第47話「罪」
『俺にとっての始まりは、俺が25歳の時のことだった。当時の俺は密事権者ではなく、従者でしかなかった』
『俺は軍事付属学校を卒業してから、ずっと密事権従者をやってきた。戦闘のセンスがあったわけではないが、任務には従順に従い機密は守る性質だったからか、密事の仕事は俺にはぴったりだった』
『俺には友人がいた。そいつの名前はマルテリク。数少ない軍事付属学校の時からの友人で、愛想の悪い俺にもどうしてか親しく接してくれる人物だった』
『俺はある日、マルテリクに相談したいことがあると呼び出された。俺はその数年ほど前からマルテリクの様子が変わったと感じていた。さらにその数か月ほど前からは、なにやらいろいろと調べて回っていることにも気づいていた。俺はすぐにそれに関係することだろうと思い至った』
『そして俺はマルテリクに話を聞くために彼に会った。疲れた様子のマルテリクはそこで俺に尋ねてきた。賜術を知っているか、と』
『賜術というのは、集落の外の国で扱われるものだ。賜術は機密事項のため、詳しい説明は省く。詳しく知りたければ、集落の機密情報を探れば簡単にわかる』
『当時の俺は、賜術というものを知らなかった。知っているのは権者だけだった。俺が知らないとわかったマルテリクは、それなら話にならないと、俺を追い返した』
『いま思えば、マルテリクは俺にとってかけがえのない友人だった。当時の俺は彼に頼られなかったことに腹を立てたんだと思う』
『俺は真実を探ろうと、まずは賜術について調べた。それは簡単に情報が手に入った。権者は徹底的に集落の民に賜術の存在を忘却させたが、それゆえ探られた際の対策は脆かった。そもそも賜術の存在に勘付かなければ、賜術について調べる者はいない。集落と賜術の国が互いに接触を嫌っていた以上、調べようとする者がいままでいなかったのだろう』
『俺はそうして賜術について知った。しかし俺はそれに伴い、知る必要のないことまで知ってしまった』
『賜学と賜術の戦争の歴史や、黒星計画、ある宗教についてのことなど、集落の事情――特に密事に関してのことを』
『俺はそこで見て見ぬふりをするべきだった。しかし、当時の俺は間違いを犯してしまった』
『密事権従者として、賜術という機密を口にしたマルテリクのことを見逃せなかった。……あるいは、頼ってくれなかった友人に単に腹を立てて鼻を明かしてやりたいと思っただけだったのかもしれない』
『俺はマルテリクについて探った。彼は五権者の部門には関係のない仕事をする、一般人だ。だから、俺が関心を持って探れば彼が俺を出し抜くことなどできるはずもなく、真実は簡単に明らかになった』
『マルテリクは、家に1人の女性を匿っていた。いや、女性というほど成熟していない、20歳にも満たない少女に思えた。赤い髪のその女性は、マルテリクの家で赤子の世話をしていた』
『俺は直感した。いや、ここまで探れば誰でもわかることだ。マルテリクは、賜術の国から来た少女を家に匿い、子供を儲けていたのだ。数か月前から特に様子がおかしかったのも、子供が生まれたのが理由だろう』
『そこでまた俺は腹を立てた。自分は機密を漏らさないくせに、友人の隠し事には我慢ならなかった。……いや、賜学と賜術の歴史を知ったことによる正義感からくるものだったのかもしれない』
『俺は明らかになった事実を権者に告発した。俺が賜術について無断で調べたことは、告発の功績で相殺されることになった』
『しかし、当時の密事権者はそれを快く思わなかったのだろう。俺に任務を与えてきた。それは、マルテリクと匿われている少女、そして子供を暗殺することと、少女がどこから入り込んだのかを調べるというものだった』
『俺は友人の隠し事に腹を立てていたのに、友人を殺すことに躊躇いはなかった。任務だからなのか、俺が単に殺人を重大なものと捉えていなかったからなのか、わからない』
『そして俺はある日、籠を抱えて出歩いていたマルテリクに接触した。洗いざらい全部をマルテリクに伝えると、怒りと恐怖の表情で俺から逃げ出した』
『俺はそれを追いかけた。侵入した場所を調べなければならない以上、本人たちに案内してもらうのが手っ取り早いと考えた』
『マルテリクが複雑な道順で自宅まで逃げるのを追跡し、俺は彼の家に上がり込んだ。マルテリクは赤髪の少女に、赤子を連れて逃げるように叫ぶ。少女は躊躇いながらも、家を出て走り出した』
『マルテリクは家の中に残り、俺と相対した。足止めをするつもりのようだった。しかし、いくら俺が戦闘は不得手でも、軍事付属学校をずっと前に卒業した一般人に後れを取るはずもなかった』
『俺はマルテリクを即座に殺害し、赤子を抱えて走る少女を尾行した』
『やがて、1つの洞窟に少女が入っていくのがわかった。俺もライトを付け、洞窟の中に入っていった』
『洞窟を暫く進むと、前方から足音が聞こえ始めた。しかし、違和感があった。どうにも距離が近づくのが速い。聞こえる足音と俺が接近する速度が合わない。理由は簡単だった。少女は赤子を抱えながら、こちらに向かって走っていた』
『そしてその後ろを追いかける影が2つ。俺は状況をできず、一瞬動きを止めた。その瞬間に、俺は想像を絶するものを目撃した』
『少女の走る足元から、黒いものが湧き出た。それは即座に肥大化して、少女を飲み込んでいく。苦悶の表情を浮かべる少女は、自分が黒い何かに飲み込まれていく中、両腕に抱えていた赤子を取り落とした。いや、助けるために手放したのかもしれない』
『そのおかげで赤子は黒いなにかに飲み込まれずに済んだ。だが、俺は赤子よりも前から迫る2人の方に意識が向いていた。黒い髪の2人。1人は薄ら笑いを浮かべている。もう1人はなんとも不愛想だった。いまでも変わらないな』
『2人はなにか話しながら、少女を飲み込んだ黒い塊の横を通り過ぎ、俺の方へ来た。すると、2人の背後の地面から、再び黒い何かが沸き上がり、今度は洞窟の奥全てを埋め尽くした』
『俺は呆気にとられていた。状況を理解できなかった。俺も少女のようになるのかと、怯えもした』
『しかし、そう逡巡しているうちに男1人だけが残り、もう1人は忽然と姿を消していた』
『そいつは瞬時に俺の背後に回り、黒い刃物を首筋に押し当ててきた。そして言った。命が惜しければ集落に俺の居場所を用意しろ、ついでにそこの赤ん坊を育てろ、と』
『俺はそいつに勝てないと理解した。その上で、命が惜しいと思った。いままで自分は秘密を守る側で、秘密を守るために人を殺す側でしかなかった。命の危機を初めて味わった俺は、そいつの脅しに屈して、そいつと赤子を家に連れて行った』
『権者に偽りの報告をした俺は、俺を脅してきた男に功績を上げさせることで集落内に居場所を作り、言われたとおりに赤子も育てていった』
『正体がバレれば、その子は命を狙われる可能性が高い。だから徹底して秘密を隠そうとした』
『しかし俺は、その子を育てているうちに罪悪感を覚え始めた。その子の本当の親を殺したのは俺だ。本当の親から子を奪い、成り代わって親の真似事をするなど、誰が見ても反吐が出る所業だ』
『俺はその子に愛情なんてものを注いではいなかった。注いでいいはずがなかった。だから俺は、あくまでその子を保護することのみに注力した』
『そのせいで、俺は気づくのが遅れた。俺が知らないところでその子は、多くの友人に秘密を明かしてしまっていた』
『友人たちの話では、その子はよく喋る性格だったらしい。俺は知らなかった。その子は俺の前では話すことなどほとんどなかった。当然だ。自分を管理するだけの人間に、心を開くはずがない』
『俺は秘密を明かされてしまった子供たち、そしてそれを伝え聞いたであろう大人まで、殺していった』
『そうして殺しを続けていたあるとき、俺はミスを犯した。その子の友人の数が減れば減るだけ、当然その子が訪れる友人の元は限られてくる』
『殺しの現場を、その子に見られてしまった』
『その後は、その子はしばらく放心したまま毎日を過ごしていた。受け答えもままならない状態だった』
『しかしあるとき、突然その子は正気を取り戻した。まともに会話ができるようになったその子に俺は、今度はしっかりと秘密を漏らさないように念を押した。見てしまったものについても、誰にも話さないように言った』
『しかし、その子はなんのことかわかっていない様子だった。友人たちのことや秘密を明かしてしまったこと、そして目撃した殺しの現場のことも、綺麗に忘れ去っていた』
『きっとその子の心を守るために、その子自身が無意識に辛い記憶を忘却してしまったのだろうと俺は考えた』
『それ以降、その子は変わった。俺の前ではほとんど話さないのは変わらなかったが、家の外でも、不要な会話はしないようになったようだった』
『おとなしく俺の言うことを聞いて秘密を守る。娯楽に興じることもない。保護する身からすればとても都合がいい。親ではない俺が、この状況を案じてその子の心に踏み入ることなど、するべきではないと考えた』
『そうして年月は過ぎ、今日ようやくその子は正式に密事権従者となった。本来15歳まで男児は軍事付属学校に通う義務があるため、いままでは実質休学という状態でしかなかった。それを実習という形で正式に認めさせ、卒業を迎えるよりも早く別部門である密事への所属が認められた』
『その子はいま、家にいるだろう。俺は仕事だと言って、俺にとっての始まりの地であるこの洞窟まで来た。そうして、この記録を残している』
『ここならまず見つかることはない。しかしなぜこんなものを残そうとしているのか、自分でもわからない。その子自身にいずれ見せるべきだと考えているのか、自分の罪がいずれ明らかになるべきだと考えているのか』
『これを見た者は、好きにするといい。俺を告発するでも、それをせず俺を殺すでも、とやかく言うつもりはない』
『しかし、これを見ているのがもし、その子なら、俺は謝りたい』
『君の本当の親を殺したのは俺だ、すまない』
『秘密ばかりを抱えさせてしまってすまない』
『君の友人たちを殺してしまってすまない』
『全てを忘れた君に、寄り添うことすらしなくて、すまない』
『……俺にとって君は、とっくに大切な存在だった。それでも俺は、君の本当の親と君に対する罪悪感で、君に愛情を注ぐことなんてできなかった』
『ここまで知って、君がそんなものを望んでいるとは思えない。それでも、俺は謝りたい』
『君を愛していたのに、君に愛情を注げなかったことを、君の親として寄り添い、救いになってやれなかったことを、申し訳なく思っている』
『――――これが、俺の罪と、俺の知る全てだ。大変不愉快な話だろうが、それでも残すべきだと考えたんだ。きっと、いつかこれを見るべき人が、ここにたどり着くと思うから――――』
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