第8話 アクアキャット

 アクアキャットの買い手が見つかったその日から、ロビンくんの様子がおかしい。

 ため息が増えた。

 ここは先輩であるわたしがしっかりしないと!

「どうしたのかな? ロビンくん」

「え?」

「ずっとボーっとしているよ?」

「あー。なんだかあーちゃんが遠くに行ってしまうと考えると、夜も眠れなくて……」

 思ったよりも深刻だった!

「あんた、そんなヘタレだったの?」

 サラちゃん!

「へ、ヘタレ……」

 ショックを受けたロビンくんが言葉を反芻する。

「だってそうでしょう? こんなにずっといたのにの気持ちに気が付かないなんて」

 その彼女ってアクアキャットのこと? それとも……。

「サラちゃん?」

「あーはいはい。なんでもありませーん」

 耳を塞ぐサラちゃん。

 まるでわたしが脅したみたいな言い方じゃない。

 そんなに怒っていないよ。

 そもそも怒る立場じゃないし。

「ロビン君」

 サラちゃんが告げると耳打ちをして何かを吹き込む。

 みるみるうちに青ざめていくロビンくん。

「ちょっとサラちゃん。うちのロビンくんに何を言ったのかな!?」

 うちの大事な即戦力に、悪いことを吹き込むなんて!

「なんでもないの。さ、仕事を始めましょう?」

 ニタニタと笑みを浮かべているサラちゃん。

 なんでこうなるのよ。まったく。

 わたしも立ち上がるとロビンくんが青ざめたまま、こちらを見る。

「お邪魔、でしたか?」

 不安と後悔で押しつぶされそうになっているロビンくん。

「お邪魔じゃないよ!? むしろ手伝ってほしいかな!」

 わたしは元気づけようと明るい声で言う。

 手を動かしていたのも不安を取り除きたい一心だった。

「きゃっ!!」

 厨房の方からサラちゃんの悲鳴が聞こえてくる。

 わたしは慌てて厨房に入る。

「どうしたの!?」

「む、虫! それにねずみの死骸が」

「あー。デビルスネークのご飯だね。あとはキャノン・フィッシュの」

「だって、虫は生きているの!?」

 サラちゃんが涙目でわたしに抱きついてくる。

「キャノン・フィッシュは生きた獲物しか食べないから」

 困ったように頬を掻く。

 なんだかサラちゃんの動物嫌いが促進していっている気がする。

 でも動物のいいところってなんだろう?

 彼ら彼女らと接していると癒やされるし、自分がいなくなったら、この子達の世話を誰がするのだろうと気がかかりになるけど――。

「そもそもケダモノを飼おうとする精神がおかしいの!」

「それはなしです。サラさん」

 ロビンくんが後ろから嗜めるようにつぶやく。

「ここは動物と人を繋ぐ大事な場所。それを否定することは許しません」

「何よ! あたしが悪いっていいたいの!?」

「そうです!!」

 あわわ。

 ロビンくんとサラちゃんが喧嘩しているよ。

 険悪なムードだ。

 なんだか嫌な感じ。

「アリスちゃんはどうなのさ!」

 サラちゃんの口撃がこちらまで飛んできた。

「わ、わたし? でも、動物は大事、よ……」

「お母さんに言われたから? それとも本心?」

「え」

 わたしはそんな話し方をするサラちゃんと初めて会った。

「ずっとお母さんと一緒に暮らしていて、お父さんいないじゃない! それでマザコンになったんでしょ!?」

 堪忍袋の緒が切れたのか、サラちゃんは膿を吐き出す。

 ハッとしたサラちゃんからは血の気が引いていく。

「あ……。ご、ごめん。で、でも……!」

 何かを言いかけてわたしはその場から立ち去ろうとする。

「ご、ごめんなさい!」

「わたし、食事、あげなくちゃ」

 そう言ってこの元凶でもある生きた虫の入った箱を表ブースに持っていく。

 サラちゃんは表の動物たちが苦手なのでこられない。

 後ろでロビンくんがサラちゃんに何か言っているけど、そんなことすら耳に入ってこなかった。


 そんなギクシャクとした雰囲気の中、アクアキャットの引き渡す日がやってきた。

「お引渡しはこちらになります」

 箱に詰め込まれたアクアキャットがみゃ〜と鳴く。

 目をうるうるさせて箱をそっと渡すロビンくん。

 彼はアクアキャットとずっと一緒にいた。

 さすがに手放すのが寂しいのかもしれない。悲しいのかもしれない。

 辛そうにしているロビンくんに代わり、わたしが飼育の手順や性格、それに相談などを受け付けていると告げると、お姉さんは嬉しそうにして帰っていく。

 最後に《じゃあね》といったアクアキャットが寂しそうにしていた。

 出会いがあれば別れもある。

 だからペットショップはやってこれている。

 でも――。

「僕……、しばらく横になります」

 すっかり覇気のないロビンくんは休憩室にあるソファに横になったようだ。

 サラちゃんと仲直りした様子もない。

 やっぱり恋愛って難しいみたいね。

 わたしはため息を吐きながら表の掃除を始める。

 店の看板でもある前の道は綺麗にしておかないと。

 そんなわたしもサラちゃんとは仲直りできていない。

 まるでわたしとお母さん、それに動物たちとの絆を裏切られたようで深く傷ついていた。

 わたしからアクションをするのはなんか違う気がする。

 だからと言ってこのままで良いとは思えないけど。

「あ」

「……」

 わたしが厨房に入ると食事の用意をしているサラちゃんと出くわす。

 あまりいい気分ではないので、わたしはさっさと用事を済ませて、立ち去る。

 あのサラちゃんの悲しそうな顔。みたくないけど。でも、わたしは……。

「あらあら。私がいない間に酷いことになっているじゃない」

「マリアさん……」

 サボり魔のマリアさんが珍しくこちらの意図を組んでくれそうな気がする。

「悩みなら聞くわよ?」

「はい……」

 わたしはマリアさんと一緒に二階の自分の部屋に案内する。

 店頭は申し訳ないけどロビンくんに任せることにした。

 お茶を差し出し、さっそく悩みを打ち明ける。

 ロビンくんがアクアキャットと離れて不安定になっていること。サラちゃんが動物に対して心無いことを言ったこと。わたしの意思ではなく母の意思ではないかと言ったこと。

 でもわたしは心当たりがないわけじゃない。

 わたしもお母さんがいなければきっとペットショップで働いていなかった。

 こんな大変なことを引き受けていなかった。

 でも、だからって言っていいことと悪いことがあると思う。

 だって、わたしだって必死に考えているのだから。

「うーん。サラも言い過ぎなのよね。でも、どうしたいのか、それはあなた自身がよく知っているのではなくて? アリス」

「わたし自身?」

「そうよ。人は誰かに頼らなければ生きてはいけない。それは当たり前のこと。でも頼るべき相手を選べるわ。それが誰であれ、あなたにとっては大事な人」

 マリアさんはスーッと目を細めて、わたしの心を掴むようなことを言う。

「あなたにとって大事な人でなければ切り捨ててもいい。それだって選択だもの」

「……」

「自分で選びなさい。あなたは立派なオトナでしょ?」

「いえ。わたしはまだ十六歳だけど?」

「心は立派なオトナよ」

 そうかな。わたしの知っている大人は、二十歳でも大人ではないというけど。

 モヤモヤした気持ちを抱えながら、話を続けるマリア。

「オトナになりなさい。でないとあなたは大事なものを壊してしまう」

 悲観的な意見を言うマリアさん。

「本当のオトナって自分から変わっていくものよ」

「自分から?」

「そう。じゃないと世間に取り残されていくわ」

 世間から。どういう意味かは分からないけど、自分が今壊しそうになっている事実に変わり無いのかもしれない。

「うん。変わるよ。変えてみせるよ」

 わたしはマリアさんの言葉を受けて、少し考えを改めることにした。

 大人になる。

「まあ、有名科学者の受け売りなのよ」

 くすっと笑みをもらすマリアさん。

 いや、ええ……。

「なんだ、がっかり」

 やっぱりマリアさんはマリアさんだった。

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