第6話:限界


 ――― お友達のために頑張るのもいいけれど、無理をしてはいけないわ

          お出かけも、度が過ぎると体に毒ですわよ ―――




 カンカンカン、と螺旋状の階段を素早く上り下りする音が宇宙船内に響く。デッキで仕事がある、とダンに呼ばれたアリスは急いで片付けて戻ってきたのだ。


「ダンさん、片付け終わりました。『試す』ってなんでしょうか。」

「あのね、アリスちゃんさ、休憩って言ったよ。話聞いてた?俺だってまだここ片付けてねぇよ。」


 彼女に呆れてダンがそう言う。しかし彼女はそんな事お構いなしだ。


「はい、ではここで待っています。」


 そう言ってデッキ入口で直立不動で待つ。ダンとしては、このようにじっと待たれているとやりにくい。一方でアリスは内心の嬉しさを顔にニヤニヤ醸し出さないよう必死だった。自分の正体を知られてもなお、彼らに仲間として認められたのだ。嬉しくないはずがない。胸のつかえが取れた、とはこういう気分のことを言うのだなと実感していた。また、偶然の会話の流れで知ることになった『大脱出』も彼女にとっての朗報だった。この宇宙にはまだ人々がたくさんいて、自分の存在意義を見出す場所がいくらでもある、ということが分かり、その手段も得たのだ。


 彼女が生まれた時、暴走ロボットのネットワーク『NRU』との戦争で人類は劣勢だった。そしておよそ100年後に目覚めたら周囲はゴーストタウンになっており誰もいなかった。敵のロボットと、自分と同類のアリスフレーム数人を除いて。状況から考えて、地球上から人類は全滅してしまったと考えてもおかしくなかったが、彼女は、僅かな希望を頼りに宇宙を目指した。事実、人類は宇宙に活路を見出していた。それも数人ではなく、大勢いると。なんと心強いことか。そこに合流できる事が彼女は嬉しかった。しかも身分を隠しているのではなく従来同様にアリスフレームと認められた上で、である。これから自分の能力を十二分に発揮できそうだと、彼女は張り切っていた。


 ダンの動きをじっと見ながらアリスは待っていたが、ダンにはそれが気になって仕方がない。


「あーっ、ジロジロ見られたらやりにくいな。暇ならコーヒーでも淹れてきてくれねぇか?」

「はーい。」


 あまりの嬉しさに、アリスはこの際、仕事ならば雑用でも何でも構わない。そんな気分だった。彼女はキッチンまで降りて、鼻歌交じりにポットに水を入れてヒーターの電源をONにする。乾燥機から取り出したカップにコーヒーを入れていく。そんな様子を通りがかりのナナクが見かけて、声をかけてきた。


「アリス、楽しそうなところ悪いけど。ちょっといい。」


 アリスはふと我に返る。


「え?別に、なんでもないわよ。それで、どうしたの?」

「君に渡さなきゃいけないものがあるんだ。船長からさっき何か仕事を頼まれてたみたいだけど、それが終わった後でいいかな。」

「ええ、大丈夫よ。渡したいものって何?」

「あ、いやその……。ちょっとここで気軽に見せるようなものじゃないかな。ちょっと驚くかもしれない。」


 ナナクが言いよどむ。よく見るとナナクは直方体の見慣れない箱のようなものを持っている。そういえば先ほど二人でステーション内の食堂に行ったときもナナクはあの箱を持っていたな、と思い出した。彼女はその中身を知らない。きっとは何か良い物なのだろうと勝手に想像した。


「へぇ、楽しみにしているわね。」


 ナナクとしてはそんなつもりではない。


「いや、ゴメンね。そんな楽しいものでもないんだよ。ま、詳しくは後で。」


 そう言っていなくなってしまった。


「え?ちょっとナナク、後で何がもらえるの?」


 中途半端な情報を残していなくなるのはやめてほしいな、と思ったが、とりあえずダンから頼まれた仕事のほうが先だ。彼女はコーヒーを持って螺旋階段を上がっていく。


 ………

 ……

 …


 彼女がデッキまで戻った頃には、ダンはテーブルの上やコックピット周辺の片付けを終えていた。テーブルの中央の椅子に座ってアリスを待っていた。仕事の準備ができたのだろう。


「ダンさん、コーヒー入りましたよ。」

「おう、ありがとう。」


 ダンがそう礼を言い、カップに口をつける。可もなく不可もなく、彼はそんな顔をした。インスタントなのだから誰が作っても味などほとんど同じだろう。


「それで、ダンさん、仕事ってなんですか?」


 2口ほどコーヒーを啜ったダンはカップを置き、デッキを囲むモニターに向けて指をかざして、無言のまま操作を始めた。


「あの、もしかして危険な仕事なんですか?多少の危険は大丈夫ですよ。私、皆さんより多少は体が丈夫なので。」


 ダンは「まぁ少し待て」と言って慣れた手付きで操作を続ける。20秒ほど待つと、モニターには宇宙船の見取り図のようなものがズラッと並んでいた。


「さぁアリスちゃん?この図面は何だか分かるか。」


 アリスはそれを見て、間取り図や施設の位置関係に見覚えがあることに気づき、これらは全てこの宇宙船のものだと分かった。常にこの宇宙船の中にいたので外観は見たことがなかったが、潰れた流線型が3つ重なったような形状をしている。恐らく中央が居住区で左右の2つがエンジン部分なのだろう。


「この宇宙船のものですか。外から見るとこんな形なんですね。」

「正解。どうしてわかった。」

「えっと、雰囲気で何となく?」


 それが彼女の正直な感想だった。


「何だよ、雰囲気って……。X線でこの船を透視したりとか、なんかそういう凄い機能とかあったりするんじゃねぇの?」

「そんなの無いですよ。ダンさん、私のことなんだと思っていたんですか。剣で戦う他は普通の人と同じことしか出来ません。」


 なんだと思っていたのか、と聞かれて当然ロボットだと思っていたさ、とダンは答えようと思っていたのだが、彼はそんな無駄話をするために彼女を呼んだわけではない。


「そうか、それじゃ本題。アリスちゃんは宇宙船の整備とか修理は出来る?昔、軍にいたってことはそういう訓練も受けてるだろ?」


 突然の質問に彼女は話の流れが掴みきれなかった。そのため事実を素直に回答する他無い。


「宇宙船を触ったことはないですけど、トラックやドローンの整備なら一通り出来ますよ。出来るって言っても他の隊員さんと同じで、作戦行動に必要なだけの最低限ですけど。」

「なるほど、宇宙船は未経験ってことだが、この船なら設計が古いからマニュアルがあればいけそうか?もちろん俺がレクチャーするけど。」


 ここまで聞いて、彼女はダンの意図が分かってきた。この宇宙船の修理は今はダンが一人で行っている。自分に手伝わせようというのだろう。部屋を囲うように頭上に広がる図面を一通り眺めて、少し考えてから答えた


「お手伝い程度なら出来ると思います。でも宇宙服はどうするんですか?私が着られるような小さいものはあるんですか?」


 アリスの疑問はもっともだったが、ダンの答えにアリスは驚いた。


「え?無ぇけど……お前、宇宙服いるの?」

「必要でしょう。常識的に考えてくださいよ。」

「いやいやいや、常識的に考えたらむしろ要らないだろ。ロケットで打ち上げられるような軍用のロボットなんだから。そもそもナナクがお前を拾った場所も大気環境とはかけ離れた場所だ。」


 ロボットではなくアンドロイドなのだが、と彼女は言いたくなったが、ふと思い出してみると確かに自分は宇宙空間を生き延びた。およそ200年前に貨物ロケットを爆破したときも短時間であるが船内で活動できていた。


「アリスちゃんの仕様書は、流石に残ってねぇだろうな~……。動作できる温度とか気圧とか放射線量とか、決まってるだろ?お前の中に記録されてる?軍にいたって時に、そのあたりをなんか聞いてない?」


 アリスは施設で生活していたときのことを思い出してみた。設計思想に関する概要は聞いたことがあったが、具体的な仕様の数値などは聞いていない。そもそも『アリスフレーム』という彼女のシステムが自身の経験をもとに成長する仕組みであったためスペック情報は意味を成さないのだった。


「特に記憶にはないですけど、私ってそういう数字がないんですよ。でも、ダンさんの言う通り、私は一回宇宙に出たことありますね。」

「だろ?分からねぇって言うなら、せっかくだから試してみねぇか?」

「え?試すって、何を、ですか?」

「船外活動。」


 ダンはいきなり何を言い出すのかとアリスは思った。しかしダンの提案に少し興味を持ったのも事実だ。この宇宙船も隣のステーションも壁一枚――厳密には何層にも及ぶ複合構造だが――その壁を隔てた先は宇宙空間だ。外で行動できるかどうかを知っておけば、いざという時に彼らを守る手段が一つ増えることになる。


「私もちょっと気になるので、試すのはやぶさかではないですけど……危なくないですか?」

「もちろん船外活動は危ねぇよ。だから俺以外にも出来るやつ増やしときたいってわけ。それにお前、危険な仕事でも大丈夫です、って言ってたじゃねぇか。」

「確かに言いましたけど……。なんだか思ってたのと違います。」

「思ってたのって……知るかよそんな事。まぁいい、説明していくぞ。」


 ダンは、図面上にある作業用の足場やゴンドラ、メンテナンス用のハッチなどを説明していった。


 一通り説明を終えると、ダンは40cmほどの大きさの、薄汚れた巾着袋のようなものをアリスに渡した。受け取るときにガチャリという鈍い金属音がして、それなりに重さがある。彼女が中身を開けると、ぐるぐるに巻かれた太いワイヤーケーブルと大きなフックが2つ、あとは小さなポーチ状のバッグが入っていた。


「なんですか?これは。」

「転落防止用のハーネス。いくらお前が宇宙空間で活動できるって言ったところで、転落したら、そのまま遠心力で『ぽ~ん』だ。だからそれ付けて作業して。そっちの小さいのは作業用の無線機だな。ちょうどいい、その無線機もまだ動くかどうか試してみよう。もう一つ渡すのが、これ。」


 ダンはそう言って、大きなレンチのようなものを渡してきた。ヘッド部分に表示機のようなものがある。指で触ると数字が表示された。グリップ部分の先端にはリールがあり、そこから紐が伸びていて先端にはクリップが付いていた。


「そのクリップをベルトに取り付けて。」


 アリスは指示に従ってベルトに取り付けた。手を離すとスルスルっと腰部分にレンチが固定される。確かにこれなら手で持ち運ぶ必要がないし、作業中にレンチを落とす心配もない。整備業者が使うようなプロ用の道具だ。


「これで何をするんですか?」

「いつでも船を出せるようにネジ部分の点検。緩んでることは無ぇと思うけど、万一緩んでたら増し締めして。お前の馬鹿力で締めるんじゃねぇからな、そこのトルク表示を見てやれよ。」

「え?ネジ締めですか。ますます思ってたのと違います……。」


 アリスは不満だった。名指しで呼び出された仕事なのだからもっと特別感のある内容だと勝手に思いこんでいた。


「だから、思ってたのって……お前この仕事なんだと思ってんだよ。ネジなめんなよ。俺が爺さんに誘われて、軍の宇宙隊に入った時は毎日……まぁ今こんな話してもしょうがねぇ、行くぞ。」


 ダンとアリスは出来を出てフロアを降りていった。


 途中でナナクに遭遇して


「アリス、さっき言われた仕事って、何してるの?」


と問われるが、先程渡された大きいレンチを掲げて


「えっと、ネジ締めの実験?」


とだけ答えた。ネジ締めは分かるが、その実験とは?とナナクは疑問に思ったが、二人はそのまま降りていってしまった。


 そしてアリスとダンは作業用ハッチまで到着した。ダンは船外用の宇宙服を素早く着込む。一方アリスは転落防止ハーネスを体に取り付けていく。他人が付けているのを過去に見た記憶があったが自分で装着するのは初めてだ。ハーネスの次は無線機を身につける。ダンを見ると、首に巻き付けるようにして装着している。


「こんな感じで大丈夫ですか?」


 アリスがダンに確認すると、ダンは彼女の腰の脇から垂れ下がったハーネスのロープの端を思いっきり引っ張り上げた。腰回りを一周し、両肩と股を通って一本でつながったハーネスが全身を締め付け、体が一瞬浮き上がるような気がした。


「これくらいじゃないとダメ。緩いとスッポ抜けるぞ。使い方は知ってると思うが、一応説明すると、そのフックは手摺か足場に両方引っ掛けておいて、移動する時は一個ずつ。どんなタイミングでも最低どちらか一方は繋がってる状態にする。」


 ダンの声が同時に無線機からも伝わってくる。後頭部と首に伝わる振動が強い。骨伝導タイプのようなものだろうか。作業用と言っていたので、騒音環境でも使えるような製品になっているのだろう。アリスも無線機の動作を確認するかのように少し小さめの声で答えてみる。


「あっ、はい。わかりました。」

「本当に大丈夫か?ロボットだろうがアンドロイドだろうが、落ちたら死ぬのはみんな同じだぞ。」


 アリスもこのような現場作業のようなことは知識としては知っているが、実践するのは初めてだ。どうしても中途半端な答え方になる。彼女の場合は高所からの転落程度では死ぬことはないが、宇宙に放り出されたらどうしようもない。2つのフックを持って一つずつ付け替えるような様子を思い浮かべて、シミュレーションをする。その様子を見たダンは、最低限の説明はできたと判断したのか、作業用のハッチを開け始めた。空気が出入りするシューという音が聞こえる。


「このハッチは狭いから一人ずつな。操作の仕方はあっちの人荷用と同じだから分かるだろ。俺が先に出て待ってるから、アリスちゃんは後から出てきて。」


 ダンはハッチの中に入り、内扉を閉めた。アリスはハッチ脇の表示版を見ながらじっと待つ。ダンが外に出たのを確認して、ハッチに入る。内扉を閉めてから、エアパージを開始した。


 アリスは何か問題が起こった時のために緊急解除ボタンに手をかけている。バキューム装置が稼働するゴゴゴという音、空気が抜けていくシューという音が聞こえていたが、真空に近づきその音も徐々に小さくなっていく。鼻と腹部に強烈な違和感を覚えるが、釣り上げた深海魚のように目玉と胃袋が飛び出してしまうようなことはなさそうだ。


 彼女はここで重大な問題に気付いた。音が全く聞こえないのだ。ダンに呼びかけるがそもそも声が出ない。真空下に晒されたことによる体の不快感も著しいので作業を中止したかった。


<アリスちゃん、パージ終わったから開けても良いんだぞ。>


 ダンからの声は無線機を通した振動から僅かに拾える。


「ダンさん、声が出ないんです。」


 アリスがそう訴えようとするが、媒質としての空気が無いため伝わらない。過去、自身ロケットで打ち上げられた時には宇宙空間でも多少の会話ができていたはずだが、あの時は一体どうやっていたのだろうか。必死で戦っていたのでよく覚えていない。


「アリスちゃん聞こえる?そっちの声がなんか、モゴモゴとしか聞こえねぇんだけど。無線機が調子悪ぃのか?」


 ダンはそう言うと、外側からハッチを操作して外扉を開けた。アリスはダンに身振り手振りで状況を伝えようとする。声も出せないし体調も悪いのでもう帰りたい、と。


<あ、そうか悪ぃ。声出せねぇのか。アリスちゃんの声もそういう仕組みか。こっちの声は聞こえる?>


 両手でアリスは手でOKのポーズを作る。その返事でダンはアリスの活動が大丈夫だと判断してしまい、通路を進んでいってしまった。彼女は、そうではない、と何とか伝えようとダンを追いかけた。作業用の足場を歩いて行くと、窓の向こうにナナクの姿が見えた。アリスは改めてフックがしっかりかかっていることを確認してから身を乗り出し、窓をコンコンと叩いた。もちろん叩いた音はアリスには聞こえないのだが、ナナクには届いているはずだ。


 気づいたナナクが彼女を見て驚いた。それを確認してから、手で大きくバツのポーズを作る。するとナナクは廊下の方へ小走りで出ていった。20秒か30秒ほど経っただろうか、無線機からダンの声が聞こえてきた。


<ああ、今アリスちゃんと外にいるんだよ。……そうだよ。……え、今あいつどこにいるんだ?>


 ナナクと通話しているのだろう。ダンの声だけが無線機越しに聞こえるようだ。


<いや、大丈夫って言ってんだけど、ちょっと見てくる。>


 足場の上の方からダンが降りてきた。


<あーいたいた。アリスちゃんどうしたの?早く上がってこいよ。>


 すかさずアリスは手でバツのポーズを作り、首を大きく左右に振った。流石に伝わるはずだ。


<よく分かんねぇけど、なんか問題発生か?一旦戻るか?>


 アリスは意思表示として通路を駆け足で戻っていく。


<アリスちゃん、フックフック~。忘れるな、危ねぇぞ。>


 転落防止ハーネスのフックのことを言っているのだろうが、それどころではない。平衡感覚も不明瞭になってきた。作業用の足場を素早くかつ慎重に戻っていく。宇宙船が停まっている中心部は得られる重力が弱いのであまり急ぐと浮かび上がってしまう。ハッチの前まで来たのだが、ダンが来ないと開けられない。手すりを掴みしゃがみ込んで彼を待つことにした。もう30秒もかからないだろう。だいぶ気分が悪いがその程度なら死んでしまうほどではない。


 ちょうど彼女の後ろ側から太陽の直射光がジリジリと背中を焦がす。地球上であれば大気で緩和されていた、太陽本来の強烈な光と赤外線と放射線が服を貫通して彼女の組織をミクロレベルで破壊していく。その様子が背中の痛みとして知覚できる。グレーチングを通して足元を見ると半月が輝いていた。前方は彼女が午前中まで探索していた宇宙ステーションが覆っている。ステーションは連結した宇宙船と一緒にゆっくりと回転して遠心力で擬似的な重力を作り出している。横を見ると、星々が輝いていた。太陽が出ているが大気がないため昼間でも星が見えるのだ。具合は相変わらず悪いが、そのあまりの美しさに感動する。宇宙船の中から見ようと思えば見えたのだが、そんなタイミングがなかった上に、フィルター付きの窓越しでスモークがかかっていたため星はよく見えなかった。


 改めてアリスは自身がとんでもないところに来てしまったのだと実感する。何百年も経った未来に飛ばされ、ロケットで打ち上げられ、宇宙や月面で暮らす人たちと一緒に行動している。そして今座っているのは地球を回る軌道上の宇宙空間だ。彼女の生みの親はアリスフレームに寿命はないと言っていた。生き延びるのが目標であり目的だと。これから先もこうやって永遠と生きて人類の文明に付き合ってくのだろうか。そう思うとアリスはめまいがした。いや、このめまいは宇宙空間に晒されたことによる症状か。


 すると誰かに肩をポンと叩かれた。


<おーいどうした。やっぱりダメか。こんなところで座ってねぇでさっさと入ればいいのに。>


 そう言ってダンはハッチの操作パネルの開ボタンを押した。特にパスコードなどを入力すること無くそのままハッチの外扉が開く。


「え?そのまま開くんですか?これ。」


 アリスの声は当然誰にも届かないが、とにかく開いたのですぐに入ることにする。そして外扉を閉めてエアブローを開始する。轟音を上げて一気に空気が入ってくる。エアパージで空気を抜くときと違って10秒ほどで圧力ゲージが大気圧まで回復した。


「あ~、わ~。」


 きちんと声が出ることを思わず確認してしまう。ようやく喋れるようになったが、何だか声がいつもと違う感じがする。


「ダンさん、なんか声が変なんですけど。」

<え?無線機で首を締め付けてるから、とかじゃねぇの?>

「ちょっとキッチンでウガイしてきていいですか?お腹も気持ち悪くて具合悪いんですよ。」

<うがいって、アリスちゃんってもしかして水で潤滑するタイプ?だとしたら船外作業はダメだよ。なんで先に言わねぇの。>


 そんな事聞かれなかったし、アンドロイドなら宇宙に出られて当然のような言い方をしたのはダンの方ではないか、とアリスは思ったが、とにかく揮発した水分を補給したかった。彼女はハッチの内扉を開けて通路に出てキッチンへ入った。蛇口を開けて口に水を含む。真空下で昇華してしまった水分が戻ってきて、鼻や喉の違和感は和らいできた。しかし相変わらずお腹の調子は悪い。自分の消化器官は人間のそれとは大きく異なるはずだが、朝食に食べた『圧縮パン』が真空で膨張して想定外なことになっているのだろう。


 キッチンを出ると、ちょうどダンが階段を上がっていくところだった。


「おう、アリスちゃん、残念だったな。お前が宇宙仕様だったら色々便利だったのに、まぁ仕方ねぇか。」

「ちょっと具合悪いんで部屋で休んでいていいですか?」

「いいぞ、今日の仕事は終わりだ。ご苦労さん。」


 自室に戻ったアリスはそのままベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。彼女が初日からなんとなく感じていたことだが、ダンは人使いが荒いのではないか。アリスが知る時代に比べても労働時間自体は短いようだが、その仕事一つ一つがなかなか過激だ。軍事基地を探索する護衛をやらされたと思ったら、次は生身で宇宙空間に出されて整備士のようなことをやれと言われた。ダンもナナクも最初から自分のことをアンドロイドだと思っていたようだが、ダンは特にその傾向が強いように思える。確かに『何でも出来る』ために人間そっくりに作られたアリスフレームではあるのだが、便利屋のつもりにしては要求が高すぎである。


 一方でナナクはまだ自分を人のように扱っているところがある。外観が似たような年齢の少女だということもあるのだろう。部下というより友人ができたようなつもりなのかもしれない。半分ボーっとしながらそんな事を考えていると、ドアの外から声が聞こえた。


「アリス?大丈夫?」


 ナナクが心配してやってきたようだ。彼女は起き上がってドアを開けた。


「ちょっとお腹の具合が悪いけど、大したことじゃないわよ。さっきは驚かせてしまってごめんね。」

「さっき船長には抗議しておいたよ。アリスになんて事やらせるんだ、って。いくら君がアンドロイドだからといって、そのまま宇宙に出られるとは限らないよね。」


 色々と想定外だったが彼女としては短時間ならば宇宙空間で活動できることがわかった、というのは今回の成果と言っても良い。もちろん体への負担も大きいので積極的に外に出るつもりはない。あくまで緊急時の対応だ。


「そうね、ありがとう。でも大したことじゃないと言うのは本当よ。私、体は丈夫に出来ているみたいだから。」

「それなら良いけど、無理しちゃダメだよ。船長は君のことを回収品みたいな扱いしてるけど、僕は仲間だと思ってるから、それは忘れないでね。そうだ、そもそもアリスは僕の部下なんだから、船長が勝手に指揮命令するなって言っても良かったんだ。」

「別に無理矢理やらされたってわけじゃないから、心配しないで大丈夫よ。」

「そう?何かあったらすぐ僕に言うんだよ。具合悪い時に話しさせちゃってゴメンね。今日はもう仕事は終わりらしいから、体調が良くなるまで寝ていていいよ。」


 そう言ってナナクは去っていった。再びアリスはベッドにゴロンと寝転がる。そのまま眠りについてしまった。


 ………

 ……

 …


 アリスの自室の小さな採光用の窓から差し込んだ光がちょうどアリスの顔にあたっていた。


「んっ。」


 彼女が目を覚ます。どれだけ寝ていたのだろうかと思ったが、昼夜の区別がない宇宙では時刻がわからない。もともと救護室だったこの部屋に時計はない。体調も回復したようなので外に出てみると、船内は消灯されていた。もう夜なのだろう。時計を探してキッチンへ向かうと朝の7時より少し前だった。


「え?一晩経ってしまったの?」


 そう思ったが、ふと本当に一晩なのだろうかという疑問が湧いた。まさかまた何百年も経っているのではないかと怖くなった。


「ナナク。ダンさん。」


 船内で二人を呼びかける。朝早くに大声を上げるのは迷惑だ。冷静になって蛇口の吐出口を触ると、少し水が残っていた。単に一晩寝ていただけのようだ。アリスはホッとした。二度寝しようとは思えなかったのでデッキまで上がっていくことにした。ちょうどナナクやダンの部屋があるフロアまで上がってきたところで、カチャリとドアが開いてナナクが顔を出してきた。


「アリス、おはよう。昨日はずっと寝ていたみたいだったけど、大丈夫?」

「もう平気よ。起こしてしまってゴメンね。」

「いや、もう起床時間だしいいよ。僕も準備したら上に行く。」


 アリスはデッキまで上がり、照明をつけた。するとテーブルの上には見慣れない箱が見えた。昨日ナナクが彼女に見せようとしていたあのアタッシュケースだ。勝手に開けるのも良くないと思い、アリスは椅子に座ってダンとナナクと二人を待った。デッキの窓越しに太陽の光が差し込む。反対側を見ても星々は全く見えない。中にいると実感出来ないが、この窓のガラスも外の光の殆どを遮断するのだろう。そうでなければ中で過ごしているだけで太陽に焼かれてしまう。


 カンカンといういつもの螺旋階段の音をたててダンが上がってきた。


「おう、アリスちゃんおはよう。具合はどうよ?」

「おはようございます。もう治りました。」

「そうかそうか、昨日はすまんな。」


 ダンは椅子に座り、テーブルの上のアタッシュケースを寄せた。


「そうだ、このカバンなんだけど、ナナクが昨日貰ってきたみたいなんだよ。でも開け方が分からん。朝飯の後でこの話しよう。」


 朝食と聞いてアリスは自分も手伝ったほうが良いのかと思い、キッチンまで降りていった。


「ナナク、手伝おうか?」

「いや、大した準備もないから大丈夫だよ。もう終わったし、上がってていいよ、僕ももうすぐ行く。」


 3人揃っての朝食が始まった。テーブルの上にあるのはいつものパンだ。このように人と食卓を囲うというのは何と良いものだろうかとアリスは感じていた。彼女が食事を取れるようになったのも、活動時間を基準で考えればごく最近のことだった。生まれてすぐの頃は周りに人はたくさんいたが、食事をとる機会など無く、薬剤や充電などでエネルギーを補給していた。その頃と比較すると、ずいぶんと文化的だ。外観上は充電と比較すると遥かに原始的だが、人間と行動をともにするという目的で言えば一つの軍事技術の到達点だった。専用の設備や資材がないと活動できないのでは、その他の車両や航空機と同様に補給線が途絶えた途端にガラクタと化す。もちろん食品の補給がなくなれば動けないので根本は同じだが、食品の補給は燃料弾薬に比較すれば容易だ。地球上であれば、場所次第だが現地調達することも可能だ。そのための教育も受けている。その機能が結果としてこのような食卓を囲う団欒を実現したのなら、これほど幸運なことはない。もしかしたら彼女の生みの親はこの姿こそを目指したのかもしれない。


 アンドロイドだと知っていた二人が、初日からさも当然のように人間と同じ食品を自分に与えたのは驚くべきことだが、この時代ではロボットが食品からエネルギーを得るのは普通のことなのだろうか。万が一また宇宙空間に出た場合、昨日のように食べたものが膨張してしまわないように、彼女がパンをゆっくり食べるようにした。するとナナクが話しかけてきた。


「アリス、昨日お腹の調子が悪いって言ってたけど、このパンで大丈夫?もっと別のにしたほうが良いんじゃないの?」

「体調は治ったからもう平気よ。」


 するとダンが割り込んできた。


「それよりも、そんな量で足りるのか?人間よりも燃費いいって聞くけど、ナナクの話だと人の何倍も飛んだり走ったりしてるって言うじゃねぇか。」

「さぁ、どうなんでしょうか……。でも途中でお腹が空いたって思ったことはないから足りていると思いますけど。」


 アリスは摂取カロリー、消費カロリーというものを考えたことがない。


「そういえば一つ聞いていいですか?他のアンドロイドは、ごはん食べるんですか?」


 ナナクが答えた。


「アンドロイドっていうのがどうだかは分からないけど、ロボットを動かすのは普通は充電か水素充填だよ。アルコールを飲む子もいるけど。お酒じゃなくって100%エタノールの話ね。」

「飯食うロボットはあるけど、全部ペット用だ。あとから軍用品だって聞いて納得できたけど、最初お前が何食うかって聞いて、俺たちと同じもん食うって聞いた時は、でっけぇペットだなって思ったよ。」

「ええ?ペットですか?」

「そう、ペット。昔、みんなが生き物を飼ってた時代の名残らしいが、俺からしたらどっちだって良いと思うんだけど。」


 そう言ってパンを口に放り込む


「でも、船長。アリスがこうやって食べられるから3人で仲良く座って食べられるから良いじゃないか。アリスの燃料のことも考えなくていいし。」


 ダンはパンを頬張ったまま、うんうん、と言う。


「ところでアリスは全身がナノマシンでできてる、って言ってたけど、最初の日にあげた分で足りた?」

「最初の日?」


 アリスには、ナナクが何の話をしているのかわからなかった。


「補給剤の話だよ。缶に入った白いやつ。カップに入れたら飲んだでしょう?あれだよ。」


 アリスは目を覚ましたときのことを思い出した。なんとも味を表現し難いが、スッと体が受け入れるような妙な飲み物を飲んだのだった。今思えばアレはナノマシンの補給剤だったのか。


「昨日も一晩寝て、治ったからまだ足りているとは思うけど、そのあたりもよく分からないのよ。怪我を治すのに必要なのは確かなんだけど。」

「あの缶はまだあるから、君が優先して飲みなよ。全身ナノマシンだなんて、どれだけナノマシンを補給してもきっと足りなくなるよ。」

「おいナナク、アリスちゃん太らせるんじゃねぇぞ。それともお前はちょっと太めの子が好みなのか?」

「ち、違うよ!」

「太め……、ってちょっとダンさん、それセクハラですよ。」


 はははっとダンは笑っている。悪気はないのだろうが時々このようにデリカシーのない発言が気になる。3人の楽しそうな声が船内に響き渡る。帰還の目処が立たない過酷な状況は変わっていないが、アリスはこの状況に幸せを感じていた。


 ………

 ……

 …


 朝食を片付けたアリスとナナクはデッキに戻っていた。ダンとともに3人はテーブルを囲い、その中心には先程のアタッシュケースが置いてある。


「アリス、昨日君に渡すものがあるって言ってたけど、これのことだよ。昨日探索して、君が先に帰ってしまった時に、プルートってやつから貰ったんだ。君に渡してくれって。」

「プルートって確か、お前が昨日遭遇したっていう軍服着てたアリスフレームか。」

「うん、ここに入ってるのは……その……。」


 昨日と同様にナナクが言いよどむ。もったいぶってどういうつもりなのだろうと思っているとダンがそれを持ち上げた。


「でもよ、これ開かねぇんだよ。アリスちゃん開けられる?」


 アリスはダンからアタッシュケースを受け取った。重さはそれほどではない。通常のカバンにあるようなファスナーやバックルの類はなく、上面中央に黒い金属状の板が貼り付けられているようだ。アリスはそれを見て、おもむろに右の手のひらを金属板の上においた。


 するとガチャっと音がした。


「あっ、開いた!」


 ナナクが声を上げた。


「多分これは私しか開けられないようになっています。」


 彼女はこの形のアタッシュケースに見覚えがあった。過去に地球の軍事基地にいた時にこのようなロックを使った記憶がある。


「で、中身は何だよ。開けてみろよ。」


 ダンが急かす。アリスはそれをテーブル中央に戻し、蓋を開けた。中身があらわになる。


「ええっ?何だよこれ。」


 その中に入っていたのは人間の腕のようなものだった。


「アリスの左腕だと思う。」


 ナナクが答えた。続けざまにアリスが質問する。


「なんでこんなところに?」

「この宇宙ステーションにこの腕だけやってきて、あの二人が見つけて、その後に君が漂着したって言ってたよ。どこまで本当だか分からないけど。ちょっといいかな。……えっと、この向きか。」


 そう言ってナナクは恐る恐る鞄の中の腕を触ると、そのままアタッシュケースから取り出し、アリスの右腕の横に並べてみた。左右対称の全く同じ形をしている。するとダンも正面へ回り込んで確認した。


「おんなじだな。そいつがアリスちゃんの左腕ってのは本当かもな。」

「それで、この腕を君に渡してほしいって言われたんだけど。」


 ナナクもそう言ってアリスの方を見る。いきなりちぎれた腕を見せられてもアリスも困ってしまう。


「これは私の腕かもしれないけど、どうすればいいの?その、プルートって人は他になにか言ってなかった?」

「いや、特に何も。昨日も話したけど、もう一度来てほしいって言ってただけだ。」

「くっつくんじゃねぇの?それ。怪我でも直せるって言ってたじゃねぇか。補給剤ならまだ残ってるぞ。」


 ダンがそう言うが、そんな簡単な話ではない。


「いや、無理ですよ。壊れたおもちゃじゃないんですから。それに手術台も麻酔器もないでしょう。」


 この宇宙船は病院船でもないわけで、切断した腕を付けるような大きな手術が出来るような設備はない。しかしダンは意外なところに驚いたようだ。


「え?麻酔ってお前、人間じゃあるまいし、痛いわけねぇだろ。冗談言うのも大概にしろよ。」

「冗談じゃありません。痛みは危険信号ですから生き残るのに必要です。だから私にも痛いっていう感覚があるんです。」

「マジか……。300年前の技術、というか設計思想ヤベェな。ダメだ俺の理解が追いつかねぇ。」


 ダンが両手で目を覆う。ナナクは並べていた左腕をアタッシュケースの中に戻した。


「なんだかアリスって本当に人間みたいだね。」

「……。」


 アリスは何も答えず、ただナナクを見る。その意見には肯定も否定もしかねる。そう言いたいようだった。というのも、彼女が生み出された理由は、名目上は敵のロボットを破壊するためだったが、人間そっくりの彼女の形は戦闘には向いていないことは明らかだ。


 それはなぜか?


 彼女も軍の施設にいた頃にはっきりと問いかけたわけではなかったが、生まれた理由が、人類亡き後に『人間の代わりとなる』ことだったかもしれないと疑っていた。だから、人間と同じ、と言われることに対して彼女の感情は複雑だ。彼女の反応がなくナナクは少し困ってしまったが、とにかくこのアタッシュケースの中身はアリスのものだとはっきりした。


「えっと……、これもう閉めていいよね。」


 アタッシュケースをもう一回り観察した後に蓋を閉めた。小さくキュイーンと音を立てて再度ロックされた。ナナクは先ほどアリスが手をかざしたプレート部分に手のひらをかざしてみたが、反応する気配はない。アリスにしか開けられないというのは本当のようだ。アリス個人ではなくアリスフレームでなければ開けられない、ということのかもしれない。ナナクは閉じたアタッシュケースを持って改めてアリスに渡そうとした。


「それで話を戻すけど、このアタッシュケースは君のものらしいんだよ。受け取って欲しいんだけど。」

「え?あ……、うん。」


 アリスがアタッシュケースを受け取った。しかし置き場所もなく困ってしまい、周りをキョロキョロ見回してしまった。


「すぐ使うわけじゃねぇんだし、倉庫にでも入れておけば良いんじゃねぇか。」

「そうだね。アリス、後でしまいに行こう。一旦今はあっちに置いておけば良いよ。」


 そう言ってデッキの出口の方を示した。アリスはアタッシュケースを床に置き、テーブルまで戻ってきた。ナナクが自分の椅子を引いて座り直して、ダンに聞いた。


「で、船長。今日の探索なんだけど、どうしようか?昨日の話だと、アリスと一緒に行って、昨日の二人に命令して宇宙船のロックを解除してもらうって話だったけど。」

「そうだな、でもそいつらがどこにいるか分からねぇんだろ?だったらまずは昨日と同様に管制塔を探すほうが先だ。そいつらがこの船を無理やり係留してるなら、管制塔に出入りしてるのは間違いねぇ。あと、この船を焼いたパルスガン、忘れてねぇだろうな。」


 ナナクは「あっ」とでも言うような顔をする。すっかり忘れていたのだが、昨日あれだけ多くの事件が起こったのだから無理もない。


 ダンが少々呆れ顔をしながら、探索ルートの説明を続けた。


「前回のルートだと駐車場の行き止まりだったって話だから、今日は反対の左回りルートを行く。えっと、今マップ出すからちょっと待ってろ。」


 ダンはいつものように斜め上方に手をかざしてディスプレイを操作していく。アリスはこんなユーザーインターフェースは見たことがなかった。恐らくアリスの後の時代に実用化された技術なのだろう。どんな操作感覚なのか気になるが、今手を出すとダンのじゃまになるのは明らかなので、後日時間がある時に触らせてもらおうと思った。


 ダンがステーションのマップを表示させた。倉庫を抜けた最初の交差点や農場の入り口、戦車と戦った演習場などは細かなディティールが再現されているが、昨日の探索エリアなどは概要しか描画されていない。マッピングが出来ていないのだ。ダンはそのマップを使いながら説明していく。


「お前が昨日探索していったのがこっち側。行き止まりはこのあたり。ちょうどドーナツの1/3くらいだな。」


 ドーナツ、という言葉にアリスは眉を動かす。ダンの言いたいことはつまりトーラス形状のこの宇宙ステーションの片側120度相当まで探索が進んだということだが、この時代にもドーナツはあるのだな、とアリスは妙なところで感心してしまった。


「今日はその反対のこっち側へ行く。昨日遭遇したっていう2体のアリスフレームとは別の個体がいるかも知れねぇから装備は十分整えていけよ。」

「他にも……か。アリスどう思う?その、アリスフレームっていうのはどれくらいの数が作られたの?」


 ナナクがアリスに聞いてきた。アリスがプロトタイプであり、その後量産されたという話をしたが、その数量がどれほどあるのか、という疑問だ。プルートのように対話を求めてくる相手ならばまだ構わないが、シャロンのような攻撃的な個体が混ざっているならばもう一人いただけで手に負えなくなる。アリスは答えた。


「私が知らない間の話だから総数は分からないけど、そう簡単に作れるものではないから、何百人もいるってことはないと思う。それに全員が生き残っているとは限らないわよ。以前、戦争が起こった時には20人以上のアリスフレームが参加したみたいなんだけど、私以外は全員、その……死んでしまったみたいなの。」


 彼女が言っているのは過去の人類とロボットとの戦いの話だ。敵ロボットが支配する街にアリスフレームの中隊を巡航ミサイルで投下して制圧する。そのような作戦だった。結果としては、中枢に潜り込むことは出来たもののその先の制圧に失敗し、数人の生き残りを除いて戦死した。そして遅れて目覚めた彼女により戦力を立て直し、中枢を破壊することに成功したのだった。あのときの熾烈な戦いと、失った仲間のことを思い出し、アリスは目を伏せる。


「だから、あの二人もそういう、なにかの生き残り、きっとそう。」


 生き残り、と聞いてナナクはハッとした。アリスとともに戦闘を繰り広げていたため、ステーションにいた二人のアリスフレームは敵という認識だったが、彼女からしたら仲間なのだ。相容れない存在、敵対する関係、という前提が間違っているのかもしれない。


「アリス、他のアリスフレームを見つけたら、声かけていこうよ。」


 アリスが目線を上げた。


「なんて声をかけるの?」

「え~っと、う~ん、とりあえずは『はじめまして』かな?」

「何よそれ……、ナナク、なんにも考えてないでしょう。」


 図星だったが、アリスの表情が少し和らいだ。ナナクにはそれで十分だった。


「とにかく、仲間にできるかもしれないんだから、いきなり喧嘩腰はやめようよ。ねぇ、船長。」


 ナナクはダンの方へ振り返った。同意を求められたダンが答える。


「アリスちゃんが司令官だって言うのが本当なら、コントロール出来るか試してみてもいいけど、実際に襲い掛かってきた奴がいたんだろ?犬みたいなロボット3台連れたヤツが。ライフル銃すら跳ね返すなら別の方法を考えねぇと。少なくとも対策はいるぞ。」


 ナナクは昨日の様子を思い出してみた。徹甲弾を撃ちこんだ際、シャロンは膝を付いてしばらく悶絶していた。ダンの言うような「跳ね返す」という状況ではない。


「アリス、一つ聞いて良い?アリスフレームに銃弾は効かないの?例えば君をライフル銃で撃ったらどうなる?」

「私が撃たれたら?そんなの痛いに決まっているでしょう。」

「え?痛い?いや、貫通するのか、怪我するのか、って質問なんだけど。」


 銃で撃たれて痛いとか痛くないとか、そういう話になるとはナナクは思っていなかった。彼女の言い方からすると、銃で致命傷を与えられないのは昨日戦ったシャロンだけの話ではない、ということなのか。ナナクの質問に、彼女はさらに奇妙な回答を言い出す。


「怪我をするかどうかは、銃の威力とか、不意打ちかどうかにもよるんじゃないかしら。準備が間に合わないから。」

「準備って?」

「いつ攻撃されてもいいように、体の準備をするのよ。表面というか、皮膚というか、うまく言葉では表現できないんだけど……。」


 今の彼女の話を聞いてナナクは昨日のシャロンと戦っている最中に黒い肌着だったものが全身を覆うスーツのようになっていたことを思い出した。犬型のロボットが変形していたが同様の原理なのだろうか。一方でアリスを見ると服が変形したような様子はない。そもそも今のアリスの服はナナクが渡したものであり、防御力などまるで期待できない。彼女の場合は銃で狙われても当たる前に素早く逃げてかわしていたため、道具は不要なのかもしれない。


 そうか、とナナクは気づいた。もし銃弾が『全く』効果がないならばアリスのように避けたり、シャロンのように特殊なスーツを着込んだりする必要はない。言い換えれば純粋に威力の問題だ。相手を銃撃するような状況に陥らないのが最善ではあるが、悪い場合に備えて武器を用意しなければならない。威力の高い銃弾……ナナクは心当たりがあった。


「船長、『回収』した武器を使っても良い?」

「回収って……ああ、そういう意味か。でもお前、今回の仕事で回収した武器なんてあったか?」

「まだ手元にはないけど、ちょっとアテがあるんだ。」

「アテって、お前……まさか兵器倉庫にあったロケットランチャー使う気じゃねぇだろうな?このステーションごと吹っ飛ぶって言っただろ。」

「違うよ。もう少し小振りなやつ。あの演習場にいっぱい武器が並んでたんだ。」


 先日ナナクとアリスで軍の倉庫に侵入した際、その奥の方の演習場に様々な武器があったことをナナクは覚えていた。そのうちの一つを選んで使おうというのだ。


「だから船長、先にちょっと寄り道していくけど、問題ないよね。」

「倉庫と今回の目的地だと、方向が反対側だな。取りに行くのは良いが、一旦戻ってこい。その武器だってちゃんと使えるかどうか分からねぇだろ?」

「分かった。そうする。」


 今回の作戦と、ルートも決まった。まずは演習場へ侵入して武器を入手する。一旦戻って装備を整えて再度探索へ向かう。その後の目標は前回と同じで、管制塔と、宇宙船を損傷させたパルスガンを探し、無力化させる。それに加えて、アリスフレームに遭遇した場合にアリス主導で交渉を試みる。


 探索がかなり複雑になってきた。戦闘を除外して考えても、ナナク一人では到底こなせないだろう。アリスの協力があってよかったと彼は感じていた。


「よし、説明は以上だ。準備して出発だ。」


 ダンがブリーフィングの終了を告げ、ナナクとアリスはデッキを出て準備を始めた。


 ………

 ……

 …


 出発後、アリスとナナクはバースから降りていく大型エレベータに乗っていた。このエレベータに乗るのはもう何回目だろうか。遠心力の弱いバースから、居住区のある外周部までの距離は100メートル以上ある。二人が乗るのは貨物も運ぶエレベータなので速度が遅い。移動に3分ほど要する。窓はなく、残りの距離を示す表示だけがカウントダウンしていく。荷重や加速度なども小さな数字で表示されている。エレベータが外周部に近づいていくに従って、ステーションが生み出す遠心力が強くなり加速度表示が増していく。二人並んでその表示を見つめている。


「アリス、ごめんね。いろんな仕事を押し付けちゃって。」

「いろんな仕事って?特に多いと思ったことはないんだけど。」


 アリスはナナクの方を振り向いた。


「量の話ではなくって、こんな風に最前線で戦ってもらったり、君が司令官になって他のアリスフレームに指示を出させたり。とかそういうこと。」


 彼女が人間ではない、とナナクは頭では分かっているのだが、その見た目から彼はどうしても気が引けてしまうのだ。いずれも自分より年下の少女が任されるような仕事ではない。


「仕方ないわよ。私にしか出来ないことだし、私はそのために今生きてる。」


 アリスはそう言ってまた数字を見つめる。そして何も言わない。生きてる、死んでる、彼女は時々そのような言い方をする。ロボットではなくアンドロイドだ、と言ったが、作られた存在である彼女にもそのような意味があるのだろうかとナナクは思った。会話するロボットなどいくらでもいるが、それらとは一線を画するような気がする。そういえば痛みも感じる、と言っていた。ということは恐怖もあるのだろうか。ナナクは専門家ではないので、ロボットが感情を持っているのかどうかは分からないが、幼い頃には例えロボットであっても勤労者として敬意を持って接するように教えられた。しかし、それはあくまで工業製品との接し方、取り扱い方法に関する話。眼の前にいるアリスの場合はもはやそんな水準ではないような気がする。プルートに会ってから突然逃げ出したような行動がその象徴だ。職務放棄するロボットなどいない。だからますます彼女のことを人間の少女のように感じてしまうのだ。彼女の言う『アンドロイド』とはそういう意味なのだろう。


 ゴウンゴウンと小さな機械音が伝わるエレベータのなかでしばらく静寂が続く。到着まで残り30秒。アリスがその静寂を破った。


「私には生きる意味が必要なの。」

「え?」


 突然の彼女の言葉にナナクは戸惑った。


「昔、友達に言われたことがあるのよ。君は何のために生まれたのか、って。だから私はみんなを守ることにしたの。あ、でも昨日ナナクを置いて帰っちゃったのよね。全然ダメね。」

「いや、あのときのことは大丈夫だよ。」

「あの二人は、どうなのかな。」


 彼女がそう言ったタイミングでちょうどエレベータのドアが開き始めた。二人は演習場を目指して進んでいく。あの二人、きっとシャロンとプルートの事を言っているのだろう。ナナクは彼女の問いを考えた。無人、少なくとも人間は誰も滞在していないこのステーションを維持しているだけだ、とプルートは言っていた。アリスの話によると、アリスフレームが生まれたのはおよそ300年前。アリスのように百年以上眠っていたものを例外と考えると寿命というか耐用年数は半永久的と考えて良い。そういえばナノマシンの補給で怪我も治る、と言っていた。誰も来ることが期待できないステーションを永遠に守り続けるのは、人間ならば耐えられない。アンドロイドに感情があるというなら、あの二人がアリスに救いを求めるのも分からないでもない。もっとも、そのうちの一人は、彼女に襲いかかってくるというかなり過激な表現方法だったが。


 アリスはどんどん先に進んでいってしまった。今日の探索も長そうなので、ナナクも足早に演習場に向かっていった。


 ………

 ……

 …


 演習場にたどり着いたナナクは、お目当ての武器を探し出していた。ベルトを持って担ぎ上げて、背負うようにして持ち帰ろうとする。


「ナナク、それ重くない?本当に運べるの?持とうか?」


 アリスがナナクを心配して声をかける。


「いや、大丈夫だよ。それに僕が持ってないと意味ないだろ?」


 ナナクが入手したのは、長い銃身を持った大口径の銃、対物ライフル銃であった。全長はアリスの身長ほどもあり、ナナクもなんとか担ぐことができるが、背中から銃身が長く上に伸びている。あわせて銃弾も手に入れたが、その大きさは、長さだけでもナナクが普段使っている徹甲弾の2倍以上あり、一発持つだけで手にずしりとした重さを感じる。この銃ならば、再びシャロンと対峙した際でもダメージを与えられるだろう。


 ナナクはこの銃が正しく動作するのかこの場で試してみたくなった。幸いここは演習場であり、環境は十分だ。彼はアリスに声をかけてから、演習場へ歩いていき、銃の準備を始める。スタンドを開いて銃を立て、スコープを取り付けて狙撃のような体勢を取る。まずは銃弾を込めずに各部を動かしてみる。どこかが錆びついて動かない、ということはないようだ。次にスコープを覗き込んでみるが、演習場の中はそれほど広くなく、スコープで狙うような適当に遠い目標がない。周囲を見回すと、壁の大穴が目に入った。先日の戦車との戦闘で狙いがそれた戦車砲が壁に開けた大穴だ。今日もこの穴をくぐってこの演習場へ侵入したところだ。この穴の先、軍用倉庫と演習場の外を見ると監視塔のような建物が見えた。最初にこの辺りを探索した際は特に気にも留めなかったが、訓練に使う施設だろう。演習場の防御陣地と同様に、頑丈な材質でできているように見えた。その建物のカドの出っ張り部分を狙うことにした。ロープで登る訓練などをする時の目標だと思うのだが、下から順番にアルファベットが書いてあり、そのカド部分には「X」とある。ちょうどXのクロス部分に狙ってみることにした。距離は目測で150mほどある。この銃はまだ見た目でしか判断できないが、少なくとも数百メートルの有効射程はありそうだ。やや役不足だが試験としては十分だろう。


 ナナクは銃弾を込めてから左手を上げる。これから撃つから注意しろ、というアリスへの合図だ。彼女は武器庫の前で大人しく待っているようだ。レバーを引いて撃鉄を上げ、改めて狙いを定める。


そしてトリガーを引く。ナナクが今まで使ったことがある銃とは桁違いの爆音を残して銃弾が飛んでいった。狙った塔の「X」の部分はそのまま砕け散り、破片が地面にバラバラと落ちていった。


「うわ、凄いなこれ。」


 ナナクはそのあまりの威力に鳥肌が立った。彼も対物ライフルという存在を話には聞いた事があるのだが、実際見たのはここに探索に来たことが初めてで、もちろん射撃を見たのも初めてだ。ましてやその射撃を自分の手で行うことにナナクはちょっとした興奮すら覚えていたが、これほどの威力が必要な場面というのが彼には全く想像つかない。彼が畏怖にも似た感情を抱いていると、アリスがナナクに近づいて聞いてきた。


「どう?使えそう?」

「うん、使えるよ。これなら戦える。」


 これなら戦車やアリスフレームとでも戦える、という意味だ。対物ライフルのこの威力はナナクの常識では完全に過剰だが、このステーションに跋扈する様々な存在であれば話は別だ。ここには普通の銃弾が効かない敵が多すぎる。なるほど、だからこんな場所にこんな物騒な武器が沢山置いてあるのだな、と納得してしまった。


 試験射撃は成功だが、命中したところを見ておく必要がある。目標はバラバラになってしまったわけだが、そのバラバラ具合で威力を改めて確認したい。彼は対物ライフルの安全装置をセットしてから担ぎ上げて、アリスとともに監視塔へ向かった。数分歩いて監視塔の下まで到着し、階段を登っていく。重い銃は可能ならば置いて行きたかったが、どこから襲われるかわからない状況で丸腰になるのは避けたかった。


 ナナクが先に上がり、アリスが後方を警戒しながらついていく。頂上までたどり着き、手すりから身を乗り出して命中した部分を見る。射撃した時にスコープ越しで見た通り、コンクリート部分が数十cmも吹き飛んでいた。これならばシャロンも倒せるだろうか、ナナクはそう思ったが、アリスに同意を求めるようなことはしなかった。シャロンとは今は敵同士だが、アリスにとっては同じアリスフレームの生き残りという意味では同胞であり、彼女を攻撃することを前提としたような話はしない方がいい。今まで何度か彼女に向けて引き金を引いているが、それは自分の身を守るためのとっさの行動だった。それに、警備ロボットを破壊するような感覚で彼女を銃撃して良いものかと考えるとナナクは恐ろしくなった。これはあくまで最後の手段、彼はそう心に決めた。


 するとアリスが突然声を上げた。


「あれ?ナナク、あれは何?」


 敵襲かと思って身構えてアリスの方を振り返るが、彼女は遥か頭上を指差していた。彼女の示す先、軍事倉庫のエリアの採光用の窓の先を指しているが遠くてよく見えない。だが対物ライフルのスコープを使って覗き見ると、確かにクレーンのようなものがあるのだ。


「あれはパルスガンだ。」


 銃身にはパルスガン特有の加速器のリング状の部品が連なっている。ナナクが普段使うパルスガンとは大きさが桁違いだが、間違いなくパルスガンだ。


「あれが僕たちの宇宙船を攻撃したのか。」


 方向を考えてもエンジンの損傷箇所と一致する。宇宙船からもちょうど死角になる方向だ。こんな場所まで登らないと見えないなら、今までの探索で見つからないわけだ。


「船長。パルスガンが見つかったよ。」

<何だって?パルスガンってこの船のエンジンを焼いたヤツか?>

「うん。すごく大きいし、方向も一致する。予定を変更して今からあれを止めに行こうと思う。」


 ナナクはそう連絡すると、アリスを連れて監視塔を降りていった。パルスガンが設置してあったのは今いるエリアから反対側に回った方向だ。今日の本来の探索予定地とも重なる。二人は来た道を戻り、食堂のある交差点を過ぎて、今まで来たことがないゲートまでやってきた。目標はこの先だ。ゲートを過ぎると今までの居住地や倉庫街とは異なる工業プラントのような風景が広がっていた。変電装置や空気や水の安定化装置などが並んでいる。このステーションのインフラを支えているのがこのエリアになるのだろう。昨日探索した先の駐車場からエリアの並びを考えると、住居、オフィス、軍事基地、インフラ、というように徐々にステーションの機能の中枢に近づくようになっており、管制塔もこの先なのではないかと思えてくる。しかし目下の目標はパルスガンの無力化だ。管制塔の方向の目処が立ったことは幸いだが、まずはパルスガンを目指す。


 このエリアは大きなタンクや装置が並んでいて見通しが悪い。適当な階段を見つけて上に登り、周囲を観察した。すると、エリアの端の方に上方、つまりステーション中心部分へ向けて伸びるエレベータのようなものが見つかった。ナナクたちが普段使っているバースと倉庫を結ぶ貨物用よりやや小型だが、位置的にはちょうどパルスガンがある場所へ伸びているようだ。


「アリス、あっちにエレベータがある、あれを目指そう。」


 ナナクは階段の下で待っていたアリスへそう呼びかけて、工業プラントを進んでいく。特に敵の出現もなく無事にエレベータまで到着した二人は、そのままエレベータに乗り込む。このエレベータには窓があり、上昇する途中で、この工業プラントの全景がよく見えた。設備だけでなく、配管や点検用通路などが縦横無尽に引き回されている。ナナクはこんなところで敵のロボットとは戦いたくないな、と思った。隠れる場所も多く、どこから撃たれるかわからない。昨日のシャロンのように剣のような武器で眼の前から直接切りかかってくる相手の方ならばまだマシとさえ思える。


 工業プラントの天井部分を過ぎて、その上のフロアに到着した。天井は低く、ケーブルや配管が平行に何本も通っており、ここは各エリアに電力や水や空気を融通するための機能があるようだ。ステーションの中心部へ近づいたためか、重力が少し弱い。体の軽さとは反比例するように狭苦しいが、点検用か採光用か、小窓がたくさん付いておりステーション回転中心軸部の様子がよく分かる。そこには小さな宇宙船のようなものが並んでいた。


「ナナク、あれなんだろう。」

「えっと、なんか書いてあるな。救命・脱出用ポッドだって。緊急時にはあれに乗って逃げるんだね。いっぱいある。」


 その小さな宇宙船は今でも使えそうに見えた。ナナクは思わずダンに提案する。


「船長。脱出用の宇宙船があるんだけど、これに乗れば脱出できるんじゃない?」

<ああ、出られるだろうな。だけど行き先はきっと雪玉だ。それでもいいなら乗っていけ。>


 ナナクはこのステーションが何百年も前に作られたものであったことを思い出した。


「やめておくよ。なんかあれ狭そうだし。」


 ナナクは周囲に注意を戻していた。そういえば今まで隣りにいたアリスはどこに行ったのだろうか。アリスの興味はもう別のものへ移っていた。まるで子供のようだとナナクは思った。アリスがはしゃぎながら通路の反対側の小窓の先を指してナナクに聞いてきた。


「ナナク、あれが私達がいた宇宙船かな?」

「そうだね、僕たちの宇宙船だ。」


 アリスは楕円が3つ繋がったようなあの形状に見覚えがあった。つい昨日ダンに見せてもらった図面だ。外に出た時は一部しか見えなかったし、そもそも外観をじっくり観察する余裕などなかったが、改めて宇宙船を見るとあまり見慣れない形状だ。飛行機にしてはずいぶんズングリしているが、宇宙機にありがちな開いたソーラーパネルやパラボラアンテナがニョキニョキ生えている様子はない。アリスの知る航空機と宇宙船のちょうど中間、とも言える。あの場所にはダンがいるのだと思ったアリスは手を振って呼びかけた。


「ダンさ~ん。今ここにいるんですけど、見えますか?」

<その声はアリスちゃんか?どこにいるんだよ。多分こっちからだと見えねぇぞ。>


 ナナクも窓の外を覗いてみたが、宇宙船の後部が見えるだけで、ダンがいるであろうコックピットはちょうど反対側だ。


「アリス、ここからだと見えないよ、きっと。観光じゃないんだから仕事に戻ろう。でもこのあたりにパルスガンがあるのかもしれないね。ちょうど見えない場所になる。」


 ナナクは背を伸ばして周囲を見回した。すると象徴的な先端部が遠くに見えた。


「アリス、あっちの方だ。行ってみよう。」


 敷設された太いケーブルに沿って二人が進んでいくと、目標のパルスガンが見えてきた。階段の先に二重ハッチがあり、その先に全長8mはあろうかという巨大なパルスガンが鎮座していた。その先端はちょうど彼らの宇宙船を向いているようだった。


「船長。パルスガンを見つけたよ。」

<周囲はどんな感じだ?>

「特に変わったことはないよ。ケーブルとか配管とかがいっぱいあるだけ。」

<うん?ずいぶん守りが薄いんじゃねぇか?もうちょっと詳しく調べてみてくれ。>


 そう聞いたナナクが周りに目線を移すと、既にアリスがこのパルスガンの正体を見つけていた。


「ナナク、ここに『アンチ・デブリ・ガン』って書いてある。いわゆる宇宙ゴミを撃ち落とす機械ってことかな。」

<アリスちゃんもう一回言って、ナナクから離れると聞こえにくい。>

「『アンチ・デブリ・ガン』。操作するような場所もないし、自動制御されてるみたい。」


 アリスのかわりにナナクがその場で答えた。


<あー、そういうことか。てっきり攻撃用の何かの武器でやられたかと思ってたけど、デブリ対策のパルス砲に攻撃されたのか。それなら、あの焼かれ具合も納得だ。>

「船長、外にあるんだけどどうする。ちょうど二重ハッチがあるから、近づいて確認してみる?」

<そうだな、自動制御を切ってマニュアルにできるかどうか試してみてくれ。遠隔で射撃されなければ驚異にはならねぇだろ。>


 作戦内容が決まり、ナナクは二重ハッチの操作パネルの横に以前使ったハッキング用の機器をかぶせた。ダンに合図をして遠隔で解錠を試みる。軍用倉庫を開けようとした時はまるで効果がなかったこの機器だが、今回は外側が宇宙空間であるためアリスに無理やり切り裂いて貰う方法は使えない。幸いにも今回は通常のセキュリティーレベルだったのか、1分程度でハッチが操作可能になった。ナナクは宇宙服のシールドを完全に閉鎖し、安全を確認してから、宇宙船から出入りするのと同じような手順でハッチを通ってナナクが外に出る。まずは周囲を一周して、操作できるような端末を探す。このような設備は自動制御されることが普通だが、点検用や非常時の操作のために大抵は操作盤があるものだ。予想通り操作盤を見つけたナナクはダンの指示を仰ぐ。


 一方アリスは通路側で待つだけだ。ナナクが大きなパルスガンの周囲を観察して回る様子を見守る。ダンとナナクがうまいことやったのだろう。パルスガンの向きが徐々に変わっていく。作戦成功だ。アリスに喜んでいるようなポーズを見せながら戻ってくる。外扉を開けてハッチの中にナナクが戻った頃、アリスはパルスガンの異変に気づいた。せっかくナナクが向きを変えたのに、また同じ方向へ戻っていくのだ。


「ナナク、もとに戻ってる!」


 アリスはそう伝えるが、彼の耳にはまだ届かない。1分ほどして内扉を開けて通路に戻ってきたナナクに再度同じことを伝える。ナナクは驚いて先程のパルスガンを見返すが、とっくに元の向きに戻っていた。


「船長ダメだよ。パルスガンがまた自動的に僕たちの宇宙船を向いてる。」

<え?だってお前今向き替えられたって言ってただろ?また遠隔で操作されたのか?>

「もう一度試してみる。」


 ナナクはそう言って再び二重ハッチを通ってパルスガンのもとへ向かっていった。しばらくアリスは待っていたが、今度はパルスガンの向きが変わること無く彼がそのまま戻ってきた。アリスに向けて、全然ダメだった、と言うように手を降った。通路に戻ってきたナナクはアリスに伝えた。


「船長がハッキングして、操作はできるんだけど、1分くらいで自動的にオートモードに戻っちゃうんだよ。どうすれば良いんだか……。」


 このステーションは無人だが、アリスフレームが維持管理しているとプルートが言っていた。だから部外者が無理やり向きを変えようとしたところで、それに気づかれたらすぐにもとにもされてしまうのだ。


「私が壊せばいいんじゃない?少しの時間なら外に出ても平気だし。」


 アリスがそんな提案をした。悪くないアイディアだとナナクも思った。彼女を危険な宇宙空間に出すということに気が引けるが、戦車すら破壊してしまう彼女の力があればあのようなパルスガンなど一瞬で両断できそうだ。


「アリス、お願いできる?」


 ナナクがアリスを頼るが、通信機の向こうからダンが指摘した。


<ナナク、それぶった斬るって言っても電源入ってるから感電するぞ。アリスちゃん、電気はいける方?そのあたりに警告文とか書いてあるだろ。>


 ダンの話を聞いたナナクが二重ハッチ近くで警告板を探すと、最大チャージ電圧530[kV]と記載があった。


「船長、あったよ。530[kV]って書いてある。」

<ハハッ、53万ボルトか。すげぇなそりゃ。一応アリスちゃんに聞いてみな?>


 通信機の音声が漏れてアリスにも聞こえていた。もちろん彼女には電気を防ぐような機能はない。53万ボルトという、まるで発電所のような電圧を直撃したらひとたまりもない。彼女は首を横に振った。チャージ電圧なのでそのエネルギー放出は一瞬だが、ステーションに接近する大きなデブリを焼き尽くすような威力がある。ブロードソードで切断する作戦は却下だ。それ以外の方法でなにか機能停止する方法はないかと周囲を見回した。すると、彼女は自身の腰に結び付けられていた大きなレンチが目に入った。


「ナナク、私こんなの持ってる!」


 彼女はそう言って腰ベルトにつながったままのレンチをナナクに見せつけた。


「それで叩き壊そうって言うの?……あ、そうか、解体するのか!」


 アリスはうなずく。


「船長、アリスがレンチを持ってるんだよ。これで解体できるかもしれない。」

<レンチだって?ああ、昨日渡したな、確かに。でもよ、そんなレンチでバラせるか?400mmとか、それくらいしかねぇだろ。お前が怪力の大男なら出来るかもしれねぇけど……おお、そっちにはアリスちゃんがいるな。>


 ナナクは自分がパルスガンを解体するつもりでダンに提案したのだが、指摘の通りこのような機械整備用のレンチで大きな設備を解体できそうもない。しかしアリスならば可能だ。


「あのー、私、怪力の大男じゃないんですけど。」

<あー、悪ぃ悪ぃ。とにかくさ、アリスちゃんなら、外に出てパルスガンのボルト外して向き変えられないように出来るだろ?頼むよ。>


 怪力と呼ばれたアリスは不満だったが、頼られるのは満更でもない。パルスガン解体作戦が決まった。短時間ならば宇宙空間で行動できることも昨日確認している。覗き窓の先にあるパルスガンを改めて観察すると、台座に8つのボルトで締結されている。それ以外で効果的に取り外しできそうな場所はない。この8つを取り外すことを目標として、昨日宇宙船の外へ出た時と似たような手順でアリスが二重ハッチの外側へ出る。真空に晒されて体の水分が揮発を始めた。昨日同様に気分が悪くなってきた。あまり時間はかけられない。素早くパルスガンの下へ到着し、レンチをボルトにかけて回転させる。


 力をかけていくとレンチのトルク表示が最大を示し、すぐにエラー表示に切り替わった。人間の作業者がかけられるようなトルクを大きく超えた力で回そうとしているからだ。それでも固くてなかなか回らないが、腕ではなく上半身全体の力で衝撃を与えるようにするとボルトが回り始めた。


ある程度回したら、ボルトの頭を指で摘んでくるくると素早く回す。なんとか外せそうだ。8本のボルトを外したら、パルスガンの下に回り込んで肩に担ぐようにして持ち上げながら倒していく。パルスガンの巨大な砲身は目測で1トンを優に超えていそうだ。地球上なら相当な重さなのだろうが、宇宙ステーションの弱い擬似重力のおかげでなんとか彼女なら持ち上げられそうだった。声を出せないアリスは心の中で「せーのっ」と勢いをつけて一気にパルスガンを投げ倒した。パルスガンを倒壊させたドスンという大きな衝撃音が、ステーションの構造を通してナナクのいる場所まで聞こえた。一方でアリスには音としては聞こえないが、足元に感じたその振動で、衝撃の大きさを知ることが出来た。ナナクの方を振り返ると、大きく手を降って喜んでいるように見えた。


 任務を完了させた彼女は急いでハッチへ戻り、大気環境下へ体を戻していく。昨日と同様に頭がふらふらするが、重要な仕事を一つ終えることが出来たことで、大きな達成感を得ていた。


「アリス、凄いよ。」


 ナナクも絶賛する。


<アリスちゃん?本当にやったのか。>

「本当ね。でもちょっと休んでいい?」


 アリスはダンに大きく返事をする元気がない様子で、ナナクにこう言ってその場に座り込んでしまった。今回外に出たのは僅か3分ほどだったが、それでも宇宙空間での行動はかなりの負担がある。


「アリス、大丈夫?やっぱり君に船外活動させるのはやめたほうがいいのかな?」

「平気よ、心配しないで。じっとしていればそのうち治るから。」


 彼女はそう言うが、ナナクは心配だった。自己補修機能を持ったロボットは存在するが、多くの場合は摺動部分や外装部の話であって、何でも直せるというわけではない。それに彼女、アリスフレームは全身がナノマシンで出来ているから、補給剤があれば平気だ、という話をしていたが、肝心の補給剤は初日に与えたきりだ。


 あの日以来、探索に伴う連日の戦闘や船外活動で損傷も重なっているのではないか。いずれ枯渇するだろう。補給剤の缶を持ってくればよかったと後悔していた。10分ほど待っているが彼女は動こうとしない。


「本当に大丈夫?君が体を治すのにナノマシンが必要って言ってたよね?足りてる?」

「え?どうかしら。ちゃんとご飯は食べてるから……。」


 そういう問題ではないだろうとナナクは分かっていた。動くために必要なエネルギーと体を作るために必要な材料は違う。人間だって栄養のバランスが重要だ。心配そうに見つめるナナクの様子がかえって気がかりになり、アリスは体調が万全ではないものの立ち上がって歩き出した。ここで座っていても状況は改善しない。


「ナナク、一旦帰るってことでいいのよね。」


 もともとは武器を入手したら一旦帰還する計画だった。それを延長してパルスガンを解体したのだ。戻るのは当然だ。


「船長、一旦帰るよ。」


 ナナクはダンに帰還の連絡をする。


<おう、ふたりともよくやった。気をつけて帰ってこい。あと、良い知らせがひとつある。長距離通信のキャリアが回復した。さっきのパルスガン、ずっとこっち向いて妨害電波でも出てたのかね?>

「ちょっと分からないけど、通信が復帰したなら、救援要求が出せるんじゃない?」

<そうだな、俺たちだけで帰れるならそうしてぇが、軍事基地を探索してましたって言えば後ろ指さされることもねぇだろ。>


 当初は戻って装備を整えたら再度探索に出る計画だったが、パルスガンの無力化という成果を上げたなら、今日の探索はもう終了でよいだろう。二人は来た道を戻り、エレベータに乗り込む。再び工業プラントを上空から見渡す。ナナクは次回の探索に備えてその風景をよく観察した。改めて構造を見ると、中央に公園のようなものがあり、それを囲うようにプラントが並んでいる。その上空を結ぶようにサークル状の通路が走っている。下を歩いていると複雑なこのエリアだが、大きく構造を捉えると意外にシンプルだ。


 じっくり観察しているうちにエレベータが下層まで到着した。重力が強くなり、ナナクの抱える対物ライフルのベルトが肩に食い込む。ナナクがアリスを気遣った。


「アリス、歩ける?僕たちの宇宙船まであと10分くらいあるけど。」

「大丈夫よ、ちょっと気分が悪いだけで、歩いたり走ったりは出来るし、ロボットが襲いかかってきてもちゃんと戦える。」


 それは決して強がりではなかった。実際、足取りはしっかりしているし、重いライフルを担いでいるナナクより先を進んでしまうほどだ。とは言え内部のダメージは否定し難く、調子が悪い。ナナクの言うように、ナノマシンが枯渇してきているのかもしれない。足早に帰ろうと、ゲートを通過しようとした時、聞き覚えのある声が横から聞こえてきた。


「アンタ達こんなところにいたんだ。探したよ、全くどこに行ってたのさ。」


 シャロンがいきなり現れた。彼女の登場はいつも突然だ。二人は身構えた。

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