第2話 妖しい女

 にじり寄る。

 視線が刺さる。



「断定ができないんです。皆の症状はほぼ同じなので原因は一つだと思うのですが……当てはまるものが多すぎる」

「じゃ、じゃあ、薬でもなんでもして、一つずつ対応していけば……!」

「子どもの体にそれは酷でしょう。ただでさえ弱っているのに……」

「でもっ! でも、じゃあうちの子はどうなるんですか!」



 掴みかかり、襟首を絞められる。

 女性と言えど侮れない力だ。

 それは子を想うからこそだろう。



「っ、原因は、この村にあると思います」

「なんですって……」

「だから、俺はこれから村を見て回ります。吐き気止めを人数分出すので、ひとまず全員に飲ませてください」

「……戻って、来るんでしょうね?」

「必ず」

「……っ」



 悔しいだろう。

 俺も悔しい。

 俺も苦しい。

 この程度しかできない俺を、俺は憎み続けている。


 外の荷物から手製の薬を出し、相応の量に分けて看病人に渡す。



「一刻で一度戻ります」



 言い残して、雨の中に飛び出した。

 もちろん戻る。

 戻ってくるさ。

 死にかけている患者と、助けたいと願う人間がいるのだから。

 俺は医者として、当然、最善を尽くす。

 駆り立てられる使命感と焦燥感が、ぬかるんだ地面を厭わず、足を先に進めた。






「……」

「……おい」

「ああ。絶対に逃がすんじゃない」

「今日来てくれて助かったな。もう……限界だ」






 ―――――……






 半刻経っただろうか。

 日の光がないから、時間感覚に自信が持てない。

 雨は相変わらず降り注いでいる。

 少し弱まって、多少視界が良くなった気がする。

 けれど、状況は芳しくはない。

 これと言った手掛かりが見当たらないのだ。

 作物は育っていなかったのだろう。

 田や畑は雨で池の用に浸っている。

 蔵の中もほぼ空だ。

 水はどうしていたのだろうか。

 栄養状態がそもそも悪いのなら、少しの風邪でも拗らせてしまうだろう。

 もっと大きい病気が隠れている可能性もある。

 絞り込めない。

 原因がわからない。

 助けられない。


 蔵を出た時は勇ましかったはずの足。

 今は、泥に足を掴まれている様に……重い。

 動きにくい。

 思考が鈍る。

 だめだ。

 俺にはやることがある。

 使命がある。

 あの人・・・に……。

 なんとしてでも……。



「っ!?」



 思考が持っていかれるような、異様な光景だった。

 村の入り口。

 赤や青や紫の、手鞠のような花のすぐ近く。


 朱い傘。

 長く黒い髪。

 白い肌。

 朱い瞳。


 曇天に刺した、異様な女がいる。

 細い腕が伸び、花に触れた。

 手が縮み、折られた花と葉が、女の顔に近づく。

 一瞬、まるで切り取られたかのように、景色が止まる。


 動き出したのは、女だった。



「あら」



 鈴のような声が、雨の音を割いて、俺の鼓膜を震わせた。



「こんにちは」

「こ、ん」

「村の方でございますか?」



 少しの違和感。

 けれど、そんなことを考える余裕も時間もなく、女が話を進める。



「今日はこのような雨で止む様子もないので、よろしければ泊めていただけないかと思いまして」

「あ……いや、やめておいた方が、いい」

「あら。理由をお聞きしても?」



 小首を傾げる。

 それだけの動きも、まるで手に持った花の様に可憐。

 雨という生憎の天気なのに、それさえも味方につけたかのような。



「この村では、今病が流行っているんだ」

「あら、まぁ」

「君にも移るかもしれない。俺は医者だからここにいる。だから、やめておけ」



 病と言えば、たいていの人間は身を引くだろう。

 だから敢えて言った。

 本当のことだ。

 この村の評判はさておき、変に隠すのもどうかと思ったから。

 けれど、予想に反してしまった。



「わたくしは大丈夫ですよ。病よりも、今夜の寝床の方が恐ろしいのです」

「なにを……」

「と、言うよりも、夜に紛れた何か、です」

「なるほど」



 女性なのだから夜を気にするのは当たり前だ。



「数刻歩けばまた村がある。そちらに行ってはどうか」

「……」

「おいっ」



 そういえば、なぜか黙って入ってきた。

 人の言うことを聞かない女だ。

 近づいてくる女に、身が引ける。

 薄っすらと笑いを浮かべながら。

 足音は雨音に隠れて聞こえない。

 寄ってくるのは見えて、理解できているのに。

 俺の足は動かない。

 まるで彼女が寄ってくるのを待っているかのように棒立ちの俺。

 目の前に迫った、朱い瞳。



「お医者様」

「な、ん」

「みて」

「え」



 服の裾を、徐に捲り上げる。



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