第12話:統合


    ――― わたくしもあまり戦いが得意ではないのですけれど

       いいですわよ、少しだけならお付き合いいたしましょうか ―――




「う…っん…、はっ。」


 アリスが目を覚ました。今の彼女にはきちんとした痛覚など機能していないはずなのに、頭がひどく痛い気がする。明るい照明に見覚えのある部屋。先程ナナクが閉じ込められていた会議室だった。


「隊長、動きました!」


 なにやら大声を上げている声が聞こえた。頭に響く。彼女は改めて自分の状況を確認した。壁際に立たされているようだが、手足が動かない。何かに縛り付けられているようだった。壁に磔にされているような格好だった。彼女は思い出した。サイワンとの戦闘の途中でなにかの機材の『照射』を受けて気を失ったのだった。そのまま敗北し、ここへ連れてこられたのだろう。彼女が持っていたAPBと大型レンチも机の上に並べられていた。その部屋にナナクはいない。無事に宇宙船まで帰り着いたのだろうかと心配だった。


「気がついたようだな。そうでなければ、これほどの被害を出した甲斐がない。」


 聞き覚えのある声で、サイワンが部屋まで入ってきた。彼はアリスの顔を見るとニヤリと笑った。彼女は間髪入れずに問いかけた。


「あれから何分経った?」


 アリスが口を開いたことで、その横の兵士が恐れたような顔で銃を構えて銃口を彼女に向けている。サイワンが左手で静止するような仕草を見せ、退出させた。


「20分だ。あの距離で電気爆弾を直撃して、スクラップになるどころか20分で再起動とは恐れ入るよ。」


 何日も経過しているわけではないと知った彼女は内心ホッとした。まだ宇宙船がステーションから離れているとは思えず、これならば対処のしようがある。


「それで、私に一体何の用だ?少なくともお茶会の誘いではなさそうだが。」

「16名。」


 いきなりサイワンはそう答えた。


「貴様らにやられた兵の数だ。死亡2名、戦闘不能なほどの重傷14名。軽傷ならば私含めてこの第一遊撃隊ほぼ全員だ。」


 サイワンの顔を見るとあごに応急処置の跡が見える。先ほどアリスがワイヤーで締め付けたときの傷だろう。


「それで、私を軍法会議にかけて銃殺刑にでもしようというのか?知っていると思うが私に銃は効かんぞ。私を殺したければ対艦弾道ミサイルでも持って来い。」


 サイワンの反応は意外なものだった。


「なにか勘違いをしているようだ。そうではない。称賛だよ。素晴らしい。」


 そう言って拍手のような動作をした。意味がわからずアリスは眉を寄せた。彼は続けた。


「1時間もかからず、たった2体でこのキャノンボール隊が壊滅だ。これほど強力な兵器を私は見たことがない。いや恐らく今の人類の誰も想像すらつかない。『雪原の悪魔』という伝説が残っているだけある。その悪魔の兵器、伝説のアリスフレームがまさか2体もいたとはな。」

「回りくどい。さっさと本題に入れ。」


 アリスはあからさまに興味がなさそうな顔をしてそう答えた。


「アリスフレーム、私の下につけ。貴様の能力があれば、私はあの市長を追い出し、市の頂点に立つことができる。市だけではない、マザーポートも含めた衛星都市の全てだ。人類3万6千人の頂点に立つのだよ。」


 サイワンは目を大きく開き、口角を上げながら興奮気味にそういった。それを聞いたアリスは笑いながら答えた。


「フフッ、ハハハハッ。下らん。実に下らん。あまりの下らなさに笑いしか出てこない。」

「何がおかしい。」

「100億人だよ、300年前は。あのときは人口も激減していたがそれでも桁がいくつも違う。たった3万人ちょっとでそんな下らない争いをしているのかと思うと、下らないというよりもはや哀れだ。その人数ではちょっとした天災一つで人類絶滅だ。人間争うサガとは言え、そんな暇があるとは思えんぞ。家に帰って保存食の一つでも積み増しておけ。食べられるハーブの育て方でも教えてやろうか?」


 サイワンはアリスの前までツカツカと近づいてきた。首に手をかけ、吊り上げるように力をかける。


「勘違いするな。これは命令だ。アリスフレーム。」


 彼女は首を絞められながらもサイワンを睨みつけて答えた。


「断る。私には生涯忠誠を誓った者がいるのでな。それに私にはアリスという名前がある。機種名で呼ぶな、気持ち悪い。なぁ人間ども。」


 サイワンから笑顔が消える。更に手に力をかけ、アリスを吊り上げる。足を縛っているワイヤーがピンと伸び、首がより引かれる。


「あの男、ダンバース・ヘモウスならとっくに死んだぞ。時限爆弾でドカンだ。」


 サイワンは手を離した。再び両手が上からワイヤーで吊られる。


「ダンバース?ああ、船長か。私が言う忠誠を誓った者というのはダンではない。あいつは単なる今の雇用主だよ。先日あの船に就職したのでな。あと、爆弾なら私が解除したから船長は今頃ピンピンしているぞ。」

「なんだと?解除の機能など無い。……まさか貴様っ。」

「ふん、ツメが甘いぞ。あの二人なら今頃このステーションを離れているだろうな。」


 プルートはダンたちの宇宙船のロックを解除していた。エンジンの修理も終えており、今なら難なく帰還できるはずだった。


「いいや、あの作業船ならまだ停泊中だ。どうせ民間人二人と非武装の作業船だ。焦る必要など無い。残った兵を編成し直せば後からどうにでもなる。それよりも、最難関であったアリスフレームの収容ができたのだ。サンプル79番の回収と、このステーションの研究所の制圧など、今となっては残務処理のようなものだ。」

「サンプル79番?」


 アリスはサイワンを誘うようにあえてその言葉を繰り返した。


「ふっ、その様子だと何も知らんようだな。あの計画のことを。せっかくだから教えてやろう、貴様はナノマシン100%の体らしいからな。この話を聞く権利がある。」


 サイワンはアリスから離れ、机に片手をついて話し始めた。


「あのサンプル79番、そして私もそうだが、特殊な機械を体内に埋め込み、ナノマシンの製剤をドープしている。生まれた時からだ。難病の新生児が選ばれたらしい。おかげで私は病で命を落とす心配はなくなった。」

「ほう、それは良いことではないのか?医療の進歩だな。」

「そう聞こえるだろう?だが生存率はわずか20%だった。8割はナノマシンの副作用で死んだよ。生き残ってもナノマシンが完全には適合できずに特別な医療ケアが必要な者がほとんどだったそうだ。」


 ナノマシンの人体適合の話はステーション中枢部のアーカイブでアリスは既に知っていた。しかしそれは当時の話で、今現在どうなっているかは知らない。アリスは上手く誘導してサイワンに話させるつもりだった。


「随分とリスクを冒すような話だ。病で死ぬことが無くなるとは言え、万事解決とはいかんか。」

「そうだ、そもそもこの治療の目的は難病の解決ではないのだよ。人類改造の計画の一環だった。ナノマシンと人間を融合させ、過酷な宇宙で生き残るための新たな人間、ナノマシンヒューマンを生み出すための計画だ。大脱出の時代に研究されていた分野らしいが、何十年か前にその技術が『回収』され、それを知った前の市長が始めたそうだ。それで、代替わりした今の市長はこの計画を引き継いで何をしようとしたと思う?」

「すまんな、今の政治体制には疎い。」


 彼女が今までに断片的に聞いた情報をつなぎ合わせると、現状の人類の生存状況の概要は分かってきたが、その中身となると彼女には全く情報がない。


「軍備だよ。古い情報では、ナノマシンで体が強化される研究がされていたそうだ。それを信じて強化兵団を作ろうとした。そして兵として使い物にならなさそうな患者は殺されたそうだ。あの計画のことは機密事項だったからな。なおさら、失敗したと知られれば失脚する。仲間が何人も殺されていたのだよ。私はそれを知らず、彼らは病で死んだと思っていた。今生き残っているのはサンプル12番の私と、79番のあの青年だけだ。計画は失敗だ。当たり前だ、何百年も昔の研究の断片でうまくいくはずがない。」

「待て待て、ナナクは船長の友人の子供という話だぞ。その友人は事故で死んだそうだ。仮に今の話が本当だとして、子供に名前をつけた後に、79番とかいう番号がついたことになる。前後関係がおかしいぞ。」


 アリスの疑問は当然だった。ナナク、という名前が数字の79から来ているのは推測できるが、そうだとすると生まれた時点で研究機関のようなものが彼の名前を決めていたことになる。


 サイワンが何かに気づいたように答えた。


「ああ、やはりそうか。すり替えだな。そして養育施設を出た際にダンバースのところへ身を寄せた。ダンバースめ、あの男もなかなかやり手だ。」


 アリスは、子供をそう簡単にすり替えたりできるものかと思ったが、今の時代の社会環境がわからないのでなんとも言えず、両親が死んでしまっている状態ならば可能かもしれないと思った。そして、まるでダンがナナクを匿っていたような言い方だが、少なくとも彼女はダンがそうしているとは思えなかった。


「いや、あの船長は本当に何も知らない様子だったぞ。勘違いで爆殺されそうになるとは、不運な男だ。」


 サイワンはAPBとレンチを手に取ると、アリスのところへ再び近づいてきた。


「とにかくだ。私はあの79番を仲間に迎え入れ、市長に報復する。仲間の敵だよ。軍の実行部隊はもう掌握した。あとは市を制圧するだけだ。アリスフレーム、貴様の力と、この研究所から奪えるテクノロジーを使ってな。ナノマシンによる人類の強化。市の連中は失敗したが、ここの研究所の成果を奪えば可能になる。私は人類最強になる。サンプル79番も同様だ。」


 アリスは近づいてくるサイワンを睨みつけた。


「そんなことは一人でやればよかろう。これ以上ナナクには手を出すな。次は本当に容赦しない。ここの連中が全員死ぬことになるぞ。」


 サイワンはAPBの発振器部分をアリスの顎に当てた。


「二度も言わせるな。これは命令だと。私の下につけ。」


 彼はAPBのスイッチを押した。それでもAPBは起動しない。アリスでなければ起動できない仕組みが用意されていた。


「それはこちらの台詞だ。二度も言わせるな。断る。ところでその武器は私専用だ。0.1秒間以内に10回スイッチを押さないと起動しないぞ。できるものならやってみろ。」


 アリスは「イーッ」とでも言うように前歯を見せつけるような仕草をした。


「貴様ぁっ!」


 サイワンは持っていた大型レンチでアリスの頭部を思い切り殴った。そしてレンチを右手に持ち替えて、何度も何度も。


 普通の人間なら死んでしまうほどの殴打だが、アリスの場合は頭髪が何本か、ハラハラと落ちる程度だった。その下に多少は傷も付いているだろうが、間もなく治癒してしまうだろう。彼は殴るのをやめ、はあはあと息を上げている。アリスは、その程度か、とでも言うようにサイワンを睨んでニヤリと笑う。


「隊長!何か異常が?」


 ドアを開けて先程の兵士が入ってきた。言い争うような声と音が聞こえてきたので入ってきたのだろう。


「なんとも強情な奴だ。AIとは思えん。貴様をスクラップにするのは簡単だが、そんな事のために貴様を収容したわけではない。」


 サイワンは振り向いて先程入ってきた兵士へ命令した。


「予定通りあれを持って来い。アリスフレームのインベーダだ。」

「はっ。」


 兵士は敬礼して去っていった。隊長の司令で何かを取りに行ったようだ。


「アリスフレームの開発は極秘だったそうだな。それもおよそ300年前の大昔だ。情報を集めるのに本当に苦労した。軍の要職にいる私でさえ、失われた情報をつなぎ合わせるのは大変だった。」


 サイワンはアリスの方へ近づき、彼女の額に指を当てる。


「定期リセット。貴様はシステムの安定化のために定期的にロールバックが必要だそうだな。その際に指揮命令権を書き換える仕組みだ。ダンバースがどうしてこの仕組を知っていたかは分からんが、リセットをかければ命令権をあの男から奪える。」


 アリスは頭をフル回転させた。サイワンがどうやってここまで詳しい情報を揃えられたのかは分からないが、アリスフレームの究極の弱点とも言える定期リセットの仕組みを知っていた。彼女が作られた当時は、不安定なシステムを成長させるために、最長35日ごとに定期的にシステムをリセットして、命令者をその都度再登録していた。プロトタイプとして圧倒的な成長速度と上限のない能力を得たことの代償だった。サイワンが言っているのはそのリセットの仕組だった。そのタイミングで自分が割り込めばアリスに命令できる、ということだろう。ところが、彼の情報は誤っていた。正確に言えば古い。彼女はその成長の途中で、その仕組を自ら破壊した。更に彼女は最後のリセット時に自らを命令者として登録するという奇跡を実現した。今の彼女はプロトタイプの性質を維持しながらリセットが不要かつ不可能になった。


 この事実はどこにも記録されていない。知っているのは、本人を除けばこの世で2人だけ、彼女の生みの親と育ての親だけだ。いずれも既にこの世にない。ダンに従っているのも単に信用して従っているだけだ。しかしサイワンのこの勘違いが事態を打開するきっかけになることを賭け、彼女は芝居を打つことにした。


「なっ、なぜそれを知っている。」

「軍の力を甘く見るな。これほど強力な兵器があると知って、探さないわけがないだろう。」


 すると遠くの方からバタバタと近づいてくる足音が聞こえた。


「隊長、これを。」


 その兵士はサイワンに短いバズーカ砲のようなものを渡してきた。彼はそれを担いで操作を始めると、冷却ファンのような音が聞こえ始めた。アリスはその先端部の構造に見覚えがあった。彼女が軍事施設にいた時の定期メンテナンス時の機材と同じだ。彼女のシステムに外部から干渉できる機材だったが、仮に当時の仕組みだったとしてもリセットはできない。ましてや今のアリスには何も意味がない。


 そうと知らないサイワンは勝利を確信したような顔をしていた。アリスはわざとらしくもがき、抜け出すように動いた。彼はそのバズーカのような機材、先程インベーダと呼んだそれをアリスの頭に当てて、レバーのようなものを引いた。ガチャンという大きな音が聞こえ、機材が稼働する。アリスは顔と頭の奥に焼けるような熱さを感じる。システムへの干渉はできないとは言え、本来はそれができていたほどのエネルギーを持っている。メンテナンスの機材はスリープモードへの移行機能もある。彼女にとっては睡眠薬のようなものに近く、抗いがたい。


「うぐっ……。」


 アリス自身、立っているのが苦しいのは事実だったが、あえて口にだすようにしてから意識を手放し、眠ったようにぐったりする。サイワンはその様子を確認すると、インベーダを下ろし、先程の兵士に渡した。


「さぁ、どうなるか。せっかくだ、動ける隊員を呼べ。アリスフレームが我が隊に加わるぞ。」


 その兵士は無線機を使って招集をしている様子だった。


 少ししてからアリスは意識を取り戻し、虚ろな目つきでサイワンを見ていた。


「さぁ、アリスフレーム、目覚めよ。私が貴様の司令官、キャノンボールだ。名前、コールサインは、そうだな……ヴァルキリーとしよう。古代の戦いの神の名前だ、貴様には相応だ。」

「はい、司令官。おはようございます。」


 アリスがそう答える。


「フフッ、ハハハハッ。やったぞ。ついにアリスフレームを手に入れた。これで我らは無敵だ。」


 サイワンは興奮気味にそう言い、後ろに集まっていた5、6人の兵たちに笑みを見せた。言い換えれば、それだけしか人員が残っていない様子だった。アリスは、彼ら風に言えばヴァルキリーは、前に踏み出そうとしたが、相変わらずワイヤーで拘束されているため動けない。


「もう危険はない。外してやれ。」


 サイワンはが後ろの兵にそう指示すると、拘束していたワイヤーを取り外し、彼女は自由になる。


「よし、ヴァルキリー、早速だがこのステーションの管制塔と研究所の制圧へ向かう。」

「はい、司令官。」


 彼女が抑揚のない声で答えた。そしてサイワンは手元の電子ペーパーのようなものを確認しながら周囲の兵士に指示を出した。


「セブンダーツ、お前も来い。それと、シューバイはアイアンキーと共にイーグルの遺体の収容とアリスフレームの回収へ向かえ。残りの者はエンジンの復旧作業を続けろ。」

「「はっ。」」


 サイワンの指示に合わせて、各自が素早く動き出した。彼女はその場に直立不動で待っていた。


「しかしヴァルキリー、貴様は先程まであれほど饒舌だったのに、急に黙ってしまったな。リセットの直後は多少受け答えが緩慢になるらしいが、えらい変わりようだ。」

「何か話題が必要でしょうか。司令官。」


 彼女は全く動かずそう答えた。


「いや、そのままで良い。念のため武器は私が持っておく。本船の格納庫ハッチで待機だ。」

「はい、司令官。格納庫へ移動します。」


 彼女は指示に従って格納庫まで歩いていった。途中、医療室の前を通ったが、先程アリスがボディーブローでノックアウトした兵士、アイアンキーが壁にもたれかかるように座り込んでいた。彼は何かを言いたそうだったが、ダメージが大きくすぐには立ち上がれない様子だった。彼女は目を合わせずに進む。


 二重ハッチが開いたままの格納庫まで降りて待っていると、通路の奥から監視用と思われるドローンが飛来してきた。まるで強襲艦周辺を観察するようだったが、彼女に接近するのでもなく、その場で瓦礫に紛れるように地面に着陸した。その直後に装備を整えたサイワンと、セブンダーツと呼ばれていた兵士が格納庫奥から現れた。アリスが持っていたAPBはサイワンが携行している。二人の兵士は向き合って、ヘルメット内に備え付けの網膜投影モニタを使ってブリーフィングのようなものを行っているようだ。数分かけてそれを終えると、サイワンはアリスに向けて言った。


「第一の目標は、このフロアから階段を降りた先の管制塔にある、情報ライブラリだ。そこを制圧し、機密情報へのアクセスを行う。ヴァルキリー、貴様の活躍を期待しているぞ。」


「はい、司令官。お任せください。」


 彼女は相変わらず無機質な声でそう答えた。


 サイワンとセブンダーツはヘルメットのシールドを降ろし、歩き始めた。彼女が先頭に、その後に二人が続く。バースを出て、横の通路を通って階段を降りていく。管制塔のエリアは平面だけでなく、上下方向にも複雑だった。それでも目的の場所は近く、歩き始めて数分で到着した。空中に吊られた渡り廊下のようになっていて、その入口はセキュリティーゲートで閉鎖されていた。サイワンの宇宙服のスピーカーから声が聞こえた。


「ここはどうやら裏口のようだが、そのゲートはアリスフレームでしか開けられないらしい。ヴァルキリー、開けろ。」


 そう言われるがままに、ロック部分に手をかざす。彼女が目を閉じて数秒、ロックのインジケータが赤から青に変わり、解除された。彼女がドアを横に引き、中に入っていった。サイワンはナナクから奪った機関銃を構えて警戒しつつ彼女の後に続いた。その中はモニタやコンピュータの端末が並んだ広い空間、情報ライブラリだった。ステーションの空間に、居住用人工衛星のような建物一つが空中に浮くように上から吊り下げられている。窓からは管制塔のエリアが一望できる。巨大な宇宙ステーションは組み立ててから打ち上げるのではなく、部品を宇宙空間で組み合わせる。パースを支える円形の骨格ができた後に、この管制塔の中心部分が真っ先に組み付けられ、その後に周囲が組み立てられたためこのような構造になっている。


「ほう、ここが、この軍事ステーションの中心部分か。10年間探し続けたこの場所へついにやってきたぞ。しかし何の警備もない。着いてしまえば何ともあっけなかったな。」


 サイワンともう一人の兵士はヘルメット部分のシールドを開放した。兵士は入り口に留まって周囲を警戒している。サイワンは端末が置いてある席へ座り、操作を始めようとしたが、当然のようにセキュリティーに阻まれる。


「ヴァルキリー、このセキュリティーも解除できるはずだ。やれ。」

「はい、司令官。少々お時間を頂きます。」


 彼女は隣の座席へ座り、目を閉じて手をかざすと、画面が乱れ始めた。大量の文字の羅列が流れはじめ、更に1分ほど待つと『管理画面』と表示されている。


「よし、いいぞ、貴様は本当に優秀だな。これで私の計画も達成間近だ。」


 サイワンは嬉しそうな声でそう言うと、データ収集のような行為を始めていった。


 ………

 ……

 …


 アリスが強襲艦に捕らわれていた頃、ダンとナナクは彼らの宇宙船、ジャクソン・ヘモウス号の医務室にいた。そのベッドにはプルートが寝かされている。


「それでナナク、なんでお前が軍の奴らに狙われるんだよ。なにかやらかしたのか?」

「僕にもまるで分からないよ。誰かと勘違いしているのかな。この人がさっき、僕が連れて行かれる前に軍の人と話していたようだから、なにか知っているかもしれない。」


 ナナクはタオルを取り出し、ぬるま湯を出して濡らしたタオルを絞り始めた。


「で、こいつは誰だよ。ナナク。まさかあれか?」


 ダンが聞いてきた。当然の疑問だ。アリスを連れて帰ってきたのかと思ったら、見知らぬ女性だったのだ。全身傷だらけで足に大怪我を負っている。


「そう、この前話してたアリスフレームのプルートだよ。ひどい怪我だったから連れてきた。」

「それで、アリスちゃんは?」

「僕を逃がすためにあの強襲艦で軍の人と戦ってる。もうすぐ戻ってくると思うんだけど。」


 ナナクは絞ったタオルでプルートの顔を拭いていた。


「ナナクさん、お気遣いなく。自分でできますので。」


 彼女はそう言うとタオルをそっと奪い取り、帽子を外してベッドの脇に置くと、自分の顔や首周りを拭き始めた。


「あ、喋った。」


 ダンが思わず声を出す。プルートはそんなのは当然だというようにちらっと彼を見たほかは、特に反応はしない。


「そうだ船長、プルートはこの宇宙船に乗るんだって。アリスがそう言ってたんだ。」

「え?聞いてねぇよ。何を勝手に……ああ、2体のアリスフレームに命令してって話か。確かに言ってたな。まぁ構わねぇけど、お前は貨物室だからな。」


 そう言うとさらにダンは一つ思い出した。


「あー、そうだプルートって、お前か、この船を無理やり係留してるのは!離陸要求、通しやがれよ。お前のせいで帰れねぇんだよ。」

「船長、落ち着いてよ。けが人なんだから。」


 掴みかかろうとするダンをナナクが静止するが、顔と手を綺麗にしたプルートが起き上がって言った。


「既に解除していますよ。この宇宙船は離陸可能です。ただし、あの軍の宇宙船も稼働しているので砲撃の恐れがあり、航路の安全は確保できません。」

「くそっ、今度はアイツらかよ。一体いつになったら帰れんだよ。」

「ところでプルート、アリスからなにか聞いてる?僕は君がこの船に来るってことしか聞いていないんだけど。」

「いいえ、何も。私もここで態勢を立て直したら、アリス様の奪回に馳せ参じるつもりです。」


 プルートはそう言って帽子を再度かぶるとベッドに横向きに座り直した。


「おい、アリスちゃんの奪回って、まさかあいつ捕まってんのか?」

「いいえ、そういう意味ではありません。我らの神の御心は管制塔外縁部の研究所にとらわれております。そして体の方は彼らの宇宙船に。」


 プルートはそう言って救護室の天井を見つめた。恐らくその先の方向に強襲艦があるのだろう。透視するように分かるのかもしれない。


「アリスのことなら僕も心配だよ、プルートだってやられちゃったんだから。それにプルートさ、そんな大怪我ではこれ以上何もできないよ。」

「はい、ですのでここで処置してもらおうと思いました。アリス様の腕を継いだのはどなたですか?」


 プルートはナナクとダンを順番に見つめた。


「アリスの腕なら、あの子が自分で直したんだよ。僕も少し手伝ったけど、ほとんど何もしてない。やり方なんて全然わからないよ。」

「なんと、そういうことでしたか。まさかアリス様ご自身で、とは……。ということは今は処置はできないということですか。」

「そうだね。ごめんね。」

「いいえ、あなたが謝ることではありません。それでは、あの人も心配なので、私は一旦管制塔へ戻ります。」


 プルートがベッドを降りようとするが、ナナクがそれを静止しようとした。


「そんな怪我なのに、無理だよ。」

「皆様のお陰でかなり回復しました。彼らをここから追い出す仕事の続きをしなければいけません。それに、大切なアリス様のお体をあまり大きく損傷されるのも困りますから援護も必要でしょう。そこにある松葉杖を借りますよ。」


 プルートは片足でひょいと立つと、部屋の隅に引っ掛けてあった松葉杖を取った。それは成人男性用で手首部分の太さが合わないようだが、彼女の握力によりグリップ部分だけで十分体を支えられる様子だった。


「ちょっと、待とうよ。そんな体で行ってもさ。」


 ナナクがプルートの前に立ちはだかる。


「ナナクさん、そこを……あ、彼らに動きがありました。これは恐らく兵士二人と、あの人ですね。」


 ナナクを押しのけて進もうとしたプルートが突然そのようなことを言い出した。


「え?あの人ってアリスのこと?君はこのステーション内の人の動きがわかるんだったよね?」

「はい、監視ドローンを派遣するので少々お待ちください。……間違いないです。しかし、これはあまりよろしくない状況かもしれません。黄色いバンドを着けた兵士二人とアリス様のお体です。武器も奪われているようです。」


 プルートが確認した映像では、アリスを先頭に、兵士二人が銃を構えて進んでいる様子が見えた。


「「黄色いバンド!」」


 ダンとナナクが同時に反応した。


「あいつだ、サイワンだ。」

「アリスが戦っていた相手だ。」

「予定変更です。まずはアリス様のお体の確保を優先しましょう。どちらにしても私は一旦管制塔へ向かいます。」


 プルートは救護室を出ようとしたときに振り返り、ナナクに聞いた。


「それで、ナナクさんはどうされますか?管制塔まで一緒に行きますか?」

「え?僕?いや、だって、あんなに強い相手に僕が行ったところで、どうにもならないよ。」


 プルートにアリスに、とアリスフレーム二人ですら破れた相手だ。その戦いぶりは自分の目でも見ていた。あのような戦場に再び赴くとはとても考えられなかった。


 ところがプルートは意外な事を言いだした。


「そうですか?あなたが好いた女性が捕らえられているのですから、てっきり先程のように管制塔まで来るのかと思っておりましたが。」

「ええ?いや、そんなんじゃないよ。違うよ。」

「違う?農場でのアリス様とあなたの会話内容から、てっきりそういうものかと思っておりました。私の勘違いでしょうか?我らが神に求婚まがいのことをするとは大した人だと思いましたが。本当に違う?」


 プルートはステーション内のすべての監視ができる。ヒマワリ畑でのアリスとナナクの会話ももちろん聞いていた。彼女は動揺するナナクの目をじっと見つめた。


「それでは私は一人で馳せ参じますので、お二人はここでお待ち下さい。アリス様のお体の方もかなり危険な状態のようですので。」


「待って!」


 二人を置いて外に出て行こうとしたプルートをナナクが呼び止めた。ナナクはその場で固まり黙ったままだった。ナナクは考えていた。プルートは、自身よりも大切なものがある、と言っていた。それがこのステーションなのだろう。そして誰にでも大切なものがあるだろうとも言っていた。


 果たして自分はどうなのだろうか?彼はアリスのことを考えていた。確かに先週、ヒマワリ畑で彼女に家族になろうと伝えた。プルートの言うようなプロポーズのつもりではなかったし、彼女からもその直後に兄妹だと言われた。しかし女性として惹かれていない訳ではなかったし、好意を寄せていたかと聞かれれば否定するつもりもない。


「違わないよ。あの子は僕が守る。そう約束したんだ。」


 あの日に誓ったことがある。彼女を一人にしない、彼女のことを守る、と。一度彼女に救われた命だった。彼女が危機に瀕しているというのに、今更恐れるものなど何があるのだろうか。


「プルート、僕も連れて行ってくれ。どうすれば良い?」


 ナナクはプルートの肩を引いてそう聞いた。


「そう言われましても、私があなたに何か指図するわけには行きませんよ。」


 その様子を見ていたダンが立ち上がった。


「ったく、しょうがねぇな。俺も行くぞ。社員にした以上、アリスちゃん置き去りってわけにも行かねぇだろうしな。それにあのサイワンの野郎は俺がぶっ殺す。」


 プルートはダンの方へ向き直して言った。


「あなたが確か、ダンさんでしたね。ナナクさんの上司とお見受けします。彼への指示をお願いします。」

「おう、そうだ、任せとけ。まずは武器と足の確保だ。あんた、プルート、だっけ?ここ降りて食堂と曲がった先に武器庫があっただろ?あのロック開けられるか?」


 ダンはプルートにそう尋ねた。彼らの武器は破損や強奪などで、今はほとんど手元に残っていない。武器庫で再度『回収』してからアリスの救出へ向かう必要があった。


「ドアなら開けられますが、先程兵士から奪った銃でいいならば、このバースの貨物エレベータの下まで配送できます。」

「とにかく十分な火力の武器があるならそれでいい。あと、下にもう一台バイクがあったんだが、あれの鍵ってどこにある?」

「鍵の場所はわかりかねますが、始動ならば私ができます。」

「よし、それで行こう。」


 ダンは医務室を出ると、念のために、と先ほど持っていた銃を手に取り、宇宙船の出口へ向かって歩き始めた。ナナクとプルートもあとに続く。


 ………

 ……

 …


 ダンたち3人はエレベータを降りて、下のフロアへ到着した。その脇の駐車場のようなところに、サイドカー付きのバイクが停まっていた。そしてちょうど同じタイミングで黄色リボンのコンテナ車がやってきた。アームが動いて中に入っていた軍用の自動小銃を取り出した。プルートがそれを受け取り、ダンに手渡す。


「おうおう、懐かしいな、これ。」

「そうか、船長は昔、軍にいたから使ったことがあるんだ。」

「まぁ訓練だけだけどな。すげぇ反動なんだよこれ。的に当てるのだけでも一苦労だ。」


 ナナクは思った。軍の兵士たちはそんな強力な銃を使って、動き回るプルートを正確に射撃していたのだ。また、ちょうど自分の戦意を喪失させる程度の怪我の深さを精密に狙って腕を撃ったのだった。その練度の高さは尋常でない。プルートはもう一つ同じ形の銃をナナクに手渡した。そしてダンはバイクの方を向いてなにか作業をしていた。


「これは、こうするんだよ。」


 彼はそう言うと、銃をバイクの銃座に取り付けた。これだと移動しながら撃てる。それを見たナナクは感心していた。しかし彼はもう一つ問題に気づいていた。バイクの定員だ。このバイクは見る限り二人乗りだ。


「船長。これにどうやって3人乗るの?」

「ああ、そうか、こいつもいるのか。じゃあ俺の後ろにしがみついて……あれ?なにか来るぞ。あっ、あれはこの前の……。」


 ダンの視線の先から、紫のコンテナ車が近づいてきたのだ。彼は何日か前のナナクが勝手にステーション内へ出かけた日、この紫のコンテナで運ばれていたナナクを救出したことを思い出した。今接近してきているコンテナも同一の車体と思われ、その側面は傷だらけで、パネルがカタカタと音を立てていた。無人運転車両であり、誰かが荷台に乗っている様子はない。そして彼らの隣で停止し、その車体の後ろから、日傘を持ったガスマスク姿の女性が現れたのだった。


「お前は、セレス!」


 ナナクが大きな声でそう言った。それに構わず、セレスは落ち着いた口調で答えた。


「あら、誰かがいると思えば、ナナク様ですね。お久しぶり、と言うほどでもないでしょうか。」

「何をしに来た。アリスを元に戻せよ。お前のせいで、あの子が今大変なことになってるんだ。」


 ナナクは早口でまくし立てた。そしてダンはまだ肩にかけたままだった古めかしい銃を構えた。セレスだけでなく、紫のコンテナ車の動きも警戒している。


「もしかして、お前か?アリスちゃんのデータ消して、ナナクを連れ去ろうとしたのは?」


 ダンはいつでも撃てる状態だった。ただでさえサイワンと戦うつもりで気が立っているところに正体不明の新たな敵が現れたのだ。セレスは持っていた日傘をダンの方へ素早く向け、開き、ヒョイッと飛び上がるように足を畳んだ。


 ダンがその動きに反応して素早く発砲しようとした。ところがダンやナナクが乾いた発砲音を認識する暇もなく、その日傘は瞬間的に閉じてダンが持つ銃めがけて高速で飛翔し、銃口へ突き刺さった。そこにセレスの姿はない。その勢いに負けてダンは後ろに大きく転倒した。銃口に突き刺さっていたセレスの日傘はダンが倒れる途中で上へ舞い上がり、再びひとりでに日傘が開かれると、その後ろからセレスの姿が現れた。セレスはちょうど倒れたダンの横にフワリと降り立っていた。彼女が着ているドレスの裾もフワリと漂う。


 ナナクは目を疑った。あまりに速い動きでよく分からなかったが、高速で発射された傘がダンの銃の穴ど真ん中を直撃し、その前後でセレスがワープしたようにも見えた。以前研究所で彼女に殴り倒された、あのときと同じだと思った。彼女がもともと立っていた場所には先程まで装着していたガスマスクが落ちている。セレスはアリスやプルートなど他のアリスフレームよりやや背が高いようだったが、研究所で一瞬だけ見たように、美しい女性であることには違いがなかった。一方でダンは肩に大きな衝撃を受け、不意打ちで後ろに倒された痛みでまだ立ち上がることができないでいた。


「ナナク様だけでなくダン様もですか。本当に、言葉遣いが荒い方ばかりで困りますね。まぁそれはそうと、冥王、わたくしはあなたにお伝えすることがあってきたのですよ。」


 セレスはプルートの方へ近づいていった。彼女が冥王と呼ぶのは恐らくプルートのことだろう。


「セレス、あなたが観測されたということは、私も年貢の納め時、ということですか。」

「ああ、そのことですか。いいえ、違いますわよ。あなたも壊れてしまったと虫の知らせで聞きましたが、わたくしの言う壊れ方、そういう意味ではございません。それよりもあなた、この『リング』の主軌道を確認されました?運行管理者のあなたがなぜ何も手を打っていないのか、確認に来たのですよ。」


 セレスはゆっくり歩きながらそう答え、ガスマスクを拾うと紫のコンテナ車の端に引っ掛けた。


「いえ、実は損傷が激しくてそれどころではなかったのです。心配でしたが、やはり先程、あの宇宙船のエンジンに押された時に軌道から外れましたか。」

「わたくし、正確な計算はできないのですが、あと数時間程度ではないのですか?地球への衝突まで。」


 セレスは表情を変えずにそう告げた。倒れながら今の話を聞いていたダンだが、内容を理解した彼は起き上がりながら尋ねた。


「おい、今の話。もしかして、あの強襲艦がエンジン全開にしたことでこのステーションの軌道が変わったってことか?」


 プルートがその疑問に答える。


「はい、その通りです。今から再計算します。……。この宇宙ステーション『リング』は何もしなければ4時間32分、プラスマイナス2分後に大気圏に突入、つまり地球に墜落します。」


 驚いたのはナナクだった。


「ええ!?4時間?墜落って、なんで?」


 その疑問にダンが答える。


「あー、そうか、お前は見てなかったな。さっき、奴らがこのステーションから脱出するために強襲艦のエンジン全開でこのステーションを引っ張ってたんだよ。エンジンが爆発するほどのパワーでな。そうすると、このステーションが押されるだろ?どの方向だろうが、とにかく考えもなしに 軌道をズラすと雪玉の重力に引かれてドボンだ。」

「船長、すぐアリスを連れて逃げないと。そうだ、プルート、その軌道をもとに戻せないの?」


 プルートは首を横に振った。


「ここからでは、できかねます。やはり管制塔へ行って直接司令しないと。再度予定変更ですね。アリス様よりステーションの復旧を優先します。それでも今からですと間に合うかどうか分かりません。」


 ナナクはダンの手を引いてバイクのところまで連れて行った。


「船長、急がないと。」

「おう、分かってるけどよ、これに定員オーバーで3人乗って急ぐのもアブねぇぞ。」


 二人乗りのバイクに無理やり3人乗ることは不可能ではない。しかし以前のバギートラックのような強引な運転をすると転落する危険がある。


 ここでセレスが口を開いた。


「冥王、管制塔へ行くならわたくしと一緒にいらっしゃったらどうですか?外縁部経由の抜け道を使います。」


 ナナクとアリスが先日歩いて通った農場の先の通路のことだろう。確かに管制塔のエリアまでつながっている。彼にはセレスとプルートの関係がよくわからないが、少なくとも敵対している様子はない。プルートはセレスの紫のコンテナ車の方へ寄って行った。


 ナナクはシャロンのことを思い出していた。あの水槽に沈んでいた彼女のことだった。プルートもああなってしまうのかもしれないと思ったナナクは心配だった。


「プルート、本当にそいつについて行っていいのかい?」

「まぁこれでも一応は元同僚ですからね。なぜ今ここにいるのかは奇妙ですが、この緊急事態においては些細な事です。私は管制塔へ行き、軌道をなんとか戻しつつ、アリス様の奪回の援護もしましょう。管制塔からならばあなた達のお手伝いも捗ります。」


 プルートはそう言うと、緑リボンのタクシー車でそうしていたように、端のフレームを握ってぶら下がるように台車に乗った。それに前後して、セレスがいつの間にかコンテナ車の荷台から何かを取り出していた。


「ナナク様、これをお返しいたしますわね。」


 そう言うと見覚えのある大きな銃を放ってきた。ナナクはそれを腹で抱えるように受け取る。対物ライフル銃だ。セレスが続ける。


「先日来たあの宇宙船の方たち。わたくしどうしても好きになれません。それで追い出してくださります?」


 ナナクは無言でうなずいた。そしてバイクのサイドカーに収まる。


「船長、アリスのところへ急ごう。この先の工業プラントのところのエレベータから登れば戻れるんだ。」

「よし行くぞ、掴まってろ!」


 スキール音を上げてダンとナナクの乗るサイドカー付きバイクが走り出していった。プルートを乗せた紫のコンテナ車もゆっくりと動き出し、徐々に加速していった。セレスはコンテナ車の先頭部分に短く折り畳んだ日傘を差し込むと、霧のように消えてしまった。


「セレス、そういうことでしたか。あなたも本当に器用な人ですね。」


 さらに別の何かに気付いたプルートが独り言のようにつぶやいた。


「ああ、妙な人がいると思ったらあなたでしたか。先ほどと、まるで様子が違いますが、平気ですか?

 ――はい、協力しましょう。

 ――そうですか、こちらも事情がありまして、目的地は同じです。それでは管制塔で会いましょう。」


 紫のコンテナ車はそのまま農場方面へ向かい、管制塔のエリアを目指してステーションの外縁部通路へと進んでいった。


 ………

 ……

 …


 サイワンはアーカイブにアクセスするための端末を叩きながら、苛ついた感情を隠せなかった。


「一体どういうことだ?肝心のナノマシンの人体適合の情報になるとデータが無い。おい、ヴァルキリー。」

「はい、司令官。いかがしましたか?」


 ヴァルキリーと呼ばれた少女が姿勢を変えずに答えた。


「機密情報にアクセスできない。まだ解除していないセキュリティがあるだろう。」

「いいえ、全てのアクセス制限は解除済みです。」


 彼女が言うことは正しかった。ただしサイワンが欲していた情報は、アリスが投影空間内においてプルートと2度目の戦いをした際に全て削除していたのだ。仮に彼女のハッキングでサイワンにすべてのアクセス権限を与えたところで消失した情報は閲覧できない。


「どこかにあるはずだ、300年前の研究の成果が。私は絶対に諦めないぞ。ナノマシンヒューマンとして生まれ変わり、あの市長に復讐する。そして私は人類全体の王となるのだよ。」


 サイワンはテーブルをバンと叩くと彼女の方へ近づいてきた。


「貴様、真面目にやれ。ここに当時の被験者がいたことは間違いがない。しかしカルテと製剤情報が全て消えているのだよ。それとも貴様まだこの私に歯向かうのか。」

「いいえ、司令官。私は命令をそのまま実――」


 彼女がそう言い終わる前に、ガシャンと床を大きく響かせて後ろに倒れた。サイワンが彼女のことを殴り飛ばしたのだった。


「貴様、電気爆弾とインベーダで壊れたのか?今の貴様には覇気もない。私が求めていたのは忠実なだけでなく、勇敢で、頭も切れる優秀な兵士なのだよ。貴様が私の部下を全滅させたのは本当なのか?もう一体の方を優先して収容したほうが良かったか?」


 サイワンが元の場所に戻ろうとすると、入口付近で警戒していた兵士が人影を発見し、慌てて報告した。


「隊長、下方より1名、接近中です。紫の車両、詳細は不明、確認します。」

「何者だ?サンプルの79番か、それともダンバースか?」


 兵士はヘルメット内蔵の機器を使って下にいる人物を確認している様子だった。


「いいえ、違うようです。そちらに転送します。隊長、私が迎撃に向かいましょうか?」


 その兵士は映像をサイワンに転送した。その映像には、彼らがいる管制塔のライブラリを見上げるようにプルートが映っていた。


「こいつか。これはもう一体のアリスフレームだ。もう動けるとは、素晴らしい自己補修機能だ。しかし向こうからやってくるとは、拾いに行く手間が省けたぞ。」

「隊長、なにか棒状のものを…あっ、視界から消えました!」


 兵士がそう報告する。事実、つい今までコンテナ車の横にいたプルートは既にそこにはいなかった。兵士の報告の直後に、窓の透明パネルが外れ、横にポンと飛び出した。


「隊長、窓が――」


 入れ替わるように、その兵士の目前に、プルートが飛び上がってきた。兵士が認識する間もなく素早く体を反転させて、まだ動く足の方で窓をキックし、反動でライブラリ内に飛び込んできた。ラリアットのような格好で兵士を張り倒す。プルートは手に持っていた日傘を素早く伸ばして横に振り投げると、空中で展開し、その後ろからセレスが現れた。その間、ラリアットで吹き飛んだ兵士はそのまま1回転半して転倒し、動かなくなった。


 一連の動きはあまりにも早く、サイワンは二人の特異な登場手段に気づかなかったようだ。


「アリスフレームと、その横の貴様は何者だ?」


 サイワンは機関銃を構えて二人にそう尋ねたが、プルートはそれに答えず、その代わりに指を高く掲げるとサイワンめがけて素早く振り下ろした。天井から突然吊り金具が飛び出し、彼めがけて飛翔する。彼もそれに素早く反応し、機関銃を横にして受け止めようとするが、その運動エネルギーには抗えずに後ろに倒れてしまう。


「あなたに構っている暇はありません。」


 プルートは浮かせた床タイルに乗ってサイワンの横を通り過ぎると制御室がある上のフロアへ登っていった。プルートへ向けて機関銃を撃とうとするが、超高速の金具の直撃を受けた機関銃は故障してしまったのか、銃弾が発射されることはなかった。


「なにっ、この不良品が!まぁいい、こちらにはあれがある。」


 サイワンはセレスの方を振り向いた。


「その奇妙な出で立ち、貴様もダンバースの部下ではなく、アリスフレームだな。」

「さぁ、どうでしょうか?」


 セレスは奥の階段へ向けてツカツカと歩きながら、サイワンの横を通り過ぎた、まるで彼には興味が無いように前しか見ていなかったが、そのままサイワンに語りかける。


「あなたもまた、興味深いですわね、隊長さん。ここは私の研究所の真上ですから、気中ナノマシンの濃度も濃いのです。あの子達の声、聞こえるのではなくて?」


 その姿を警戒していたサイワンは、セレスの視界が自分から外れたと思った瞬間に素早く拳銃を取り出し発射した。セレスはその日傘を素早く振り抜いて拳銃弾を迎撃した。


「ヴァルキリー、敵だ。排除しろ。」


 サイワンは先程殴りかかった彼女にそう呼びかけた。既に起き上がって端末の横にスッと立っていた。


「はい、司令官。武器の使用許可をお願いします。」


 サイワンは彼女に向けてAPBを放り投げ、彼女はそれを器用に空中でキャッチした。


「戦闘開始します。」


 APBを構えた彼女がセレスを攻撃しようと接近するが、身を翻してかわされる。


「先程から気になっておりましたが、どう見ても、やはりアリス様ですわね。しかし一体どうされたのですか?体調がすぐれない、というわけではないようです。」


 逃げるセレスを追って何度も斬撃を仕掛けるが、全てかわされてしまう。


「わたくしと戦いたい、と申されるのですね。良いでしょう。剣術も淑女の嗜みです。」


 そう言うとセレスは閉じられた日傘を伸ばしてまるでレイピアのように扱い、間合いを取りながら高速な突きを繰り出し始めた。先端部が鋭利になっており、武器としても使用できるようになっていた。


 一撃一撃の重さはないが、手数で圧倒する。あくまで牽制のつもりなのか、セレスも大きく踏み込んだ一撃を放っていない。意図的なのか、攻撃も当てていないようだ。APBはブロードソードと比較すると軽量とは言え、重量バランスがあまり良くない。セレスの動きに翻弄されてしまう。


「ヴァルキリー、どうした、真面目に戦え。私と戦ったときの貴様はそんな貧弱ではなかったはずだぞ。」


 サイワンのその言葉を聞いたセレスがあることに気づいたようだ。


「ヴァルキリー……、ああ、そういうことでございましたか。道理でアリス様の動きが美しくないと思いました。ではこういたしましょう。」


 セレスは重心を下げて大きく踏み込むと、日傘で突きを繰り出した。その距離はまだ離れている。その次の瞬間、セレスの体が霧のように消え、日傘だけが加速して銃弾のようにアリスに飛来する。アリスはそれを迎撃するようにAPBを振り下ろすが、狙いはアリスではなく、その横を通り過ぎて背後の窓の透明パネルへ向かっていった。窓に傘が突き刺さり、その窓は枠から外れ、落下していった。


 ライブラリに二箇所の大きな穴が空いたことで、風が通り抜ける。ステーションが生み出す上昇気流が入り込んでくる。窓の外ではセレスが日傘を広げて空中に漂っているように立っていた。もちろんそこに足場はない。


「ここを壊したことは、後であの人には謝っておかないといけませんわね。」


 ふわりとライブラリの建物内まで戻ってきた。アリスの表情は変わらない。サイワンは自分の目を疑う光景に考えを巡らせていた。


「貴様、一体何をした?」

「さぁ?」


 セレスは何も答えずに日傘をまたレイピアのように構えた。


「気中濃度も上がってまいりました。アリス様、次は、当てるつもりで行きますわよ。」


 セレスはアリスとの間合いをより詰め、攻撃を繰り出す。間合いの広いAPBの攻撃をギリギリでかわして、日傘の先端で肩、膝、腰などの関節部を何度も攻撃する。アリスはそれを避けるようなことをしなかった。しなかったのではなく、出来なかったのかもしれない。決して大きなダメージになっているわけではないが、動きの中心になる部分に執拗に攻撃を受けたことで動きが徐々に鈍ってくる。そしてアリスの斬撃を交わしたカウンター気味に額に攻撃をヒットさせる。アリスは大きくのけぞった。セレスがさらに踏み込む。


「ちょっと失礼。」


 そう言うとセレスはアリスの目の前にぐいっと近づいて前髪を掴み、彼女の顔を引き寄せ、瞳をじっと観察した。


「やはりそうですか。あとはあの子達に任せましょう。」


 アリスはお構いなしに接近したセレスにAPBで斬撃を加えようとした。しかしセレスはAPBが当たる前に霧散し、再び日傘だけが上方に発射される。そして空中に現れた彼女は、アリスのがら空きの首筋部分に武器を突き刺した。


 アリスがその場で倒れる。セレスはアリスの乱れた姿勢を少し整えると、今度はサイワンの方へ近づいていった。


「さぁ、隊長さん、次はどうされますか?女性を前に出して戦わせるというのは、いささか礼儀に反することと思いますわよ。」


 近づくセレスから逃げるように、サイワンはジリジリと後ずさっていった。


 ………

 ……

 …


 ダンは急いでバイクを走らせていた。このバイクにはナビゲーションが付いていないが、サイドカーに収まっているナナクの案内のとおりに進んでいく。ダンも概要は把握しているが、細かな道案内となると何度も歩いているナナクに地の利がある。


「この先に工場と公園が集まっているところがあるんだ。そこにあるエレベータでアリスのところまで行けるんだ。」


 ダンは運転しながら周囲を警戒していた。まだ攻撃ロボットも兵士もいない。更に進んで工業プラントのエリアまで進んできた。先ほどプルートが倒れていた付近へ行くと、兵士二人が作業をしていた。ダンのバイクに気づき、銃を構えて静止させようとする。


「ナナク、突っ切るぞ。頭下げろ。」

「待って船長。スピード緩めて。あの人、もしかして。あっ、やっぱりそうだ。停まって。」


 ダンはいつでも発進できるように警戒して、その兵士のかなり手前、バイクを器用に横に向けて停止した。その兵士はナナクに気づいた様子で銃をおろしてヘルメットのシールドを上げて声をかけた。


「何だ、お前か。船内に居たはずではないか?」


 先程ナナクが手当した兵士、アイアンキーだった。


「まぁちょっと、いろいろあってね。それよりもオジサン、何してるの。」

「仲間の救出と、あとはこのあたりに破壊された人型兵器があるから、それの回収だ。まだ動くかもしれないから、お前たちも気をつけろ。」


 ナナクは彼の話を聞いてピンときた。プルートのことを言っているのだ。


「プルートならば、もうここにはいないよ。そんなことよりオジサンも急いで帰らないと。このステーションはあと4時間で墜落するらしいんだ。」

「何をバカなことを言っているんだ。とにかく早く我々の宇宙船まで戻れ。ここは危険だと言っているだろう。」


 二人のやり取りに割り込むようにダンが口を開いた。


「バカはそっちだろうが。考えもなしにエンジン全開で噴きやがって。ここの軌道がズレたんだよ。お前らが今探してるプルートって奴が、軌道を戻すために管制室行ってんだよ。ぜってー邪魔すんじゃねぇぞ。」

<管制室?隊長が向かったのもそこですよ。>


 アイアンキーの後ろから近づいてきた兵士が今の話を聞いていたのだろう。彼の無線機を通して声が漏れてきた。その兵士はダンやナナクにも聞こえていることに気づいてハッとした表情をする。


「マジかよ、サイワンの野郎。アリスちゃんもきっとそこだな。ナナク、急ぐぞ。」


 ダンはそう言ってバイクを発進させた。スキール音を上げて加速していく。


「おい、お前らちょっと待て。」


 アイアンキーが呼び止めるが、それを無視して公園の脇を過ぎてエレベータ目指して走っていった。途中で見えた管制塔へ向かうゲートは、やはり閉まったままだった。そして工業プラントの脇のエレベータに到着し、そのまま滑り込むように二人は乗り込んだ。すぐさま上昇ボタンを押す。


「船長、管制塔へどうやって入るつもりなの?」

「管制塔のエリアにもエレベータがあるんだよ。上で繋がってるだろ?そこを通って降りていこう。」


 エレベータが上のメンテナンスパイプスペースに到着し、二人は銃を持って警戒しながら進んでいった。しかし兵士が現れる様子はない。殆どの戦闘員はアリスが倒してしまった上に、残りは管制塔と工業プラントとエンジン復旧に割り当てられている。通路の窓からは時々下の様子が見える。もう少しで強襲艦に近づくというところで、ダンが管制塔にいるアリスに気付いた。


「ナナク、あれアリスちゃんじゃねぇか?」


 ナナクもダンが示す先を見る。


「そうだ。あっ、セレスとあいつもいる。」


 アリスが倒れ、セレスがその隣に立っている様子が見えた。その前にはサイワン。ナナクは建物から伸びている通路を目で追うと、ちょうど今いるメンテナンスパイプスペースに繋がっていることが分かった。彼は指を差して言った。


「あのドアのところから降りられるのかもしれない。」

「よし、近道だろうな、行くぞ。」


 二人は通路の階段を目指して駆け抜けていった。


 ………

 ……

 …


 管制塔のライブラリのフロアではセレスの打撃を受けたアリスが倒れていた。ゆっくり近づくセレスにサイワンは後ずさる。


「ヴァルキリー、立て!……まったく、この役立たずが!」


 彼はそう言うと、先程プルートのラリアットで倒された兵士が持っていた自動小銃を拾い上げ、セレスに向けて撃とうとしていた。


 ところが突然耳元に聞こえた声にその手を止めて飛び退いた。かすれたような子供の声が彼の頭に直接響く。


「ねぇ……えっと、隊長さん、かな?もうやめたほうが良いよ。ああ見えても、お嬢、すごく怒ってると思うよ。この前も、隊長さんよりもずっと若いお兄さんが来たんだけど、それとは違う感じ。今度は本気みたい。」


「だ、誰だ。どこにいる?」


 サイワンは周囲を見回したが誰もいない。その様子を見たセレスが微笑む。


「やはりあなたにも聞こえるようですね。この子達の声が。ようやくわかりましたよ、ナノマシンチャイルド。失われた技術のはずですが、今はなんというのかしらね。」


「貴様、それを何故っ!……や、やめろ、黙れ!私は退かぬ。ここまで来て諦めるか。」


 ナナクが地下の研究所で聞いた幻覚と同じだろう。サイワンが虚空に向けて怒鳴り散らしている。この管制室はナノマシンの研究所の大きな吹き抜け天井の真上にあたり、空気循環のための上昇気流に乗って大量のナノマシンが舞っている。


 アリスの方にも同時に変化が訪れる。輪郭のはっきりしない人影のような物体が、以前水槽でそうしたように彼女を引きずり降ろそうとしている。今回は何の抵抗もなく窓の外まで引きずられ、吹き抜けの開口部を通して落下していった。


 ところがサイワンやセレスが見るアリスの体はその場に倒れたままだ。


「ぐっ、だあぁ!一体何だ、今のは。」


 突然アリスがそう言って飛び上がった。武器を取ってサイワンともセレスとも距離を取る。セレスが反応する。


「あら、おはようございます、アリス様。お困りのようでしたので、あの子達にお願いしました。でも、何故あのようなことを?」

「このサイワンとかいう輩に一泡吹かせるつもりだったのだよ。タイムアウトでALIが復帰するようにしておいたのに、わざわざ余計なことをしおって。」


 セレスは畳んでいた日傘をさらにコンパクトに縮めた。アリスが復帰したからもう自分が戦う必要はない、とでも言うようだ。


「しかし、もうあまり時間が残されておりません。あと4時間ほどでこの『リング』は大気圏に落下してしまうのです。」

「ああどうせそんなことだろうと思っていたよ。だったら早く私のALI、人格のパターンを返せ。あれがないと、この男が倒せん。本気でやらないとだめだ。」


 セレスは指で下を差して答えた。


「それはわたくしではなく、あの子達に聞いていただけませんか?下のあの水槽にいるのではありませんでしょうか?」

「ふざけるなよ。時間がないと今お主が言ったのだぞ。」


 アリスは今にもセレスに斬りかかりそうな勢いだ。しかし彼女は至って落ち着いた様子で話を続けている。


「あの隊長さんでしたら、もう戦うどころではないようですから、お好きにしたらいかがですか?」


 先程からサイワンは半ば錯乱状態に陥って腕を振り回し、自動小銃を空に放ち、喚き散らしている。


「黙れ!黙れ!軍を甘く見るなよ。貴様ら全員まとめて吹き飛ばしてやる。」


 サイワンがそういった直後に、ベルのようなとてつもなく大きな音が響いた。2つのパイプ状の物体が3人のちょうど真ん中に転がってきた。


「あら、それはいけませんね。」


 セレスは即座に日傘を伸ばしてそれを窓の外に向けて振り投げると姿を消した。サイワンは後ろに飛び退いて伏せていた。爆発物の類だととっさに判断してアリスも机の後ろまで飛び退いて伏せる。


 その直後に軍用のグレネードが爆発した。指向性設定をしていなかったその大きな爆風は天井を吹き飛ばして、プルートが作業していた上の制御室ごと破壊し、吊っていた管制塔そのものを崩壊させた。サイワンが高らかに笑っていた。


「フハハハ、軍の力を見たか。貴様ら小市民が私に歯向かうとこうなるのだよ。」


 床が大きく傾き、部屋まるごと30m下の床面まで落下を始めた。落下した管制室は、ちょうどその下に位置していた研究所の吹き抜けとその周囲の天井部分を破壊した。サイワンは瓦礫の上に叩きつけられ、アリスはそのままシャロン達をはじめ過去のアリスフレームが沈められていた水槽に落下した。


 ………

 ……

 …


「船長!今の爆発音は何!」


 ナナクとダンはサイワンたちが通ってきた同じ通路を進んでいた。その途中で爆発音を聞き、通路が大きく揺れ始めた。


「一体何が起こってんだ?急ぐぞ。」


 揺れはすぐに収まり、二人は再び進み始めたが、すぐにその爆発の原因を知ることになる。通路が途中でなくなっており、その30mほど下には瓦礫の山が出来上がっていた。


「おわぁ!ナナク、止まれ!」

「建物がなくなってる。」


 二人は落ちないように這いつくばって下を覗き見たが、既にエリア全体は停電しており、様子がほとんど分からなかった。採光窓から入り込んでいる細く強烈な太陽光が瓦礫と周囲を舞う砂埃を輝かせていた。


「アリスちゃんはどこだよ。あの中にいるのか?」


 二人はしばらく崩落した管制塔と研究所を見つめていた。舞っていた砂埃が徐々に消えて、下の様子が見えるようになってきた。


「行かないと。あの子を、アリスを助けに行かないと。」


 ナナクはそう言うと立ち上がった。


「行くって、一体どうやって行くんだよ。エレベータももう停まってるぞ。それに、アリスちゃんならば大丈夫じゃねぇか?交通事故くらいじゃ壊れねぇって言ってただろ?」

「そうだとしても、とにかくあの場所から助け出さないと。」


 そういうナナク自身も、実際どうやってアリスのもとまで行くかどうか、考えあぐねていた。エレベータも停まっており、管制塔のエリアへ入るゲートも閉じており、残るはセレスが知る農場脇の外縁部の抜け道だけだが、そのルートを詳しくは知らない。地下から研究所に着いたところで崩落している可能性もある。


「ナナク様、お困りのようですわね。」


 突然、上から声をかけられた。通路の天井の上の方から声が聞こえる。そこから日傘を開いて軽く飛び上がったセレスは、二人の前でフワリと浮き上がり、崩落した通路の先端ギリギリにゆっくりと降り立った。その様子を見たダンは目を疑った。


「どうなってるんだよ……。」


 一方でナナクはもう驚かなかった。アリスだけでなく、シャロンやプルートなどの信じられないような行為を何度も目にしていて、彼女たちはもうそういう存在なのだとそのままを受け入れていた。


ただ単純に、彼女がいつ通路の先端から落ちるのではないかと、ナナクは気が気でなかった。


「そうなんだけど、そこ、危ないよ。」

「あら、ご心配いただけるのですね。でも、これからあなた、アリス様のいる下に向かわれるのでしょう?」

「そうだ、どうやって行けばいい?この際、多少危なくても構わない、何かあるんだろう?教えて欲しい。」


 そう言うナナクをセレスは改めてじっと観察した。


「良い目付きをしていますね。ナナク様ならできるでしょう。これをお使いください。」


 セレスは持っていた傘を前の方へ差し出した。


「え?どうするの?」

「これを持ってここから飛び降りてください。ナナク様の体重とその銃を支えて、怪我をしない程度の落下速度にするくらいはできるでしょう。この子達にも手伝ってもらいましょう。」


 セレスの言葉の呼応するように、どこからともなく声が聞こえてきた。


「お兄ちゃん、こんなところにいたんだ。私達のこと見える?ちょっと難しいかな。少しの間、支えておいてあげる。お嬢のお願いだから特別だよ。それにしても今日はお願いが多いよね。」

「ごめん、やっぱり見えないんだ。」


 ナナクはその声をもう不思議には思わなかった。


「あー、兄さん、アタシの声聞こえる?なんか面倒なことなってんね。それで、兄さんの持ってるその大きな銃だけど、その位置だと空中でバランス悪ぃよ。肩から降ろして腹の少し下で抱えな。重心を意識して。」


 聞き覚えのある声だった。その声に従い銃を下ろして前で抱える。


「そうそう、いい感じ。それじゃ、アタシ忙しいから下に戻るわ。」

「ありがとう。これなら何とかなるよ、きっと。」


 この様子を見ていたダンは不思議だった。ナナクが聞いていたこの声はダンには聞こえていない。ナナクはセレスの傘へ向けて手を伸ばす。


「おい、ナナク。お前何の独り言言ってんだよ。そんな小さいので降りられるわけねぇだろ。」


 ナナクはその声を無視してその傘を受け取ろうとした。同時に傘を持っていない方の手を掴んで、崩落した通路の先端から引き入れようとした。ところが、ナナクが彼女の手を掴もうとすると、彼の手は空を切り、彼女の体をすり抜けてしまった。


「ええ?」


 これにはナナクも驚いたが、セレスは伸ばした人差し指一本を唇の前で立てて「秘密ですよ」とでも言うようなポーズをした。そして傘を受け取ったと思ったその直後、彼女は忽然と姿を消した。


「アリス。今行くよ。」


 ナナクはそのまま一歩を踏み出した。後ろでダンが呼び止めようとする。


「ナナク、おい馬鹿やめろ。」


 ナナクの足が通路の端から離れた。最初1メートルほど体が落下し、セレスの傘に引っ張られるようにぶら下がった。傘を持つ左手に力がかかる。そのままゆっくりと降りていった。


「あいつ、行っちまいやがった……。」


 ダンは下を見つめていた。


 ………

 ……

 …


 管制塔エリアの地下、瓦礫の散らばる研究所にはサイワンが倒れていた。彼と行動していた兵士はその横で崩れた大きな建材の下に潰されており、既に絶命していた。一緒に落下したと思われるプルートは見当たらない。そしてアリスはその研究所の大きな水槽に沈んでいた。


「ねぇ、お姉ちゃん。起きて。起きてよ。」


 どこからともなく子供のような声が聞こえる。


「あれ?私……私は……誰?名前……。」


 彼女は目を開けようとしたが、体の感覚がなくそれができなかった。代わりに『視る』とだけ考えて意識を集中させた。すると、ゆらゆらと揺れる水面が見える。今いるのは水中だろうか。


「大丈夫、ここでは名前はいらないよ。それに、あなたの名前、あそこから落ちてきてみたい。」


 声だけだったが、あそこから、と言われたのがなぜか水面の上に揺らいで見えるぽっかり開いた空間だというのはわかった。彼女は聞いた。


「あなたは誰?」

「誰だろう?もう混ざり合って分からなくなっちゃったんだ。ひとりじゃないよ。」

「私、何かをしなければいけなかったような気がする。でも思い出せないの。」

「そうだろうね。ここには記憶が無いんだから。名前と同じ。さっき落ちてきたみたいだよ。行ってみる?」


 その声に誘われるように、彼女は動いた。しかし体の感覚がない。本当に動いているかはわからない。動いているという意識だけがそこにある。その動きは彼女にもゆっくりだと感じられた。


「お姉ちゃん、ここまで来たのに私達と混ざろうとしないんだよね。なんで?……そっか、思い出せないんだよね。」


 彼女はその声に導かれるように、『落ちてきた』と言われるものの前までやってきた。そこには穴だらけの赤いワンピースを着た少女が沈んでいた。


「私、行かないといけない。あの中に。」


 彼女は周囲の声に対してそう答えた。


「せっかくここまで来たのに、どうして?せめて一回、お嬢のお話を聞いてからにしない?もうすぐあの場所、地球まで還れるんだって。私達が昔いたところ、過去のあの場所に戻れるんだよ。」

「それでも、私は進まないといけない。何か大切なものを置いてきてしまったようなの。」


 彼女は繰り返した。


「大切なもの?それは何なんだろうね?」

「わからない。けれど、今ここに落ちてきたのはきっと意味がある。だから私は行かないといけない。」


 彼女の決意は固かった。


「そっか。どうしても行くんだね、未来へ。だったら、私達もちょっとだけ連れてってくれないかな?ほんのちょっと、一部だけでいいんだ。見てみたいの。」


 周囲の声がそう言うと、背中をぐっと押されるような不思議な感覚で、その沈んだ少女の体の中に押し込まれた。そしてまた意識を失った。


 ………

 ……

 …


 水面の上、その水槽の横ではサイワンが鼻と口から血を流して朦朧としていた。軍用宇宙服のヘルメットは大きくひしゃげて、足も妙な方向に曲がっている。


「あれ?隊長さん?まだ生きてるんだ。人間なのにすごいね。でもちょっと人間とは違うのかな?」


 サイワンの耳にまた幻覚が聞こえてきた。彼は執念で腕を動かし、起き上がろうとしたが、全身に大怪我を負っており、それも叶わない。多少重力が弱いとはいえ、30メートルの高さから落下したのだ。軍用の宇宙服であってもその衝撃を防ぐことはできなかった。


「隊長さん、そのままだと死んじゃうよ?そんなに必死に何をしたいの?」

「私は、こんなところでは死んでたまるか。ナノマシンのすべてを手に入れ、あの市の奴らへの復讐をするまでは!」

「う~ん、よく分からないけど、これをあげる。その気持ちの強さがあれば、使えると思うんだ。」


 そう聞こえたあと、サイワンの頭の中に熱い何かが入り込む感覚があった。頭の中に赤く焼けた鉄球が転がるような苦痛。思わずサイワンは絶叫を上げる。


「ぐああぁ~。やめろっ!」


 彼はその苦痛から逃れるように起き上がろうとした。すると、その熱さは全身をめぐり、手足の先まで行き渡った。そして折れていた足や腕を物ともせず、彼は立ち上がることができた。あれ程の大怪我を負っていたのに、痛みも消え、両足でしっかりと立つことができた。そして周囲を見渡すと、研究所には霧のようなものが立ち込めていた。


「一体何が起こった……?ここは、ナノマシンの研究所!」


 そして彼はセレスが言っていた、ナノマシンの気中濃度、という言葉を思い出した。あの時は気に留めていなかったが、今になって彼は理解した。まるで周囲の空気と一体化して舞い上がれるような、不思議な高揚感を覚えていた。


「フハハハッ、これかっ。ナノマシンの散布……何故今まで気づかなかったのだ。ついに発見したぞ。300年前のナノマシン研究の成果だ!」

「えーっと、隊長さん、それはちょっと違うと思うの。その力の本当の使い方、それは――」


 彼はその言葉はもう聞いていないようだった。全身にみなぎる力を抑えきれず興奮しきりだ。


「これで奴に勝てる。待っていろ。虫けらのように殺してやる。どれだ?どの装置だ?このナノマシンを散布しているのは?持ち帰れば私は無敵だ。」


 周囲を漂う霧がより濃くなる方へ彼は向かっていった。そしてアリスが転落していた水槽にたどり着いた。そこには彼女が目を閉じて、仰向けに浮かび上がっていた。サイワンが彼女に手を伸ばし、その髪を掴んで引き上げた。水槽の縁で頭から宙吊りになる。


 彼女の全身の傷は全て塞がっていた。水槽の性質だろうか、いつの間にか全快していたようだった。同様に、サイワンはますます活力がみなぎってくるのを感じていた。


「ヴァルキリー。アリスフレーム、まさか貴様か?鍵になっていたのは。ククッ、私は何と愚かだったのだ。貴様をただの兵器とするつもりだった。そうではないのだな。よし、我が糧となれ。私は世界の王となるのだ。」


 サイワンはそう言ってアリスを完全に水槽から引き上げようと持ち上げた瞬間、背後から彼女を呼ぶ声を聞いた。


「アリス!」


 ナナクだった。セレスに渡された傘を持って、ちょうどその近くまで降下してきたのだ。足場が悪く、着地の瞬間に転倒してしまった。サイワンの注意が一瞬ナナクの方へ移った。その声を聞いたからなのか、それともチャンスを狙っていたのか、サイワンが視線を外した瞬間に彼女がカッと目を開いた。ほぼ同時に強烈な蹴りがサイワンを吹き飛ばした。反動で彼女も反対側へ飛ぶ。彼女はそこからさらに、地面に突き刺さっていた柱を蹴ってサイワンの方へ飛び、APBで腹に強烈な一撃を食らわせた。宇宙服の装甲を切り裂き、肉体を直接傷つける。既にAPBは機能していないが、もはやそのようなことは関係なかった。あまりの負荷にAPBがバラバラに砕け、その破片が背後に飛び散った。


「あなたはさっきから好き勝手に何を言っているの?ナナクやダンさんがどれほど危険な目にあったか。ここの人達全員をどれだけ巻き込めば気が済むの?」


 ナナクが起き上がり、瓦礫を乗り越えて近づいてきた。


「アリス、もしかして、元に……戻ったの?」


 アリスは答えない。自身でも状況の全てを把握できていなかったし、今はそのような話をしている余裕はない。


「ぐっ、貴様、目を覚ましたのか。」


 アリスは答えない。その答えは明らかだった。


 サイワンは腹部から大量の血を流していた。彼女の武器が砕け散るほどの力で叩きつけたのだから、常人であれば致命傷となりうる。それでも彼は立ち上がった。アリスは何かがおかしいと困惑していた。


「もうやめなさい。そのままだと本当に死んでしまうわよ。」


 霧状に漂っていたナノマシンが彼の腹部に集まり、傷口を埋めた。彼は横に転がっていた銃を拾い上げた。


「このようなかすり傷、どうと言うことはない。アリスフレーム、貴様をもう一度倒して持ち帰る。さぁ、武器もないのにどうする?」


 彼は自動小銃をフルオートで撃ってきた。アリスは逃げない。今の彼女は逃げる必要もなかった。肩を下げて上半身を翻らせる。胸の前を無数の銃弾が一つ一つ通り過ぎて行く様子が彼女には見えていた。彼女の姿勢の変化を察知してサイワンも銃で追いかける。上体を起こして一歩右に移動すると、同様に左足ギリギリを通過する。銃撃はそこで止まった。全ての弾を打ち尽くしたのだろう。


 アリスがそう思った瞬間、サイワンの目付きが変わる。最後に残っていた3発の銃弾を一斉に発射した。


「ロボットの貴様には、この動き予想できるか!」


 アリスはそもそも予想などする必要がなかった。そのすべてが見えていた。飛来する銃弾の1発目と2発目を両手で握りつぶし、最後の3発目はつま先で蹴り上げて軌道をそらした。最後の銃弾は首筋のすぐ横を飛び去っていく。


「ナナク、あなたは下がっていて。」


 アリスはナナクにそう伝えると、彼は対物ライフル銃を担ぎ直してサイワンを警戒しながら後ずさる。その言葉は逃げろという意味だったのかもしれないが、彼は逃げるつもりはなかった。瓦礫の影で対物ライフルの準備を始めていた。サイワンはもうナナクには興味を持っていないようで、彼をちらりとも見なかった。


 アリスは握っていた銃弾を野球のピッチャーのようなフォームでサイワンに向けて高速で投げ返した。それは銃弾のように飛翔し、彼の宇宙服の胸部装甲に深くめり込んだ。サイワンがそれを認識したことを確認すると、もう一つの銃弾をつまんで自分の額をトントンと叩いた。まだ弾は一発残っている。その気になれば頭部を直接狙える、とでも言うようだった。それは降伏の勧告だった。


「そうかそうか、貴様に銃は効かない。そう言っていたな。」


 サイワンはそう言うと銃を下ろして近づいてきた。彼は全く退くつもりはない。


「ここにいると力がみなぎってくる。ナノマシンの力だ。今なら貴様を叩き潰すことだってできるのだぞ。」


 彼は銃身の先端部分を握ると、自動小銃を棍棒のように扱って走ってきた。彼は銃を振り上げると、力任せに上から叩きつけた。アリスは横に飛び退いてそれをかわすが、下の瓦礫が叩き割られて大きな塊となって吹き飛んだ。


「フハハハッ、素晴らしい、素晴らしいぞ。この力。これが貴様の持つ――」


 サイワンが言い終わる前に、アリスの後ろ回し蹴りが炸裂した。アリスは瓦礫の壁に倒れ込んだ彼を追撃する。殴り、蹴り、そして棍棒にしていた銃を奪い、全身を殴打する。あまりの速さにマシンガンのような音が研究所に響く。殴っていた銃は曲がり、背後の壁も穴だらけになりガラガラと崩れ去った。頭部や今破壊したばかりの腹部など、体がむき出しの部分はあえて狙わず、宇宙服の装甲部分を徹底的に破壊しているようだった。それでもその衝撃で足は折れ、腕は曲がり、もう彼をどう見ても戦闘不能の状態だった。彼の前にアリスが立っている。


「あなたが何かをすると、その分だけ人が死ぬの。もうここから帰りなさい。」


 彼女は水槽の横の大きな瓦礫を持ち上げ、その下で潰されて亡くなっていた兵士を引きずり出した。


「なんてひどい。人間はこうなったらもうおしまいなのに……。あなたの宇宙船まで連れて行ってあげる。仲間にきちんと弔ってもらいなさい。」


 その様子を見ていたナナクは物陰から動けなかった。兵士の亡骸を運ぼうとする彼女を手伝おうとしたが、足が動かなかった。強襲艦内にいた何人もの倒された兵士、そして格納庫の前でのアリスとサイワンが戦う様子、それを見てナナクはアリスの強さ、恐ろしさを理解したつもりでいた。


 しかし彼女は言っていた。本来の自分の強さは遥かに高次元だと。セレスに奪われたプログラムを取り戻した今の彼女が、まさにその状態なのだ。相手が最強の軍人であったとしても、それがただの人間ならば、銃も剣も要らない。圧倒的な暴力がそこにあった。これがアリスの100%の能力だ。ナナクは思った。大脱出前後の地獄のような時代の雪玉、いや『地球』を生き抜いてきた彼女に、24世紀の人類が敵うはずがない、と。自分には想像もできないが、地球を人類が埋め尽くすほど繁栄していた時代の戦争は、それは凄惨な状況だったに違いない。そんな時代に最終戦略兵器として作られた、という意味をまざまざと見せつけられた。市が持つ最強の軍隊の最強の隊長であっても、その体一つだけで叩き潰してしまうのだ。


 ナナクは身を乗り出して、再度サイワンの方を見た。彼と一瞬、目が合う。するとボロボロの人形のように瓦礫の上に寝ている彼が話しかけてきた。


「サンプル79番。そこにいるのだろう。お前だよ、79番。」


 サイワンはナナクに呼びかけたが、当然彼は反応しない。


「ナナクをその数字で呼ばないで。ナナクは関係ない。あなたの勝手な願望に巻き込まないで。」


 アリスがそう言い返すが、サイワンはそれを無視して続けた。


「アリスフレームを殺れ。お前にもできるはずだ。ナノマシンの力を使えばな。」


 ナナクには何の話か全く心当たりがない。そもそも彼自身、自分が連れ去られたのは人違いかと思っているほどだ。


「なんなんだよ、あんた、さっきから。僕だけじゃなく、アリスやプルートにもあんなひどいことをして。船長があんたを嫌っていた理由が分かる。大人がみんな軍のことを嫌っていた理由も今なら分かる。」


 ナナクは重く大きな対物ライフル銃を構えてサイワンに向けた。もちろん撃つつもりはなかった。しかし大きなライフル銃を向けられてもなおサイワンから放たれてくる覇気が、言いようのない恐ろしさを漂わせていた。


「お前までも……。どいつもこいつも役立たずばかりめ!私はこれから人類の王になる男なのだぞ!もういい、私一人でこの計画をやる。」


 そう言うと最後の力を振り絞って、腰部のホルダにいれていた拳銃を片手で取り出して引き金を引いた。サイワンは満身創痍とは言え、目標を正確に狙って銃弾を放つ。その銃弾はナナクへ向けて飛んでいく。サイワンの動きを警戒していたナナクは身を隠そうとするが間に合わない。


「うあ゛っ。」


 銃弾を受けたナナクがその場で倒れる。アリスはサイワンの動きに反応して、握っていた残り一発の銃弾のかけらをサイワンに向けて投げつけていた。ライフル銃のような速度で飛んでいくその欠片は、破れた宇宙服の装甲の間を抜けて、サイワンの右肩の付け根辺りを貫通した。


「ナナク!」


 アリスが彼に駆け寄る。嗚咽を漏らしながら頭を抱えてうずくまっていた。彼が抑えているところから血が流れ出していた。肩を抱えて上体を上げると、痛みに口を歪めながらもアリスの方をしっかりと見つめていた。はっきりと意識はある。状況から考えて脳や頭蓋骨へのダメージとはなっていないようだが、早い処置が必要そうだった。


「アリス、僕は大丈夫だ。めちゃくちゃ痛いけど、まだ生きてる。」

「それは大丈夫って言わない。」


 アリスはナナクのカバンから、包帯を探し当てていた。二人の兵士を助けたときに、小さい包帯なら持っている、と言っていたことを覚えていた。本来は傷口の洗浄や頭髪の処理などをしないといけないところだが、そんな時間の余裕はない。大雑把に消毒液をかけると、保護シートを張り、包帯を巻き付ける。ナナクが先程兵士の手当をしていたときと同じやり方だった。包帯の長さが全く足りないが、贅沢はいっていられない。一旦止血して、宇宙船に帰り着いたらやり直せば良い。


「ナナク、歩ける?」

「うん。帰ろう。」


 アリスはナナクの肩を支えて立ち上がった。先程引きずり出した兵士の亡骸へ向けて話しかけた。


「兵隊さん、ごめんなさい。生きている人を優先しないといけないの。」


 そして彼女はサイワンの方も見た。すると、彼は立ち上がろうとしていたのだ。


「まだだ、まだ終わらんぞ……。私はこんなところで負けるわけには行かないのだ……。」


 彼は息も絶え絶えでそう言いながらもがく。しかし全身に重傷を負っており、立ち上がれるはずがない。彼をそのまま放っておけば、おそらく間もなく死ぬだろうが、まだ救出のために動ける兵士は何人かいたはずだ。ここで無理に動けば本当に死んでしまうだろう。アリスはもう何も言わなかった。


 すると、サイワンに変化が訪れた。霧状に漂っていたナノマシンが再び彼のからの周辺に集まりだした。アリスは彼を警戒してナナクを一旦その場で座らせる。集まったナノマシンは手足や体に取り付き、形を作り始めた。腕や足、そして全身の筋肉が膨らむ。既にボロボロだった宇宙服がちぎれ始めた。


「これだ、これだ、私が求めていた力だ。私は無敵だ。死なない体だ。これこそが私の復讐のための……。」


 サイワンは心身ともに異様な姿になっていた。手足は不規則に膨らみ、岩か肉の塊のようになっている。怪物のような姿になって立ち上がった。その身長も2メートルをゆうに超えるだろう。


「あがぁ……。熱い。熱いぞ。いや、違う。すべてが憎い。破壊だ。全て破壊してやる。フハハハッ。ヒャヒャハヤアァァ。」


 その姿にアリスも怯んで思わず後ずさる。しかし今戦えるのは自分だけだと奮い立たせる。すると、先程水槽の中で聞いていた子供の声と、その声の主の存在を急に感じられた。以前その声に水槽に引きずり落とされたことを思い出し、彼女は戦慄し、思わず更に一歩下がる。ところが今回は違っていた。その声が語る。


「あーあ、隊長さん。やっぱり失敗しちゃったね。その力はそういう使い方をしてはいけないの。お姉ちゃんは知ってるよね。」


 その声の主は、はっきり目で見える訳では無いが、たしかにそこにいて、アリスに振り返ってそう言ったように感じられた。アリスはその言葉の意味を理解していた。ナノマシンは君の意志に従う。過去に彼女の生みの親に言われたことだった。


 彼女が普段から体を動かしているのは、自身の意志で自らの身体を構成するナノマシンを制御しているからだ。つまりその能力を持ったものは、体の延長として自分の体だけでなく、周囲のマシンを操れる。プルートがステーション内の設備を自在に動かしていたように、サイワンも周囲のナノマシンを自身の強化に利用しようとした。しかしそれには意志だけでなく、具体的なイメージと目標が必要だ。今のサイワンには敗北の恐怖心と、復讐心しか無かった。それだけだった。ナノマシンはそれに呼応した。方向性がなくひたすら強いだけのサイワンのその意志は、彼の新たな肉体にそのまま反映された。


「アリスフレーム。まずは貴様だ。貴様を破壊して、すり潰す。もはや貴様が動いている必要など無いのだからな!」


 彼はその力を誇示するかのように無意味に周囲の瓦礫を殴り飛ばしている。それとももうアリスがどこにいるか分からなくなっているのかもしれない。


「哀れね。本当に。それがあなたの本当にやりたかったことなの?」


 アリスはそうつぶやいた。もう彼の耳にそれは届いていないだろう。


 すると先程の声がまた心の中に響いてきた。


「ねぇ、どうしようか?あの隊長さん、もう自分が分からなくなってる。あの力には正しい使い方があるのに、伝えようとしたけど、それを聞いてもらえなかったの。」


 その声にナナクが反応した。


「あのさ、聞いて良い?正しい使い方、ってなに?」


 その声はナナクにも同様に聞こえていた。先程からずっと会話をしている相手だった。むしろその事実に驚いたのはアリスだった。


「ナナクにもこの声が聞こえるの?不思議ね。」


 これはプルートと話していたときと同じ、アリスフレームにしかできないコミュニケーション方法だと思っていたので、彼女は少し不思議だった。その声が答えた。


「そういえばお兄ちゃんにもこの前あげたよね。この前は上手くできてたよね。自分の体の延長を作るの。何をしたいかじっと考えて、その姿を思い浮かべて、少しだけ未来の自分を作る。でも、あの隊長さんにはその両方ともできなかった。」


 集中力と想像力。プルートが言っていたこと同じだとナナクは思った。ナナクはプルートがやっていたように足元の小石を銃弾のようにサイワンに飛ばそうと、動け動けと念じてみたが、まるで動く気配がなかった。


「ぜんぜん違うよ。」


 その声が否定する。もし出来たら出来たで、自分があのサイワンのようになってしまうのかと思うと恐ろしくなった。


 当のサイワンは一人で絶叫し、暴れている。アリスの応急処置でナナクの頭の出血もだいぶ収まり、動けるようになってきた。サイワンを無視してアリスを連れて宇宙船まで帰るかどうか考えていた。


 その時、足元に振動を感じた。周囲を見回すと、採光窓の先で、軍の強襲艦が離れていく姿が見えた。このステーションの軌道が外れて墜落寸前だというのは彼らも当然知っているのだろう。ここにいた兵士は既に死に、先ほど工業プラントにいた二人ももう戻った頃だろう。生存者全員の搭乗が終わり、ここに一人残っている遺体の回収は諦めて緊急離脱したのだ。ここにいる唯一の生存者、隊長が置き去りだが、軍用の宇宙服はもうばらばらになっており、彼の生存を示す信号のようなものがあるならばとっくに喪失しているだろう。そもそも彼はまだ生きていると言ってよいのだろうか。アリスは先程、サイワンのことを哀れだといったが、ナナクも同じ気持ちだった。


 そういう自分たちにもあまり時間の余裕はない。月と違って遥かに強力な重力を持つ雪玉に引かれたら脱出ができなくなる。ステーションとともに墜落する。急がなければいけない、とナナクは立ち上がった。サイワンも、自らが隊長を務める宇宙船の離脱に気が付いた。


「あいつら、この私を置いて……。許さんぞ。許さんぞー!」


 サイワンはそう憤ると、壁に突き刺さる大きな鉄骨を太く肥大した両腕で掴んで、強襲艦めがけて放り投げた。その鉄骨は窓を破り、強襲艦に命中した。しかし戦闘を前提とした軍用宇宙船に鉄骨一つがぶつかったぐらいで墜落するはずがない。装甲板を一つ叩き割っただけで、その鉄骨は宇宙空間に消えていった。突き破った窓からは急速に空気が失われていく風切り音が聞こえ始めた。


「そこか、見つけたぞ。貴様らの宇宙船を奪えばよいのだ。」


 窓を破って少し冷静になったのか、サイワンは暴れるのをやめ、アリスとナナクを睨みつけた。宇宙船を使ってこのステーションを離れる前に、サイワンとの決着を付ける必要があるようだ。


 最後の戦いが始まる。

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