第11話:鎖鎌

     ――― いくらあなたでもそれは大変ではないかしら

         どの分野にでも徹底している人はいるものよ ―――




 爆弾処理に成功したアリスとダンは宇宙船の中まで戻っていた。


「アリスちゃん、今回は本当に助かった。ありがとう。」

「さて、船長。聞かせてもらおうか。あの連中がお主を殺そうとした理由を。」


 アリスは怒っているようにも見える。ダンを爆殺しようとしたことなのか、それともダンの発言で時限爆弾を結局自分の目の前で爆破処理せざるを得なくなったことなのか。怒り狂っていたのはダンも同様だった。


「そうだサイワンの野郎、ふざけやがって!まだ近くにいるはずだ。ぜってーにぶっ殺す!」


 そう言って宇宙船の中に戻っていこうとした。武器でも取り出そうというのか。


「おい落ち着け。まず私の質問に答えてくれないか。なぜ爆弾など仕掛けられたのだ?お主は昔、軍にいたのだろう?恨みでも買っていたのか?」

「今更そんな訳あるか。サイワンとは仲が悪かったが、別に恨むような間柄じゃねぇよ。」


 聞き慣れない名前が出てきてアリスも話の全容が理解できない。


「サイワン?それは軍人の名か?」

「昔の同僚だ。あいつ、キャノンボールの隊長になってやがった。あいつが行きそうな役職だよ。それで、あいつはナナクに用があったらしい。昔の知り合いだと言ってたが、ぜってーウソだと思った。いないって言ったのに、俺を機関室に縛り付けて船内を散々探した挙げ句に出てったよ。とにかく今はナナクが心配だ。」

「ナナクと離れているからか、私の無線機はつながらん。お主ならコックピットに戻れば通信ができるだろう。」


 二人はデッキまで駆け上がり、ダンがコックピットに座り、アリスはその後ろに立ってコックピットの通信コンソールを見る。マップ上に赤いマークが点滅していた。マップの形状からすると工業プラントのエリアの入口周辺だろう。


「おい、ナナク、応答しろ。こっちは無事だ。アリスちゃんもいる。ナナク、応答しろ。無事か?」


 ダンがナナクを呼びかけた。するとなにやら争うような音の後に、聞き覚えのない男の声が聞こえてきた。


<おい、動くなよ!こいつで腹に穴あけられてぇのか!>

<それにしてもこのガキ、でっけぇ武器持ってるな。なぁグレイ。それ、俺にくれよ。似たようなヤツが出てきたらそれで穴だらけにしてやる。>

「ナナク?おい、お前誰だ。」

<あん?無線機か、こいつ。>

<すぐに取り外せ。こちらが逆探知されるぞ。>

<あ、船長!船長!>

<うるせぇぞ。黙って付いてこい。>

「ナナク!お前らナナクに何してやがる。おい!」


 それっきり無線機から声が聴こえてくることはなかった。


「くそがっ!」


 ダンがコックピットの端部分を思い切り殴った。ガラス部分にヒビが入り、エッジの樹脂部品が弾け飛んだ。アリスが問う。


「あの連中の目的は本当にこのステーションの中身なのか?少なくとも攻撃ロボットには興味はなさそうだったぞ。」

「今の声はあいつだ。サイワンだ。最初からナナクを狙ってやがったんだ。でも、なんでだよ。」


 ダンは先程殴りつけた右手から血をポタポタと垂らしていた。アリスはコックピットから離れると、管制塔の上部に船首を突っ込んでいた強襲艦を再度見つめていた。


「船長、私はナナクを連れ戻してくる。いい加減、私も堪忍袋の緒が切れたぞ。あの連中の死体がいくつか増えても恨むなよ。」

「おう、俺も行くぞ。」


 ダンが立ち上がる。


「いや、船長はここで待て。」

「どうしてだよ。俺もあいつをぶっ殺しに行くぞ。」

「こんな状況だからはっきり言わせてもらう。足手まといだ。」


 ダンは何かを言おうとしていたが、それを飲み込み、結局何も反論をしなかった。過去に軍務経験があるとは言え、事故で手足が不自由なのだ。ここでダンは一つ気がついた。


「でもお前、武器がないぞ。さっきの爆弾で壊れちまったんだろ。どうすんだ?」

「下の造形機だ。もう出来上がっている頃だろう。取り出すのにコツが必要らしいな。少し手伝ってほしい。」


 アリスは朝に鎧を取り出したあと、造形機に次の仕事を設定していた。それは自分の武器だ、と言っていたのだ。二人は造形機の前までやってきて、カバーを開けてダンが取り出す。造形機の出力台には、対角線方向のサイズいっぱいの物体が仕上がっていた。


「なぁ、アリスちゃん。これ、なんだよ。輪っかみたいなの。」


 長さ1.3mほどの細長い楕円状のリングに、グリップのようなものがついている。そのグリップ部分にはスイッチがついている。持ち上げてみるが、見た目ほどの重さはない。アリスがそれをダンから取り上げると、グリップ部分を持って手元のスイッチを押した。


「うおぉっ、眩しい。なんだこれ。」


 リング部分の片側が光り輝いた。


「非対称プラズマブレード。APBだ。本当はこれについて小一時間語ってやりたいところだが、今は時間がない。」


 あまりの眩しさに、ダンが一歩下がる。


「あー、昨日の晩から俺のプラズマカッターが無ぇって思ったら、まさかこれか。」


 アリスが手元のスイッチをもう一度押すと、APBと呼んだその武器の光は消えた。


「発振器は借りた。後で返すから安心しろ。」

「いや、いいよ。それでナナクを助け出してくれ。アリス、お願いだ。」


 ダンがアリスにお願いだと言った。アリスちゃん、ではなくアリス、として。アリスは一瞬、口元をニヤリと上げたが、すぐに素の表情に戻り立ち上がった。刀の鞘をベルトから外し、その代わりにAPBのフックをベルトに引っ掛けた。


「頼まれるまでもない。あいつは私のことを家族だと言ったのだ。家族を助けるのに理由など要らん。」


 アリスは宇宙船のメインハッチへ向かおうとしたが、ダンが呼び止めた。


「アリス、お前も必ず戻ってこい。」

「おお、珍しいな。どうしたのだ?アリスちゃんはただのロボットではなかったのか?」

「うるせぇ。今更、代えなんてきくかよ。」


 ダンがバツが悪そうに言うと、アリスの口元が緩む。


「そうだ、船長。こういう時はこれをやるのだったな。」


 そう言ってアリスは人差し指を掲げた。


「なんだよ、アリスちゃん、それ。」

「まったく、お主も勘が悪いな。これだよ。

 『怪我なく、事故無く、帰るまで、が仕事だ。』

 まぁこう言っておいてなんだが、相手は軍艦まるごとひとつだ。怪我くらいは許してくれ。」


 ダンは顔をしわくちゃにしていた。アリスはダンに背を向け、外へ向かって走り出す。


「先程の無線の内容であれば、すぐに殺されたりすることはないだろう。まずはナナクの無線機が示す場所まで行く。お主はコックピットで準備していろ。」


 ダンはアリスが言う通り、デッキまで上がり、ヒビの入った通信機のコンソールを確認した。通信機の場所を意味する赤い点滅は、動かずに同じ場所を示していた。


 ………

 ……

 …


 バース下のオフィスや倉庫が並ぶエリア、今思えば「民間人エリア」とも言えるような空間に轟音が鳴り響いた。非常階段の側壁をアリスが切り裂いて破壊した音だった。ばらばらになったパネルが50m下の地面に落ちて再度衝撃音を立てる。アリスはそこから大きく跳躍して飛び降りた。エレベータのカゴは下層にある。往復分を待つなど悠長なことを言っていられない。そうかと言って階段を降りるのもまどろっこしい。擬似的な重力に任せて無理やり降下するのが最短だ。50mの高低差など今の彼女にとってはちょっとした段差でしか無い。体内のバランサがフル稼働する。回転体で働くコリオリの力は補正されないが、この程度の落下速度ならば目視で調整できる。


 地面のパネル数枚を大きく砕いてアリスが着地した。そのまま全速力で駆け出していく。彼女が全力で走ると時速100kmを優に超える。この速度で宇宙ステーション内部を走ると自身の移動速度により疑似重力が強まったり弱まったりする。


「えぇい、なんとも走りにくい場所だ。」


 アリスは心のなかで悪態をつきながら、無線機が示す場所へ急いだ。走りにくいとは言え、彼女の足なら数十秒しかかからない。


 工業プラントの入口に到達し、ナナクの無線機を探す。マップが示す場所はもう少し先だったが、その手前に倒れている者がいることを発見した。アリスは駆け寄った。


「お主、プルートではないか。ひどいやられようだが、一体どうしたのだ。」


 そこに倒れていたのは先程4人の兵士と戦い、敗れ去ったプルートだった。周囲には銃撃され、破壊された跡もあった。


「ああ、あなたですか。申し訳ない、ナナクさんをお守りできませんでした。連れ去られてしまいました。」

「ナナクだと?お主、一緒にいたのか?」

「はい。ですが、彼らはかなり戦いに慣れているようで、私では力が及びませんでした。」

「彼ら?一体誰……いや、聞くまでもないな。ちょっと見せろ。」


 アリスはプルートの服のボタンをいくつか外し、頭部と首まわりをざっと確認した。銃撃を受けて全身穴だらけで、軍用の大型指向性グレネードを直撃した脚は大きく曲がっている。服も大きく損傷して爆発時の火薬で焼かれてボロ布のようになっている。


「うむ。脚の破損がひどいが、致命傷は受けていないな。すまぬが私は先を急ぐ、後で救助に戻ってくるが、今は一旦これを飲め。何もしないよりマシだ。」


 そう言ってポケットから補給剤の入った缶を取り出した。


「いいえ、私がそれを頂くわけにはいきません。あなたが必要なものです。これから彼らの宇宙船へ向かうのでしょう。」

「私をナメるなよ。こんな事もあろうかと、きちんと2本ある。」


 アリスは缶を開け、プルートの口の中に注いでいく。


「下品な飲ませ方ですまんな。緊急事態だ、許せ。」


 アリスは同時に周囲も見ていた。ナナクが使っていた無線機を探すためだった。彼女がプルートに聞いた。


「このあたりにナナクが持っていた無線機があるはずなのだが、どこにあるか知っているか?喋る必要はない、手で意思表示してくれ。」


 プルートは右手を持ち上げると頭が向いているやや後方を指差した。補給剤が効いてきたのか、プルートも多少動けるようになってきたようだ。アリスがその先を凝視すると、何かが落ちているのがわかった。恐らくあれが無線機なのだろう。


「サンプル79番。」


 補給剤を飲み込んだタイミングでプルートはそう言った。


「ん?今何と言った。79番?」

「彼らはナナクさんのことをそう呼んでいました。サンプル79番と。一体彼は何者ですか?シャロンが会ったときにはAL-7079の製番も記録されていましたよ。」


 アリスは少し考えてから言った。


「トラフィックが生まれるからここで口には出さぬ方がいいな。だが、お主が考えていることと概ね同じだろう。これは急いだほうがいいな。」


 アリスは補給剤の缶の中身を全てプルートに注ぎ終えると立ち上がった。


「これで応急処置にはなるだろう。修復は後でまた考える。お主のその軍服はどうしようもないが……、それはもう諦めろ。着替えくらい持っているだろう。」


 自動小銃によるダメージが中心だったため体内の重要な機関へ深刻なダメージが無いのが幸いだった。銃の傷はアリスフレームの自己治癒力ですぐに治ってしまうだろう。ただしグレネードによる脚の大きな損傷は例外で、補給剤のみで修復するのは難しく、多少の外科的な処置が必要になりそうだ。


「ありがとうございます。ですが、これは軍服ではありません。あのような野蛮な輩と同じにしないでいただきたい。」

「はぁ?だったら何だというのだ。」


 プルートはゆっくりと上半身だけ起き上がるとこう言った。


「鉄道員。」

「知るか!私はもう行く。」


 アリスはプルートが示した先に落ちているナナクの無線機の場所まで駆けていき、それを拾った。無線機には血が付着していた。ナナクのものだろうか。彼女はこの無線機を使ったことがなかったが、先日宇宙船内のデータベースをハッキングした際に見つけていた無線機のマニュアルを思い出した。それに従い、通話機能が破損していないことを祈りながらダンへの通信を試みた。


「船長、私だ。アリスだ。聞こえているか?」

<アリスちゃんか!聞こえるぞ。いま無線機のところにいるんだな。ナナクはいるか?>

「いない。連れ去られたようだ。そのかわりプルートがいたぞ。例の緑の軍服を着たアリスフレームだ。」


 アリスはそう言いながらちらっとプルートを見る。未だ上半身を起こして座ったままだ。あの脚では移動もできないだろう。本人は鉄道員の服と言っていたが、ずっと軍服と言っていた上に、そもそも今の時代に鉄道が伝わるか分からなかったので相変わらず軍服呼ばわりだ。


「そのプルートがやられた。相手は先ほどお主が言ったサイワンと見ていいだろう。そいつはそんなに強いのか?」

<実戦部隊の切り込み隊長だろ?最強って考えればいいんじゃねぇか?他の3人も相当の手練だろうな。>

「そうか、私が後れを取ることはないだろうが、警戒することにしよう。」

<ナナクは今、どこにいる?>

「連中の強襲艦に向かったらしい。今すぐ追いかける。徒歩だったから、まだ強襲艦まで到着もしていないだろう。」


 アリスは走り出した。工業プラントを抜け、食料工場、軍用倉庫、と走り抜け、管制塔エリアの直前までたどり着いた。


 ところが、管制塔へ向かうゲートは閉鎖されていた。


「連中の仕業か!?下らない時間稼ぎをしおって。」


 アリスは新しい武器、APBを構える。APBの元になっているプラズマカッターはもともと機械工作や建物の解体現場で使われる工具だ。ドアの破壊など造作もない。演習場のドアを破壊したときのように三角形に切り取るように大きなゲートに斬撃を加えた。ところが、ゲートに切り込んだ痕は出来るものの、穴が空く気配はなく、びくともしない。管制塔は軍事ステーションの中枢部分だ。強固に守られていても不思議ではない。


「まったく、どうなっている。何という厚さだ。船長。ゲートが開かん。斬ることもできん。他のルートはあるか?」

<ドーナツをぐるっと一周、反対側まで回れば行けねぇことも――>

「それでは時間がかかりすぎる!」


 アリスがゲートではなく他の壁を破壊して内部に入れないか検討を始めた時、大きく床が揺れ始めた。ステーション全体がガタガタと音を立てている。


<アリスちゃん、何だこの揺れは。>

「分からん。どうせ連中の仕業だろう。」

<あー。あいつらエンジン全開で吹いてるぞ。何やってんだ?アリスちゃん、強襲艦が最大出力でこのステーションを引っ張ってる。その揺れ……こま……お……>


 会話の途中で通信が乱れ始めた。ダンの声が途切れ途切れになる。


「船長、どうした?もう一回言ってくれ。」

<あーあー、こちらプルート。聞こえておりますか?>


 ノイズが消えた途端に聞き覚えのある声が入ってきた。


<おい何だこれ、そっちに誰かいるのか?>

「いや、誰もいない。プルートよ、勝手に通話に侵入するな。それとも何か用事か?」

<業務連絡。現在エアー漏れの影響で管制塔周辺のゲートが閉鎖されています。私の操作でも開放は不可能です。管制塔の上の彼らの宇宙船まで行くには工業プラントを上がってメンテナンスパイプスペースから迂回してください。>

「メンテナンスパイプスペースとは、エレベータを上がった狭い通路のような場所か?」

<はい、そうです。それと、彼らの宇宙船は離れられないように現在こちらから強制的に締結しています。それを推力で振り切ろうとしているようですね。>

「プルート。でかした。そちらから回り込む。」


 アリスは来た道を全力で戻り始めた。ステーションの回転の反対方向へ走ることになるため、重力がほとんどキャンセルされ、建物や設備の上を飛ぶように進むことができる。プルートからの通信が時折入る。彼女はステーション内の人の動きがわかると言っていたが、アリスの動きを見て的確に案内している。


<その右に階段があります。あなたならエレベータよりもそちらのほうが早いでしょう。>


 アリスはそれに従って、工業プラントエリアの外壁で長く伸びる一本の階段を全力で駆け上がった。階段からはまるでハンマーで叩いたような音が鳴る。上のフロア、メンテナンスパイプスペースに到着したアリスは強襲艦の方面を目指した。途中にロックされアドアがいくつかあったようだが、全てアリスの動きを予測するようにタイミングよく開放された。プルートの仕事だろう。彼女に補給剤を与えておいて正解だった。アリスはそう思っていた。例えそれが最後の一本だったとしても。


 アリスは先程、補給剤を2本持っていると言った。それはプルートに補給剤を与えるためのフェイクだった。彼女の今までの振る舞いから考えて固辞しそうだったし、実際戦闘中に悠長に補給剤を飲んでいる余裕など無い。この期に及んで補給剤の缶を持っていても意味がなかったのだ。


 強襲艦の直前の位置のドアが開き、突撃しようとしたところ、前方から無数の銃弾が飛んできた。剣で全て弾き返そうとするが、数も多く、重い。一発が胸に命中し、ボロボロだった鎧に最後の一撃を加えて叩き割ったところで、アリスは耐えられなくなり扉の手前に一旦飛び退いた。


<アリスちゃん、攻撃されているのか?>


 ダンが心配して呼びかけてくる。


「ああそうだ。だが安心しろ。まだ無傷だ。しっかし、これから逃げ出そうというのに自分たちの船に乗り込まずに撃ってくるとは、連中も相当だな。」


 体を少しでも出そうとすると、間髪入れずに銃弾が飛来する。まるでこちらの動きが読まれているようで、なおかつその狙いは完璧だった。


「そういえば、生きた人間と銃撃戦するのはこれが初めてだった。本当にやりにくいな。こう狭いところで撃たれると敵わん。」


 アリスは侵入方法を考えていた。銃弾の軌道を考えると相手は二人。被弾を覚悟で無理やり突撃し、制圧することも可能だが、この先のことを考えるとこんなところでダメージを負いたくはなかった。


<他に進入路はありません。どうしますか?バースの連結器ももう限界です。あまり時間もありませんよ。>


 プルートからの通信も入る。強襲艦は強力なエンジンの力で、ステーション側からの締結を無理やり切り離そうとしている。


「参ったな。……よし、一旦連中を足止めしよう。プルート、このドアを閉めてくれ。」


 アリスはプルートにそう頼み、反対方向へ走っていった。ナナクが持っていた無線機を通してアリスの場所はダンにも伝わっている。


<アリスちゃん、どうするつもりだよ。反対へ一周回るのか?時間ねぇぞ。>

「船長、質問だ。あれが軍艦なら、エンジンが一つ二つ破壊されても中の人間が死ぬことはないだろう?」

<ええ?まぁそうだろうけど、アリスちゃんエンジンぶっ壊すつもりか?でも近づけねぇのにどうやるんだよ。>


 アリスはメンテナンスパイプスペースを走り、『アンチ・デブリ・ガン』がある二重ハッチまで戻ってきた。接近する宇宙ごみを迎撃するための巨大なパルスガンだ。彼女は内扉を開けて中に入ると、プルートへ呼びかけた。


「プルート、私がどこにいるかは分かるな。あれを使う。今すぐ私を外に出せ。」


 プルートにその意図が伝わったのか、けたたましいサイレン音の数秒後に二重ハッチの外扉がドンと開いた。二重ハッチの中の空気とともにアリスが勢いよく吐き出される。真空環境に放り出され、アリスの体内の様々な器官が悲鳴を上げる。しかし数分ならば活動できるはずだ。


 そのままアンチ・デブリ・ガンのところへ駆け寄る。この巨大なパルスガンは先日彼女がボルトを外して床面に転がしてしまったものだ。このままでは当然使えない。ボルトも何処かへ無くしてしまい、もとへ戻すことはできない。アリスはアンチ・デブリ・ガンの操作パネルに手をかざし、意識を集中させた。演習場のロック解除と同じ要領だ。彼女のハッキングを防御する者はもういない。一瞬で投影空間にアリスが侵入できた。城壁の上に設けられた砲台にアンチ・デブリ・ガンが転がっている。


「プルート。聞こえるか。ここへ来い。」


 そう呼びかけると、ガンの反対側にプルートが降り立った。


「このパルスガンはもう使えませんよ。あなたが破壊してしまいましたから。」

「多少移動させただけで壊してなどいないだろう。私が狙う。お主はこいつを射撃管制しろ。フルチャージだ。」

「狙う?どうやって?」


 投影空間内でプルートが首を傾げる。


「こうするっ!」


 アリスは意識を現実世界に戻した。


「えいやっ~~~!」


 彼女は全力で巨大なアンチ・デブリ・ガンを持ち上げ、肩に担いだ。そしてその砲身の先を彼らの強襲艦へと向けた。


「重いぞ、こいつは。プルート、急げ。連中が逃げるぞ。」

<なるほど、そういう……。了解。アンチ・デブリ・ガン、530[kV]フルチャージ開始します。>


 アリスの意識にプルートの声が流れ込んでくる。


<周囲の作業員へ警告。アンチ・デブリ・ガンの射撃を行います。ガンより30m以上離れてください。>

「危険承知っ!始めろ!」

<チャージ開始。30秒後に射撃可能になります。>


 アリスが担いだガンが振動を始める。チャージのエネルギーロスの一部が振動として伝わってくる。大きなガンの質量がアリスの手足をギリギリと震えさせる。


「もってくれよ、私の脚と腕。」

<チャージ20%。最終チェックリスト、オールグリーン。>


 プルートが状況を報告する。アリスは砲身を正確に強襲艦側部のエンジンへ合わせた。


「いいぞ、目標を捉えた。」

<チャージ40%。ターゲット、最終スキャンします。>


 砲身から熱線が発せられ始めた。顔についた埃がチリチリと焦げる。


「私に喧嘩を売ったことを後悔させてやる。」

<チャージ60%。ターゲット、最終スキャン終了。軌道入力。>


「復唱!目標、敵強襲艦、左エンジン。」

<チャージ80%。目標、敵強襲艦、左エンジン。>


「ターゲットロック。」

<ターゲットロック。チャージ100%まであと3秒、2秒、1秒。セットアップ。>


「撃てー!」


 その瞬間、アリスのいる場所から閃光が飛び出し、光の筋が強襲艦のエンジンを襲う。射撃の放射の反動でアリスも側方へ吹き飛ばされる。強力なパルス状の電磁波で意識が飛びそうになる。


 巨大なパルスガンが直撃した強襲艦のエンジンは音を立てずに吹き飛んだ。数秒後にステーションを伝わってビリビリとアリスの倒れている床を揺らす。


「作戦成功だ。」


 放り出されたアンチ・デブリ・ガンに対して強襲艦の防衛用のレーザー兵器が照射されている。火花を散らしてガンの各部の機能が焼失する。アリスは這うようにして二重ハッチへ戻った。アリスが指示するまでもなく、室内側のゲートが一気に開放された。ドンという音がアリスの耳に入る。大気環境下に戻った証拠だ。


「さぁこれで向こうは大騒ぎのはずだ。突撃するぞ。」


 彼女はメンテナンスパイプスペースを走った。その手にはガンの解体時に取り外し、床に頃がっていた分厚い鉄板が握られていた。


 ………


 ……


 …


 強襲艦の手前のドアまでたどり着き、突入する。先を見ると敵兵は一人。こちらに気付いて銃撃してきた。


「一人減ったな。これなら余裕だ。」


 アリスはL字状に曲がった鉄板を前に突き出し盾のようにして敵兵へ突撃する。相手の狙いは正確だった。それが幸いし、こちらの体の中心めがけて正確に飛来する銃弾は全て鉄板に弾かれ火花に変わった。APBのスイッチを入れ、ブレード部分が輝く。彼女はそのまま速度を上げて踏み込み、右手に持つAPBで斬撃を加えた。自動小銃は真っ二つになり、軍用宇宙服を切り裂いて敵兵は大きく後ろへ吹き飛んだ。APBの安全回路が働いて自動的にOFFになり、光が消えた。


「ふん。死にはしないだろう。まぁ無傷とも思えんがな。」


 APBに組み込まれたプラズマ発振器はもともとは工作用だ。作業中に事故が起こらないように、人体に触れた場合に即座に回路がOFFになるように設計されていた。そのため銃と宇宙服を切り裂き、中の兵士に到達したところで機能を止める。しかし刃物としての機能を止めたところで、アリスが棒状のもので全力で人を殴っていることには違いがない。無事であるはずがない。


 アリスは強襲艦の突撃用のハッチへ侵入した。まずは周囲の監視カメラと思しきものを全て破壊する。


「船長。着いたぞ。今、私は二重ハッチの場所にいる。強襲艦の中の構造は知っているか?教えて欲しい。」

<すまん、詳しくは知らねぇ。けどよ、そこから大きな格納庫が見えるだろ?中に入るにはとにかくその格納庫の奥まで行く必要がある。>


 彼女は内扉をまだ開放していないので格納庫は見えないが、その先が格納庫なのだろう。


<そこから先は見たことがねぇ。だけど、宇宙船一般の構造と同じだとすると、下の方には兵士が食って寝る場所と機関室関係、上の方には宇宙船の運行と司令、あと兵装関係の設備があるはずだ。>

「う~む、ナナクがどこに捉えられているか分からんな。先に進むしかなさそうだ。」

<アリスちゃん。どうせ全部回るつもりなら下からのほうがいいぞ。戦闘員は上の方に詰めているはずだ。下は手薄だろう。>

「いいぞ、そういうことが聞きたかったのだよ。それでは行く。この無線機もどう傍受されているか分からんからな。私の居場所がバレるのもまずいから、切るぞ。グッドラックだ。」


 アリスは無線機のスイッチを切った。そして彼女は首もとの無線機を取り外し、確認した。通信可能のインジケータが点灯していた。ナナクの無線機がここで奪われたのでなければ話が通じるはずだ。


「ナナク。私だ。黙って聞け。お主と通話ができることは秘密にしておきたい。もし無事ならマイク部分をこっそり2回叩け。」


 アリスはナナクに向けてこう言った。二人だけで通じる通信機を持っていることは恐らく強襲艦の彼らには気づかれていない。骨伝導タイプであるため、こちらの声も周囲には響かず、周囲に聞こえることはない。秘密を維持するためにナナクに声での応答を求める訳にはいかない。


アリスが少し待つと、無線機からコツコツと音が聞こえてきた。


 本当にナナクかどうかは保証できないが、ダンと繋がる通常の無線機を奪い、放り出したまま放置したような連中だ。もう一つの無線機を取り外して監視する可能性は低い。恐らくナナクは無線機を身に着けたままだと期待して良い。見た目はただのアクセサリ、チョーカーのようになっていることが幸いしたのだろう。とは言え、アリスが強襲艦内に侵入したことはとっくに知られているはずだ。それでも誰もアリスを迎撃に来ないのは単に人手が無いだけだ。もともと小隊程度の人員しか無いところに、軍事ステーションのロボットとの戦闘、プルートとの戦闘、そしてアリスが先程撃破した一人、と兵士の消耗が激しい。死傷者の救護なども考えると新たな作戦行動は不可能だ。アリスは敵側の損害を全て把握しているわけではないが、敵の本丸に突撃したにもかかわらず誰も来ないことが、その状況を如実に表していた。それに加えて彼女は今、アンチ・デブリ・ガンのフルチャージ攻撃によりエンジンを爆破炎上させた。艦のダメージコントロールで手一杯なのだろう。


「ナナク。お主を助けに来たぞ。だが状況がわからない。中で戦える兵士はどれくらいいる?10人以下と思われるなら一回叩け。わからないならば何もするな。」


 直後にコツンと一回音が聞こえた。予想通りだった。ダンの話によるともともと戦闘員は20人程度しかいない。過半は恐らく戦闘不能。そして残りの人員はけが人の手当と火災への対応で身動きが取れない。


<アリス。僕はひとつ上のフロアにいる。普通の部屋だよ。でもこの部屋がどこかはわからない。>


 通信機からナナクからの声が聞こえた。かすれるように小さい声だ。


「話すなと言っただろう。ええい、突っ込むぞ!」」


 アリスは二重ハッチの内扉を開ける操作をして、ゆっくり開くハッチの隙間に身を這い出して強襲艦内部に侵入した。無線機の秘密を維持できなくなったのは痛手だが、その無線機をナナクが持っているという事実が確認できたことは大きい。ナナクは上のフロアに居ると言っていた。警備の手薄な下から制圧して回るつもりだったが、上にいることが分かればそこへ最短ルートで突撃するだけだ。


<部屋の中には誰も人がいないんだ。外も騒がしくて、小さな声なら大丈夫。>

「そうか、今行くぞ。」


 強襲艦は、大きな武器や車両を出し入れできるようにハッチが大きく作られている。その先は格納庫になっていた。


 積まれた荷物の後ろから兵士が一人飛び出してきた。銃をこちらに構えて撃とうとする。


「邪魔だっ!そこを退け。」


 アリスは天井に向けて跳躍し、体を反転。そこを足場にして上からその兵士に襲いかかった。目標が上下に大きく跳躍するなど思ってもいなかった兵士は上手く狙いを合わせられず、アリスの攻撃に沈む。


 更に進むと小型の偵察車のような車両の後ろで寝かされている兵士とそれを救護している兵士がいた。医療機器がある部屋でなく、このような通路で治療しなければならない状況だ。内部の被害は概ね予想できる。兵士はアリスに気づき、手元から小ぶりなパルスガンを取り出し、素早く撃ってきた。小さなパルスガンの速射などアリスにはまるで効果がない。彼女は壁を蹴ってその兵士に急接近し、パルスガンを強引に奪い取った。ハッチの外へ向けて全力で投げ捨てると、遠くから壁に何かがめり込むような音が聞こえた。アリスはAPBを構えている。その兵士は目を丸くし、恐怖で青ざめながら両手を上げている。


「ひぃっ。」


 ゆっくり後ずさる。眼の前の兵士に見覚えはなく、ステーションに侵入した戦闘員かどうかは分からない。とは言え、この強襲艦に帰り着いた兵士たちにより、『小柄な敵兵一人』に壊滅させられたことはもちろん知っているだろう。アリスとプルートの区別がついているとは思えず、彼からすれば自軍を壊滅させた、少女の姿をした正体不明の怪物が眼の前にいることと等しい。


 両手を上げた兵士の横では、応急処置を受けていた兵士が鼻から血を流し、咳き込んでいる。


「続けろ。」


 アリスは兵士にそう言った。しかし突然そのように言われても分からない。


「自分の仕事に戻れと言ったのだ。私は行く。」


 アリスは格納庫の奥へ走って行った。その兵士はしばらく呆然としていたが、眼の前の恐怖が去ってホッとしていた。言われた通り、もう一人の兵士への処置を再開した。彼女は奥へと急いだ。強襲艦はダンとナナクの船よりずっと大きいが、それでも全長100mもない。ナナクは上のフロアに連れて行かれたと言っていた。上り階段を探して突き進む。


<敵襲~敵襲~。総員、防衛隊列につけ。>


 館内放送と非常ベルが大音響で叫びだした。それに呼応するように格納庫の先の通路で、斜め上方から兵士が二人飛び降りてきた。


「そこが昇り階段か。ナナク、今行くぞ。」


 アリスは通路の奥へ一直線で向かっていった。二人の兵士は彼女を視認し、すぐさま射撃してきた。剣と鉄板の盾で弾ききれない銃弾がアリスを襲い、表皮に次々に穴を開ける。しかし彼女は全く怯まずに突撃していった。


「そんな豆鉄砲で私を止められると思うなよ、阿呆ども!」


 二人の懐へ踏み込んで、二人合わせて真一文字に斬撃を加えると、APBが軍用宇宙服の装甲を切り裂いて閃光を散らした。その勢いのまま二人は通路の壁に向かって転がっていった。アリスが階段を駆け上がると、一人の敵兵が扉に身を隠して銃撃してきた。彼女は一旦身を隠したが、撃ってきたのは自動小銃ではなく、先程の兵士が持っていたような小ぶりなパルスガンだった。アリスは銃撃を無視して扉を蹴破った。中にはベッドに寝かせられた兵士が3人、衛生兵と思われる人物が二人いた。その衛生兵のうち一人はアリスが蹴破ったドアの下敷きになってうめき声を上げている。パルスガンを撃ってきたのは彼だろう。中の設備や風景を見るに、ここは医療室なのだろう。


「ナナクはどこだ!答えろ。ここへ連れてこられた男がいるだろう。」


 アリスが鬼のような形相で問いかけた。


「おい、なんでこんなところに子供がいるんだ!?」


 衛生兵の一人が周囲に問う。彼はステーション内部での騒動を知らないのだろう。すると、治療を受けている兵士の一人が声を絞り出すように言った。


「こ、こいつだ。皆、こいつにやられた。誰か撃ち殺せ。」


 その声に先ほどドアの下敷きになっていた衛生兵が反応し、這い出て懐より拳銃を取り出そうとした。アリスは拳銃を握った彼の両手を掴み、無理やり銃口を本人の頭に向けた。


「銃を放せ。腕をへし折るぞ。」


 アリスは更に掴んだ腕に力を込める。


「ぐうっ。や、やめろ。撃つな。」


 アリスの指示に従ったのか、それとも痛みに耐えかねたのか、彼は拳銃を手放した。アリスは奪った銃を構えて周囲を牽制した。廊下の先からこちらへ近づいてくる足音が聞こえる。相手は二人。


「まったくキリがないな。」


 彼女は部屋の脇に身を隠し、足音が接近するのを待った。


「侵入し、ぐぶ……。」


 一人の兵士がパルスガンを構えて医療室に入り込んだ瞬間を狙ってアリスは飛び蹴りを仕掛け、彼はそのまま部屋の反対側へ倒れた。


「動くなぁ!」


 後から入ってきたもう一人の兵士が拳銃を構えてアリスにこう言ったが、驚いたのは彼の方だった。


「あれ?お前はあのときの子供か?なぜこんなところにいる。」


 アリスも彼の顔に見覚えがあった。先程ステーション内で保護したアイアンキーと名乗った兵士だった。アリスは立ち上がった。


「ああ、お主を手当てしたナナクという男がいただろう。そいつが攫われてここにいる。だからカチコミに来たというわけさ。」

「攫ってきた?なんのことだ。さっき保護した青年ならこの奥の会議室にいるぞ。」

「いいことを聞いた。では私は行く。」


 アリスは拳銃を自身の服のポケットに引っ掛けて部屋を出ようとした。


「待て。動くなと言っただろう。お前が侵入者ならば、子供だろうが容赦はしないぞ。」


 彼はアリスの前に立ちはだかった。


「やめておけ。私にそんなものは効かん。」


 アリスがそう言い終わるのを待たず、彼はアリスの足元を狙って発砲した。しかし足に当たった銃弾は小キズを与えた程度で跳躍し、跳弾は背後の医療機器の一つを破壊した。間髪入れずに彼は頭部を狙って再度銃を撃つ。アリスはその銃弾が着弾するよりも前に手で掴み取った。その銃弾をポイと後ろに投げ捨てた。彼は左手を負傷しており、この間合では2発撃つのがやっとだった。アリスはそのまま早足で接近し、大きく踏み込むと、強力な正拳突きを繰り出した。身長差によりボディーブローのように深く打ち込まれる。彼女の軽い体重で高速のパンチを放つため、打撃の瞬間には何かを叩きつけるような破裂音を上げる。そのダメージは打撃というより古代の鉄球砲弾に近い。彼は体をくの字に曲げて倒れた。


「全くこの連中は仁義というものも知らんようだ。あと、私を子供呼ばわりするな。」


 アリスは周囲を見渡したが、もう彼女に対して敵意を向けるものはいなかった。彼女を子供と呼んだ一人の衛生兵が自分も殴り倒されるのかと思い、一歩後ずさる。しかしアリスはそのまま医療室のドアを踏み越えて廊下へ進んだ。


「おい、そこの軍医二人。仕事に戻れ。負傷者2名追加だ。」


 アリスはぶっきらぼうにそう言い捨てて、医療室を後にすると、奥の会議室を目指した。


「ナナク。いま近くまで来ている。」


 アリスは通信機でナナクに呼びかけた。


<アリス。銃の音が聞こえたけど大丈夫?>

「当たり前だ。私を誰だと思っている。」


 通路の突き当りに会議室はあった。宇宙船の規模から考えて会議室が2つも3つもあるとは思えず、ここに間違いないだろう。その会議室は外から施錠されていた。


「ドアをぶち破るぞ。下がれ!」


 彼女はそう叫ぶと、目にも留まらぬ速さでAPBで扉を何度も切り裂き、破片をのけて、無理やり押し入った。会議室には敵兵は誰もおらず、奥の方でナナクが座り込んで身を縮めていた。アリスを見て立ち上がる。


「アリス。本当に来たんだ。」

「ナナク、無事か?」


 アリスは武器をベルトのフックに引っ掛け納刀し、ナナクに駆け寄ると、両腕で抱きしめた。


「すまん。お主から目を離した私が悪かった。もう、一人にはしないからな。」


 彼女はナナクを抱きしめたままナナクの顔を見つめる。彼女のその表情、その真紅の瞳を見たナナクは、ああやはり彼女もアリスだ、何も変わっていないのだと理解した。昨日目を覚まして以来、まるで別人のような立ち振舞いをしていた彼女だったが、本人曰く、多少思考の仕方が変わっただけだと。本当にその通り、本質的には何も変わっていない。可憐で最強で、どこか抜けていて、それでも強い心を持っている、一人の女性なのだ。アリスが人間ではなくアンドロイドだということは、もう二人には無関係だ。彼はアリスの背に手を回し、軽くぽん叩いてやると、アリスはより腕に力を込め、彼の胸に顔を埋める。


「ナナク、お主が無事で本当に良かった。」

「痛い。ちょっと離して。」


 アリスは決して全力で抱擁したわけではなかったのだが、ナナクの服の左袖は血で汚れており、腕に応急処置の跡があった。


「どうしたのだ、これは。まさかあの連中にやられたのか?」


 アリスが心配そうに傷を見る。


「うん、そうなんだけど……。あっそうだ、船長は無事?何かされなかった?」

「船長なら大丈夫だ。殺されそうだったが、私がなんとかした。何も被害はない。」

「ええ!?ころ……?」


 彼女はサラッととんでもないことを言ったが、とにかくダンが無事だと聞いて彼は安心した。しかし彼にはもう一人心配な人物がいた。


「とにかく船長が無事で良かった。でも、プルートがやられちゃったんだ!滅茶苦茶に強い兵士の4人組がいて、それで!とにかく助けに行かないと!」


 ナナクはプルートを心配していた。ナナクを守るために戦い、敗北したのだ。


「安心しろ。無事とは言い難いが、あいつも心配はない。補給剤も渡してある。」

「そう、良かった。ところで君はどうやってここに入ってきたの?」


 ナナクには当然の疑問だった。ここはプルートでも歯が立たなかった兵士の集団の本拠地だ。普通に考えれば侵入など出来るはずもない。


「正面切って襲撃した。まぁこの程度の軍艦一隻、私の敵ではない。」


 彼女はそう言うが、銃撃を受けたと思われる傷が、全身に何箇所も残っていた。


「でも、こんなに怪我が……。」

「こんなのは、お主の腕の傷に比べれば、かすり傷だよ。……む、まだいるのか。」


 アリスは遠くから階段を駆け上がる足音が聞こえた。


「あと二人来る。お主は下がっていろ。」


 彼女はナナクにそう伝え、会議室の入口付近に身を屈めた。兵士二人も闇雲に部屋に突っ込んでくるのではなく、接近した辺りで足音を止めた。恐らくは銃口をドアの前に向けており、彼女が会議室を出たところを先制攻撃するつもりなのだろう。


「多少は考える頭があるようだな。だが、人間相手の戦法が果たして私に通じるかな?」


 彼女はあえて外の兵士に聞こえるようにそう言うと、床に据え付けられた椅子をAPBで破壊し、その椅子を破れたドアの外に投げつけた。壁に当たり大きな音がする。外の兵士は椅子に反応して稚拙に銃撃するようなことはしてこなかった。彼らの反応はアリスの想定の範囲だ。狙いはそこではない。音だ。一瞬でも大きな音を立てて、彼女ではなく廊下に意識を集中させる。


 同時に彼女は壁を切り裂くように斬撃を加えた。会議室と廊下の間の壁に大穴を開けるように2度3度と斬りつけていくと、途中でAPBの発振器が止まった。攻撃が人間に当たった証拠だ。


「手応えあり。だな。」


 彼女は大きく足を振り上げて切れ目を入れた壁を横蹴りした。破裂音のような音を立てて壁が粉々になりながら廊下側へ飛んでいく。粉煙に紛れるようにその穴からアリスも飛び出した。一人の兵士が背中に大きな傷を負ってうつ伏せで倒れていた。壁に密着して攻撃の機会を伺っていたのが災いしたのか、先程のAPBによる斬撃で壁ごと斬られたのだろう。彼女はもうひとりの兵士の居場所を探した。右か、左か。これほど近距離ならば目視に頼るまでもない。彼女のセンサーが周囲の情報を一瞬で集め索敵する。


「そこかっ。」


 もう一人の兵士は3mほど後方に位置していた。アリスが彼に襲いかかる。その彼もアリスを既に視認していた。彼は放り投げられた椅子、そして突如爆発した通路の壁に気を取られ、当初のイメージ通りに侵入者が廊下に現れた瞬間に射撃することができずにいた。彼女の声に我を取り戻し、彼女めがけて自動小銃の引き金を引いた。軍用の自動小銃のバースト射撃がアリスに向かう。3発の銃弾全てがアリスの頭部にヒットした。大口径の銃弾の勢いがアリスの頭を仰け反らせる。一瞬、視界がブレる。


「そんなものは効かぬと言っただろう!」


 アリスは首を起こして兵士の目の前まで踏み込むとAPBを振り下ろした。兵士のヘルメットをかち割ったところで、APBが停止する。そして彼はそのまま後ろへ倒れていった。僅か3mの至近距離で顔面に銃撃を浴びたアリスは顔に大きな傷を作り、口を歪ませる。


「こいつらはただの雑魚でもないようだ。」


 ダンはこの強襲艦の部隊、キャノンボール隊を最強の実戦部隊と言っていた。その言葉に偽りはなかった。今までは高速な動きで敵ロボットを翻弄して銃弾を容易にかわしていたアリスでさえも、何度も被弾し、そのダメージを隠せずにいる。戦術も心得ている。こちらの逃げ場の少ない有利な場所で戦い、単独で行動することはせず、一人を倒したところで必ずもう一人から反撃を受ける。隊列も組まず闇雲に前進し、単純な射撃しかしてこないロボットを相手にするときとは、脅威のレベルがまるで違った。


 それでも彼女はその主要兵装が対物ブレードであることから明らかなように、もともと狭い室内での戦闘に特化した存在だ。宇宙船内での戦闘においては、まさに最強だった。ここに侵入したときから数えて彼女が倒した兵士はこれで8人。武器を奪うなどで無力化した兵士は更にいる。ステーション内でプルートとの戦いで多数の死傷者が出ていたことも考えると、この強襲艦内で戦える者はもうほとんど、あるいは一人もいない。相手の人数がそれほど多くなかったことはアリスにとって幸いだった。もし敵の兵士の数がこの2倍か3倍もいたら、数で押し切られていた可能性もある。


 少しの間、廊下やその先の様子をうかがうが、これ以上の兵士が上がってくる様子はなかった。侵入者の居場所を知らせるような館内放送ももう聞こえてこない。強襲艦の制圧は完了したと考えて良い。


「ナナク、逃げるぞ。来い。」


 アリスは会議室にいるナナクに向かって呼ぶ。ナナクは彼女のところへ駆け出してきた。彼女の顔を見てナナクは驚き、心配になった。額と頬に大きな傷が増えている。今聞こえた銃撃に違いない。


「アリス、危ないよ。もうやめようよ。」


 彼はアリスの肩を抑えて訴えた。


「何をやめるのだ。お主とも合流できたし、あとは帰るだけだ。敵は私が全て排除する。心配無用だ。」


 アリスはナナクの手を振りほどき、出口に向かって歩き出した。


「これ以上、軍の人達と戦って、君がこれ以上怪我でもしたら……。」

「お主は私のことを家族だと、言ったな。家族に危害を加えられて黙っているやつがどこにいる。私は売られた喧嘩は全部買う主義なのだよ。」


 アリスはAPBの刃先の様子を確認しながらそう言った。十分な強度で設計しているはずだが、OFF状態で人を殴りつけるような動きは当初は想定していなかったため、多少心配だった。


 ナナクも歩き出した。そして仰向けとうつ伏せでそれぞれ倒れている兵士を見た彼はギョッとした。彼らが着ている防弾プレート付きの宇宙服には大きな亀裂が入っている。死んでいるのだろうか。アリスがこの二人を倒したことは間違いない。彼女がこの強襲艦に正面から突撃してきたというのは本当なのだとナナクも理解した。


「ねぇ、この二人、死んだの?」


 ナナクが不安そうにアリスに聞く。


「さぁ?致命傷は与えていないはずだ。すぐに治療できれば命に問題はないだろう。もっとも五体満足で軍務に復帰できるとは思えんがな。」


 ナナクが恐れおののいて、戦う意思すら見せることができなかった屈強な兵士たちが、たった数秒で再起不能なまでに打ち倒されてしまった。家族と言い出したのは彼だったが、果たして逆の立場だった場合に、自分はここまでの危険を冒せるのだろうかと考えてしまった。例えばダンが囚われていたとして、強襲艦に侵入して助けようと思えるだろうか。


「君はどうしてそんなに強くいられるの?」


 ナナクは思わずそう聞いた。物理的な強さだけの問題では無いと思えた。


「そうか?むしろ今の私の弱さが問題だよ。」


 ナナクは彼女の言葉の意味がわからなかった。今兵士二人を瞬間的に制圧した自分が何を言うのかと。


「私の以前のALIパターンが奪われたのはやはり大きな損失だよ。セレスとやらに会う前の私だったら、恐らくここを無傷で突破できた。お主には分からんだろうが、あれは本当に優秀だったんだぞ。先にセレスから私のパターンを奪い返す機会があればよかったのだが。」


 彼女が言うのは、最初にナナクが会ったときの普通の女の子として振る舞おうとしていた彼女のことだろう。確かに戦い方も変わると言っていた気がした。とは言えナナクから見たら先日も今も超人的な強さにしか見えず区別ができない。


「まぁ、一応は想定通りだが、ロールバックしたのがこの『私』で、この軍艦の連中は助かったかもしれんぞ。この武器で峰打ちするだけの余裕がある。私は優しいからな。私のALIの思考パターンは無数にバックアップされているが、パターンによっては怒りに任せて皆殺しにしていた場合もありえる。」


 アリスのその話を聞いて、ナナクはプルートのことを思い出した。目的のために手段を選ばず、戦う相手の殺害をも厭わない。相手も銃撃してきている以上は、反撃で相手が死んでしまってもそれは当然とも言えるのだが、アリスの場合はあえて殺さないように手加減しているような口ぶりだ。彼女は自分が戦略兵器だと言っていたことを思い出した。今の彼女の動きを見る限り、ポテンシャルで言えば本当に全員を殺すこともできてしまうだろう。


 アリスは続けた。


「もっとも、お主が腕を怪我した程度で済んでいるから、の話だな。もし殺されていたら、いくら寛容な私でも全員八つ裂きだ。文字通り八分割だからな。」


 アリスは途端に恐ろしいことを言い出すが、彼女ならやりかねないと思った。どういう理由で彼女がこのような可憐な姿をしているのかは分からないが、その中には兵器としての暴力性が隠されている。


 彼女は過去に、つまり300年前の大脱出の前に、大きな戦争に駆り出されたようなことを話していた。今となっては想像もできないが当時の地球での戦争は、24世紀現在では考えられないほどの桁違いの殺戮が繰り広げられていたらしい。そのような環境にいたのだと考えれば、20人ばかりの兵士の集団など彼女にとってはただの小競り合いの相手なのだろう。彼女は軍艦一隻程度は自分の敵ではない、と言っていた。宇宙船のことを指して『軍艦』という古い言い方をしているのが、かえってリアリティーを感じる。過去にも似たような経験があるのかもしれない。


 ナナクはアリスの後ろをついて階段を目指して廊下を進んでいく。相変わらず敵兵が出てくる気配はない。途中でドアが外れた部屋が見えた。その中は医療室のようで、何人もの兵士がいたが、治療に専念しているのか、こちらをちらっと見ただけで何かをしてくる様子はなかった。あの兵士もプルートやアリスにやられたのだろうか。ベッドだけでなく入り口でも何かマットのようなものが敷かれて、その上に兵が寝かされている。そのうちの一人の顔に見覚えがあった。ナナクがステーション内で額の傷口の手当をした兵士だった。コードネームのようなものを名乗っていたはずだが、よく覚えていない。


「ねえアリス、今の部屋にさっき見た兵士がいたんだけど。」


 先頭を進む彼女に声をかけた。


「ああ、あいつか。先程無礼な振る舞いをしたから腹に一発ぶちかました。」

「ええ?」


 ナナクは昨日アリスが破壊したボクシングマシーンのことを思い出していた。


「少し小突いただけだよ。あの程度で死にはしない。安心しろ。」


 アリスが先を警戒しながら階段を降りていく。バース周辺はステーション中心部に近く、遠心力で作られる疑似重力が弱い。一段一段の階段を踏むのではなく、姿勢を下げて飛び降りるようにして降りていく。先程の兵士が上の階から降りてきたときもこのようにしていた。これが一番効率がよく、隙が少ないのだろう。アリスがナナクに降りるように手で合図する。殆どの兵士を倒したはずだが、まだ下のフロアには兵士が残っているはずだ。あまり大きな音を立てたくない。


 彼女に続いてナナクも階段を降りていく。下のフロアに降りるとまた二人の兵士が倒れているのを見つけた。間違いなくアリスの仕業だろう。


「反対だ。」


 降りてきたナナクを確認するとアリスは大きく手を振りかぶって指で通路の先を示した。格納庫の先、この宇宙船の出口だ。アリスは走り出す。ナナクもついていく。階段の下の方からは、なにやら大声が聞こえるが、エンジン爆発の対処をしているのだろう。彼等がここまで上がってくることはなさそうだった。強襲艦の格納庫を走り抜けていく。ナナクはこの場所に見覚えがあった。無理やり連れてこられた時、ここで布のようなものを被せられて、上のフロアまで連れて行かれたのだった。つまり出口まであと少しだ。


 アリスが突然立ち止まった。そして武器を構える。


「アリス。どうしたの?」


 ナナクがそう言ったとき、強襲艦のハッチ部分には二人の兵士が立っていた。そのうちの一人は銃をこちらに構えており、もう一人は腕に黄色いマークが描かれている。先ほどプルートと戦っていたときのリーダー兵だ。ナナクはそのリーダー兵を指さしてアリスに伝えた。


「あっ、あいつ!アリス、プルートはあいつにやられたんだよ。気をつけて。」


 そしてナナクは物陰に隠れた。アリスはAPBを構えて通路中央に立ったままだ。そしてリーダー兵の宇宙服についているスピーカーから声が聞こえる。


「来客がいると聞いて、どういうことかと思えば、やはりお前もアリスフレームか?まさか2体もいるとはな。ひどいやられようだ。うちの兵は満足にもてなしもできないのか。」


 アリスを見て、そしてアリスフレームということを知った上で、堂々と話す彼の様子を見てアリスはピンときた。


「サイワン、だな。先程はうちの船長が世話になった。ちょっと礼を言いに来ただけだよ。これくらいで十分だ。」


 アリスもリーダー兵、サイワンを挑発する。


「なぜ私の名前を知っている?本当に侮れないな。まあいい、そこにいるサンプル79番を返してもらおうか。」


 79番。プルートもこの話をしていた。ナナクを指していることは間違いないだろう。やはり彼等の目的はナナクだったのだ。


「断る。」


 アリスは短くそう答えた。するとサイワンも抱えていた銃を構えた。ナナクが先程まで持っていた機関銃だった。アリスが表情を変えた。


「それはナナクのものだ。返してもらおうか。」


 サイワンは動かない。アリスは再び挑発する。


「なにか言ったらどうだ?スピーカーが故障でもしたのか?ここはポンコツ揃いか。」


 格納庫内は静まり返っており、時折艦内にはゴトンゴトンと破壊されたエンジンに対して処置を行うような音が聞こえている。


「なるほど、ここでやり合うのは避けた方が良いのではないか?私もここでこやつらを遭難死させるつもりはないのでな。」


 そう言って親指で格納庫の奥を示した。まるで、お前は対象外だ、とでも言うような仕草だ。


「理解が早くて助かる。それではアリスフレーム、お前だけ出てこい。」


 サイワンは銃をアリスへ向けたままスムーズに後ろ歩きでハッチの外側まで戻っていった。アリスは立ち止まったままだった。


「それは虫が良すぎるのではないか?自分の立場が分かっていないぞ。私がここで暴れるだけでこの軍艦はバラバラになるのだからな。」


 サイワンは少し考えた後に答えた。


「二人で出てこい。」

「交渉成立、だな。」


 アリス一人ならばサイワンとその横の兵士ともども無視して突破して帰ってしまえばよかったのだが、帰り道ではナナクがいる。彼らの目的がナナクである以上、彼が殺害される恐れはなかったが、それでもナナクとともにこの場所を突破するのはリスクが大きい。ナナクやプルート、そしてダンの話では、このリーダー格の兵士、サイワンは相当な腕らしい。ただの雑兵ならばナナクを護衛しながら逃走することも出来るかもしれないが、未知の相手だ。ある程度彼らの話に乗ってでも、二人で少しでも彼等のテリトリーから離れたかった。


「これはお主が持っていろ。」


 アリスはナナクにそう言ってから、先程医療室で奪い取った拳銃を放り投げた。ナナクが受け取る。


 アリスとナナク、そしてサイワンとその横の兵士の4人は強襲艦が突っ込んでいるバースの空間にいた。本来あったはずのバース前の空間の半分ほどは強襲艦の突入で破壊されており、狭い通路しか残っていない。彼女は改めてナナクの装備品を確認した。彼が着ていた宇宙服は脱がされてただの部屋着になっており、銃や道具の入ったカバン、また『かんしゃく玉』もない。今アリスが渡した拳銃以外は何も持っていなかった。彼女は腰からかんしゃく玉のベルトを外し、後ろ手でナナクに渡した。残っているのはグレネードの赤玉だけだ。


「いいか、あの二人を私が倒す。その隙を突いて逃げるぞ。」


 そう言い終わると同時に銃撃が始まった。アリスはとっさに横に飛び退いてそれをかわす。ナナクも通路脇のくぼみに退避した。サイワンはまだ撃ってこない。横の兵士がアリスを牽制するように撃ってきているだけだった。アリスが隠れるような場所は少ない。銃撃するほうが有利な戦場だ。


 ナナクも勇気を振り絞って身を乗り出すと、アリスを銃撃してきた方の兵士へ向けて今渡されたばかりの拳銃を向けようとした。サイワンはそれに素早く感づき警告するようにナナクが潜む壁の付近を銃撃してきた。一般の兵士が持っている自動小銃よりもさらに大口径の機関銃により壁のパネルがバラバラになって飛び散った。手を出すな、という意味だろう。


 その音に紛れてアリスが飛び出した。床を蹴り、壁を蹴って、天井のフレームを踏み台にして通路を大きく縦に一周するかのように敵兵の横へ回り込もうとした。この付近は疑似重力が弱いため、遠心力を生み出すような走り方さえすればどこだって走ることが出来る。敵の兵士はその動きに追従できず、アリスの接近を許してしまう。アリスの動きが二周目に入り、いよいよ斬撃の射程内に捉える。


 ここでサイワンが動いた。そのままアリスめがけて前方に走り出した。アリスを直接狙うのではなく、彼女の進行方向の先を銃撃してきたのだ。彼女はそのまま回り込むことを諦めて反対側に大きく跳躍した。上下に反転したアリスとサイワンの視線が交錯する。しかしアリスは攻撃を諦めない。左手に持って盾のようにしていた鉄板を手首のスナップを効かせて高速で投げつけた。元は大質量のアンチ・デブリ・ガンを固定していた構造材だ。重力下であったならば相当な重さだ。その鉄板は回転しながら兵士へ向かっていく。


 まさかそのような攻撃をしてくるとは予測してなかったのか、避ける動作もできずにその兵士の右肩の根本に命中した。まるで車に衝突されたようにその兵士は後ろへ転がっていった。アリスは空中から重い鉄板を投げた反作用で大きく前方へ飛び、ナナクから離れる方向へ滑るようにして着地した。


「まずい!」


 アリスはそう思ってナナクの方へ向けて駆け出した。サイワンもナナクを確保するためのそちらへ走るかと思いきや、反対にアリスの方へ向けて機関銃を撃ちながら突撃してきた。この距離で突撃されると思っていなかったアリスは回避が間に合わずに脇腹に数発の銃弾を浴びた。


 以前ナナクが使用していた対物ライフルほどの初速ではないとは言え、銃弾の大きさだけで言えばほぼ同じであり、その威力は今までアリスを撃っていた銃を遥かに上回る。弾け飛んだ服の隙間では表皮が裂け傷口があらわになる。


「だから何だというのだぁ!」


 アリスはそのダメージを無視し、身を回転させながらAPBでサイワンに斬りかかった。機関銃を持った両腕ごと切り落とすような勢いで振り下ろす。するとサイワンはその瞬間に機関銃を放り出して両手を引いた。機関銃が地面に落下する。その意外な動きに対処できず、APBが空を切る。


 その直後にサイワンの両手より何かが飛んでくるのが見えた。そのうちの一つは刃物のように見えた。彼女の体の基本的メカニズムとして組み込まれている警戒装置がアラートを上げた。投擲型の対物ブレードによる攻撃だ。彼女は素早くAPBを返して振り上げ、飛来する対物ブレードを切断した。しかし飛来する物体はもう一つあった。脅威ではないと判断した彼女はもう一つの飛来物の対処の優先順位を下げていたのだが、それがちょうど今振り上げたばかりの彼女の右腕を捉えた。


「なんだと!?」


 サイワンが放ったのはワイヤーの先に鎌と重りがついた武器、鎖鎌だった。サイワンは腰の後ろにそれを隠し持っていて、機関銃を囮にしてでもアリスをその先に捉えたのだった。分銅部分がぐるぐる回り、アリスの右腕とAPBに絡みついた。二人は5mほどのワイヤーを通してつながった状態になった。


「アリスフレーム、捕らえたぞー!」


 サイワンはスピーカー越しに雄叫びのように宣言した。その大声はバースと格納庫に反響する。しかし彼から銃のたぐいが一切なくなったのも事実だ。サイワンに呼応するようにアリスも叫んだ。


「ナナク!走れ!」


 サイワンが全力でアリスを引っ張り、引きずられる。その様子を見たナナクは飛び出してきて拳銃を構え、サイワンへ向けて撃った。防弾板に守られた軍用の宇宙服を着たサイワンには一切効かない。2発撃ったところで弾切れとなった。サイワンはもはやナナクに注意を払っていない。アリスを制することで手一杯なのだ。


 サイワンの手元へ引きずられたアリスは足を蹴飛ばして転倒させ、体勢を立て直そうとするが、絡みついたワイヤーは容易に外れない。


「私は後で追いかける。とにかく船長の所へ戻れ。」


 アリスは鎖鎌のワイヤーを切断しようとするが、右腕とAPB本体を分銅で締め付けられており、上手く切断することができずにいた。


「でも、君を置いてなんか……。」


 アリスは上に跳んで振りほどこうとするが、ワイヤーでつながったサイワンから逃れることはできない。質量に勝るサイワンに引かれて背中から地面に叩きつけられる。


「いいから行け!私のことは気にするな。こんな奴に私が負けると思うのか。お主がいると足手まといだ。」


 ナナクは走った。後ろを振り向かずに。アリスを信じたかったが、本当のところは勝てるかどうか疑わしい状況だった。しかし彼女は自分を救出するために、危険を冒してでもこの強襲艦へ突入してきたのだ。とにかく自分が無事にここを脱出することが彼女にとっても最優先事項に違いない。全力で走った。心臓が張り裂けそうだった、脚も折れそうだった。でもそんなことは関係ない。とにかく一秒でも早く、一歩でも遠くへ、その思いで一杯だった。


 一方でアリスは、経験のないサイワンの戦法に手こずっていた。今まで対峙した敵の中で、拘束を試みる者など誰一人いなかったので、想定していなかった。彼女がAPBで攻撃しようとすると腕を引かれ、体ごと振り回される。彼女にどれほど怪力であったとしても、体重の軽さだけはどうしようもない。相手も鍛えられた肉体を持っていた場合、引っ張られてしまうと対抗策がない。体格の大きな軍人が重い軍用宇宙服を着ている。アリスの3倍以上の質量になるだろう。


「研究資料のとおりだったな。アリスフレームの戦術は。腕を封じれば何もできない。負けを認めろ。」


 サイワンがスピーカー越しにそう言ってきた。


「ふん。私についてどう調べたかは分からんが、ただの阿呆というわけではないようだな。だが、どうするのだ?これ以上引き寄せると、どうやっても私の攻撃範囲に入るぞ。負けを認めるのはそちらのほうだろう。」


 サイワンは彼女を引っ張るとそのまま振り回して壁に激突させた。壁のパネルにヒビが入り、髪が大きく乱れる。しかし彼女にはこの程度の衝撃は本当に一切ダメージとはならない。


「その分だと私の耐衝撃加速度も知っているのだろう?こんなことして意味がないのは分かるはずだ。」


 サイワンは彼女の言葉を気にせずに再度振り回し、反対側の壁へ激突させた。壁にあるスイッチのようなものが壊れ、火花が散った直後に一部の照明が消えた。


「私のような美少女を壁にぶつけて痛めつけて喜ぶとは、随分と倒錯した趣味でもしているのか?」

「この雪原の悪魔が。何とでも言え。」


 アリスの挑発にサイワンが乗った。このタイミングをアリスは待っていた。アリスは再度引っ張られるよりも前に左腕で壁を力いっぱい押し、腕の力だけでサイワンの方へ飛び出した。ワイヤーで引かれるよりも素早くAPBを振るう。虚を突くような攻撃では大きく踏み込んだ攻撃ができない。サイワンの顔面をかすめるように切っ先が舞った。


 ヘルメットのシールドを切り裂き、そのロック部分を吹き飛ばし、サイワンの表情が現れた。壮年の男性だった。ダンはサイワンと同僚と言っていたが、あの言い方だと年齢もそう離れてないのだろう。


「なんだ、ただのジイサンか。私の好みではないな。」


 アリスがそう悪態をついて挑発するが、反応はしてこない。攻撃のタイミングも読まれているようで、再度ワイヤーで引っ張られる。腕とAPBに絡みついたワイヤーはそう簡単に解けそうにない。


「工兵隊!早く用意しろ!こっちも長くは持たんぞ。」


 サイワンがそう言った。無線で仲間に連絡を取っていたのだ。ヘルメットが破られたことでその内容が聞こえるようになった。攻撃を封じられた格好の彼女だったが、それは相手も同じことで、このままでは彼女にダメージを与えることはできない。いつまでも綱引きを続けているだけだ。その狙いは仲間に何か対抗策を用意させるための時間稼ぎの作戦だった。


「そういうことか。手加減している余裕はないな。」


 アリスはこの場で決着をつけるために攻撃を仕掛けた。APBを手放し、ワイヤーが絡まった右腕を引いてサイワンに飛びかかった。そのまま左パンチをヘルメットの開口部、むき出しになった顔面にくらわせるつもりだ。彼女にとってタイマン接近戦なら刃物も銃も要らない。その肉体こそが凶器となる。相手がどれだけ鍛え上げられた人間であっても、仮にアリスが超軽量級であったとしても、無防備の人体に直接、超音速の拳で殴りかかれば即死だ。サイワンもそれをかわそうと身を翻らせるが、ワイヤーで繋がっているのは彼も同じだった。上半身がアリスの方へ引き寄せられる。苦し紛れに顔を横に向ける。


 アリスのパンチは顔のギリギリ横、ヘルメットの側面にヒットした。複合金属製の防弾ヘルメットがひしゃげる。飛びかかったアリスの勢いに乗って、そのまま二人で倒れ込んだ。アリスはサイワンの背中に乗るような格好になっている。そしてサイワンの頭の下でたるんでいたワイヤーを両手でつかみ、引っ張った。ワイヤーで絞め殺すような要領だ。ヘルメットに守られて、ワイヤーはサイワンのあごに深く食い込んだところで止まる。それでもアリスは力を緩めない。締め付けられたヘルメットがメキメキと音を立てながら徐々に潰れていく。サイワンはアリスを振りほどこうとワイヤーを掴んだ。


「この化物めぇっ。」


 彼を締め付けようとするワイヤーは解けない。単純な腕力ではまだアリスの方に分がある。彼女には液体が一杯に入ったドラム缶を片腕で掴み上げるだけの力があるのだ。


「アリスフレームの全力に対抗できるわけなかろう。死んでも恨むなよ。」


 アリスも必死だった。全身のアクチュエータを最大トルクで駆動している。関節や骨格が歪んでいるのが自分でも分かる。最大運転限度時間のリミッターはとっくに解除していた。サイワンは強敵だ。ただ闇雲に銃で迎撃するのではなく、彼は事前にあらゆる準備をした上で彼女との戦いに臨んでいた。アリスも持ちうる全ての能力を発揮しなければ勝てないと気付いていた。するとサイワンのヘルメット側から通信が聞こえてきた。


<準備できました。出ます。>


 アリスが格納庫のハッチを見ると、ゴロゴロと音を立てて、兵士が走りながら手押し車のようなものを使って大きな機材を運び出す姿が見えた。


「ターゲットなら私の背中にいる。構わずそのまま照射しろ。」


 照射と聞いてレーザーかパルスガンのような攻撃かと警戒したアリスはサイワンの背中から飛び降りた。


「今だ!」


 サイワンは彼女のこの行動を見逃さなかった。飛びのいたタイミングに合わせて、掴んでいたワイヤーを引っ張る。ワイヤーが5mはあると想定したアリスだったが途中で引っ張られて、反対側へ跳んでいった。アリスはしまったと思ったが、空中に放られてしまった状態では何もできない。その先には先程の兵士に運ばれてきた手押し車があった。


「照射!」


 兵士の一人がそう大声で宣言すると、周囲の照明、案内板、配線、スイッチ、あらゆる電気設備が黄色いスパークを上げて弾け飛んだ。アリスは頭の中を大きなハンマーで殴られたような衝撃を受け、そのまま意識を失った。


「こいつを収容しろ。」


 サイワンは強襲艦から出てきた兵士にそう告げると立ち上がり、腰の後ろに連結していた鎖鎌のワイヤー連結を外して格納庫の中へ入っていった。


 ………


 ……


 …


 ナナクは走っていた。人間は身の危険を感じるとこんなにも必死に走れるのかと自分でも感心するほどだった。ある程度進むと見覚えのある通路へ出た。工業プラントの上部の区間だった。ここを過ぎてエレベータでプラントのフロアまで降りて、少し歩けばダンがいる宇宙船まで帰ることができる。エレベータに滑り込み、下降のボタンを押した。全力疾走した疲労が一気に出て、エレベータの壁に倒れかかった。窓からは工業プラントの全景が見えた。爆破された武装コンテナ車からは相変わらず煙が出ており、銃撃で死亡したと思われる兵士の遺体はまだ先程の場所に残されたままだった。確か彼らは、先に捕らえたナナクを連れていき、あとから仲間の死体を回収するような話をしていた。そしてプルートもその後に回収すると言っていた。ところが先程のアリスの話によると、プルートはまだ生きているらしい。再度危険な目に合わせるわけにはいかないと思い、彼はプルートを探した。4人の兵士の集団にやられた場所にはもういなかった。先にプルートのほうが連れ去られてしまったのだろうか?ナナクはさらに周囲を見回した。


 エレベータの窓からはエリア全体がよく見える、周囲を探し始めると簡単に見つかった。中央部の公園だった。上からでは緑の服を着た人影としてしか認識できなかったが、この場所でそのような軽装で座っているとすれば、プルート以外あり得ない。エレベータのカゴが工業プラントのフロアに到着し、ドアが開いた。ナナクは着ていたシャツを脱ぎ、エレベータのドアが締まるのを妨害するように置いた。これで追手がエレベータで降りてくることを防ぐことができる。彼は先程見つけたプルートの居場所へ急いだ。


「プルート。」


 ナナクが呼びかけた。彼女は公園の入り口付近の電灯の柱にもたれかかるように座っていた。彼女もその声を聞いて、ナナクの方へ振り向いた。


「中途半端な質量の人が接近しているかと思ったら、ナナクさんでしたか。」

「え、中途半端……?」


 プルートはステーションの管理機能を通して、人や車両の移動は把握している。アリスほど軽くなく、フル装備の兵士ほど重くもない、という意味でナナクの重さはその中間だった。


「いいえ、こちらの話です。それで、どうしてあなたがここにいるのですか?あの人はあなたを救出に向かったはずですが。」

「アリスに助けてもらったんだ。あの子はまだ軍の人と戦ってると思う。」

「そうですか。侵入するところまでは問題ありませんでしたから、恐らく制圧するのは時間の問題でしょう。」


 プルートも先程、軍の戦闘員と戦って、彼らの力量は概ね把握しているつもりだった。自分がここまでやられたのもアリスとの戦闘による消耗や、広い空間という不利な場所だったせいだ。接近戦でのアリスの強さも戦った自分がよく分かっており、宇宙船内での戦闘ならば負けるはずがないと考えていた。


「ただ、一つ気になりますね。」

「え?何が?」


 プルートはステーションの異常を一つ捉えていた。


「たった今、管制塔上部の全てのセンサ類が応答しなくなりました。停電ともまた少し違うようです。」


 ナナクは今の話だけでは何が起こったのか分からない。


「どういうこと?」

「ああ、私はこのステーションの設備状況をモニタできるのですが、周辺が大きく破壊されたようです。爆発等はしていないので、あの人が何か大規模な破壊工作をしたと思うのですが。そうなると、私には状況が分かりません。」

「アリスが?」


 ナナクは工業プラントエリア上部の採光窓を通して強襲艦の方向を確認しようとしたが、障害物が多く直接見ることはできなかった。やはりどうしてもアリスが心配だったが、今から戻っては何のために逃げてきたのか分からなくなるし、プルートの話が真実だとすると、アリスが強襲艦の周辺を大きく破壊したらしい。あの場所で全力で暴れまわっているのだろうか。自分が逃げ出せた以上、彼女もあの場所に長居する必要はないはずだ。アリスをここで待つことも考えたが、追手が来るかもしれないし、プルートのことも心配だ。


 プルートは全身を銃撃されており、傷だらけだ。アリスが渡したというナノマシン入りの補給剤によって上半身は動くようになったようだが、軍用のグレネードで破壊された脚はそのままだった。


「プルートも、僕たちの宇宙船まで帰ろう。」


 彼は彼女にそう告げた。彼女が心配だというのがもちろん主な理由だ。加えて、経緯は分からないがアリスは彼女を連れて帰ると言っていた。


「わかりました。それではお邪魔させていただきます。」


 プルートも素直に応じる。ナナクはプルートに背を向けてしゃがみ込んだ。


「さぁ行こう。」


 脚に大怪我を負った彼女を背負って帰る、という意思表示だったが、プルートはそれをあまり快く思っていないようだった。


「私がお客様に運ばれるなど、ありえません。只今車両を手配しますので少々お待ちください。」

「それってどれくらいかかるの?」


 ナナクは追手から逃げているところだったので、悠長にタクシーを待っている余裕はない。


「えーと、困りましたね。一連の戦闘でここまで回送できる車両が見当たりません。」

「ほら、もういいよ。遠慮しないで、僕がおんぶするよ。というか、さっきの兵士が来るかもしれないから急いで欲しいんだけど。」


 ナナクは再びプルートの前にしゃがみ込んだ。


「いいえ、そういうわけには……って、あ、ちょっと。」


 ナナクは彼女の言葉を無視して無理やり腕をつかむとそのまま背負い上げてしまった。彼女も諦めてその背中に身を預けた。彼女の体は人間と見れば決して重いとはいえないが、全力で走って脚がガクガクなところで背負っているナナクには辛かった。左腕の怪我も、強襲艦内で治療を受けて痛み止めを飲んだとは言え、無視はし難い。それに加えて、彼は追手の存在が気がかりだった。


「ところでプルート、君は人が動いているのが分かるの?だったらさっきの兵士たちが来ているかどうか教えてもらえる?」


 プルートはステーションの設備へ意識を集中させ、人の移動を探った。アリスのインバース・プロジェクションと似た方法だ。むしろこちらのほうが正当な仕組みで、アリスのハッキングにより無理やり入るやり方がイレギューラーだろう。


「ああ、彼らのことですね。ご安心ください。今のところこの付近には我らしか存在しないようです。」


 その言葉を聞いてナナクは一旦立ち止まり、彼女を背負い直すと、改めてゆっくり歩き出した。しかし同時に彼女が一つ気付いたたようだ。


「しかしこれは何でしょうか?このエリアのエレベータに細工があります。何者かがドアを固定しているようです。カメラを確認するので少々お待ち……。」

「ごめん、それ僕がやった。服を置いているだけだから許してよ。後で元に戻すからさ。」

「いえ、構いません。後ほどこちらで復旧を手配します。」


 二人は工業プラントを進み始めた。破損して煙を上げた設備や、倒れたコンテナ車の部品、そして空になった弾薬などが散乱している。ここがつい先程まで戦場だということがよく分かる光景だった。


「ナナクさん。このような状態でお願いするのは忍びないのですが――」


 プルートがこう前置きをしつつ頼んできた。


「あちらに落ちている私の帽子を拾っていただけないでしょうか。」

「え?帽子?」


 彼が左右を見ると、彼女が身に着けていた緑の帽子が落ちているのを見つけた。彼女を背負ったまま落ちている場所まで進み、拾い上げて彼女に渡した。


「ありがとうございます。」


 ナナクが最初に彼女に会ったときは、自分より年上かと思っていたが、帽子を取った今の姿はアリスと同じで年下に見えた。人間とは違う彼女たちに年齢という概念は釣り合わないし、生まれたのは何百年の前なので言い方によってはずっと年上なのだが、このような少女が一人で軍の部隊に立ち向かうのは彼の理解を超えていた。


「あのさ、アリスもそうだと思うんだけど。どうして君たちはそんなふうに勇敢に戦うことができるの?」


 ナナクの率直な疑問だった。彼自身もこのステーションで恐ろしいロボットと何度も戦ってきたし、それ以前も仕事中に攻撃機能を持ったロボットと対峙したことはあった。しかし軍そのものと戦うことは、それとは比較にならないほど恐ろしいことだった。敵にも明確な意思と目的がある。考え、工夫してこちらを倒そうとしてくる。全身全霊をかけて戦わなければ簡単に殺されてしまう相手だ。彼女たちはそんな相手に疑問を持たずに突っ込んでいく。


 彼の質問に、背中にいるプルートが答えた。


「それが、我らの存在する理由だからです。それ以上でも以下でもありません。」


 その言葉を聞いて、彼はアリスのある言葉を思い出した。


「アリスが『生きる意味』が必要だ、って言ってたんだよ。そういうこと?」

「我らアリスフレームに、生きる、という言葉が適切かは分かりませんが、自身より優先度の高いものは誰にでもあるでしょう。」


 そう言われてナナクは黙って考え込んでしまった。自分よりも大切なもの、命をかけても構わないものなどあるのだろうかと。ナナクはその答えが出ないまま、いつもの食堂の交差点までたどり着いていた。プルートが何も言わないので恐らく軍の追手も近づいていたりはしないのだろう。そのまま進み、バースへ向かうエレベータに乗り込んだ。一旦プルートを下ろす。


 プルートは先程回収した帽子を叩いて砂埃を落とすと、それをかぶり直した。彼女のひどい怪我やボロボロの服を見ると、今更帽子などどうでも良いと思うのだが、何かこだわりでもあるのだろう。


「後少しだ。プルート、頑張ろう。」

「いえ、私はただおぶられていただけですが……。むしろあなたは平気ですか?」

「まぁなんとか。それと、頑張ろうって言ったのは、もうすぐ着くからその怪我も我慢しよう、って意味だよ。相当痛いでしょう、それ。」


 以前アリスは自分にも痛みがあると言っていた。グレネードを直撃した脚は折れており、人間ならば苦痛でのたうち回るほどだろう。


「ああ、我らには人間のような痛覚はないので御心配なく。」

「あれ?アリスが痛覚があるって言ってたんだけど。個人差みたいなのあるの?」


 そういえばアリスも一旦昏睡状態になって回復した後に、痛みを無視できるようなことを言っていた気がするが、彼女の言う思考のパターンのようなものの影響を受けるのかもしれない。


「アリス様は別格です。より高みへと到達するために、痛みや恐れなどを獲得されたと聞いております。そうなのです、我らをお導きするために。ああ、アリス様、あなたを今すぐにお救いすることができない私をお許しください。」


 彼女はどうもアリスのこととなると感情的になるようだ。金属板で覆われた貨物用エレベータのカゴの中で彼女の声が反響する。


「あー、うん、そうだね。でももうちょっと静かにしてもらえると嬉しいかな。」


 ナナクとしてはアリスのことをこれ程大切に思ってくれる者がいることは悪い気はしなかったのだが、その表現方法には苦笑するしか無かった。


 エレベータが上の階、バースまで到着した。もう少しで宇宙船までたどり着く。ナナクは再びプルートを背負って足を進めた。ナナクはバースの光景が先程までとだいぶ異なることに気付いた。天井のパネルがいくつも落下してその奥の配管がむき出しになり、よくわからない黒い粒が散乱している。ダンは大丈夫だと聞いていたが、その目で無事を確認するまではまだ不安があった。二重ハッチのドアの横の四角いプレートに顔を近づけ、ピロリンという認証音を聞いてから彼はハッチ中央のレバーを引いた。ここまでの動きに異常はない。いつも通りだ。中に入ってから外扉を閉め、二重ハッチのうち内扉を開けようとしたところ、ひとりでに開き始めた。後ろでバタバタとした音が聞こえた。


「お前ナナクか。」


 ダンの声が聞こえた。


「そうだよ。」


「良かった。無事だったんだな。」

 少し身をかがめると開く途中のハッチからダンの姿が見える。食料庫に半分体を隠し、手にはやや古風なライフル銃を持っていた。侵入者かも知れないと思ったのだろう。


「船長。安心して、僕だよ。アリスが助けに来てくれたんだ。」


 ダンがナナクの方へ小走りで近づいてきた。後ろに背負ったプルートも目に入る。


「そうか、アリスちゃんもひどい怪我だな……っておい、誰だよ!こいつは。」


 ナナクの背後で帽子を被っていたため、近づくまでダンは気づかなかったが、彼が背負って帰ってきたのはアリスではなかった。


「えーっと、これから説明するけど、一旦救護室へ運ぼうと思う。」


 3人はひとつ上のフロアのアリスの部屋、元々救護室だったその場所へ入っていった。


 ………


 ……


 …

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