第5話 村の都合

 振り向けば。

 俺の荷物を掴んだ彼女が、框の縁に立っていた。

 それでも俺の身長には届かない故、上目遣いで見つめてくる。



「患者、というのは、どのような方々なのですか?」



 興味があるのか?

 と、思ったが、まあ、気になるのは当然か。

 同じ村の中で、その村が用意してくれた寝床で一夜を過ごすのだから。

 手負いだったからこの村を選んだというだけで、この村に来たくて来たわけではないだろう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「一応知らせておく。怪我もしてるし出歩くことはないだろうが、接触するかもしれないからな」



 この場から出ないように、という念押しを加え。

 框に座り、荷物から自作の診断書を見ながら、病についてわかっていることを伝えた。

 書き記しておいた症状。

 不調を訴える年代。

 対処と効果。

 可能性のある原因など。

 ふむふむと聞いているそぶりを見せるかたわら、彼女の目は彼女に釘付けだ。



「……読めるのか?」



 字が書ける者はそう多くない。

 字が読めるものもだ。

 もし彼女が字を読めるのなら、それなりにいい所の出なのだろうか。



「読めません」



 読めないのか。



「羨ましいです。わたくしも字を書いて、書を読みたい」

「機会があれば教えてやらんでもないが、今は難しいな。病が治まれば、簡単な文字は教えてやる」



 再度荷物を持って、今度こそ患者の所に向かった。

 雨はまだ降っている。

 行きの記憶を頼りに、患者がいるはずの蔵に向かう。

 外にいたはずの人らはおらず、花だけが雨を吸って活き活きとしている。


 歓喜のためか、少しだけ開かれている扉に手をかける。



「すまない、遅くなっ」


「手負いの女を川へ」

「男は食料に」


「……た……」



 広い蔵なのに、中央に集まった村人たち。

 看病そっちのけで聞こえてきた言葉は……絶対に聞いてはいけなかった言葉。

 どれだけ雨の音がしていたとしても、聞き間違えではない。

『逃げろ』と。

 俺の本能が言っている。



「先生……」

「患者はどうだ」



 患者を前にして、逃げる医者がどこにいる。


 ひるむな。

 おびえるな。

 狼狽うろたえるな。

 俺は医者だ。

 患者を治すのが仕事だ。

 ……たとえ。

 たとえ、俺が治せない医者・・・・・・だとしても。

 出来ることはあるだろう。



「吐き気は治まったようだな」

「あ、はい」

「水分はあるか?」

「多少は……」

「なるべく飲ませるんだ」



 作物も実らない土地。

 飲み水はどれほどあるだろうか。

 村人たちを見るとそこまで余裕はないだろう。

 けれど、栄養がない患者をより脱水にさせるわけにはいかない。

 酷なことを言ったが、致し方ない。


 看病人の一人が、どこか、何かを探るような目で、控えめに寄ってくる。



「先生、治療は?」

「治療は……」



 唾液を飲む。

 言葉が詰まる。

 どうにか、うまいこと言わなければ。



「治療は……」

「はいっ」

「…………今は、できない」

「………………えっ」



 目を丸くする、目の前の看病人。

 その後ろの看病人。

 看病している看病人。

 目をそむけたくなる目線。

 ……けれど。

 自分の体を抓り、目の前の看病人や患者の家族を視界に捕らえる。



「薬が、必要だ」

「くすり……どうしたら」

「近くの街まで行って、現状を伝え、薬を貰ってくる。だからもう少し待ってくれ」

「そんな……。街? 街なんて、馬を走らせても戻ってくるまでに丸三日はかかりますよ! この雨の中……もっとかかるかもしれない!」

「何とかしてくれよ先生!!」

「先生ぇ! お願い……おねがいしますっ……」

「うちの子はっ……うちの子は、もう水も飲めないほど弱ってるんです! もう、もう……お願い、何とかしてください先生!!」



 一人から二人。三人。五人。八人。十……。

 何人もが寄ってきて、圧倒される。

 俺が治してやれないことを心苦しく思う。

 俺だけじゃダメだという現実が、俺の首を絞め上げる。

 プライドの問題なら折ってしまえばいいだけのこと。

 実力。

 現実問題。

 俺にはこの病気を治すだけの色々な要素が、足りていなかった。

 それだけのこと。

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