第5話:告白

 

    ――― 今まで秘密にしていたつもりだったのかしら?

   それは無理な話よ、だってあなたの活躍は皆が知っているのですから ―――




アリスはナナクのことが心配だったが、まずは目の前の敵を沈黙させることが優先だった。黒い犬型ロボット3体のうち2体が散開し、左右に広がった。ライフルを奪われたナナクを守ることも考えなければいけないため、まずはナナクに近い方の敵に狙いを定めて接近する。アリスの斬撃が強力であることを学んだのだろう。敵はアリスから一定の距離を保つように走り回って彼女を翻弄する。


 ナナクも立ち上がり、拳銃を構え直してアリスの死角に気を配り、残り2体を牽制した。拳銃に装填されている弾数は限られているため、むやみに発砲する訳にはいかない。相当タイミングを図らないと以前のように避けられてしまうだろう。パーカー姿の少女は犬型ロボットに指示を出しているのか、ゆっくり歩きながらこちらを観察している。そちらへ向けて撃つこともできるのだが、おそらく効果はない。徹甲弾すら弾き返す強力な装甲を持った相手だ。拳銃など蚊の一刺しにしかならないだろう。敵ロボットは3体いるのだが、こちらを睨みつけているのは2体だけだ。残りの一体は少女のもとへ駆け寄って座っている。少女がそのロボットを両手で抱えるような様子を見せると、犬そっくりの形から前回のようにぐにゃりと形状を変えて、4脚ロボットへと変形した。その背中からは先程ナナクから奪い取った多機能ライフルが突き出していた。まるで取り込んで自分の武器にしたように見える。変形済みのロボットはアリスの方へ走っていき、加勢するようだ。犬の姿と比べると走行速度はだいぶ遅い。おそらくこちらが「攻撃形態」なのだろう。犬の姿の方は「偵察形態」とでも言えばよいか。


 一方でアリスのほうも敵ロボットとの距離を詰めきれずに攻めあぐねていた。相手はこれといった強力な武器を持っていないので、今のところ自身がやられる心配な無いのだが、いつまでもこうして追いかけっこを続けていられるわけではない。背後から変形した方の敵ロボットが接近してくるのが見えた。先日とは異なり、何かが背中についていることがアリスにも分かった。


 彼女は敵を追うのを一旦やめて、咄嗟に距離を開く。あの武器は一体なんだろうか。前回の農場で背後の木の樹皮を剥がしたような微小な銃弾であればダメージを無視して突撃することも可能だが、まずは詳細を掴みたい。その正体はナナクが教えてくれた。


「アリス、あれは僕の銃だ。今、奪い取られたんだ。」


 そう言われて改めて見ると見覚えのある形だ。あの武器の威力はアリスもよく見ていたので知っている。あの銃から撃ち出されるのは徹甲弾とパルスガンの2種類だ。戦車の砲弾のような恐ろしさはないが、かと言って何発も食らいたくはない。


 そう思っていたところに、その『多機能ライフル付き』の敵ロボットは立ち止まり、頭部を下げた。銃口がむき出しになる。瞬間、アリスの全身にアラートが鳴り響く。アリスへ照準を向けていままさに発砲しようとしているのだ。アリスは斜め前へ跳躍し、受け身を取って一回転し、相手へ向き直す。しかし弾丸が飛んでくる様子はない。そうか、弾切れか、とアリスは思った。ナナクの使うライフル銃は何発も弾を想定するようなものではなく、使うときに一発ずつ装填していたのを覚えている。未使用の銃弾はナナクのポケットの中だ。あの多機能ライフルにはもう一つパルスガン機能があったはずだ。そちらは撃てる可能性があるが、チャージに数秒かかるとナナクが言っていた。


 チャンスは今しかない。アリスはそう考えて全力でそのロボットへ踏み込んでいく。一方で弾切れやチャージ時間で無防備になる危険性を理解していないのか、敵ロボットは引き続き射撃姿勢を維持したまま立ち止まっている。アリスが踏み込み始めてわずか一秒。バンという残響音をまじりの衝撃で攻撃形態のロボットが真っ二つになる。一体撃破。そう思い次のターゲットを追い始める。犬の形態のままのロボットはとにかくすばしこい。追いかけてもキリがない。


 その様子を見たパーカーの少女は今までのふらふらした動きとはうってかわって、ドンという音を立てて大きく跳躍し、先ほどアリスが一刀両断したロボットのもとへ着地した。2つに分かれた胴体をかき寄せて、両腕で抱えるようにする。それを見たナナクは驚いた。


「嘘だろ。」


 まさかまた変形できるとでも言うのだろうか。倒してもすぐに復活されるのであれば、キリがない。それだけは避けたかったナナクは、拳銃の狙いを少女に向け直して、発砲する。頸部の真ん中だ。ところが、狙い通りまっすぐに飛んでいった銃弾は、首に命中するも火花を上げて弾かれてしまった。先程腹に徹甲弾を打ち込んだときのように悶絶したりする様子もない。よく見ると、彼女はさきほどまで黒いシャツのようなもの着ていたはずなのに、顎まで覆うようなタートルネックを着ていた。着替えた様子もないのになぜ?ナナクは疑問だったが、今はそんなことを考えている余裕はない。彼女に抱えられたロボットは数秒で元の形に戻ってしまった。


「アリス!こいつを止めないと――。」


 こいつを止めないと、何度ロボットを斬っても意味がない。と伝えるつもりだったが、今度は右腕に衝撃が走った。ナナクと対峙していた方のロボットが噛みついてきたのだ。少女に狙いを変更したことで出来たスキを狙われた。狙いは銃なのか、そう思って拳銃を手放すと、拳銃を咥えて飲み込んでしまった。多機能ライフルと同じだ。


 その様子を見ていたアリスがナナクに駆け寄ろうとする。今度こそ丸腰だと。しかしナナクにはまだ武器があった。探索の前アリスにも支給した『かんしゃく玉』だ。ナナクは犬型ロボットが銃を咥える動きを見て、この駐車場で最初の一体が飛び込んできた様子を思い出した。赤いボールのようなものが飛び込んできて、それを加えて『飼い主』のところへ戻っていくような振る舞いだった。イチかバチかだ。そう考えてナナクはベルトから赤い玉を取り出して紐を引き抜いた。


「おいワン公、こいつでも食っとけ!」


 赤い玉、すなわちグレネード弾を反対側の壁へ向けて全力で放り投げたのだ。グレネードは引き抜いて3秒後に爆発する。


「アリス、伏せて!」


 ナナクも倒れ込んで頭を抱える。僅かな可能性に賭けたナナクだったが、幸運にも作戦通り犬型ロボットはグレネードめがけて駆けていき、空中でそれを咥えた。武器と認識して奪い取るつもりだったのか、それともペット用おもちゃと認識したのかはわからないが、作戦成功だ。空中でグレネードを咥えて、飲み込もうとしたタイミングでちょうど3秒が経過し、炸裂する。大きな閃光と衝撃が響き、犬型のロボットの首から上が四散した。


 伏せていたナナクはこの様子を見ている余裕はない。司令塔だった少女もナナクの声に反応して、何が起こるか分からず身を屈めていた。他のロボット2体も衝撃でカメラかセンサーがレンジオーバーしたのか、一瞬動きが止まる。


 ところがこのとき、アリスだけは違っていた。


『赤い色はグレネード/3秒後に爆発する/殺傷半径は10m』


 これを知っていた彼女には大きなアドバンテージがあった。グレネードが爆発することを想定し、炸裂範囲の外周部をかすめるような位置取りで跳躍していた。狙いは当然、最後の一体の敵ロボットだ。破片を受けるダメージを軽減するために3秒経過の瞬間に空中で身を小さく丸めていた。仮に生身の人間であったら、殺傷半径が10mだからといって、実際に10mギリギリまで接近することは危険極まりない。しかしアリスにとっては多少の破片など無視できる。少なくとも拳銃弾などよりは威力が小さいはずだ。


 低い放物線を描いて爆風の中から現れたアリスはそのまま空中で体勢を整えて、急な衝撃で動きが止まっていた敵ロボットを射程に捉えた。そして着地と同時に頭上から一刀両断した。先程の一体目の撃破と同様に真っ二つになり、勢い余った剣先は駐車場の床面を大きくえぐり砂煙を上げた。


 これで3体全ての犬型ロボットを破壊したことになる。しかし最初にアリスが撃破した敵ロボットはすでに少女によって復活させられていた。今破壊した2体の残骸はアリスの後ろに散らばっている。動く気配はない。勝手に復活するのではなく、あの少女が抱えた際に何かをやっているのだろう。ナナクにはその仕組みが皆目見当がつかなかったが、とにかく復活させるタイミングを与えず全て破壊すれば良いことだけはわかった。先程は余裕の口ぶりだった少女にも焦りの表情が見えた。2対4で非常に有利な状況だったにもかかわらず、1分もかからずに2体がやられて、2対2になってしまったからだ。


 理由は明らか、火力不足だ。


 犬型ロボットが高速で動き回れるとは言え、武器はナナクから奪い取ったライフルが一つあるだけ。銃弾もない。一方でこちらはアリスが持つ対物ブレードだけでなく、さらに小さな爆弾も複数ある。一度敵ロボットに飲み込まれて奪われた拳銃も隙を見て回収できた。ナナクは表情にこそ出さなかったが、勝利の可能性に期待していた。銃を構えて銃口を少女の方へ向ける。


 アリスにとっても、この結果はやる前から分かっていたものだった。ナナクがグレネードで一体を撃破できたのは計算外の幸運だったが、この少女を無傷のまま確保できる目処もある。アリスは構えを解いて無言で少女を見つめた。あなたでは私に勝てない、まだやるのか?と表情が訴えていた。しかし少女は投降するのではなく、むしろ覚悟を決めたのかこちらを睨み返して、独り言のようにボソリと言った。


「アタシの可愛いケルベロス無茶苦茶にしやがって……。もう許さない。死んでもいいよ、もう。」


 そうして横にいた残り一体の四脚ロボットの首のような部分を掴んで持ち上げた。そして先程と同様にぐにゃりと変形を始めた。今までとは違い細長く伸びていく。


「ケルちゃん一匹だからこのサイズだけど、アンタ達を潰すのにはこれで十分だよ。」


 先程まで犬型あるいは四脚ロボットのような形だったものが、真っ黒な大剣のような形に変形した。これはまずいぞ、とナナクは思った。相手に攻撃能力がない、というのは単に本気を出していないだけだったというのか。アリスの持つブロードソードもその見た目を遥かに上回る破壊力があるが、今作られたこの黒い剣も同様の切れ味を持っている可能性がある。彼が着る船外作業用の宇宙服は調理用のナイフ程度では、全力で突いても傷一つ付かないが、あのような剣で切りつけられて無事とは思えない。


 案の定、少女はナナクへ向かってとてつもない速さで走り込んできた。最初のターゲットはやはり自分の方だった。何の効果があるかも分からないが、ナナクは拳銃を再び構えて素早く発射する。銃弾は身体の真ん中めがけて飛んでいったが、先程と同様に黒い肌着のような装甲によって弾かれてしまう。あの犬型ロボット同様の『戦闘形態』ならば逃げる必要すらない、ということだろう。先程の勝利の期待から一転、また命の危機に見舞われた。


 少女の攻撃に素早く反応したアリスがナナクの前に立ちふさがる。その斬撃を自身が持つ剣で受け止め、弾き返した。少女はその勢いを殺さずにあえて大きくバク転して、5mほど先に着地する。


「姉さん、アタシと大して体格変わらないのに、なんでこっちが弾かれんのさ。もしかして着痩せするタイプ?」


 少女がアリスに聞いたが、アリスは答えない。むしろアリスに言わせれば、自分の行動をペラペラ喋るのは悪手でしか無い。


「行くよ!」


 再び斬りかかってきたが、同様に弾き返す。


「くっそ、なんでだよ!」


 彼女が悪態をつく。


 アリスは思った。この少女はあまり強くない。斬ってしまうことはできるが、それよりは無傷で生け捕りにしたい。それに彼女とて、人を斬るのはあまり気がすすまないのだ。同様の行為を何度か繰り返した後、少女の足元には先程ナナクとアリスがそれぞれ撃破した犬型のロボットが倒れていた。


「あっ、まさか、あいつ……!」


 ナナクの予想通りに黒い塊をまとめて腕に抱えると、再度グニャリと変形し、剣の形になった。彼女の武器は、大きな3つの刀身が伸びた、見たこともない形へと変貌した。大きさだけで言えば彼女の身長にも匹敵する。


「この形は誰にも見せたこと無いんだ。今度こそ本気でやるからね。兄さんはもういいや、そっちの姉さん優先にする。」


 なぜこうも自分の作戦をペラペラ喋るのか理解に苦しむが、今更ブラフということはないだろう。単純な相手だ。とは言え、あの武器はまるで動きが予想がつかない。そもそも自由に変形して形が作られる武器というのも不思議な存在だ。何が起こるかわからないため、間合いを慎重に測って警戒する。ナナクを狙わないと宣言してくれたのが幸いだ。彼の護衛は一旦無視できる。二人は睨み合って横に、前後に動きながら隙を探っていた。薄暗い駐車場は緊張に包まれた。


 しかしその緊張を崩したのは新たな訪問者の声だった。


「シャロンさん、なにをしているのですか。アリス様がお困りでしょう。」


 ゲートの横のパネルがいきなり外れたかと思うと、上にズズッとスライドし、一人の女性が駐車場の中に入ってきたのだ。間合いを計って睨み合っていた少女は上半身を上げ、その女性の方を向いた。


「あ、プルート。中途半端なところに来んなよ。今からコイツらぶっ潰すんだから。」


 それを聞いていたナナクだが、プルートという名前に聞き覚えがあった。録音されていた音声でもプルートという名前が登場していたことを思い出した。すると目の前のこの女性がプルートと呼ばれているのだろう。名前か、そうでなくても肩書か何かだろう。プルートは全く同じ口調で繰り返した。


「シャロンさん、もう一度聞きますね。なにをしているのですか?」


 そう問われた少女は黙ってしまった。プルートが畳み掛ける。


「説明できないことをしないでください。」


 今のやり取りをアリスも聞いていた。今対峙しているこの少女。名をシャロンと言うのか。そのシャロンが武器を下げた。


「くっそ。分かったよ。」


 そして親指でクイッと今来た女性、プルートを指してアリスにこう言った。


「こいつがアンタ達に会いたいんだとさ。」


 アリスも武器を下ろしてそのプルートと呼ばれた女性を確認した。深緑のスーツ、あえて言うなら軍服とでも言えるような装飾のある服を着ており、背格好は自分とほとんど変わらない。服装が紛らわしいが、かなり若いだろう。しかし年齢がどうか以前に、現れた状況から、アリスは彼女が自分と同類なのだとすぐに分かった。アリスも武器を下ろし、鞘にしまう。カチリという音。そして天井照明が時々発するジジジというノイズのみがあたりに残った。


 厄介な相手とこれ以上戦闘を続ける必要がなくなり、ナナクも安堵していた。


 ところで、彼女たちの狙いはなんだろうか。そういえば一昨日、二人のうちで今戦っていた方のパーカー姿の彼女、シャロンと出会った際に「連れてくる」とかそんな話をしていたことが印象的だった。言葉遣いはシャロンのほうがラフだが、やり取りを見る限り、プルートと呼ばれた軍服の彼女のほうが立場が上に見える。自分たちを拉致させるつもりでいたが失敗したので、上司自ら出てきたのか?しかし、それにしては戦力不足だろうし、妙に丁寧なプルートの口調も気になる。


 すると、プルートがツカツカと足音を立てて、こちらにゆっくりと近づいてきた。ナナクは拳銃を構え直して彼女へ狙いを定めた。こちらに危害を加えるつもりがあるか分からず、わずかな抵抗であった。彼女は細長い直方体のアタッシュケースを持っている。武器か何かが仕舞ってあるのかもしれない。彼女はナナクの様子を見て立ち止まりその場で静止した。僅かな笑みで彼の方をじっと見つめている。銃口を突きつけられているのに、動じる気配がまるでない。


 その様子を見たアリスが口を開いた。


「ナナク、やめましょう。」


 この相手にそのような武器は効かない。アリスが言外にそう示していた。もう何度目かわからないが、ナナクは思った。このステーションは一体どうなっているのだ。ロケット砲や戦車などの兵器があるのはまだ分かる。極めてレアな事例だが遺物回収で軍用品を見たことがないわけではない。しかし彼の理解力を超えているのは、ビルや電柱の上に軽々と飛び乗り、目にも留まらぬ速さで走り回り、銃で撃たれてもなんともない、そんな少女がぞろぞろ出てくることだ。しかも自分たちを探していた様子もある。


 ダンは言っていた、このステーションは何かヤバい、と。そんな場所に自分たちは探索に来てしまった。なんと命知らずなのだろう。今までこの廃棄ステーションが誰にも見つからなかった理由も今なら分かる。アリスに出会ったから、なんとかここまで渡り合えているが、軍ですら手に余るだろう。ましてや自分ではどうにもならない。ナナクは諦めて拳銃を下ろした。


 するとプルートはアリスのいる正面へ向き直し、歩みを再開した。シャロンの脇を通り過ぎて、5mほど手前で立ち止まる。手に持っていたアタッシュケースを横に下ろし、片膝を立てて、頭を下げた。


「アリス様。お待ちしておりました。」


 予想外の反応にアリスもたじろぐ。するとシャロンが横槍を入れた。


「なあプルートぉ、確かにアリスって書いてあったけど、そんな安直な名前じゃないって。だってそれだとアタシらの機種名称と区別つかないじゃん。この姉さんはどこかバグってるだけだよ。」


 プルートは姿勢を崩さずシャロンに告げる。


「だからこそ、ですよ。ALICE-Frameの0番。これが揺るぎない証拠でしょう。あなたも早くこちらに来なさい。お待たせしてはアリス様に失礼ですよ。我らをお導きいただく方なのです。」


 シャロンは、左手を横にブラブラさせて、ハイハイ分かりました、とでも言うような仕草をした後に、持っていた3本刃の大剣を地面に下ろした。数秒、手をかざしているうちに、大剣はぐにゃりと形を変えて犬型の3体に戻り、その場で「おすわり」の体勢になった。


 シャロンはプルートの斜め後ろまで歩いてくると、プルート同様のポーズを取った。なにか不服そうな表情を見せ、ナナクの方を睨んできた。ジロジロ見るんじゃない、とでも言いたそうな口をしていた。シャロンが頭を下げたのを横目に確認し、プルートが話し始めた。


「アリス様。お待ちしておりました。」


 シャロンが無言で「えっ?」という表情を見せる。そこからやり直すのかよっ、とでも言いたいのか、コロコロと表情が変わる。しかしアリスが遮る。


「あの、ちょっと待ってください。まず……あなたは一体誰?」


 アリスには当然の疑問だ。いきなり現れて自分の名前を教えていないのにいきなり語りかけてきた。


「大変失礼いたしました。私はAL-2019、個体名はプルートと申します。横の彼女はAL-2021、シャロンでございます。私達は人類統合軍のステーション、この『リング』で制作・運用されていたアリスフレームです。管理者が不在のため、ただ設備の維持をするだけの毎日でございます。」


 ナナクは度肝を抜かれていた。彼女たちが人間ではないであろうことは想像していたが、全く聞き慣れない単語が何個も飛び出してきたのだ。現実味がない。衝撃を受けたのはアリスもまた同じだった。しかしナナクとは正反対の理由だ。人類統合軍やアリスフレームという単語をここで耳にするとは思っていなかったのだ。プルートは話を続けた。


「わざわざご足労おかけするのは申し訳ないと思っておりますが、なにぶん我らはここを離れられないのです。アリスフレームのすべての始まり。『プロトタイプ』であるアリス様のお力が必要なのです。」


 アリスは重ねて衝撃を受けた。彼女は危険だ。自分の正体を全て知っている。機密情報である『プロトタイプ』のことすら知っている。それに、彼女たちは一体自分に何を求めているのか、まるでわからない。


「一体何の話だか、私にはまるで……。」


 アリスにとってはこれが正直な感想だった。彼女たちは待っていたと言うが、もう何百年も前の話ではないのか。しかしそれすらもプルートの想定の範囲内だった。


「ああ、よもや、アリス様は記憶を失われているのですね。しかしご安心ください。それはアリス様の仕様でございます。記憶を失うたびに再構築され、どこまでも強くなるのです。それがアリスフレーム、試作零号機であるアリス様の――」


 プルートが話している途中にだがアリスが全力の大声で遮った。


「知りません!人違いです!記憶喪失でもありません。私は帰るので、もう関わらないでください。」


 窓のない駐車場で大声を上げたので、キーンと部屋に残響が残るが、その残響が消える暇もなくアリスは全力で駐車場から去って行った。先ほどプルートが開けた開口部があり、そこから脱出したのだ。


「アリス様お待ち下さい。ああ、我らの神よ、どうか、我らをお導きください。」


 プルートが立ち上がりアリスを呼び止めるが、すでに彼女はいなくなっていた。


 困ったのはナナクである。蚊帳の外で一人残されている。周囲を観察すると、先ほどの黒い犬型ロボットは相変わらず行儀よく座っているし、プルートとシャロンの二人は無言で立ち尽くしていた。アリスを追いかけないのだろうか?それをしないということは、自分たちが逃げられないことを知っているのだろう。つまり彼女たちが宇宙船を拘束している連中の一味なのだ。ここで問いかけることはできるが、多勢に無勢、彼女たちを刺激するのは良くない。一旦仕切り直そう。そう考えてナナクは足音を立てないようにこっそり抜け出そうとしたが、プルートに呼び止められた。


「ナナクさん、と言いましたね、あなた。」


 名乗った記憶はないのだが、監視システムか何かで名前を知られたのだろう。無視して進んで無理やり捕縛されるのも避けたい。彼も平静を装って答える。


「そうだよ。僕も帰るよ。あの子が心配なんだ。」


 そう言って去ろうとしたが、プルートから問いかけられた。


「一つ聞きますが、アリス様とあなたは一体どういうご関係で?」


 どうやら簡単には帰してくれないらしい。それに、関係と言われてもどう答えたらいいか困ってしまう。むしろ君らのほうが彼女と深い関係ではないのか、と言いたくなる。


「関係って言っても……、何日か前に会ったばかりだよ。このステーションの外縁部の地下の方、廃棄物置き場みたいなところに居たのを僕が見つけたんだ。その時ちょうどロボットに襲われていて、助けてもらったんだ。今は僕と一緒に仕事してる。」


 特に隠すこともない。アリスの特異性について、この二人はよく知っているようだし、端的に答えて早く開放してもらいたかった。


「なんと、そんなところに。どうりでリングの中をくまなく探しても見つからないわけです。あなたはアリス様を見つけ出すという素晴らしい功績を上げました。本来なら皆で称賛すべきでしょう。」


 他人事のような言い方にナナクはムッとした。


「そんなところって、君らがアリスをあんな場所に置き去りにしたんだろう?もう僕たちに関わらないでくれ。あの子は僕たちが連れて行く。宇宙船も開放してくれよ。」


 無表情を貫いていたプルートが少し眉を上げて言葉を返した。


「そんな、とんでもないこと。我らがアリス様の場所を知りながら何もしないなど。すぐにでもお招きしたかった。このステーションが放棄されてから、およそ250年、アリス様のお導きをずっと待っておりました。私も、これほどまで時間がかかるとは思っておりませんでした。しかし、このステーションの内部にこれが飛び込んできたとき、なにかのメッセージだと思ったのです。」


 そう言うと先程から持っていた直方体のアタッシュケースを開けた。中には妙なものが入っていた。


「それは……人間の手?左腕だ。まさかあの子の。」

「その通りです。これがアリスフレームの腕だということはすぐに分かりました。そして組成を解析したところ、プロトタイプのものだと確認できたのです。これは、緩やかな死を待つだけだった我らの希望でした。今から行くから待っていなさい、そういう意味だと。重力の強い地球からここまで上がられるのは相当に困難です。だからお時間がかかるのだろうと。」


 あの雪玉のことを「地球」と呼んでいたことをナナクは聞き逃さなかった。遥か昔に人々があの惑星のことをそう呼んでいたことは知っていた。白く凍った部分はもっとずっと少なかったらしい。何百年もアリスを待っていたというのも何かの例え話ではなく本当のことだろうか。


 しかしナナクには不思議だった。アリスはそんな話は全くしていなかったし、何事もなかったかのように自分たちと帰るようなそぶりだった。実際、彼女は今この二人を無視して帰ってしまったではないか?


「あのさ、あの子はそんなつもりはないみたいなんだ。多分、君たちの思い込みだよ。期待してもらったところ悪いんだけど、諦めたほうがいいんじゃないかな。」


 プルートはより険しい表情で訴える。


「いいえ、そんなことはありません!プロトタイプは、アリス様は、我らを――いや、いつか新たな神として人類全体をお導きいただく存在なのです。きっとお忘れになられているだけなのです。あの方はそういう存在なのです。」


 ナナクは少し呆れていた。妙な宗教か何かなのかもしれない。


「ナナクさん、あなたも分かるでしょう。」


 一体何が分かるというのか?面倒事に巻き込まれたので、とにかく一旦帰りたい。ナナクの心はそれでいっぱいだ。


「わ、わかったよ。とにかく君たちの希望は伝えておくから。帰っていいかな。」


 上手く帰してもらえるように理由をつけた。食い下がられるか不安だったが、プルートは割と素直に彼の言い分を聞いてくれたのか、帰ろうとするナナクの前に立ちはだかるようなことはしてこなかった。


 ナナクはアリスと同様に壁に空いた小さな穴を通って出ようとしたが、プルートに再度呼び止められた。もういい加減にして欲しい、ナナクはそんな気持ちを表情に隠さずに振り向いた。すると先程まで離れたところに居たプルートがまるでワープしたかのように目の前に居たのだ。


「ナナクさん、これをアリス様にお渡しください。右手だけではなにかと不便でしょう。」


 驚きを隠せないナナクを無視してプルートは先程のアタッシュケースを突き出していた。アリスの腕の入ったカバンだ。持って帰れという。今更くっつけられるとも思えず、ちぎれた腕を貰ってどうするのか疑問だが、要るか要らないかは本人に判断してもらおう。そう考えるしかなかった。


ありがとう、とでも言うべきかどうか悩んだが、ナナクは無言でそれを受け取った。プルートはアタッシュケースを渡すとナナクの横を通り過ぎて先程の穴から外に出た。暗くてよく見えないが、地面を滑って移動しているようにも思えた。


「帰りの車を用意してあります。」


 なんのことかと思ってナナクも外に出ると、白いコンテナ輸送車がスッと移動してきた。白い車体の中央には鮮やかな緑のリボンが描かれ、椅子が6つ乗っている。乗り合いタクシーか何かだったのだろう。しかしわざわざ送迎してもらうような距離でもないし、そもそもきちんと帰してくれるのかどうかも分かったものではない。


「いや、いいよ。歩いて帰る。ありがとう。」


 ナナクは丁重に断った。


「そうですか、それではまた。アリス様にもどうかよろしくお願いします。」


 プルートはそう言って敬礼のポーズを取る。ナナクはちょっと困ってしまい、軽く手を振った。とは言え、アリスは彼女たちに関わるつもりはないようだし、一方でナナクとしては何とか彼女を説得して宇宙船を離陸させなければならない。彼女たちがこのステーションの管制室を掌握しているかどうかを明確に確認した訳では無いのだが、間違いなく関連性はあるだろう。何とか説得して、あるいは上手く誤魔化して、宇宙船を開放して貰う方法はないか考えた。


 どうするにしても、もう一度来ることになりそうだが、自分一人で来るには力不足だ。ここにいる二人は見た目は自分より小柄な女性二人だが、その実態は兵器級のナニモノかだ。特にシャロンと呼ばれていたパーカー姿の方の少女が妙に好戦的で困る。アリスが居なければ例の黒い大剣でとっくに切り刻まれていただろう。気が進まないが、アリスに頼み込んでまた来てもらわなければならない。結果的にプルートたちの思惑通りなのが腹に立つ。しかし文句を言ってもどうしようもない。今日の探索はここまでだろう。アリスは先に帰ってしまったようだが、ナナクも帰ることにした。


「船長、聞こえる?」


 ナナクが小さい声で無線機の向こう側のダンに呼びかける。しかし反応がない。シャロンとの交戦が始まってからは連絡する余裕などなかったし、こちら側にもナビゲータがいるということは知らせたくなかったので黙っていた。ダンもそのような意図を汲んで通信してこないのだと思っていたのだが、呼びかけにも反応しない。ノイズが多いと言っていたが、通信が妨害されているのかもしれない。


 足早に来たルートを戻ると、途中でダンの声が聞こえてきた。


<……ナク、大丈夫か?通信が切れてたぞ。ナナク、聞こえたら返事しろ。>

「あ、船長。僕は大丈夫だよ。やっぱり聞こえてなかったんだ。今から帰るよ。アリスはもう帰ってる?」

<は?どういう意味だよ。お前と行動してるんじゃねぇのか?>

「アリスは先に帰ったんだ。まだなら、いいや。」

<あいつ、護衛の仕事は帰ってくるまでって分かってねぇのかよ、まったく。>

「いや、実は色々あって……。帰ったら説明するよ。」


 アリスの足の速さなら、とっくに帰り着いているはずだが、まだ帰っていないならばどこにいるのだろう。道に迷うような距離でもないが、周囲を観察しながら帰ることにした。


 ………

 ……

 …


「アリス、そっちにいるの?」


 農場入り口まで到着したナナクは、奥の方へ向けて大声で呼びかけた。彼女を探し回っているとダンにはまだ知られたくないので、通信のマイクを切ってアリスを探している。しかし少し待っていても彼女が現れる気配はない。


 農場を過ぎてしばらく歩くと、最初の食堂の交差点にたどり着いた。窓越しに中をちらっと見てみるが、中には居ない。もしかしたらゆっくり歩いて帰っているのかもしれない。それに、アリス一人だとハッチを開ける方法がわからず外で待っているだけかもしれない。そういった可能性も考えて、まずはそのまま宇宙船まで戻ることにした。こんなことなら彼女にも無線機を持たせておけばよかった、とナナクは思った。通話もできるし、だいたいの場所もわかる。予備の通信機はまだ残っていたかな、などと先日のコンテナ整理の様子を思い出して歩いていると、宇宙船が係留されているバースと倉庫を結ぶエレベータの乗り場に誰かが座っている様子が見えた。


 アリスだ、間違いない。そう思って駆け寄ると、両膝を抱えて地面に座り込んでいるアリスが居た。ナナクが駆け寄ってきたのは分かるはずだが、彼女はうつむいたまま黙っていた。彼女になんと声をかけたら良いかナナクは悩んだ。


 帰ろうよ、とでも言えばいいか。しかし帰るつもりなら最初から一人で帰っているだろう。要するにあんなことを言われた手前、そのままでは帰りにくいのだろう。


「アリス、あっちの交差点のところに食堂あったでしょ?君が行きたがってたところ。今日の仕事も終わりだし、寄っていかない?」


 アリスは顔を少し上げ、目線だけでちらっとナナクの方を見た。そのまま十秒ほど動かない。失敗した、とナナクは思った。仕事帰りに食事に誘うようなノリだったが、まるで食べ物で子供を釣っているようにも聞こえてしまう。しかし、アリスは立ち上がり、無表情のままナナクを見つめて、そして返答した。


「そうね、行きましょう。」


 それを聞いたナナクはアリスの手を掴んで引いた。君はもうひとりじゃない、そう伝えたことを改めて訴えるように、手を強く握る。


 アリスは気恥ずかしくなったのか、「場所なら分かるわよ。」と僅かな笑みを浮かべながら手をほどいた。彼女の内心が全く読み取れなかったナナクは彼女の表情を見て少し安心した。二人に特に会話はなく、食堂には歩いて直ぐに到着した。


 幸い食堂のドアに鍵はかかっておらず、そのまま中に入ることができた。しかし首尾よく中に入ることが出来たはいいが、店員のいない食堂で一体どうすればよいのか分からずナナクは困ってしまう。壁にメニュー表のようなものはある。座っていればウェイターロボットでもやってくればよいのだが……と思いながら入口近くの席に適当に座った。


 しかしアリスは違った。バックヤードの方へ入っていったのだ。ああやはり自分で調理するということなのか、と立ち上がろうとしたらアリスが鍵のようなものを持って戻ってきた。


「ナナク、どれにする?」


 いきなりアリスはそんなことを聞いてきた。


「え、何でもいい。」

「そういうのが一番困るんだけど。……私はこれにしようかな。」


 そう言うと鍵のようなものを壁に挿して扉を引っ張った。すると裏に装置のようなものが隠れていたのだ。アリスはかがんで腕を突っ込み、作業を始めた。


「確かここを一旦開けて……、あ、こっちか。材料は残っているみたいね。」


 彼女は一体何をしているのか。この妙な機械は自動調理器なのだろうか。ナナクは聞いた。


「アリス、いったい何をしているの?というかこれは何?」


 アリスは扉を閉めながら答えた。


「え?自動販売機でしょう?もしかしてナナクは見たことないのかしら。」


 自動販売機は知っているが、こんな形のものは始めて見た。プルートの言い方だと、ここは最低でも250年以上前の古いステーションのようだが、昔のレストランは全てこうだったのだろうか。そう不思議に思っていると、アリスは正面のパネルを操作している。ナナクも立ち上がって近づいてみると『調理中』と表示されていた。先程アリスが開けていた機械の中の様子は、自分が普段使っている宇宙船の部品の造形機に雰囲気が似ていた。この機械も似たようなものだろうか。よく見るとメニューはあるが値段も書いていない。ナナクはここが軍事基地であったことを思い出し、すなわちこの店は従業員の福利厚生用の施設なのだと気づいた。だから最初から店員も居ないし、造形機のような原理で料理が出てくるのだ。


 改めてナナクはメニューの内容を見る。ハンバーガーやパスタなどに並んで、見たことがない料理もいくつかあった。こんなよく分からない場所にあるよく分からない機械なのに、さらに聞いたこともない料理をオーダーする勇気がなかったナナクはハムサンドイッチを頼むことにした。オーダーを聞いたアリスは別の扉を開けて、中の準備を始めた。アリスがこのようなメンテナンス員のようなことができることがナナクには意外だった。もっぱら戦闘要員だと思っていたからである。


「アリス、この造形機のメンテの仕方をどこかで習ったの?」

「ええ、昔にワケあって自販機を直したことがあって、こんな風にしてご飯食べたことがあったのよ。こことは別の場所だけど。」


 アリスは視線を合わさず話を続けた。


「習ったというよりは、見て覚えた、という感じね。話すと長くなるから省くけど、その時は器用なお友達がいたのよ。」


 相変わらずアリスは目を合わさない。だが、いきなり昔の話を始めたことにナナクは驚いていた。記憶喪失だというのが嘘ではないかとダンは疑っており、ナナクも薄々そう感じていたが、彼女はそれを隠すことを完全にやめたようだった。先程のシャロンとプルートとの出会いで色々と言われて、もはや隠しても仕方がない、と思ったのかもしれない。


 アリスは食品用の造形機の扉を閉めてパネルを操作する。中から動作音が鳴り始めた。ハムサンドイッチを作り始めたようだ。残り時間が表示されていて、まだ2分ほどかかる。アリスが先程作り始めた方の料理も同じくらいの残り時間だ。


「アリス。座って待っていようよ。」


 そう呼びかけて近くの席に座った。アリスもその向かいの席に座る。ナナクはアリスの方をじっと見つめているが、一方アリスはどこか気まずいのか、目を逸らしつつも、チラチラとナナクの方を見ている。ナナクは気を使って体を横に向けて、肘をテーブルに付けた。じっと見つめてはかえって話しづらいことでもあるだろう。最初に口を開いたのはアリスだった。


「あの……、ナナク?」

「なんだい?」


 ナナクはアリスの方を向き直す。


「あなたを守るのが私の仕事だったのに、勝手に帰ってしまってごめんなさい。」


 ああ、そのことか。とナナクは思った。ダンも憤慨していたが、もはや大した問題ではない。


「別に大丈夫だよ。さっきの人達も、あれ以上戦うつもりはなかったみたいだし。」


 料理の完成を呼びかける小さなメロディーが食堂鳴り始める。しかし二人とも立ち上がらない。君が本当に言いたいのはそんなことではないだろう、とナナクはアリスの言葉を待つ。観念してアリスが話を続ける。


「あの、今まで色々黙っていて……騙すつもりはなかったんだけど、いいえ、騙すつもりもあったのかもしれないけど……。帰ったらちゃんと話そうと思います。それで、その……。」

「うん、そうだね。これ食べて早く帰ろうか。船長も待ってるよ。」


 本人の口から「帰る」という言葉を聞いただけでナナクは十分だった。アリスに壮絶な過去があったであろうことは出会ったときの過酷な状況から予想できたことだったので、今更慌てて追求するつもりもない。彼女は帰ってから話すと言うが、別に話してもらわなくても構わないとすら思っていた。


 先程から鳴り響いていた柔らかなメロディーがピピピという電子音に変わっていた。早く取りに来い、という意味だろう。ナナクは二人分の料理をトレーに乗せて席まで運んだ。ナナクがオーダーしたのはハムサンドイッチ。アリスが頼んだのは一体なんだろう。見たことがないスープ状の料理だが、いい匂いがする。


「アリス、一体何作ったの?」


 ナナクは謎のスープをアリスの前においた。


「ユッケジャン。韓国料理よ。」


 カンコク料理とは何のことかナナクには分からなかった。


「その国の言葉で、イヌの肉のスープ、という意味ですって。」


 聞けば聞くほど意味がわからなくなる。イヌと聞いて、先程まで戦っていた黒い犬型のロボットのことを思い出してしまったほどだ。


「あ、犬を食べていたのはずっと昔の話で、今は牛肉を使っているそうよ。そもそもあの自販機だと牛肉かどうかも分からないけど。初めて食べるけど、これ美味しいわね。ナナクもこれにすればよかったのに。」


 アリスは付属の大きなスプーンでスープを啜りながらそんな事を言う。それを聞いてナナクは困惑の表情を隠さなかった。ナナクはそう言われるまで意識しなかったが、このハムサンドイッチのハムも一体何で出来ているのだろうかと疑問に思った。培養肉や植物肉であればよいのだが、250年以上前の原料でできているのだから、本当に何で出来ているかどうかわかったものではない。


「あら、犬を食べていたって聞いて驚いた?でも日本ってところではクジラをフライにして食べていたそうよ。それを聞いたときは私も流石に驚いたけど。」


 ナナクは混乱した。クジラだって?あの歴史上の生き物の?しかもそれをフライにする?一体どれほど巨大なフライになるのだろうか?1万人のパーティーを開催しても食べきれない。それともそのニホンという場所は巨人でもいるのか?


 そこまで考えて、ナナクはアリスに一杯食わされているだけだと分かった。犬やクジラを使った料理などあるわけがない。ナナクは言い返してやった。


「はは、そうだね。このハムもティラノサウルスの香りがするよ。恐竜の肉なら船長の実家で何度も食べたことがあるんだ。」


 ナナクが突然妙なことを言い出したのでアリスはどう返事したら良いか困ってしまった。アリスは思った。自分がずいぶんと深刻な顔をしすぎていたのかもしれない。きっと場を和ませようとしてくれたのだろう。彼女はこの場でナナクに問い詰められることも覚悟していた。しかし彼にそのつもりは無いようと分かって少し気が楽になった。


 アリスは意図して肩の力を抜いた。かと言って他愛もない雑談をするような雰囲気でもない。黙ってスープの残りを食べ、ナナクが自分の食器と一緒に片付けた。アリスも手伝おうとしたのだが、ナナクは彼女にそこに座って待つように言った。そしてアリスのところに戻ってきて、「それじゃ、帰ろうか。」と言いながら、左手を差し出してきた。アリスは、どうしてそんなに手を引いて連れて行くような真似をするのかと思った。もう二度と逃げ出したりすることはしないつもりなのに。しかしナナクにとっては、今ここで彼女の手を離したら、彼女を失ってしまうような気がしたのだ。


『一人ぼっちにはしない』


 こう彼女と約束したのだ。当初の想定とは少し状況が違ってしまったが、何が起こっても責任を取るとダンにも宣言していた。この程度など困難のうちにも入らない。敵ロボットの襲撃からは、アリスに守られっぱなしだったが、今度は自分が彼女を守る番だ。とは言え、ダンがアリスの話を聞いてどういう反応をするかが心配だった。彼は彼女のことを単なる便利屋のようにしか考えていない素振りがあった。どのようにして仲間として認めさせるか。そんな事を考えながらアリスの手を引いてナナクは帰路についた。


 ………

 ……

 …


 ハッチを開けてナナクとアリスが宇宙船に入っていく。そして通路の適当な場所に武器を置いてそのままデッキまで上がろうとした。すると上の方からダンの大声が聞こえてきた。


「おーい、ナナク。音声切って寄り道なんてすんじゃねぇよ!どういうつもりだよ。」


 ナナクは無線機を切りっぱなしだったことに気がついた。しかしそれどころではなかったのだ。二人はそのままデッキまで上がっていった。


「船長、ごめん。」


 ナナクは謝罪するが、表情は険しいままだった。アリスも同様だ。


「いや、ナナク。そんなふうに謝られても……。」


 ナナクは立ったまま動かずに答えない。アリスも同様だ。ダンも二人の妙な雰囲気に気がついた。


「どうした?ナナク、何かあったんだな?」


 ナナクはアリスの方をちらっと見た。するとアリスが口を開いた。


「あのっ、ナナクとダンさんにお話することがあるんです。」


 アリスは口を真一文字に結んでいる。緊張しているのだろう。それに気づいたナナクはあえて軽い口調で促した。


「そう、じゃあ聞かせてよ。」


 ナナクは硬い宇宙服を無理やり納めるようにして椅子に座った。事情を把握したダンも手前の席に座る。


「あーはいはい、話ね。なんでしょう。」


 そう言いながらテーブルの上に放ってあった電子ペーパーを手に取る。ちょっとした業務連絡なんだろう?というような素振りだ。もちろんそんな些細な事でないとダンも分かっていたが、演技のようなものだった。アリスが記憶喪失だと主張してずっと隠し事をしている、とダンは考えていたのだが、疑惑を追求するのではなく本人が話し出すならば、その方が都合が良い。このタイミングで自由に言わせてやろう、と考えていた。


「私……二人に黙っていたことがあるんです。」


 アリスが言葉を詰まらせる。言いにくいのだろう、とナナクとダンの二人はアリスの次の言葉をじっと待つ。


「私、本当は人間じゃないんです。ずっと騙していてごめんなさい。」


 全く予想外の告白の仕方に二人同時に驚いてしまった。


「えー!」

「話があるって、そういう言う事か?嘘だろ?」


 アリスもある程度覚悟していたが、こういう反応になるのだ、人間でないと知ったら驚くに決まっている。


 しかし、当然だが、二人の驚きはそういう意味ではない。


「お前、まさか人間のフリしてるつもりだったのかよ!?」


 ダンが身を乗り出して訴える。横のナナクもうんうんと大きく首を縦に振る。


「え?ちょっと待ってください、ダンさん。私がアンドロイドだって知ってたんですか?あれ?ナナクも?え、一体いつから?」


 アリスが動転する。確かによく注意すれば自分を疑う要素はいくつもあったが……。


「あ、もしかして、ナナクと一緒に戦車を叩き壊したときに?」


 ダンがわざとらしくずっこける。


「いやいや、あれはあれで驚いたけどよ。そうじゃねぇ、最初からだ。お前が居た場所だよ。なぁ、ナナク。」


 ナナクが続ける。


「君が倒れていたのは宇宙ステーションの外縁部。酸素もほとんどない、氷点下の場所だったんだよ。そんなところで倒れてた人が動きだしたんだから、人間だって思うはずないでしょ。」


 アリスは固まってしまった。一体自分の当初の努力は何だったのかと。


「あの、なんで教えてくれなかったんですか?私が人間じゃないって分かってるよー、って。」

「いや、お前がまさか人間を擬態してるとは思わねぇよ。」


 アリスは訴えるが、ダンの主張のほうがもっともだ。


「そうだよ。本当に普通の女の子だったら探索なんてできないだろう。と言うかアリスは、なんで自分がロボットだと隠そうとしたのさ。全然、隠せてなかったけど。」


 自分の演技がまるで通じていなかったことに内心驚きつつも、アリスは答えた。


「私が人間でないと分かったら、みんな怖がってしまうかもしれない、って思って……。」


 彼女が生まれたのは地下の軍事基地だったが、その特異な出生から、彼女を嫌う人間も少なからず居た。親しい人間も居たが、それ以外は皆、遠巻きに猛獣を眺めるような接し方である気がしていた。アリスは正直な気持ちを打ち明けたが、ダンがまた違う事を言いだした


「でもよ、安全のインターロックがあるだろ?人に危険を加えないように。リスク評価のうんたらかんたら~って。最初は不安だったから一応縛ってたけど、大丈夫そうだってナナクが真っ先に解いてたよ。」


「ああ、あの時の拘束だね。倒れたままの君を運んできた後、船長が言うから念のためにワイヤーでベッドに縛り付けてたんだよ。起き上がって暴れる様子もなくて普通に会話もできたから、すぐ外したけど、あの時はゴメンね。」


 アリスはそう聞いて、自分が初日にここで目を覚ましたときに身動きが取れなかったことを思い出した。あの時の話をしているのだろう。もちろん助けてもらった相手に、いきなり暴れるようなことはするはずもないが、ダンの言う話はピンとこない。


「あの、ダンさん。そのインターロックってよくわからないんですが、具体的には?」


 アリスにとっては単純な質問のつもりだった。


「え?俺も詳しい仕組みまでは知らねぇけど、ロボットが人に怪我させないように、っていうアレのことだけど。」


 アリスは少し首を傾げる。そして過去に軍の施設に居たときに、自動機の安全設計の規格文書のようなものを読んだことを思い出した。似たような事柄を言っているのだろう。


「ああ、そういう話ですか。無いと思いますよ。私には。」

「「ええっ?」」


 ダンとナナクが同時にそんな反応をした。


「私、プロトタイプなので、そういうのは無いって聞きました。もしかして持ってないとダメなものなんですか。」

「無いってお前……。初日から、なんか変だとは思ってたけどよ……。ああ、もしかして古いタイプだからとか?そうだ、お前いつ作られたんだよ。」

「それよりもアリス。今言った『プロトタイプ』って何のこと?さっきの二人も君がプロトタイプだって言ってたよね。」


 ダンとナナクの二人から矢継ぎ早に質問される。いずれも自分の出生について聞かれているが、アリスは一瞬固まってしまった。どこまで話すべきか。しかしプルートとのやり取りをナナクに見られてしまった上に、走って逃げ出した後どんな会話をしたか分かったものではない。


 もはや隠し事をできる段階でもない。アリスは決心した。場の空気感が変わったことにダンとナナクの二人も勘付き、黙ってアリスを見つめる。


「わ、私は、自律戦闘型戦略兵器プラットフォーム『アリスフレーム』の試作零号機。プロトタイプです。西暦の2074年、ダンさんが『雪玉』と呼んだあの場所、地球で生まれました。人類統合軍が決戦のために用意した極秘作戦のうちの一つでした。」


 彼女はゆっくりとこう言い、そして誰に目を合わせるでもなく、ただ真正面を見つめた。ダンとナナクはぽかんと口を開けてしまった。アリスの口からまるで予想外の告白がされたからだ。


「何だよ、それ……。」


「え?統合軍?どういうこと?」


 二人が驚きの声を上げる。


「なんか、思ってたより10倍くらいすっげぇ事言ったな。戦略兵器って……。」


 ダンが天を仰ぐ。


 そして最初に質問したのはナナクだ。


「2074年って、今から300年くらい前ってこと?」

「そうなるわね。でも、ほとんどその間の記憶が無いの。眠っていたというか、気を失っていたというか。だから300年前と言われても実感が無くって。」

「じゃあ300年ずっとあそこで眠っていたのかな。僕が君を見つけたあの場所で。」

「いいえ、200年くらい前までは地球にいたのは確かで、そこからロケットで打ち上げられたところまでは覚えている。それで、気がついたらナナクに助けられていたのよ。それまでの間はさっぱり。」


 そう言いながらアリスは顔を横に振る。これは隠し事でもなんでも無く、本当に心当たりが無いのだ。するとロケットという言葉に反応して、ダンが聞いてきた。


「え?じゃあ宇宙船の帰還中に事故か何かで放り出されたってことか?200年も前に?あの雪玉から?」

「いいえ、それは違います。だって、そのロケットを爆破したのは私なんです。」


 ダンの今の質問には、どうやって200年前にあんな場所からロケットが打ち上がったのか?という意図も含まれていたのだが、彼女の回答は予想外だった。彼女がロケットを爆破したと聞いて先ほどと対照的に体をさっと引いてしまう。彼女は慌てて訂正した。このままではテロリストか何かだと思われてしまう。


「あ、違うんです、違うんです。貨物ロケットに、危険物というか何と言うか、とにかく捨てなきゃいけないものが載っていて、それを爆破したんです。」

「なんで君がそんなことを?」

「え?なんでって……」


 ナナクの素朴な疑問には全部順を追って説明しなければならないのかとアリスが戸惑っていると、ダンが割り込んできた。


「その当時のお前の仕事っていうか、任務ってことだろ。」


 当たらずとも遠からず。とアリスは思った。


「えっと、つまり、お前は軍用のロボット、それもガチ中のガチで戦闘用の、ってことか?どうりで、家事ロボットにしてはバカみてぇに強ぇと思ったぞ。」


 彼女にとって今の質問は答えにくい。表面上は戦闘アンドロイドということになっているが、実際のところそれも疑わしいのだ。


「それはちょっと分からないです。」

「は?分からねぇ、ってどういうことだよ。戦略兵器の何とかだって、言ってたじゃねぇか。要するにスパイロボットってことだろ?」


 スパイロボット。その説明も悪くないな、とアリスは思った。自分の正体を正しく人に理解してもらうのは難しい。事実、彼女が生み出された当初の目的は、21世紀当時の人類を壊滅に追い込んだ暴走ロボットのネットワーク『NRU』を打ち倒すことであった。しかし、その真の戦略は、ひたすら生き残り消耗戦を繰り返すことだ。いつか人類が地球に戻るときのための時間稼ぎとして、である。


 そのはずだった。だが予想に反し、200年前に長い眠りから覚めた彼女はその『NRU』を消し去った。本当に偶然にすべての歯車が噛み合った奇跡と言って良い。このような話をしたところで二人には到底理解してもらえないだろうし、今となってはどうでも良い過去の話だ。アリスはわざとらしく指を顎に当てて、斜め上を見つめて考えるような仕草をして答えた。


「んー。なら、それでいいです。スパイロボットってことで。」

「それでいいってお前、なんか可愛い仕草で誤魔化そうとしてねぇか?こんないい加減な応答するロボットなんて初めて見るぞ。300年前の流行りなのかね。」


 今のダンとアリスのやりとりの間、ナナクは考え事をしていたようだ。一定の推論ができたのか、アリスに聞いた。


「あのさ、アリスが生まれたのが300年前って本当?21世紀の、20……。」

「2074年。」

「そう、2074年。その時期って、気候変動の『大脱出』の前だよね。そんな大昔に君みたいなロボットが作れるのかな。」


 アリスは今の『大脱出』という単語に聞き覚えはなかったが、まずは彼の質問に答えてやった。


「当時もかなり大変だったみたいよ。お金もかかったって聞いたたけど、その時ちょっと大きな戦争があって、やれることは何でもやった、ってところかしら。」


 ちょっと大きな戦争、と彼女ははぐらかしたが、実際はそんな簡単に言い表せるようなものではなかった。


「へぇー、すごいね。見た目の質感もほとんど人間と変わらないし、アリスが作られた極秘作戦ってどういうのだったの?」


 ナナクが目をキラキラさせて聞いてきた。アリスとしては無関係の彼らに対して詳しい話はしたくない。


「大昔に終わった話だし、それに極秘って言うからにはやっぱり話してはいけないと思うのよ。ごめんね。」


 ナナクは小さい声で「えー。」とでも言うような表情を見せて残念がる。これくらいの年齢の男子なら、秘密兵器とか極秘作戦という単語に反応してしまうのも分からないでもない。一方でアリスはナナクが先程言ったこの言葉が気になった。


「ところでナナク、今の『大脱出』って?」


 大体の予想はつくがナナクの言葉を待つ。


「え?知らないの?学校で習うでしょ?2080年から2090年ごろに雪玉で……あ、まだその時は雪玉ではなく地球って呼ばれていただろうね。その地球で大きな気候変動が起こって、人々が月の街や軌道上のステーションに難民として押し寄せた、っていう出来事。」


 自分が眠りについている間にそんな事があったのか、とアリスには感慨深いものがあった。しかし人類が脱出せざるを得なくなったのは、気候変動ではない。地球が雪に覆われたのは結果に過ぎないと、アリスは知っていた。アリスが生まれた当時の敵『NRU』を壊滅させるために地球ごと巻き添えにした、というのが事実なのだが、それをナナクに伝えて良いとは思えない。彼女は黙っていた。


「え?あったんだよね?実際にそういう出来事が。フェイクだって言う人がいるんだけど、まさか……どうなの?」


 彼女は少しの沈黙の後に口を開いた。


「そうね。実はその間も眠っていたからよく分からないけど、200年前に私が目を覚ましたときには、そこに誰も居なかったから、嘘ではないんじゃないかしら。」


 どうにもハッキリしないアリスの回答にナナクは納得がいかなかった。しかし眠っていて知らなかった、と言われてしまえばどうしようもない。しかし今の説明を聞いたナナクは別の疑問が湧いたのか、続けて聞いてきた。


「誰も居なかった、って言ったよね。そうだとすると、誰の命令もなく、勝手にロケットを打ち上げて爆破したってことになるけど。怖すぎない?それ。」


 ナナクはアリスが華奢な少女の姿をしていることに引っ張られてどこか無垢なイメージを持っていたのだが、全く正反対の行動に肝を冷やした。しかしアリスに言わせれば、多少のめぐり合わせはあったが全て自分の意志でやったことなので、勝手に、などと言われるのは心外だ。


それにたった一人でも戦う意思を示したのに理由はあった。


「私、軍に居た頃に上司が居たんです。その人と一緒に戦うって約束したんですよ。でも、目を覚ましたら80年くらい経っていて、他の人にはもういいよって言われたんですけど、やっぱり大切な人との約束なので、頑張って戦いました。」

「え?上司?」


 アリスが妙なことを言うのでナナクは不思議に思った。所有者とか管理者とかではなく、上司とはどういう意味か、と。しかし彼女はそうとは捉えなかった。


「あ、軍隊だったから上官って言ったほうが良いですかね。普段は優しいんですけど、怒ると怖い鬼軍曹でした。こんな私も平気でぶん殴るし。でも、周りから割と嫌われていた私のことを、いつも守ってくれたし、ちょっとあの人のことが好きだったんですよね。軍の規則を無視してアタックしたんですけど、結局は振られちゃいました。300年近くも前だからもう時効ですよね。」


 アリスが微笑とともに遠い目をしながらそんな話をする。自分は一体何を聞かされているんだ、とダンは思った。アリスに上司が居たことも奇妙だが、パワハラから転じての職場恋愛の話まで聞かされているのだ。ダンは呆れて言った。


「どういうことだよ一体。こんなロボット聞いたことねぇな。どういう仕組みだよ。」


 ところが、仕組み、と聞かれてアリスは自信満々に答えた。


「私の体は全部ナノマシンでできていて、ナノマシンの供給で多少の怪我は治せます。鍛えれば強くなるし、一人で色々行動するには都合がいいんです。こういうのは私が最初だったみたいですよ。ロボットではなくアンドロイドだ、って私を作った人達は言っていました。」


 彼女が言うナノマシンとは、プログラム可能なマイクロメートル級の微小な機械のことだ。彼女が生み出された時代には既に一般化しており、機械や建築物に使われたものだ。しかし部分的なコンポーネントではなくその全てをナノマシンで構成するロボットは例がない。とてつもなくコストがかかるだけでなく、その体の仕組みすべてをプログラムしなければならない。特殊中の特殊な用途である軍用品だからこそ実現した彼女の体の仕組みである。だからこそ当時よりロボットではなくアンドロイドと呼ばれていたのだった。


「へぇ~、アンドロイドねぇ……。う~ん、ロボットでも、どっちでもよくねぇか?」


 ダンが怪訝そうな顔でそう言うが、アリスにとっては自身のアイデンティティに関わる結構重要な話だ。


「ちょっと、ダンさん。どっちでも良くないです。あんなのと一緒にしないでくださいよ。」


 アリスはデッキの部屋の隅で待機モードになっている掃除ロボットを指差した。そしてナナクが擁護する。


「船長、アリスが可愛そうだよ。本人がアンドロイドって言ってるんだから、そう呼んであげないと。ねぇ、アリス?」


 それを聞いたアリスは小さくうなずいた。


「確かに、ロボットって言うにはちょっと抜けてんだよな。人の話ちゃんと聞かねぇし、答えに詰まると適当にごまかす。それでよく軍隊で仕事できたもんだ。」


 そう言われてアリス自身も軍事基地に居た頃の生活を思い出す。


「仕事……ですか。時々、訓練はしていましたけど、ほとんどはお散歩したり、基地の皆さんとゲームで遊んだり、ショッピングとか、そんなことばかりしていたような気がします。」

「はぁ?何だそりゃ。お前、広報のマスコットでもやってたのか?そんなに腕っぷし強ぇのに。あー、ますます訳わからんロボットだな、おい。」

「船長、ロボットじゃなくてアンドロイドだって。」

「あーはいはい。で、そのアンドロイドは、今はどこに所属してることになるんだ?」

「え?」


 ダンが急にそんな話を始めたのでナナクは拍子抜けしてしまった。彼女はここで働いているのと違うのか、と言いたかった。しかしダンの論点はもっと制度的な話だった。


「最初は、廃棄ステーションで回収したから、いつものように回収品として俺たちのものにするつもりだったけどよ。軍にいたって言うなら、勝手に連れてっていいのかね。例えばこの船。もとは軍のものだったけど、きちんと払い下げの処分がされてる。一方で、お前はどうなのよ。」

「勝手について来ていいの?」


 ダンの話に被せるように、ナナクがアリスの方を向いて問いかける。


「え?ダメなんですか?私は二人について行くつもりだったんですけど。それに300年経っているなら、私のいたところも無くなっているでしょうし、とっくにクビですよ。きっと。どうしても不安なら退職届を送りましょうか?絶対に読んでもらえないと思いますけど。」

「いや、退職届じゃねぇだろ。従業員として雇われてたわけじゃねぇし、もっと別のさ……。」


 上司がいた、という発言もそうだが、アリスは働いていると主張している。ダンにはどうにも受け入れがたい。しかしアリスはまたしても予想に反する事実を述べた。


「いいえ、最後の方はちゃんとお給料を貰っていましたよ。統合軍の部隊員としてのIDカードもありました。」

「冗談だろ?」

「本当です。嘘ついてどうするんですか。」

「マジか……。300年前の軍ってのはだいぶ攻めてたな。まぁいいや、とにかくお前は今無職だと。ロボットに、いやアンドロイドに無職っていうのも変な話だが。」


 アンドロイドと呼んでもらえたアリスは今が攻め時だと思った。


「そうです。なので、ダンさんの会社で働かせてください。」


 アリスがテーブルの上に両手をついて身を乗り出し、ダンに迫る。


「いや、そういう言い方されてもよ……。」

「ここで働かせてください。」


 ダンはアリスの気迫を感じた。彼女としても、中途半端な居候の立場である現状を変えることができるチャンスだと思っていた。


「でも、給料とかどうすんだよ。」

「だったら、しばらくは見習い期間ということで、まかない3食と寝床だけ。それだけでいいです。」


 畳み掛けるように交渉を進めようとするアリスを見て、それは今と全く同じ条件なのでは?とナナクは思ったが、黙っていた。


「どうする?ナナク。」


 ダンは急にナナクに意見を求めてきた。


「え?なんで僕に聞くのさ。じゃあ、それは流石に薄給すぎるから3時のおやつも追加で。アリス、これでどう?今だと、プリンの在庫が30個くらいがあるんだ。」

「ナナク、そうじゃねぇ、お前の部下になるけど良いのか、って話だよ。まぁナナクが賛成なら良いか。じゃ、採用。」

「ありがとうございます!」

「アリス、良かったね。」


 アリスはほっと胸をなでおろした。自分の正体が知られるという難局を乗り切っただけでなく、首尾よく正式にこの宇宙船の一員になれたのだ。しかし、彼女がそう思ったのもつかの間、まだ重大な話は残っていた。ダンが思い出したようにこう言った。


「そういえば、ナナク。色々あって、ってさっき言ってたけど。こいつの経歴の話だけじゃねぇだろ?探索先で何があった。ノイズだか妨害だかで通信が切れたから何が起こってたか分からねぇんだよ。説明してくれ。」


 ああやはり途中から通信が切れていたのか、とナナクは状況を理解し、説明を始めた。


「実は探索中に駐車場みたいなところで、変な人……というかロボットに会ったんだ。あの二人も、もしかしてアリスと同じ種類のアンドロイドだったりするの?」


 そうアリスに聞くが、まだ話の途中だ。


「ナナク、まずは順番にきちんと説明してくんない?」


 ナナクはアリスと話を進めようとしたが、ダンには何のことかさっぱり分からない。順を追って説明するように指示した。


「あ、船長ごめん。探索してたら行き止まりになって、そこで、一昨日会った黒い犬を連れた変なやつ。あいつにまた会ったんだよ。それでそいつが襲ってきたんだけど、アリスのほうが強くて、もう少しで勝てるかなって思ったら、もう一人出てきたんだ。ちょうどアリスと同じような身長だったかな。名前も、シャロンとプルートって言ってた。それで、そいつらが『アリスなんとか』だって言ってたんだ。今アリスが言ってたのと同じだよ。」

「アリスフレーム」


 アリスが端的に言った。


「そう、『アリスフレーム』。そいつらもアリスフレームで、プロトタイプのアリスをずっと探してたって言うんだよ。自分たちのリーダーになって欲しい、みたいな言い方してた。あと、人類を導くとか、変な宗教みたいなこと言ってきたから面倒くさくなって帰ってきたんだ。」


 ナナクの話を聞いたダンが難しい顔をする。そして目線だけをアリスの方へ向けて言った。


「ということは、こいつと同じタイプが何体もいて、警備してるってことか。それと、探してたって言うなら、やっぱりこいつを連れて行ったらダメなんじゃねぇか?」


 ダンがそう言うがアリスが即座に反論した。


「ダンさん、あの二人と私は無関係です。少なくとも知り合いではないです。私を作った人たちが、私と同じアンドロイドを量産するって言ってましたので、きっとそういう人たちです。単にタイプが同じだという以外、関連はないです。私はこの宇宙ステーションにはたまたま漂流してたどり着いただけですから、留まらなければいけない理由はないですよ。それに今、採用って言ったじゃないですか。雇用契約は口頭でも有効ですからね。」


 彼女は早口でまくし立てた。この廃棄ステーションと自分は心底無関係だと主張したかった。最後の雇用契約の下りはいい加減な理屈だが、とにかく勢いに任せて主張したかった。


「お、おう。わかったよ、今更不採用になんてしねぇよ。でもなんで、お前を探してるなんて言ったんだ?」


 アリスはこのメンバーに留まれたことに安心しつつも、どう言うか少し悩んでから答えた。


「あの人たちが本当にアリスフレームなのだとしたら、そのように作られているからなのかもしれません。私を作った人たちは、私の後にアリスフレームを量産して、人間が全員死んでしまっても、私を司令官にして戦えるように計画していたみたいです。私自身は量産が始まる前にスリープ状態になってしまったので、最終的に計画がどうなったかは知りませんが。」

「お前が司令官に?」

「はい。私にはインターロックがない、という話をさっきしましたが、私には私自身の指揮命令権があります。自分がやることは完全に自分で決められます。ダンさんやナナクのような生きてる人間には当たり前かもしれませんけど、私のようなアンドロイドがそれを実現するのはけっこう大変だったんですよ。だから私の場合は他のアリスフレームにも同様に指揮命令ができるのかもしれません。」

「かもしれない、って何だか中途半端な言い方だな。」

「試した事が無いですから。ロケットを爆破したときもそんなことは知らなかったので、結局は一人で戦っていましたし。」


 今のアリスの話を聞いてナナクが感づいたのか、興奮気味に話しだした。


「アリス、わかったぞ。帰る方法が。あの二人を探し出して、一旦君の指揮下においてから、命令すれば良いんだよ。この宇宙船を開放してくれ、って。アリスが軍にいたって言うなら都合がいい、司令官の命令は絶対でしょ。」


 ナナクは良い解決方法だと思っていたが、ダンとアリスは確信が持てなかった。


「なるほど、ナナク。だけど、そんなに上手く行くもんかね。」

「本当に私の言う事聞いてくれると思う?一人はいきなり襲いかかってきたし、私がプロトタイプだってことも疑っているみたいだし……。」

「でも、結局もう一回探索しないといけないわけだから、会ったら話してみても良いんじゃないかな?」


 ナナクの提案は妥当性がある。当初と違ってお互いの事情が分かってきたので、闇雲に戦闘する必要はもうない。互いの要求事項を整理して交渉すれば良い。ナナクの推論が正しければ妥協点を見出すのは比較的容易だ。ダンとアリスは特にナナクに反論をしなかった。


「さっき会った、緑の軍服着てたプルートってのにもアリスを連れてまた来いって言われたんだよ。ちょうどいい。」

「わかった。実際の探索計画としては変更なしだ。今日の探索の情報を精査してから次の行動予定を立てよう。」


 次回探索の方針が決まった。詳細な事情は変わったが結局探索してキーマンを探して交渉する、という大枠は同じだ。


「アリス、あの二人に会ったら、命令できるか、試してみよう。お願いだ、君が頼りなんだよ。」


 ナナクはそう言うが、アリスはそんな単純な話ではないことが分かっていた。


「あのね、ナナク。命令って言っても、リモコンみたいに動くわけではないと思うのよ。私と同じ作りならなおさら、そう。まずは説明して、お願いするような感じになると思うの。言うことを聞いてくれると良いんだけど。」


 アリスには更にもう一点、気になることがあった。


「あとダンさん、その方法だとあの二人も連れて帰ることになりませんか?ついでにワンちゃん3頭も。ここって『ペット不可』だったりしませんか?」


 ペット、とはあの犬型のロボットのことを言っているのかな、とナナクは思ったが、それよりもあの二人を連れてくるほうがよほど問題だ。危険としか思えない。アリスの発言に、ナナクよりも先にダンのほうが反応した。


「お前みたいなバケモンをあと2体もか、大丈夫かこの船。回収品って言っても売りモンにならねぇだろうし。」


 ダンの発言を聞いたナナクは、回収品という言い方に違和感があった。


「え?回収品のつもりなの?もしかしてアリスも?」

「ん~、まあ普通に考えればそうだろ。遺構で発見した遺物なんだから。だけど、アリスフレームってのは全部そうなのか?動くし喋るし、電源スイッチみたいなのもねぇし、貨物扱いもできそうもねぇ。それに3体もいたらどうやって管理すりゃいいんだよ。アリスの1号2号3号って呼ぶ以外、方法あるか?」


 今のダンの意見にナナクとアリスは理解が追いつかなかった。


「え?!それってどういう事?」

「ダンさん、アリスっていうのは私だけで、あの二人はちゃんと別の名前ありますよ。確か、プルートとシャロンって。」

「え?だってお前今、みんなアリスフレームだって言ってただろ。」


 アリスはようやくダンが言ったことの意味を理解した。自身の名前として伝えていたアリス、という言葉を機種名のようなものだと思われていたのだ。


「『アリス』というのが私の名前で、それは私だけです。この名前も自分で決めました。私の種類……というか機種を表す言葉が『アリスフレーム』なので紛らわしいなとは思いましたけど、今更変えられません。あなたが人間のダンさん、そして私がアリスフレームのアリス、ということです。」


 ダンは自身の中の疑問が解けて感嘆の声を上げる。その反応にアリスも呆れてしまう。


「今までずっと誤解されていたんですね。最初にちゃんと説明しなかったっていうのもありますけど。」


 ダンとアリスの話を聞いたナナクが今までの二人のやりとりを思い出して指摘した。


「あっ、船長がアリスのことを『こいつ』とか『お前』としか呼んでなかったのってそういうことだったのか。」

「だって、まさかロボットに名前あるなんて思わねぇだろ……。」

「だからアンドロイドだって、船長。」

「まどろっこしいな。でもこうやってそれぞれに名前あって、好き勝手動いて、って300年前の技術すげぇな。大脱出で色々失われたって聞いたけど、その筆頭じゃねぇか。」

「貴重な人材を採用できてよかったね。」


 そう言ってナナクがハハハッと笑う。


「笑い事じゃねぇぞ、まったく。このアリスちゃんが指示通りに働いてるから良かったけど、ハズレのアリスフレームだったら俺たち死んでたぞ。」


 ナナクは確かにそうだなと思った。シャロンのようにいきなり襲いかかってくるような人物でなくてよかった。一方でアリスはダンから初めて名前で呼んで貰えたことが少し嬉しかった。しかし彼の呼び方で一つ引っかかった。


「アリスちゃん?あの、なんで私、ちゃん付けなんですか?」

「え?なんかイメージ的に。他の肩書が欲しかったら成果出して出世するんだな。お前、なんだかマスコットキャラっぽいんだよ。さっきの話だと軍にいたときもそうだったんだろ?だからアリスちゃん。」

「だから違いますって!マスコットじゃありません。」


 そう言って頬を膨らませた。それを見たナナクは、マスコットキャラクターというダンの意見は多分正しいな、と思ってふふふっと笑ってしまった。するとダンは思い出したように立ち上がりコックピット脇に手を伸ばした。


「あ、そうだ。これお前に返すわ。」


 そう言ってヒョイッと何かをアリスに向けて放り投げる。そしてアリスはそれを受け取る。


「これは、私のペンダント。」

「やっぱりアリスちゃんのだったか。ALICE-Frameって何だろうって思ってたけど、それが機種名で、その前に『アリス』って書いてあるんだな。言われてから見れば確かに、お前の言うとおりだよ。」


 アリスはペンダントを首にかけた。これを見ると過去の出来事を色々思い出してしまう。右手で握りしめ、目を閉じる。ただの量産品のロケットペンダントで、既に故障していて写真を見ることも出来ないが、ここには彼女が生まれた意味と覚悟が刻まれている。


「じゃあ次の方針も決まったし、お前ら帰ってきてすぐ上がって来ただろ?一旦休憩だ。それとアリスちゃん、後で試してもらいたいことがあるんだけど、道具を片付けて休憩したら、ちょっとここまで上がってきてくれねぇか?」

「はい、わかりました。」


 名前を呼びかけられての仕事の依頼に、アリスは嬉しそうに応えると、走ってデッキから降りていった。


「走ると危ないよー」というナナクの声が階下へと響いていった。


 ………

 ……

 …

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