第7話:義兄・二



◆◆◆◆



 それを見た瞬間、私は何も考えずに懐に手をやり、一枚の硬貨を取り出した。「法貨」と呼ばれる古式の媒材だ。それを地面に落とし――――地面からあらわれた白骨の手が、それを掴んだ。


「……もういいでしょう。ルオさん、リーシア」


 立ち上がり激高した二人と、椅子に座ったままの私。この東屋にいるのは三人だ。


 しかし、私が法貨を使ったのと同時に、闖入者たちが現れている。無数の骸骨だ。本物の人骨ではなく、そのような姿で現世に現れているだけだが。何体もの骸骨たちが、ルオにまとわりついている。振り上げたリーシアの手も、一本の骨の手がそっと押さえていた。


「――死人遣い、だと?」


 自分にまとわりつく骸骨を見て、ルオは呆然と呟いた。


「積もる話もありそうですが、私としてはそろそろお暇していただきたいと思っています」


 商人が術に訴えるのは下策だが、私に後悔はない。あまりにも子供じみた示威行為。しかも華やかなものではなく、死者を骸骨の形で呼び出すという見るからに異形の「数理」だ。森羅万象を具現するこの数理という技術には、こういったものだってある。


「この外道が! 冥府に土足で入り込んで死者の魂を見繕うなど何という冒涜だ! 先祖の怒りを買うぞ!」


 激高したルオが怒り心頭といった顔で叫ぶ。礼儀知らずなのに先祖に対する崇敬だけ持ち合わせているところがあまりにもちぐはぐだ。しかし、私はそんな正論に動じることはない。そもそも、私の数理はそんな罰当たりなものではない。


「まさか。これは正当な取引の結果にすぎません」


 私は法貨をもう一枚手の平に載せる。骸骨たちがそれを取ろうと手を伸ばすが、私は手を握って彼らから隠した。


「いいですか? 負債というものは、死んだからといって払わなくてよくなるものではありません。返済は必ず行ってもらいます。たとえ死しても――そういう契約ですから」


 詳しいことは省くが、淘家は、そして私個人はこの数理を得意とする。正当な取引と契約により、負債を死後も払うことになった人間――今となっては意思のない骸骨だが――を使役することができる。死人遣いと呼ばれるのも無理はないが、これは雇用の一環だ。


「離せ! 汚らわしい!」


 ルオが手を振り回したので、私は骸骨たちを消した。


 私は彼らを呼び出すのに法貨を支払う。淘家に使役されることにより、死者は負債を少しずつ返済していくのだ。何度も言うが――双方の同意に基づく正当な契約で。


「ルオさん、あなたはリーシアの兄ですが、私は彼女の夫です。彼女は私が守りますし、彼女の行動には責任を負います。それが夫というものなのですから。どうか信じていただきたい」


 私が椅子に腰かけたまま彼を見ると、ルオはしばらく憤懣やるかたないといった仕草で何度もため息をつき、やがてどっかりと腰かけた。


「ああ分かった。勝手にしろ。ちょうどいい厄介払いだ。妹がいなくなってせいせいする」


 その言葉は、母親が違うとはいえ、父が同じ妹を前にした言葉とはとても思えない冷えきったものだった。



◆◆◆◆



 幸い、ルオはそれ以上我が家に居座ることなく、美少年たちを連れてさっさと帰ることになった。こちらこそせいせいした。一応形ばかりの礼儀で彼を正門で見送ろうとした時だった。


「おい――お前、こっちに来い」


 馬車に乗ろうとしたルオが、私に手招きする。リーシアの耳に入れたくないことらしい。仕方なく私は彼に近づいた。


「なんでしょうか」

「一ついいことを教えてやる」


 まだ何かあるのだろうか。私は内心うんざりしつつそれでも礼を失しないよう注意を払った。


「お前は了家のことを何一つ知らないな。あいつも言ってないだろうから、この俺が代わりに教えてやる。了家の人間はな、産まれてから死ぬまでずっと仮面をつけて生きるんだ」


 それが文字通りの意味ではないことくらいは分かる。つまり、了家の人間は皆、一生自分を偽って生きているのだろう。あるいは、徹底して本音を押し隠し、了家の人間という体裁を前面に出して生きているのだ。恐ろしく息の詰まる人生だろう。想像するだけで気が狂いそうになる。


「無論――この俺もだ」


 ぽつり、とルオがそうつぶやく。


 それと同時に、彼の目からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。私はぎょっとした。いきなり泣き始めるとは思わなかった。嗚咽さえもらさずルオは無表情で涙を流す。この男は少々、いやかなり情緒不安定なのではないだろうか。けれどもすぐにルオは泣き止むと、私の耳元でささやく。


「忘れるな。リーシアもそうだ。俺は忠告したからな」


 どういう目的で彼がそう言ったのか。彼なりに私を思いやったのか、それとも夫婦間に不和の種をまきたかったのか。ルオの顔からも口調からも本意は読み取れなかった。


「はい。ありがとうございます、お兄様」


 私がもう一度彼を兄と呼ぶと、ルオはせせら笑いながら馬車に乗り込んだ。


「やはり、お前に兄と呼ばれると虫酸が走る」


 そう言い捨てて。



◆◆◆◆



 ルオを乗せた馬車が去っていくのを見送っていると、隣にリーシアが並んだ。


「びっくりしたでしょ。あれが私の兄よ」


 リーシアが極力平静を装っているのが分かった。


「正直に言おう。君が兄に似てなくて本当によかった」

「昔はあんな人じゃなかったわ。了家という檻の中にずっと閉じ込められていると、誰でもおかしくなってしまうのよ。きっと」

「君の兄も、その犠牲者の一人というわけか」

「ええ。そうね。まるで燃え殻みたいな人」


 リーシアの目には言いようのない感情が渦巻いているのが分かった。悲しみと怒りが混じっている。実の兄の狂態を見るのは苦しいだろうし、同時に母を嘲られたのは許しがたいのだろう。


「君がおかしくなる前に、鳥籠の中から連れ出せてよかった」


 私はそっとリーシアの肩を抱く。了家がどれほど圧迫感のある家なのかは詳しく知らない。もっともリーシアは、わが身の不幸を嘆くばかりで何もしない無力な女性ではない。たとえそうであっても、私は婚姻という形で彼女の心を晴らす一助になれたと思いたい。


「鳥籠から鳥を逃がしたつもり? どこかに飛んで行ってしまうかもしれないわよ?」

「もしそうなったとしても、君は必ず戻ってきてくれると信じている」

「どうして?」


 リーシアが私を見上げる。答えが分かっていてなお、私の口から聞きたいような顔をしていた。


「私はこの家を住みよく、温かく、居心地の良い場所にしようと努力している。君という小鳥のためにも」

「もう。私は餌が欲しくて懐くだけの飼い鳥じゃないわよ」


 リーシアは一瞬だけ眉をひそめ、それからくすりと笑みをこぼした。


「でも――あなたとあなたのいる場所は好き」

「そう言ってくれると、私も夫として光栄だ」


 冷えきっているであろう了家と、温かな淘家。どちらが住みやすく居心地がよく、帰りたい我が家となるのは一目瞭然だろう。


「……ごめんなさい、兄の言葉に少し取り乱してしまったわ」


 頭が冷えたのか、リーシアが弁解する。


「気にすることはない。母をあしざまに言われて怒るのは当然だ」


 私がそう言うと、リーシアは少しためらいつつ私に身をあずける。


「兄はああ言っているけど、母は決してふしだらな人ではなかったわ」

「もちろんそうだろう。何しろ君の母親だ」

「いつか、あなたにも実家のことを話すから。でも、今は……」

「話す気になれないのだろう? 大丈夫だ。私は君も、君の母も信じている」


 私はリーシアを安心させたくて、彼女の頭をそっと撫でる。ルオがリーシアの母を嘲ったことは、私としても非常に腹立たしい。ただ、同時に私にはルオが哀れに思えた。粗野な言動の裏に見せた彼の涙。それこそが、了家という澱みの証拠なのだ、と感じるのだった。



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