第7話 ダンジョンガイドの道子さん

 ギュガガガガ――!

 攻撃を押し返されたことに、巨大ムカデはひどく怒っているようだった。


 ペンダントが効果を失った今、奴の二度目の攻撃を防ぐ手立てはない。 


「――カイラスさん!」

 背後から声がした。驚きとともに振り返ると、なんと道子さんがいた。


「み、道子さん!?」


 幻覚かと思った。だけど、どうやら本物らしい。

 なぜって。彼女はぼくのところに駆け寄ってきて、手を握ってきたから。

 ここまでリアルな手の感触は、幻ではあり得ない。


「絶対に手を離さないでくださいね!」

 彼女はぼくの手を引いて、巨大ムカデから遠ざかるように走り出した。


 彼女は大きめのリュックを背負っていた。ぼくと会ったときには背負っていなかったものだ。


「ちょ、ちょっと道子さん!? どうしてこんなところに? もしかしてぼくを捜しにきてくれたの?」

「その話は後です! ――来ます!」

 振り返ると、巨大ムカデが大きく体を反らせている。

 間もなく突進攻撃を仕掛けてくるだろう。


「えいっ!」

 道子さんは掛け声とともに、手に持っていた何やら白い玉を斜め後ろに放り投げた。


 地面にぶつかった白い玉が、ポンッと音を立てて白い煙を上げる。


 ギュイ……?

 どういうわけか、巨大ムカデは白い煙が上がっているほうに頭の向きを変えた。


「今のうちです!」


 白い煙から遠ざかるようにしながら、ぼくたちは洞窟の奥へと進んでいく。


 ギュガガガガ――!


 突進攻撃が来る!

 覚悟をして振り返ると、どういうわけか巨大ムカデは、ぼくたちのいるところではなく、もくもくと上がる白い煙に向かって突進していた。


「な、何が起きてるの?」

「身代わり玉って言うそうです。街で売ってました。巨大ムカデは今、あの白い煙が私たちだと認識しています。持続時間は一分だそうです」

「なるほどね。だけど、一分で逃げ切れるとは思えないけど」


 巨大ムカデの全長は、あまりにも長すぎて推定が難しいが、おそらく五十メートルはあるだろう。この辺りは岩場で走りにくいし、見渡す限り一本道だ。一分で稼げる距離なんて、たかが知れている。


「それなら心配ご無用です! カイラスさん、私のリュックの中を見てください。――あ、私と繋いでいる手は絶対に離さないでくださいね。身代わり玉は、投げた人と接触している人には身代わりの効果を発揮しますが、離れると効果が切れてしまうそうなので」


 ぼくは片手で苦労しながらもリュックを開けた。

「こ、これは!」

 中には大量の身代わり玉が入っていた。


「たくさん買っちゃいました。カイラスさん、もうそろそろさっきの身代わり玉の効果が切れそうです。もう一つ投げちゃってください!」


 見れば、確かに先ほど投げた身代わり玉の煙が小さくなっている。間もなく効果が切れるのだろう。


 ぼくは道子さんのリュックから身代わり玉を手に取って、後ろに放り投げた。


 もくもくと新しく上がった煙に向かって、巨大ムカデが攻撃を始めた。


「――この調子で一気に走り抜けます!」


 その後も、一分間隔でぼくは身代わり玉を放り続けた。


 そうして十個ほど身代わり玉を消費したところで、ぼくは道子さんに手を引っ張られるまま、近くの壁に飛び込んだ――隠し空間があったのだ。


「ふぅ……。ここでしばらく休みましょう。かなり走って疲れましたし、あのモンスターがいなくなるまで待たないといけませんから」

 道子さんはリュックを地面に下ろして、壁に背を預けた。息を整えている。


 ぼくは極度の緊張から解放されて、足の力が抜けた。どさりと地面に座り込んだ。


 ぼくは緑色の天井を見上げながら、口を動かした。

「道子さん、助けにきてくれてありがとう。おかげで命拾いしたよ」

「い、いえ! 元はと言えば、私がカイラスさんにちゃんとトラップのことを伝えられなかったのが原因ですから」


 やはり道子さんはあのとき、宝箱の近くにトラップがあることを教えてくれようとしていたのだ。


「それにしても、どうやってぼくの居場所が分かったの? 確か道子さんのスキルだと、冒険者の居場所は分からないって言ってたけど」

しらみ潰しです」

「え、一階層から順番に全部の場所を捜し回ったってこと!?」

「いえいえ、違います。さすがにそれは時間がかかりすぎますから。私もカイラスさんと同じトラップを使って、この階層まで下りてきたんです。虱潰しと言ったのは、この階層のことです。とは言っても、それほど大変じゃありませんでしたけどね。捜している途中で、道の先から大きな音がし始めて、様子を見にいきましたから。そこで、暴れている巨大ムカデを見つけて、近くにカイラスさんもいたというわけです」

「わざとトラップに引っかかって、ここまで来たってこと? 無茶苦茶だね……。ていうか、そもそもここは何階層なの?」

「三十階層ですね。私の頭の中の地図ではそうなっています」


 どうやら二十九階層から四十階層というぼくの予想は、的を射ていたらしい。


「そのリュックは? 会ったときは背負ってなかったよね?」

「あ、これですか。街でカイラスさんと別れた後に買ったんです。食べ物とか道具とか、色々と持っていかなきゃと思って。ほら、私、カイラスさんと四階層にいたときに、隠し空間のトラップのところから下の階層へと通路が伸びているのは、いましたから。だけど、その通路がどの階層まで続いているのかまでは分からなくて」


 道子さんのスキル〈迷宮案内ダンジョンガイド〉は、自分がいる階層の上下一階層分までしか把握できない。そのため、通路の先が三十階層に繋がっていることまでは見抜けなかったのだ。


 道子さんは話を続けた。

「深い階層だと、何が起きるか分かりませんから。どうしてもモンスターと戦わないといけない場面もあるかなと思って、お店を回って役立ちそうなアイテムを探しました。そこで身代わり玉のことを知って、お店にある分だけ買ったんです。――あとは食べ物と飲み物ですね。どれくらい深い階層に行くことになるか分からなかったので、リュックの残りスペースに入る分だけ買いました。三十階層や二十九階層の地図を今感じ、上の階層に上がる時間はそれほどかからなさそうなので、食べ物と飲み物は十分に足りると思います」


 試しにと、リュックを持たせてもらうと、かなり重たかった。

 それを道子さんに伝えると、彼女はくすりと笑って、

「農業は力仕事ですから!」

 腕まくりをして、たくましい力こぶを見せてくれた。


「そんな感じで色々と準備をしていたので、助けにいくのが遅くなってしまいました。すみません」

「助けにきてくれただけでありがたいよ。道子さんが来てくれなかったから、ぼくは今頃あの巨大ムカデにやられていただろうから」

「そう言ってもらえると嬉しいです! ――あ、そう言えば、会ったときに渡そうと思っていたんです」


 道子さんがリュックのポケットから取り出したのは、ぼくが落としたブローチだった。


「四階層の隠し空間の、トラップの手前に落ちていました」

「ありがとう! 大切なものだったんだ!」


 道子さんはこのブローチが落ちているのを見て、ぼくがトラップに引っかかったことを確信したに違いない。


「……一つ、訊いてもいいかな?」

「はい。何でも訊いてください」

「どうして会ったばかりのぼくに、ここまで親切にしてくれたの? いくら道子さんにダンジョンを見通せる力があると言っても、トラップの先でいきなりモンスターの巣窟が待ち構えている危険だってあったし、ひょっとしたらもっと深い階層まで落ちてしまって、食料が足りずに餓死していたかもしれない。それでも道子さんはぼくを助けにきてくれたんだよね。どうして?」


「簡単な話ですよ。私はカイラスさんに恩返しがしたかったんです」


「恩返し……?」

 全く心当たりがなかった。


「カイラスさんは、私が農家の娘だと知っても、対等に話をしてくれました。両親の愛情が重いっていう私の愚痴にも優しく付き合ってくれました。――今までそんな人は周りにいませんでした。この世界に来て、初めて今の自分を少しだけ肯定できた気がしたんです。だから、その恩を返そうと思いました」


 道子さんは、下ろしていたリュックを背負う。


「カイラスさんを地上に帰すまでが私の恩返しです。――行きましょう!」

 道子さんが手を差し出してくる。


 ぼくは笑って、彼女の手を掴んだ。

「よろしく! ――迷宮案内人ダンジョンガイドの道子さん!」


 道子さんは小首を傾げる。

「何ですか? 迷宮案内人ダンジョンガイド?」

「だって、道子さんはぼくを地上まで案内してくれるんでしょ。ダンジョンのガイドさん。これほど道子さんにぴったりな二つ名はないと思うな」

「二つ名……なんだか恥ずかしいですね」


 そうは言っていたけれど、道子さんの口元はわずかに緩んでいた。


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