伝書ミミズク春に飛ぶ(後編)

 春の夕焼けは水彩を溶かしたような薄紫色で、地平線に近づくにつれてだいだい色へと換わっていく。

 生徒会室には、私ひとりだけが残っていた。

 やっておくべきことはあらかた片付いたから、他の役員には帰ってもらっていた。


 私だけ仕事が残っていた――というわけじゃない。

 単に、ひとりになりたかったのだ。

 私が生徒会長なんて似合わないことをしてるのは、ひとえに生徒会室のためだ。

 ここは学校の中でいちばん静かな場所だ。特に、私しかいない時は。

 家と学校を往復する生活のなかで、ここでならひとりになることができる。他人の目を気にしないでいられる。


 吹奏楽部の練習の音がずっと遠くに聞こえる。

 私は頬杖をついて、静かに『何も考えない時間』を味わっていた――


 ――コンコンっ!


 いきなり、ノックの音が聞こえた。慌てて背筋を伸ばす。人前では、生徒会長らしく振る舞わなければならない。

「はい」

 と、答えたけど、生徒会室のドアは開かれない。かわりに、「コンコン」というノックの音が、私の後ろからまた聞こえた。

 振り返ると――そこには、夕焼けよりもよほど橙色の何かが、窓にくっついている。


「きゃっ!?」

「開けてくれェ……!」

 そのだいだいは、閉じた窓の向こうから私に向かって訴えているようだった。

 私は無言で橙を見つめた。橙もまた、どこを見ているのかはっきりしない目で、私を認識しているようだった。


 すこしの逡巡しゅんじゅんのあと、さっとカーテンを閉めた。

「ちょっとぉ! 開けてくれって言ってるんですけど!」

 君子危うきに近寄らず――というのは、孔子の言葉ではないらしい。誰が広めた言葉かは知らないけど、これほど含蓄に富んだことわざもない。

「あなた生徒会長でしょ……! 手紙を持って来たんだよ!」

 なんで橙色の鳥が日本語をしゃべっているのかは気になったけど――それ以上に、手紙、という言葉が心に引っかかった。


「手紙って?」

 窓を開けると、バタバタと忙しく翼を動かしながら、橙が生徒会室に飛び込んできた。

「ミミズクの羽根でホバリングするのは大変なのよ」

「ミミズクだったの?」

「見ての通りよ」

「見ての通りじゃないから言ってるんだけど」

「最近の中学生はみんな辛辣だなァ」


 自称ミミズクは、足に封筒を掴んでいた。

「それが手紙? 私宛に?」

「あなた生徒会長さん?」

「そうだけど。あなたは怪鳥さんね」

「カイチョーとカイチョーでお友達みたいなもんじゃんよ」

「手紙って?」

「さっきまでの会話をなかったことにしてます?」

 私が手を差し出すと、怪鳥はしぶしぶ、封筒を翼に持ち替えて差し出してきた。


「隣の中学の男の子に頼まれてさァ。名前も住所もわからないっていうから、こうしてワタシが手紙を運んであげたってわけ」

「手紙を運ぶのは鳩の仕事じゃない?」

「たまにはミミズクが運ぶこともあるのよ」

 セロハンテープで留められた封筒を開く。中からは、素朴な便せんに青い文字で書かれた手紙が出てきた。


 ミミズクは私が手紙を読む間、ゼイゼイと息を整えていた。鳥なのに、飛ぶことでだいぶ疲れたらしい。

「たしかに、私宛みたい。この前、ディベートしたし」

「どんな議題だったの?」

 この鳥は、気になったことは知らずにはいられない性分らしい。

「桃太郎のお供の中でいちばん有用だったのはどれかって」

「なにその議題」

「生徒会どうしの交流が目的なんだから、遊びみたいなものでしょ。誰も傷つかないテーマがいいの」


「ちなみに誰を推したの?」

「私は猿で、この手紙の主は犬だって。それで議論したけど……ディベートって、経験で勝負が決まっちゃうから。簡単に論破しちゃった」

「雉は?」

「今回は雉派はいなかったかな」

「そっかァ……」

 同じ鳥類として、多少のショックを受けたらしい。でも、鳥類のショックは私には分かってあげられないだろう。誰も傷つかないテーマだったはずなのだけど。


「どっちにしろ、こんな手紙もらっても困る」

「せっかく運んだのにィ?」

「あなたたちが一方的に労力をかけたからって、私が答えなきゃいけない理由にはならないでしょ」

 ひとりになれる時間を邪魔されて、私はすこし気が立っていた。


「返事はもらえなかったって言っておいて」

「傷つくだろうなァ」

「私には関係ない」

「いやいや、あなた宛に書かれた手紙が、あなたに関係ないってことはないでしょ」

「一方的に送りつけてきただけじゃない」

 自分でも、イライラしているような気がしてきた。当たり散らしてしまうときの気持ちになっていると思っていたけど、止められなかった。


「だいたい、いつもこんな風に言われてるのよ。『頭がいい』とか、『自分の意見を持ってるね』とか。他の人が黙ってるから、当たり前のことを言ってるだけなのに。何かと頼られるのにウンザリしてるの」

「でも生徒会長やってるんでしょ」

「誰かがやらないといけないし、私がやるのがいちばんマシだと思っただけ」

「それで、見た目とか立場で判断されて困ってるって?」

「そう。何か悪い?」


 今度は私が息を整える番だった。いつの間にか、呼吸が荒くなっている。


「でも、見た目と立場しか知らない人が見た目と立場で判断するのは仕方ないとブッコローは思うゼ」

「ブッコローって?」

「ワタシの名前」

「じゃあブッコローさん。私だって、今さら『私の内面をみて欲しい』なんて言うつもりはないの。もう疲れちゃったし」

「その割には、かなり怒ってるみたいだけどナァ……」

 しつこく食い下がる橙ミミズク、もといブッコロー。私はすでにこのやりとりが面倒になってきて、頬杖を突いて座り直した。


「じゃあどうすればいいか、鳥類の知恵があるの?」

「人間もミミズクとおんなじよォ。自分の中身を知ってほしかったら、自分から中身を見せるしかないっしょ」

「誰が信用できるか分からないのに?」

「まあ、せっかく見せようとしてもうまくいかないってことはあるんだろうけどサ……」

 ブッコローは私の疑念をよそに、机上の手紙を指さした――正しくはこの場合、「翼さした」というべきかもしれない。


「少なくとも今は、あなたにとってもチャンスだと思うわけよ」

「チャンスって?」

「こうやって、あなたのことを知らない人から手紙が届いたわけでしょ。手紙って、口に出して伝えられないことを伝えるのに使えるワケ。こういう時代だから、お互い慣れてないと思うけど、しゃべらないでお話できるチャンスだと思うのよ」

 私は腕を組んで聞いていた。


「手紙なら落ち着いて返事をかけるし。カッとならずに済むでしょ」

「人がずっとカッカしてるみたいに言わないで」

「ブッコローにはそう見えてますよ」

「それは変な鳥がいるから」

「辛辣ゥ……」


 はぁ。

 私は大きく息を吐いて、手紙をもう一度手に取った。

「そこまで言うなら、返事を書くけど。もしこのせいで変なことになったら一生ミミズクのこと嫌いになるから」

「あっちの子も真面目そうだったし、ブッコローの目に狂いがなければ大丈夫だって!」

「不安しかない」

「じゃあ手紙で交流して、自分の目で判断しなさいよ!」


 橙色の怪鳥の言いなりになるのはシャクだけど、それ以上に、ずっとイライラしている人間だと思われるのはイヤだった。

 それから、手紙を読んでいるうちに――無視されたら悲しいだろうと、ちょっとだけ、思った。


 送り主は青いインクを使って書いてくれたみたいだけど、急なことで私には便せんも、凝った筆記用具もない。

 シャーペンでルーズリーフに、急いで返事をしたためた。

 それを、生徒会が使っている封筒に入れる。


「もう日が暮れるから、急いで届けてあげて」

「おいおい、ミミズクは夜行性だゼ?」

「待ってる人の心配をしてるんであって、あなたの心配はしてない」

「ちょっとだけ優しさが出て安心してますよ」

 ブッコローはしっかりと封筒を掴んで、窓の外に飛び出していった。


「よろしくね」

 飛びゆくミミズクが一瞬振り返ったように見えて、私は小さく手を振った。

 空の色は深紫に変わっていた。誰にも見られていないと思っていたけど、一番星が私を見ていた。

 いつまでも自分を隠したままではいられないのかもしれない。

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