第9話:侵入


     ――― 世の中には知らない方がいいこともあるのですよ

          わたくしの昔の仕事のことは特に、ですわね ―――




 宇宙船の日常業務をちょうど終えた頃、アリスがハッチの前にいたナナクに話しかけてきた。


「ナナク?ちょっといいか?」

「え?アリス、どうしたの。」

「私の武器がどこにもない。どうしてだ?」


 アリスが使っていたブロードソードのことだ。セレスの研究所に落としてきたのだろう。今はない。さらに言えばナナクの対物ライフルもない。


「あー、そうか。困ったな。武器がないんだった。」

「いや、だから、どうしてだと聞いているのだが。」

「セレスってアリスフレームがいたよね。あそこで君が気を失った時に落としたんだと思う。実はその時に僕のライフルも奪われちゃったんだ。」


 今ある武器は小さな拳銃と、倉庫にしまってある小出力のパルスガンだけだ。


「仕方ない。また演習場まで取りに行くとするか。船長に上申してみよう。」


 アリスはそう言うと小走りで階段を登っていってしまった。彼女が目を覚まして様子が変わってから、行動がとにかく早くなった気がする。やや短絡的にも見えるのがナナクには不安だった。


 ………

 ……

 …


 数分後、ダンたちの3人は予定より早めてブリーフィングを開始していた。武器と資材を補給するために再度演習場へ向かう作戦だ。同じ場所の3度目の探索であるためダンの計画立案もそれほどかからなかった。


「――というわけで、必要な物を取ってきたら何があっても最速でもどってくること。特にアリスフレームへの接触は絶対に避けろ。今までの話を聞く限り、遭遇して生還できたのも運が良かっただけだからな。武器がない状態で遭遇したらまず助からねぇと思え。」

「武器がない、とは流石に言い過ぎではないのか?」


 アリスがダンの話に噛みつく。


「確か、その向こうの棚の中に、ナナクが以前使っていたという銃が一丁しまってあったのではないか?」


 ナナクは感心した。よく一度しか話していない事を覚えているな、と。


「そうだけど、君のは?」


 アリスの武器がないではないか、と思っていたら、予想外の答えが帰ってきた。


「私にはこれがある。」


 彼女が手に持って掲げたのは以前にダンが渡した大きなレンチだった。工具箱から引っ張り出してきたのか、既に腰のベルトに通してある。


「そんなので戦えるわけねぇだろ。」


 ナナクだけでなくダンも驚く。


「本当にそう思うか?私が全力で殴ると音速を超えるからな。このレンチの質量だと、そこらへんのライフル銃よりは強いぞ。」


 ナナクは言葉を失った。ただの工具がライフルより強いだなんて。そして彼女にとってきっとそれは事実だろう。


「はぁ~、もうアリスちゃんの武器、刃物である必要ねぇな。いっその事、鉄パイプとかハンマーとかでいいんじゃねぇか?」

「ああ、対物ブレードが効かない相手に、それで戦ったこともあるぞ。」

「ええ!?」


 冗談で言ったつもりだったが、まさか本当にそれで戦っていたとは驚きだ。


「あくまで緊急用だ。ナナクの武器を取りに行くときに、ついでに私の武器も拾ってこよう。おっと、この場合は『回収』と呼ばなければならないのだったな。」

「今となってはどっちでもいいよ。とにかく二人分の武器を回収して、戻ってくる、ということだね、船長。」


 ナナクがブリーフィングをまとめようとしたところでアリスが割り込む。


「船長、ついでに武器だけでなく、造形機用の資材も追加で欲しい。それも合わせて回収していいか?」

「大きな寄り道にならなければ良いけど……ちょっと待ってくれよ。」


 ダンがマップを再確認し始めた。ところがアリスが素早くディスプレイのマップを指差して回答してしまった。


「そこの農場の入り口を過ぎた先だ。往復で320m追加だ。私が全力で走って取ってくる。25秒で戻れる。」

「お、おう、計算早ぇな……。ってか、25秒って、走るのも速ぇな!まあいい、それで行こう。」


 ブリーフィングが終わり、二人は探索へ向かった。


 ………

 ……

 …


 いつものようにバースを通ってエレベータに乗り込む二人。こうやって二人でステーションへ探索に向かうのもこれで6回目だ。


「アリス。体の方は本当に大丈夫なの?……って毎回聞いてるような気もするけどさ。」

「ん?何の話だ?私の体に何か問題があるのか?」

「君はつい今朝まで昏睡状態だったわけで、頭の方も、その……ナノマシンの毒にやられたって言ってたよね。」

「ああ、その事か。思い出すだけでも腹が立つ。一応調べたが、私のコントロールエンジン、つまり体調としては何も問題がなかった。だがALIがロールバックされて今の私になっているからな。以前のように上手く戦えるかはやってみないと分からん。もともと私は戦うのがそんなに得意ではないのだよ。」


 ナナクには聞き覚えのない単語が出てきてよくわからない説明をされたが、そんなことよりも彼は思った。アリスはあんなに強いのに、戦うのが得意ではないとはどの口が言うのかと。


「それと、ナナク。お主のことも頼りにしているからな。後方からの援護射撃、あれは控えめに言ってもかなり助かる。あのような戦い方があるとは、以前の私には想像もつかなかったからな。」


 ナナクは頼りになると言われて嬉しくなった。ここでふと持ち込んだ装備品があったことを思い出した。


「そうだ、アリス。これが使えるんじゃないかと思って持ってきたんだ。今になってごめんね。さっきのブリーフィングで言えばよかったよ。」


 ナナクは以前アリスとダンが船外活動をする際に身に着けた通信機を2つ取り出した。


「君の通信機がないだろう?船長に直接通信することは出来ないけど、僕とアリスとで話ができる。このまえシャロンと戦ったときみたいに離れてしまっても同じ空間内なら大丈夫だ。」


 ナナクは通信機を首に巻き付けるように取り付ける。アリスも同様に身につけた。アリスが知るような無線機とは見た目が全く異なり、一見するとチョーカーのようだ。


「ほうほう、おそろいのアクセで秘密のホットラインか?こっそり愛の囁きでもすればよいのか?」

「いや、君の声は僕のこっちの無線機通して船長まで伝わるんだ。だからそういうのは宇宙船へ帰ってからでいいよ。」


 ナナクもアリスの独特のジョークに少し慣れてきた。事実を述べて軽くいなす。


「そうか、帰ってから……それがお望みか。では今夜お主のベッドに行ってやろう。私の体でのお人形遊びを一晩中堪能するといい。」


 アリスが負けじと追い込む。


「い、いいよ!今はそんな事してる場合じゃないだろ。って、母港に戻ったらいいって意味じゃないけど……。それに今の会話だって全部船長に聞こえてるんだからね。ジョークも大概にしてよ!」

「お主をからかうのは本当に面白いな。だが、そこまで全力で拒否することもなかろうに。」

<お前ら本当に緊張感ねぇなぁ。>


 ダンが呆れてそういった。


 二人が話をしているうちに、エレベータが下層まで到着した。ゴウンと音がしてドアが開く。最初の目標地点は農場の先の資材置き場だ。一旦二人は演習場との分かれ道を目指した。そこに到着すると、アリスだけが前へ出た。


「ではちょっと行ってくる。」


 そう言うと彼女はパンパンという破裂音のような足音を立てながら大きな歩幅で走り出し、あっという間に視界の先の点になった。するとアリスからの通信が入った。


<ナナク、聞こえるか?金属材料が多めに欲しいのだが、どの袋を取ればいい?目安を教えてくれ。>

<種類にもよるけど、MとSで始まる素材コードを探せば、だいたいその辺りがメタルだと思う。>

<分かった。適当に見繕って戻る。>


 それを聞いたナナクは少しの間待つつもりでいたのだが、20秒もしないうちに、遠くの方からまた先程を同じような破裂音が聞こえてきた。アリスが走る際の足音だった。小さな点のようだった彼女がすごい速さで接近してくる。このままだとぶつかるのではないかと思ったナナクは身を引き締めたが、彼女はギリギリの距離でシャーっと滑るようにブレーキを掛けてナナクの手前で停まった。


「すまんな、待たせたな。」


 アリスはこう言うが合わせて1分も経っていない。アリスの脚力も凄いが、それに耐える靴も凄いなと思った。きっと専用のものなのだろう。


「この片腕の体だと、どうにもバランスが取りにくい。床もタイル張りで走りにくいしな。ほれ、戦利品だ。半分持て。」


 アリスが持ってきたのは大きな袋が2つ。その一つをナナクが受け取るが、金属粉体なので大変重い。彼女はそれを2つ担いだ上であんな速度で走ってきたのだ。見たところ、時速100キロは出ていたような気がする。彼女ならレンチ一本でライフルよりも強いと言ったのも納得だ。


 二人は次の目標を目指した。以前自動戦車と戦った演習場だ。前回と同じように戦車砲が開けた穴から侵入しようとしたところ、その穴がふさがっていた。


「あれ?穴がない。船長、前はここから入ったよね。もしかして僕、道を間違えてる?」


 ナナクはダンに確認した。


<いや、そこは前回と同じ場所だぞ。穴がふさがってるって言ったか?誰かが、って言うかその辺にいるロボットが修理したんじゃねぇか?>


 ナナクはなるほどと思った。何百年も前に放棄されたこのステーションが崩壊せずに未だに綺麗なままなのは、このように定期的なメンテナンスがされているからだ。しかしナナクは困ってしまった。進入路が塞がれてしまった。同じ日にアリスが切り裂いたドアもきっと同じ理由で塞がっているだろう。また穴を開けようにも、アリスはレンチしか持っていない。それに無理やり穴を開けようとするとまたロボットが攻撃してくるだろう。


 そう悩んでいると、アリスが奥の方へ進んでいった。


「アリス、どうしたの?」

「そんな瓦礫をかき分けるようなことをせずに、普通にドアから入ればいいのではないか?武器庫はちょうどのこのドアの向こうだろう。」

「ここのドアは船長でも開けられなかったんだよ。先週だけど覚えてる?」

「私が開ける。むしろ私の古巣と同類の施設だ。ハッキングの相性もいいだろう。」


 アリスは演習場の重そうな扉の前に立ち、認証キーをかざすのであろうプレートに手を添えた。手から直接電波が発射されるわけではない。だから本来このような仕草は必要ではないのだが、よりイメージを深めるために彼女はそうしたのである。ハッキングはアリスの基本的な性能のうちの一つだった。機器のインターフェースと自分の精神を直結させて、超広帯域でアクセスする。相手側のシステムと自分のシステムをより密に接続するために、イメージが重要なのだ。


「何をしているの?」

「『プロジェクションシステム』だ。もっと厳密に言えば『インバース・プロジェクション』。昔、土壇場でこの方法を編み出した変態がいたんだよ。」


 アリスは独り言のようにそう言った。


「え?変態?なんのこと?」

「まあ、そこはどうでも良い。私は昔この方法で宿敵を打ち倒した。それと比べればこんな鍵など造作もない。むしろ破壊しないように気をつけないといけないほどだ。」


 アリスは一気に精神をドアロックに集中させた。アリスがコンピュータシステムのイメージ空間に投影される。目の前にはドアがある。遥か頭上や足の下にも膨大な量の情報が流れている。彼女が先程侵入した宇宙船のシステムとは桁違いの規模だった。


「ほう、これはなかなか壮観だな。だが今は目の前のドアに集中しよう。」


 アリスはドアの中に透過させた自らの手を突っ込む。ドアを閉鎖している鍵の内部のギアのようなものをイメージした。それを一つ一つ指で回していくのだ。そして全てのギヤを回し終えると、ドアの鍵はバラバラになって消えていった。


 現実世界でもガチャリと音を立てて強固なシリンダーロックが開放された。アリスが着手してからわずか数秒だった。


「うわ、本当に開いた。凄い!」

「こんな程度のことでいちいち騒ぐな。中に入るぞ。」


 アリスとナナクは武器庫の中に入っていった。中は相変わらず薄暗いが、見えないほどではない。アリスは前回同様のブロードソードを探したが、見当たらなかった。


「アリス、何か良いのあった?」

「う~む、どれもいまいちだな。もっと強力な武器が欲しいが……とりあえず妥協してこれでいいか。」


 そう言ってアリスは一振りの刀を手に取った。もちろん形状が刀であるだけで、中身は対物ブレードだ。


「わぁ~、ニンジャソードだ。カッコいい!」


 ナナクが喜んでいる。


「なぜお主が嬉しそうなのだ?それにこれは打刀(うちがたな)だ。お主の言うニンジャソードとやら、それはきっと脇差(わきざし)というまた別の武器だ。」

「ええ?ニンジャじゃないの?」

「忍者ではない。あえて言うなら侍だが……。」

「じゃあサムライソードだ!」

「ああ、もう好きに言え。」


 アリスは呆れてしまったが、24世紀になってもなおニンジャやサムライという言葉が生き残っていることに驚いていた。もちろんフィクションの登場人物としてであろう。しかし彼女にとって侍とは現実に存在しているものだった。彼女が生み出された時に、軍事基地で彼女に剣での戦い方を仕込んだのは、彼女の上官である。世界中のあらゆる流派を取り込んだ軍隊式刀剣術だったが、その上官の技の源流は侍の戦い方だと聞いていた。彼女の中には確かに侍が生き残っていた。彼女は師匠から受け継いだその技を戦場で更に磨き上げて完成させ、NRUという人類の敵を殲滅したのだ。


 彼女はその刀を前に掲げる。軍事基地で訓練を受けていた頃にもっぱら使っていた武器と同じ形、重さだった。そして遠くを見つめ、小さくつぶやくように言った。


「報告が遅れたが、お主の技は敵を討ち取ったぞ。我々の勝ちだ。目標の一つは達成だ。残り一つは……、まぁ気長にやるさ。『あいつ』も応援すると言っていたからな。」


「ん?アリス、なにか言った?」

「いや、なんでも無い。次、行くぞ。」


 そう言ってアリスは刀をしまおうとしたが、西洋甲冑の衣装セットに含まれていた真っ直ぐな鞘では反りのある刀は入らない。


「ナナク、この刀をいれる鞘があるはずだ。探してほしい。」


 ナナクにそう声をかけて、二人で鞘を探し始めた。アリスフレームは常に戦場下で活動する前提のため、鞘に武器をいれて携行する運用は考慮されていない。だから置いてある武器もそのままだった。しかし軍事基地で訓練する以上はなにかの入れ物はあるはずで、それを探そうというのだ。


 演習場内をウロウロしていると、ナナクがちょうど一致するようなサイズの鞘を見つけたようだ。アリスのもとへ駆け寄ってくる。


「アリス!ちょうど同じサイズのケースが見つかったよ。……って、アリスもなにか見つけたの?」


 その時ちょうどアリスは、戦闘指揮用のコンピュータ端末が置いてある部屋を見つけていた。アリスは鞘を受け取り、刀を納めた。


「ぴったりだな。ありがとう。それで、何を見つけたのかだって?あそこからちょっと調べ事をしてみようと思ってな。」


 そう言って部屋の奥の端末を指差した。


「あの古そうなコンピューターのこと?」

「まあそう言ってやるな。これでも当時の最新型だ。少し時間がかかるかもしれん。ナナクは自分の武器でも探しているといい。」


 アリスはナナクにそう告げると、部屋に入り、指揮官のものであろう椅子に腰掛けた。


「やはりこの時期のものだと準備が要らないな。そのまま入れそうだ。」


 アリスは自分が投影されるようにイメージを周囲に広げ、無線のネットワークの入口を探した。そしてそれはすぐに見つかった。仮想的な通信回線を通って、この軍事ステーションの奥へ進んでいく。流石に軍の演習場のコンピュータだけあって、先程のゲートの鍵よりも随分と中心部に近い。その途中で、彼女はまるで巨大な書庫のようなイメージを見つけた。そのエリアへ入るのに鍵が必要なようだが、解錠は造作もないことだった。


 中へ入ると、アリスの周囲を囲うように、視界の果てまで文書がぎっしりと詰まった本棚が並んでいた。恐らくこの軍事ステーションの全ての情報が格納されているデータベースだ。


「なんとも巨大なアーカイブだ……。さぁ、全てを見せてもらおうか。」


 アリスはより集中度を上げた。宇宙船の情報を収集したときと同様に自身のインスタンスを複製し、大勢のアリスとなって並行して情報を閲覧していく。宇宙船では数万だった並列数だが、今回は数百万にもなる。このステーションのネットワーク側が持つ処理能力次第でアリスの探索性能も変わるのだ。数分後、数百万のアリスが重なり合い、元の場所に集合した。


「なるほど、これはまた過激だな。技術局の奴らもびっくりだ。」


 アリスはこの軍事ステーションで行われていた研究開発の履歴を閲覧していた。彼女が生まれた北極圏の地下要塞の延長として、アリスフレームの開発を行っていただけでなく、ナノマシンを利用した別の研究も進めていたようだった。


「奴らは一体何をしていたのだ?もっと奥だな。」


 真に機密度が高い重要な情報はここにはないようだった。更に深部へ侵入しないと詳細はわからないように隠蔽されていた。彼女は巨大な書庫を離れて、更に深部へ侵入した。すると、高圧電線と鉄条網に守られた巨大な城壁が目の前に立ち塞がった。多数の砲台と分厚い鉄板とコンクリートに囲まれたような近代城塞だった。


 この壁は、精神を直結してハッキングを続けている彼女が感じ取ったあくまでもイメージに過ぎないのだが、防御の強さと侵入者を撃退する機構の強力さを正確に表していた。城門に手をかざし侵入をしようとすると、周囲の砲台が即座に攻撃を仕掛けてきた。アリスは素早く体を動かしてそれをかわした。


「そう簡単には中に入れてくれんようだな。」


 彼女が心のなかでそう思うと、周囲から声が聞こえてきた。


「誰かと思えば、あなたはアリス様ではないですか?」


 根の前に突如見覚えのある人物が浮かび上がった。プルートだった。突然現れた彼女はアリスをじっと見る。


「アリス様?いいえ、違いますね。あなたは一体誰ですか?こんなところに入り込める人物はそうはいないはずですが。」

「いいや、私はアリスだよ。だが、セレスとかいう奴にやられてしまってな、あいにく今はこんななりだ。お主の探している私とやらはな、そいつに奪われたのだよ。」

「セレス。あの人ですか……。また観測されていたのですね。」


 プルートがそう言って眉をひそめる。


「観測?一体どういう意味だ。まあいい、私は今忙しいのだよ。とにかくここを通してくれないか?奴に勝つために少しでも情報が欲しい。」

「いいえ、それはなりません。お引取り願います。」


 プルートはそう言うと、右手を掲げ、振り下ろした。同時に城塞の砲台が一斉砲撃を行ってきた。アリスは斜め後ろに跳躍してその十字射撃をかわす。


「おいおい、神と言っていた割には随分と手荒ではないか?それほど重要なのかここは。」

「この中は我らにもアリス様にも、そしてあなたにも関係ありません。ここで朽ち果て宇宙の塵へと消えていくべき記録です。」

「そう聞くと、ますます退くわけにはいかんな。」


 アリスは先程入手したばかりの刀を抜いた。投影空間内であれば、やり方次第ではどのような武器でも取り出せる。とは言え実際に手にしているものでなければそのイメージは軽薄となり本来の力は発揮できない。この刀は現実のアリスが既に腰に下げているものであり、イメージを構築するには十分だった。


 後ろに跳躍したアリスは今度は前へ飛びかかり、プルートをその刀の射程に捉える。プルートはアリスの攻撃が見えているようだったが、回避するような様子を見せない。若干不審に思ったアリスだったが、そのまま袈裟斬りを仕掛けしようとした。ところがその瞬間に予備動作もなくプルートが跳び上がった。足先には地面に敷き詰められていたレンガの一つが張り付いていた。自らが飛び上がるのではなく、床材を自分ごと弾けさせて跳躍したのだ。


「器用な真似をするな。」


 アリスは怯まずに追撃するが、今度は城壁の装甲パネルが空を舞ってアリスに襲いかかってきた。身を翻してかわしながらプルートを追うが、プルートも飛び交うパネルに身を乗せて逃げていく。


「このステーションの管理システムは私のテリトリーですよ。諦めたらどうですか?」

「そうは行かんのだよ。ここを超えて宇宙船を開放してもらわないといかんし、セレスも倒さんといかんしな。」

「だから、違うと申し上げています。この先にあなたが必要なものはありません。それと、宇宙船の開放とはこのことですか?」


 プルートが左手を真横に伸ばすと、空中に5メートルほどの格子状の白線が浮かび上がった。白線の上ではレーダーやアンテナがくるくる回っており、データを吐き出し続けている。そのデータは格子の上を縦横に走り、空中に気化するように消えていく。格子の中に見覚えがあるオブジェクトが映し出されていた。あの形は自分たちの宇宙船だった。その宇宙船からは錨が伸びて白線の交点にチェーンでぐるぐる巻きにされていた。実際の宇宙船に錨などはもちろん存在しない。ダンが強制的に係留されて離陸要求が通らない、という話をしていたことをアリスは思い出した。プルートが宇宙船を拘束している様子を視覚的に表したものだった。鍵などでは無く、チェーンで直接に何重にも拘束されている。それだけ強固に守られている、ということだとアリスは理解した。


「管制塔のプログラムを持ち歩いているのか?どういう仕組だ?まあいい、それを渡してもらおうか。」


 プルートの右手にはチェーンカッターのようなものが握られている。


「そういうわけには行きませんね。アリス様に我らをお導きいただくまで、ここを離れられては困ります。」

「安心しろ、お前たちが言うアリス様とやらをセレスから取り返すまで、ここを離れるつもりはないさ。」


 相変わらずパネルが次々と襲いかかってくる。多数の装甲パネルが地面に突き刺さり、墓標のように立ち並んでいった。アリスとプルートの空中戦が続いている。アリスはプルートを追いかけ、飛来するパネルや砲弾をかわし、切り裂き、接近する。一方でプルートも城塞の機能をフル活用して、アリスというハッカーの侵入を阻む。一進一退の攻防だった。


「これで終わりです。」


 プルートはそう言うと、パネルの動きを止め、地面に着地した。ちょうどプルートが立つ場所の前に、彼女を守る盾のように3枚ほどのパネルが突き刺さる。


「ふん、弾切れのようだな。」


 アリスはそのままプルートの前に着地して、全力を込めて装甲パネルごとプルートを貫く算段だった。もし彼女がこのシステムそのものだった場合、彼女をここで破壊することはシステムの破壊、即ちデータの消失を意味するが、彼女が自分をアリスフレームだと明言していた以上それはないだろう。この場でプルートをシステムから強制的に追い出すだけだ。そのあとにゆっくり最深部へ侵入し、宇宙船を開放すればよい。


 そう思って彼女が全力でパネルを穿つために踏み込んだ瞬間、カチリとなにか硬いものを踏んだ感触があった。そして爆発音とともにアリスの体が無造作に舞い上がった。


「なっ、地雷だと!」

「ここは私のテリトリーだと申し上げましたよ。それでは、さようなら。」


 舞い上がったアリスを叩き落とすように、古代神殿のような大きな石柱が上空から現れ、ミサイルのように直撃した。そのままアリスごと地面に打ち込まれる。勝負は決まった。


「ちぃっ!あいつめ。」


 次の瞬間にアリスは現実世界に戻された。強制的にログアウトさせられたのだろう。現実にフィードバックされたその衝撃で椅子から転倒する。ひどく頭が痛いような気がする。物理的な破壊は起こらずとも、投影空間内で戦闘し、排除された記録は、彼女のシステムに高い負荷をかけている。30秒ほどそのままの体勢でいたが、よろりと立ち上がって戦闘指揮用のコンピュータを再び観察した。彼女は再度ネットワークにアクセスしようとしたが、端末が完全に無効化されており、再度の侵入は叶わないだろう。同じタイミングでナナクの武器探しも終わったようで、後ろから声をかけられた。


「アリス、ちょうど良いのが見つかったよ。そっちはどうだった?」

「こちらも終わったよ。色々と分かったことも多いが、プルートをなんとかせんことには帰れんようだぞ。宇宙船をここに縛り付けているのはあいつだ。」

「プルートっていうと、あの緑の軍服みたいなのを着たアリスフレームのことだね。でも何とかするってどうやって?」

「あいつは私を探していたようだから、セレスから私のパターンを取り戻したあとに再度交渉するのが良いかな。あるいは、今度は直接会ってぶちのめす。あいつもまた変わった戦い方をするようだし、色々と準備が必要だな。」


 アリスはまるで以前プルートと戦った事があるかのようなアリスの言い方に疑問を持った。しかしここであまり時間を割くわけにも行かないだろう。ナナクは、今『回収』してきたばかりの銃を見せつけた。


「見てよ、この銃。奥の方においてあったんだ。」


 自動小銃としては大振りだが先日奪われた対物ライフルに比較すると銃身は短い。それでもこのステーションに到着した当初使っていた多機能ライフルより明らかに口径が大きく、銃弾をいれるマガジンも巨大だ。


「なんだそれは?まるで小さな対空機関砲だな。私が過去に戦ったロボットがよくそんな武器を装備していたよ。」


 アリスが武器を見た感想を述べるが、ナナクの疑問もそれで解決した。


「そういうことか。この銃は、強力な弾を発射できる割には、銃身が短くて、なんだろうって思ってたんだ。取り回ししやすそうだからこれを選んだんだけど、敵の武器を想定していたんだね。」


「そうは言っても、以前のバカでかいライフルより威力は落ちるが、それでもいいのか?」

「うん、大丈夫。あのライフルはちょっと重すぎた。」


 重いというのも事実だったが、オーバースペックで恐ろしかったというのが本当の理由だった。あの対物ライフル銃は威力が強すぎて、今度こそ本当にアリスフレームを殺してしまいかねない。先日シャロンと戦った際には足を切断させたが、あの時狙ったのが頭だったらそのまま首から上が吹き飛んでいただろう。シャロンはアリスフレームだ。しかし、人間ではないから撃っても大丈夫、とは今はとても思えない。アリスだって同じアリスフレームなのだからなおさらだ。


 対物ライフル銃が重かった、と言うナナクだが、この小さな機関銃も十分に重い。銃弾の重さを足すと、対物ライフルと比較してそれほど軽くなったような気はしない。それに加えて造形機用の資材も持っている。足にずしりと重さがかかる。しかし彼にはアリスを守るという目的があった。そのために必要な銃である。贅沢を言ってはいけない。


 アリスは新しい刀を、ナナクは新しい銃を、それぞれ入手して帰路へ向いた。


 その途中では、天井の採光窓から陽の光が入る。ナナクはヒマワリ畑での出来事を思い出していた。あの朝、彼女を連れ出していなければ、こんな事にはならなかったのだ。幸いアリスは回復して今も隣にいるが、プログラムのようなものを奪われたと言っていた。本当に取り返せるのかは分からないが、大切なものであることはナナクにも理解できた。ステーションからの脱出とは無関係だが、彼にとっても脱出と同じくらいの優先度で取り組むつもりだ。


「ナナク、何をしているのだ。あまり遅くなると船長に叱られるぞ。」


 ボーっとしていたのだろう。アリスから呼びかけられてしまった。


「え?ごめん、行くよ。」


 そう言ってナナクはアリスの方へ振り返ろうとしたタイミングで、採光窓の外の、遠くの方に光を反射する物体を発見した。


「あれ?なんだ?」


 ナナクはカバンからライフルのスコープを取り出し、遠くの物体を観察した。


「ナナク、一体どうした?」

「あ!宇宙船だ!こっちに向かってきてる!」


 ナナクは歓声を上げ、ダンへ呼びかけた。


「船長!こっちに向かっている宇宙船がある、遠くてよく見えないけど、救援が来たんだよ。」

<はぁ?そんなワケねぇだろ?事前に準備した高速船でも5日かかるんだぞ。でも、他の船が通りかかったのかもしれねぇな。どこだ?>

「えーっと、なんて言えばいいかな。ああっ、もう見えなくなっちゃった。」


 宇宙ステーションは回転しているため、窓の外に何かを見つけても、10秒としない間に移動してしまう。だから見失ってしまったのだ。


<まあいい、一旦戻ってこい。お前の見間違えじゃなければすぐに見つかるだろう。>

「分かった、すぐ帰るよ。」


 ナナクは望遠鏡代わりのスコープをしまうとアリスへ振り向いた。


「アリス!」

「ああ、今の話でだいたいわかったぞ。とりあえず戻ろうではないか。」


 ナナクが走り出す。先程まであれほど重いと思っていた荷物が今は軽く感じるようだ。


 ………

 ……

 …


 ナナクとアリスの二人が戻ってきてすぐに、ナナクが先程発見した宇宙船を探したところ、すぐに見つかった。


「う~ん、よく見えねぇな……。それに、あいつら近づいてこねぇぞ。」


 ダンがしかめっ面でスコープを見つめていた。ステーションに接近する宇宙船は確かに存在した。それでも距離がありすぎる。スコープを使っても形がよくわからないのだ。


「我々がいるのは、今まで存在が隠蔽されていたステーションなのだろう?警戒しているのではないか?」

「それにしても離れ過ぎじゃねぇか?あいつら。あの距離だと向こうからこっち側もよく見えねぇだろ。」

「船長。さっき送った赤外線通信は?」

「さっきからずっと送ってるけど、応答がねぇ。受信機こっちに向けてねぇのかもしれねぇな。普通に考えて、まさかここに人がいるなんて思わねぇだろ?」

「何なのだ?今の赤外線とやらは?」


 アリスが疑問を挟んだ。


「ああ、普通の通信はハッキングされてるって言うから、赤外線で直接通信する機械を使ったんだよ。どの宇宙船にも緊急用に設置されてる。」

「ほう、それでも相手はだんまりだ、ということか。ただのガラクタではないのか?」


 遠くでよく見えない、応答もない、近づいても来ない、という状況では廃棄された人工衛星か何かだと疑うのも無理はない。しかしナナクがそれを否定した。


「もし、漂っているだけなら、ぴったり止まっているということが無理なんだよ。だって――」


 ナナクが説明しようとしたところ、アリスが割り込む。


「なるほど確かにそうだな。このステーションも凄まじい対地速度で飛んでいるわけだから、速度を合わせるには誰かが操縦せんといかん、ということか。」


 先と取られたナナクが行き場のないような顔をした。ダンは遠くにいる宇宙船とのコンタクトは一旦諦めたようでスコープを縮めてナナクに返した。


「そっ。あと、あいつら位置信号も航行コードも出してねぇ。どんな船か全く分からん。相当警戒してるな、あれは。まぁもう少し様子見かな。こっちは航行灯もつけてるし、もう少し近づいてくれれば俺たちの存在にも気がつくだろう。」


 ダンは後回しだったデブリーフィングを行うためにデッキ周辺のディスプレイを操作し始めた。同じく机へ向かおうとしていたナナクをアリスが呼び止めた。


「ナナク、私にもそれを貸せ。」


 そう言うとナナクからスコープを奪い遠くの宇宙船を観察した。


「アリス、見えるの?」


 アンドロイドの目の構造で望遠鏡が使えるのかナナクは気になったが、杞憂だった。


「見えるぞ。私が作られた直後からは、かなりゲインが落ちているが、それでも人間よりずっと視力はいい。……ああ、確かにいるな。うむ、宇宙船だこれは。私が知るような時代の宇宙機ではないぞ。主翼もないし、大気圏に降りる構造ではないな。それと、窓が殆どない。一体何だあれは?」

「え!アリスちゃん、あれが見えるの?」


 ダンが驚いてアリスへ振り返った。ダンもナナクもあの物体が宇宙船かもしれない、というところまでは確認できていたが、形までは分からなかった。


「アリス、どんな形か教えてよ。」


 ナナクはそう言って電子ペーパーを渡してきた。


「見えたと言っても、それほど鮮明ではないからな。」


 アリスはそう答えて電子ペーパーの上に見たままの形状を記録していく。


 ――およそ1分後。


「すっげぇ、アリスちゃん絵上手いな。」


 電子ペーパーの上には製図したかのような宇宙船のイラストが仕上がっていた。


「ボケて見えにくい細かな形状は適当に補完してあるからな、あまり信用するな。」

「船長、これって救援船?」


 ナナクが聞くが、ダンは顔を曇らせた。


「ちげぇよ。こいつは強襲艦だ。」

「え?きょうしゅうかん?」


 ナナクがキョトンとしている。あまり一般的な用語ではないのだ。


「私が地球にいた頃の強襲艦といえば、大型ヘリや戦車や大砲を沢山積んで、敵国の海岸線を制圧する目的の軍艦だったが、似たようなものか?」


 アリスが言うのはおよそ300年前の船舶としての強襲艦だ。


「そりゃあ、海の上の話か?似たようなもんだ。宇宙ステーションや大型船に侵入するための軍用船だ。」


 ダンがそう答えた。


「それなら、助けてもらえるんじゃないかな。」


 ナナクがそう聞いたがダンは険しい顔を崩さずに何も言わない。そんな様子を感じ取ったアリスはあえて話題を切り替えた。


「近づいてこないならば何もしようがないだろう。まずは先程の探索の報告会をやるのではないか?」

「あ、そうだね。アリスと僕の分の武器も手に入ったんだよ。」


 ナナクとアリスも席について、簡単なデブリーフィングを始めたのだった。


 ………

 ……

 …


 デブリーフィングが終わって少しして、アリスとナナクは宇宙船の下のフロアの造形機のところに来ていた。アリスはナナクに事前に依頼して、午前中に回収してきた資材を用意してもらっていた。


「アリス、なにか作るの?でも操作は上にいかないとできないんだよ。」


 ナナクがそう指摘する。この造形機は宇宙船の設備であるため、コックピット側の端末からでないと操作ができない。


「それは知っている。だから直接操作する。」


 アリスはそう言うと、目を閉じて意識を集中させた。宇宙船をハッキングして情報収集したとき同様に造形機を操作し始めた。インストール済みのオンラインマニュアルを参照しながら造形用データをその場で作り、転送する。造形機にはダウンロード開始の表示がされている。数秒後には造形機が動作を開始した。


「え?動き出した。すごい、どうやったの?」

「ふふっ、秘密だ。」


 アリスがしたり顔でそう答えた。


「ええっ?」


 秘密と言われるとは想像していなかったナナクがあっけにとられるが、アリスとて独自のハッキング手法や、その発展系であるインバース・プロジェクションを人に説明できるようなものでもない。造形機の出力が終わるまでは少し時間がかかる。


「次は腕だな。ナナク、私の腕が入っていたあの箱はどこにしまってある?」


 彼女が言うのはナナクがプルートから預かってきたアタッシュケースのことだった。


「倉庫にしまってある。取ってくるけど、それをどうするの?」

「私は他の道具を準備してくるから、それを持って私の部屋まで持ってきてほしい。」


 ナナクの質問を無視して、アリスはこう言うと、上のフロアへ上がっていってしまった。


 その後、指示通りアリスの腕の入ったアタッシュケースを持って、ナナクはアリスの自室へ移動した。するとアリスは処置用の小さな机の上に手術用の道具一式を広げていた。見慣れない道具もいくつかある。


「アリス、持ってきたよ。それは一体何?」

「補修キットだ。先程武器を取りに行った時、演習場で探してきたのだよ。」


 ナナクは意味がわからなかったが、その次のアリスの言葉に驚いた。


「腕を直す。」

「え?直すって、この腕を!?」


 たしかに以前アリスは腕を治療できるような話をしていたが、設備がないとも言っていた。ここで直せるようなものなのだろうか。ナナクの疑問が解けないうちに、アリスは着ていたワンピースを脱いでベッドの横においた。


「わ、わ、ちょっと、どうするの?」


 急に下着姿になったアリスにナナクは落ち着く暇がない。


「手術のようなものなのだから、脱ぐのは当たり前だろう。……おい、出て行くな。お主にも手伝ってもらうぞ。本当は下着も脱いでおきたいところだが、私の豊満ボディーを見てお主の手元が狂うと大変だからな。」

「え……、ええ?豊満?何の話?」


 豊満とは対象的な、ややもすると児童体型とも言える彼女がそんな事を言い出した。


「そこは聞き流すところだろう。ぶん殴るぞ。」


 かえってナナクも冷静になる。これ以上追求して超音速の右ストレートを喰らいたくもない。アリスは準備を進めていく。


 アタッシュケースを開けて自身の左腕を取り出し、ピンセットのようなもので突付き始めた。


「過去にもっとひどい怪我を負ったことがあってな。巨大な建機ロボットにコテンパンにやられたのだよ。あの時は本当に死ぬかと思った。」


 次にアリスは左腕の切断部分に握りこぶし大の機器を当てている。その機器は時々ピッピッと電子音を鳴らす。


「その時に、幸いアリスフレームの外科手術が出来る奴がいたんだよ。それで命拾いしたというわけさ。」


 青い半透明のテープを肩の周りにぐるぐる巻き付け始めた。


「ナナク、こっちの端をそのハサミで切ってくれ。」


 ナナクは指示されたとおりにテープの端を切る。


「あの修復の時は意識が朦朧としていたから、回復してから記録を見せてもらったのだよ。見様見真似だが、それに加えて先ほどステーションのアーカイブでアリスフレームの補修作業のマニュアルを見つけてな。」


 アリスは小さなビンに入ったペースト状の中身を混ぜ、注射器のシリンダーに入れようとするが、片手だと時間がかかるようだ。


「アリス、手伝おうか?」


 ナナクがシリンダの入った台座を持ち上げた。


「お、気が利くな。助かるぞ。……それで、今の私なら直せるのではないかと思ったのだよ。右腕だけでセレスやプルートと戦うのは骨が折れる。」


 シリンダに全て詰め終えたアリスは小さなナイフのようなものを取り出した。


「今の、君?」


 ナナクの疑問をアリスにぶつける間もなく、彼女はそのナイフを左肩の関節部に突き刺した。そのまま皮膚を切り裂いていく。血が出るような様子はなく、切り口は薄いクリーム色のようだ。


「えっ?アリス!」


 驚いて言葉が出ない。一方でアリスはよく知った手順のように、机の上に用意してあった団子状の塊の一つを切り裂いた傷口に広げていく。次に左腕を持ち上げて肩の関節部分に添えた。


「ナナク、ここを支えておいてくれ。絶対に動かすなよ。絶対に。フリではないからな。」


 彼は言われたとおりにアリスの左腕を支える。すると彼女はステープラのようなものを取り出し、パチンパチンと何かを留めている。先程中身を入れた注射器で、その中身を接合部に注入し始めた。思わずナナクも息を止めてしまう。再度、団子状の粘土のような謎の塊を関節部に盛っていく。2、3度似たような作業を繰り返すと、徐々に関節部の形状が出来上がってきた。


 その様子を固唾を飲んでナナクも見守っていた。最後に針と糸で先程切り裂いた皮膚を繋いでいく。皮膚の長さが足りずにむき出しの部分も多いようだが、先程盛り付けた粘土のようなもので傷口は隠されていた。


「ナナク、腕を少し上げる。そーっとだ。」


 彼女の指示に従って腕を持ち上げた。赤い半透明のフィルムを手に取り、傷口を完全に覆うようにぐるりと一周回した。


「よし、降ろせ。」


 腕をゆっくり下ろす。あれほどたくさん並んでいた机の上の道具は大きな白い布一枚だけになった。


「最後にこれを結んでくれ。腕を骨折した人と同じようなやり方でいい。知っているか?」


 ナナクはその大きな布を三角巾のようにして首の後ろを通し、左腕を支えるように結んだ。


「おお、上手いな。」


 アリスがナナクを褒めるが、応急処置は宇宙船の乗組員の免許を取る際の必修科目だったのでナナクもよく知っていたのだ。


「終わったの?」


 ナナクが恐る恐る聞いた。


「ああ、終わりだ。お主がいて助かった。一人でこの規模の修復は不可能だからな。」


 ナナクはアリスに聞きたいことがたくさんあったが、最も聞きたいことはこうだった。


「アリス、痛くないの?麻酔がいるって言ってたよね。」

「もちろん痛いだろう。だが痛覚など究極的にはただの信号に過ぎん。安全だと分かっている以上は無視すればよいだけだ。アンドロイドの特権だな。だから『今の私ならできる』と言ったのだ。先日までの私のパターンだとそれも難しいからな。きっと恐怖が勝るだろう。」


 今日になって急に人が変わったようになってしまったアリスだったが、痛みを無視するとは一体どういうことなのか?ナナクは困惑するばかりだった。


「その腕はいつ治るの?」

「もう少し馴染んだら内部の修復を始める。今日の夜にはだいたい繋がるだろう。動かせるようになるのは明日の朝だ。」

「明日?そんなにひどい怪我なのに?」


 先日のシャロンとの戦闘で足を負傷したときもたった一晩で治っていたことに驚いたナナクだったが、今の腕の手術も一晩で治ると言う。


「傷の深さはあまり関係ないな。どんな場合でも、ナノマシンにプログラムを転送して再構成するだけさ。そういう意味では今実施した修復は準備段階に過ぎないと言える。ナノマシンの再構成が本番だ。」


 ナナクはアリスのことをほとんど人間であるかのように接してきていたが、このようなことを目の当たりにすると、やはり人間ではないのだと再認識させられる。


「そうだナナク。お主に確認しないで始めてしまったのだが、今日の業務はもう無いよな。3時間は体が動かせんから、手伝えん。」

「大丈夫、もう無いよ。と言うか、あったとしても君は休んでいていいよ。」


 切断された腕の縫合手術など、人間なら最低2ヶ月は入院だ。たった半日仕事ができないことなど負担にもならない。


「すまんな。」


 アリスは短くそう言うと、ベッドに横になり、タオルケットを掛けた。左腕を庇いながら右手だけでかけようとするので綺麗にはいかない。


「それじゃ、僕は一旦戻るよ。具合が悪くなったらすぐ呼ぶんだよ。」


 ナナクはタオルケットをかけ直しながらそう言うと、部屋を出ようと立ち上がった。


「分かった。ありがとう。」


 アリスは目を閉じて眠ったように見える。先程、彼女が言ったようにナノマシンの再構成を行うのだろう。


 ………

 ……

 …


 翌朝、3人がデッキに集合した時に驚いたのはダンだった。


「あれ?アリスちゃん、その左腕の怪我、どうしたんだ?そういえば、昨日の晩飯の時に上がって来な……いや、そうじゃねぇな!生えてきたのか!?」

「トカゲの尻尾ではあるまいし、生えるわけなかろう。この前ナナクが持ち帰ってきた私の腕があっただろう。あれを継いだのだよ。」

「ああ、あれか……。でも簡単にはくっつけられねぇって言ってなかったか?」

「都合よく道具が見つかったのと、ナナクに手伝ってもらったのでな。」


 それを聞いたダンはナナクを見る。


「いや、手伝ったと言うより、少し持って支えたくらいだよ。ところでアリスのその腕はもう大丈夫なの?痛くない?」

「修復は殆ど終わっているはずだが、念のため規定時間こうして支えているだけだ。先程服を着た時も平気だったぞ。」


 そう言うとアリスはデッキから出ていこうとした。


「アリス、どこ行くの?」

「どこって、朝食の準備に決まっている。ナナクも行くぞ、流石に一人だと大変だ。」

「いいよアリス。まだ休んでいていいって!」

「ここ一週間、私は右腕だけで生活していたのだ。今までと何が変わるというのだ?」


 そう言いながら階段を降りていってしまった。ナナクも慌てて彼女を追いかけていった。


 そして朝食を終えてちょうど一時間経った頃、3人は再びデッキに集まっていた。アリスが三角巾を解いて左腕を動かしていたのだ。


「すごい、本当に動いてる。」


 その様子を見たナナクが驚いている。


「まぁ修理したなら動くのは当然かも知れねぇけど、こんな場所でアリスちゃんもよくやるな。」

「ここがアリスフレームのいる軍事ステーションで助かった。道具が全部揃ったのは幸運だよ。」


 アリスはそう言いながら左腕をゆっくりと回している。関節の具合を確認しているようだった。肩、肘、手首、指の一本一本、というように動かしていく。


「よしよし、いい具合だ。それではちょっとした性能試験でもやってみようか。船長、下のフロアにトレーニングルームがあっただろう。少し使ってもよいか?」


 彼女が言うのは、以前ナナクに紹介してもらった小さなトレーニングルームのことだ。トレーニングルームと言うには狭く、単に器具が置いてある物置のようにも見える部屋だ。3人はぞろぞろとトレーニングルームまで降りてきていた。


「二人とも、どうしたのだ?別についてくる必要など無いぞ。」


 彼女の言う通りナナクもダンもこの場にいる必要はないのだが、アリスが気になって降りてきたのだ。


「ああ、ここをリハビリ施設に使おうってわけか。」


 ダンがそう言うが、アリスの思惑は違うようだ。


「私にリハビリなど不要だ。性能試験だと言っただろう。これを使う。」


 そう言って彼女はボクシングマシンの前で立っていた。ナナクには一つ思い出したことがある。先週アリスにこの部屋を紹介した時に、このボクシングマシンが異常な動作をしていた。


「アリス、その機械壊れてるんだよ。根本のバネとセンサーの部分が――」

「ならば、壊してしまってもかまわないのだな。良いことを聞いた。」


 アリスはナナクを遮ってそう言うと、ボクシングマシンの電源を入れた。表示パネルの数字が180秒から徐々に減っていく。


「いや、だから壊れてるんだって。それ。」


 彼女はナナクの言葉を無視して軽く足を開き、構える。左腕でジャブを繰り出した。スパァンという甲高い音が廊下まで響く。


「いいパンチ出すなぁ。とてもロボットとは思えねぇ。」


 ダンが感心している。


「だからロボットではなくアンドロイドだと何度も言っているではないか。」


 アリスはそう言いながら、バッグを何度か殴りつける。そのたびにバッグを殴る音だけでなく、ボクシングマシンのフレームがギシギシと音を上げる。


「すごい速さだ。もう君の腕も完全に治ったんだね。昨日手術したばかりなのに。」

「何を言っている。こんなのは試運転の試運転みたいなものだぞ。次、本気で行くぞ。二人とも少し下がっていろ。」


 アリスはそう言うと足をより開き、大きく構えた。何かが始まると察知したナナクとダンが一歩下がる。それを確認したアリスはとてつもない速さでパンチを繰り出し始めた。


 ブワーンともバリバリとも形容できる爆音が宇宙船内に響き渡る。パンチが早すぎて衝撃音が繋がり、内燃機関の爆発音のように聞こえるのだ。


「ええっ!?」


 あまりの音の大きさに二人は驚き、耳をふさぐ。パンチのカウンタ数が急速に上がっていく。


 100、200、300……、1000……、2000……、3000……。


 アリスは一心不乱に、左腕をまるでモータに直結された何かのようにして超高速のジャブを放ち続けている。そしてカウンタが9999の上限に達した段階で一瞬止まった。アリスはさらに上体を大きくひねり、渾身の左ストレートをぶちかました。バゴォンという衝撃音を上げて、ボクシングマシーンのバッグ部分が弾け飛んだ。その衝撃でボクシングマシンを据え付けていたボルトが何本か破断し、右に少し傾いた。ボクシングマシンは【9999Hit! Best Record!!!】と表示が明滅していた。


「うむ、定格運転、最大運転、ともに問題ないな。……どうした二人とも、見世物ではないぞ。」


 アリスは満足そうな顔をしていた。アリスの調子が良いようでナナクも嬉しそうだ。ところがダンだけは圧倒されていた。


「どうなってんだよ、300年前のアンドロイドってやつは……。」


 ナナクと違って彼はアリスが全力で動く姿を直接目にしたことがなかったので、改めてその姿を見て言葉を失ってしまうのだった。アリスはトレーニングルームを出る際に、ナナクに声をかけた。


「ナナク、昨日出力した造形機の品物を取り出しに行くのだが、どうやらコツがあるらしいな。少し手伝ってくれないか?」


 昨日アリスは造形機に指示を出していたのだ。船内のネットワークをハッキングして直接動かしてようなので、どのようなものが出来上がるのかナナクには知らなかった。金属材料主体で、なおかつ出力にはかなり時間がかかる様子だったが、何を作っているのかはまるで想像がつかなかった。


 10分ほどして、造形機から取り出した部品が全てデッキのテーブルの上に並んでいた。


「アリス、これは一体何なの?それに手組みって……。」

「さぁ、何だと思う。ここまで見ればもう分かるだろう。」


 アリスはそう言うが、ナナクには未だに正体がわからない。大小の多角形の金属プレートが20枚以上並んでいるだけだ。彼女はそれらの部品を次々に組み立てていく。徐々に輪郭が明らかになっていく。


「あっ、もしかして……。」


 ナナクが何かに気づいたようだ。


「ふふっ、わかったようだな。」

「そうか、新しい鎧だ。この前バラバラになっちゃったから。」

「最後にここをこう嵌めれば……、完成だ。」


 アリスが今着ているワンピースはもともとは過去にナナクがどこかで回収していた演劇用の衣装だ。上半身を覆うようなプレートアーマーが付属しており、アリスもそれを着ていた。しかしあのプレートはただのプラスチック製の衣装であり、防御力としては何も期待できない。ところが今回アリスが作成したのは金属製だ。完成したばかりの金属鎧をアリスが着込んでいる。自身の体格に合わせているのでサイズはピッタリだ。上半身だけでなく、スカート部分を覆うようにプレートが広がっている。


「あとはこれだ。」


 細長い楕円状の金属板を左腕に通す。盾だ。斬撃の邪魔にならない程度の小振りなもの。どちらかというと籠手と言っても良いかもしれない。


「うわぁ、カッコいい。」


 ナナクが歓声を上げた。造形機特有のマットな質感が、物語に登場する歴戦の戦士のような雰囲気を醸し出す。


「見た目だけではない。きちんと複合構造にしてあるから、並の銃弾や対物ブレードなら受け止められる。アリスフレームと戦うならば、これくらい防御力は上乗せしておきたい。良くても一太刀しか耐えられんだろうが、それで十分だ。」

「スゴい!僕にも作ってよ。」


 ナナクが興奮して喜んでいる。


「お主の体格に合わせて作ると30kgほどの重量になるが、それを着て動けるのか?その上にさらに宇宙服を着るのだぞ?装甲付きの宇宙服が欲しければ、最初から軍用のものを使えばよかろう。演習場に置いてあったぞ。まあアレの重さもやはり30kg以上になるが。」

「いや……、やっぱりいいや。」


 ナナクは諦めたようだ。防弾装甲の入った重い宇宙服を着たまま走り回って戦うという特殊部隊のようなことが出来るはずもない。


「そういえば、アリス。造形機でもう一つ何かジョブを投入していたよね。あれは?」


 ナナクがアリスとともに鎧の部品を取り出して造形機カバーを閉めたあと、空っぽになった出力台に次の部品を作り始めていたのだ。


「あれは私の新しい武器だ。組み込み部品があるから時間がかかる。出来上がるのは正午頃だろうな。」

「わぁ、楽しみだ~。」


 ナナクが目を輝かせていた。その時、別の仕事をしていたであろうダンがデッキまで上がってきた。


「おーい、ナナク。昨日から無いって言ってたお前の薬、洗濯機の上においてあったぞ。」


 ダンは透明の箱のようなものを掲げている。今の話しぶりからすれば、ナナクが定期的に接種しなければいけないという薬のことだろう。


「あれ?アリスちゃんのその甲冑みたいなの何……どあぁ~!」


 ダンが何かに躓いて転倒した。先程アリスの鎧を運ぶためにデッキまで運んできた造形機の台座プレートに躓いたのだ。その拍子でダンが持っていたナナクの薬が空を舞い、テーブルの上に落下した。注射器のうちの一つが破れて中身が飛び出す。


「船長、大丈夫?」

「誰だよ、こんなとこにこれ置いたの……。って、ナナクの薬どこ行った?」


 ナナクの薬はテーブルの上のアリスの目の前にぶちまけられていた。こぼれたのは大した量ではないが、貴重品だろう。


「あーあ、一個だめになっちゃった。下からタオル取ってくるよ。」


 ナナクはそう言うと同時にアリスに手で合図してデッキを出ようとした。一方でアリスはその液体を見て、思うところがあり、飛び散った液体を指に取ってみた。


「アリス、それ薬だから、あんまり触らないほうがいいよ。」


 ナナクの言葉を無視して、アリスはその指に付いた薬を口に入れる。


「ダメだよ!何やってるのさ。」


 ナナクが注意しようとしたが、アリスの返答は意外なものだった。


「同じだな。私の補給剤と成分が同じ。ナノマシンと遊離剤だ。」

「はぁ?そんな訳あるかよ。そりゃナナクの薬だぞ。色が似てるだけだろ。」


 ダンが即座に反論するが、アリスには自信があった。


「私がナノマシンとそれ以外を間違えるわけなかろう。人が塩と砂糖の味を間違えたりしないようにな。ナナク、お主の病気とは一体どういうものなのだ?これはどこで処方されている?」


 アリスが矢継ぎ早にナナクを問い詰める。以前ナナクは血管の病気があるからこの薬を定期的に注射する必要があると言っていた。ナナクが答える。


「僕の生まれつきの血管の病気で、きちんとした病名はまだ付いていないんだって。年に一回、市の先端医療センターってところで検査してるんだよ。」

「この薬の中身の説明を受けたか?」

「中身?血管の修復を助ける薬なんだって。というか、これにナノマシンが入ってるって本当なの?」


 ナナクが不安そうな顔をする。


「ああ、本当だ。ファームウェアが少し違う……風味が違うと言えば通じるか?とにかく違うところは多少あるが、私が普段摂取しているナノマシンと同等のものだよ。船長、一つ聞きたい。医薬品分野にナノマシンを使うのは、この時代では一般的なのか?」

「いや、聞いたことねぇな。ロボットの修理にはよく使うけど、薬にするって話は……。ああ、義手や義足だったら使うな。でも、それくらいだ。」

「まぁそうだろうな。あれに生理的な作用はない。ましてや体内に入れたら血管で詰まるだろう。」


 ナノマシンは極小サイズといったところで、人間の細胞よりもずっと大きい。とうてい毛細血管の中に入り込めるようなサイズではない。


「え、血管?じゃあ僕の病気はこれで悪化してるってことなの?生まれた時からずっと接種してるんだけど、それ。」

「悪化と言うか、普通だったら死ぬぞ。だが、これを注射しても平気でいられるお主は一体何者なのだ?」


 3人は無言で固まってしまった。


 するとその沈黙を守るように突然コックピットから警報が上がった。ビービーとサイレンが鳴り響く。話題は強制的に中断された。最も素早く動いたのはダンだった。すぐにコックピットに座って状況を確認した。


「接近の警報だ。何か近くにいるぞ。2時方向。200メーター。」


 全員でコックピットの右側を見る。すると右側やや上方を大きな宇宙船が通過していくのが見えた。


「昨日見つけた宇宙船か?俺が朝見た時は離れてたのに、一気に接近してきやがった。」

「ああっ、昨日のアリスの絵と同じだ。大きいなー。」


 ナナクが宇宙船の先頭部分を指差してそう言った。真横を通過した際に、船尾部分に大砲と砲弾のマークが描かれているのが見えた。


「おいおい、なんであいつの遊撃隊がここにいるんだよ。」


 ダンが恐れとも怒りとも読み取れるような表情でその宇宙船を見つめている。


「あれが船長の言う強襲艦とやらか?あの宇宙船、あの速度のままだとステーションにぶつかるぞ。」


 強襲艦はダンたちの宇宙船の右を通り過ぎ、ステーションの反対側へ向かっていった。スラスターを吹いて方向調整をしているようだが、止まる様子はない。そのままステーションのドック部分に激突した。数秒後にその振動が彼らの宇宙船にもビリビリと伝わった。


「わ、わ、あの人達、ぶつかっちゃった!船長、どうしよう。」


 ナナクが慌てている。一方でダンは険しい表情を崩していなかった。アリスも落ち着いている。


「本当に荒っぽい着地方法だぜ。でもよ、あれで正しいやり方だ。」

「敵の大型船を攻撃する際の手順、ということか?」

「ああ、そうだ。」

「ところで船長、先程何か言っていたようだが、あの宇宙船の奴らと知り合いか?」

「ああそうだ。俺が昔、軍にいた頃のな。船尾のマークの通り、キャノンボール隊って呼ばれてるよ。」

「その言い方だと、決して御友人というわけではなさそうだな。」


 ダンはまるで厄介者がやってきたかのような言い方だったのだ。


「船長!知り合いって言うなら助けてもらおうよ。友達ってほどじゃないと言っても、どこかの宇宙港まで連れて行ってはくれるでしょ。」


 ナナクが訴えるが、ダンは考え込んで何も言わない。代わってアリスが発言した。


「よし、ナナク。私がちょっと行ってくる。昨日拾ってきた私の刀を用意してくれ。ついでにお主が昔使っていたとかいうパルスガンも借りたい。」


 アリスが自信に満ちた表情でくるりと振り返り、デッキの出入り口へ向かおうとした。


「え?アリス。なんで?」


 ナナクの質問に一旦立ち止まり、出口を向いたまま左手を軽く上げて答えた。


「あの宇宙船の連中は、我々を友好的に助けるようなことは決してしない。そういうことだろう?船長。」


 ダンは何も答えない。それは肯定を意味していた。


「ちょっと待ってよ、僕も行く。」


 アリスは立ち止まったまま、今度は振り返ってダンに問いかけた。


「船長、あの軍艦の連中は要するに完全武装の軍人だろう。連中の目的は何だと思う?どう見ても、我々の救助ではなさそうだが。」


 ダンはステーションに船首部分を突っ込ませた強襲艦を見つめたまま答えた。


「分からねぇけど、レーダーに映るようになったこの軍事ステーションを見つけて、ここの遺物を狙って来たのかもな。俺が先日軍の知り合いに問い合わせただろう。色々聞き回ったって聞いてるからあいつらにも話が伝わったのかもしれねぇ。演習場でナナクが見つけた大量の武器があっただろ?あいつらならいくらでも欲しがる。」

「そんなところにナナクを連れて行っても良いのか?戦略拠点の奪い合いはこの世の地獄を見るぞ。」

「荒っぽい連中だが、いきなり民間人を撃つようなことはしねぇよ。それに武器が欲しいなら、全部くれてやればいいだろ。全員教育は行き届いてるから、きっちり交戦規定に従うはずだ。ナナク、向こうから弾が飛んでくるまで絶対に撃つなよ。武器を構えるのもダメだ。あっちはプロだからな。」


 ダンは頭を上げてナナクに警告した。


「これはこれは、思った通りの物騒な話になってきたな。」


 ダンの話を聞いたアリスはなぜかニヤニヤしている。しかし目は笑っていない。


「アリス?どうしたの。」

「兵隊さんが可愛そうだ。軍用ロボットやアリスフレームがいるような鉄火場で白兵戦などして命が残ればいいな。」


 アリスはそう言うと再び出入り口の方へ向いて出ていこうとした。それをダンが呼び止める。


「ちょっと待て、アリスちゃん。道、分かんのかよ。」

「ああ、船長が整理したマッピング情報ならこの前全部見させてもらった。一旦下の倉庫まで降りてから反対側へ回って上がらないとあの場所へはたどり着けんようだ。ナナク、今日はそれなりに歩くから、弁当でも用意しておけ。」

「え?お弁当?今から用意するの?」

「ただの冗談だ。行くぞ。」


 二人はデッキを出て階段を降りていった。


 ………

 ……

 …


 アリスとナナクは宇宙船を出て、バースから外周部へ向けていつものようにエレベータで降りていく。ナナクは改めて装備品を確認していく。昨日回収できた小型の機関銃のマガジンを外し、弾薬を確認する。安全レバー、薬莢の強制排出レバー、銃身のメンテナンス用のレバーなどを順次点検していく。もちろん昨日の夜に全て実施済みの内容であったが、マニュアル通りに毎日確認しているのだ。


 ひと通り確認が終わり、小声でよし、と言うと、今度はアリスに話しかけた。


「そういえばアリス、今日に限って君がパルスガンを持っているのはなんで?銃は使えないって言ってなかったっけ?」

「確かにそんな事も言ったような気がするな。起きたばかりで記憶が曖昧なときだったから、あの発言は事実ではない。使い方は知っているし、決して下手くそでもないぞ。それでも使わなかったのは、私の場合は剣のほうが遥かに強力だ、と言うだけだ。ところが今回は相手が人間だからな。こういう道具があると好都合だ。」

「好都合って?」

「私が対物ブレードで斬りかかったら相手は即死だろう。これなら出力を下げれば火傷程度で済むし、上に向けて威嚇射撃も出来る。」


そう言って肩に下げたパルスガンを握ってナナクに見せた。


「え?助けてもらいに行くのに、なんであの人たちと戦う前提なのさ。」

「う~ん、『勘』だな。」

「え?勘って……。」


 ロボットではなくアンドロイドだ、と言っていたアリスだったが、さてアンドロイドに勘などというものが存在するのだろうか、とナナクは疑問だった。そう思っていると、エレベータが下層に到着し、ドアが空いた。


 外周部まで降りたナナクとアリスは、食堂の交差点を過ぎて深部へ進んでいく。目標はステーションの反対側、管制塔があるエリアだ。例の強襲艦は管制塔上部の、恐らく軍用のバースに船首部分を突っ込んでいた。アリスたちがいるのはまだ住居のエリアだったが、遠くの方から自動小銃の音が聞こえ始めた。


「おぉおぉ、早速始まっているな。」

「なんで銃撃戦になってるの?」

「あの連中はきっとこのステーションの御作法を知らないのだろうな。船長、お主が先程言った交戦規定とやら。無人ロボット相手にも適用されるか?」


 ナナクのもつ無線機を通してアリスが聞いた。


<されねぇけど……。ああ、そういう意味か。あいつら先に撃ちやがった。>

「そうだろう。今ごろあの管制塔周辺は蜂の巣を叩いたようになっているだろうな。」


 この軍事ステーションには恐ろしい戦闘ロボットが大量に保管されている。それらは普段は停止しているが、ステーションの設備やロボットを破壊する者が現れた途端、全力で排除しようとする。つまり民間人として歩き回る分には安全だが、武器を持って制圧しようとした途端、軍事要塞としての性質があらわになるのだ。


「えっと、なに隊だったっけ?あの人達。」


 ナナクが背中に担いだ機関銃をカチャカチャ鳴らして歩きながらダンに聞いた。


<キャノンボール隊だ。>

「会ったらどうすればいい?」

<戦闘中に近づくなよバカ。流れ弾で死ぬぞ。戦闘が終わるまでそこで待て。アリスちゃんにも止まれって言ってくれ。>


 ダンは二人にその場に留まるように指示をした。しかしアリスは歩みを止めない。


「船長、聞きたい。そのキャノンボール隊というのは一体何者なのだ?あまり上品な連中ではないようだが。」

<市側の軍の実戦部隊だよ。表向きは、警察でも制圧できない犯罪組織や暴動の対処ってことになってるが、母港の船が何機もやられてる。汚ねぇ仕事専門の部隊だ。訓練された戦闘員だけでも20人以上いる。それだけの人数を揃えられるのは市側の軍だけだ。>

「ん?実戦部隊がたったの20人?少なすぎではないのか?そんな小隊のような人数で喧嘩をふっかけてもすぐに全滅してしまうぞ。」

<300年前の基準で話さないでくれ。今の時代はそれだけいれば立派な軍事力だよ。世界最強だ。>


 連日の忙しさで気にしていなかったが、アリスは現状の人類の文明の規模、例えば彼らが言う『母港』や『市』や『軍』というものがどういったものなのかをまだ知らない。いつかダンかナナクに聞こうと思っていたことだが、たった20人の宇宙船一つで軍事力と呼ぶならば、全体の規模もおおよそ想像が付こう。本当に『市』と呼べる程度の人口しかいないのだろう。人類の全滅寸前から300年程度しか経過していないならば、世代交代を考えても大躍進と言えるかもしれない。


「殖やせるお主達が羨ましいよ。」


 人類が数を回復させつつある一方でアリスフレームは新たに製造されない限り、減るしか無い。方法に異論はあるが、セレスがアリスフレームを別の生命として再生させようとしていた動機が、アリスには分からないでもなかった。


<え?何だって?>

「すまんな、独り言だ。それで、あの連中はここのロボットとまともに戦う戦力は持っているのか?どちらが勝つと思う?」


 アリスは話題を強襲艦の戦闘員に戻した。


<ロボットの数次第だが、流石にあいつらが勝つんじゃねぇか?それでも負傷者は何人も出そうだ。死者が出なけれりゃいいけど、わかんねぇぞ。>

「その程度か。では急いだほうがいいな。あの連中、下手すると全員死ぬぞ。」

「え?アリス、なんで?今船長が軍の人たちのほうが強いって……。」

「ロボット相手に手こずるような連中が、アリスフレームと戦ったらどうなる?」


 ナナクは先日のアリスとシャロンの戦いを思い出していた。並の銃弾ならば容易に弾き返す装甲に、時速100kmを超える走行速度、それもただ走るだけでなく建物の上を自由に飛び回り、攻撃を避けて急速に接近してくる。そしてその攻撃は必中。撃って狙おうにも人間と同じサイズ。屈強な兵士と比べれば体格はその半分以下だ。要するに、銃で狙えない、狙っても当たらない、当たっても損傷を与えられない、そして反撃で即死。歩兵で挑めるような相手ではない。ナナクはその恐ろしさにようやく気づいた。


「どうしよう、あの人達やられちゃうよ。」


 二人は歩く速度を早めて目的地へ急いだ。


 ………

 ……

 …


 いくつかのゲートを過ぎ、管制塔のエリアへの入口が見えてきた。その先からは断続的に銃撃音が鳴り響いている。その音にかき消されがちだが、ブオーンブオーンという警報音と、退避を促すアナウンス音声も漏れて聞こえた。外壁の損傷による空気漏れがあるそうだ。恐らく強襲艦の戦闘員、キャノンボール隊の銃弾がステーションの密閉を破損させたのだろう。ナナクは念のため宇宙服の首もとのセンサ表示を確認した。今のところ異常はない。これだけ大きなステーションなら多少の空気漏れがあってもすぐに窒息するようなことはない。


「射撃音が聞こえるということはまだ全滅はしていないようだ。ナナク、ここから先は戦場だ。お主はここで待て。」

「それは出来ない。僕も行くよ。」

「お主この先がどんな場所か分かっているのか?船長もこやつに言ってくれ。ここから先はピクニックではないとな。」

<アリスちゃんの言うことももっともだけどよ。アリスちゃん?お前もそこで待機。ナナクから離れるなよ。>

「う~む、船長がそう言うなら仕方がない。たしかにナナクをここに残すのもリスクがある。戦闘が止むまで一旦ここで待つとするか。」


 ナナクは管制塔エリアへ繋がる広場を左右にウロウロして、ゲートの先の様子をうかがう。するとナナクが何かを見つけたようだった。


「何だあれ?」


 ナナクがゲートの方へ向かっていく。


「おーい、そちらへ行くなと船長が言っていただろう。」

「ゲートの向こうへは行かないよ。こっち側の地面に何か……。あ、血だ。アリス!来て!」

「なんだと?」


 血と聞いてアリスが素早くナナクのもとへ駆け寄った。すると、地面に血痕のようなものが伸びているのだ。管制塔からナナク達がいるエリアへ伸びている。


「新しい血痕だな。間違いなくあの連中だ。」

「この先か。行ってみよう。」


 血痕の続く先を探しで二人は小道の先を進んでいった。


 ………

 ……

 …

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