第8話 意地と条件

『治せるかもしれない』。

 確定事項ではないにしろ、その言葉はこの村の人間にとっては喉から手が出る程に欲しい言葉だった。

 俺でさえ……いや、医者では、言えなかった言葉。

 医者が治すのを放棄したように見えたところでの、この言葉。

 救いの神の如き、だっただろう。


 村長は慌ただしく出て行った。

 俺に脇目もふらず、一目散に雨の中に飛び込んだ。

 女は布団の上に座り込む。



「あー痛い」



 方や布団、方や地べた。

 方や旅人、方や医者。

 ただただ偶然居合わせただけの俺たち。



「どうやるんだ?」

「ん?」

「どうやって、治すんだ?」



 足を擦る彼女は、俺に見向きもせずに荷物を漁る。

 取り出されたのは、煙管。

 細く、装飾の細かい、黒と金と赤であしらわれたもの。

 マッチを擦って、火を灯す。

 ひと吸いして、煙を吐き出す。

 なんと恍惚とした表情か。



「知りたいですか?」

「知りたい」

「素直ですね。そういう人は嫌いじゃありませんよ」



 煙のはずなのに、甘い香りが充満する。

 布団の上で足を崩して座る姿は、何故だか様になっている。

 直前まで寝ていたのを無理矢理起こしたのもあって、服が着崩れている。

 そのせいだろう、変な色香が漂っている。



「まあ、教えませんけど」

「頼む!!!」



 村長に下げた頭を、今度は見ず知らずの女に下げた。

 地面は砂を擦る。

 雨で濡れた匂いが鼻をつく。


 視界に入らないところで、彼女が煙を吐いた音が聞こえた。



「そこまでして、なぜ知りたいんですか?」



 当然。

 当然の疑問だ。

 これを語ったら教えてくれるだろうか。

 ……敢えてうかがうまでもなく、教えてくれないと思う。

 なので、今から話すことは、俺の誠実さを表すための自己満足だ。



「俺は……医者だが、治せないんだ」

「治せない、というのは」

「そのままだ。医者にはなれた。だが、治療経験を積む前に、こうして放浪している」

「なぜ?」

「……それは……」

「なぜ、そのままお医者様として勤めなかったんです? お医者様にはなれたのに。お医者様として活動している貴方が、なぜ実務から離れたのですか?」



 矢継ぎ早というほどではない。

 ただ、俺が答えなかったから、質問を重ねたのだろう。

 頭を上げ、彼女を見る。

 意外にも布団の上で姿勢を正し、正座していた。

 俺も姿勢を正し、彼女の目を見て話すべきだろう。



「俺には、治したい病がある」

「はい」

「けれど、それは一般には不治の病と言われていて、治すことができないんだ」

「まあ」

「だからと言って諦めるつもりはない。こうして各地を巡り、病に向き合い、知られていない病を広め、治療法を確立していく。そうしていれば、不治の病と言われているものにも対応策が浮かぶかもしれない」

「なるほど」

「それと……」

「それと?」

「貴方も旅の者なら、聞いたことがないだろうか。『回復の華』というのを」

「かいふくのはな……?」

「言い伝えというのか、物語というのか、真偽はわかっていない幻の華だ」



『回復の華』。

 この大陸のどこかで、赤と白の光を散らしながら咲く華があるという。

 そんな御伽噺おとぎばなしが親子を中心に語り継がれている。

 幾重にも重なった花弁。

 葉はなく、茎もなく、根もない。

 雄しべも雌しべもなく、ただ花弁だけがぽつんと生えているのだそう。

 土からも砂地からも砂利からも、泥からも水たまりからも岩からも生えることがあるという不思議な華。


 そしてまた不思議なことに。

 その華を食すと、体を蝕むものが消えるという。

 まさに奇跡の華なのだ。



「そんなお話があるのですね」

「初めて聞いたか?」

「はい。旅を続けて長く、また両親も幼いころに亡くしているので」

「そうか……なら、その華のことは」

「申し訳ありませんが、存じ上げません」

「そうだよな……」



 砂利を掴む。

 治したい。

 その気持ちに偽りはない。

 楽して治したいのではない。

 どんな手段でもいいから、治したいのだ。

 プライドも、矜持も、技術も、知識も、評判も。

 貰えるものなら貰うが、邪魔になるのなら捨てる。

 それだけで、ここまでやってきた。



「お医者様の知りたがるお気持ちは理解しました。けれど、わたくしのやり方をみたとしても、なにもお力にはなれませんよ」

「そんなことはない。知って、それが真似できないことだとしても、いつかその知識が活きるかもしれない」

「否定は致しませんが……まあ、そうですね。お医者様は真面目な方の様ですし、職業柄、守秘義務は守ってくださるでしょう」

「ああ、ああ。もちろんだとも」

「でしたら、一つお願いがございます」

「なんだ?」

「患者様を診ているかたわら、わたくしの看病をしてください」



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