第18話:回想



◆◆◆◆



 壮の皇帝。龍王として敬われる当代の皇帝の名は曹白(ツァオ・バイ)という。既に皇太子も成人し、今の治世は安定が続きぬるま湯のような状態が続いている。異民族の侵入もなく、ドラヴィダやペルシス、さらにはもっと遠方の権力争いは静観する立ち位置だ。古き龍は群れなす強き獣たちの争いには加わらず、どっしりと大地に横たわっている。


 しかし、老いた大樹はやがて内側から蝕まれる。巨木を斧を振るって切り倒せば、幹の中に虫が巣くっていることは多々あることだ。私とリーシアは、その幹の中、すなわち獅子身中の虫がいるとされる壮の王宮へと招かれていた。目的は皇帝への謁見。私とリーシアの結婚の報告と、結び合わせてもらったことへの感謝の式辞を述べるためだった。


 首都にそびえる壮麗な龍の居城。北の秦陽の地域をそっくり真似た庭園を横目に、私たちは歩く。


「いかがですか? この規模の庭園はよその国々の王宮でも見られないものですよ」


 一人の宦官が私たちを案内しつつ得意げに言う。数理によって生殖機能を限定的に封じられた彼らは、後宮のみならずこうやって政治の表舞台にも食い込んでいる。


「見事な造りだ。費やした資材と職人の数を考えると圧倒されるな」


 私は当たり障りのない返答をする。


「これは全て瑪妃のための場所かしら?」

「はい。よくご存じですね。陛下はふるさとを偲ぶ瑪妃のために、妃の故郷をそっくり再現されたのです」


 リーシアがわずかに歩を緩め、木々に留まる鳥や、池の方にまで目を配る。


「石や草木だけじゃなくて、鳥や魚まで向こうから運んできたのね」

「ええ。壮の資力があればこその偉業です」


 世辞に長けている宦官らしく、彼は即座に壮の国力を讃える。やがて広大な箱庭を抜けた先で、リーシアは立ち止まった。


「ここは……」

「懐かしいな」

「あら、覚えているの?」


 リーシアが振り返った。その姿が、私の記憶の中の彼女と重なった。



◆◆◆◆



 その日、私は父に連れられて登城していた。父が新しく作られる庭園の石材について商談をするためで、私はおまけだ。お付きのグエンに手を引かれて庭園の石畳を歩いていたとき、蓮の浮かぶ池に沢山の侍女がいるのに気付いた。その中心に、一人の少女が座っている。一目見て、私よりも位の高い貴族の少女だと分かる立派な身なりだった。


 けれども、まだ私は幼かった。周囲を大人に囲まれて少し退屈していた時だったので、もしかしたら少女が一緒に遊んでくれるのでないかと思ったのだ。グエンの手を引いて、私は少女に近づく。わずかに侍女たちがざわめいた。グエンも「ユエン様、それ以上近づかれませんように」と言ったが、その前に少女が立ち上がった。


「何用かしら?」


 侍女を従えて私につかつかと近づく少女は、私よりも年下に見えたが、同時にとてつもなく気位が高そうだった。大きい瞳に綺麗な髪飾りと豪華な衣装を着た彼女は、まるで庭園にひっそりと咲く大切に育てられた花に見えた。


「え、あの……」

「無礼者」


 一喝されて私は後ずさりした。いきなり頭ごなしに怒られるとは思わなかったからだ。


「私はあの了家の娘なのよ。まずはあなたから名乗りなさい」

「え、ええと……僕は淘圓来。淘家の三男だ」

「そんな名前知らないわ」


 侍女が少女に耳打ちする。恐らく私の家柄について教えたのだろう。


「ふうん、あなた商人の家の子供なの」


 少女は胸を張った。


「私は了理夏。よく覚えておきなさい。私の方があなたよりもずっとずっと偉いのよ」

「うん、分かったよ」

「よろしい」


 別に反論する気もなかったので素直に認めると、少女は満足したらしく笑顔になった。


「あなた、そこに座りなさい」

「え?」

「私、退屈で退屈でしょうがないの。少し話相手になりなさい。いいでしょ?」


 私はグエンを見上げた。グエンは諦めた様子でうなずいた。


「いいよ。お話ししよう。何の話が聞きたい?」

「勘違いしないで。私がお話しして、あなたが話を聞くの。いい?」


 念押しする少女が可愛らしくて、私は笑ってしまった。


「何がおかしいのよ」

「ううん。何でもないよ」


 私は少女の隣に腰かけた。


「よく聞きなさい。私のお父様はとても素晴らしい人なのよ――」


 少女の話はよく分からなかったが、彼女の美しい横顔は私の心にずっと残っていた。



◆◆◆◆



「忘れもしない。君と最初に出会ったのはここだった」


 私はリーシアの隣に並ぶ。池に浮かぶ蓮。仙郷を真似て配置された奇岩。かつての幼いリーシアを囲んでいた侍女たちの衣が、まるで咲き誇る花々のようだったのを思い出す。だとしたら、その中央に座すリーシアは最も美しくもっとも秘された最高の名花だったのだろう。


「あの時は父母から引き離されて、ここで待っていたの。まるで捨てられたみたいで寂しかったわ」

「だから私を捕まえて、おしゃべりに夢中だったんだな」

「悪かったわね」


 私はリーシアの肩にそっと手をやる。


「あの時、君の孤独を少しでも癒せたのなら嬉しい」

「似合わないわよ、そんな気取った台詞」


 そう言いつつも、リーシアは私に肩を寄せる。


「――いやはや、お二人はまるで陛下と瑪妃のように仲睦まじいですね」


 後ろから宦官が声をかけた。振り返ると、中性的な顔が苦笑している。嫌みで言っている様子ではないので安心した。


「いや、済まない。急ごう」

「ご安心を。時間は充分にありますから」


 そう言われても、さすがに私たち夫婦は留まることなく足早に目的の場所を目指すのだった。



◆◆◆◆



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