第9話:畏友
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異国の酒樽を積んだ商船。その横に立って地元の商人たちと話していた青年が、私に気づいて手を大きく振った。
「おーい、ユエン! こっちだこっち!」
やや着崩した派手な着物に、これ見よがしに下げた首飾りや腕輪。見た目こそ遊興にふけっているどこかの遊び人といった風体だが、れっきとした商人だ。彼の名は徐文涵(シュイ・ウェンハン)。
この国では珍しい褐色の肌に黒髪の美丈夫だ。母がドラヴィダの方の異国人の血を引いているらしい。
「……誰?」
リーシアがそっと私に尋ねる。
「徐文涵。徐商会の息子だ。商売敵ではない」
「そう」
それだけ聞くと満足したらしく、すぐにリーシアは後ろに下がる。私とウェンは向かい合うと拱手する。
「騰海を干すほど盃を重ねられんことを」
「窮山がすり減るほど家名が続かんことを」
一応礼法にのっとった挨拶をする。彼は私の商売仲間であり、同時に飲み友達でもある。昔からの付き合いで、お互い伝統や堅苦しいことにはこだわらないところが気が合っている。
「久しぶりだな、ウェン。相変わらずの派手さだな」
「お前は相変らず質実剛健だな。俺に気を使う必要なんかないだろう」
「そうもいかない。何しろ壁に耳あり障子に目ありだ」
実際周りの商人たちは、豪商の息子である私たちを興味深げに見ている。相好を崩すのは料亭か自宅にしたいところだ。
「景気はどうだ?」
「最近は西域のペルシスの方にも手を伸ばしていてな。向こうの織物はいいぞ。ただし、すぐに高値を吹っ掛けられるから、もし買いたいなら俺を通せよ」
「考えておこう」
向こうの血を引いている外見を活かして、ウェンは壮国よりも外国との貿易に熱心だ。主な商品は酒だ。私が南方のヴィジャヤの方で水運を駆使して貴金属や家具を輸入する一方で、ウェンはペルシスやドラヴィダから酒や果実を買ってきて売りさばいている。
「……で、こちらの美しい方は?」
一通り挨拶を終えたウェンが、私の隣で静かに控えているリーシアに目を向けた。
「妻だ」
私の声に誇らしげな響きがあったことは否定しない。
「つまぁ!? お前結婚してたのかよ!?」
ウェンが目を見開いて驚愕する。
「悪いか? 良縁に恵まれて実に幸福だ」
「おいおい。あのユエンがすっかり毒気を抜かれてるよ。恐ろしいぜ」
信じられないものを見るウェンだったが、すぐに気を取り直してリーシアに丁寧にお辞儀した。
「初めまして。徐商会の三男、徐文涵と申します。あなたの夫の昔からの畏友です」
「ええ。よろしく。私は了理夏。了家の娘として夫を支えておりますわ」
リーシアは堂々と名乗る。彼女が大貴族の娘であることがよく分かる立ち居振る舞いだ。
「了家!? あの大貴族の?」
「かつての高名は今や落日のように没したけれども――ええ、そうですわ。どうかこれからも夫の淘家をご贔屓にお願いいたしますわね、ウェンさん」
リーシアはそう言って優雅に微笑む。あっけにとられた様子のウェンは私に耳打ちする。
「どういう縁でこんな美人を娶れたんだよ。お前に釣り合うのか?」
釣り合うのかと聞かれたら、私もやや自信はない。彼女は美人だが、それ以上に打てば響くように呑み込みが早い。
「陛下の計らいだ。龍の結んだ縁を人が解くことはできまい」
「そんなこと言って、まんざらでもない顔をしてるぜ、ユエン」
ウェンは私を小突くが、その顔には笑みが浮かんでいる。
「まあ、お前の幸せは俺にとっても嬉しいけどな」
同業者であると同時にウェンは昔からの友だ。お互いの幸せを祝えるのは良い関係と言えよう。
「妻が気づいていたが、何か問題があったようだな」
ウェンはうなずく。
「朴州で洪水だ。呉花原がひどい水害に見舞われたらしい。おかげで向こうから来るはずの荷が遅れに遅れているし、こちらから送る品も予定より大幅に遅れているのが現状だ」
すぐにウェンは友人から商人の顔になって腕組みをする。
「食料はかなり傷んでしまうな」
私はそばに停泊している徐商会の商船を見上げる。長期保存の印紙を今購入するよりは、野菜や果物をここで売ってしまう方が安上がりだ。
「仕方ないさ。大安売りをして少しでも利益にするしかない。現に、ここの商人たちが俺のところに商談を持ちかけてる」
「向こうに送る荷は決めたのか?」
「だいたいな。お前も見たいか?」
そう言うと、ウェンは近くを通りかかった徐商会の人間を呼び止めて、目録を持ってくるように告げた。相手はかしこまった様子ですぐに船の中へと入っていく。
「もう二度も呉花原に食料を送ったんだが、いまいちでなあ。金はちゃんと支払われたが、あまり食いつきがよくない」
私たちは災害で荒稼ぎしようという業突く張りではないが、慈善が目的ではない。送った商品が売れなければ考えなければならない。
「向こうは毎日の生活で手一杯だな。まさか美食の材料を送り付けたんじゃないだろうな」
「お前こそ朴州に玉や金銀を送るなよ。食えないものは今は木石と変わらん」
「そうなると、保存の利くものを送るか」
商会の人間が持ってきた目録を、私はウェンを通して受け取って目を通す。別の商会の子細を知る行為だが、私とウェンは友人同士なので気にはしない。
「ねえ」
それまで黙っていたリーシアが口を開いた。
「どうしたんだ?」
「その目録、私も見ていいかしら」
「ああ、もちろん」
私が目録を手渡すと、リーシアは真剣な目つきで目を通していく。
「洪水が起こったのはいつ? どれくらいの被害があったの?」
ウェンは突然の質問に驚いた様子だったが、すぐに答える。もちろんこちらが知れる限りの断片的な情報だ。
「今から船に乗せて朴州に着くのはいつごろ?」
続く質問にはウェンはよどみなく答える。外見こそ軽薄だが、この男の記憶力は昔から大したものだ。
「そう……」
リーシアは目録から目を離すと、しばらく考えてから口を開いた。
「保存が利いてすぐに食べられるものもいいけど、少しは火を通して食べるものや甘い菓子の材料も送ったらどうかしら?」
「なぜそう思う?」
ウェンの代わりに私が尋ねる。
「温かい食事は気力を回復するわ。『将、鼓を以って兵を鼓舞し、竈を以って兵を養う』と講談で言うじゃない」
「菓子の材料は?」
ウェンも会話に加わった。
「何かうまくいった時のご褒美よ。娯楽がそろそろ必要になるんじゃないかしら? 料理もできないようじゃ、女性たちが手持無沙汰で困るもの。何かしら毎日していたことに集中できた方が、少しは気が紛れるわ」
「なるほどな。確かに一理ある」
ウェンはうなずいた。
「蜂蜜を少し加えてもいいかもしれない。それと棗も候補に挙げようか。あれなら日持ちするし、甘くて腹にたまる」
私も口を挟んだ。
「いいんじゃないかしら」
リーシアはうなずく。
「作りやすくて日持ちがして、滋養があるものを送りましょう。私だって、月亮花蛋の材料を積もうなんて言ってないわ。あれ、本格的に作ると三日はかかるわよ」
宮廷で出される菓子の名を平然と口にするところは、やはりリーシアは大貴族の娘なのだと思わされる。
「おい、ユエン」
目録を受け取ったウェンは、しばらく考えてから私の方を見た。
「なんだ」
「お前。いい妻を迎えたな。大した慧眼だ」
「だろう?」
私は心持ち胸を張った。自分が誉められたときよりも嬉しかったのは、夫として誇らしかった。
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