第22話「医術会」

 かなりの時間走り続けてきた。周りの建物は減ってきたが、代わりに遠くには壁が見え始めた。北側から南側まで、壁が途切れることなく続いている。あの壁がこの国と隣の国の境なのだろう。


 壁を詳しく観察できる距離まで近づくと、政事区画を囲む塀に風体が似ている。やはりここが国境で間違いないだろう。壁自体はそう高くない。上ってしまおうと思えばできないこともない。しかし、イフォアは手を回してあると言っていたし、できる限り穏便に済むに越したことは無い。


 そう考えていると、壁付近にある建物から、1人の男が出てきた。男はこちらに向かって歩いて来る。隠れていたわけではないから、見つかること自体は仕方ないのだが……。いったん逃げるべきだろうか。


 おそらく、検問官だろう。制服のような格好もしている。逃げれば逆に怪しまれるだろうかか。そう思い、おとなしく男が来るのを待った。


「貴様、こんなところで何をしている?」


 男は近くに来るなり尋ねてきた。国境を越えたいわけだが、当然、素直に話せば通してくれるというわけでもないだろう。


「……あー、そっちの国に行きたいんですが、どうしたらいいですかね?」


「……国に申請して、審査を通らなければ出国できない。ここでは受付していないからな」


 男はにべもなく言う。やはり、無理やり抜けるしかないか? イフォアがどう手を回したのか、聞いておくべきだった。何となく、どうにかなるかと思ってしまったが、思いのほか制度はきっちりしているようだ。


「……イフォアという人物を知りませんか?」


 仕方なしに直球に尋ねてみる。これでダメなら強行突破するしかない。


「……やはり貴様か、密入国の手助けをして欲しいというのは」


「! ……わかっていたのですか?」


 イフォアの名前を出しただけでそこまで言うということは、イフォアはこの男に協力を頼んだ、ということだろうか。


「貴様は怪しすぎだ。直接検問官である俺を懐柔して密入国しようとするのだから、どんな面倒ごとかと思ったが、まさか1人で検問所前をうろついているとは思わなかった」


 ……仕方ないだろう。今日この国に来ていきなりこうなったのだから。しかし、協力者を得ていたとなると、イフォアは一体いつから準備していたんだ?


「イフォアがあなたに協力を頼んだのはいつなんですか?」


「たしか4日前だ。人数はわからないと言っていたが、まさか1人だとはな。……付いてこい」


 そう言って男は検問の方へ歩き出した。とりあえず俺もそれに続く。


 イフォアは、4日前にはこのような事態になると知っていたのか? 4日前というと、双子が集落に来た日か? その時点で今のことまでわかっていたとなると、全てあいつの掌の上のような気がする。『戦力が欲しい』、そんな物騒なことを言っていたが、賜学と賜術を協力させて一体何と戦わせる気なんだ……。


「ここで待ってろ」


 そう言うと男は検問前の建物に入っていき、少しして何かを持って出てきた。


「こっちの検問を通り抜けて、向こうの検問官に指示されたらこの書類を見せろ」


「何が書いてあるんですか?」


「貴様は賜術士ということになっている。こっちからわざわざサンディアルに入ろうなんて奴は、任務のある賜術士くらいだからな。向こうは国の頭領が賜術士である分、賜術士の出入国は手続きがおざなりでも問題ない」


「実際、今朝も賜術士がでかい荷物を引っ提げて通って行ったからな」


 男は淡々と言う。その荷物が何なのかは、何となく想像がついた。大方、子供サイズの人間が2人ほど詰め込まれていたのだろう。それを調べることなく通すとは、確かに手続きがおざなりなのは、賜術士にとって便利なようだ。


「そうなのですね。ありがとうございました。また何かあれば、よろしくお願いします」


「はいよ、さっさと行きな」


 俺が適当に謝辞を述べると、男は返事をして建物の中に入っていった。そして、俺も検問を通過した。


 男の言っていた通り、サンディアル側で書類の提示を求められたためそれを見せると、すんなりと通してもらえた。


 ……これで最難関はクリアした、と言えればいいのだが。俺の役目は双子を助け出すことになったわけだが、どうせ牢屋には牢番がいるだろう。説得してどうにかなる、わけないだろうな……。戦闘になった場合、俺は勝てるのかどうか。


 不安ではあるが、役に立たないわけにはいかない。そう思いながら、俺は再び東に向かい走り出した。



 *



「……なら、あなたからは逃げられるかもしれないですね。その人より弱いのなら」


「……それはどうぞ、試してみてくださいよ」


 俺の挑発により、ヘミクレースは直剣を振るってきた。ともに水しぶきが放たれ、水しぶきは当然牢の格子で防がれることなく、氷の槍となって俺たちの方へ迫る。しかし、俺たちには既に枷はない。賜術は自由に使える。


 俺は前方に炎を張って、氷の槍と化した水を再び水しぶきへと戻した。それにより暖かい水を体に浴びるにとどまった。しかし、このままではまずい。威力を上げられれば、防ぎきれるかはわからないため、一刻も早くこの狭い牢屋から出たい。そう思っていると。


「――ふんっ!」


 いまだ壁に張り付いた体勢のままだったが、オリクレアが足を振り上げ、思い切り壁を蹴りつけた。蹴りは壁は貫通し、壁の向こう側が見えた。幸いにも、穿たれた壁の向こうは建物の外だった。これで袋の鼠ではなくなった。


 俺たちが壁の穴からすぐに外へ出ると、ヘミクレースもそこから出て来る。


 周りを見やる。山が遠くに見えた。あれは俺たちが見慣れている山に他ならない。そして、ここの周囲は荒廃していた。今しがた脱出した建物もそうだが、かなり古そうだ。しかし、この建物の外観、見覚えがあるような……。


「さて、どうしますか? 当然ですが、2人別々に逃げられれば同時に追うことはできませんね。まぁ、そうなれば片方は確実に確保させてもらいますが」


 それはそうだろう。しかし、逃げるべきなのか? オリクレアが枷を解いたためついそのまま脱出を図ってしまったが、現状マディエスたちがどうなっているのかもわからない。脱出できた以上、探しに行きたいところだが、こいつに追われるし、探す当てもまるでない。


 こいつから情報を引き出してみるか? 対話をするなら、今のうちだろう。


「さっき、ヘリオドールは冷賜術の管制士メイターだと言いましたね。つまり、冷賜術使いのあなたは、あいつの部下ということですか?」


「いいえ、違いますよ。管制士に賜術士への指揮権などはありませんから。私は連盟の賜術士ですが、サンディアルの兵士でもありますからね。私が従っているのは、ヴァイガットです」


 ヴァイガット……。つまり、サンディアルの支配者がそいつということで、そうなるとここはサンディアルの北の端ということか。しかし、だとしたら俺たちが囚われたのはサンディアルの独断専行ということか?


「ふっ、かといってサンディアルから出ても意味はありませんよ? 私はあくまでヴァイガットに従っていますが、ヴァイガットはそもそも連盟の指揮で動いています。どうせ知らなかったのでしょうが、ヴァイガットは雷賜術の管制士でもありますからね」


「ヘリオドールも同じです。現状あなたたち一味をのは連盟のわずか一部だけですが、手こずれば更に賜術士を動員するでしょう。そうなればどこにいても逃げ場はありません」


 追っている……。つまりマディエスたちはまだ捕まっていないのか。そして、現状積極的に俺たちをどうにかしようというのは一部の賜術士とサンディアルのみということ。なら、マディエスたちと合流して中央都市に行き、連合国と接触できれば、まだ状況を打開することができるかもしれない。


 しかし、そのためには目の前のこいつだけはどうにかしなければならない。話の通りであれば、こいつから逃れさえすれば、少なくとも連盟の追っ手はほとんどいなくなるのだろう。


 ただ、その前に一応聞いておきたいことがある。


「俺たちを閉じ込めていたこの建物の造形、見覚えがあります。これは、医術会の病院ですよね? あなたはさっき『提供された』と言っていました。つまり、医術会も俺たちを敵とみなしているのですか?」


「……まぁ、そういうことでしょうかね。他組織のことなんて私だって知りませんよ」


 さっきまでは事細かに解説していたのに、今回ははっきりとしない。他組織のことは知らない? サンディアルと連盟はヴァイガットで繋がっていても、医術会とは繋がりが弱いということか?


 どのみち、医術会が病院を牢屋としてこいつらに提供したということは、俺たちへの協力を求めるのは無理そうだ。


 であれば、目標は中央都市だ。ヘミクレースの手から逃れ、マディエスたちと合流し、本格的に狙われる前に連合国と接触する。さすがに、サンディアル以外の3国まで連盟の指揮下ということはないはずだ。少なくとも、フラメリアルの頭領が管制士だとは聞いたことがない。


「さぁ、もう質疑応答は十分でしょう? ヴァイガットがあなたたちを何に利用するのかまでは知りませんが、私の仕事はあなたたちの確保です。ジェアルソールさんと、オリクレアさん、でしたか。覚悟してください」


 そう言ってヘミクレースは直剣を構える。もう情報を引き出すことは無理だろう。


 逃げるには障害物が先ほどの牢屋――廃病院くらいしかない。しかし、また中に入るのも得策とはいえないし、かといって背中を向けて走って逃げるのは恰好の的だ。そのまま街にたどり着けたとしても、賜術士に追われていては、住人や兵士から一目で外敵だと思われかねない。


「兄さん」


「……ああ、戦うしかないだろうな」


 そう返事をして、俺たちも臨戦態勢をとった。

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