第3話 敵との遭遇
曲がり角の向こうから現れたモンスターを見て、ぼくの気構えは瞬く間に霧散した。
「……は?」
姿を見せたのは、オーガだった。三メートルを超える巨体を、のしのしと揺らして歩いている。手には、太くて長い棍棒を持っていた。
オーガは十三階層よりも深い階層にいると言われているモンスターで、ソロで倒すなら上級の冒険者でやっと、というほどに強い。
冒険者を始めて一年しか経っていないぼくが敵う相手じゃなかった。
オーガはその棍棒で冒険者をミンチになるまで叩き潰すと言う。
オーガがこっちへ目を向けた。
「――ひっ!」
恐怖でぼくの喉が鳴った。
に、逃げないと!
だけど足が震えて、思うように動けなかった。
ドゴンッ!
オーガが歩くたびに、ぼくの心にさらなる恐怖が植え付けられていく。
「ヴォゴォオオオ!」
オーガが雄叫びを上げて、上半身を前傾させる。
ガッと地面を踏みしめて、スタートを切った。
ドンッドンッドンッ――。
オーガが走り向かってくる。
「――ひぃいいい!」
恐怖が限界を超えた。
道子さんにかっこいいところを見せようなんていう余裕は吹き飛んでいた。
オーガの足を踏み出すペースは遅いが、歩幅が広い。ぼくたちのいるところまで十秒とかからずやってくるだろう。
「こっちです!」
道子さんに手を引かれた。
ぼくの足は、その言葉を待ちわびていたかのように動き出した。
道子さんに手を引かれながら、来た道を走って引き返す。
ドンッドンッドンッ――。
だけど、明らかにオーガのほうが速い。このままだと追いつかれる。
「――道子さん!?」
曲がり角を過ぎたところで、道子さんはなぜか急に進路を左へと変えた。
「壁! 壁!」
洞窟のような一本道で進路を変えれば、当然目の前には壁が近づいてくるわけで――。
「――くっ!」
ぶつかる!
ぼくは思わず目をつむった。
……だけど、いつまで経っても痛みはやってこない。
「――え?」
恐る恐る目を開けると、緑色の光が満ちる空間が広がっていた。さっきまでの洞窟とは似ても似つかない場所だった。
「ここは……?」
道子さんは、掴んでいたぼくの手を離した。
「隠し空間って私は呼んでます」
「……何それ?」
聞いたことがなかった。
「ダンジョンには、見つけにくい空間がいくつもあるんです。万が一強いモンスターに遭遇したときは、こうして避難場所としても使えます」
「へえ、なるほどね……。って、ちょっと待って。なんで道子さんはそんなこと知ってるわけ? もしかして何度もダンジョンに潜ってるとか? そのときにたまたま見つけたってこと?」
あまりの衝撃に、矢継ぎ早に質問してしまう。
道子さんは一歩後ずさりながらも答えてくれた。
「い、いえ、違います。この道を通るのは初めてです。ただその、何となく分かるというか……」
「ん? どういうこと?」
「どうしてかは分からないんですけど、私、不思議な力があって……。自分がいる階層と、一つ上下の階層の状況が分かるんです。頭の中に地図があって、そこにモンスターとかトラップとか、あとは宝箱の位置とか……冒険者さんの位置はなぜか分からないんですけど……とにかく色んな情報が浮かぶ感じなんです」
「それは……かなりすごいユニークスキルだね」
ユニークスキルは先天的に発現する特殊スキルで、冒険者でも一握りの者しか有していない。ちなみに、ぼくはユニークスキルを持っていなかった。
「ゆにーく……何ですか?」
「え、ユニークスキルを知らない!?」
ぼくが驚くと、道子さんは顔を赤くして目を伏せた。
「す、すみません。不勉強で。いつも両親の畑のお手伝いばかりしていて、冒険者さんたちの常識には疎いんです……」
どうやら道子さんは農家の娘らしい。彼女の服装が冒険者らしくないのも合点がいった。
「気にしないで。謝る必要なんてない。ぼくも作物の育て方は全然知らないし、お互い様だよ」
「……怒らないんですか?」
「怒る? どうして?」
「……その、実はこれまで何度か冒険者さんとはダンジョンでお会いしたことがあるんです。私の力のことを知ると、みなさん私をパーティーとやらに誘ってくれるんですけど、私が右も左も知らない農家の娘だと知ると、途端に顔色を変えてしまって……」
「ああ……」
冒険者の中には、冒険者以外の職に就いている人を見下す連中がいる。
確かに、冒険者が力のある選ばれし者だけがやっていける花形職業だという風潮はある。ぼくも冒険者である自分に誇りを持っている。
だけど、それで他の職業に就いている人を下に見るのは間違っていると思う。
たとえば、ギルドで働く職員さんたちがいなければ、ぼくたち冒険者はいくら魔石やレアアイテムをダンジョンから持ち帰っても、お金に換えることができない。いや、たとえ換金できたとしても、売るのにものすごく時間がかかったに違いない。ギルドでスムーズにお金に換えられるのは、ギルドで働いている職員さんたちのおかげだ。
農業を営んでいる人たちにも、ぼくたち冒険者はいつもお世話になっている。彼らがいなければ、作物が実らず、店で作物を買うことができなくなってしまう。レストランで御馳走を食べることも叶わなくなるだろう。目には見えにくいけれど、ぼくたちは農家の人たちに支えられて生きている。
だから、道子さんが農家の娘で冒険者のことに詳しくなくても、ぼくは怒りなんかしない。
そんな風なことを、道子さんに必死になって伝えた。彼女に引け目を感じてほしくなかったというのもあるし、冒険者が傲岸不遜な奴ばかりじゃないことを知ってほしかった。
「……ありがとうございます!」
彼女は勢いよく頭を下げて。元気よくそう言ってくれた。
少しでも彼女がポジティブな気持ちになってくれたのなら、それ以上に嬉しいことはない。
しばらくしてから、ぼくは隠し空間から顔だけを出して、外の様子を窺った。
「――もういないみたいだ」
どうやらオーガは、どこか別のところに行ってくれたらしい。
だけど、まだ近くにいるかもしれない。曲がり角を曲がったらオーガとご対面、なんてことになったら笑えない。
ぼくは顔を引っ込める。
「道子さん、さっきのオーガが今どこにいるのか分かる?」
「はい。――だいぶ離れてますね。さっき通った分かれ道のところに、ちょうどいるみたいです。このまま外に出て、三階層に向かって進めば、追いつかれることはないと思います」
道子さんのユニークスキルに感心しつつ、ぼくは少し前から気になっていたことを訊いた。
「分かれ道で何度か話しかけてくれてたけど、あれってもしかして……」
道子さんは言いにくそうに目を逸らして、
「……他の道のほうが安全だったので」
ぼくの顔は今、真っ赤に染まっているだろう。
可愛い女の子に出会って浮かれていたとは言え、ぼくは先輩風を吹かせて、的外れなことばかりをしていたのだ。
「……ほんとごめん」
道子さんを危険にさらしてしまったし……。本当に救いようがない。
「い、いえ、気にしないでください! そ、それより早く行きませんか。さっきのモンスターが戻ってこないうちに」
「……うん、そうだね」
道子さんの懸命な慰めが胸にしみた。
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