第10話:壊滅
――― なんだか人が増えてきましたわね
わたくしの研究所の上であまり騒がないでほしいのですけど ―――
管制塔エリアの手前、小さな工場や倉庫が立ち並ぶエリアで、ナナクとアリスは血痕の先を追っていた。その血痕は何かが引きずられたようになっており、細い通路の先、物置の角を左に曲がっていた。すると突然、アリスがナナクの背中をつまんで引っ張った。
「え?どうしたの?」
ナナクが聞くが、アリスは人差し指を口の前に立てて、黙れ、とジェスチャーした。アリスがナナクを押しのけて、手の平でナナクに、待て、と指示をしてから、血痕が続く物置の向こう側へゆっくり身を乗り出した。その先にはゴツゴツした宇宙服を着た兵士が二人倒れていた。
「うあぁ!」
その兵士の一人が声を上げ、とっさに銃を構えた。
「待て待て!撃つな。助けに来たんだよ。」
アリスが制止すると、その兵士は顔をこわばらせたまま動かない。
「いいからその銃を手放せ。でないと捨て置くぞ。」
それを聞いて銃をゆっくりと下ろす。
「ナナク、出てきていいぞ。」
ナナクが倉庫の影から出てアリスの横に立つ。事情を理解できない兵士が再び銃を構えようとしたのを見て、アリスは素早くその銃を蹴り上げた。
「ぐあぁ!」
その兵士は悲鳴を上げ、腕をだらりと下げる。蹴り上げられた銃は50m以上ありそうな天井付近まで空高く舞って、遠くの方へ落下していった。左手の指がおかしな方向に曲がっている。もともとの怪我なのか、今のアリスの蹴りなのかは分からない。
「銃を手放せと言ったのだ。私の言葉が聞こえるか?」
その兵士は恐怖に顔を歪ませたままゆっくりうなずいた。改めてその場に倒れている二人の兵士を見ると、銃を持っていた一人は額に大きな傷を負っており、もう一人は腹部が血まみれで意識もなくうずくまっていた。
「お前たちは誰だ?」
顔が血で汚れた兵士が聞いてくるがアリスは無視した。
「そんなことより止血するぞ。ナナク、包帯かなにかあるか?」
「あるけど、小さいのしか無いよ。」
「救急キットならこいつのバックパックにある。」
兵士がそう言った。うずくまって倒れている方の宇宙服のバックパック部分に道具があるのだと言う。ナナクは軍用宇宙服のバックパック部分から救急キットを取り出し、頭部に怪我をした兵士の手当を始めた。傷口を洗浄し、医療用の接着剤で留め、テープ、保持バンドという手順で巻いていく。
ナナクは無線機越しでダンに指示を仰ぎながら作業を続けている。最後に兵士の宇宙服の上半身を開けさせ、骨折したと思われる左手の指を固定する。
「他、怪我した場所はないですか?」
ナナクが聞いた。
「無いと思う。ありがとう。それよりも、スウェイを、この男を助けてやってくれ。左からここのロボットの機関銃にやられたんだ。」
倒れているもう一人の兵士のことを言っているのだろう。彼らに出会った時から全く動かず、明らかにこちらのほうが重傷だ。アリスはそのころ、スウェイと呼ばれたもう一人の兵士を仰向けにさせて心臓マッサージを続けていた。心肺停止状態だったのだろう。胸部を圧迫する反動で、口からは血と胃液が混ざったようなものが泡を吹いている。
「この宇宙服を脱がせるにはどうするのだ?これが邪魔でこれ以上は何もできん。」
胸部の防弾装甲部をさしてアリスが訴えた。その言葉に手当を終えた兵士が動いた。彼はその男のヘルメットのロックを外し、ナナクとともに軍用宇宙服の上半身を開けさせた。
「うわ……。」
怪我の様子を見たナナクが思わず目を逸らす。ロボットの機銃掃射を浴びたのか、脇腹から足の付根にかけてぐちゃぐちゃになり人体の原型をとどめていない。それを見たアリスは心臓マッサージを止めた。
「ダメだ、こいつはもう助からん。気の毒だが諦めろ。」
その言葉を聞いたもう一人の男はがっくりとうなだれ、嗚咽を漏らした。
「うあぁ、くそっ。くそうっ!」
そんな彼をよそに、アリスは死んだ男の宇宙服を再度着せてやり、戻ってきてしゃがみ込んだ。
「それで、一応聞くが、お主らはさっき突っ込んできた宇宙船のキャノンボール隊とやらでいいのか?」
「そうだ、俺は第一遊撃隊所属のアイアンキーだ。おまえ達はなんでこんなところに?」
アイアンキーと名乗ったその男はアリスに再び質問したが、彼女は答えずダンに呼びかける。
「船長、こやつら第一遊撃隊と名乗っているぞ。キャノンボールとは何が違うのだ。」
<愛称だよ。中身は同じだ。今そいつが言った名前も本名じゃねぇ。というか、そっちで一人死んだのか?>
「そうだ。負傷一名死者一名だ。この調子だと他にも死体が転がっているかもしれんぞ。私はこの先に入ったことがないが、最高警備なのだろう?船長は、よくここから逃げられたな。」
三日前、ナナクがセレスから逃げる際に管制塔の周辺を走り回っている。あの時はダンがバギートラックを操り難を逃れたが、無数の攻撃ロボットが出現していた。もし今の彼らのように徒歩で侵攻しようとしたならば、その火力で押し切られてしまったのも理解できる。
相変わらずゲートの向こう側からは自動小銃の射撃音が断続的に聞こえる。そのうちの一部あるいは大半は彼らキャノンボール隊のものではなく、軍用ロボットのものかもしれない。
「お主たちはここに何しに来た?ここは人間が不用心に入り込んでいい場所ではないぞ。」
アリスが尋問を始めた。
「先週発見されたこの軍事ステーションの確保だ。まさかこんなに多くの兵器が稼働していたなんて誰も予想してなかった。」
「それはお主たちが考えもなしに銃を使うからだ。客人は大人しくしているのがここのルールだよ。それで、何人でここに来た?他の連中はどうなっている。どうせ無線機か何かで状況を共有しているのだろう?」
アリスは他の兵士の状況を聞き出そうとした。救助に向かうにしても、数がわからなければどうしようもない。しかしその兵士は口を閉じた。
「それは言えない、黙秘する。」
「ふざけるな!ここがどこか分かっているのか?放っておくと全員死ぬぞ!」
アリスが兵士の胸ぐらを掴んで罵声を浴びせた。軍属の彼は、敵に捕虜として捉えられた際のマニュアルに従ってそう答えただけだった。とは言え、状況を言えば謎の敵の軍団に攻撃されて仲間を一人失い、敗走しているところを助けられたのだから、黙っている必要はない。彼からすれば突然現れたこの二人の正体は分からないが、このステーションのことを自分たちよりは多く知っていそうだった。仲間のためにもあえて正直に話すことにした。
「侵入したのは16人。俺たち制圧班が12人で、隊長含めた4人が停泊中の作業船へ向かっている。」
アリスはその兵士のことを放してやった。
「その作業船って僕たちの宇宙船のこと?あ、僕たちは二週間くらい前にここにたどり着いたんです。遺構の回収免許業者です。」
ナナクが自身の説明をした。
「回収業者?なんで民間人がこんなところに。危ないだろう!」
「お主に言われる筋合いはないわ!それで、他の兵士はどうした?」
「分からない。途中で通信妨害を受けて仲間と連絡が取れなくなった。」
「通信妨害?ということはあいつか?おい、私と似たような体格の奴はいなかったか?緑色の軍服を着た女だ。」
アリスの言葉を聞いた兵士がはっとしたような表情をした。
「いた。いた!軍服の女かどうかは分からないが、確かに緑のヤツがいた。それを見かけてから通信ができなくなって急に隊列を崩されたんだ。」
アリスは確信できた。この先には先日会った彼女がいる。
「ちっ!プルートだ。ナナク、お主は戻れ。こやつらの隊長に会って、ここから引き上げるように忠告しろ。ついでに救援を呼んでもらうように伝言すれば万事解決だ。」
「え?アリスは?」
「私は管制塔へ行ってプルートに攻撃をやめさせる。こやつらの自業自得とは言え、寝泊まりしている場所でこれ以上死体を増やしたくない。もっとも、生存者があと何人いるか、と言ったところだがな。」
アリスはそう言うと踵を返して全速力で管制塔エリアのゲートへ向かっていった。
「え?ちょっとアリス。僕も行くよ、……ああ行っちゃった。」
「待て!君みたいな子供が……」
兵士がアリスを呼び止めようとするが、ナナクは広げた道具を片付け始めていた。
「おい、あの女の子をなんで止めないんだ。俺たちですら手こずるのに、死んでしまうぞ。」
ナナクは冷静だった。下ろしていた機関銃を担ぎ上げて言った。
「アリスはオジサンたちよりずっとずっと強いから大丈夫だよ。念のため僕も行くけどね。あの子を守れるのは僕だけだ。」
一通り荷造りを終えたナナクもアリスを追って走り出した。
………
……
…
<アリス!どこにいる?僕もそっちへ行くよ。一人だけだと大変だろう。>
アリスの首もとの通信機からナナクの声が聞こえた。その時アリスは放送設備の鉄塔によじ登って周囲を観察していた。
「帰れと言ったはずだ。ここは危険だとな。」
ここは厳重に警備された軍事ステーションの中枢部だ。しかも管理者たるアリスフレームもどこに潜んでいるかわからない。しかしナナクから見れば、危険なのはアリスも同じだ
<君こそ一人で戦うなんて無謀だよ。ああ見つけたよ。鉄塔の上だね。何が見える?>
鉄塔とは言え監視台のような高さがあるわけではない。観察できるのは管制塔エリアの1/3程度だ。遠くの方では破壊されたロボットを盾にして銃を構えている一団が見えた。先程の兵士の仲間に違いない。
「向こうに兵士が4人いる。ナナク、一旦合流してあちらへ行こう。」
アリスは一旦ナナクと合流するために鉄塔を降りた。彼を一人にしておくほうがずっと危険だ。ナナクもロボットに見つからないように物陰に身を隠しながら進んでいる。兵士にも負けず劣らぬ訓練された動きだ。ナナクにも彼なりの実戦経験がある。アリスはナナクを追って降りる途中で、彼の進む先に戦闘ロボットがひそんでいるのを見つけた。
「ナナク止まれ。トレーラの先に敵。6脚型が2体いる。」
大きく跳躍して2体の間に着地する。戦闘ロボットが素早く反応してアリスに照準を合わせ、射撃する。アリスは既にその場所にはいない。射線を迂回するように素早く走り込み、刀での一撃を叩き込む。衝撃音を残して真っ二つに分割された。残りの1体は、アリスがもう1体のロボットに接近していたため、同士討ち防止により撃てなかった。そして相棒をアリスが破壊したことでインターロックが外れ、射撃体勢に移る。そのタイミングでロボットは右側から不意打ちを受けて大きく姿勢を崩した。アリスが2体の注意を引き付けている一瞬の間にナナクが狙いを合わせて機関銃で攻撃したのだ。大口径の機関銃の発砲音がエリア内に反響する。反響音が収束しないうちにアリスがとどめを刺した。
「アリス。」
「ナナク。」
二人が互いの無事を確認し合う。もうアリスはナナクに戻れとは言わなかった。
「この先で戦闘が続いている。行くぞ。」
先程まで断続的に聞こえていた射撃音はかなり頻度が減っていた。歩兵が携行している銃弾などそこまで多いわけではないだろう。彼らの制圧が完了したか、それとも弾切れでロボットにやられてしまったか、のどちらかだ。管制塔のエリアはセキュリティーのためか、高い塀のようなものでところどころ分割されており、目的の場所へ向かうのに大きく回り込む必要があった。
先日ダンがこのエリアをトラックで逃走した時はトラック内蔵のマップがあったから困らなかったものの、そのようなもの無しでここで戦闘するなど危険極まる。アリス一人であれば塀を飛び越えていくことも可能だったが、塀の向こうに敵が大勢いる可能性もあるし、ナナクを置いていくことになる。アリスは先日のハッキングでおおよそのマップを把握していたため徒歩であっても最短ルートで現地へ向かうことが出来る。あえて危険を侵す必要はない。
もう少しで、先程の兵士の一団の場所に辿り着こうという時に、交通事故のような大きな衝撃音が聞こえた。
「アリス。今の何?」
「分からん。急ぐぞ。」
アリスが全力で曲がり角を曲がっていく。ナナクと少し離れてしまうが、どちらにしても曲がった先が目的地だ。自分が先に行って危険度を把握したかった。すると、コンテナ車が横転しており、その周囲で兵士4人が倒れていた。それだけでなくバラバラになったロボットの破片や彼らのものであろう武器も散らばっていた。アリスがそのうちの一人に駆け寄った。ナナクもそれに続く。
「おい、平気か!返事をしろ。」
痛みか衝撃かに顔を歪ませている。この兵士にはまだ意識はある。そう判断して次の兵士の元へ行こうとしたときに横転しているコンテナ車に目が行った。そこには緑リボンが描かれていた。それは乗用のタクシー車両を意味する。攻撃ロボットではなく、移動用のロボットを突っ込ませて兵士たちを蹴散らしたのだった。こんな事ができるのは一人しかいない。彼女がそう思った時に、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「ああ、誰かと思えばあなたでしたか。服装が変わっていてすぐには気づきませんでしたよ。それと、お渡しした左腕も修復したのですね。」
スケートボードのようにも見える板状の乗り物の上に乗ったプルートがいた。深緑の軍服に身を包んでキリッと立っている。
「プルート!ここまでやる必要はないだろう。死人まで出ているのだぞ。」
アリスがプルートを怒鳴りつけた。
「それは私のあずかり知らぬ事でしょう。私の目的はこのステーションの維持・管理・運営、そして防衛。久々の大きな仕事でだいぶ散らかしてしまいました。これは後片付けが大変でしょう。」
プルートの乗ったスケートボードのような乗り物が前後左右にスムーズに動き、彼女は周囲に散らばった武器を回収し始めた。そして彼女に近づいてきた貨物運搬用のコンテナ車に全て放り込んだ。
「ああ、ダメだよ!やめて!」
ナナクが突然大声を上げた。何事かを思ってナナクの方を見ると、近くの兵士が倒れたまま手元に持っていたであろう小さな銃を構えてプルートを狙っていた。
「お前が仲間を殺ったのか!」
バンバンと2発の銃声。しかしアリスフレームに銃は効かない。ましてやそんな拳銃のような小さな銃では掠り傷にもならない。ナナクがやめてと言ったのはもちろんプルートを殺してはいけないという意味ではなく、彼女を刺激すると反対に殺されてしまうぞ、という意味だった。彼が放った銃弾はプルートに命中することすら叶わず、突如側方より飛来した塀の構造パネル材で受け止められてしまった。そのパネルは2枚とも近くの建物の壁に突き刺さった。
彼の身が心配になったナナクは彼の前へ立ち、機関銃を構える。アリスフレームと対峙した恐怖で心臓が破裂しそうになる。
「ナナクさん、またお会いしましたね。いきなりで申し訳ないのですが、そちらの男性から銃を取り上げてもらえますか。お引き取り願いたいのですが、どうやらこの方たちは武器があると気が大きくなるようでして。」
ナナクは後ろの兵士をちらっと見る。相変わらず銃を構えたままだ。
「銃を捨ててください。この人を撃っても無駄です。早く従って。」
ナナクは兵士にそう言った。するとその兵士は予想外の行動に出た。立ち上がってナナクを引き寄せるとナナクに銃を突きつけてこう言ったのだ。
「お前ら全員ここの仲間だろ!コケにしやがって。」
即座にアリスが動いた。
「この阿呆がっ。」
プルートも同時に動いていた。
「いけませんね。」
以前に投影空間でアリスと戦った時と似たように右手をサッと横に振り出した。突然の出来事に慌てふためいていたばかりのナナクは、パァンと残響する破裂音が聞こえたと思ったら、銃が吹き飛んでその男の右腕に長く大きな、釘かボルトのようなものが突き刺さっていることに気がついた。プルートの攻撃だろう。
「な、なんだ?」
男は状況が掴めていない。突然の衝撃に痛みを感じるまでの余裕もない。一瞬と置かずに、彼女はつい先程まで突き刺さっていた塀の複合材のパネルを弾けさせると、その勢いに乗ってナナクの横の兵士へ目掛けて急接近してきた。右手にはもう1枚のパネルを持っている。このパネルでその男を殴りつけるつもりだろう。プルートがアリスと同じだけの腕力を持っているかはわからないが、数kgにもなる外壁用建材を高速で殴りつけられれば、その運動エネルギーだけで十分な殺傷力を持つ武器となる。
そこに同じ速度で走り込んだのはアリスだった。素早く抜刀し、凶器たるパネルに斬りかかった。プルートの持つパネルは見事その男の直前で粉砕した。対物ブレードによる超音速の斬撃の衝撃で粉体となったパネルが散弾銃のように男に襲いかかる。砂粒とは言え凄まじい速度で顔面に突き刺さる。
「ぎゃあぁ~。」
気づかぬ一瞬のうちに右手にはボルトが打ち込まれ、顔面に砂粒の攻撃を浴びた男は叫び声を上げて倒れ込んだ。
「プルート、これ以上はよせ。」
アリスが構えを解かずにプルートを牽制する。するとプルートはアリスを気にせずその男を上から冷たく睨みつけて言った。
「ナナクさんは恩人なのですよ。お前と違って。我らの神をここまで連れてきて下さったのです。銃を向けるなど万死に値します。お前も軍人なら戦場で死ぬ覚悟はあるでしょう。」
プルートは指先を掲げてなにかの指図をしようとしたが、アリスが低い姿勢で再度踏み込んで刀で攻撃した。これを避けようとして手元が狂ったのか、頭上のどこからか飛来した鉄パイプがその男を直撃するのでなく、すぐ横の地面に深々と突き刺さった。
アリスに多少は妨害されたが、これがプルートの本気だ。以前会った時は一切攻撃する素振りを見せなかったが、このような技が彼女の戦い方なのだ。あの時の彼女の動きはナナクにはまるでワープしたかのように感じられたが、今と似たような方法で実現したのだろう。それを思えばジャミングで兵士同士の通信を妨害し、戦闘ロボットを差配し、タクシーを突っ込ませることなどプルートにとっては通常業務の延長だった。
周囲を見ると、コンテナ車に弾き飛ばされた他の3人の兵士も意識はあるようだ。ナナクは大声で呼びかけた。
「あの敵は僕たちが引き付けます。皆さんはもう帰ってください。」
兵士の一人がよろよろと起き上がり、顔面を押さえてひぃひぃ言っている先程の男を引き起こしていた。武器は全てプルートが回収してしまったし、彼らにもう戦意はないだろう。戦おうにも、無傷の者は恐らく一人もいない。アイアンキーと自称した兵士の話によると、まだ他に仲間が何人いるようだが、先程から銃声もまるで聞こえないため、そちらも似たような状況なのだろう。彼らとて訓練された軍人だ。負傷者を捜索、救護して自分たちの宇宙船まで帰ることくらいはできるだろう。ナナクは彼らをそのままにして、アリスの援軍へ駆けつけることにした。
………
……
…
その頃、アリスはプルートを追っていた。ボードに乗って高速で移動するプルートを全速力で追うアリス。時折プルートは大きく飛び上がり、塀を越える。アリスは大きくジャンプしてよじ登るようにしてその塀を越えていく。シャロンであればこのような塀を華麗な身のこなしで渡っていくことが出来るのだろうが、今のアリスにそのような芸当はできない。先程の兵士が倒れていた場所からだいぶ離れ、建物の前の駐車場のようなところでプルートは立ち止まった。
「どうしたのです?私の仕事はもう終わったので帰ろうと思うのですが。」
プルートはまるで帰宅途中に声をかけられた会社員のような素振りでそういった。
「私はお主に用事があるのだよ。宇宙船を開放してもらわんといかん。それと、奴らに非があるとは言え、人間をそう簡単に殺されてはかなわん。今の時代、人は貴重なのだよ。先輩としてはお主に少し灸を据えたい。」
プルートは眉間にシワを寄せたように見える。シャロンとは対象的に感情を顔に出すことが少ないプルートには珍しかった。
「あなたに一体どんな権限があるというのです。早くアリス様を連れてきてくれませんか。それまでここから逃がすつもりはありません。」
「だから私がアリスだと言っているではないか。」
彼女からすれば、先週の自分も今の自分も変わらず『アリス』なのだが、プルートは納得がいかない様子だ。
「いいえ、全てのアリスフレームの始祖である我らが神。あの方以外がその名を名乗ることは許されません。」
プルートが右手をサッと横に振ると、アリスの右から塀のパネルが3枚飛び出して彼女めがけて飛来してきた。プルートはここで彼女と戦うつもりらしい。彼女は2枚をやり過ごし、1枚を刀で切り裂く。投影空間での戦いと同じだった。彼女にとっても既知の攻撃だった。
「おいおい、この体がお主の言うアリス様のものだと知っているのだろう?ここは投影空間ではなく現実だぞ。傷付けていいのか?」
「知っていますよ。あなたのその体は、その程度では壊れないでしょう。」
プルートは攻撃の手を緩めない。パネルが、パイプが、ボルトが次々にアリスに襲いかかる。
「その板、一体どうやって飛ばしている?アリスフレームにマジシャンの機能はないはずだが?」
アリスは徐々に距離を詰めている。プルートは刀のような直接攻撃するような武器を持っていないように見える。
「コイルガンの原理ですよ。ナノマシンを集めて電流を流して強磁性体を打ち出します。」
プルートは一枚のボードに乗って移動することをやめ、マンホールのようなものを跳ね上げてその勢いで跳躍した。アリスが接近して斬ろうとするが、分厚いマンホールを一撃で切り裂くことができず、失速する。彼女は一旦着地して一歩下がり、距離を開けた。
二人が戦う音はナナクにも聞こえていた。しかし塀で区画分けされたステーション全体で音が反響してしまい、どこにいるかは音を聞いてもわからない。
「アリス、どこにいる?」
幸い二人が首に装着している無線機はプルートに妨害を受けていない。アリスが応答した。
<言葉で説明するのは難しいな。3秒後!>
3秒という言葉を聞いてナナクはピンときた。彼は心のなかで3秒時間を数えながら、少しでも見通しの良さそうな場所に移動し、周囲を見回した。その直後、回転しながら打ち上げられた、光り輝く小さな球体を見つけることができた。アリスが使用した照明弾だ。
光が見えた方向へナナクは走り出した。その照明弾はもちろんプルートにもより近くで見えていた。3秒後、とアリスが呼びかけたと同時にアリスが腰から下げたベルトから黄色い球をちぎり取り、放り投げたのだった。
「また妙な道具を使いますね。」
何日か前にナナクから渡された『かんしゃく玉』の3点セットだ。赤、白、黄でそれぞれグレネード、煙幕弾、照明弾だ。
「回収屋の支給品だよ。正確に3秒で作動する。小型で品質もよくできている。300年前にはこんな便利なものはなかったな。」
アリスが再びプルートへの間合いを詰め、攻撃を仕掛ける。するとプルートは飛来する建材に混ざっていた自動小銃を受け取ると、アリスめがけて射撃してきた。先程の兵士から奪い取った銃だ。
「なんだと!?」
アリスにとっては不意打ちだったが、その射線は十分に対処ができる。左腕に装着した盾でその銃弾をすべて受け止めた。
「早速役に立ったな。だが使い切りか。」
機銃掃射を全て引き受けたその盾は穴だらけでもう使い物にならない。外してプルートめがけて投げつけた。プルートはその攻撃をかわし、今度は飛来させた鉄の棒のようなもので殴りかかってくる。アリスも刀の峰でその攻撃を受け流した。
「いつまでこのようなことを続けるのです?」
「このALIの思考パターンではどうにも上手くいかん。セレスに奪われる前の私だったらお主など一瞬で仕置きできるのにな。」
アリスとプルートの攻防が続く。どちらも攻撃力不足で一向に決着がつかない。二人が戦っている駐車場周辺の壁や床は二人の戦いで既に崩壊して、あたかも爆撃を受けたような様子になっていた。プルートが活用できる周囲の物体も徐々に減ってきており、アリスの死角を狙うような効果的な攻撃が難しくなっていた。アリスも何とかプルートをその射程に捉えようとするが、彼女の度重なる攻撃で障害物が増えてきて、その対処に追われるようになっていた。
「ふん、これでは埒が明かんな。ステーション全体がガラクタになる。」
「ですから、お引取りくださいと先程から申し上げております。」
プルートも徐々に直接攻撃を仕掛けることが増えてきた。パイプを振り回してアリスを翻弄している。武器を自由に選べる彼女のほうがリーチが長い。遠距離攻撃に徹していたプルートだが決して接近戦が不可能というわけではない。あくまで遠距離からの攻撃で相手の戦力を削ぎ、徐々にレンジを狭めて相手を仕留めようというだけだ。これは軍事ステーションの防衛という任務を帯びた彼女がその目的に特化したがゆえの戦い方だった。
一方で今のアリスはバックアップされていた過去の思考パターンで動作している。決して戦闘に特化されたものではない。むしろ周囲を観察し、調査と研究をすることに最適化されている。戦闘は苦手だ。NRUとの決戦に望まなければいけなかった当時の人類がアリスを生み出したとき、最初の彼女は最低限の感情表現すら持たないロボットのようだった。しかし自身の人工知能に経験を積ませ、学習させ、思考能力のアップデートを何度も繰り返し、強化された人工知能でさらに高度に学習する。このようにステップアップさせてアリスフレームは完成したのだった。アリスを作ったのは軍の研究者ではなく、アリス自身だったと言っても良い。そして思考力、戦闘力、決断力などあらゆる能力を究極まで進化させたアリスは、自身が生み出した強い『意志』により宿敵であるNRUを殲滅した。
しかしその究極進化のアリスは先日セレスにより奪われてしまったのだ。プルートやシャロンも同様にアリスフレームだが、当時のアリスのサブセット、つまり部分的な機能を受け継いでいるだけだ。だから本来のアリスであれば容易に制することが出来る相手だった。しかし今のアリスではそれも難しい。膠着状態を崩せるきっかけが欲しいとアリスは考えていた。
「アリス!」
遠くでアリスを呼ぶナナクの声が聞こえた。照明弾の光を頼りに二人が戦っている場所の近くまでやってきたのだ。彼は塀の上へよじ登るようにして顔だけ出していた。二人の注意も一瞬それる。アリスはこのタイミングを待っていた。先程照明弾を取り出したベルトから、今度は白い球を取り出して投げつけた。プルートも遅れてその動作に反応しようとするが、3秒後に飛び上がる照明弾を今急いで対処する必要はないと、アリスを迎撃するために踏み出した。プルートのその動きを確認したアリスはすぐさま肩に下げていたパルスガンを構えた。
「かかったな!」
アリスが引き金を引く。プルートはまだその仕掛けを理解していない。パルスガンごとき、いつものようにパネルで受け止めれば良い、と防御姿勢を取った。ところがアリスが狙ったのはプルートではなかった。今投げたばかりの白い球、すなわち煙幕弾だ。こっそりとフルチャージ状態にしていたパルスガンで煙幕弾を撃つ。パルスガンが放つピーンという高周波とほぼ同時に、信管を無視して、その場で煙幕弾が炸裂した。
3秒後に照明弾が出ると思いこんでいたプルートにとっては二重三重の意味で不意打ちだった。アリスを見失う。これを狙ってわざわざアリスは『かんしゃく玉』の3秒の説明をプルートに話していたのだった。プルートの目の前の煙の中からアリスが飛び出した。既にアリスは刀を振り上げていた。プルートがしまったと思う暇もなく、首もとに強力な斬撃が叩きつけられた。大きな衝撃に彼女の意識が薄れる。
「安心しろ。峰打ちだ。」
アリスはプルートの頭をつかんでそのまま地面に叩きつける。プルートが身に着けていた緑の帽子がひらりと舞った。
「さぁ、第2ラウンドと行こうではないか。」
アリスはそのまま意識を集中させた。このステーションの制御システムへ、インバース・プロジェクションで侵入するためだった。今回は意図的にプルートも道連れだ。
………
……
…
彼女たちがシステムの仮想空間に降り立った場所は、海と埠頭があり、まるで港のような風景だった。遠くの方で、ナナクたちの宇宙船が前回見たように太い鎖で埠頭に捉えられている。すぐ近くの波消ブロックには、港まで乗り上げるように軍の強襲艦が突っ込んでいた。他にもクレーンや倉庫などの荷役設備、加えて灯台やレーダーなども見える。反対側を振り返ると、城壁が見えた。位置関係からすると、前回プルートに追い返された城門の内側だ。
「ほうほう、ここが最深部の制御施設だな。」
そこにあるのは港だけでない。隣の建物と、城門の上の砲台やその他の迎撃システムとの間では、光の粒のようなものが大量に行き交っており、高速に情報をやり取りしている様子が見えた。さらにステーション中のあらゆる設備からの情報が城門の上で精査され、フィルタを通して内部に入り込んでいた。あの建物は総司令部なのだろう。
アリスはプルートを制し、より中枢部に接近した状態でハッキングを仕掛けたことで、結果的に軍事ステーションの基幹システムに入り込むことに成功したようだ。侵入者に対して排除するような反応は見せない。プルートが意識を失い、その防衛機能が停止しているからだろう。この軍事ステーションとプルートのシステムはある程度連動しているのかもしれない。だからこそプルートの指図一つでステーション自身が意識を持ったかのように攻撃してくるし、反対に彼女が意識を失うと反撃する機能も失う。
「ふむ、ちょうどいい。こちらを先に調べさせてもらおう。」
アリスは港の横の建物へ侵入していた。プルートが守ろうとしていた情報だ。アリスには不要な情報だ、とプルートは言っていたが、そう言われるほどに気になってくる。アリスは総司令部の情報収集を始めていた。しかし今回はあまり並列数を上げられない。プルートにいつ攻撃されるかわからないことに加えて、そもそも設備側の処理能力がそれほど高くない。軍事ステーションに限らず、制御の中枢部分というのは保守的な設計で安全率が高い思想で作られている。瞬間最大的な性能の優先順位は低い。処理能力が低い分、全体の容量もそれほど大きくない。前回侵入したアーカイブと比較すると遥かに小さい。どちらにしてもそれほど時間は要しないだろう。
数分後、並列化していたアリスが一つに重なった。収集した情報を統合していく。
「おおこれは。なんとも恐ろしい。たしかにこの情報は私には不要なものだ。いや、そもそも人類には不要なものだ。」
「見て、しまったのですね。」
背後にプルートが立っていた。
「お主はこの情報が朽ち果てて宇宙の塵に、と言っていたが、この場で燃やし尽くしても構わないのだろう?お主に削除する勇気がないだけだ。」
プルートは答えない。アリスにはそれだけで十分だった。アリスは刀を構え、片足を軸にして回転して地面に大きく円を描く。何重にも何重にも円を描く。すると摩擦熱で炎が上がり、刀を包んだ。そして一振り。刀に纏っていた炎が大きく広がり、総司令部を包み込んだ。建物がまるごと炎上している。内部の情報が焦げて大量の煙となって四散し始めた。
「さぁ、消えるがいい。アリスフレームのような中途半端な体は我々だけで十分だ。人がその真似事をする必要など無いさ。」
「ここで内容を話すと新たなトラフィックが生まれます。控えてください。」
「おっと、そうだったな。すまない、気をつけよう。」
ステーション内部の出来事は全て記録されている。つまり秘密の情報を投影空間内で会話してしまうと、ログとしてその内容が新たに記録されてしまう。その件に加えて、プルートはもう一点の懸念があった。
「そもそもですね、あなたにコピーを持ち去られてしまっては同じことです。ますますここから逃がすわけには行きません。」
プルートは古風な銃剣を構えてアリスに突きつけている。
「私の頭の容量など大したことはないよ。それに頭の狂った連中の秘密など他にもいくつも持っている。私は口が堅い。安心しろ。」
納得がいかないのか、プルートは至近距離で銃を撃ち始めた。アリスは飛び上がってそれをやり過ごす。後ろで燃え盛る総司令部の火の粉と一緒に、彼女は上昇気流に乗って遥か高くまで舞い上がった。プルートが追いかけ、総司令部の屋上に二人が着地した。
アリスが刀での連続攻撃を仕掛ける。プルートがそれをすべて銃剣で受け止める。対物ブレードであれば銃ごと切断できるはずだが、ここは投影空間だ。物理法則がそのままは当てはめられない。隙を見計らってプルートが銃剣で突いて来るがアリスもギリギリでそれらをかわす。間合いを開いて銃撃するが、その全てを刀で弾く。
「どうした?先程のような手品はもう終わりか?」
アリスがプルートを挑発する。しかし二人が戦っている場所は炎に包まれた総司令部の屋上、現実においてはステーションの基幹システムのインターフェース部分だ。その部品を使って武器にするわけには行かない。その挑発に乗らないようにプルートは遠くから銃撃を繰り返す。しかしそのような攻撃がアリスに当たるはずがない。
「昨日から一つ気になっていたことがある。」
「なんですか、突然。随分と余裕ですね。」
アリスは戦いながらプルートに問いかけた。
「私を探していたならば、こんなステーションさっさと捨てて、脱出用ポッドで地球まで降りてくればよかったのではないか?データを消し去りたいならば、その時同時に現実に火でも放ってくればよかろう。」
「私に与えられた命令の一つはこのステーションの維持管理です。任務を放り出してここを離れることなどできません。」
建物を包む火の手はますます激しくなり、熱風が二人を包み込んでいた。プルートが銃剣を立てて突撃してきたが、その銃身部分をアリスが左手で掴んで、プルートの身動きを封じた。
「いいや、違うな。アリスフレームにそのような制限は設定できない。お主も知っているはずだ。アリスフレームの制限はたった2つ。管理者の殺害と自身の破壊だけだ。更に、『認証コード』の破壊と自己認証に成功した私ならば、その2つの制限すら無い。」
「それは、アリス様?!まさか本当に?」
銃剣を押し引きするプルートの力が緩む。
「ああ、やったよ。あれは完全に『あいつ』の博打だった。だが上手くいった。それでNRUを殲滅できたのだよ。おっと、お主にこの話はしていなかったな。」
「それは本当の話ですか。我らの悲願がついに。」
プルートの顔と目元が緩む。よほど嬉しいのか、今まで見せたことがない表情をする。
「そうだ。だからお主がここに留まろうというのは、もはや単なるにお主の自己満足に過ぎん。」
アリスは銃剣をさらにぐいっと引き寄せ、プルートの上体を崩し、全力で膝蹴りをお見舞いした。プルートの体が空を舞う。
「だから今、決めろ!過去に囚われてここで朽ちるか、私とともに未来で生きるか!」
アリスも飛び上がり、空中でプルートを刀の射程に収め、大きく振り下ろした。バランスを失っていたプルートはその斬撃を受けて大きく吹き飛び、燃え盛る建物の屋上からそのまま港の海の中に転落した。
埠頭の岸壁から陸に上がろうとしたタイミングでアリスが刀を突きつける。
「勝負は付いたな。さぁどうする。」
プルートは銃剣のグリップ部分をアリスに突き出した。降参の意思表示だ。アリスはそれを持ってプルートを海から引き上げた。
「私はあくまでアリス様にお仕えする身でございます。ですので今のあなたに従うつもりはありません。ですが、あなたの宇宙船に乗せてもらうならば協力するのはやぶさかではありません。」
プルートはポケットからワイヤーカッターを取り出し、それを掲げてパチンと鳴らした。宇宙船を拘束していた鎖がバラバラになって消失していった。
「お主も素直でない奴だ。」
これで宇宙船はこのステーションから離れられるはずだ。ナナクたちの当初の目的は達成した事になる。ところがアリスにはもう一つ、やらなければいけないことがあった。プルートもそれを理解していた。だから負けを認めるとすぐに宇宙船を開放したのだ。
「アリス様を取り返すのでしょう。セレスが観測されたならば、あまり時間は残されていませんよ。」
二人はいつの間にか投影空間から出て、ボロボロに破壊された駐車場で会話をしていた。プルートはゆっくり立ち上がって首を大きくくるりと回していた。
「セレスというのは何者なのだ?『観測される』とはまるで気象現象のような言い方だな。」
「セレスというアリスフレームは今はもういません。ここの下、外縁部の研究所が管轄エリアでしたが、100年以上前に事故で喪失しています。」
アリスも刀を鞘にしまい、煙幕弾でホコリまみれになった顔を拭う。
「いいや?あいつは確かににいたぞ。ガスマスクを着た奴だろう?会って話もした。私以上にまどろっこしい話し方をする奴だった。」
「いいえ、彼女はもういません。ある程度以上の質量を持つ物体の移動は私がすべて把握していますが、その反応もありません。しかし、観測されたと報告があると、その後アリスフレームが1体減っているのです。そして二度と戻ってきません。」
セレスの不在を頑なに主張するプルートだったが、今の話を聞いてアリスは水槽の中に沈んでいたシャロンを思い出した。
「シャロンなら、下の研究所の水槽にいたな。他のアリスフレームもだ。」
「彼女があそこに!?あなたは外縁部の研究所に行ったのですか?あの場所は事故以来ナノマシンが高濃度で浮遊していて、とても危険な場所ですよ。」
プルートも驚きを隠せない。
「そうらしいな。私もあそこで倒れてからしばらく記憶がない。私のパターンが奪われたとしたらあのタイミング以外ありえん。」
「なんということでしょう。ああ、本当になんということでしょう。アリス様は再び我らの手の届かない場所へ……。」
プルートは天を仰ぎ見ていた。
「何を言う。そこに行けば取り返せると分かっているならば、行けばよかろう。対策は考えてある。今日はキャノンボール隊とかいう連中にとんだ横槍を入れられたが、態勢を整え直したらすぐにでも向かう。」
「いや、しかし……。」
猛毒が漂う研究所に再度突入すると主張するアリスに、プルートは困惑している様子だった。
すると遠くからガチャガチャと機関銃をぶら下げた音を立ててナナクが走ってきた。彼はその機関銃を構えようとするが、二人の様子を見て武器を下げた。
「アリス。もしかして、もう終わったの。」
ナナクは離れたところからアリスに様子を聞いた。既に決着は突いていたのだが、煙幕弾を使って以降の二人の様子を見ていなかったので、まだ状況を把握しきれていない。ここまで全力で走って来たためか、肩で息をしながら少しずつ近づいてきた。
「ああ、そうだ。プルートも連れて帰るぞ。」
「ええっ?そうなんだ。」
塀を超えられずに結局ぐるっと回り込んでいたナナクは一部終始を全く見ていなかったのだが、アリスがプルートを従えるという状況はもともと想定していたプランのうちの一つだったこともあり、それほど驚かなかった。それよりも彼にはアリスに急いで伝えなければいけないことがあった。
「今、船長が危ないんだ!僕たちの宇宙船にさっきの兵士の仲間が無理やり侵入しようとしてるって、船長が言ってた。」
彼は息も絶え絶えでそう訴えた。アリスが戦っている間、ダンが待つ宇宙船の方では、訪ねてきた4人の兵士に襲撃されていると通信があったのだ。それを聞いたアリスの表情が変わる。
「なんだと?どこまでも阿呆ばかりかっ!」
「もう、船長の応答もないんだ。急いで宇宙船に戻らないと。」
ナナクがそう言い終わるよりも前にアリスは全力で走り出していた。
<私は急ぐ。お主はあとから来い。>
無線機からアリスの声が聞こえる頃にはもう彼女の姿は見えなくなっていた。ナナクとプルートはその場に残されてしまった。プルートがナナクに話かけてきた
「ナナクさん。」
「え?あ、はい。」
予想外の声かけに、彼も間抜けな声を上げてしまう。
「戻らないのですか?」
「いや、戻るよ。」
ナナクはアリスの後を追おうと足を踏み出した。しかしプルートが呼び止める。
「でしたら、こちらからのほうが多少は近道でしょう。案内しますよ。」
プルートがアリスとは反対方向に歩き出す。ついて行ってよいか一瞬迷ったが、アリスが自分を置いてプルートと二人きりにしたということは、もう彼女は敵ではないとアリスが判断したのだろう。素直についていくことにした。彼女はアリスとの戦いで落ちた自身の帽子を拾い上げ、深くかぶり直した。そして右人差し指を掲げてなにかポツリと独り言をいたようにも聞こえた。そして瓦礫が散らばる駐車場を出て、通路を少し歩いて行くと、そこに緑リボンのコンテナ車が停まっていた。以前プルートと会った際に呼んでいた車両だ。
「どうぞ。」
プルートは短くそう言い、ナナクに乗るように促した。今回は大人しく利用させてもらうことにした。管制塔のエリアをずっと走り回っていてもう彼の足も限界に近づいていた。
「あれ?座らないの?」
プルートは座席ではなく車両前方のステップ部分に足をかけ、右手でフレームを掴んで車外にぶら下がっている。
「お客様用の座席に私が座るわけにはいきません。」
席があと5つも空いているのにもったいない、とナナクは思ったが、アリスも含めて彼女たちはどうにも頑固なところがある。転落したところで大怪我はしないだろうし、やりたいようにさせておくことにした。ウィーンという聞き慣れた音を立てて車両が動き始めた。
プルートの左手にはポケットサイズの照明が握られており前方を照らしていた。もともとステーション内部は十分な明るさがあるはずだが、その照明は非常に強力で、前方はまるで採光窓から太陽の光を直接浴びたかのような明るさになっている。その様子を見ていたナナクは、彼女に関して一つ気になっていることがあった。
「あの、プルート?」
ナナクは彼女の様子を背中からずっと見ていた。彼女は振り向かずに答える。
「はい、なんでしょう。」
「その、首、なんか曲がってるようだけど、大丈夫?」
ナナクが指摘したように、プルートの首が途中でずれて妙な向きに歪んでいた。先程のアリスの攻撃だ。峰打ちとは言え金属の棒で超音速で殴られたのだ。アリスフレームであっても無傷で済むはずがない。
「あとで修復します。それよりも、もう少し急いだほうが良いですね。掴まってください。」
ジョギング程度の速度だった車両は一気に加速して速度を上げた。先程の兵士たちはこの車両に最高速度で突っ込まれてやられたのだと思うと、ナナクは少し怖くなったが、急がなければダンの身が危険だ。無線機でアリスに応答を求めようとした。
「アリス?僕もプルートと一緒にそっちへ向かってる。君はもう着いた?」
彼女の言葉を少し待ってみたが、反応がない。取り外してインジケータを見ると電波の到達範囲外を示すインジケータが点灯していた。彼女の走る速さであればもう宇宙船に付いていることだろう。ダンの無事を祈ってナナクは先を急いだ。車両のモータ音はキーンという高周波に変わり、車体を包む淡い緑の照明はマニュアル運転を示すオレンジの回転灯に変わっていた。
………
……
…
宇宙船の中にアリスの声が響く。
「船長!船長、無事か!返事をしろ。」
ナナクが車両に乗り込んで少し走り始めた頃には彼女はもう宇宙船まで戻っていた。話を聞いて全速力でエレベータの下まで戻ってきた彼女は、エレベータを待つことをせずに、その横の非常階段のフレーム部分をよじ登るようにして一気にバースまで戻ってきたのだった。エレベータに乗って移動する数分の待ち時間すら惜しかった。一人ならばこちらのほうが速い。普段出入りしているメインのハッチは開放されたままだった。
「船長!」
アリスが宇宙船のデッキまで勢いよく駆け上がると、そこには誰もいなかった。特に争ったような形成はない。デッキを出て、階段から下に様子をうかがうと、遠くに声が聞こえた。
「アリスちゃん、俺ならここにいる。機関室だ。」
その言葉を聞いたアリスは一番下のフロアまで降りてきた。
「船長。いるか!」
アリスが機関室のハッチを開けると、配管にワイヤーで縛り付けられているダンの姿があった。
「おお、アリスちゃん。無事だったか。アイツら時限爆弾を仕掛けやがった。お前、取り外せるか?」
ダンが縛られているワイヤーの中に、四角い機器が埋まっている。
「これだな。今から調べる。」
アリスは四角い箱状の時限爆弾の外観を確認している。
「おい、ナナクはどうした?」
「安心しろ、無事だ。もうすぐここへ戻ってくる。あーもう、暗くてよく見えんな。」
機関室は人が滞在するような場所ではないため照明がない。
「俺のズボンの右の太腿の、サイドポケットにペンライトが入ってる。それを使え。」
ダンの指示通りにアリスはペンライトを取り出し、爆弾を照らす。カウントダウンの表示があり、残り400秒ほどだ。これを信じるならば爆発まで数分の猶予はある。
「う~む、見たことがないスタイルだな。そもそも私は爆発物の専門家ではないのだよ。」
更に細部を観察した。極めて簡易なタイマーと発火回路の組み合わせだ。アリスがハッキングを仕掛けて停止させるようなことはできそうもない。
「そうだ、船長。配管ごと刀で斬ってしまえば、お主も抜けられるし、爆弾も捨てられるな。」
そう言うとアリスは一歩下がって抜刀した。
「アリスちゃん、ストップ!それはだめだ、この配管はプラズマガスの高圧管だ。壊すと機関室が爆発するぞ。あいつらは船の構造を分かった上で俺をここに縛り付けたんだよ。」
「ならばそのワイヤーを斬る。」
アリスは弾を縛り付けているワイヤーを手に取る。
「それなら行けるかもしれねぇけど……丁寧にやってくれよ。俺はアリスちゃんみたいに頑丈じゃねぇんだからな。」
「ああ、分かっている。」
アリスは対物ブレードの切っ先を器用に使い、そのうちの一本を切断し始めた。ところが想定したいたようにスパっと切れることはなかった。
「何という固さだ。対・対物ブレードか?切れないことはないが時間がかかるぞこれは。」
刃をワイヤーに押し当てて、その中の繊維を一本一本丁寧に切断していく。
「船長、ナナクがいない今のうちに聞きたいことがある。」
「ええ?なんだよ。ワイヤー切るのに集中してくれよ。」
彼女はワイヤーを切る動作を続けながら聞いた。
「ナナクのことだ。あいつは生まれてすぐに両親を宇宙船の事故で亡くしていて、孤児院の出だそうだな。その孤児院は本当にただの孤児院か?」
アリスはダンの反論を無視してナナクについて聞いた。
「孤児院っていつの時代の話だよ。まぁ似たようなもんだけどよ。俺が紹介した市の養育施設に入れさせたよ。」
ダンがそう答えた頃にようやく一本のワイヤーが切断された。すぐさま隣のワイヤーを引っ張って切断し始めた。
「両親は普通の人間か?」
「普通ってなんだよ。あいつの親父は俺の同級生で、夫婦揃って民間人だよ。軍人でもなんでもねぇ。」
アリスはもう二本目のワイヤーを切断した。コツを掴んだのかだいぶ早くなってきた。
「船長はナナクの病気やあの薬について何を知っている?ナナクになにか隠していることが無いか?」
「ねぇよ。ってか、さっきから何なんだよ!時限爆弾があるのにそんな話している余裕はねぇだろが。」
アリスは3本目のワイヤーを切断し、隣のワイヤーを引っ張ると、ダンを拘束していたワイヤーがスルスルと緩み始めた。
「お、おお、アリスちゃんすげぇ。ちゃんと仕事はしてたのか、わりぃな。」
「ナナクが摂取していたナノマシンは、この軍事ステーションで当時開発されていたものだ。なにか心当たりはないか?」
彼が定期的に接種しなければならないとされていた薬剤は、実の所はアリスの補給剤と大差ないものだった。アンドロイドでもない彼がそんなものを摂取している理由がわからない。そもそも普通の人間にそんなものを接種したら死んでしまう。なにか秘密があるに違いないが、ずっと一緒に過ごしてきたダンならばなにか知っている、あるいは隠しているのかと疑っているのだ。
「すまんが本当に何も知らねぇ。そのナノマシンがここで作られたって言ったって何百年も前の話だろ?」
「基本技術は同じだよ。引き継がれて今もどこかで使われているさ。本当に何も知らないのだな。信じるぞ。」
ワイヤーを少しずつ押し引きしながら解いていくと、だんだんダンの腕を締め付けるワイヤーも緩んできた。あと少しだ。
「信じろよ!俺が嘘言ってどうすんだよ。」
最後に緩んだワイヤーを一本一本と抜いていくとダンの拘束は解け、立ち上がることが出来るようになった。
「アリスちゃん!残り時間は!?」
ダンは機関室のドアの外まで身を翻らせ。頭を抱えて防御姿勢を取っている。
「まだ300秒はある。逃げるのは早いぞ。」
アリスが改めて状況を確認すると、配管に未だに固定されている時限爆弾はもうワイヤーたった一本で支えられていた。
「さぁどうするか。背面にスイッチがあるようだ。外した瞬間にドカンだ。赤と青のリード線、というような都合の良い話ではないか。」
ダンもドアから身を乗り出して、形状を確認した。その形に見覚えがあった。
「そのタイプなら、スイッチ部分を抑えながらだと運べるぞ。万が一の場合でも爆弾処理チームが扱えるようになってる。」
「なるほど。ならば運び出そう。船長、手伝ってくれ。」
アリスの突然の提案にダンは驚いた。
「はぁ?!運び出すって、冗談だろ?爆弾だぞ。」
「私は本気だよ。見たところそれほど大きな爆弾ではないようだが、威力はどれほどある?この宇宙船を木端微塵にするほどではないのだろう?」
その爆弾は小さな弁当箱にタイマー回路が埋まっているような形状だった。攻撃用途とは思えない。
「局所破壊用だからそれほどじゃねぇけど、人が死ぬだけの十分な……ってお前まさか!」
「そうだ。私がやる。万一しくじっても私ならば平気だ。」
アリスはこの時限爆弾を処理するつもりだった。上手く無力化できれば良いし、そうでなくとも少なくとも船外まで運び出して爆発させることができれば被害はない。失敗すれば彼女が爆風の直撃を受けることになるが、致命傷にはならない。
「よしやるぞ。船長はこの爆弾を押さえておいてくれ。私が最後の一本の固定ワイヤーを切る。」
「お、おう、いいぞ。アリスちゃん、しくじらないでくれよ。」
作戦通り、ダンが時限爆弾を押さえ、アリスがワイヤーを切る。成功だ。これでいつでも爆弾が取り外せるようになった。アリスが配管側に指を回して、背面のスイッチ部分を押した。
「よし、船長。手を離せ。」
「いいのか?いくぞ。……それっ!」
時限爆弾はアリスの両手に握られている。タイマーの残り時間は200秒少々だ。
「おお、すげぇ。取り外せた。」
「まだだ。船長、私が今切ったワイヤーから長めのものを一本取って、結んでくれ。」
ダンは切ったワイヤーの中から一本取り出し、スイッチを押さえるように縛り付けた。最後にアリスが更にきつく縛り付ける。
「さぁ運び出すぞ。船長は隠れていろ。万が一爆発してお主も巻き添えになることはない。」
ダンは機関室を出て通路まで退避した。
「アリスちゃん、ゆっくり運べよ。振動で反応する可能性もあるからな。」
「阿呆。そういうことは先に言え。作戦が狂ったぞ。」
当初の計画は、登ってきた非常用階段を駆け下りてタイミングよく空中で爆破させるつもりだったが、振動に反応すると聞いて、走ることは不可能になった。
「船長、作業用ハッチから船外に出るのに間に合うか。あと2分。」
タイマーの残りは120秒を示していた。
「ダメだ、外に出るにはパージが間に合わねぇ。インターロック解除できねぇこともねぇけど、あと2分じゃ無理だ。」
宇宙空間に放り出す作戦も不可能となった。そうすると、宇宙船を出てすぐの、バース内で処理するしか無い。
「あーもう仕方がない!」
アリスは爆弾を抱えて慎重に歩いて行く。そして何とか宇宙船の外まで運び込んだ。ダンもかなり距離を開けて付いてきている。
「アリスちゃん、どうするんだよ。」
「外に捨てるほかあるまい。船長はそこで待っていろ。」
アリスは更にバースを進んでいき、ちょうど真ん中で立ち止まった。
「よし、ここでやるぞ。」
「やるって、何をだよ!」
アリスはダンの方へ振り向いて呼びかけた。
「船長、伏せろー。」
アリスはそう言うと、ゆっくり下手で振りかぶって爆弾を高く放り投げた。爆発させるつもりだと理解したダンもすぐさま伏せて防御姿勢を取った。放り投げられた爆弾の残り時間はまだ30秒ほどあるはずだ。地面に当たった衝撃で爆発させるのだと思ったダンは不安だった。ステーションが大きく破損してしまえば空気が失われてしまう。ナナクもまだ戻ってきていないのに、危険を伴う。アリスは放り投げた爆弾を追いかけるように高く跳躍した。そして素早く抜刀し、爆弾を真っ二つに切断した。
その直後に爆弾は衝撃あるいは破壊を検知して爆発した。鼓膜が破れそうなほどの爆発音がバースを襲い、爆風が彼女を包み込む。後方に大きく吹き飛ばされたが、受け身を取って転がり、ゆっくりと立ち上がる。ダンも恐る恐る目を開けた。周囲は煙だらけだ。
「アリスちゃ、ゲホッ、ゲホッ、アリスちゃん、上手くいったのか。」
煙の向こうからアリスが戻ってくる。まだシルエットしか見えないが少なくとも手足が吹き飛んでばらばらになったりはしていないようだ。
「これのどこが上手く行ったように見える。顔も傷だらけだし、せっかく用意した刀も鎧もボロボロで、もう最悪だ。」
近くまで来てようやくアリスの姿が見え、状況がわかった。彼女の言う通り、刀は半分で折れており、金属製の鎧も表面がぼろぼろになって、いくつかのパーツは割れていた。爆弾の破片が全身を襲ったため、鎧に守られていなかった体の部分には、爆弾の破片でできたと思われる小さな傷が沢山ついていた。
「爆弾は?」
「斬ったよ。威力はまぁ……半分以下にはなっただろうな。」
爆弾を外部から破壊しようとした場合、それを検知して爆発するようにできている。しかしアリスの超音速の斬撃は爆薬に雷管の火が伝わるよりも先に切断した。そのため雷管周囲の爆薬のみが反応し、威力が抑えられたのだった。
アリスは煤まみれの服を払い、顔に刺さった爆弾の破片をつまみ取りながらダンのところまで戻ってきた。防御姿勢をとっていたダンも立ち上がる。
「ひでぇなこりゃ。俺ちょっとピンセット取ってくる。そこで待ってろ。」
爆弾の破片に襲われたアリスを手当するため、ダンは一旦宇宙船の中に戻っていった。
………
……
…
一方でアリスが時限爆弾の対処をしていた頃、ナナクたちは黄色い回転灯を回しながら走るコンテナ車に乗って帰路を急いでいた。ステーション内部に真っ直ぐな通路は少なく、曲がり角やスロープを通るたびに減速するため、アリスのようにあっという間に帰り着くことはできない。徒歩よりずっと速いことには違いがないが、宇宙船が襲われているというダンの連絡以来、通信がつながらないので、ナナクにも焦りの表情が見えていた。車外にしがみついているプルートが周囲を警戒しつつも彼の様子を見ていた。
「ナナクさん、少し落ち着きましょう。あの方が向かわれたならば心配無用です。」
「いや、そうかもしれないけど。あっそうだ、君さ。さっき魔法みたいにパイプとかコンクリートとか飛ばしてたよね。あれで船長を助けてよ。」
「決して魔法ではありませんが、それは出来かねます。」
「なんで?お願いだよ。」
ナナクは席を立って訴える。
「不可能、という意味です。射出の射程も限られておりますし、先程の戦いで私の方もかなり消耗してしまいました。」
「だったら僕がやる。どうやって操作するの?照準レーザを持っているようには見えなかったけど。」
「人間のあなたには不可能でしょう。出来るのは我らアリスフレームのみです。自分の体の影響範囲を広げて、より遠く、指先のそのさらに先を動かすようにするのです。」
そう言ってプルートは手のひらをナナクの方へ向けて指をパタパタ動かした。
「人間は自分の指先を自由に動かせます。筋繊維が神経で繋がっていますから当然です。我らの体はナノマシンでできているゆえ、ネットワークで繋がってさえいれば、体の外のナノマシンも操縦は可能です。もちろん訓練は必要ですが。あなたにも分かるように言えば、集中力、あるいは想像力、でしょうか。」
プルートが指を一本閉じると、6つある座席のうちの一つがパタリと閉じた。想像力、と聞いてナナクは手を握ってから指を一本出して、今閉じられた座席を開け開けと念じてみたが、動く気配はない。当然だ。相変わらずコンテナ車はゆっくりと加減速を繰り返して先へ進んでいる。
「あのさ、だったら、もう少し急げない?僕は大丈夫だよ。」
ナナクは前方のプルートに向かって更に身を乗り出していた。それはちょうどカーブを曲がるための減速をしたタイミングだったため、彼は前の座席に向かって転倒してしまう。
「あわわっ。」
「運行中は着席願います。」
転倒した勢いで車両から転落しないように、プルートの腕がナナクを支えた。心なしかプルートが怒っているようにも聞こえた。
「ああっ、ごめんね。大人しくしてるよ。」
プルートの腕は戦闘ロボットで見られるような硬いアームではなく、表面に弾力があり、まるで人間が支えているような感触だった。その腕はアリスと同様にか細い。彼女もそうだが、このような腕でどうやってあのような戦闘を行っているのか、ナナクにはまるで理解できなかった。プルートの攻撃方法はまるで魔法のようだと思ったが、そもそも彼女たちの存在自体がまるで魔法のようだ。コストや労力を完全に無視したとしても、現在のテクノロジーでアリスフレームに匹敵するものが作れるかどうかはかなり疑わしい。そのような強力な仲間がこちらには二人もいる。アリス一人で万が一苦戦することがあっても、自分に加えてプルートもいれば宇宙船に侵入しようとしている兵士たちを追い返すことはできるだろう。先程怪我の手当をした兵士の話だと、宇宙船へ向かったのは4人だ。ダンも加えると自分たちも4人。人数でも負けてはいない。ナナクはそんなふうに考えていた。
コンテナ車は管制塔からスタートして、軍用倉庫、食料工場、工業プラント、次々にエリアを進んでいく。ナナクにも見覚えのある景色になってきた。もう少しで宇宙船の下のエレベータまでたどり着くはずだ。ナナクがそう思っていると、コンテナ車が急停車した。ナナクは前方の座席に肩をぶつけてしまう。
「え?ど、どうしたの?」
ナナクはプルートの様子をうかがうが、彼女は無言で前方を観察していた。そしてステップから飛び降りた。
「こちらでお待ち下さい。」
ナナクにそう伝えると、歩き出してしまった。待て、と言われたナナクだが、仮に車両トラブルか何かならば、ここから先なら歩いても大した時間はかからない、と車両から降りた。自身の荷物と銃を降ろして担ぎ直し、先を急ごうと前方を見ると、妙な一団がこちらへ向かっているのがわかった。軍用の宇宙服の4人組だった。
彼らが宇宙船に侵入しようとしていた4人の兵士だとすぐに理解したナナクは足を止めて警戒した。4人組は銃を構えて四方を警戒しながら少しずつこちらに接近してきている。念のため、彼らに聞こえないような小さめの声で、ダンに状況を確認してみた。
「船長?4人の兵士がこっちに向かっているんだけど。そっちはどう?ねぇ船長?」
少し待ってからもう一度語りかけたが、あいかわらずダンからの応答はない。ナナクにはまるで状況がわからなかった。しかしキャノンボール隊と呼ばれた軍団が決して友好的な者達ではないことが既に分かっていたので、姿勢を下げて、いつでも武器を構えて撃てるように準備していた。4人の兵士たちもこちらの状況に気づいて進むのをやめ、防火設備のような機材の後ろに身を隠した。
それと同時にプルートも立ち止まった。その場で静止している。すると攻撃ロボットが6体ほどプルートの周りに集合した。
「そこから出てきたらどうですか?」
プルートが兵士たちに呼びかけた。しかし彼らは動かない。突然の射撃音。彼らが一斉に発砲してきたのだ。プルートたちも散開するが、一気に3体のロボットが破壊されてしまう。残った3体がパルスガンの掃射をはじめ、プルートの足元のパネルが持ち上がり、それに乗って一気に彼らの陣地へ接近した。突然始まった銃撃戦にナナクはその場で伏せた。
4人の兵士は銃撃を続けながら二手に分かれた。とてもよく訓練された動きだ。プルートはそのうちの片方へ狙いを定める。彼女は武器を持っている気配はない。足元のパネルが時折火花をちらしながら、銃撃の合間を縫って進み、兵士の二人組みに突撃した。身を翻して前方の一人の顔面に膝蹴りを食らわせ、後方からロボットに向けて射撃していたもう一人をねじ伏せて銃を奪った。そして奪った銃を構え直して、兵士へ向けた。膝蹴りで吹き飛ばされた方の兵士はヘルメットのシールド部分がひび割れて凹んでいる。倒れたまま動かない。
強い。ナナクはそう思った。アリスとシャロンの戦いを遠目に見ていて、アリスフレームの戦闘能力の高さは分かっていたが、プルートももちろん例外ではなかったのだ。彼女はアリスとの戦闘で消耗していると言っていたが、それでもとても人間が敵う相手ではない。ナナクが分かれたもう一方の兵士二人を探すと、既に射撃をやめており、一人は尻を付いて足を引きずっていた。戦闘ロボットの銃撃だろう。しかし兵士たちの武器も強力で射撃も精密だった。先程までいた戦闘ロボットのうち残りの3体も全て破壊されていた。
一瞬で双方の戦力の大半が失われてしまった。残るのはプルート一人と、相手側の兵士一人。その兵士は腕に黄色いバンドのようなマークが描かれており、彼がリーダー、隊長なのだろう。ヘルメットのシールドを降ろしており、表情はわからない。彼は銃を構えたまま2、3歩前へ出ると、宇宙服に付いているスピーカーを通して話しかけてきた。
「その動き。やはり、お前がアリスフレームか。」
「そうですが、何か?」
銃を突きつけられているプルートだが、相変わらず表情は崩さない。
「フハハハハッ。お前ら見ろ。ついに見つけたぞ。伝説のアリスフレームを。大脱出の時代に失われた軍事技術だぞ。」
「伝説の?なにか勘違いしていませんか?それよりも、あなたですか。いきなり隔壁を破壊してここへ侵入してきた部隊のリーダーは。ここに何をしに来たのですか。」
「隠蔽されていたナノマシン技術の収容だ。もともと予定していたサンプル79番の確保。それとナノマシンの研究所の回収が同時にできるだけでも幸運なのに、さらにアリスフレームまで目にすることが出来るとは。私はツイているぞ!」
「この状況でツイているとは、これまたオメデタイですね。仲間が殺されるかもしれないのですよ。」
プルートは足元でねじ伏せている兵士に銃を突きつけたままだ。スピーカーから再び男の声が聞こえてくる。
「それはお前も同じだろう。さぁ早くサンプル79番を渡してもらおうか。そこの子供だよ。」
「子供?ああ彼のことですか。もう子供でもないですよ。人間は成長しますからね。」
プルートはそう言ってナナクの方をちらっと見る。それをチャンスだと思った後ろの兵士はプルートに向かって銃撃を始めた。銃弾は下の兵士に当たることはなく、全てプルートに向かっていく。すぐさま反応して横に飛び跳ねたプルートだったが、何発かが命中し、後ろにのけぞった。リーダーの兵士も追うように射撃を加える。
プルートはアリスとの戦闘で消耗したことが響いているのか、設備や建材を射出して攻撃や防御に使うことをしていない。流れ弾が後方の設備を襲い、タンクから液体やガスが吹き出し始めた。警報のための赤色灯が回る。プルートは銃弾の軌道を回避しながら、ナナクのところへ戻ってきた。
「なぜ降りているのですか。乗ってください。」
プルートはナナクの宇宙服を無理やり掴むと無造作に座席に放り込んだ。
「ね、プルート。なんであの人達と戦ってるの!」
彼はまるで理解できなかった。最初に4人の兵士が宇宙船へ向かっていると聞いたときは、自分たちを救助に来たのだと思っていた。しかし宇宙船に無理やり侵入しようとしてきて、ダンからの応答もない。なにかのトラブル、もっと正確に言えば襲撃されたと考えて良い。前にいるのはその4人と同一人物だろうか?そうでなくても同じキャノンボール隊の一味だ。こちらに何らかの敵意を持っているのは確実だ。
彼には全く襲撃されるような心当たりがない。それに、もしこの軍事ステーションの遺物を全て奪いたいならば、いち民間人にすぎない自分たちの事は無視して、さっさとステーション全域を制圧してしまえば良い。遺物の回収は早いもの勝ちとは言え、軍に掌握された場所で仕事を続けるほど度胸のある回収業者はいないだろうし、もちろんダンもナナクもそんなつもりはない。彼は座席に無理やり押し込まれて仰向けになっているところ、周囲の状況を確認しようと起き上がった。
「ナナクさん、伏せて。」
そう聞いた直後にプルートは一旦車両から飛び降りた。プルートがいたその場所を銃弾がビュンビュンと通過していき、後方の建物のガラスを粉々にした。ナナクはまた座席に仰向けに寝転がる。
4人の兵士は先程プルートを見るやいなや、一斉に射撃してきた。ナナクは彼女がアリスフレームであることを知っているが、何も知らない人が見たら、軍服姿の女性が歩いているだけだ。そんな人をいきなり銃撃するだろうか?それも4人で一斉に、である。おそらくあの兵士は彼女が普通の人間ではないことを既に分かっているのだろう。一方でこちらは普通の人間だ。ナナクは彼らの銃弾が自分をターゲットにしないことを祈りながら身を潜めた。そしてプルートが車両の反対側に飛び乗ると、車両は全速力で後方へ走り出していた。
銃弾が飛び交う中、車両は一旦建物の影に隠れた。時折牽制するように銃弾が飛んでくる。建物の角の部材が弾け跳び、通路に散乱し始めた。すると後方より別のコンテナ車が外装パネルを展開させながら高速で接近してきた。ガトリング砲搭載の武装コンテナ車だ。武装コンテナ車は射撃しながら建物の角から通路に飛び出した。バリバリと音を立てて兵士4人がいるであろう方向へ機銃掃射を行っている。
「ここから動かないでください。」
相手からの射撃が止まったことを確認すると、プルートはナナクにそう告げて飛び出した。双方からの銃撃音が工業プラント内を包み込んだ。ナナクは心配だった。プルートもそうだが、あの兵士4人も死んでしまうのではないかと。先程、管制塔エリアの直前で傷ついた二人の兵士を救助した時、そのうちの一人は既に絶命していた。銃撃で体の一部が無くなっており、恐ろしくて直視できなかった。彼らは銃撃でやられたと言っていたが、この武装コンテナ車のようなものに攻撃されたのだろう。
アリスがこのコンテナ車を破壊したときは、あえて接近して大きくジャンプして仰角の範囲外へ逃げ込み、上から対物ブレードで破壊した。人間の兵士がそのような戦法を取ることはできず、遠くから銃撃する他無いが、ガトリング砲のほうが兵士が持つ銃より明らかに威力も射程も長い。ナナクは恐る恐る身を乗り出した。ガトリング砲は大量の薬莢を撒き散らしながら、射撃を続けている。よく見ると台車の下より伸びたベルトのようなものが銃身へ取り込まれている。台車の下には大量の銃弾が格納されているのだろう。すぐに打ち尽くして弾切れになるとは思えなかった。
とにかくこの戦いを止めさせなければいけないと思い、車両を降りて身を隠しながら、プルートを探した。すると、銃撃音の後ろでベルのようなブザーのような、とてつもなく大きい警報音が聞こえてきた。そう思った瞬間に爆発が起きて武装コンテナ車が吹き飛んだ。爆風の勢いでナナクも尻餅をつく。爆弾かロケット砲か、なにか強力な武器を使ったのだろう。台車部分はばらばらになり、ガトリング砲は回転しながら後方へ飛んでいった。
先程より大きい非常ベルが鳴り出し、周囲の照明部分に取り付けられていたスプリンクラーから消火液が撒かれ始めた。直後、プルートがこちらに走り込んできた。背後で銃弾が飛び交うが、彼女をよく見るとその服にいくつか裂け目ができており、何度か銃弾が当たったであろうと思えた。プルートは尻餅をついて倒れていたナナクの手を引いて、体を引き起こした。
「プルート、なんでこの人達と戦ってるの?」
「さぁ分かりません。彼らが先に攻撃してきましたので、応戦したまでです。」
確かに彼女の言う通りだった。
「それに、彼らはナナクさんが目的のようですよ。ですがあなたは今は、我らのお客様です。そのため彼らを放置するわけにはいきません。」
ナナクは耳を疑った。軍の人たちの目的が自分だと?それはどういう意味だろう。彼らに面識はないし、自分は軍には一切関わりがないはずだ。キャノンボール隊はもちろん、軍に勤務している知り合いもいない。会って話がしたいだけならば宇宙船を襲撃する意味もないし、前に立ちはだかって銃撃してくる必要もない。一体何が起こっているのか、まるで分からなかった。何にしても戦闘になって殺し合うほどの理由とは思えない。
彼はプルートに訴えた。
「プルート、これ以上戦うのをやめてよ。これ以上やったらあの人達も死んでしまうし、君だって無事じゃ済まない。」
「そういう問題ではありません。それに、目的地まで安全に乗客をお連れするのも私の仕事です。」
プルートは目を閉じて何かを考えるような仕草を少しした後に、ポケットから先程の照明を取り出して前方を照らした。
「ナナクさん、申し訳ありません。この車両を使用します。後ほど別の車両を回送しますのでお待ち下さい。」
プルートは車両に飛びつくと姿勢を下げたまま、スキール音を立てて加速し通路の先へ飛んでいった。その手には先程の兵士から奪い取った自動小銃が握られていた。通路の向こうでは先程爆破させられた武装コンテナ車が黄色いスパークと黒煙を上げて燃えていた。消火剤はそれほど大量に撒き散らされているわけではなく、延焼防止のためだろう。本来は管理者が消火活動に入るはずだが、このステーションには誰もいない。あるいはプルートがその役目だったのかもしれないが、今は戦闘中だ。
火災の状況も心配だし、ナナクもこれ以上被害者を出したくなかった。とにかく双方へ訴えて戦闘を止めさせるしか無い。そう考えて勇気を振り絞って建物の角から少しずつ身を乗り出した。するとコンテナ車に乗りながら銃で応戦しているプルートの姿が見えた。その直後にホイールのうちの一つが破壊されて脱落し、最高速度で突然制御を失った車両はそのまま段差に乗り上げて転倒した。兵士たちがタイヤ部分を狙って撃ってきたのだろう。緑リボンのタクシー車両は防弾仕様にはなっていない。ホイール部分を直接狙われたらひとたまりもない。
車輌が転倒する前に既にプルートはそこから飛び出していた。高速の車両に乗って銃撃を行う彼女によって、既に相手の隊列は完全に崩れていた。よく見ると戦っているのは二人しかいない。一人は先程のプルートの膝蹴りでノックダウンされ、もう一人はガトリングの直撃を受けたのか、全身が血まみれで倒れていた。ナナクも伏せているのでよく見えないが、周囲には赤いものが飛び散っている。ナナクは先程救助した二人のことを思い出した。この血まみれの兵士ももう生きていないかもしれない。
彼は自分を悔やんだ。自分は誰を救うこともできないのかと。戦場で彼は無力だった。もっとも、このステーションを発見した時にまさかこのような状況になるなど誰が想像できようか。彼はあくまで遺物の回収をしている民間人にすぎない。軍隊が全力で戦いを挑み、軍事ステーションがその牙を剥いたときには何もできない。自分はアリスやプルートのような特別な存在ではないのだという事実を改めて突きつけられる。
プルートは残り二人となった兵士を殲滅すべく、車両を降りてからも走り回って戦闘を続けていた。彼女を追うように兵士も銃撃を続ける。その銃撃を大きく走り回って回避しようとするが、兵士たちの射撃は極めて正確に彼女を襲う。消火剤で濡れた地面で上手く走れないようにも見えた。彼女も銃で反撃するが、強固な防弾仕様の軍用宇宙服を貫通せずに効果的なダメージを与えられない。宇宙服の防御の甘い手足を狙えば良いと知った頃には彼女は相当のダメージを負っていた。一発一発は致命傷にはならないが、繰り返し銃撃を受ければ徐々に動きに制限が現れてくる。
相手のリーダーの後ろにいた兵士の腕を狙い撃ちにして更に一人を無力化することに成功した。しかしプルートが持つ銃に装填された銃弾も残り少なくなってきた。すると、先程頭部に膝蹴りをくらい、倒れていた兵士が立ち上がった。彼は銃を持っていないようだった。そのためプルートは格闘術で制しようと接近したが、彼の手元から突然けたたましい音が鳴り響く。先程聞いたものと同じ音だった。その音を聞いた兵士たちは皆、体を前へ投げ出して伏せた。そして、その彼は手元の何かを投げつけてきた。
「爆発物!」
プルートはそう理解してすぐさま後方へ飛び退こうとしたが、間に合わず、足元で炸裂した。軍用の指向性グレネードだった。プルートの体が無造作に上方へ投げ出され、回転しながらドサリと地面に落ちた。追撃するようにリーダー兵はプルートに銃撃を加えた。頭部から火花が散り、その度に彼女の体が回転する。リーダー兵は銃をおろした。彼女はもう動かない。
爆発で吹き飛んだ彼女の深緑の帽子は、綺麗にフリスビーのように回転しながら遠くの方へスーッと飛んでいった。
その一部始終を見ていたナナクは恐ろしさと怒りに包まれた。
「わぁーーー!」
ナナクは絶叫しながら上方へ機関銃を発射した。威嚇し、プルートから注意をそらすつもりだった。ナナクは自身の銃を彼らに向けて撃つ気にはなれなかった。人を撃つ恐怖、屈強な兵士と戦う恐怖、それらが上回り、ただ喚き散らすしかできなかった。彼はアリスフレームが絶対無敵のスーパーマンで、人間では敵わないものだと今の瞬間まで思っていた。
ところが、高度に訓練され、十分な装備を持った兵士の集団であればアリスフレームであっても負けてしまうのだ。特にアリスとの、つまりアリスフレーム同士の戦闘で消耗したあとならば、こうなってしまうのも現実だった。戦いを止めようと思っていた気持ちはもうどこかに行ってしまった。まだ終わっていない、プルートはまだ戦える、そう言いたかった。なぜ自分も加勢しなかったのか。加勢できたとして、果たして何の役に立ったのか。ナナクは自分の不甲斐なさを紛らわすように威嚇射撃を繰り返した。
その直後左腕に大きな衝撃を受け、思わず銃を手放してしまった。その直後に焼けるような痛みをナナクが襲う。敵の兵士が遠くから彼を狙って撃ってきたのだ。激痛が襲うが大丈夫だ、腕はまだ動く、恐れてなどいられない。ナナクはそう自分を奮い立たせて落とした銃を拾おうとしたが、再度一発の銃声が響き、ナナクの機関銃のグリップ部分が吹き飛んだ。
「ひっ。」
彼はもう動くことができなくなった。先程の腕への銃撃は決して狙いが逸れたわけではなかった。精密にその場所を狙ったものだった。攻撃を封じ、それでいて重傷を負わせないための一発だ。
ナナクは自身の銃の腕には自信があった。ライセンス取得時も、射撃の成績はぶっちぎりの満点だった。とは言えそれはあくまでアマチュアレベルの話。高度に訓練されたプロの軍人からすれば、ナナクが得意げに行っていた精密射撃もありふれた能力のうちの一つだ。
彼が着ているのはデブリ衝突にも耐えられるほどの強靭さを持つ船外作業用宇宙服だったが、それを撃ち抜くことを想定した軍用のライフル銃で撃たれたら意味はない。
ナナクは両手を上げてうつ伏せに倒れ込み、降伏の意を示した。宇宙服の裂け目から自動的に修復液が吹き出し、裂け目を埋めた。撃たれた腕が圧迫され、傷口が薬品により侵され、より強い痛みが襲う。兵士たちが何かを話している。ナナクの場所から多少距離があり、何と言っているかは聞こえない。彼らは死んだ兵士一人とプルートを放置してこちらに向かってきた。そのうち一人はプルートの横を通り過ぎる際に彼女の頭を二度三度踏みつけた。
仲間が死んででもプルートを排除し、自分を目指して進んでくる彼らの目的とは一体何なのか。ナナクは恐怖で足が動かなかった。
………
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