第4話 蛇に噛まれたらしい

 なんとなく。

 本当、なんとなく。

 村長が去った出入り口の方から目をずらすことができない。

 後ろには妖美な女性がいると考えると……こう、なんだろうか。

 なぜか落ち着かないのだ。


 しんと……いや、雨が屋根を打つだけが響く。

 不規則な音がタイミングを取らせてくれない。

 振り向こうとすると、先程の裾を捲り上げた時の脚が……。



「もし」

「ひゃいっ!」

「まぁ」

「あ、いや、失礼……」



 邪な考えの後ろからかけられた声に、背筋が伸びる。

 顔の穴という穴をあけ放ち、無意識に背後を見た。



「変な声」



 くすくすと。

 框に座って、こちらを見ていた。

 摘んできた花で口元を隠し、小さい肩を小さく揺らす。

 細めた朱い目と、八の字の眉。

 細く白い指先。

 髪は……黒に交じって深い青が混ざっているという何とも不思議な色をしている。

 コントラストが忙しい。

 どこに目をやったらいいか……いや。

 どこを見ても、全てを見ても、一枚の絵のようだと思わざるをえない。



「もしかして、見惚れてます?」

「え、や」

「ふふ、面白い」



 より、肩を揺らす。

 遊ばれている。

 思わず自分の後頭部に手が伸びる。



「……脚を」

「なっ、あ、出すな!」

「止血していただきたいのですが、ダメですか?」

「……あ、遊ぶな……」

「いえいえ、そんなそんな」



 多少なりとも見惚れていたことは否定しないが、絶対に言うもんか。


 まだ微かに笑っている彼女の脚……足首を診るため、膝をつく。

 跪く、というのが正しいかもしれない。

 白く細い足を手に取って、良く見えるように、また彼女が楽なように、自分の太腿の上に乗せた。

 同時に、彼女は少しだけ体を倒す。



「……二か所」

「はい」

「二回、噛まれた?」

「はい」

「いつ?」

「今日、昨日」

「体の変調は?」

「多少、倦怠感」

「はぁ?」



 コイツは何を言っている。



「おい」

「はい?」

「今すぐ!! 寝ろ!!!」

「きゃー♡」

「「きゃー」じゃない!」



 部屋の押し入れにあったボロボロの布団を手早く広げる。

 頬に手を当ててきゃーきゃー言っている女を抱え、なるべく丁寧に寝かせた。



「あらやだ♡」

「黙ってろ! 蛇に噛まれたんだぞ! なぜそんなにケロッとしている!?」



 おかしい。

 おかしいおかしいおかしい!

 毒のない蛇だったかもしれない。

 だが、それでも。

 蛇に噛まれたのなら毒があると思って対応した方がいい。

 症状が現れてからでは遅いのだ。

 昨日噛まれたのなら大丈夫なのかもしれないが。

 今日噛まれて、時間が経っていないのかもしれないが。

 この場に来るまで、コイツはどれだけ歩いた・・・・・・・




「毒 が あ る か も し れ な い ん だ ぞ !!!」




 なのに。

 なのに。

 コイツはどうして。

 何事もなかったかのように。

 いや、むしろ。

 あったとしてもどうってことないように、今について笑っていられる?


 噛み跡は足首の上に二か所。

 血が出ている方と、出ていない方と。

 その両方の上を布で縛った。

 荷物を漁る俺を笑う声がする。



「そこまで心配してくださらなくても大丈夫ですのよ」

「なぜ!? どんな蛇かは知らんが、毒を持っている可能性があるんだぞ!? 死ぬかもしれないんだぞ!? 何かあってからでは遅いんだ!」

「ええ、それは十分存じております。けれど、わたくしは大丈夫。蛇には詳しいんです。毒を持たない蛇でしたから」

「……どこまで信じられる?」



 荷物を漁るのをやめ、彼女を見る。

 口元だけが、笑みを浮かべていた。

 彼女の朱の瞳は、俺を見ているようで、見ていない。

 全く、笑っていない。



「わたくしがこうしているのが、全ての証明かと存じます」



 そう言って、瞳を伏した。

 敵対の意思がないように。

 油断している。

『貴方に敵意も不利益もない』と。

 情報を遮断することで。

 自分を不利な状況にして。

 己が言葉を信用させようとしている。


 すぐさまこんな行動をとれる彼女は、何者だ?



「……わかった」



 疑ったところで、彼女についての情報は何もない。

 そして、彼女が死んだところで、救えなかったというだけで俺に不利益はない。

 医者として、救える命はすべて救いたいという思いはある。

 それは逆に、救えない命は見限って、可能性のある命を救いに行く、という意味もある。

 俺は、救える命を救うだけだ。



「一応消毒はしておくぞ」

「あ、消毒も結構です」

「は?」

「止血だけ、お願いします」



 なんだ、コイツは。

 そう思うことも疲れてきた。

 まあ、大丈夫というのならいいのだろうと、そう思った俺は言われたとおりにした。

 縛った布を解き、傷口周囲の血を拭き、布で覆った。



「痛みは?」

「ありません」



 立ち上がった彼女は、二・三度足踏みを繰り返し、感覚を確かめる。

 本当に何ともなさそうに。

 毒がない蛇、というのは本当だったのか。

 満足げに「うん」と呟き、俺の方を向いて深々と頭を下げた。



「ありがとうございます」



 さらりと髪が流れ落ちた。



「……ああ。お大事に」



 上がった顔についた目は、笑っていた。

 心からの言葉だろうか。

 飄々とした彼女も、お礼はちゃんと言えるらしい。



「じゃあ、俺は患者の所に行く」



 かきだした荷物を詰め直し、肩にかけて立ち上がる。

 框から降りた時、後ろに引かれた。

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