4 鳳凰暦2020年4月9日 木曜日 国立ヨモツ大学附属高等学校1年1組
昨夜は眠るとお下げの女子生徒の背中が夢に出てきて、ぷらりぷらりとお下げを揺らしながら彼と腕を組んで教室から出て行くのです。その度に目が覚めてしまい、気持ちを落ち着かせるために愛読書である『小説版ドキ☆ラブ ダンジョン学園 ~ラブ・クエスト・モーニング・キッス~』を少し読んでは目を閉じる、ということを繰り返しました。そのせいか、今日は少し、睡眠不足です。
おそらく、今日は、自己紹介があるでしょう。彼女が何者か、そこではっきりするはずです。もし自己紹介がなかったら、冴羽先生にはクラスの女子生徒から嫌われるという恐怖を味わって頂きます。
本当はお下げのことよりも、彼のことを考えたいし、観察したいのですけれど、彼を思い浮かべると、なぜかその腕にあのお下げがくっついているのです。私――平坂桃花の頭はおかしくなってしまったのでしょうか?
登校して、教室に入ります。もちろん、絶対に前のドアから入ります。そして、入った瞬間、自分の席で読書をしている彼が私の視界を満たしてくれるのです。本物の彼の腕には、あのお下げはくっついていませんでした。右も左も確認しました。とても、とてもとても安心しました。私の頭の中の彼の腕からもお下げの姿は消えました。ふふふ。
……はっ。残念ですけれど、彼の読書の邪魔はできません。今、話しかけるのはあきらめましょう。決して話しかける勇気がない訳ではありません。ただ、話しかける話題がないのです。もう「久しぶり」は使ってしまいましたので……。
そう思っていたら、彼は休み時間の全てで読書をしています。そうでした。そういう人でした。小学校でもずっとそうでした。どうして忘れていたのでしょう。読書の邪魔をしないのなら、話しかけることはできません。どうしましょうか? 時間にゆとりがある昼休みも、放課後も、あっという間に教室から飛び出して、どこかへ行ってしまいました。話しかける話題も思いつきません。
……今日は、あのお下げが何者か、判明しただけでもよしとしましょう。
あのお下げは設楽真鈴という、推薦入学生の首席でした。今日、教室の入口に貼られたままの座席表と、あのお下げが座ったところを確認して、それはすぐに理解できたのです。でも、それだけでは彼との接点が何か、全くわかりません。
すると、1時間目の自己紹介であのお下げは地元の平坂北中出身だと発言しました。それで全ての謎が解けました。彼と同じ中学校の出身だったのです。ですから、ある程度、あくまでもある程度ですけれど、ある程度しか認めるつもりはないのですけれど、彼と親しい関係にあることは仕方がないことなのでしょう。
全国から生徒が集まるこの学校では、偶然にも同じ中学校の出身者が、しかも1組で一緒というのは、それはそれは大変珍しいことだと言えます。彼が一般入学生の首席で、お下げが推薦入学生の首席という関係も、珍しいでしょう。
それでもです!
偶然にも同じ小学校の出身者がこの学校で、しかも1組で、さらには一般入学生の首席と内部進学生の附中首席という関係で再会することの方が、より希少価値があるということは間違いありません。北中は三つの小学校から生徒が集まっていますから。たったひとつの、北中の三分の一でしかない、桃喰小学校の出身者二人が起こしたこの奇跡の方が、絶対に、ぜーったいに、価値が高いのです。そこは譲れません。
必要な情報が集まってきたので、放課後が近づくにつれて、昨日、あのお下げが何をしたのかという推理が、うまく、辻褄の合う内容になりました。
二人は同じ中学校出身で、一緒に教室を出たのですから、一緒に帰ったに違いありません。ええ。ええ。そうに決まっています。北中は公立なので、校区があるのです。帰る方向はきっと同じはず。
その推理がパズルの最後のピースのように、私の頭の中でカチリとはまった時、私は気づいたのです。
同じ中学校で同じ方向へと帰るのなら、同じ小学校なら、それはもう、より狭い範囲で同じ方向へと一緒に帰れるではありませんか。いえ、そもそも、私は彼の家がどこにあるのか知っていますし、おそらく、あのお下げよりも私の方が長い時間、彼と肩を並べて歩くことができるということも理解しました。
……神の啓示だったのでしょうか。なんという素晴らしいアイデアが舞い降りたのでしょう。彼に、一緒に帰ろうと声をかけるだけでお手軽に実現できる、彼を至近距離で観察する機会がすぐそこにあったのです。同じ学校にいるということが、ここまで大きな影響を及ぼすとは!
しかし、声をかけようと思った瞬間には、彼はもう教室から飛び出して、いなくなっていました。それでも、彼の机にカバンが残っていたので、このまま教室で待っていれば挽回のチャンスは来ると気を引き締めます。
「あー、せっかくだから、クラスの親睦ってことで、カラオケ、行かね? 昨日は寮で歓迎会があったけど、男子寮と女子寮で別々だったろ? どう、いいアイデアじゃん?」
そんなことを言い出したのは附中出身の鹿島勇作でした。悪い人ではありませんけれど、今はタイミングが最悪です。せめて、彼が出て行く前に口にしてください。
そんな私の思いとは関係なく、外村久美子や月城零士まで鹿島に賛同して、みんなでカラオケに行くという空気を作り上げていきます。
彼の他にも、次席の浦上やあと何人かが、もう教室にはいません。全員参加にならないから止めよう、と言おうかと思いましたけれど、それはさすがに空気が読めない行動です。
「鹿島くーん、今、ここにいない人もいるし、黒板に伝言、残した方がいいよー」
せめて、教室に戻った彼が黒板を見て、遅れてでも参加してくれればと思い、そう言います。
「おー、そうだな」
「さすがモモっち」
鹿島と外村が二人で黒板にメッセージを書き残します。
彼がカラオケに来てくれたら、その後はきっと、一緒に肩を並べて帰れるはずなのです……。
……そんなことは有り得ませんでした。そもそも彼がカラオケになど行くはずがないと、私はなぜ理解できていなかったのでしょうか。話す言葉さえ、できるだけ短くする彼です。歌うはずがありません。ええ、そういう人でした。
彼と一緒に帰るどころか、そういうのが頭の中からどこかへ飛んで行ってしまいそうなくらい、混乱する状況になっています。なぜなら、私は今、あのお下げと肩を並べて帰っているのです。いったいどういうことなのでしょう。
……いえ、本当は理解できています。一緒にクラスの親睦会でカラオケに参加して、寮生ではない私とお下げは、他のみんなとは別れて自宅へ帰るのです。そして、私の出身小学校はお下げの出身中学校の校区内にあるので、当然、帰る方向は同じになります。
つい先程、親睦会を終えたばかりというのに互いに無言で並んで歩くなどという、親睦したくないかのような態度を取ることはできません。私の外面は意外と常識的なのです。
中高生らしい友達っぽさも、いつも意識して演出しています。ちょっとだけ、別人になったようで、それはそれで楽しんでいます。モデルは愛読書である『小説版ドキ☆ラブ』の主人公階梨乃亜の親友、壇上恋です。
でも、考え方を変えてみると、これはチャンスかもしれません。お下げの口から、私の知らない、中学生の頃の彼の話を聞き出すのです。ええ、ええ。これは、なかなか、素晴らしい時間になるのではありませんこと?
「ねー、設楽さん。北中のこと、教えてよ」
「え、北中って、平坂北中のこと?」
「そう。私も、附中じゃなかったら北中だったし、行かなかった分、興味あるし」
特に、彼のことに。そして、本当に一番知りたいのは、昨日、お下げが彼と何をしていたのか、ですけれど。
「あー、そうだよね。じゃあ、その代わり、平坂さんが知ってるダンジョンのこととか、ヨモ大附属のこととか、教えてほしいな」
「いいよいいよ、あのねー……」
そうやって互いに情報交換をしたのですけれど、設楽真鈴が話す北中の話には、彼が全然登場しないのです。一番知りたい情報を隠すとは、なかなか手強い相手、と考えるか、設楽と彼との関係が希薄だったと考えるか、悩ましい限りです。
そして、一番悩ましいのは。
この日の帰り道をきっかけとして、これ以降、私は設楽と一緒に下校するようになってしまいました。いえ、話してみると設楽も意外といい人なので、嫌だということはありません。それに、同じ高校、同じクラス、帰る方向も一緒だというのに、じゃあ別々に帰りましょうなんて、言えるはずがありません。
その結果として、私が彼と肩を並べて歩いて帰り、じっくりたっぷり彼を観察するという夢は、実現が難しくなってしまったのです。彼と帰るから設楽はお先にどうぞ、などと言えるはずがありません。
だから私は強く、強く強く、こう思うのです。
鹿島、許すまじ。いつか埋めてやります。
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