手毬花に映る
明日香みのる
手毬花に映る
散歩といえば海だよ、と勝手な御託に付き合って、久々に会ったというのに向かい合って座ることもなく砂浜を並んで歩いた。ちょうど触れ合う手の甲のむず痒さも、ひとつも似てない性格も、いつかは笑い話になるはずだった。なのに、毎日の中で重なっていく気持ちは霞むどころか輪郭を鮮明になぞって繰り返す。呪いのように。
「結婚しようと思ってるんだけどさ」
だけど何だというのか。文章を「。」で終わらせない癖が嫌いだった。その先を相手に委ねて、甘えて、自分が責任を請け負いたくないんでしょう。ずるい逃げ癖。
「手伝ってくれる?受付とか」
断らないと分かっても尚そうしてわざと頷かせる。たちの悪い性格は父親譲りなんだろうか。少なくとも、俺とは似てない。
「瑞葉。聞いてる?」
やや語気を強めて俺の顔を横から覗き込む。波を映した大きくて丸い瞳は、俺と似てる。母親譲りの綺麗な目の色。瞳に映った青が光って眩しい。
唯花と俺は異父姉弟だ。父親の違う年子。なかなかに人様には説明しづらい。俺を身籠った時にはすでに俺の父親はバイク事故で亡くなっていた。身重の母を親身にサポートした会社の上司が今の俺の父親で、唯花の父親だった。
仕事を終えて帰宅した自宅のポストに一通のメッセージカードが届いていた。幸せを象徴する白い鳩が大きな翼を広げて飛び立つイラストが添えられている。差出人は、俺の知らない苗字を冠した唯花だった。結婚相手の名前は陽介というらしい。出席に丸をつけ、「御」の字に二重線を引いてポストに向かう。わざわざ招待状なんて、と思った。事実が叩きつけられているように感じたのは俺が卑屈になっているだけなのかも知れない。唯花が、俺とは別の家族になる事実。
「ごめん。待った?」
「めっちゃ待ったね」
唯花が大学に入ってすぐの頃、墓参りに付き合ってもらったことがあった。唯花にとってはあまりゆかりの無い、俺の方の父親だ。普段は母と二人でいくところを、なぜかこの年は母親が唯花を寄越した。真意は今も知らない。
「どこにあるの?」
「言っても忘れちゃうでしょ」
「それじゃ私ただのバカじゃん」
肯定も否定もしないでいたら後頭部を叩かれた。坂を登っていくと、6月にしてはやや鋭い日差しが道を照らした。じんわりと背中が汗ばむ。振り向くと唯花は眩しそうに目を細めていた。
「こんな暑いところにお墓かぁ」
「でも景色良いよ」
「私ならもっと北の方に建てるな」
「注文住宅みたいに言わないでよ」
「そうじゃないの?」
「そうじゃないよ、自分の意思で建てられるもんじゃ無いんだから」
「えー」
紫陽花の道を抜けて、お寺の門をくぐるとちょうど住職さんが打ち水をしているところだった。反射して柄杓の中の水が輝く。挨拶をしながら一礼すると俺の顔を見て破顔する。とても温厚で、居心地の良い住職さんだった。
「こんにちは。お世話になってます」
「はい、こんにちは」
近づいていくと住職さんは持っていた柄杓と手桶を横に置いて、丁寧に合掌で挨拶をしてくれた。やや返し方に戸惑って、小さく頭を下げる俺の横で、唯花が一歩前に出た。
「初めまして。姉の唯花です」
「あら、お姉さんだったんだ」
「やだ、妹に見えてました?」
「ううん。彼女さんかなって」
思わず顔を見合わせて、それから唯花が信じられないくらい嫌そうな表情をしたのを見て吹き出した。住職さんは、ごめんなさいねえ、と柔和に微笑むと、お線香とってきますね、と本堂に引っ込んでいった。鮮やかな紫色の袈裟が海風でそよぐ。
「仲良しなんだね。住職さんと」
「なんだかんだよく来てるからね。父さんのことも知ってたみたい」
「へえ。どんな人だったって?」
「似てたらしい、俺と」
「顔?」
「そう」
まじまじと顔を見つめられる。今更見たところで何だっていうんだ。
お線香をあげて、買ってきた甘い缶コーヒーをお供えする。生前好きだったんだと母さんが教えてくれたから毎回買うようにしてる。一度飲んだことがあるけど、甘すぎて俺の口には全く合わなかった。
本堂に寄ると住職さんが用意してくれた麦茶をいただいた。横目に見える、ずっしりと鎮座する仏像は磨き上げられていた。丁寧なお人柄がよく分かる。唯花は普段お寺には縁がないらしくやけにはしゃいでいて、本堂の前に集まるスズメの手前でしゃがみ込んで様子を見ていた。
「このスズメは神の使いかな」
「そのスズメはただのスズメじゃない?」
「まじかー」
唯花のため息に驚いたらしいスズメが勢いよく飛び立っていく。あーあ、と呟く横で唯花はなぜか嬉しそうだった。
「いいね、自由!って感じ。私も羽欲しいんだけど」
「やだよ、自分の姉に羽生えてんの、俺」
「いいじゃん、遺伝してるかもしんないよ」
「父方の遺伝であってくれ」
雑談をしながら帰り支度をしていたら、麦茶のコップを片付けてくれた住職さんが本堂からひょっこりと顔を出した。
「仏教の世界では、羽がなくても飛ぶ方もいらっしゃいますよ」
「ほんとですか?」
完全に揶揄っている様子の住職さんに苦笑する。唯花は目を輝かせて喜んでいた。成人してるとは思えないその幼さに仄暗い安堵感を覚えた自分に見て見ぬふりする。
「帰ろ」
「うん」
知らなくていい、唯花も俺も。隠し通していつかきっと笑い話になるはずなのだ。
幼い頃から見慣れてきた街のランドマークが結婚式の会場なのだという。仕事柄久々に袖を通すスーツの袖がやや短くなってしまっている気がした。髪型もセットしないまま気づけば家を出る時間になってしまう。
受付係の集合時間はゲストより三十分ほど早く設定されていた。会場に入ると同じく早く来ていた両親が手招きした。
「受付のやり方、唯花に聞いておいで」」
母が俺のネクタイを直しながらそう言う。
「え?」
「控え室にいるから」
父に背中を押され仕方なく歩き出す。廊下の突き当たり、新婦控え室、と書かれた案内板の前で立ち止まった。
ノブに手を掛けたとき、自分の鼓動が耳の奥で響いているのがわかった。指先が急激に体温を無くす。必死に振り絞った力でその扉を開く。重たく戻れない扉。
「あ。瑞葉、遅いよ」
メイクさんらしき女性に化粧を直されていた唯花が、扉を開けた俺を見て笑う、その顔が今まで見たどんな表情より幸せそうで、嬉しそうで、綺麗だった。
「どう?可愛いでしょ」
ヴェールの向こうで微笑む瞳は俺とよく似た母さん似。
「瑞葉?」
唯花が心配そうにこちらに駆け寄ってきて初めて、自分が泣いていることに気がついた。胸がジクジクと痛い。重く響く鼓動。
「……なに?感極まっちゃったの?早くない?」
知らなくていい、唯花も俺も。いつか笑い話にしたかったはずの恋心を、結局俺は今になって思い知る。1番そばで見守ってきたと思っていた。守られていたのは果たしてどっちだったのだろう。
「やめて、瑞葉が泣いてるとつられるんだけど」
ヴェール越しの瞳が揺れた。今はもう違う空を映す、同じ星から産まれたその色。
「……綺麗だよ」
そっとヴェールを外す。安心したように微笑む見慣れた顔。
「おめでとう」
幸せを象徴する白い鳥がいつか飛び立っていく。俺はそれをじっと見送るのだ。自分にはない翼を羨ましく思いながら、いつまでも。
「うん、ありがとう」
唯花の背の向こう、きらきら光を反射する遠くの海を、あの坂のてっぺんからきっと父さんも見ている。重なった不幸も偶然も運命じゃない、ましてや呪いなんかでもなく、少なくとも今俺がいる場所は俺が選んだ。隣ではなく、後ろを。
「唯花ー」
隣の部屋から名を呼ばれ、唯花が弾かれたように振り返った。
「なあに?」
慣れない裾をはためかせ背を向ける姉に気づかれるはずもない手を振って部屋を後にする。廊下の窓から見える空と海はまるきり同じ水色をしているのに、どこかに境界線があるんだろう。誰かが見つけるまでもなく、明確な境界線だ。渇ききった喉を潤わせるものが欲しくて、俺は歩き出すことにした。
手毬花に映る 明日香みのる @kurakurage0619
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