第5話:遊戯
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リーシアは了家の令嬢だけあって、礼儀作法や言葉遣いや身だしなみなどをしっかりと教育されており、どこへ出しても恥ずかしくない美しい若妻だった。いや、どちらかというと、私の方が彼女の添え物と言ってもいいだろう。しかしそれについて不満などは抱かない。私としても、リーシアが生き生きと振る舞っている方が快かった。
そもそも私は商人だ。美しい玉の原石を手に入れた場合、それを懐に入れて一人で眺めるのは気が進まない。一流の職人の手を借りて美しく仕上げたくなるというものだ。もっとも、玉と違い売り渡す気などさらさらないが。我ながら驚くしかないが、思いのほか私はリーシアに思慕の情を抱いているようだった。まるで初めて恋を知った少年のように。
そしてリーシアが修めていたのはそういった作法だけでなく、遊戯についても彼女は多くを学んでいた。特に「仙碁」については彼女は得意中の得意であり、何度打ってもまったくもって勝てる試しがなかった。その夜も、私とリーシアは私室で向かい合って仙碁に興じていた。結果は私の大敗だ。
「……うむ、見事だな。仙郷に迷い込んだ凡夫の気分だ」
盤面を見て腕組みをする私に対し、リーシアは楽しそうに笑う。彼女の笑顔を見られるのならば、負けてもまったく悔しくはない。いや――実力差がありすぎて勝てないだけなのだが。
「ふふ、連戦連勝ね」
「私の細君は仙碁には無敵だな。まるで勝てる気がしない」
「これでも手加減しているのよ。専門の棋士に倣ったんですもの」
私は盤上をじっと見つめる。彼女との対局は不思議と楽しい。打っている間は、まるでリーシアに手を取って導かれているようだった。終わってみれば私の負けだが、少しも嫌な気がしない。仙人が興じるとされる仙碁とはいえ、勝ち負けが発生するのは避けられない。私も人並みに負けん気はある。しかし、彼女とならば負けても不愉快とは無縁だ。
「……私が勝ってばかりでも、怒らないのね」
リーシアは私の考えを察したらしい。けれども私は即答する。
「賢い妻を迎えられて、私は幸せ者だ」
世の中には「女に負けてばかりでは男の沽券にかかわる」などと言う男もいるかもしれない。しかし私はそう思わない。リーシアは夫の私をさりげなく立ててくれるし、彼女との小気味よい会話は刺激的だ。
「そうだけど、でもこれ、所詮は盤上の遊びよ? どんなに強くなっても武芸と違って身を守ることはできないし、耕作や漁業と違ってお腹が膨れることもないわ。それでも賢いと言えるの?」
やはりリーシアは聡明だ。自分が勝ったからといって奢ることなく、自分の行動そのものに意味を見出そうとしている。
「リーシア、これを見てくれ」
私は盤上から碁石を取って彼女の目の前にかざす。
「この碁石は東部で産出される玉を用いたもので、選り抜きの職人が手ずから形を整えたものだ。そして碁盤は最もよい木質とされる地域の木材を用いたもので、やはり職人なしでは作れない」
「ええ、そうね。だから?」
凡人なら萎縮するような高級品を前にして、リーシアは顔色一つ変えない。
「つまり、この仙碁という遊びには、非常に多くの人が携わって生活の糧を得ている。まして、玉や材木を買い、それを運ぶ私たち商人にとってはなおさらだ。遊戯と侮るなかれ、そこにはたくさんの需要がある」
私は持論を述べる。確かに仙碁は遊びだ。けれども、その遊びによって沢山の商売が成り立っている。決して生活と無縁ではない。
また、仙碁は大衆のみならず権力者の間で優雅な遊びとして流行っている。贅をつくした高級品が売れるのはありがたい。職人も「生涯で渾身の作ができた」と喜ぶこともある。宮中では、ここにある碁盤と碁石よりもさらに金をかけた代物も使われている。リーシアは私の言葉にしばらく黙っていたが、「商人らしい理屈ね」と呟いて納得したようだ。
「ねえ、今度あなたの仕事に同行してみたいわ。いいかしら?」
碁盤と碁石を片付けながら、リーシアが私にそう尋ねた。
「もちろんだが――困ったな」
「何が?」
「君の美しさで周りの仕事がおろそかになりそうだ」
私はついそう言ってしまい、自分に独占欲があったことに驚いた。結婚するまでは、そんな感情があることさえ知らなかったのに。
「……私は籠の中の鳥の方がよかったかしら?」
一瞬、リーシアが不安そうな顔をした。たしかに、権力者の男は自分の妻が誰にも見られないようにしたがる者もいる。しかし、私は違う。
「いや、君が望むならどこにでも連れて行こう。それに、私は君のその聡明さが好きだ」
「よかった。美しさは一時的なものよ。どうあがいても私は老いるから」
「私も同じだ。君を美しさだけで評しているわけではない」
偕老同穴。生きては共に老い、死しては同じ穴に葬られるという意味だ。天数を知ることはできない。しかしできるならば、私は彼女とそうなりたい。正直にそう告げると、リーシアは碁石をしまう手を止め、私の肩に額をこつん、とぶつけた。自分の顔を見られたくないかのように。
「……第二夫人をあなたが迎えるのは嫌。仲良くできそうにないから」
「めとる気は皆無だ。安心してくれ」
私も長男ではないとはいえ淘家の人間だ。跡継ぎは必要だし、どうしても息子を父母も祖父母も求める。リーシアが不妊症なら、妾を持つことを周りは勧めるだろう。しかし、妻を迎えてすぐ第二夫人のことを考えるほど私は無思慮ではない。
「あなたが他の女性に触れるのは嫌よ。私だけに触れてほしい」
リーシアの言葉に私は微笑んで、彼女を抱き寄せた。
「君は可愛らしい妻だ。独占されると男として嬉しくなって仕方がない」
こういった駆け引きはリーシアの独壇場だ。いいように転がされるが、不快ではない。むしろ愉快に感じるのは惚れた弱みだろうか。
「……口づけをして」
リーシアは瞳を閉じる。私はそっと彼女に唇を重ねた。唇だけではなく、頬や額、そして閉じた瞼にも唇を落とす。妻を迎えるまでは、こんな風に人肌に触れることが心地よいとは知らなかった。
「宿昔不梳頭
糸髪披両肩
婉伸郎膝上
何処不可憐」
彼女の美しい髪を撫でながら、私は詩をそらんじた。碁石の片づけはもう少し後になりそうだった。
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