第30話「記憶」

 何も見えないし、何も聞こえない。体の感覚もない。完全に気絶したのか? しかし、意識だけはしっかりとしていた。


――マディエス。……はじめまして――


 また、声が聞こえた。いや、そういう内容の情報が、頭の中に浮かんだだけだ。なんなのかはよくわからない。しかし、なんにしても今は早く戦いに戻らなければ。


――いまのあなたでは、あの男に勝てないよ――


 また声がした。……それは確かに、そうかもしれない。しかし、ただ諦めて失敗するよりは、やれることだけでもやっておきたい。


――でも、いままであなたは、局外には興味を示さず、ただ従順に任務に従事していた。そんなあなたが、何に拘っているの?――


 ……それは、トワやジェアルたちを助けることにだ。もともと、トワやザレンドさんを巻き込んだのは、僕だし……。


――そうだったね。もう既に、どんな結末になってもあなたは今回のことについて無責任ではいられない。……その事実を、あなたは受け入れられるの?――


――あなたのせいで失敗したり、誰かが死んでしまったりしたとき、あなたはその事実を背負っていけるのかな?――


 ……それは、わからない。彼らを失うのは、たしかに怖い。いままで無心で生きてきたような僕には、今回のことは心を使う機会が多い。


――そうでしょう? うまくいかなかったとき、あなたの心は結末に耐えられないかもしれない。それなら、このまま眠っていればいい――


 ……いや、いまはまだなにも失ってはいないはずだ。いま戦えば失わずに済むものがあるのなら、僕はまだ戦いたい。


――たしかに、いま戦えば失わずに済むものはあるだろうね。だけど、もう既になにも失わずには済まないよ。……このまま今回のことが終わるまで眠り続け、失うことになるものを忘れて目覚めるという方が、あなたにはいいのかもしれない――


――私が最善を尽くすから、あなたは眠っていていいのだよ? それが一番失うものも少なくて済むだろうからね――


 ……だけど、その代わり忘れてしまう。ジェアルやオリクレアが死んでしまった場合、彼らのことも忘れると?


――そうだね。賜術そのものを忘れなければならないかもしれない。そうしないと、あなたが耐えられない――


 ……それなら、受け入れられない。それを忘れてしまっては、また無心で生きていくことになる。ジェアルとオリクレアは気の置けない友人――とまでは言えないかもしれないけど、僕に秘密を話させてくれた人だ。また秘密を抱えて1人になるのは、いやだ。


――そう。今回のことで結末を迎えたとき、やはり眠っていてしまえばよかったと自分の選択を悔やんでも、もう私は助けない。それでいいのだね?――


 それでいい。だから、早く僕を目覚めさせてくれ。時間がない。


――まだ話があるから、もう少し待って。それに、これはあなたの頭の中で情報の伝達が行われているだけだから、外界ではほんの一瞬だよ。時間は気にしなくていい――


 意味がわからない。……話? まだ何か?


――そうだね。話というのは、あなたの力についてだよ。あなたの考えた通り、あなたの体は賜術を使える。いまは使い方を忘れているだけで……。あなたは自分で戦うと決めた。だから、賜術をあなたに返すことにするよ――


 賜術の使い方……。それは、体が動かせないいま、願ってもない情報だ。


――だけど、賜術の使い方を思い出せば、それ以外のことも次第に呼び起こされる。あなたは心が弱いから、昔の記憶にも耐えられないかもしれない。それでも、賜術を思い出す?――


 昔の記憶……。なにか忘れている――隠されていることがあるのだろう。しかし、それで躊躇っていられるほど、僕はネクウィローンに勝てる自信がない。そのために必要な力がもともと僕の力であるのなら、返してほしい。


――わかった。あなたの記憶をあなたに返そう。……その代わり、私はもうあなたを助けないし、邪魔もしない。……それでは、頑張って――


 そうして、声は完全に沈黙した。そういえば、この声の主は一体誰なんだ……?


 思考を始めようとしかけたが、僕の意識はそこで途切れた。



 *



「――!」


 ほんの一瞬後、僕の意識は体の感覚と共に戻った。いまの会話の応酬は全て覚えているが、その時間は1秒にも満ちていない。


 ネクウィローンとトワは互いに武器を構え、向かい合っている。トワを沈めるつもりであろうネクウィローンは、僕が意識を回復させたことに気付いていなさそうだ。


(……急いで、記憶を――)


 頭の中でいろいろ思い起こす。当たり前だが、全部自分が知っている過去のことだ。この中に、賜術の記憶が……?


 ……家でのこと、ジェアルとオリクレアに会ったこと、五権者会議のこと……これは最近のことだ。もっと昔――。


 ……ダルタさんのこと、学校のこと、ガラス細工のこと、驚いた顔と炎のこと、黒い光のこと……。


 ……ん? こんなことあったか? ……いや、これなのか。いまさっき思い出したばかりであろう新鮮な記憶。これが賜術の使い方の記憶だ。


 僕は体を起こす。体は完全に回復していた。ネクウィローンは地面を蹴ってトワに向かっていく。トワはその場で剣を構えているが、ネクウィローンの攻撃をいなせるほどの気勢は感じられない。


(――いまだ。いま賜術を使い、ネクウィローンを止めるしかない)


 僕はそう思い、右手に持っていた剣をネクウィローンへ向ける。そして、先ほど思い出した記憶をたどる。


 剣心に全身の力を集中させる。すると、剣身が赤く光り、熱を帯びる。しかし、これではまだ届かない。


 剣身に意識を集中させる。赤く発光していた剣身はまばゆい金色に変わる。そして、それを黒色が飲み込んでいく。


――ちょっと!? これはあなたの記憶じゃなくて、私の記憶じゃないか! こんなもの使ったら……!――


 もう関わらないというようなことを言っていたような気がするが、そんな声が頭に響く。しかし、もう僕には止められない。


 金色に輝いていた剣身は完全に黒に飲み込まれ、その黒は次第に拡散していく。


「――!」


 剣を掴んでいた僕の右腕は、僕の意識とは無関係に夕空に振り上げられ、剣を離した。剣は空でなおも黒色を放っている。


 ……いや、あれは黒色ではない。


 僕は理解した。厳密には、理解できないことで逆説的に理解した。あれは黒いわけではない。


 そこになにもない以上、僕にはあれを認識することができない。認識できない以上、そこには空黒くうはくが生まれる。


 それは空白という形で存在する、不存在〇〇〇〇〇〇〇なのだ。


――……あなたの記憶は、こっち!――


 いつの間にかネクウィローンの方へ向けられていた僕の左手から、炎が撃ち出される。ネクウィローンは即座にこちらを向き、直剣で炎を受けた。


 ぼうっと炎が消沈する音がした。ネクウィローンの腕周りの服が焼き焦げ、顔の仮面も留め具が焼き切れたのか、地面に落ちる。仮面で隠されていた目元と額には、大きな火傷の跡があった。


「――――ぁ……。君の、せいじゃない……」


 呆然とした様子のネクウィローンが呟いた。……? 何を言っているのかわからない。


 僕は右手に短剣を展開する。先ほどの剣は地面に落下することなく、空中で消滅してしまったらしい。それでも、賜術の使い方は十分思い出した。先ほどよりは有利に戦えるだろう。


 トワはあっけにとられて立ち尽くしていた。僕がいきなり賜術を使ったのだから、仕方ない。それに、どのみちトワはぼろぼろだ。僕だけで戦うしかない。そう思い、身構えたのだが。


 ネクウィローンは直剣を腰の鞘に納めた。……なんだ? 負けを認めたのか……?


「……ジュエナル女王に会いたいのだったな。……付いて来い」


 そう言ってネクウィローンは城の方へ歩いていく。しかし、なぜ急に……? 僕が賜術を使ったことで勝てないと思ったのか?


 トワの方を見ると、やはり彼も混乱しているようだ。しかし、僕と目が合うと。


「よくわからないけど、会わせてくれるの……? 良かった……!」


 そう言って力なく笑った。かなり消耗しているようだが、もうひと踏ん張りだ。僕はトワに駆け寄り肩を貸し、ネクウィローンに付いて行く。


 そうして巨大な王城の中へ入り、かなり歩いたあと通された部屋は――


 ベッドが2つある豪華な寝室だった。


「……ここに女王が……?」


 僕は独り言ちるように尋ねた。


「……ここにはいらっしゃらない」


「……? じゃあ、どこに……?」


「明日の仕事のため、この城を離れている」


 ……え? この城にいると言っていたのは嘘だったのか?


「……女王の仕事は機密だ。王城にいらっしゃるとしか答えられなかった」


 それでは、完全に無駄足だったのか。こんなにぼろぼろになったというのに。


「……急いでいるのか?」


「明日の仕事というのは、連合国の会議ですよね。その前に、できれば女王に会いたくてここに来ました。それが叶わないのなら、僕たちはもう失礼します……」


「……待て。夜は賜術使いの力が上がる。中央都市に向かうのなら、明け方にしろ。それで間に合う。今夜は、この部屋で休んでいけ」


 それでこの部屋か。女王が帰ってくるまで、ここを貸してくれるつもりだったのだろうか。


「……そして、俺にお前たちの話を聞かせてくれ」


 そう言い残し、ネクウィローンは部屋から出ていった。2人きりになった部屋の中でトワと目を合わせ、同時に床にくずおれた。


 今日は疲れた。明日出発して間に合うというのなら、その言葉を信じたい。


「マディエス、大丈夫?」


「ああ、うん。疲れたけど、トワよりは無事だよ」


 そう言ってトワを見る。外傷はさほどないが、打撃がこたえたのだろう、肩を引きつらせている。


「マディエス、ごめんね……。自分で進んでついて来たのに、守ってやれなくて」


「……そんなことないよ。僕だけだったらとっくに死んでいたかもしれない。ここまで来れたのは君のおかげだよ」


 そう答えるとトワは若干顔を引きつらせて笑った。


「そっか。……いまは、明日に向けて休もうか」


 トワはそう言ってベッドへ向かい、腰を下ろした。


 僕もベッドに寝転がり、再びネクウィローンが部屋を訪れるまでの間、眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る