第4話:招待


     ――― 『冥王』があなたを呼んでいるようですね

       いいですわよ、少しの寄り道なら許してあげましょう ―――




 アリスは宇宙船の出入り口、ハッチの目の前に来ていた。ハッチが正しく閉鎖されているか、空気の漏れなどがないかどうか、確認するように言われたからだ。薄い板状の電子ボードのようなものを渡されたのだが、日付とチェックを記入する欄が並んでおり、この内容に合わせて調べていけばよいのだろう。しかし彼女がここに来たのは単に言われたとおりに業務をするためではない。


 翌日ダンとナナクの目を盗んでこの宇宙船を飛び出し、ステーション内部を単独で探索するための下見をするためでもある。アパートの玄関のように簡単に開け閉めできるものなのか、また、外から再び入ってくることができるのか、少し試してみないといけない。ナナクとは2回ここを通っている。彼がハッチを開け閉めする様子を思い出し、ハッチ横のパネルを操作して施錠と解錠の操作をしてみた。解錠して、ハッチ横のレバーを引く。すると先程同様のプシューという音がしてハッチが徐々に開いた。次に何もせずにそのまま閉めた。そしてまた開けた。オートロックのような振る舞いはしないようだ。外に出ても大丈夫そうなので、そのまま外に出てみる。


 今までは外に出るとダンが遠隔操作でハッチを閉めていたはずだが、自分で閉めることができないか、方法を探った。ハッチの外側中央部にもバーがあり、先程ナナクがハッチを開いたときにはここを引いていた。同じようにしてバーを引っ張るとハッチが締まる方向に動くようだ。多少重いが問題はない。無事に閉め終わると、キューッという音がしてハッチが引き込まれ、密閉された。この方法で、一人で問題なく外に出られるようだ。


 さて、次は帰ってきたと仮定してみる。ナナクはハッチ横のプレートのようなところに顔をかざして鍵を開けるような動作をしていたのだが、おそらく彼女では解錠することができないだろう。しかし自動で施錠されることがなさそうだと今確認したので、レバーを引いて開けてみた。すると問題なくハッチが開いた。密閉のために二重ドアになっていて一見すると複雑そうだが、実際のところ単なる鍵付きのドアと考えて良さそうだ。記憶を失っている数百年間の間に、何か彼女の知らない概念が導入されているような様子はない。彼女がよく知る時代、21世紀中頃でもドアと錠という組み合わせは一般的だったし、その基本的な考え方は中世の頃から千年以上変わっていない。だから今更24世紀になったところで変わるはずも無いのだろう。鍵が電磁波や生体認証になって偽造しにくくなったり、遠隔で開閉できるようになったりなど、多少便利になる程度だ。


 さて、自由に出入りできそうなこともわかった。次に武器と潜入のタイミングだ。武器は問題ない。各自が管理していて、自由に取り出せる。彼女が軍事施設にいた頃は、武器は責任者が施錠管理していた。それに比べると安全管理義務が全く果たせていない。もっとも、自分が所属していた正規軍と、彼らのような場末の廃品回収業者を比べるのが間違っているし、家族のような暮らし方をしている彼らにとって武器の管理などはハサミやナイフと同程度でかまわないのだ。彼女の武器は昨日演習場で入手したブロードソード状の対物ブレードだ。性能的に過不足しないだろう。サーベルのように折れてしまうこともなさそうだし、もし壊れたら帰ってくれば良い。


 最後は潜入のタイミングについて考える。彼女の自室はもともとは救護室だったようで、ハッチがあるすぐ上のフロアにある。音を立てずに移動すればダンやナナクがデッキや自室にいたとしても、視界に入って気づかれるような恐れはない。ダンは下のフロアまで降りてくるようなことは少ないが、彼女の自室は倉庫やキッチンと隣接しており、ナナクと鉢合う可能性がある。彼女はナナクの指示の下で動くことが多い。そのため日中彼と離れて自由に行動できるタイミングは限られるが、言い換えればお互いの行動を把握しやすい。明日の探索はないため、必要な業務は家事の類と明後日の出発の準備だ。宇宙船の運用について彼女ができる仕事はないが、先ほどダンはナナクと出発のための打ち合わせをすると言っていた。ナナクにも何らかの仕事があるのだろう。壊れたエンジンの修理もこれからのようだし、二人がそれらの業務を行っている最中がチャンスだ。大きなステーションだとナナクは言っていたが、それでも1kmもないらしい。敵ロボットを無視して彼女が全力で走れば往復でも数分だ。奥の構造がどれほど複雑かは分からないが、探索時間は1時間もあれば十分だろう。あとは無事に探索を終えて戻ってきたあとに、ナナクへの言い訳を考えておけば良い。それを考えながら、アリスは自分の部屋に戻っていった。


 ………

 ……

 …


 一方で同じ頃、デッキに残ったダンとナナクは先程の探索時の録音を聞いていた。


『あれ?おかしいぞ。ALの0000って何さ?』


 農場の奥で出会った少女の発言だ。


「船長、これって。」

「ああ、そうだな。あいつが持ってたこのペンダントの刻印のことだろう。」


 ダンはコックピット横の箱に無造作に入れてあったロケットペンダントを再び手に取り、ナナクに渡す。


 そこには


<AL-0000 NAME:Alice ALICE-Frame>


 と刻印されている。


「最初は一体何かの暗号かと思ったけど、単にゼロが4個ってことなんだ。だとすると、ALICE-Frameってのはどういう意味なの?」

「さぁ、分からん。大体、この音声と同じこと言うけどAL0000ってそもそもどんな意味だよ。あいつを表すなにかの番号か何かか?でも普通こういう番号ってゼロはないよな。まぁ、聞けば分かるんじゃねぇの?」

「アリスは記憶喪失なんだよ。覚えてるかな。」


 アリスはナナクにここまで運ばれてきた当初のやり取りから記憶喪失だということになっている。彼女はそれを活用して自分の身分を隠しているのだ。


「いや、あいつが記憶喪失だってのは多分嘘だな。」


 ダンの指摘にナナクは黙ってしまった。ナナクだって薄々怪しいと思っていたのだ。


「まぁだからといって問い詰めることはねぇよ。言うつもりがないならば、あいつの場合は拷問しても無駄だろうし。どうせそのうち矛盾が出るさ。そうしたらサラッと聞いてみたらいい。」


 まるで名探偵のようなことを言うな、とナナクは思った。またダンが手荒な事をするつもりがないと聞いて安心した。


「それでだ、ナナク。本題はここから。俺はあいつをここに置いていこうと思う。」


 突然のダンの提案にナナクは驚いた。


「置いていくって、なんで?」

「いや無理だろ。普通に考えて。この軍事ステーションの廃棄物置き場みたいなところで放棄されていて、今日出会ったロボットだか何だかも、アイツのことを知っていた、と。どうせ仲間か何かだよ。このステーションが今まで見つからなかったってのも怪しい。まるで亡霊船みたいだと思わないか?お宝に誘われてやってきた探検家はみんな亡霊に食われちまう。」


 ダンは妙な例え話を持ち出してきた。朽ち果てた無人の船を意気揚々と探検していたら、亡霊に襲われ、自分たちの船も新たな亡霊船になってしまうような話だ。


「亡霊船って……、映画じゃないんだから。」

「亡霊はまぁ冗談にしても、だ。軍に聞いてもこのステーションが分からない、っていうのが怪しい。こんなデカいの、知らないはず無いだろ。つまり軍は何か隠してるんだよ。下手に深入りして何か事件に巻き込まれたらたまらん。だからあいつも元の場所に置いて帰る。」

「船長、そういう遺構の秘密を探るのが僕たちの仕事でしょう?」


 ナナクが訴えた。アリスをここに残していく、と聞いてナナクは不満なのだろう。


「意図的になにか隠してる建物を探索するのは俺たち回収屋の仕事じゃねぇよ!」


 そう言ってダンは両手を上に上げる。もうお手上げだ、という意味だろう。


「じゃあ、回収屋の仕事の話をするけど、『宇宙空間において何人にも専有されていないもの』の回収義務があるよね、僕たちには。」


 ナナクはなにかの法律用語のような言葉を並べて主張を始めた。


「ああ、そうだが、何を言い出すんだ?」

「アリスがいたのは廃棄物置き場なんだよ。それも酸素もない、氷点下以下の。少なくとも大気環境じゃないよ。」

「ああ、そうだな。……あっ、お前が言いたいのはつまり――」

「僕たちにはアリスを連れて帰る義務がある。」


 ナナクは真剣な眼差しでそう言い、ダンを見つめる。


「いや、あの法令の『義務』ってそういう意味じゃねぇだろ。」

「そうだけど、暴れる相手を無理やり縛って連れて行くならともかく、本人が一緒に来るつもりなんだからいいじゃないか。廃棄物置き場にいたなんて、あんまり言いたくないけど、その……イジメらたりしたんだよ、きっと。仲間がいたらあんなところに一人でいないよ。」


 ナナクの声が大きくなる。


「それに、責任持てって言ったのは船長じゃないか。僕の責任で連れて行くよ。」


 確かにダンは最初にナナクに対して責任を持て、という旨のことを言っていた。


「お前一人で負いきれる責任じゃねぇだろ。俺だって惜しいさ。あんなパワーを持ったやつは見たことねぇ。あいつがいれば相当ヤバい現場だって入れる。そんなヤベぇヤツだからこそ置いていこうって話してんだよ。俺たちの手に余る。」


 ダンが「手に余る」という言葉で何かに気づいたのか、腕を組んで、少し小さい声で独り言のように話し始めた。


「あれ?待てよ、仮に置いていくとして。大人しく従わなかった場合、どうすりゃいいんだ?綿棒でロボット叩き潰せるパワーがあるんだから、素手でも暴れられたらどうようもねぇ。」


 ダンの言葉を聞いたナナクはしたり顔で言う。


「ほらぁ、だから本人が行きたいって言うなら連れて行くしか無いんだよ。」


 アリスを置いていく、という決断をしたところで、どうやって置いていくというのだろうか。柱かどこかにしがみつかれたら、もうどうやっても動かせないし、殴って言うことを聞かせることももちろんできない。ましてや暴れだしたら手も付けられないだろう。


「マジどうすんだこれ……。」


 ダンは頭を抱えてしまった。


 すると突然コックピット脇のインジケータが点灯した。


『メインハッチ解錠』と表示されている。


「あれ?ハッチ開いてる。」


 ダンが気づくとすぐに『メインハッチ施錠』と表示が切り替わる。


「何だ何だ、一体?」


 ダンは上部のモニターを操作して、映像を表示した。監視カメラの映像だ。


「アリスだね。船長が日次点検するように言ったでしょう。」

「いや、そうだけどよ……、あいつ何してんだ?」


 監視カメラの映像の中でアリスは操作盤をいじったり、レバーを引いたりと、なにかの作業をしていた。そしてハッチを開いた。アリスは船内に監視カメラが何台もあるとは思っていないのだろう。しかし実際は全ての通路や部屋に監視カメラがある。初日に船内に侵入したロボットをアリスが破壊した様子の映像も、これらの監視カメラが記録したものだった。不審者を監視するというよりは、異常発生時の記録を取るという意味合いが強いのだが、この場合はアリスの不審な行動がすべて記録されてしまっている。


「あ、外出ていったぞ。このまま帰ってこなければ都合いいな。」

「ちょっと、船長!」


 ナナクの声を無視して、ダンは映像をハッチの外のカメラに切り替えた。ハッチを閉めてまた開けて、中に戻ってきた。彼女の謎の行動にダンは呆れてしまった。


「点検しようとしてんのかね、これ。法定検査じゃあるまいし、どんだけ時間かけてんだ。ナナク、やり方はこの前あいつに教えたんだったよな?」

「うん、チェックリストの場所も教えたよ。ほら、よく見て、右手に持ってるよ。」


 ナナクは、映像内のアリスが持つ電子ボードを指さした。


「一回見せてあげたから、アリスなら融通を効かせてくれると思ったんだけど……。」

「まぁいいや、あいつをどうするかはまた別途考えよう。それよりも、エンジンの修理と入港の準備しないとな。」


 ダンとナナクはエンジンの修理や帰還のための工程の打ち合わせを再開した。予定より早い期間となるため、母港に付く前に急いで手配しなければいけないものが多いようだ。打ち合わせは夜まで及び、二人には久しぶりの残業となったようだ。


 ………

 ……

 …


 翌朝、朝食を片付けたアリスとナナクは宇宙船のとある一室に来ていた。昨日の造形機が作り終えた部品を取りに来るついでにちょっと休憩をしよう、とナナクが誘ってきたのだ。その小部屋にはいくつかのトレーニングマシンが置いてあった。宇宙船の中のスペースはそれほど余裕が無いのでマシン同士の隙間は殆どなく、倉庫のようにも見える。


「ここはジムだよ。マシンはこれしかないけど、航行中は運動不足になりがちだから。これで体の衰えを防ぐんだよ。」


 ナナクがそう言いながらいくつかある機器のうち、ランニングマシンの上に乗りスイッチを入れる。


「君にとっては必要ないかもしれないけど。あ、でもどうなんだろう?一応聞くけど、君もトレーニングが必要だったりするの?」


 走りながら彼が発した質問に、アリスは答えない。どう答えたら良いのかわからなかったし、実際自分自身でもトレーニングが必要なのか、よくわからない。彼女の返答を待つのでもなく、ナナクはランニングマシンを止めて、その横にある機器のスイッチを入れる。


「こっちはボクシングマシンだよ。」


 2段に分かれた表示の上側の数字が180から1秒毎に減っていく。その下の数字はパンチの回数だろうか。ナナクが中央にぶら下げられたパンチングボールを叩くたびに、1、2、3と増えていく。何回か叩いた後に、彼が少し首を傾げる。


「久々に使おうとしたから、なんだか張り方がおかしいみたい。緩めるための調整工具を取ってくるからちょっと待ってて。」


 そう言うとジムから出ていってしまった。アリスがひとり残される。ボクシングマシンの秒数カウントは相変わらず減っていく。まだ150秒以上ある。手持ち無沙汰になった彼女はパンチングボールを右手で叩く。すると数字が7、8、9と増えていく。特にすることもないので、この動いているマシンで少し遊んでいようと、足を開き連続してジャブを繰り出す。ボールの高さが男性に合わせてあるのか、パンチを真ん中に当てるためにはかなり上段に構えるような打ち方になるが問題はない。全力ストレートを打つと、きっとこのマシンも昨日の戦闘ロボットと同様の鉄塊になってしまうので力加減が必要だ。パンパンパン、と打ち込む。もっと速くても大丈夫そうだ。


 パタタタタタタ。


 電動工具のような異常な速度でジャブの連射を打ち込む。パンチのカウント数は既に300を超えて、数字の上には「Best Record!!!」の表示がされていた。残り100秒ほど、まだ速度を上げても大丈夫だろうか。


 3分ほど経ってナナクが工具を持って戻ってくる頃、廊下にはブオーンとも、バリバリバリとも聞こえるような妙な低周音が響いていた。ボクシングマシンのタイマーが0になった瞬間にその音は止まる。そして残像しか認識できないほど高速で動作していたアリスの右腕の動きも止まる。今の謎の騒音は、パンチがあまりに早すぎて連続音と化し、機械の低周波騒音のようになっていたものだ。そうと知らないナナクがジムに戻ってくる。


「今この部屋から変な音聞こえなかった?」


 ナナクがアリスに問いかける。


「え、特に感じなかったけど。」


 アリスはそう答えるが、その後ろのパンチングマシンには「4516Hit! Best Record!!!」と表示が明滅していた。


「あれー?センサ部分も壊れちゃってるのか。これは僕らじゃ直せないよ。」


 そう言ってナナクは残念そうな顔をする。実際はどこも壊れていないのだが、それを説明するとややこしいのでアリスは黙っていることにした。修理を諦めたナナクは、他の壊れていないものは自由に使って良いとアリスに伝え、本来の目的であるエンジン部品を取り出しに、通路の奥の造形機へ向かった。


 ナナクが造形機のカバーを開ける。昨日チューブに入った材料を詰め込んでいたカバーの隣だ。プレートの上に大小様々な部品が並んでいた。昨日から今朝にかけて造形機が出力し、並べられたものだ。それをナナクの後ろから見たアリスは感心した。過去に造形機を見たことはあったが、エンジン部品のような高度なものが出力される様子を見るのは始めてだった。


「なんだか、小さい部品がいっぱいね。でもこれ部品よね。ナナクが組み立てるの?」

「いや、船長しか直せない。まあ、僕がやっても一応は組み上がるんだろうけど、精度が悪いからなのか、パワーが出ないんだよ。」


 ナナクはカゴに保護用のシートを敷いて、部品を取り出しながら話を続けている。


「不思議だよね。同じマニュアル見ながら同じ作業してるはずなんだけど、出来上がりの最終調整で結果がぜんぜん変わるんだよ。」


 職人技、という単語をアリスは連想した。どれほどハイテクが進んでも、エンジンのような複雑かつ高度な機械を作るには、定量化、明文化できないノウハウが残るのだ。完全な自動化、機械化はこの時代でも不可能なのだろう。


「触ってみてもいい?」


 アリスはこの時代の機械がどんなものなのか気になり、ナナクに許可を求めた。しかしナナクの回答は残念なものだった。


「えーっと、ちょっとやめて欲しいかも、精密部品だしね。」


 それを聞いたアリスが落ち込んだ顔をする。ナナクはごめんね、というが、彼が悪いわけではない。アリスも、繊細そうなこの部品を素人が触るのはあまり良くなさそうだ、ということは分かっていた。


 ナナクはすべての部品を取り出し終えると、取り出し口に頭を突っ込んで周囲を点検した。そして奥を指さしながら「よし」という不思議な言葉を発してからカバーを閉めた。


「それじゃ、これ持って船長のところへ戻ろう。」


 そう言ってあるき出した途端に、ガコンという低い音が船内に響き、床が大きく揺れた。


「わわわっ。」


 部品を持ったナナクが体勢を崩すが、アリスが受け止める。出来立て部品を床に落としてすべてガラクタになってしまうところだった。


「アリス、ありがとう。でも今のなんだろう?」


 彼にも理由がわからないようだ。


「ダンさんが外で作業しているんじゃないの?」

「いや、それはないよ。直す部品はここにあるんだし。」


 ナナクも首を傾げた。


「まぁいいや、一旦上に戻ろう。」


 ナナクは丁寧に部品を抱えながらデッキのある一番上のフロアまで上がっていった。


 ………

 ……

 …


 デッキへ戻ると、ダンがコックピットに座って忙しなく動いていた


「船長、エンジンの部品取ってきたけど、さっきの揺れって何?」

「ナナク、一応聞きたいんだが、係留要求なんかしてないよな?」

「係留?一体何の話?ずっと下にいたけど。なにか別のトラブルでも起こったの?」


 ダンはナナクの質問をよそにコックピットのモニタを使って様々な機器や映像を確認している。そして結論が出たのか、手を止めた。


「だめだ、あっちから握られてる。出れねぇ。どうすんだこれ。」


 ナナクの後ろにいたアリスが心配そうに顔を出してダンに話しかけた。


「一体どうしたんですか?」


 ダンはコックピットから立ち上がりデッキまで下がってきた。


「どうもこうもねぇよ。この廃棄ステーションのインフラ側から係留されて、離陸要求してもディナイされる。俺たちを逃がすつもりはないってか?」

「な、何の話ですか?」


 ダンが声を荒らげるが、アリスには一体何の話かわからない。ナナクも状況が全部分かったわけではないのでダンに質問した。


「船長、普通の宇宙港みたいに係留されてるってこと?廃棄ステーションなのに?こっちから係留要求出したわけではないんだよね。」

「ああ、そうだ。だが、プロトコル上はインフラ側から一方的に固定できる。本来は安全対策だな。」


 ダンの話を聞いたナナクが補足してくれた。


「アリス、何の話かって言うとね、普段、宇宙港に入るときは、宇宙港の方から僕たちの宇宙船を固定してくれるんだ。それで、出発するってときには解除してもらえる。だけど、僕たちが今いるような廃棄ステーションではもちろん固定なんてしてもらえない。そのままだと、どこかへ飛ばされてしまうから、宇宙船側の固定装置を使うんだよ。でも、今は普通に入港したときみたいに、向こう側から固定されてしまったんだ。それがさっきの揺れだね。管制塔から外してもらわないと。帰れないんだよ。」


 ダンがアリスに詰め寄った。


「おい、お前の仕業だろ。どういうことだよ。フザケてねぇでさっさと解除しろよ。」


 アリスには何の話か全く心当たりが無いので困ってしまう。一体何を誤解しているのだろう。


「おまけに電波ノイズも大きくて通信すらできなくなった。お前は一体何者だよ。」


 アリスは言葉に詰まった。今までノラリクラリとごまかしてきたつもりだったが、ついに自分の正体について問い詰められてしまった。


「わ、分かりません、私にはなんのことだか……。」


 そのやり取りの間にナナクが割って入る。


「船長、落ち着いてよ。アリスがそんな事するはずないだろう。アリスだって僕たちと一緒に帰りたいって言ってたじゃないか。ね?」


 アリスの方を振り返り念を押すように聞いた。


「え?う、うん。」


 アリスはこう答えるので精一杯だった。続けて、ナナクはダンに反論した。


「昨日僕たちが出会った人。人って言っていいか分からないけど、誰かと通信していたんだよ。船長も聞いてたでしょう?怪しいのはあっちだよ。きっと僕たちに用があるんだよ。」


 ダンは黙ってしまった。突然の拘束に動転してアリスを疑ってしまったが、ナナクの主張のほうが、より正しそうだ。


「だったらどうするんだよ、ナナク。離陸要求も明確に拒否されるんだぞ。タイムアウトじゃない、ディナイだ。」

「アリスと一緒に行ってくる。」


 ナナクの突然の提案に、ダンは力の抜けた声でこう聞くほかない。


「はぁ?どこへ?」

「管制塔まで。昨日の二人に会って、アリスを連れて帰るように交渉してくる。離陸許可も出してもらう。じゃ、僕たちは行ってくるから、船長はエンジン直しておいてよ。部品は全部ある。」


 ナナクはアリスの腕を掴んでデッキを出ていこうとした。


 ナナクの急な行動に圧倒されたダンは少し冷静になった。昨日、アリスを回収するための責任を取れるか、と言ったことを思い出した。これは彼なりの責任のとり方のつもりなのかもしれないが、行動がいささか短絡的だ。


「わかったナナク。ちょっと落ち着け。ナビ無しでお前を送り出すわけにはいかねぇよ。まずは待て。俺がエンジンを直す。その間に離陸許可が出たら、このディナイはなにかの不具合だったってことだ。そのまま帰る。直したあとでもダメならば、管制塔を目指す。こいつがこの船を出ただけで離陸許可が出るならば、原因はこいつだ。そのまま置いて帰る。そうじゃなければどっちにしても、離陸許可を送らねぇと、ここから出れねぇ。管制塔にいる野郎をぶん殴ってでも離陸許可貰ってこい。」


 今のやり取りを聞いていたアリスは思った。ダンの指示は的確だ。リスクとコストの低い順から原因切り分けして解決するのだと言う。軍人上がりの船長という肩書と普段の言葉遣いから粗雑な人物との印象があったが、全くそんなことはない。この広大な宇宙空間をたった二人で航行しているのだ。緻密でなければ生き残れない。ナナクから聞いたエンジン修理の技術の件も含めて、言わば一流の『職人』なのだろう。


 この場は落ち着いたものの、彼女はどうしたら良いかわからずその場で立っていた。するとナナクが口を開いた。


「分かったよ、それで行こう。まずはエンジンを直すんだよね。なにか手伝うことはある?」


 それを聞いたダンは様々な指示をナナクに出した。一方でアリスはすることがない。


「あの、ダンさん。私もなにか手伝いましょうか?できることってありますか?」


 この場の雰囲気を紛らわすためにも、彼女はなにか仕事が欲しかったのだが、ダンは短く「無ぇよ。」とだけ言い、部品の組立作業に取り掛かってしまった。彼女はそのままナナクに目線で助けを求めた。するとナナクは彼女を気遣いちょっとした仕事を与えてくれた。


「アリス、ごめんね。何かの誤解というか……。まぁ大丈夫、もうすぐみんなで帰れるよ。そうだ、紅茶かコーヒーでも淹れてきてもらえるかな。僕はミルクティーで。船長は?」


 ダンはアリスの方をちらっと見て、「ブラックコーヒー、ホットで。」と注文を告げた。ダンにとっても少し気まずい。今しがた疑った相手に何かを要求するのは。ナナクもこのやり取りを狙っていたのかもしれない。


 アリスは注文通りにミルクティーとコーヒーを作るためにキッチンまで降りてきた。ポットに水を入れてヒータの電源を入れた。カップ2杯分の量なら湧き上がるのに1分もかからない。そのまま少し待つことにした。


 ここで彼女は考えた。この注文を終えたあと、おそらく自分にしばらく仕事はない。しかも、ダンとナナクはエンジンの修理で手一杯だろう。しばらく一人で自由に行動できそうだ。そのため昨日計画していたように、ステーション内部へ探索へ向かうことが可能だ。だが昨日の想定とは大きく状況が異なってしまった。そもそもこの宇宙船は出発しようにも出発できないのだ。仮に自分が外出している最中に宇宙船の拘束が解除されたとすると、宇宙船は今いるバースから離れてしまうだろう。出発は明日の朝と聞いているが、この状況で明日の様で悠長に待つとも思えない。自分が彼らと行動していたことで宇宙船が拘束されている、とダンが考えているならなおさらだ。そうなると、ここに取り残されてしまう。最も避けたい状況だ。


 昨日会った人物とその発言はとても気になるが、人が住む場所へ無事に移動することの優先度の方がずっと高い。それに、先程のダンの計画だと、エンジンの修理を終えてもなお出発ができないようならば、ナナクとともに管制塔へ乗り込もうという話だった。堂々と探索できるため、こちらのパターンのほうが都合が良い。二人で宇宙船を出た後に宇宙船が開放された場合、ダンの計画だと自分は置いていかれることになるが、その場合はナナクも外にいるのですぐに出発することはない。先に宇宙船だけ切り離すとか、後から何らかの方法で合流する方法を考えればよい。うまく立ち振る舞う必要はあるが、ナナクも自分を連れて行く意思を示しているようだし、あまり悲観する必要はないだろう。


 こうなると一番不確定なのが管制室まで行って宇宙船を開放してもらえるのかどうか、という点だ。昨日会った人物の様子を思い出すと、最低でも二人いる。しかし二人だけ、と仮定するのも危険だ。いろいろな遭遇のパターンをシミュレーションしておく必要がある。


 アリスはじっと考えていたがふと気づくとポットがもうもうと水蒸気を上げていた。ヒータを止めてミルクティーとコーヒーを作らなければいけないことを思い出した。まずはこの注文を仕上げてしまおう。考える時間はまだある。出発は明日の朝だ。出来上がった飲み物をトレーに乗せて、こぼさないように丁寧に階段を上がっていった。


 ………

 ……

 …


 およそ1時間後、大量にあった小さい部品はいくつかの大きなユニットに組み上がっていた。先程アリスが淹れたコーヒーは全く口が付けられておらず冷めてしまっていたが、ダンは一気にそれを飲み干した。


「よーし、組み付けるぞ。外、行ってくる。」

「部品は、いつもと同じく、パスボックスに入れておけばいいね。」


 ダンは船外作業用の宇宙服の用意を始め、ナナクは重さやサイズを確認しながら運び出す準備をしていた。


「アリス、重い部品がいくつかあるから手伝ってよ。」


 彼はそう言ってアリスに手伝うように頼んだのだが、実際のところ重いといってもたかが知れている。エンジンを組み立て始める前に、彼女を置いていくという話をしたことで、その間ずっとうつむいて考え込んでいた姿を見ていたからだった。


 『いらない子』ではないと言うためのナナクの配慮だ。


 実際のところは落ち込んでいたのではなく、管制塔へ乗り込むにあたっての図面演習を頭の中で考えていただけなのだが。


 その後、二人は部品を持ったままデッキを出て、倉庫のフロアまで降りてきた。物品を受け渡すための小型のハッチ、パスボックスにそれらを丁寧に入れる。一度に全部は入り切らないので、半分ほどを並べた。ナナクは順番も分かっているのだろう。パスボックスのドアを締めて、4箇所のレバーを締めると、シューという音がしてパスボックス内部の空気が抜かれた。内部を真空にして、宇宙船の外から取り出せるようにするためだ。


 10分ほど待っていると宇宙服を着たダンが作業用のゴンドラに乗って現れた。アリスはパスボックス横の小窓から彼を確認すると手を降ってみたが、ダンはこれといった関心を示さなかった。パスボックスの外側のドアを押し開けて、先程ナナクが置いた部品を取り出した。ダンがすべての部品を取り出し、エンジンの方へ移動を始めたのを確認したところで、ナナクは先ほどと同じ手順で残りの部品を入れた。ナナクの話では、修理は長くても2時間程度で終わるそうだ。外した部品や追加の工具の出し入れがあるかもしれないのでナナクはここに残ると言う。アリスも特にすることが無いので横で待つことにした。


 ガタンガタンと、エンジンを直す振動がときおり船内にも響くが、二人は会話無くしばらく佇んでいた。その沈黙を先に破ったのはナナクだった。


「あのさ、アリス。なんとなく最初の雰囲気で君を連れて行くことになっていたけど、君はどうしたい?」


 当初は無人の廃墟と考えていたこのステーションだが、何度か内部を探索するうちに、無人でも廃墟でもなさそうだ、ということが明らかになってきた。廃墟からであれば、命の恩人であるアリスを連れていくことに躊躇いはないが、そうでないならば住処を離れて引っ越ししようと提案しているに等しい。彼女は廃棄物置き場で倒れていて、なおかつ記憶喪失だと主張しているので、このステーションに強い思い入れはないと信じているが、ナナクは確認が持てなかった。


 しかしアリスはナナクがそんな複雑な思いを持っているとはつゆ知らず、今更の質問にかえって驚いた。彼もダンのように自分をここに置いていこうと言うのか、と思ってしまった。それは困る、と。


「え?一緒に行ってもいいって思っていたけど、ダメなの?」

「いや、ダメではないよ。船長はアリスのせいでここを出られないって言ってるけど、そんなことはないんだよね?だったら一緒に帰れるさ。でも、ここにも何人か住んでいるみたいだよね。君も、もしかしてここに家族や友達がいるのだとすると、離れるのは寂しくないかな、って思ったんだ。」


 ナナクは勘違いしているようだが、アリスはこのステーションに一切の思い入れはない。そもそもここにいること自体に全く、身に覚えがない。ここで記憶を失ったのではなく、100年以上前にロケットで打ち上げられてからナナクに助け出されるまでの間ずっと眠っていたのだと、彼女は考えていた。


「大丈夫よ。ここには家族や知り合いはいないわ。」


 ここには家族もいない、友達もいない。家族や友達がいたのは、今では雪玉と呼ばれている眼の前の惑星だ。もちろん、彼らとて誰一人生きていないだろうが。彼女は単にそう考えて答えただけだ。


 しかしその言葉を聞いたナナクはまた違う解釈をした。ナナクが彼女に出会ったとき、彼女は廃棄物置き場のような場所で、全身ボロボロで、片腕がもぎ取られたように痛めつけられていたのだ。このステーションの住人に執拗に暴力を振るわれたのかもしれない、と考えた。だから、家族や知り合いはいない、と言ったのだ。


「アリス、ごめん。変なこと聞いて。……僕たちといればもう平気だから。安心して。」


 ナナクが悲痛に満ちた顔をする理由が彼女には分からなかったが、とにかくこの宇宙船に引き続き乗っていて良いと聞いて安堵した。静寂の中、二人は見つめ合うが、その状況にふと気づいて気恥ずかしくなったナナクは目を逸らした。ちょうどそんなタイミングで、ダンの声がナナクの持つ端末から聞こえてきた。


<今から外した部品入れるから、エアパージしておいてくれ。>

「はーい。」


 ナナクがパスボックス横のボタンを押すと先ほどとは少し違うカチカチという音がしてランプが点灯した。


「準備できたよ。と言うかさっき船長がそっちから出したからすでにパージ済みだよ。」

<いやまぁそうなんだろうけど、念のためだよ。>


 少し待っていると小窓の先にダンが現れ、パスボックスのドアを開けて何かを入れたようだ。そしてナナクがパスボックスを操作して、中に空気を入れ、ドアを開けて取り出した。


「アリス、これをデッキの机の上に置いてきて。もう使わない部品だけど、後で詳しく調べるから落とさないでね。」


 アリスはナナクから部品のようなものを渡された。ひしゃげた細い金属パイプのようなものだが、腐食して何箇所か穴が開いている。見た目よりも軽いが、一体何でできているのだろうか。アリスの知る時代の技術より、多少は進んでいるのかもしれない。


 こうして2時間ほどかけてエンジンの修理を終え、3人が再びデッキに戻ってきた頃には時刻で言えば夕方になっていた。低軌道を周回する彼らにとっては昼や夜という概念は本質的な意味を持たないのであろうが、生活リズムを保つためにも昼や夜といった表現をするし、時計も必要だった。地球で生活したことがないダンやナナクにとっては形式上の時間割り振りでしかないであろう。もっとも、アリスにとっても生まれてからずっと地下施設での生活であったため、今の彼らと状況はほとんど同じだ。太陽に支配された、本物の昼や夜を見たことはあっても、日の出から徐々に明るくなって、正午を過ぎて、日が沈み暗くなる、という様子を実感したのはたった数日しか経験が無い。時計も就寝時間までのペースメーカーでしか無い。


 アリスは、そろそろ夕食の準備をしないとな、と思いながらナナクから何か指示があるのを待っていたが、そのような様子はない。ダンとナナクは今取り外した部品をテーブルに並べ、観察していた。外部から破壊された、とダンが言っていたので、どのように破壊されたのかを調べているのだろう。ダンは右目側に顕微鏡の付いたメガネ状の器具を装着し、腐食し、破壊された部品の表面の観察を始めた。


「ダンさん、何かわかりましたか?」


 することがないアリスはこうやって適当に聞いて場の空気を保つことしかできない。


「う~ん、爆薬でもレーザでもねぇな。パルスガンだろう、これは。」


 ダンはそう言うと、次の部品を手に取った。


「あぁ、こっちもそうだ。間違いない。」


 パルスガンと言えば、ナナクが普段携行している武器だが、宇宙船のエンジンカウルを突き破って内部の配管などを破壊するには相当の威力が必要だ。


「この部品がこう付いてて、こうだから……。」


 ダンはテーブルの上の破損した部品を並べ替えて考えていた。


「あっちの方向だな。」


 そして立ち上がり、窓から外を見た。その方向には今いるステーションの外壁が続いている。


「ナナク、あっちの方から射撃されたとしか思えねぇんだけど、なんか見えるか?」


 ダンにそう聞かれたナナクも窓の外を見たが、何も見つけられないようだった。彼は自室に双眼鏡を取りに行って再度観察したが結果は同じだった。デッキは宇宙船の最上階であり、一方でエンジンは最下部にある。角度の違いで死角になって見えないのかもしれないと判断した。ダンは悩んでいた。何者かに自分たちの行動が妨害されているのは明らかだが、一貫性もなく目的もわからない。


「一体どういうことだ?エンジンがパルスガンで焼かれ、それが直りそうだと思ったら、今度は係留されて動かねぇ。誰かが訪ねてくる気配もなければ通信もねぇ、そもそも今朝から電波障害だ。」


 ダンはアリスの方を見ながらナナクに問いかけた。


「ナナク、こいつが目を覚ましたのは一昨日だっけ?」

「え?いや、その前日、3日前の夕方だね。」

「夕方か……。それでエンジンが攻撃されたのはその日の朝だ。それで、その日の夜に変なロボットが一台侵入したな。あれ以来、来てねぇけど。」


 ダンはそのまま考え込むが、結論は出ない。


「この宇宙船を爆破しようと思えば簡単にできるはずなんだ。この前ナナクが倉庫で見たロケットランチャー使えば一発だ。あー、分からん。破壊するでもなく、追い返すでもなく、まるで俺たちの反応を観察しているようにも見える。」


 それを聞いたナナクが意見を述べた。


「観察?そうか!実際に観察されてるんじゃないかな。だから昨日の変な犬のロボットに追いかけ回されたりしたんだよ。やっぱり明日、管制塔へ行くよ。行って、話をつけてくる。」

「話をつけてくる、って言ったところでお前、一体何を交渉してくるんだよ。大人しく帰してくれると思うか?さっきは、ぶん殴ってでも~って言ったけどよ、暴力が通じる相手なのか?」


 ナナクは言葉に詰まってしまった。ダンの言うとおりだ。アリスと管制塔に乗り込んで制圧したところで、宇宙船を開放しない、あるいはそもそも開放できる管理者がいない、という場合もある。困ったナナクのかわりにアリスが返答した。


「ダンさんが心配するのはわかります。でも平気です。私が解決してきます。ナナクの安全も守ります。」


 論理的な根拠はないが彼女には自信があった。このようなことは初めてではない。彼女も別にダンの疑問に答えたわけではないのだが、堂々と、はっきりと言い切るその姿に飲み込まれそうになった。


「でもよぉ、元はと言えばお前のせいなんじゃねぇのか?」


 ダンがいぶかしむ。


「いいえ、違います。それに私、こういうの、得意なんです。」


 一体何を根拠にそんな事を言うのか、とダンは思ったが、彼女の今までにない態度には諦めざるを得なかった。それに、得意と言うからには過去に経験がある、と言うことだが、一体アリスは過去にどんなことをしていたのか?記憶喪失、という主張は、過去を詮索されないための方便だということだと、ダンにははっきりわかったのだが、今更そんな話をしても意味がない。アリスが畳み掛ける。


「ダンさんが私を疑う理由は理解できます。ならばなおさら、この問題は私が責任を持って片付けます。危険そうならば、ナナクには一人で帰ってもらいます。」

「まったく、妙な表情しやがって……。分かったよ。それじゃ、当初の計画通り、明日の朝まで待っても離陸要求が通らなかったら再度探索する。電波が飛ばねぇから遺構の探索申請は送れねぇけど、緊急避難ってことでいいだろう。どっちみち決まるのは明日の朝だ、今日は早めに飯片付けて寝るぞ。」


 ダンがそう言って立ち上がり、ナナクに片付けを手伝うように指示した。アリスは夕飯の準備をするように言われ、一人でキッチンに降りていった。キッチンで夕飯の準備をしようと思ったアリスだが、単に準備をしろと言われると困ってしまう。今まで料理の経験など殆どないし、献立を考えたことなどなかったのだ。ここは宇宙船なので普段は本格的な調理をすることはなく、単に食材を加熱する程度なのだが、一体何を作ればいいのかさっぱりわからなかった。するとナナクがキッチンに顔を出してきた。


「アリス、一人じゃ無理だよね。僕がやるよ。」


 ずっと働き詰めのナナクを思い、彼女は断ろうかと思ったが、実際一人では何もできず、迷惑をかけるだけだった。仕方がなく、いつものようにナナクがキッチンに立ち、アリスが手伝う、というスタイルに落ち着いた。食材を袋から出しながらナナクが話しかけてきた。


「アリス、そんなに思いつめなくてもいいよ。明日には帰れるさ。なんの問題もなく離陸できるようになるかもしれないし、管制塔に行かなきゃいけなくなっても、なんとかなるよ。君はあんなに強いんだから、君をイジメてたやつがいたとしても、仕返ししてやればいい。君はもう、ひとりじゃないんだよ。僕のことも、もっと頼ってよ。」


――君はもう、ひとりじゃない――


 その言葉を聞いたアリスはぺたりと座り込み、思わず泣き出してしまった。悲しいのか嬉しいのか、自分でもよくわからない。誰か他の人間に会いたい、そういう想いで彼女はここまでやってきたのだ。彼女は生まれた時から孤独が運命づけられていた。生みの親にも、一人で戦えと言われ、実際にそうやって生きてきた。それは、いつかあの『雪玉』に人間が戻れる日が来ると誰もが願っていたからだ。そのために、一人には大きすぎるあの惑星で一人戦っていたのだ。瀕死の重傷を負ったことさえあった。いや、その時はまだ本当に一人ではなかったのかもしれない。様々な人達の願いが残り、彼女とともにあった。それでも彼女の記憶の最後、すべての戦いが終わったとき、同じく彼女はすべてを失ってしまった。


 ところが、気がついてみれば、今こうやって目の前に仲間がいる。数百年越しの願いが実現した。彼らを守ることが彼女の新たな使命になったのだ。


 彼女はポツリ、と溢れるようには話し始めた。


「私、ずっとずっと一人だったの。とても長い間。」


 ナナクは手を止め、アリスと同じように姿勢を下ろした。


「誰かいないかって、ずっと探していたの。」


 ナナクは棚の横にしまってあった小さいタオルを手にとってアリスの涙を拭いてやった。


「そうして、気がついたらナナクとダンさんに助けてもらって。それで、3人でこうやって仕事して……私は大して役に立っていないかもしれないけど、それでもこうやって生活して。ずっとこうしたかった。これを実現するために私は生き残ってきた。」

「いや、君が役に立ってないなんてことはないよ。そもそも、君がいなかったら僕は今頃、死んでいたんだ。それから、あのステーションの中で戦車と戦った時もそうだ。あんなに強いんだ。すごい活躍だよ。それに船長も、君がいればどんな場所だって探索ができるって言ってたんだ。これは本当だよ。」


 アリスは泣き止んでいた。


「大丈夫だよ、アリス。泣かないで。辛いことを思い出させてしまってごめんね。そうだな、君をこんな目に合わせた奴らなんか放っておこう。こんなひどいところは早く出よう。君にひどいことをしたやつがいたら教えて欲しい。そいつは僕が一人で相手する。もう君を一人ぼっちにはしないよ。約束する。」


 少し落ち着いたアリスは、彼の話が自分の思いと少し食い違っていることに気が付いた。ああ確かに自分の言い方だと、この廃棄ステーションでずっと一人だったかのように聞こえるな、と。実際はそうではなく、あの広大な『雪玉』で一人だったのだが。それと、まるで自分が迫害を受けていたような言い方だが、そのような記憶もない。彼女の記憶にある人たちは皆優しかった。異質な自分が排除されるのではないか、と心配してくれる者さえいた。彼らから授かった様々な言葉がなければ今頃とっくに討ち死にしていただろう。


 自分の正体についてもどこかできちんと話さなくてはいけない。このような事件に巻き込まれてしまい、今更一般人だとは思われていないだろう。普段のダンやナナクたちの軽い振る舞いで紛れてしまうが、実際に宇宙空間で生き抜いていくのはとても過酷だ。彼らとその周りにいるすべての人達を守り切るには、隠し事を貫き通すのも無理がある。過去に彼女は誓ったのだ。みんなの大切な人を守る、それが自分の生まれた理由だ、と。


 しかし、今はまだそのタイミングではない。昨日出会ったパーカーの少女と、その背後にいるであろう者達もいるからだ。彼女の話し方を思い出す限り、自分のことを不審がってはいたが、まだ正体に気づいていないようだった。一体、何の目的で接触してきたのかはわからない。単に農場を荒らす自分たちを追い返しに来たとも思えない。


 明日、管制塔を目指してステーションに再度侵入すると、彼女にまた会うことがあるかもしれない。どのような交渉か、あるいは戦闘になるかもしれない。ナナクに対しては少々不誠実かもしれないが、使えるカードは隠しておいたほうがいいだろう。


 アリスはゆっくりと立ち上がった


「えっと、驚かせてしまってごめんね。もう平気よ。ナナク一人で戦わせるなんてしないわよ。ここで戦うのが私の一番の仕事でしょう。危険な仕事は私がやる。あ、もちろんナナクの支援射撃もとても助かっているわよ。十分、頼りにしているし、頼らないと戦っていけないわ。」


 そう言うと、ナナクの手から先程のタオルを取り、残った涙を拭うように顔を拭いた。そして笑顔でこう言った。


「さぁ、調理を再開しましょう。私のせいで中断しちゃった。きっと、ダンさんが待ってる。」

「ああ、そうだね。」


 二人は作業を再開した。ナナクは鍋に材料をいれ、加熱する。野菜と肉のスープのようだ。ナナク曰く、これでも多少は豪華な方らしい。明日には帰路につくので、傷みやすい葉物は早めに食べてしまうそうだ。航行中は無重力なのでスープは作れない。宇宙船の食料事情はあまり良くなさそうだ。量だけで言えば相当量の備蓄があるので餓死する心配はないとのことだが、例の「圧縮パン」と干し肉ばかりでは仕事をする気も失せよう。思えばアリス自身もまともな食事を摂る環境にいたわけではなかった。例えば今日のスープや、先日のピザなどを口にしたことは殆どない。相変わらず何の肉かアリスにはよくわからないが。


 鍋の底の方から小さな泡がぷくぷくと上がってきた。その様子を一人でじっと見つめる。明日には全てが決着する。ヒーターのジーという音、鍋がコトコト音を立てる様子を聞きながら、アリスは目を閉じた。


 数分後、ヒーターがピロリピロリと調理完了の音を上げる。ナナクはちょうど片付けを終え、あとは配膳するだけだ。ナナクが目を閉じた彼女の様子に気がついた。


「あれ?どうしたの?寝ちゃった?」

「いいえ、起きているわよ。」


 アリスは目を開けた。


「明日は、頑張らないといけないわね。ナナクのボディーガードもやらないといけないから。」

「なんだか、その言い方やだなぁ。間違ってはいないんだろうけど。」

「冗談よ。」


 アリスはフフッと笑って緊張を解した。ダンの言う通り今日は早めに寝て、明日に備えよう。


 ………

 ……

 …


 翌朝、ナナクとアリスが身支度を整えて、ちょうど同じタイミングでデッキに上がってきた。ダンはすでに前方のコックピットに座っていた。


「ダンさん、おはようございます。」

「船長おはよう。」


 二人の声に気がついた彼は振り向き、シートの背もたれ越しに、挨拶を返した。そして、立ち上がり、ナナクに告げた。


「やっぱりダメだ。出れねぇ。」


 宇宙船が離陸できない、という意味だ。昨日から状況は好転していない。つまり、管制塔へ向かう必要がある。


「じゃあ、朝食の後にブリーフィングだね。今から用意するよ。」


 ナナクはそう言ってデッキからキッチンへ降りていった。アリスもそれに付いていく。朝食はいつものパンだった。もそもそしているが、最初からこういうものだと思って慣れてくれば、ジャムやバターにドライフルーツに、と色々楽しみ方はある。食事のあいだ、普段のダンとナナクは仕事の計画か、あるいは他愛もない話題を話しているが、今朝はダンは電子ペーパーのようなものを脇において、何かを考えながら食べていた。あまり行儀がよろしくない。アリスはそう思ったが、これから二人がステーション内部へ侵入するための準備を始めているのだろう。この場合は仕方がない。


 その後、朝食とその片付けを終え、3人はデッキに集まっていた。ブリーフィングが始まる。ダンが最初に口を開いた。


「さっきも見てみたが、まぁ予想通り、状況は昨日と変わらず。離陸要求を送ってもディナイされる。」

「船長、このステーションの古い設備が壊れてる、とかそういうのじゃないの?」

「そのへんは上手く出来ててな、故障の場合はこっちの意思で開放できるようになってるんだよ。それが出来ないってことは、システム自体は正常だし、向こうで誰かがきちんと監視してるってことだ。」

「やっぱり僕たちが行ってくるしか無いんだね。」

「ああ、そうだ。今回の探索は今までとは全く性質が違う。探索というよりは偵察だ。回収屋じゃなくて、探偵か警察のような仕事だな。」


 偵察・探偵と聞いたナナクは最近読んだ小説を思い出した。違法な武器売買のシンジケートを壊滅させるストーリーだった。自分が主人公になったかのような気分だが、危険を犯すのも自分だ。しかし不思議と恐怖感は覚えなかった。ナナクの心を妙な高揚感が支配する。やはりアリスの存在が大きいのだろう。廃棄ステーションで恐ろしい戦闘ロボットを一瞬で壊滅させたアリスの姿がまだ脳裏に鮮明に残っている。彼女がいればなんだってできる。そんな気がしていた。


 ナナクは小説の登場人物になりきって質問した。


「それで、今回の目的と目標は?」

「どうしたんだ?急に。」


 妙な発言にダンは少し困った顔をしたが、ブリーフィングとしては適切な質問だったのでそのまま続けた。


「今回の目的は当然、ここからの離脱。そしてターゲットは2つ。」

「2つ?」


 管制塔に乗り込むだけだと思っていたナナクには不意な説明だった。ダンはナナクの疑問を被せるように人差し指と中指2本を出し、「2」を表した。聞き間違えではないぞ、という意味だ。


「第一のターゲットは管制塔だ。管制塔へこっそり侵入、それが出来なければむりやり制圧してでもこの船の係留を解除してもらう。もう一つのターゲットがこの船のエンジンを焼いたパルスガンを探して機能停止させる。仮に管制塔を制圧できても逃げる途中で撃墜されたらたまらん。順番はどちらが先でも構わない。」

「船長、管制塔でいきなり攻撃するんじゃなくて、まずは話し合おうよ。」


 ナナクは真っ当なことを言うが、ダンがそうしないのにも主張がある。


「あのな、エンジン壊されたり、一方的に係留されたり、それでいて何も言ってこない、そんな相手と何を交渉するんだよ。」

「なにか理由があるかもしれないでしょ?」

「まあ、暴れるのは後からでもできるか……。だったら、忍び込めそうもなかったら、一体何のつもりか聞いてみろ。答えないと、こいつが大暴れするぞ、ってな。」


 そう言ってアリスを指差す。アリスはその状況を想像した。そしてその光景には既視感があった。施設や部屋に侵入し、相手と交渉を試みたことは過去に――100年以上前に――数回経験している。しかし例外なく相手から問答無用と攻撃されている。こちらから侵入しているので当然だろう。したがって今回も相手と戦うことになるのだろうな、と思っていたのだが、ナナクの面子もあるだろう。一旦は交渉する素振りを見せることにして、今は黙っていよう決めた。


 ダンの説明が続く。


「次にルートに関してだが、今回は全く情報が無ぇ。だからマッピングしながら進んでいくことになる。一応俺からルート指示はしようと思うが、現場での判断を優先する。どこまで通信が効くかも分からねぇからな。今までの傾向から考えると、およそ150mごとに区画に分かれていて、それぞれの間にゲートがある。」


 ダンは朝食時に脇においていた電子ペーパーを取り出して、先程書いたであろう手書きの図を見せながらナナクに説明した。アリスもその横から身を乗り出して見る。


「ここは、ステーションとしては相当にでけぇ部類だが、そうは言っても直径1kmもない。走ればすぐに隣の区画だ。管制塔のような重要な施設が、寮や食堂の隙間にあるとは思えねぇからな。その区画の雰囲気を見て、生活感があればパス。ステーションのインフラがありそうな厳重な雰囲気だったら詳しく調べる。一箇所に長く留まると攻撃ロボットが集まってきて面倒なことになる可能性もある、ある程度調べたら次へ移れ。気になるならば後から戻ってくりゃいい。一回で全部済ます必要はねぇ。」


 ダンは図の上に矢印を書き込んでいく。ここでアリスは疑問に思った。二人は管制塔と言うが、管制塔ならばタワーとしてそびえ立っているはずで、すぐに見つかるのではないか、と。


「ダンさん、管制塔ってどういう見た目なんですか?ここからは見えないんですか?塔なのに?」


 アリスの質問にダンとナナクの頭にハテナマークが浮かぶ。アリスの質問の意味がわからない。しかしダンはその意味に気づいて回答した。


「ああ、管制塔ってのは昔の呼び方の名残で、当時は目で見て宇宙船を誘導していたから名前通りに塔があったんだが、今はただの機能を表す言葉だ。見た目としては普通の部屋だ。もちろん多少はセキュリティーが付いてたりするだろうがな。」


 普通の部屋だとすると探すのは面倒そうだなとアリスは思ったが、その心配はないとダンが言う。


「部屋って言ってもアパートの一室なんかにはねぇぞ。仰々しいゲートや警告板があるだろうから雰囲気ですぐわかる。」

「アリスが分からなければ、僕が見つけるよ。」


 ナナクが畳み掛ける。雰囲気で、と言われても実物を一度も見たことがないので不安だ。むしろ彼女がよく知る宇宙港の管制塔と言えば、高さ1000m以上の極超高層タワーなのだからなおさらだ。


「説明はこんなところだ。悪いなナナク。全部、現場合わせの出たとこ勝負だ。だからこそ安全を最優先しろよ。どっちみち帰還の航路に入るタイミングには間に合わねぇ。今更1日2日伸びても大して結果は変わらねぇよ。」


「船長、一つ提案、というかお願いがある。」


 説明が一通り終わったタイミングを見計らってナナクがダンに聞いた。


「『かんしゃく玉』の3点セット。あれをアリスにも渡しておいてほしい。」

「いや、あれは一応、1人1セットまでって決まってんだが。」

「だからだよ。アリスにも渡しておかないと。剣だけだと間に合わない場面があるかもしれないでしょ?アリスも一人分って計算できるよ。」

「いやぁ、そりゃ無理がねぇか?まぁでも今更そんな悠長なこと言ってる余裕はねぇからいいか。」

「そうだよ、こんなところに監査官がいるはずもない。取ってきていい?」


 ダンはナナクの提案に答える代わりに、コックピット脇のボックスから鍵を取り出してナナクに放り投げた。チャッという軽い音を立てて片手で受け取ったナナクはデッキから降りていった。下の倉庫のフロアにでも向かったのだろう。かんしゃく玉、とは何だろうか。アリスには分からないが、彼らの話しぶりからすると、踏むと破裂する子供の玩具ではなく、探索で使う道具なのだろう。取りに行くのに鍵が必要だったり、所持数になにかのルールが有る様子だったり、なかなか厳重な管理が必要な代物らしい。


 1分もしないうちにナナクがデッキまで戻ってきた。


「はいアリス。これが君の分。使い方、知ってる?」


 そう言ってナナクが渡してきたのは、プラスチックのベルトにつながった3つの球状の物体だ。それぞれはピンポン玉くらいの大きさだろうか。


「えっと、これは何?」


 アリスは過去に見たこともないし、もちろん使い方も知らなかった。


「一番上の赤いのがグレネード、真ん中の白が煙幕、一番下の黄色が照明弾。このリングから外して投げると3秒後に破裂して、今言ったような作用が現れる。」


 アリスはベルトに繋がった3つの玉を手にとって観察する。とてもグレネードには見えない。そのようなものは彼女も過去に見たことがあったが、ずいぶんスタイリッシュになったものだと思った。


「そこにあるダイヤルで起爆までの時間は調整できるけど、基本は3秒だね。長くても短くても危ないから。」


 ナナクはかんしゃく玉のついている小さなつまみのような部分を指してそう説明した。1秒から10秒まで設定できるようだが、1秒で爆発するのは確かに危険すぎる。やたらと厳重に管理されているのも納得だ。ライフル銃や剣などの武器も十分に危険物だが、グレネードのような爆発物はその度合が桁違いだ。こんなところで暴発でもしようものなら、全員宇宙空間に放り出されて死んでしまう。


「ありがとう。これは、使うのに許可が必要なもの?」

「いや、なんでも無いところで使うのはやめてほしいけど、これを使わざるを得ないようなピンチのときは自分の判断で使っていいよ。なくなったら下に予備もあるし。でも、グレネードは特に気をつけてね。殺傷半径10mだから、最低限それよりも遠くに投げて、なおかつ投げたらすぐに伏せるか隠れるかしないと破片が当たってしまう。」


 小さい見た目にしては威力はかなりある。かんしゃく玉、という可愛い名前では侮れない。多少の爆発であれば耐えられるアリスであるが、10m先でも爆風が及ぶほどの威力だとするとあまり無造作には扱えないだろう。


「分かったわ、気をつけて使うようにする。」


 彼女はそう言って剣の鞘とは反対の右側のベルト部分に取り付けた。これなら右手だけで取り出せる。


「それじゃ、武器を用意してくる。アリスもこの前の剣を持ってきて、下に集合しよう。」


 いよいよステーション内部に侵入し、昨日会った人物と再度コンタクトを取る。アリスも気持ちの高鳴りを感じていた。彼女自身、なぜ自分がこのような無人のステーションにいたのか分かっていない。もしかして彼女たちなら何か知っているかもしれない。ナナクの後に続くようにアリスもデッキを出て装備を整え、ハッチへ向かっていった。


 ………

 ……

 …


 準備が終わった二人は宇宙船のハッチの前にいた。


「アリス、準備はいい?」

「ええ、いいわよ。」


 いつもと同じ確認の合図。ハッチが開くシューという音も前回と同じ。しかし今回は今までとは勝手がだいぶ異なる。未開の場所を管制塔まで捜索し、何らかの意図を持った相手と対峙することになる。二人は言葉少なく、そして早足に深部を目指した。食堂を過ぎて直進し、農場前まで到着する。ナナクが立ち止まり、アリスに確認した


「犬の鳴き声って聞こえる?僕にはわからないんだけど。」


 前回この農場の奥で犬型のロボットを発見したのはアリスだった。ナナクは自分よりも耳が良いのかもしれないと思ってアリスにこう聞いたのだ。アリスも立ち止まって耳を澄ましたが、頭を横に振った。いないということだ。


「わかった。行こう。」


 ナナクはそのまま農場の前を通り過ぎた。


「ここには行かないの?一昨日会った人がいるかもしれない。」

「いや、いないなら行く必要はないよ。この農場に住んでいるわけではないみたいだし。」


 仮にいたとしてもキーマンとはなり得ない。ナナクはそう考えていた。むしろ通信していた相手を探す必要がある。農場を過ぎて一昨日資材を取り出した倉庫が見えた。しかし今は資材を持ち出すような余裕はない。無視して先を目指す。


 3つ目のゲートを過ぎた。ここから先は未知のエリアとなる。ナナクの表情に緊張が浮かぶ。


「船長、次のエリアへ進むよ。」

<ああ、ゆっくりでいいからな。何が見える?>

「相変わらず倉庫や作業場だ。」

<こっちからも見えるが……なんだか、ノイズが多い。回折スキャンが殆ど効かねぇ。>


 先程のエリアと同様に、倉庫や作業場や電気設備など並んだエリアだ。中央のメインルートを搬送ロボットが走り抜けていく。過去に銃撃されたこともあるこのロボットを見るたびに、ナナクとアリスは身構えてしまうが、攻撃するような素振りは見せない。あくまで平和に通行人を装う限りは構ってこないのだろう。


 一つのエリアの広さは概ね100m程度と大した広さではないが、まっすぐ見通しが良いわけではなかった。地図もないので全容がつかめない。ナナクはオフィスの外階段が施錠されていないことに気が付き、登って上から観察してみることにした。3階の手前まで上がって見てみた。アリスが様子を尋ねるが、同程度の高さの構造物も多く、やはり全体はつかめない。屋上まで登りたいが、簡単に登れるような階段はない。


「船長、よく見えないんだけど、マッピングデータは取れてる?」


<だめだな。セキュリティーのための電波妨害でもあんのか?だとしたら目的地は近いってことだ。>


 それを聞いたアリスは少し離れてこちらを向いた。何をするのかとナナクが見ているとこちらに走り出して、ドンという衝撃を上げてジャンプした。5mほど飛び上がり、勢いを乗せたままナナクのいる階段の鉄骨部分を踏み台にして更に上昇し、屋上へ登ることに成功した。ナナクは一部終始それを見ていたが今更驚かない。ただ、一昨日のあいつも同じくらいジャンプしていたな、と思った。


 一昨日出会った黄色パーカーのあいつとアリスには色々と共通点も多く、やはり何らかのつながりがあるのだろうと。


「アリス、何が見える?」

「同じような建物ばかりね。あっ、その角を右に曲がって道なりに進むと次のゲートが見える。」

「それならそっちの方向へ進もう。」


 アリスは3階の屋上からそのまま飛び降りた。飛び上がったときと同様のドンという音が響いた。ナナクも大丈夫だとは分かっているのだが、まるで人が転落したような音に聞こえて心臓に悪い。


 4つ目のゲートを進むと、かなり様子が異なる空間に出た。今までと比較するとやや狭い30m程度の空間で、照明もやや暗く、床には線が引いてある。隅の方にクレーン付きトラックとショベルカーが停められていた。ここは重機の駐車場だろう。薄暗い中、二人は次のゲートを探すが、すぐには見つからなかった。なぜ次のエリアへのゲートは閉められているのだろう。この向こう側にはきっと何か重要な建物があるに違いない。俄然、期待が高まる。


「船長、行き止まりみたいなんだけど、なんか怪しくない?ここ。」


 ダンからの返事は無い。


「船長?」


 ノイズが多い、という話を聞いていたが、通信が不可能になってしまったのだろうか。ナナクは、これ以上二人で進み続けるのもリスクが大きいのでそろそろ帰るべきかと考えていた。ナナクが周囲を見回していると、先程彼らが入ってきたゲートから、風切り音を上げて何かが飛び込んできた。そして奥の壁にあたって大きく跳ね返る。赤いボール状のものだと視認できたほかは正体不明だ。ナナクは何かの攻撃かと警戒して銃を構えた。


 するとその直後に同じゲートから今度は黒い物体が飛び込んできて――この前の犬型のロボットだ。そのロボットは高く跳躍して跳ね返ったボールを空中キャッチした。状況を理解したアリスも出口探しを中断して抜刀した。この黒いロボットが現れたということは、他にも2体いる。そして「あいつ」も近くにいる。


 ナナクとしてはできれば避けたい相手だった。しかし期待も虚しく、聞き覚えのある声が駐車場内に響いた。


「おー、ケルちゃんやるじゃん。大当たり大当たり♪今日は逃さないからね。」


 一昨日と同じ黄色のパーカーを着た少女と、黒い犬型ロボット2体がゲートに立ち塞がった。先程の赤いボールを咥えたロボットは少女の方へ駆け寄り、しっぽを振っている。退路を塞がれた状況だったが、さらに最悪なことにそのゲートもゆっくりと閉まり始めた。自分たちを閉じ込めるつもりなのか。ナナクは戦慄する。戦闘になる事態を感じて、素早くライフル銃モードへ変更して徹甲弾を込めた。こんなものを人に、もとい「人型のもの」に撃ちたくはないのだが、そんな事を言っていられない。


 ゲートが完全に締まるのを確認してからその少女が話し始めた。


「ちょっとねー、アンタ達と話がしたいってヤツがいるんだよ。顔貸してくんない?」

「お断りします。」


 即答したのはナナクではなくアリスの方だった。アリスもこの少女とは無用な会話をしたくない。自分の正体を探る何らかの術を持ち合わせているようだったし、管制塔から離陸許可を得られる目処が付くまでは、こちらの情報は与えたくない。


「そうでしょ、そうでしょ?助かるー。これで合法的にアンタ達を痛めつけられるし。」


 そう言ってジリジリと距離を詰めてきた。無理やり連れて行くつもりだ。犬型ロボットから受け取った赤いボールを手の上で軽く放りながら近づいてくる。


「どっちが先に来る?姉さんのほうが強そうだし、その横の兄さんからにする?でもそんなチンケな銃じゃアタシには――」


 自分の方へ寄ってきたのを見て、恐ろしくなったナナクは、狙いも正確に定まらないまま少女へ向けて発砲した。


 パーンという甲高い音が駐車場に響き、続いて眼の前の恐ろしい少女が妙なうめき声を上げる。


「へぶうっ!」


 ナナクの撃った徹甲弾が少女に命中したのか、少女が腹を抱えて後ろへよろめき膝をつく。そのまま、数秒ほど悶絶しているが、致命傷を受けたような感じではなさそうだ。そして頭を上げてナナクに対して罵声を浴びせた。


「う~うっ、何すんの!まだ喋ってんだよ!アンタ絶対あとでシバくかんね。」


 ナナクは再び狼狽した。そんなバカな、と。狙いは適当だったが確実に体の何処かに当たったはずだ。先程のよろめき具合からすると腹か脚にでも当たったのだろう。距離は10メートルもない。防弾服のようなものを着ている様子はない、着ているのは体に張り付くようにピッタリと薄いシャツとスパッツ、あとは彼女の体格には大きいブカブカのパーカーだけだ。仮に防弾服か何かだったとしても、この距離の徹甲弾を受け止められるようなものではない。体のどこかに当たれば間違いなく致命傷になる威力なのだが、彼女は顔をしかめたまま立ち上がった。ナナクは理解した、こいつは人間ではない、と。


 ナナクは攻撃を続けるかどうか迷ったが、それを考える暇もなく、腕に激痛が走り、引っ張られて尻餅をつく。先ほどの黒い犬型のロボットが突然現れて勢いよく飛びかかり、彼の左腕に噛みついてきたのだ。その衝撃で多機能ライフルを落としてしまう。彼に噛みついていた口を離すと、今度は落としたばかりのライフルを咥えた。眼の前の少女の姿をした何者かにアイコンタクトのようなもので指示を仰ぐと、まるで蛇のように大きく口を開け、ライフルを飲み込んでしまった。


 ナナクは武器も失い、身動きが取れなくなった。先程噛みつかれた腕がまだ痛む。船外用の頑丈な宇宙服でなければ噛みつかれた際に牙に切り裂かれていただろう。その様子を見たアリスがナナクを守るために駆け寄ろうとするが、再び銃声が響く。彼は右手に装飾の付いた古風な拳銃を握っていた。万が一に備えて携行していたのだ。片手では狙いが定まらず、犬のロボットに命中することはなかったが、牽制するには十分だった。少女のもとへ走って戻っていった。そして彼はその場で叫んだ。


「アリス、僕はいい。このロボットを破壊して!」


 アリスが素早く目標をナナクから犬型のロボットに切り替える。


 戦闘開始だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る