3 鳳凰暦2020年4月8日 水曜日夕刻 国立ヨモツ大学附属高等学校・中学校内ダンジョンアタッカーズギルド出張所休憩室


 いつもなら忙しいはずの夕刻。

 今日は、午前中に附属高ダンジョン科の入学式と附属中の入学式、午後からは入寮式や歓迎会があったため、附属校ギルド出張所はほぼ一日中、閑散としていた。

 中学生はそもそも教員の引率なしでのダンジョンアタックは認められていないし、ほとんどが寮生の高校生も入寮式と歓迎会がある今日は、ダンジョンアタックをしている暇などないだろう。

 昼前に、親子でギルド出張所の売店を確認している高校生たちが少し、いたくらいだ。

 モンスターを倒せば得られる魔石やドロップアイテムの買取作業がないと、本当に暇になる。

 既に受付窓口も、売店も、シャッターを下ろした。鍵もかけた。あとは少しだけ事務処理を残すのみ。


 ギルド職員の私――宝蔵院麗子は、のんびりした気持ちで休憩室のドアを開け、中へと入った。


「あ、先輩」


 そこではこの春からの新入り、釘崎ひかりさんがのんびりとソファに座っていた。

 先輩よりも先にのんびりしている姿に思うことがないでもないけど、最近はそういうことを言えばパワハラだとかモラハラだとか、セクハラ……ではないけど、まあ、いろいろと言われるから、何も言わない。今日は本当に暇だし。

 私も釘崎さんの前のソファに座る。


「暇そうね、釘崎さん」

「びっくりしました。昨日までとは全然違うんですもんね」


 そう。春休みの最終日だった昨日までは、附属高の新3年生、新2年生がたくさん、魔石やドロップアイテムの買取に押しかけていた。もちろん、ものすごく忙しかった。


「……金曜までは、それほど忙しくはないかもね」

「金曜?」

「附属高の3年生や2年生のダンジョンアタックも放課後ぐらいで、せいぜい午後だけになるでしょう? 中学生は夏までダンジョンアタックの授業はないし、1年生は金曜の午後の初めてのダンジョンアタックを終えてから、ようやくダンジョンへの入場が許可されるから。その代わり、小鬼ダンジョンが1年生で溢れる土日は忙しいはず」

「金曜までですか~。今日は水曜だから、明日と明後日だけなんですね~」

「次はGW明けのテスト週間まで我慢ね」

「あ、そっか。テスト週間はダン禁ですもんね」

「その代わりGWは忙しいのよ」

「……ですよねー。は~、ついこの前まで、自分がそっち側だったのに、いまいちわかってませんでした」

「逆の立場になる前から、それが理解できる人は本当に少ないもの。私も、無理」


 釘崎さんは、昨年度の附属高の卒業生なのだ。春休みは、後輩たちにからかわれるような感じで窓口業務にあたふたしていた。それにしても、新社会人というのは本来、もっと初々しいはずなのに、この休憩室での姿ときたら。

 ちなみに私もここの卒業生だ。まだ釘崎さんとはそういう話はしていないので、彼女は知らない。


「……同じ立場でも、理解不能なことも、あるんですよ?」

「何よ、それ?」

「実は今日の午前中に、附属高の新入生が窓口に来たんですけど……」


 釘崎さんから聞かされたそれは、驚きの内容だった。


「百万⁉ ウソでしょっ?」

「どこの御曹司なんだって話ですよね?」

「え、でも、ここのダンジョンカードは学生用で、まだ後払いになるクレジット機能はないし、預金通帳と連動したプリペイド機能だけだったと……」

「そのプリペイドで百万超えのお買い物でした……」

「新1年生が何を買えば百万を超えるのよ?」

「とりあえずマジックポーチの最小をいきなり買ってました……」

「それだけで六十万じゃない⁉」

「でしょ? 御曹司ですよね? 今から唾つけとこうかなぁ」


 マジックポーチはダンジョンからのドロップアイテムの代表的な品物で、ダンジョンアタッカーを目指す高校3年生がそれまでに貯めたお金で買うのが一般的だ。早い者でも2年生の後半ぐらいだろう。中には買えるほどの貯金ができない者もいる。

 マジックポーチは空間収納系アイテムで、その最小ならだいたい畳1畳分で高さは2メートルくらい。まあ、百人乗っても壊れない物置の小さいやつくらいは物が入る。


「マジックポーチは3年……早い人でも2年の後期、しかも後半ぐらいじゃなかった?」

「ですよねー。あたしはギルドへの就職活動してましたから、もったいなくて買いませんでしたけど」

「その子、他には何を?」

「閃光轟音玉をひとつと……」

「ええ?」

「……爆裂玉を4つ」

「それで三十万……小鬼ダンジョンでいるの、それ?」

「ゴブリン相手に慎重過ぎますよねぇ。親が過保護なんでしょうかね」


 閃光轟音玉はひとつ十万円の使い切りマジックアイテムで、モンスターの視覚と聴覚を一時的に潰して、逃走する時に使う。使って戦えなくはないけど、一般的には、格上とのエンカウントで逃げるためのアイテムだ。

 爆裂玉は爆弾みたいな攻撃系アイテムで、どう考えてもゴブリン相手ならオーバーキルだと思う。ヨモ大附属が占有している平坂第7ダンジョン――通称、小鬼ダンジョンなら、最下層となる3層の一番奥のボス部屋にいるダンジョンボスのゴブリンソードウォリアー相手でもなければ……いえ、あれが相手でも、爆裂玉を使えば大赤字だろう。ひとつ5万円もする。それに、4発も必要ない。1発で十分。


「……確かに親が過保護ね」

「そうですよ。あとは大量のスタミナポーションと何本かライフポーションを買って、あ、でもこれは最低級ですけど」

「ライフポーションはともかくスタミナポーションは最低級でも1本1万円……」

「それと、フック付きのロープも買ってましたよ」

「小鬼ダンジョンの落とし穴は踏んじゃダメなところを蛍光のイエローマーキングで塗ってるはずなのにどうして脱出用の道具がいるのよ?」

「ほんっと、慎重過ぎますよねぇ」

「……でも、おかしいわね?」

「おかしいですか?」

「それならまず、高い防具を買うべきじゃないの? 親だって、我が子が大きな怪我をしないようにって考えるはずよ?」

「あー、確かにそうですね。五十万出せば、灰色オオカミの皮装備が買えますもんね。でも、附属高の子は、レンタルで借りられるやつがあるし、ゴブリン相手なら、灰色オオカミの皮装備なんていらないし」

「それを言うなら、ゴブリン相手に爆裂玉も、閃光轟音玉もいらないでしょ」

「あー……あれですかね? レンタルできるか、できないかで、判断したとか?」


 附属高の生徒のレンタルの武器や防具は、きちんと返却すれば無料だ。破損は半額弁償、紛失は全額弁償だけど。ギルド出張所が委託されて管理している。


「使い切りアイテムのレンタルは有り得ないものね。それで、その子、レンタルは何を借りたの?」

「これもびっくりでしたよ。防具はブレストレザーですから普通ですけど、武器はメイスが十本とショートソードが十本です」

「なんでそんなにいるのよ……」

「慎重過ぎですよねぇ。破損しないようにっていうのも、あるのかもしれませんけど。まあ、有り得ない数ですよねぇ。規定上、問題ないとはいえ」

「そうね」


 レンタル武器の破損は起きない訳ではないけど、その前に返却して新しい武器を借りるのが普通だ。どちらかと言えば逃走する時に投げつけて紛失する、という可能性の方が高い。逃げる場合はそうするようにヨモ大附属では教えている。命の方が大切なのは当然だ。

 そもそも、小鬼ダンジョンを卒業して、次のダンジョンに進めば、しばらくしたらそれなりの武器を買って使うようになる。

 そのために、小鬼ダンジョンの卒業はゴブリンソードウォリアーの魔石を五十個、手にする必要がある。4人パーティーで挑戦するのが一般的だから、少なくとも二百回は、ボス戦を繰り返す必要がある。それでダンジョンアタッカーとして十分な経験が積める設定なのだ。でも、時間がかかる。これは仕方がない。

 小鬼ダンジョン卒業の最短記録は、陵竜也の5月6日。彼は今、二十六歳で日本ランク1位、世界ランク6位の正真正銘、トップランカーだ。私の附属高での同級生でもある。附中出身のエリートで、附属高入学当初は助っ人としていろんなパーティーのボス戦に積極的に参加していた姿を思い出す。別に彼氏とかではないけど、あれだけ活躍すれば附属高からの人間なら尊敬したり、憧れたりはする。傲慢なところもなかったし。

 彼のように自分を鍛えて戦うのならともかく、お金を使って爆裂玉でボス戦を済ませるのはどうなんだろうか。4回、小鬼ダンジョンのボスを倒せば、肉体強度は高まるだろう。そもそも、肉体強度を必死に高めてから挑むべき相手なのに。


 ダンジョン科を卒業してトップランカーを目指すのなら、親がお金を出すのではなく、本人が自分で戦う力を身に付けるしかないのだ。それで卒業したとしても、先がない。それどころか、そういう精神性でダンジョンアタッカーになったとしても、そのうちアタッカー崩れの犯罪者になりかねない。力がある分、普通の犯罪者よりも質が悪い。ダンジョン内で出せる力ほどではないが、アタッカーは外でも一般人より1.3倍くらいは強い力を出せるという。アタッカー崩れの犯罪者の存在は、大きな社会問題なのだ。


「親が甘やかしても、本人のためにはならないのにね」

「……ほんと、そうですよね」


 釘崎さんの声に、なぜか力がないような気がした。

 でも、まだ親しいとは呼べない、出会って十日も経っていない関係では、そこには踏み込めなかった。






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