁桔梗です」


 ラム革の手袋越しの握手。

 その手は華奢で、ちょっとちからを入れて握り返せば立ちどころに折れてしまうのではないかというたおやかさだった。


「手袋越しでごめんなさい。このサングラスもですけど、いろいろ鈍くしないと社会生活もままならないものですから」


「大変なんですね、えと……井桁さん」


「桔梗でけっこうですよ。お爺さんにはすでに『ちゃん付け』で呼ばれてますし」


 自分の背後に向かって「ね」と同意を求めてくる彼女に、士郎は「カンベンしてくれ」と大きく項垂れた。




〈 弐 〉


 ふたりを乗せて走り出した佐々良署の公用車は、型落ちとはいえ腐っても富裕層向けの国産車である。世界トップクラスの静粛性に車内はほぼ無音。ハンドルを握る士郎は、ルームミラーに映る後部座席をチラ見する。


「ラジオでも付けます?」


 取り立てて会話もなく退屈だろうと気を利かせたつもりだったが、彼女は――井桁桔梗の返答は意外にも「けっこうです」だった。ばかりかなるべく正面を見ないように顔を背け、目元を手で覆っている。その様子が士郎には奇妙に思えた。


「それよりも今回の事件についてもう一度、ご説明くださる? 先任の捜査官からうまく引き継げてないもので」


「先任というとそちらの班長さんでしたっけ。なんか一回現場来たっきり、それから顔見なくなりましたけど……」


 口調は穏やかだが声音こわねにはハッキリとした嫌味が含まれていた。

 刑事としての兵頭士郎が心霊捜査官に対して厳しい態度を取っているのには、この一件が大いに影響している。霊能力でもって犯人捜しをすることにも素直に賛同しかねるが、仕事に対する無責任さにより多くの反感を抱いているのだ。


 信号待ちの隙を見て、助手席に放っておいたタブレット端末を操作して後部座席に座る桔梗へと手渡す。この時は目元を覆うなどの奇行もなりを潜め、素直に受け取ってくれた。しかし一度車が走り出すとやはり正面を見ようとしない。

 彼女は視線を遮るようにして、受け取ったタブレット端末をのぞき込んだ。


「まあうちの上司も交通事故で先週から入院してるんで強くも言えませんけどね!」


 言葉とはうらはらに士郎の憤りが車内を満たす。

 対して桔梗の反応は冷ややかであった。むしろ士郎を責めるように、サングラス越しにルームミラーを睨んできた。


「班長の御木谷みきたにもいま入院中です。全身に数か所のがんが見つかりました」


「は?」


「年始の人間ドックでは、尿酸値と悪玉コレステロール以外、問題なかったのですけど」


「な、どうしてそんな……元気そうに見えたけど……」


「分かりません。お医者さまじゃありませんので」


 あまりに冷淡な彼女の物言いに士郎は若干の不快感を覚える。だがそれ以上に、この奇妙な偶然の一致は彼に不気味な居心地の悪さを与えた。

 思わず「タタリかよ」と悪態が口をつくが、桔梗はさも当然のように「そうよ」と答えた。


「そ――。そういうことは冗談でも言わない方がいいな。不謹慎っつーかなんつーか」


 勢いで振り向きそうになったが、警察官の矜持が彼を思いとどまらせた。ハンドルをぎゅっと握り込んで頭にのぼった血をいなそうとする。

 ルームミラーの中で、サングラスを下にずらした桔梗と目が合った。


「冗談で言える話じゃないわ。祟りは祟りよ。わたし達の上司はこの事件に深く関わったからその報いを受けた。早くなんとかしないと……班長の命が危ない」


「なんとかって……原因分かってんのかよ」


「分かんないわよ。だからそれをいまから調べるんじゃない」


「っんだよ、そのフワフワした感じはよ! ははーん、陰陽師とか言ってお高く留まってやがるけど案外ポンコツだなおまえ」


「な、おまえとか初対面の人間に言うな! あとポンコツじゃない!」


 お互いに気づいてはいないが、すでに言葉のチョイスに遠慮がない。この時点でまだ出会ってから30分と経ってはいなかった。

 また砕けた感じのやり取りになってなお桔梗の、正面をまともに見ないという奇行は続いている。いい加減、煩わしくなった士郎はうっかりと声を荒げてしまう。


「だから何なんだよ、それっ」


「や、その……わたし道路に飛び出してくる霊体と生きてる人間の区別がつかないから、車乗ってるとき正面まともに見れなくって」


「ちょ、てことは俺、さっきから幽霊轢いちゃってんのっ?」


「うん。がっつり」


 予想だにしなかった真実を聞かされたショックから、士郎はクリスチャンでもないのに胸の前でしっかりと十字を切った。


「ナンマンダブ、ナンマンダブ。不可抗力だから恨まないでくれよ~」


 いろいろと間違ってはいるが本人にしてみれば必死である。「交通課になんて報告すればいいんだ」なんて律儀に落ち込んでいたところ、急におとなしくなった桔梗が後部座席から、ちょんちょんと肩を小突いてきた。


「あの……ちょっといい?」


「あん?」


「これ霊能者あるあるなんだけど……」


 というとさっき手渡したタブレット端末が背後からスッと差し出されて戻ってきた。

 安全を優先しつつ運転しながらチラ見で確認すると、画面は見たこともないようなバグった表示を明滅させている。


「この手の電子機器ってすぐ壊れちゃうのよね。ゴメンけど、やっぱ口頭で事件の詳細を教えてくださるかしら」


 壊れたタブレット端末を助手席へと雑に放り投げる。

 ようやく冷静になってきた頭によぎったのは、先が思いやられるというやれやれとした気持ちと、署の備品が使い物にならなくなったことへの言い訳をどうするかということ。


 胡乱な瞳には、刑事課長と会計課のお局さんの静かにぶちキレたすまし顔がメリーゴーランドのようにぐるぐると回っていた。


 こんな時、自身もまた警察官だった祖父さんならどうするだろうか――。

 いっそのこと後ろで幽霊避け阿波踊りをやってるポンコツ陰陽師に聞いてやろうかと思ったが流石にバカバカしくなってやめた。


 フロントガラスに桜の花びらが舞い込み、ふと車窓の風景を眺める。

 良く日の当たる、車道沿いの桜並木はちらほらと葉桜だ。

 士郎は春も、もう終わるなと思った。そしてあの事件もまた、こんな季節のとある平凡な一日に起きたと桔梗に語ってみせるのだった。



(つづく)

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