第48話「逃避行」

「はぁっ……はぁっ……」


 私は走り続ける。


「……あっ……ぐっ!」


 なにかにつま先を引っかけてすっ転んだ。体力がなくてとっくに疲れていたせいで、地面に手を着くこともできなかった。胸から叩きつけられて苦しい。ドレスも泥だらけになってしまった。


「……くっ」


 それでも、私は起き上がって走り出した。逃げなければならない。殺されないために。


 私はもうこの国にはいられない。いつ罰を受けることになるのか、常に考え続けていた。そしてこの前、ついにその時が来ると悟った。殺されるのが怖い。だから私は、こうして逃げ出した。


 目的地は、北にある。私が唯一知っていたこの国以外の場所。


 ここにいれば殺される。ここ以外では殺されない。そう考え、私は屋敷を抜け出して走り続けた。



 *



 その少女は、とある洞窟の前で倒れていた。集落の端にある僕の家からでも、山の際までは距離がある。僕は仕事柄近づくことがあるが、同業者でもそうそう近づくことのない場所だ。


 そんなところにある日、長い髪の少女が倒れていた。ぼさぼさの赤い髪に、泥だらけの服。もちろん放っておくことなどできるわけがなかった。


 僕は少女を家まで運び、看病をした。しばらくすると、少女は目を覚ました。服は泥だらけだったが、怪我をしている様子はなかった。


「やぁ、目が覚めたかい? 怪我はしていないようだけど、疲れているだろう? 休んでいていいからね」


「……ここは……?」


 少女は場所を尋ねてきた。


「ここは僕の家だよ。あ、僕の名前はマルテリク。安心して、危害を加えるつもりはないから」


 少女は僕の言葉を聞いてもぼーっとしたままだったが、ふと、布団から起き上がると窓に向かって走り出した。


 そしてガチャガチャと窓をいじくり始めた。閉じ込められたと思ったのだろうか? しかし、窓の開け方がわからないようだった。僕は窓まで歩いていき、開けてやる。


 少女は裸足のまま外へ飛び出し、少し開けたところで立ち止まると、周囲をぐるぐると見渡した。僕も仕方なく窓から家を出て、少女の元に歩いていく。すると、少女は声を発した。


「……あははっ、やっと逃げ切った……! もう、殺されないで済む! ふふっ」


 内容はとても物騒なものだった。僕は事情を聞こうと思い、少女に話しかける。


「安心してくれていいよ、ここでは誰かに殺されるなんてことはないから。君は一体、どこから来た誰なんだい? よければ僕に話してくれないかな?」


 すると少女は、先ほどまでの追い詰められた雰囲気を一切感じさせない笑顔で振り返り、言った。


「ええ、全てお話ししますね! 賜学の国のお方!」


 ぼさぼさの髪に、泥だらけの服。そんなものは取るに足らないと思わせる可憐さを、僕は彼女から感じた。



 *



 少女はどんなことでもつらつらと、楽しそうに話してくれた。


 少女の名前は、セレナィア。年齢は21歳。僕には子供にしか見えなかったが、その疑問にも適切に答えてくれた。まるで事前に練習でもしたかのように。


 それについても尋ねてみると、どうやら彼女――セレナィアはもう何年も前から、この集落に逃げようと考えていたらしい。だから集落に来て自分に投げかけられるであろう質問に対する答えは、大体頭の中で反芻しきっていたそうだ。


 なぜ集落に逃げなければならないような事態になったのかも、話してくれた。


 彼女がまだ12歳だった頃、彼女には親しい少年がいた。少年は彼女に比べると身分は低いが、それでも貴族は貴族。2人は毎日仲良く遊んでいたらしい。


 そんなある日、事件――いや、事故が起きてしまった。セレナィアは灼賜術を使うことができた。一方少年は、遺伝的には灼賜術の家系だったが、それをうまく扱うことができなかった。


 2人は遊ぶことと並行して、賜術の特訓のようなこともしていたそうだ。しかし、まだ2人とも年端もいかない子供。本来賜術をこっそり扱うなどとても危険なことだった。それでもセレナィアは、ある日の遊び疲れた夕暮れ時、その日最後にお手本として少年に灼賜術を実演した。


 しかし、そうしてセレナィアの発生させた炎は操作を誤り制御が失われ、近くでそれを眺めていた少年の顔を焼いた。


 彼女は慌てふためいた。そんな彼女を見かねたのか、身分の高い彼女の処遇を案じたのかは僕にはわからないが、少年はセレナィアにその場を離れるように言ったそうだ。君のせいじゃない、と。


 セレナィアはそれに従い自宅に帰り少年の身を案じながらも、しかし家族に何かを言い出すことはできなかったそうだ。


 そのことがあってからも、彼女は少年との遊び場に毎日のように通ったようだが、少年が再びその場所に現れることはなかったという。


 さすがに不安に思った彼女は覚悟を決め両親に少年のことを尋ねたが、両親はなにも知らないと答えたそうだ。


 それならばと、彼女は少年の家に直接出向いた。しかしそこで少年に会うことはかなわず、少年の家族からは、少年は行方不明になったと聞かされた。


 当時のセレナィアは12歳。想像力はよからぬ方向ばかりに向いてしまったようだ。


 少年は自分の負わせた怪我で死んでしまったとか、少年の両親の手で殺されてしまったとか。セレナィアの両親が家の名誉を守るために隠ぺいしたとか、いずれ事件を起こした自分も殺されるとか。


 とにかく、いずれ自分に報いが降りかかると考えたらしい。そして彼女曰く、その答えはつい最近になって得たそうだ。


 フラメリアル国の兵士学校。そこで、赤い髪に、顔面に大きな火傷痕の残る男を見つけてしまった。


 セレナィアはすぐに理解した。その男がかつての少年であると。少年は怪我を負わされたことで家を出て行き、自分に復讐するための機会を伺っていたと。そしてついに復讐を果たすために兵士学校を訪れ、自分のことを殺しに来たのだと。


 だから彼女は自身の生まれ育った国を出て、国と不干渉を維持し続けているこの集落に来たのだそうだ。


 ……正直、僕には突拍子もない話に聞こえたが、どうやら彼女にとっては、それは全て真実であることらしかった。


 僕はそんな彼女に、『本当はこうなんじゃないか?』などと話すことはできなかった。きっと納得してくれないだろうし、納得してくれたところでいまさら戻ることができないというのは、彼女の話を聞けばわかった。


 それに、僕は彼女に戻ってほしくないと思ってしまっていた。……ひとえに言えば、僕は明るく笑顔で話す彼女に惚れてしまったのだ。



 *



 セレナィアは僕の家で匿うことになった。彼女の話と僕の知識をすり合わせる限り、彼女を集落内の人々に知られるべきではないと結論付けた。


 セレナィアは少し不服そうだったが、どこか吹っ切れたような感じの彼女は僕の言うことを素直に聞いてくれた。


 彼女は基本的に家の中で過ごしていた。外出する時は髪をフードで隠して僕と一緒に。賜学で管理されるこの集落内では、賜学製品を全く身につけていない人間は、照合されてしまえば本来集落にいないはずの人物だとすぐにバレてしまう。だから外出はほとんど避けていた。


 そんな生活を続けて、2年ほど経過した。セレナィアの存在は、いまだバレていなかった。


 彼女の外見は少し成長し、いまだ少女らしさは残っているけれども、子供というような感じではなくなっていた。そもそも、彼女の実年齢はそのとき23歳。年齢的にはとっくに大人だ。好いていたのによく2年もなにもなかったなと思える。


 ある日、僕は2年間ずっと秘めていた自分の気持ちを彼女に伝えた。彼女は僕の家に匿われていて、僕以外の人とはほとんど会っていない。そんな状況では、断ることなどできなかったのかもしれない。


 しかしセレナィアは、僕のことを笑顔で受け入れてくれた。その笑顔が作りものなのだとしたら、僕は彼女の演技力に恐れ慄くしかない。



 そうして僕たちが結ばれてから数か月経ったとき、セレナィアが腹に子供を宿したことが明らかになった。僕は素直に喜んだし、セレナィアも喜んでくれた。2人でなんて名前を付けようかなどと話していた。


 さらに数か月が経過して、ついにそのときがやってきた。


 分娩の知識は集落にも当然ある。僕は事前にそれらのことを勉強した。所詮は素人の付け焼き刃の知識でしかないので不安ではあった。しかし、出産自体は何事もなく終えることができた。問題は、そのあとだった。


 生まれてきた子供を見たセレナィアは取り乱した。


 僕は、丁度半分くらい可能性はあるだろうと想定はしていた。しかし実際にそうなってしまうと、やはり平静ではいられない。


 生まれてきた子供の髪の色は、集落ではありえないものだった。


 これではセレナィアと同じように、集落を出歩かせるわけにはいかない。かといって、この家の中で一生暮らさせるなんて仕打ちを我が子に課するなんて考えられない。かといって、集落を出ることもセレナィアの精神状態を鑑みれば当然無理だった。


 問題は山積みだ。しかし、解決策が全くないなんてことはないだろう。そう考え、僕はいろいろ調べ、考えた。


 例えば、髪の色は着色してしまえば問題ない。そして、どうにかして相手を隠し通すことができれば、子供の出生を届け出ることもできる。そうすれば、少なくともセレナィアのように、賜学による照合を恐れて外出ができないということはなくなる。


 俺は解決のために、とある人物を頼ることにした。その人物は軍事付属学校の頃からの友人で、不愛想だが真面目で優秀な人物だった。彼はそれを買われて集落の五権の部門の1つに従事している。


 僕は彼ならいい解決策をくれると思い、彼を呼び出して相談しようとした。しかし。


 彼は賜術のことをなにも知らなかった。彼は集落の密事を扱う部門の従者。僕の中では当然それくらいのことは知っていると決め込んでいた。


 だから僕は彼に失望し、彼を追い返した。それでは話にならないと。


 しかし、その行為は僕にとって最大の間違いだった。


 彼はきっと、僕の異常にずっと気づいていた。そして彼の仕事は集落の機密を守ることだ。本来僕は、彼にとって探らなければならない対象だっただろう。だけど、彼はそれをずっとしないで、今回僕の相談にも乗ってくれようとしていた。


 それなのに僕は彼を理不尽に突き放してしまった。


 そうして僕は、自分の行いの報いを受けることとなった。

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