第6話:義兄



◆◆◆◆



 リーシアと結婚してしばらく経ってから、突然私たちの居宅に押し掛けてきた人物がいた。悪趣味なまでに華美な馬車から降りてきたのは、古風な着物を着た長身の青年だった。鋭い目つきがリーシアによく似ているが、彼女の方は賢さゆえの鋭さだ。この青年の鋭さは、人を突き刺して傷つけるためのものだと直感で感じる。


 あまり関係したくない手合いだ。自分を強く見せようと虚勢を張っていることが分かる。傲慢に出れば相手が委縮してことが都合よく運ぶ、と勘違いしている人間がそういう目つきをするのだ。商人の世界ではかえって馬鹿にされるのだが。一緒に引き連れている侍従は全員が女性ではなくて男性、それも見目麗しい美少年ばかりなのが特徴的だ。


 その青年は出迎えた私に了炯羅(リャオ・ジョンルオ)と名乗った。リーシアの兄と言うことで、私は礼を尽くして彼を迎え入れた。本音を言うならば、まるでリーシアを投げつけるようにして淘家にあてがい、結婚式にさえ顔を出さなかった親族が今更何の用だと言いたかったが、リーシアの手前そうも言えなかった。


「お前が淘圓来か。思っていたよりも普通の男だな。面白みのない顔をしてるじゃないか」


 邸宅の庭が見渡せる東屋で、私と卓を囲んだルオはじろじろと無遠慮に私を眺めまわす。礼儀として、出された茶に口をつける様子さえない。側に控える美少年たちは目を伏せたままだ。彼らはすっかり飼い慣らされている、と言う感じを受ける。


 なぜ美少年ばかり侍らせているのだろうか。女嫌いなのか、何かしら注目を浴びたくてそうしているのか。


「私の家には龍はもちろんのこと、霊獣や妖精の血など一滴も混じっていませんからね。私は普通の人間ですよ、お兄様」


 まったくもって礼儀正しさとはかけ離れたルオの態度だが、今さら腹も立たない。仕事柄、横柄な人間には慣れきっている。


 それに、横柄と言うのは案外自信のなさの表れだったりすることが多々ある。うまい具合にそこを抉るのではなくむしろ助けてやると、それ以後良好な関係が結べたりすることさえあるのだ。


「やめろ。淘家風情に兄と呼ばれるとかえって迷惑だ」


 ルオはハエを追い払うかのように私に向かって手を振る。


「分かりました、ルオさん」


 やれやれ、と私は内心ため息をついた。リーシアの兄だから精一杯礼を尽くしてこちらも兄として敬ってみれば、この始末だ。


「お前はどうでもいい。リーシアに会わせろ。奴はどうしている?」


 いきなりルオは本題に入る。口調といい態度といい、彼女が心配で押しかけてきたようにはとても思えない。


「会ってどうするのですか?」

「うるさい。あいつは俺の妹だぞ。何をしようと俺の勝手だろうが」

「ですが、同時に私の妻でもあります。妻のことは夫の私に聞くのが道理ではありませんか」


 むしろ私は警戒していた。この兄をリーシアに引き合わせると、ろくでもないことが起きるのは火を見るよりも明らかだ。私の警戒心を感じ取ったのか、ルオはこちらをあざ笑う。


「馬鹿かお前は? 兄が妹の顔を見るなり平手打ちをするとでも思っているのか?」

「はい。どうやら私は馬鹿なようです」


 向こうの挑発に乗らず、私はわざととぼけた顔でそう言う。いくら嘲られても罵られても、リーシアをこの見るからにろくでもない兄と付き合わせることに比べれば痛くもかゆくもない。


「――呆れたな」


 私の蛙の面に水と言わんばかりの顔を見て、ルオは言葉を失ったらしい。このまま帰ってくれればいいのだが、と私が思ったその時だ。


「兄様、私はここにいるわよ」


 リーシアの声がした。見ると、こちらに向かってリーシアが足早に近づいてくる。向こうでは侍女たちが心配そうにこちらを見ていた。どうやら侍女から兄が来たことを聞いたらしい。


「おいリーシア。いるならさっさと出てこい」


 ルオは今度はリーシアに無遠慮な視線を向けた。まるで家畜の品定めをするような目でじろじろと眺める。親愛などかけらも感じない冷たくて意地の悪そうな視線だ。


「少し太ったか? ふん、父と祖父の目から逃れたから気が緩んで、にやけながら菓子でも頬張っていたんだろうな」

「兄様こそ、少し瘦せたのではなくて? 顔の色つやが悪いわよ?」

「お前に心配される筋合いはない」


 兄妹の間に、目に見えない緊張がクモの糸のように張り巡らされていくのを感じる。お互いに一歩も譲る気はないらしい。


「それで、今日は何をしに来たの? よほど暇なのね」

「お前の顔をわざわざ見に来てやっただけだ。感謝しろ」

「まあ、ありがとうございます、お優しいお兄様」


 皮肉たっぷりのリーシアの返答に、ルオは盛大に舌打ちした。


「一丁前に女の顔をしてるぞ。生来、お前の血は淫蕩だからな。憎たらしいことに、お前の母と同じ顔だ」


 お前の母、とルオは言った。リーシアとルオは腹違いの兄妹らしい。二人の共通点は鋭い目だが、リーシアの方は顔立ちに優美さがある。


 一方ルオは顔立ちこそ整っているが、底意地が悪いというか、冷酷な感じが隠しようもなく容貌に現れていた。


「お母様は関係ないでしょ!」


 母のことをルオが口に出した途端に、リーシアが激高した。柳眉を釣り上げて叫ぶ。


「どうだかな」


 リーシアの憤慨を心地よさそうにルオは眺めると、今度は私の方を急に向いた。


「おいお前、妹に気をつけろ。リーシアは多情な女の血を引いているからな。せいぜい身の周りに置く侍従を見張っておけよ。いつ誑し込まれるか分からないからな」


 私は絶句した。耳を疑うようなことを言う兄だ。いったいどこの兄が、妹の嫁いだ先で妹が不貞を働く可能性があると言うのか。それも忠告ではなく、まるで醜聞のような気軽さで。


「馬鹿なことを言わないで! 私もお母様も不貞など考えたことさえないわ!」

「ほう、それは意外だったな。お前たちがそんなに貞淑だとは知らなかった。女はみんなそうやって嘘をつくんだよ。女ってのは、とんだ役者だなあ」


 リーシアをあざ笑うと、ルオは再び私を見る。その目付きは異様になれなれしい。


「お前なら分かるだろう? 金持ちなんだ、女の一人や二人、いや十指に余るほど手を出してきただろうなあ?」

「いいえ」


 私はうんざりしながらルオの顔を見る。


「私は結婚する以前から女性と深い仲になったことはありませんし、これからも妻であるリーシア以外に男女としての関係を求めることはありません。そして、妻も同じ考えのはずです」

「いつこいつがそんなことを言ったんだ? 酒の席で酔って口走りでもしたのか?」

「私がそう信じていますので」


 私が真面目な顔を崩さずにそう言うと、ルオは卓を叩いて笑い転げた。


「あっははははは! 淘家の業突く張りが金以外に信じるものがあるって言うのか? これは傑作だ! しかもよりによって了家の女を信じるときたもんだ!」


 さんざんに笑った後、突然ルオは嘲笑を止めた。じろりと私を冷え切った目で見る。


「やめとけ。お前の目は腐っているぞ」


 あなたの目こそ腐っている、と私は思った。リーシアがどれだけ素晴らしい女性か、何も分かっていないどころか分かろうともしない。


「いい加減にして兄様! それ以上ユエンを侮辱するなら、いくら兄様でも許さないわよ!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたらしく、リーシアが私が止める前に怒鳴った。


「黙れ! お前も! お前の母親も! 了家の疫病神だったんだよ! 身の程をわきまえろ! 今さら良妻を気取るな!」

「――何ですって!?」


 リーシアが目を吊り上げてルオに詰め寄る。ルオも椅子を蹴立てて立ち上がるや否や、リーシアの手を鷲掴みにした。



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