第9話 繍球花

 問う間はなかった。

 村長たちがずぶ濡れの格好で、両手いっぱいに花を抱えてきたのだ。

 大の男が数人で。



「こちらで全てです!」

「ありがとうございます。置いておいてください」

「はい! あとはいかがしましょう!」

「もう何もありません。患者様についていてあげてください」

「え……」

「大丈夫ですよ」



 にっこり。

 人当たり良さそうで、有無を言わせない笑み。

 男たちは食い下がろうとするが、村長が止めた。

 彼女の気を損ねることを恐れたのだろうか。

 やれることだけやらせ、だめだったらそれこそ生贄にすればいいだろう。

 村長としても、できる手を尽くしたいのだろう。



「さて」



 上がり框の上に積まれた、瑞々しく濡れた繍球花しゅうきゅうか

 立ち上がった彼女はそれを目で楽しみ、手を伸ばす。

 花と、いくつかの葉。

 彼女はそれを――



 んだ。



 は……?



「お、おい、なにを」



 聞いても彼女は耳を貸さなくなった。

 一心不乱に花をみ。

 葉をみ。

 茎をみ。

 まるで何かに憑りつかれたように。



「んくっ」

「おい!?」



 嘔吐えづいた。

 手で口を覆い、床に縮こまる。

 遅れて駆け寄ると、彼女はごくりと強く呑み込んだ。



「わたくしは大丈夫です。お医者様は患者様の所へ」

「何を言う! いや、それよりも、いきなりなにをしているんだ!?」

「わたくしは死にません」

「っ」

「なので、お医者様は患者様のところへ……より、命が危うい方の所へ。でないと、お医者様もわたくしも、この村の糧となりますよ。お医者様が治したいという病も、治す方法が見つからないまま、ですよ」

「な、あ……ああ……だが」

「もう。邪魔です。女性が暴食している様子を見ているのが趣味なんですか?」

「い、いやそんなことはない! また来る!」

「いってらっしゃぁい」



 雨の中、飛び出した。

 俺にもやることがあるんだ、そうだった。

 治る可能性があって喜んでいるのは、村人たちだけではない。

 治る可能性があっても、うつつを抜かしている場合ではない。

 俺は俺で、やらなければならないことがある。






 ―――――……






 四半刻ほど経っただろうか。

 雨のせいで朝なのか昼なのか夜なのかはわからない。



「では、後は頼む。俺は向こうを診てくる」

「承知しました」



 患者たちは比較的落ち着いているが、まだ油断はできない。

 吐き気止めの効果も薄れてきたのか、ぽつぽつと症状が戻ってきてしまっている。

 つまり、時間経過では直っていない。

 むしろ衰弱は進んでいる。

 栄養も体力もない中での負担。

 病気が治っても、栄養を摂らないと危ういことには変わりない。

 課題は、いくつもある。


 雨足が弱まってきた。

 目的地までの道のりは、行きよりも容易になっている。

 駆け足で戻り、戸を開いた。



「戻ったぞ……なっ!?」



 大量にあった繍球花しゅうきゅうかが、ない。


 細かい葉や茎の欠片、花弁はある。

 だが、山を成していたはずの量は、まるっきりなくなっている。

 俺が出るまで、彼女は繍球花しゅうきゅうかを食べていた。

 単純に考えれば、彼女が食べきったのだろうか。

 あの量を?

 大の男が数人、両手で抱えるほどの量を?

 細身の女性が、一人で?

 理解が追い付かない。

 その彼女は……布団で寝ている?



「おい……」



 框を上がって除けば、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。

 なんなんだ。これが、治療?

 馬鹿を言うな。

 患者には接せず、ただ野草を食べて、腹いっぱいになって寝ているだけじゃないか。

 こんなことで「治せる」と言ったのか。

 ふつふつと湧いて出る怒りが、頭まで血を登らせる。



「っ、う……」

「どうしたっ」



突然苦しみ出した。

玉のような汗が吹き出し、顔色は波が引くように真っ青に。

嘔吐えづき、身を捩る。

一瞬前の安らかな様子はどこへ行った。



「あ、ああ……お医者様……おかえりなさい……」

「大丈夫か? 水をもらってきた。吐き気があるなら薬もあるぞ」

「水だけ、いただきます……」



体を起こし、支えてみる。

支える体の重さから、ほとんど力は入っていないのがわかる。

あの花を食べたからだろうか。

あんなもの、食べるものじゃないだろうに。

なんで食べたんだ。

まさか、それが患者を治療するのに必要だというのか。

彼女が食べる必要があるのか。

疑問はどんどんわきでてくる。

問い詰めたい。

しかし、それは今ではないだろう。

弱っている相手にそのようなことは、流石に俺もできはしない。



「ありがとうございます」

「ああ……寝るか? 何か必要か?」

「何も。ここにいてくださるのなら、安心です……」



また寝息をたてた。

顔色は相変わらず悪い。

汗も肌を滑り落ちている。

持っていた布で拭ってやるも、深い眠りなのか反応はない。

目の前に寝ている人間がいると、気を張る一方、自分も眠たくなってきた。



「……疲れた」



 この雨だ。

 雨の中、何往復した?

 患者を診て、どれくらいの時間がかかっている?

 そうでなくとも命がかかっている状況だ。

 心身共に疲れ切っているのは不思議なことではない。



「ちょっと、仮眠……」



 壁に背を寄せる。

 ずりずりと落ちて、頭を落とす。

 何かに寄りかかれる安心感。

 いとも簡単に、俺の意識を奈落に落としていった。






―――――……

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