第8話:商港
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龍江はこの大国を二分する長大な河だ。はるか北部の高原を源流とし、その雄大な流れは最後は海へと至る。古来より多くの商船が行き来し、壮の経済を大いに発展させてきた立役者と言える。淘家の船で私とリーシアは南の港へと向かっている。いささか今回の商取引に行くには豪華な船だが、なにしろリーシアにとっては初の長い船旅だ。
私は彼女のために、大きくて揺れが少ない立派な船を選んでいた。船長や乗組員からは温かいような面白そうな視線を向けられたが、怒る気はしない。「まったく、うちの旦那様は奥方様が乗るからこんな大きな船を用意したんだ」「心配性なんだか尻に敷かれているんだか」くらいは思われているかもしれないが、仕方がないと諦めている。
船は帆をいっぱいに張り、快調に進んでいる。風が止めば、天地の現象を再現する数理を用いた風力の捻出も可能だ。こういった最新の技術も淘家は積極的に取り入れている。当然この手の技術に関しての先達である仙道連があまりいい顔をしないが、伝統よりも革新が私は好きだ。揺れの少ない眺めの良い船室で、私は腰かけたリーシアに聞く。
「船酔いは大丈夫か?」
「ええ。ありがとう。もう慣れたわ」
「無理はするなよ。君にとっては初めての長い船旅だ」
「旅行と違って商談をまとめに行くんでしょ。あなたの妻になったからには、しっかりしないといけないわ」
リーシアはそう言って胸を張る。まだ少し顔色は悪いが、それでも最初の頃に比べればだいぶ良くなった。
「どうしても辛ければ、安眠の『印紙』を使ってしばらく眠るといい。多少は楽になる」
彼女の夫である私が、妻の体調の変化に気が付かないわけがない。数理を篆書で記した印紙は、仙道を知らぬ人間でもたやすく数理を用いることができる。身体に貼り付ければ、安眠が約束されるだろう。
「もったいないわ。せっかく実家から遠ざかる機会だもの」
リーシアは窓の外を眺める。絵になる艶姿だ。
「こうして外を眺めているだけでも、目新しいものが多くて飽きないわ。あなたはいつもこの景色を見ているのね」
「私にとっては当たり前の風景だが、君の目には珍しいだろうな」
雄大な龍江の流れは、多くの荷だけでなく人も乗せていく。竜の背に乗って、私たちは目的地へと向かっていくのだった。
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四陽省の港に私たちの船は停泊し、リーシアの手を引いて私は船を降りた。淘家に属する商人たちが忙しく行き来しつつ、私の顔を見るとすぐに一礼する。あちこちで売り買いが行われている。この喧騒が私たち商人にとっては楽の音だ。しかし、以前来た時とは明らかに空気が異なっている。
「何かあったみたいね」
リーシアが通り過ぎていく役人の一団を見ながらそう言った。振り返ってまでその背をしっかりと見ている。
「分かるのか?すごいな」
「役人の数が明らかに多いわ」
「元からここはそういう港かもしれないぞ」
私が一応そう聞いてみると、リーシアは首を振る。
「どう見ても中央から来た役人よ。一緒にいる護衛の服装と武器で分かるわ、それくらい」
私は内心驚いていた。深層の令嬢のように見えるリーシアだが、実際はしたたかで観察眼に優れているようだ。
「君は目ざといな。私だけの秘書になってほしいくらいだ」
「悪くないわね」
誉め言葉でそう言ったのだったが、リーシアはまんざらでもない顔だった。
「書き物で指にタコができるし、算盤を弾いて爪が痛むかもしれないぞ」
一応私はくぎを刺す。リーシアは蝶よ花よと育てられたわけではないらしいが、きれいに整えられた爪や細い指が仕事で傷むのは耐えられないだろう。そう予想していたのだが、リーシアは平然と答えた。
「私だって母となる身よ。赤ん坊を抱くときには長い爪も細い指も傷ついてしまうわ」
「君は意外とたくましいのだな」
「豪商のあなたの妻ですもの」
リーシアはそう言って私に微笑んだ。その言葉には確かな重みがあった。
「そう言ってくれて嬉しいよ」
周囲の商人や人足たちは、通り過ぎていくリーシアの美貌に目を留めて囁き交わす。
「美しい奥方だな」
「あんな方と夫婦になれるなんて、旦那は果報者だな」
私は彼らの会話を聞きながら、リーシアを泥中の蓮のようだと思うのだった。
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