第44話「大人」

「……」


 気が付くと、朝日が昇って来ていた。泣きながら地面の上で寝てしまっていたようだ。


 体を起こして立ち上がり、顔や体に張り付いた土を払い落とす。そういえば、この鎧をザレンドさんに返さなければ。


 眠ったことで頭が整理されたのか、心は落ち着いている。しかし決して起きたことを忘れたわけではなかった。頭の中の誰かは、もう助けないと言っていた。僕はもう都合よく嫌なことを忘れることはできないのだろう。


 家に向かって歩いていく。いま思うと、本当の親なんてさして興味もないような気がしてきた。……これも、興味を持った結果がこれだから、興味を持たなければよかったと無意識に思おうとしているだけなのだろうか。


 ぼーっとしながら歩き、家まで着いた。玄関から中に入る。


 朝日で少し明るい室内には、当然誰もいない。そのままダルタさんの部屋に向かう。


 ダルタさんの部屋のドアノブに手をかけ、回してみる。鍵はかかっていなかった。


 ドアを開いて中に入る。室内は整頓されていた。別にもともと綺麗だったのだろうが、自分が死ぬことを見越して片付けておいたのかとすら思えてしまう。


 壁際の机の上には、折りたたまれた紙が置いてあった。ダルタさんが残したものはこれだろう。


「……」


 なんだか、読む気になれなかった。ダルタさんの最後の命令。最後の任務。これを読んでしまえば、ダルタさんと交わす最後のやり取りは終了する。つまりこの手紙を読むまでは、まだ僕はダルタさんとのやり取りの最中。


 机の前の椅子に座り、手紙を除けて机に突っ伏した。ダルタさんが殺された以上、賜学の国は賜術を殲滅する戦いを始めるのだろう。手段はわからないが、今日戦いは始まるらしい。もうどうしようもない。そう思うと動く気になれず、僕はそのまま机に伏し続けた。



 *



 朝一で朝ごはんも食べずにフラメリアル王城を出発した。昨日ぐっすり寝た分、今日は急いで行動する。


 とにかく北に向かって走った。賜術士にも狙われていないであろういまは、道の広さも人目も気にせず走り続けることができた。


 その甲斐あってか、相当な速さで洞窟まで到着した。


「兄さん、どうする?」


 私は兄さんに尋ねた。洞窟だと気絶させられる。その時間が惜しいとか兄さんは考えていそうだから。


「……それなりの高さではあるが、たしかに越えられないことはないな。時間は大幅に短縮できる」


 兄さんは1人で思案し始めてしまう。いつもこう。


「胸騒ぎがする。急いだほうがいいと思う」


 私は兄さんに提案する。胸騒ぎがするのは本当だ。


「……そうだな。王城では1週間後が開戦だと予想されていたが、あくまで予想だし、対策は早い方がいい」


 そう言うと洞窟の横の山肌へ向かった。結構急だけど、私たちなら這って登れる。


 木や草を掴んだり飛び乗ったりしながら、山を登っていく。それなりの高さはあるし、私たちの体が小さいのも相まって登るのは遅い。頂上まで来るのに1時間くらいかかってしまった。ここからさらに、山を反対側に下らなければならない。


 それでも、登るより下りる方が速いし、気絶しない分時間はかなり短縮できる。私たちは木々を飛び移って山を下って行った。



 *



 やはり山を登るのより全然速く下りることができた。山から離れて振り返ってみると、洞窟があった。でも、私たちがフラメリアルに行くために通ろうとした洞窟とは違うものだった。


 あそこにはなにがあるのかちょっと興味が湧いたけど、いまはそれより優先しなければならないことがある。


「とりあえず、ダルタさんに報告しよう」


 兄さんはそう言う。私もそれでいいと思う。


 集落の中はそんなに広くないから、迷うことなく目的地にたどり着けるはず。実際しばらく山の側を進んでいくと、前に入った洞窟が見えた。これで場所が明確にわかったから、一気に目的地に向かった。


 目的地――ダルタさんとマディエスの家にまで着いた。兄さんが玄関のドアをノックした。しかし、返事はなかった。兄さんはそのままドアノブを回す。すると、鍵はかかっていなかったので、しかたなく私たちは無断で中に入っていった。


 電気は付いていなかったが、しばらく私たちが家の中を歩き回っていると、1つの扉が開いた。


「あれ……。ジェアルとオリクレア……?」


 マディエスが扉から出てきて、覇気のない声で名前を呼んできた。いつも私の名前が後なのに納得いかないけど、今は許してあげよう。


「! マディエス、いたのか。返事がないからいないのかと思ったぞ」


「……?」


 さすがに元気がなさすぎると思った。顔もなんだか腫れている。泣いていたの?


「ん?」


 ふと気づいた。いまマディエスが出てきた部屋は、ダルタさんの部屋だと。なんでこの部屋から、泣きはらした顔で出てくるの?


(――あ)


「マディエス、さっそくで悪い。話さなければならないことがあるんだが――」


 なんとなくだけど察した。もちろん詳細はわからないけど事情は察した。


「兄さん、少し待っ――」


「ダルタさんは、いまどこにいる?」


 私の声は兄さんには届かなかった。


「――!」


 マディエスは少し目を見開いたかのように見えた。しかし。


「……いまは家にはいないよ。僕もどこにいるのかはわからないけど、たぶん任務じゃないかな?」


 多少元気はないけど、普通の受け答えに思えた。なにも無かったの? そんな顔をしているのに?


「そうなのか……? まぁ、それなら仕方ない。とりあえずマディエスに話しておく」


 兄さんは全く気にせず話を進めようとしている。止めた方がいいのかな?


「大変なことって、なにがあったの?」


「ああ、せっかく連合国会議で集落との協力関係が結ばれたというのに、サンディアルの頭領、ヴァイガットが暴走した。いまサンディアルは独自に集落に攻撃を仕掛けるために動いているらしいんだ」


「……そうなんだ」


「ああ、攻撃を仕掛けるのは1週間後くらいだと予想されているが、実際どうなるかはわからない。中央都市にも連絡は行っているし、集落も早く対策をした方がいい」


 兄さんは事務的に事情を説明していく。


「そっか、わかった。権者には僕が伝えておくよ。……2人はこれからどうするの? フラメリアルに帰る?」


「いいや? 俺たちもサンディアルを許せない。集落のために一緒に戦うつもりだ。だから悪いんだが、しばらくここに泊めてもらうつもりだ」


 え、そうなの? もちろん戦うつもりはあったけど、戦いが始まるまでここに泊まる予定だったの?


「え……でも……」


 マディエスが口籠った。1週間居座るつもりだったとは想定していなかったのだろうか。


「なんだ? なにか問題でもあるのか?」


「……それはダルタさんにも聞かないと決められないよ。あくまでここは僕の家ではないから」


 マディエスは動揺を消して普段のように受け答えをした。


「そうか。なら、ダルタさんが戻ってくるまでここに居させてくれ。いつ戻ってくるんだ? 本当に居場所を知らないのか?」


 兄さんは少し声を大きくしていった。あれ? いつもこんな風だったっけ?


「ダ、ダルタさんはいま任務中で、どこにいて、いつ戻って来るかは、わからないんだ。だから……」


「だから?」


「だから、もう、帰ってよ……!」


 マディエスは俯いて声を震わせながら言った。


「なんで帰らなきゃいけないんだ? ここはお前も住んでいるんだし、家主が留守の間は客をもてなすべきなんじゃないか?」


「…………」


 マディエスは俯いたままなにも言わない。流石にかわいそうでならない。私は兄さんを手で遮って止ようとする。しかし。


「なぁマディエス。なにか隠しているんじゃないか? ……俺たち賜術の国は賜学との協力関係を裏切ったんだ。でも、それをこっちにちゃんと伝えに来た。お前も、なにがあったのか教えてくれないか?」


「…………」


 マディエスは顔を上げた。目は涙で潤んでいたが、私には兄さんを睨みつけているように見えた。


 多分、兄さんの視点は少しずれている。マディエスが隠していることは、多分賜術との関係のことではない感じがする。


 このままだと、修復できない傷が2人の間にできてしまいそうな気がした。


 どうするべきか私は考える。人が泣いている時、してやれることはなんだった? 。それは、つい昨日学んだことだった。


(……よし!)


 私はガバッとマディエスに向かって飛びつき、そのまま押し倒した。


「!?」


 そして起き上がり、頭を抱きかかえて背中をさすってやる。


「おい、オリクレア……」


 兄さんは困った顔をしていた。しかし、私たちの方に来てすぐ横にしゃがんだ。


「ねぇマディエス。なにがあったのかはわからないけど、いま、たくさん泣いていいよ。私たちは友達でしょう? そして、友達だし、あなたより体はちょっと小さいけど、私は大人なんだから」


「……! 友達……」


「うん、せっかく繋がりを得たんだから、簡単に突き放そうとしないで。兄さんはデリカシーに欠けるけど、決してあなたを追い詰めたかったわけじゃない」


 兄さんの方を見る。ばつが悪そうに目を逸らした。


「……ああ、悪かったな。明らかに様子がおかしいから、なにかを隠してるのはわかったんだが、そこまで思い詰めてるとは思わなかったんだ……」


 そう言うと兄さんもマディエスの横に座り、背中をさすってやった。


「オリクレアの言ったように、俺たちとお前は友達だが、お前と違って俺たちは大人だ。子供のお前は、俺たちを頼っていいんだ」


 兄さんもマディエスを宥めるように声をかけた。すると。


「…………ないで」


 マディエスがなにかを呟いた。


「ん? なんだ?」


「……いなくならないで。……皆や、ダルタさんみたいに……」


 ……やっぱり、そういうことなのか。私は兄さんの方を睨んだ。素直に申し訳なさそうな表情をしていた。


「うん、誰もいなくならないよ。私が守るんだから」


 私のその言葉を最後に、家の中にはしばらく嗚咽のみが響き続けた。

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