第2話 道子さんとの出会い

 ぼくが道子さんと初めて出会ったのは、ダンジョンの五階層だった。


 その日、ぼくは気分よく下の階層に向かっていた。


 ダンジョンは、地上と繋がる一階層から始まって、二階層、三階層と地下深くに続いている。

 下の階層に行くほどモンスターは強力になり、トラップも凶悪で分かりづらくなってくる。

 冒険者として高い技量が要求されるわけだ。


 ぼくはソロの冒険者で、この前のダンジョン探索で九階層まで潜ることができた。自己ベスト更新である。しかも、ぼくは冒険者を始めて一年しか経っていない。ソロで九階層という記録は中々に上出来で、ぼくのことが今、冒険者たちの間で噂になっているらしい。


「へへ。この調子で、目指せ十階層だ」


 遭遇したモンスターをバッタバッタと剣で斬り倒して、さあ六階層まであと少し。

 そんなときだった。


 道の先に、一人の女の子が歩いていた。

 この辺りでは珍しい綺麗な黒髪をしている。


 ぼくが何より驚いたのは、彼女の服装が明らかに冒険者のそれではなかったからだ。

 武器を持っておらず、薄手のセーターにロングスカートという、街中を歩くような格好をしていた。肩から小さなポシェットを斜めにかけている。


 あまりにも場違いな服装に、ぼくは一瞬ここがダンジョンであることを忘れてしまったほどだ。


 ひょっとすると彼女はダンジョンに誤って迷い込んでしまったのではないか?

 だとしたら大変だ。助けないと。


「ねえ! そこのきみ!」


 ぼくの声に彼女が振り返る。

 彼女の顔を見て、ぼくは息をのんだ。

 あまりに可愛かったのだ。透き通るような黒い瞳に、目鼻立ちの整った顔。

 歳はぼくと同じ十五歳くらいだろうか。

 ぼくはしばらく彼女の顔に見惚れていた。


「……あの、どうかしましたか」

 声もまた可愛らしかった。鈴が鳴るように綺麗な声だ。


 ぼくの胸は早鐘を打っていた。


「ぼくはカイラス。きみの名前は?」

「……道子ですけど」

「道子さん!」

 何でいい名前なんだ! 聞いたことのない名前だけれど、すごく響きがいい。


 道子さんがびくりと体を震わせた。

 声が大きすぎたのかもしれない。

「ご、ごめん!」

 汚名を返上しようと、ぼくは胸を張った。

「ぼくはこう見えても中々に強いんだ。きみを無事に地上まで送り届けることを約束するよ。だから安心して」


 ぼくは彼女の手首を掴んで、来た道を戻り始める。

「えーっと……」

「心配しないで。ぼくに全部任せてくれればいいから」

 彼女の腕を引っ張って、意気揚々と歩く。


 歩く先に二股の道が現れ、ぼくは迷うことなく右の道を選んだ。

「そ、そっちは――」

「この道をもうしばらく歩くと、四階層に行けるんだ。大丈夫。五階層は何度も来てるからね。道はもう覚えたんだ」


 少し歩くと、道の先からモンスターが現れた。ゴブリンだ。十体近くいる。

 個々の強さは大したことないけど、集団になるとそれなりに手強い相手だ。

 果たして道子さんを守りながら戦えるかどうか……。


 ――仕方ない。


 ぼくはゴブリンの集団を見据えながら、後ろにいる道子さんに声を飛ばした。


「ここはぼくに任せて、道子さんは逃げるんだ! なに、安心して。ぼくはこれでも九階層まで潜ったことがある。これくらいの修羅場なら何度も潜り抜けてきたんだ。だからぼくのことは気にせず――って、もういない!」


 横目で背後を一瞥すると、さっきまで後ろにいた道子さんの姿はすでになかった。


 そりゃ逃げろと言ったのはぼくだけど、それにしたってもう少しこう、何と言うか、ぼくを置いて逃げるのに抵抗をみせてくれてもいいじゃないか。

 そうすれば、ぼくだってもっとそれらしいセリフを言って、彼女にかっこいいところを見せることができたのに。


 そんな風にぼくが落ち込んでいても、もちろん敵は待ってくれない。

 次々と襲いかかってくるゴブリンを、ぼくは剣で屠っていく。

「邪魔だ邪魔だ邪魔だ――! ぼくは一刻も早く彼女を追いかけないといけないんだから!」


 すべてのゴブリンをおそらく自己最速で仕留め、ぼくは来た道を走って引き返す。


 さっきの二股の道のところで彼女に追いついた。


 全速力で走ったから、少し息が切れていた。

「はあはあ……。無事みたいだね。さっきのゴブリンは倒したからもう大丈夫だよ。さあ、戻ろう」

 ぼくは彼女の手をとって、再び右の道を歩き出そうとした。

 けれど、彼女は反対の手で左の道を指差して「こっち」と言う。


「ああ、そっち? ぼくも行ったことがないから、どこに通じているのかは知らないんだ。トラップがあるかもしれないし、モンスターの巣窟に通じているかもしれない。とにかく、知らない道を歩くのは危険だから――って、え、ちょっと」


 道子さんはぼくの手を引いて、ずんずんと左の道を歩き始めた。


「ぼ、ぼくの話聞いてた? そっちは何があるか分からないから危ないって――」

「こっちのほうが安全です」

「へ? どうしてそんなことが……。あ、なるほど。道子さんはこっちの道から来たってことだね。なるほど。いい情報をもらったよ。ぼくもこれからはこっちの道を使うように――って、え、もう着いたの!?」


 歩いて数分とかからないうちに、四階層へと続く階段の前に到着した。

 もしさっき二股の道を右に進んでいたら、十五分ほどかかったはずだ。


「左の道のほうが近かったんだ……」

 軽く驚きつつも、ぼくが道子さんに教えられる立場になっていることに気づき、慌てて彼女の手を振り払った。


 コホンと一つ咳払いをする。

「ここからはぼくに任せて。次の四階層はトラップが割と多いんだ。ほとんどが引っかかっても大したことのないトラップだけど、中には結構ヤバいやつもある。全身血まみれで倒れている冒険者が発見されたこともあるくらいなんだ。だけど安心して。ぼくがいるから。四階層には結構苦労させられたけど、その分、色んな道を歩いたからね。トラップが少ないルートを知ってるんだ」


 このときのぼくは、道子さんが先ほど五階層にいたことの意味を分かっていなかった。

 五階層にいたということは、彼女は行きの道でトラップだらけの四階層を踏破したということなのだ。


「よし、ついてきて」

 ぼくは道子さんの手を引いて階段を上った。


 四階層だ。


 これまでの経験を頼りに、できるだけトラップを踏まないように進んでいく。


 四階層では滅多にモンスターが出ない。

 現に今もモンスターと一体も遭遇することなく、四階層の行程の半分まできていた。

 ここまでいくつか分かれ道もあったが、歩き慣れたほうを選べば、見知ったトラップばかり。対処は簡単だ。


「さて、このままサクサクと進んでいこう!」

 後ろを歩く道子さんの手を引きながら、ぼくは上機嫌だった。

 彼女にいいところを見せられていると思うと、自然と足も軽くなった。

 地上に着いたら、彼女を食事に誘うことにしよう――そんなことを考えていると、後ろに引っ張られる感覚があった。


「ん? どうかしたの?」

 道子さんが足を止めていた。

「さっきの道は……」


 彼女が何を言っているのかすぐに理解したぼくは、安心させるように笑う。

「ああ、さっきの分かれ道? 三つもあって驚いたよね。だけど大丈夫。ぼくはこの四階層も繰り返し来てるから。左の道はトラップがエグくて通るのがすごく大変なんだ。初めて来たときはその道を選んじゃって、酷い目に遭ったよ。真ん中の道はトラップが少なめで、ぼくも少し前まではそこを通ってたんだ。それで、つい最近見つけたのが、この右の道さ。なんとトラップが一つもないんだ。ぼくも、試しに、と歩いてみて驚いたよ。まさかトラップ地獄の四階層に、こんな抜け道があったなんてね。だから道子さんも安心して歩くといいよ。なんなら、ぼくの冒険の話でも聞く? 冒険者ギルドでは結構有名なソロ冒険者なんだ。成長速度が速いってね。色々と面白い話があって――っ!」


 ドゴンッと大きな音がした。


 な、なんだ!?


 ぼくは音のしたほう――道の先に目をやった。


 ドゴンッ!


 再び地響きのような音がした。


 道の先は曲がり角になっている。どうやらその先から音は聞こえてきているようだ。


 ここから先は、しばらく一本道だったはず……。


 ドゴンッ!


 音は少しずつ大きくなっている。


 ――近づいてきている?

 だけど、一体何が……?


 道の先に目を凝らしていると、道子さんが袖をくいと引っ張ってきた。

「逃げましょう」


 確かに道子さんの言うように、ここは、来た道を引き返すべきだろう。

 ダンジョン探索で一番リスクを伴うのは、未知との遭遇だ。


 好奇心が冒険者を殺す、とはよく言ったものだ。

 けれど、そうと分かってはいても、抑えきれないのが好奇心でもある。

 このときのぼくは、曲がり角の先から何が現れるのかを確かめたいという好奇心に駆られていた。


「ちょっとだけ。ちょっとだけ見て、ヤバそうだったら全力ダッシュで逃げよう」


 道子さんがこのときどんな表情を浮かべていたのかは分からない。ぼくはまっすぐに道の先を見ていたから。


 ドゴンッ!


 音はすぐそこだ――曲がり角の向こう。


 ぼくは姿勢を低くして、剣の柄に手を添えた。もしモンスターが現れても、すぐに迎え撃てるように。


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