第3話 錆び色

窓の外の桜も庭も、元気いっぱいな時期がやって来た。

青々と生い茂る庭を、自信なさげな背中の女の子が、綺麗にしているのが分かる。

後三十分であの子も宿へと帰っていく。

明るく光る明るい黄緑の葉も、何だか恐怖を感じるような深緑に変わって。

誰もいなくなる。


今日も両親は帰って来ない…。

死んだ訳では無い。生きている。

私はあの窓の外にある桜が植わったばかりの頃から、ずっと独りぼっちに生きて来た。

あの桜と一緒に生きて来た。

兄弟も居なかったし、両親は仕事ばかりな物だから、私はベビーシッターに育てられた。

あの桜以外、常々一緒に過ごしたと思える、家族がいないのだ。

でも、どうしても華やかな桜に親近感を覚える事は無かった。

どちらかと言えば、庭に忘れられたように咲いている白百合が好きだった。

こじんまりしているけど、逞しく根を張って生きているから。

毎朝私とちゃんと話してくれて、私の帰りを待っていてくれている家族は二種類の花だけ。

嫌でも何でもなかった。

生まれた時からそれが当たり前で、可笑しいとも悲しいとも思った事は無かった。

初めて悲しいと思ったのは二分の一成人式の時だ。

皆家族への感謝を言えるのに、私は何一つ思い出も無かったし、両親は来てくれなかった。

皆は泣けるのに私は泣けなかった。

初めて感じた喪失感だった。初めて悲しいと思った。

生まれた時からそうだった…。のかは分からない。

両親は私が生まれた時、泣いてくれたのかも。嬉しいと思ってくれたのかも分からない。

今の両親を見ていては、私は産まれてきた時でさえ、愛を与えられなかったのではと思う。

育もうともせず、ベビーシッターに世話を丸投げし、娘の成長など知らない。

娘のことで涙を流す事もない。娘は跡継ぎになる為だけの金稼ぎ道具。愛など無い。

皆思い出もあって、愛を感じられるのに。

温かみのある涙を拭く事が出来るのに、拭いてくれる人がいるのに。

私の家族は、皆が金色に輝いている中で…。たった一つだけ錆び色だった。

私と家族を繋ぐものは『結果』だ。形式みたいな物とか、決められた法律みたいな物。

私は両親と話そうとも思わなかった。

人並みの親のように何処かへ連れてくれとも、

両親のご飯を食べたいとも言った記憶はない。

幼いながら生まれてからずっと分かっていた。

自分は邪魔になるだけだ。両親に嫌われない為には邪魔をしてはいけない…。

いつも成績が良かったとか、塾でA判定が出たとか、学級委員になったとか。

褒めて貰えそうな事ばかり言っていた。計算して、吟味に吟味を重ねて。

でもその度、お父様やお母様が言った言葉は。

「それこそ、わが花宮家の人間だ」とか「ん」だけだった。

皆お父さんが嫌いだとか、過保護でウザイとか言うけど、酔うと面倒だと言うけれど。

あの二分の一成人式の日から、ずっとそう言える事自体が羨ましかった。

お母さんの小言が面倒だとか言うけど、お節介だのなんだ言うけれど。

私は小言も言われないし、きっと私の事なんて二の次どころじゃないほど遠くにある。

一度だけお母様に言った事がある。

「お母様は、白百合と桜、どちらがお好みですか」

珍しく、私の誕生日にちゃんと帰って来てくれた日だった。誕生日だから良いと思った。

舞い上がっていた。いつもの私ならきっと自らの立場を弁えられたのに。

やっぱりお母様は私を害虫のように見て、言った。

「お花など愛でなくても良いのです。勉強をして完璧になって頂ければ」

お母様には感性と言う物はこれっぽっちも無かった。感情など何処かへ置いてきていた。

感性が無かったのか、私に興味が無かったのか。

それとも、その両方か。

お父様は優しかったから聞いてくれた。

「私は桜も白百合も美しいと思うがな」

でもやっぱり興味は無いみたいだった。目が死んでいた。

「ありがとうございます」

私は会話が続いたのはどんな時かと聞かれる度、利益がある事。と答える。

皆はそれを聞く度、同情したような優しげな眼で頷いてくれる。

でもそのぐらいなら、この錆びが媚びり付いていない家族の愛をくれって思っていた。

皆の優しい日常をくれって思っていた。

そんな家族に絶望を感じる事もしばしばで、家にいる事はずっと嫌だった。

でも、学校でもお嬢様だから、それだけの理由で嫌われていた。だから、学校も嫌いだ。

私は生まれたくてお金持ちの家に生まれた訳じゃないのに、どうしてだろうって思った。

お金持ちが良いなんて、馬鹿げた考え方だ。お金なんかより愛の方が価値はあるだろう。

何処にも居場所が無かった。

何処へ行っても独りぼっちだった。

でも両親には言えなかった。虐められているなんて、知られたらきっと怒られる。

私は両親の自慢の娘で居なければいけない。

それは希望でも期待でも何でもなくて、義務だった。希望や期待は愛が無いと生まれない。

両親が私を愛している様子はこれっぽっちも無かった。

愛のない両親は好きになれなかった。

それが分かってしまう、自分も嫌いだった。

何度も何度もお金があって羨ましいって言われても、

妬まれても、愛より重いものは無かった。

いつしか、他の家族への妬みも憧れも消え失せた。期待するだけ無駄だ。

凍り付いた両親の心はどうやっても溶かせない様に、

私の凍り付いた絶望の感情も、どうやったって溶かせないんだ。

どんなに大切なプレゼントとか財産とかを貰えても、両親の愛が欲しかった。

一度だけ、たった一人しかいない娘を。人間として見てくれれば。それで良かった。


部屋のドアを開けて、そのままに窓際に寄る。外の空気が美味しかったことを思い出した。

母親と父親が話しているのを見た記憶は、言葉すらも拙い幼い頃のぼんやりとした記憶。

でも仲睦ましい訳でも無く、父親が母親を上から見下ろし、絶望したように跪く母親の姿。

母親の恐ろしいほどの嗚咽。訳も分からずにあなたのせいで!と殴られた傷の痛みの記憶。

不倫関係になってしまった訳とは何なのだろう?

犯罪者組織の長になっている父と、屋敷のお母様と呼ばれるポジションの人に。

何処に接点があったんだろう。

どうして不倫なんかして、自分の人生をぶち壊そうと思ったんだろう。

愛されなくなったお互い同士に、一体なんの幸せがあるというのか、私には到底理解出来ない。

暮れていく夕日を眺めながら、思考をひきづりつつ、

こっそりと布団の中でボロボロになったテキストを開いた。

その瞬間控えめにドアが開き、明るい瞳がこちらを向く。

部屋に入ってきた彼の姿に、私は先ほどまで陰気に考えていた思考を捨てた。

彼は私の顔を見て、綺麗に微笑むと、唯一私が怯えないその手で私の頭を撫ぜる。

ああ、彼の子供になる人は、幸せなんだろうな。そんなくだらない願望ばかりを携えて。

この優しい手が私に向けられれば幸せなのになんてことばかり考えて。


でも私の願いは届かない。

私達の家族の絆は、生まれた時から錆び色に輝きを失っている。

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