第25話:我愛你



◆◆◆◆



「しかし――私の妻は損得の感情では計れない素晴らしい人だった」

「でも――私の夫はお金以上のものを与えてくれる素敵な人だった」


 リーシアが舞台から私へと視線を移す。私もまた、彼女の目をまともに見る。思えば、初めて会ったときから私は彼女の瞳に心を奪われていた。あの心の底まで見透かすような、澄んだ深く美しい宝玉のような瞳に。


「君は美しく、賢く、君のためなら何でもしたいと思ってしまうほど私を夢中にさせていた」

「あなたは凛々しくて優しくて、一緒にいて初めて一人の生きた人間として扱ってくれる男の人だった」


 喧騒と歓声が遠ざかっていくように感じた。私たちだけが、今この場所にいるかのように。私たち夫妻は、今お互いだけを見ていた。


「君と結婚してよかった」

「あなたと結ばれてよかった」


 私たちは異口同音に等しいことを口にする。私は手を伸ばしてリーシアの頬に触れる。滑らかな白い肌の感触が指に心地よい。


「もう一度、あの日の誓いを私は言おう」


 それは、私がリーシアを嫁に迎えた次の日に口にした誓いだ。


「『夫として君を誰よりも大切にするつもりだ、リーシア』」


 あの日の誓いは、今も変わりなく私の心にある。私は夫となる責任を負った。その誓いを果たすのが、私が重んじるべき公正だ。


「ほかの人に目移りしない?」


 リーシアが問う。


「月並みな物言いで済まないが――君以外、目に入らない。私の本心だ。神霊にも、先祖にも誓おう」

「分かってるわよ。あなたの目を見れば、嘘じゃないって感じるから」


 リーシアが私に身をあずける。私は両手で彼女のほっそりとした体を抱きしめた。心から、私は自分が今幸福であることを実感していた。良き妻に恵まれた私は、それにふさわしい良き夫となるべき務めを担っている。だが今だけは、この腕の中の彼女を無心で慈しみたかった。


「なんと言えば、君への思いを形にできるのだろうか?」


 私は、自分が肝心なところでいつも口下手なことをもどかしく思う。この胸の中に溢れる彼女への思慕を、抱擁ではなく言葉で言い表したかった。


「私――知ってるわ」


 私の腕の中で、リーシアがそっと囁いた。


「本当か?」


 私が見下ろすと、彼女は応じるように私を見上げる。


「先日、瑪妃から聞いたの」

「つくづく、皇后は博識だな」

「いいえ。むしろ庶民の間で多く使われている言葉よ」


 リーシアはほほ笑んだ。


「私の後に続けて――」


 私はうなずく。


「私は――」

「私は……」

「――あなたを愛している」

「……君を愛している」


 愛。それがリーシアが私に教えてくれた言葉だった。


「そう。あなたの私への思い。それは――『愛』よ」

「……愛か」


 言葉としては知っている。あまり使うことのない言葉だ。想う、慕う、慈しむ、大切にする、優しくする、可愛がる、恋する。それらをひっくるめて、そしてもっと強い強い熱情を込めたもの。それが――


「私は、君を愛している」

「ええ、そう」

「愛しているよ、リーシア」


 熱に浮かされたように私は何度も「愛している」とリーシアに告白する。


「もっと……言ってほしい」


 リーシアは感極まったように私の体に腕を回して抱きつく。言葉で彼女は酔いしれているかのようだった。そして私もまた酔っていた。


「リーシア、君を生涯愛し続ける」

「私も、あなたを愛しているわ。ユエン」

「ああ、私たちは愛し合っている」

「ええ、心からあなたを愛しているわ」

「心を込めて」

「想いを捧げて」

「命を懸けて」

「魂の奥底から」

「――愛している」

「――愛しているわ」

「我愛你」

「我愛你」

「我非常愛你」

「我非常愛你」


 ひときわ大きな花火が打ちあがる。歓声も上がる。けれども私はそちらを見もしなかった。口づけを交わす。愛する妻がここにいること。それは私にとって、空を染める花火よりもはるかに心を奪われる幸福だった。



◆◆◆◆



 翌日。私たちの乗る船は龍江の支流に乗って故郷へと向かう。私とリーシアの家へと帰る船だ。皇帝への謁見という非日常は終わり、二人の日常が戻ってくる。商人としての私の日常であり、妻としてのリーシアの日常だ。淘家の人間として、私は壮国の各地へと船で向かい、商品を仕入れ、売り買いを行う。刺激のあるやりがいのある日々だ。


 そして何よりも、私の隣にはリーシアがいる。愛する私の妻が。私たちは比翼の鳥のように、共に壮のあちこちを巡っていくだろう。妻と共に商取引ができることは、私にとっても幸せだ。賢くて美しいリーシアは私の誇りだ。そして私もまた、リーシアに相応しい立派で公平な夫であり商人でありたい。


 私たちの日々は続く。天の許しがあれば、いつかはリーシアも母となる日が訪れるだろう。私と彼女の子。跡取りが必要というのもある。しかし何よりも、私はリーシアを心から愛していた。愛する妻との子が欲しく思うのは、夫として自然なことだろう。彼女の産んだ子を私が腕に抱く日が訪れることを、ただ切に願う。


 そして「愛」。それを私はリーシアから教えられた。家のためではなく、伝統のためではなく、名誉のためではなく、金のためではなく、ひたむきに相手を想い、慈しみ、大事にすること。それが愛するということだ。リーシアは私のことを愛してくれている。そして私もまた、リーシアを何者にも勝って愛していた。


 壮の国は変わっていくのかもしれない。無事に代が変わるか、あるいは一波乱あるか。龍江の流れはたゆみなく続く。時は流れる。俗世は移り変わり、新しいものが興るのと同時に古いものは崩れていく。それが世の道理だろう。だがしかし。私とリーシアの夫婦としての愛は、私たち二人の愛は――



 決して変わることなく永遠だ。 



(完)



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籠中艶妻記~大貴族の娘と結婚したら、美しい上に聡明で、夫の豪商がすっかり夢中になってしまう話 高田正人 @Snakecharmer

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