第10話:畏友・二
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私たちは久方ぶりの再会を祝して、ウェンの勧める料亭で食卓を囲んでいた。この辺りの料亭と言えば、龍江で取れる新鮮な魚やカニを用いた揚げ物や炒め物を出す店が多いが、ウェンが私たち夫妻を招いた料亭は、徐商会にゆかりのある店だった。皿の上に乗っているのは、異国の肉料理と面包(パン)だ。なかなか食べる機会のないものに食が進む。
「珍しいものを出すな、この店は」
「どちらもペルシスの方の主菜と主食だ。もっとも、本場のものとはだいぶ違うがな。あれは癖が強い。こっちじゃ豚をよく食べるが、向こうは羊だ。酒も壮は米やもち米や高粱で作るが、ペルシスじゃ葡萄酒が主だ。飲むだろう?」
ウェンが葡萄酒の入った瓶を私に見せるのでうなずいた。
「ああ。妻にも一杯もらおう。好物なんだ」
「もちろんさ。光栄だね」
私は葡萄酒の瓶を受け取ると、玉杯に血のように赤い中身を注いでいく。ブドウの香りが鼻腔をくすぐる。
「良い香りね」
「そうだな」
私が盃を差し出すと、リーシアも微笑んでそれを受けた。そしてウェンも盃を掲げる。
「友の栄華と健康に」
「友の良縁と両家の発展に」
「乾杯」
三人の声が重なり、私はゆっくりと口に含む。ややきつめの酸味と豊かな芳香。これはなかなか良いものだ。そしてリーシアもそっと唇を杯から離して息をついた。
「――おいしいわ」
その仕草を見て、ウェンがうなった。
「どうした?」
「同じ酒でも、飲む人間が違うとこうも映えるとはな。仙人も修行を止めて彼女の艶姿を見に来るかもしれん」
「隣国の言い伝えでは、修行を積んで空を舞えるほどになった仙人も、川辺で素足をさらした女性を見てしまい空から落ちたそうだ」
「ふん。美しい女性を見て心が色めき立つのは、人として当然だ。淫らな行為に及ぶならともかく、見ただけで仙人として失墜なら俺は一生仙道とは縁がなくて結構だな」
ウェンはそう言って玉杯をあおる。こいつも色男でそこそこ浮名を流しているが、いい加減結婚して身を固めるよう周りがうるさい年齢だろう。もっとも、私も皇帝の計らいで了家と結ばれるまで色恋とは無縁だったので、周りの声などお構いなしという点だけは同じようなものだ。
「つくづく、ユエンが羨ましいよ。こんな美人を嫁にして」
「お前にもよい女性が現れることを願っている」
私は本心からそう言った。結婚してみて、妻のいる生活が素晴らしいものであることを知った。だとすれば、それを友にも味わってもらいたいと思うのは当然のことだ。
「二人とも、仲が良いのね」
リーシアが楽しそうに言って私を見る。
「ウェンと私は昔馴染みだ。昔から馬が合うんだよ」
「そうかなあ。俺としてはもう少し気安く接してほしいんだがな。もっとだらけてもいいんだぜ?」
「お前は昔からさぼるのが好きだからな。そういうところは直した方がいいぞ」
「余計なお世話だ。そんなだから銭しか信じない業突く張りって言われるんだぞ。友として嘆かわしい」
ウェンが大げさにそう言うと、隣のリーシアがくすくすと笑った。
「ふふっ。私は同じくらいの年齢の女友達がいなかったから、二人が羨ましいわ」
リーシアの言葉に、私は彼女の境遇に思いを馳せた。老いた了家は、かつての栄華を取り戻そうとあがいている。それははた目から見れば不可能なことだ。だがそれをあっさりと断じることができるのは、所詮部外者だからだ。了家に生まれ、育ち、そして死ぬ。
その渦中にいる人間には、家の再興を諦めるなど不可能だ。リーシアもまた、政略結婚の道具として育てられたのだろうか。私は彼女の言葉を思い出す。「……私は籠の中の鳥の方がよかったかしら?」。リーシアは了家という名の籠の中にいた小鳥だったのだろう。私は籠の中で弱る鳥など見たくない。自由に空を飛ぶその美しい姿を眺めたい。
「まったく、一杯食わせられたな」
ウェンが話題を変える。
「ここの商会の連中は、俺のところの荷を安く買いたかったのか。うまく乗せられたぜ」
焼いた羊の肉をパンと共に口に放り込みながら、ウェンは腹立たしそうに椅子に座りなおす。つまりこうだ。ここの商会は、朴州での洪水にかこつけて、徐商会から安く買い叩いていたのだ。
「悪い取引ではなかっただろう?」
さすがに悪質なものや露骨に足元を見ている取引ではない。ウェンとしても、荷が傷んで価値がなくなる前に売りたかったのは事実だ。しかし、よく考えれば、今回のリーシアの助言のように呉花原に送れそうな荷もあった。だが、ここの商会は取引を急がせることでウェンに考えさせる暇を与えなかったのだ。
多少腹は立つが、商人として間違ったことはしていない。まあ、辣腕と言っておこう。
「そうだが……手玉に取られたようで腹が立つのは事実だ」
改めてウェンはリーシアを見る。
「それにしても、了家ってのは花嫁修業に商いも学ばせるのか?」
リーシアの慧眼は、私たち本職の商人も評価している。
やはり女性の視点は得難い。実際に食品を扱うのは妻や母や娘だからだ。リーシアの助言があったから、今回は呉花原の被災者が必要としているものを送ることができたと言っていい。あの食材が、向こうでこれからの生活に頭を悩ませている女性たちの気晴らしになってくれればありがたい。
「まさか。見て学んだのよ」
リーシアは平然と答える。私は彼女の盃にもう一杯葡萄酒を注いだ。当然だろう。大貴族にとって商いとは学ぶほどのことでもない。金の勘定は卑しいとさえ思われているのかもしれない。だとしたら、そんな豪商の家に嫁いだリーシアの家の中での立場というのも推して知れると言えるだろう。
「誰の手腕を?」
「夫のユエンよ、もちろん」
リーシアはそう言って、私の盃にも酒を満たす。
「……あんたがユエンの妻じゃなくて皇后様だったら、陛下ももう少し政に取り組んでくださったのかもしれないな」
ウェンの言葉に私は眉をひそめた。私は皇帝に忠誠を誓ってはいないし、壮国自体に愛着もない。淘家の成り立ちからして、むしろ好かないと言った方がいい。
けれどもそれとこれは別だ。いくら酒の席とはいえ、皇帝に対する悪口とも取られかねない言葉は危険だ。誰がどこで聞いているのか分からない。
「おいウェン、口には気をつけろ」
「だってそうだろ? 陛下が医官の娘の瑪妃(マーフェイ)を迎えられてから、いろいろとお心が変わられたのは周知の事実だぜ」
ウェンは気にする風もなく続けた。
「竜を屠るには千軍を以っても不可能だが、盃に満たされた王蛇の毒さえあれば可能、ということね」
リーシアはそう言いながら周りを窺う。幸い私たちの方を見ている客はいない。改めてウェンは私たちに顔を近づけた。
「気をつけろ。瑪妃は美しいものと遊戯に目がないそうだ。目を付けられないようにな」
「忠告ありがとう」
私は神妙な顔で頷く。
「やけに今日は素直だな、ユエン」
「私は二つの得難いものを、今生において得たことを実感しただけだ。気遣ってくれる友と聡明な妻。天に感謝だな」
「……ふん」
ウェンは照れたように鼻を鳴らして、自分の盃に手を伸ばした。一方のリーシアは私の賛辞を当然の顔で受け取っている。彼女の自信とそれに裏打ちされた優美さは、一幅の絵のようだった。
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