第17話:正体
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「お前さんの女房はたいした女――いや、失礼。たいしたお人だ」
フーは私の食卓の皿から肉を勝手につまみ、口に放り込む。ホアンが嫌な顔をしたが、私は手で制した。
「肝が据わっている。いくら商人どもを引きつけるためとは言え、陶器の破片まで買うなんてなかなかできん。名犬を求める噂を流すために、死んだ猟犬の骨を買うようなものよ」
フーは手放しでリーシアを誉めるが、私としては喜ぶより先に聞きたいことがあった。
「君はただの陶工ではないな」
ホアンが集めた情報。それは、この男の正体についての噂もあった。
「ああ、そうだとも」
詰問するより先に、男はあっさりと認めた。
「『煙雲百足』の李。俺は――盗賊よ」
ホアンが身を固くした。左手に匕首を握ったのが分かる。
「だとしたらなんだ? 俺を役人にでも引き渡すか?」
フーが悠々と酒杯を傾ける。
「いや、私は君に何かを盗まれたわけではない。これはただの独り言だ」
「そうかい。じゃあ今俺が言ってることも、ただの職人が酔って語る法螺ってことだな」
煙雲百足の李。噂では徒党を組まない単独の盗賊だ。無論悪党だが、人道を外れすぎた盗みはしないとか。
「私は癸州の人間ではない。やがて故郷に帰る身だ。なぜこんなことをしたのか教えてくれてもいいだろう?」
「なあに、一宿一飯の恩という奴よ。ここの職人には昔助けられてなあ」
フーは昔を懐かしむ目で語る。
「大金を持ってくるのは簡単だが、それじゃあここに根を下ろした下らん悪い噂は絶てぬ。そこで、お前さんに目をつけたというわけよ」
「まぐれ当たりを期待したのか?」
「おい、お前自分の奥方の噂を知らんのか? 了家の才媛としてなかなか有名だぞ」
「私にはもったいない美しくて賢い妻だ」
私は正直に言う。まったく、我ながら相手が盗賊であっても惚気てしまうとは。結婚前は考えられなかったが、本当に妻のためならば身を投げ出すことも厭わないと普通に思えるから不思議だ。
「謙遜するな。夫にふさわしい妻が、妻にふさわしい夫が天によって配剤されるのだ」
フーは学識のあることを言う。無学では盗賊は務まらないということか。
「それに、これはお前さんたちにふさわしい仕事だったぞ。まず、散財をお前さんがしては意味がない。ただの馬鹿な商人の道楽だ。お前さんの妻のような美人がするからこそ、噂になるんだ」
フーは盃を置いて顔を近づける。
「そしてもう一つ。夫が妻を心から信頼していなければ無理だったな」
思えば、彼に体臭がまったくないのは、痕跡を一切残さない盗賊故だったのか。
「大抵は途中で我慢できなくなって、亭主が口を出しておしまいだ。よくあれほど好きに金を使わせたな」
「私はリーシアの判断を信じただけだ。何も難しくはない」
「はは、羨ましい仲だ。大抵のものは盗める俺でも、良縁は盗めん」
フーは呵々大笑する。しかし、私は共に笑わずに、先程の焼き物をフーの目の前に置いた。
「これは返そう」
「なぜだ? いらんのか?」
「盗品をもらうわけにはいかない」
商人として、盗品と分かれば欲しくはない。それは天道に反するし、何より悪縁を招くきっかけとなる。
「安心しろ。それは正式な取引で手に入れた奴だ。俺に恩のある職人の作だぞ」
「本当だろうな?」
盗人に真偽を問うなど馬鹿げているが、私は聞かずにはいられなかった。
「いらないならば割ってしまえ。どのみち俺はいらん」
「なぜだ?」
「俺は独り身だからだ」
まったく執着のないフーの態度を見て、私はとりあえずその陶器を受け取った。
「……さて、俺はそろそろ行くぞ。もうどうせ会うこともあるまい」
一通り酒を飲み肉を食い散らかしてから、フーは立ち上がった。
「たとえ会っても、お前さんたちには俺だと分かるまいよ」
フーは指を舐めつつ笑う。だからこそ、こうやって余裕を持って話していたのだろう。そもそも、今のこの顔と姿がフーの本当のものだという保証さえない。
「一つ忠告しておく」
私が真顔で言うと、フーはこちらを見下ろす。
「おう。言ってみろ、若造」
「盗賊にも盗賊の理があるのだろう。ここの人間は、君について悪逆非道とまでは言っていなかった」
確かにフーは悪党だが、ホアンの集めた市井の声は、彼を忌み嫌っているものではなかった。決して義賊ではないが、侠客の類として一応扱える人物だろう。
「私の商会に忍び込んで金品を奪うのは致し方ない。防げなかった私の側の不備だ。だが、私の商会の人間を傷つけることは許さない」
金銀はどうにかなる。けれども人の命、そして身体は替えがきかない。
「そして、何よりも君がリーシアを傷つけたり、リーシアの大切なものを奪うことがあれば、私は君を決して逃がしはしない」
私は最も重要なことを、噛んで含めるようにフーに告げる。フーは愚かではないが、盗賊であることに変わりはない。人のものを盗む没義道に生きる者に、私はどうしてもこのことだけははっきりさせなければならなかった。
「もしそうしたら、地の果てまでも追いかけて追い詰めて、必ず二度と盗みができないようにしてやろう」
この盗賊を捕えられるかどうかはどうでもいい。万が一フーがリーシアを狙うのならば、私は八方手を尽くしてそれを防がなければならない。そのためならば、この盗賊を脅すことなど当然の行為だ。
「――若造、言うようになったじゃないか」
恫喝や脅迫が横行する世界に生きている侠客らしく、フーは私の脅しに対して平然とそう答えた。
「私は本気だ」
「だろうな。そういう目をしている」
しかし、フーは私の脅しを鼻で笑うことはなかった。
「妻のためならなりふり構わない夫は恐ろしいな。無論、逆もまた恐ろしい。窮鼠が猫を嚙み殺すのを俺は見たことがある」
フーはわずかにため息をつくと、くるりと背を向けた。
「安心しろ。お前たちの家のものは狙わんよ。面倒極まりないからな」
口約束でしかないことは私は分かっている。しかし、少なくともこの盗賊に、我が家を狙うのを『面倒くさい』と思わせることには成功したようだ。
「せいぜい奥方を大事にしてやれ。淘圓来」
言われるまでもない、と私は口の中で呟く。それだけ言い残し、フーは私たちの前から立ち去っていった。……ちなみに、彼の酒代は私が払う羽目になった。
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