第16話:乱費
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翌日からリーシアの散財が始まった。店を訪ねては、片っ端から癸州産の陶器を品定めもしないで買っていく。私が金を出し、ホアンがそれをロバに積んでいく。それも衆目の元これ見よがしに。一軒の店に行った時、店主が恐る恐るリーシアに忠告した。
「あの、これは癸州の焼き物です。日用品ならともかく、高貴な方にはふさわしくないかと……」
「なぜかしら?」
分かっていてリーシアは高圧的に店主に問う。
「その、高名な行雲老師によると、ここは土地の相が悪く、金運を退けると……」
「黙りなさい、無礼者」
リーシアの一喝に店主が縮こまった。私たちに一度も見せたことのない、リーシアの演技としての傲慢な物言いはなかなか凄味があった。まさに牙を剥いて威嚇するヤマネコだ。
「その行雲老師とやらはどうせ山師でしょう? それに、その老師のお墨付きがなければ、私たちに売りたくないのかしら?」
「め、滅相もない! ただ、この辺りの焼き物はどれも地相の悪い土地のものですし、それに……」
「この了家の娘に口答えするつもりかしら。いくらほしいの?」
「は?」
「売りなさい。私が欲しいって言ってるのよ!」
当惑しきった店主をよそに、ホアンが無言で勝手に陶器を袋に詰めていく。さすがは大貴族の令嬢だ。視線と態度だけで相手を完全に圧倒させている。金を店主の前に置き、遠巻きにする野次馬を引き連れて私たちは次の店に向かう。さて、ここで故人の言葉が活きる。曰く「毒を食らわば皿まで」。私たちはそれを忠実に実行しようとしていた。
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とある工房で、陶工の老人がリーシアを止めている。
「奥様! これは売り物ではございません!」
リーシアが家宝か何かを無理やり買っているように思われるだろう。むしろその逆だ。リーシアがホアンに命じて集めさせているのは、捨てられた失敗作やその破片なのだ。
「これは全部ゴミです奥様。市場に出す価値もないものばかりですから!」
「あらそう。じゃあ私が買ってあげるわね」
リーシアは破片の詰まった布袋を受け取ると、立ち去ろうとする。私は代金を置いてその後に続く。
「お、おい、待て。あんた、いったい何をする気だ」
別の男がリーシアの袖を掴む。
「この土地の悪い噂を知らんのか。あんたに不幸が降りかかるぞ」
「奥方様に触るな!」
その手をホアンが振り払った。
「興味ないわ。私が欲しいのよ」
私は男に告げる。
「商人たちに伝えてくれ。癸州の器なら妻は何でも買うぞ」
しばらくはこの繰り返しだ。しかし思ったよりも速く、私たちのこの愚行ないし奇行は癸州の商人たちの間で噂になった。何しろリーシアはことごとく目立つところで散財を行っている。彼女の美貌と相まって、周りが注目するのも無理はない。
一方で私は楽なものだ。妻の言いなりになる駄目な夫の顔をして、ただ金を支払えばいいのだから。面白いことに、最初はカモにしてやろうと目を光らせていた地元の侠客たちも、次第にこちらを本気で心配してきたことだ。「カミさんが怖いんだったら、俺たちが力になってやろうか?」などと持ち掛けてきたときには笑ってしまった。
金の匂いはあっという間に広まる。「癸州に地元の焼き物ならば破片でも買うような物好きの女と、その言いなりの亭主が留まっているらしい」とよその商人たちの間で噂になっていく。そうなると「地相が悪い」という理由で避けられていたはずの、癸州の陶器を扱う店にも人が集まるようになる。買い込んでからリーシアに売りに行くためだ。
元よりここの焼き物の質自体はいい。改めて商人たちはここの焼き物の良さに気づくだろう。つまり、リーシアはきっかけを作ったのだ。悪い噂を別の噂によって上書きする。よその商人の姿が癸州で目立つようになれば、リーシアは気まぐれに「もう飽きたわ」とでも言えばいい。商人たちは自然と、よその土地に在庫を売りに行くようになるだろう。
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「それにしても、癸州の焼き物がこんなに良品だとは気付かなかったな」
「ああ。行雲老師の言うことも当てにならんな」
「どうせ、あの美人の奥方の気まぐれで今は売れてるだけだ。そのうち在庫を抱えるな」
「だが、心配ない。その時はよそで大々的に売りさばくさ」
後日、私はホアンを控えさせ、料理屋で食事をしながら他の商人の噂を聞いていた。
リーシアの計画は、私が思っていたよりもずっと早く成功したようだ。一重に彼女は「衆目を浴びること」を常に意識していた。そして、大勢の好奇の目に晒されても少しも萎縮しない。あの堂々としたところは、さすがは了家の令嬢といったところか。彼女の陶器の買い占めはきっかけだ。今は口火に過ぎないが、やがて野火のように広がることだろう。
「……旦那様」
ホアンが私に囁く。
「あの男がいます」
「どこだ?」
私が箸を置こうとするのを、ホアンは制する。
「そちらを見ないで下さい。気付かれます」
ホアンの隻眼がじっと私を見る。
「捕らえますか?」
一通り武芸を学ばせたホアンは、私とリーシアに忠実すぎるほどに忠実だ。ただ、怪しい相手にはとりあえず威嚇しようとする癖は少し困るが。
「いや。その必要はない。むしろこちらに呼んでくれ」
私もホアンから、あのフーという男の正体については追加の情報を得ている。流言飛語の類だが、ホアンが警戒する理由もよく分かる。だが、どうせフーは私たちに用があるに違いない。
「……分かりました」
少しためらってから、ホアンは料理屋の隅の卓に呼びかける。
「おい、旦那様がお呼びだ。こっちに来い」
そこには、いつの間にか手酌で酒を飲んでいるフーが座っていた。かなり酒杯を重ねていたらしく顔が赤い。
「何だ、ばれていたのか。一介の職人に、間諜の真似事は荷が重かったか、ははは」
「白々しい」
ホアンが剣の柄に手をかけてフーの方に歩み寄る。
「待て、ホアン」
私がそう言ったのと同時に。
「ぶっそうな真似はやめろ。いや――」
フーが嘲笑すると黄色い歯を見せた。
「袖の下の匕首はしまっておけ、小僧」
ホアンが立ち止まった。左手を降ろす。
「ほう。武芸に明るいな、フー」
私が声を上げると、フーは呆れた顔になった。
「こいつが素人なら主人も素人だな。剣に俺の視線を誘導させようとあからさまだぞ。何のための暗器だ」
ホアンに学ばせたのは普通の剣術だけではない。素手の拳法はもちろんのこと、暗器の用い方も教えてある。しかし、フーにはあっさりと見抜かれたようだ。フーは椅子から立ち上がると、酒瓶と盃を手に私たちの食卓に近づき腰を下ろす。次いで懐に手を突っ込み、卓の上にあの時見せた陶器とそっくりのものを一つ置いた。
「ほれ、これが礼の品だ」
「まだ私はもらうほどのことはしていない」
「俺を甘く見るな。お前さんの奥方は枯野に松明を投げ込んだんだ。燎原の火となるのは目に見えている」
そう言ってフーは私に件の陶器を押しつける。私は改めて手に取って眺める。確かにもう一つの器とひと揃いと言ってもうなずける。双方が互いの美しさを引き立てている。滅多に手に入らない一品だ。
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