第13話:名器



◆◆◆◆



「うーむ……」


 地元の商人が用意した屋敷に私たちは泊まっていた。商人はリーシアが了家の娘だと知っていたので、かしこまった様子で一番良い部屋へと案内してくれた。部屋の内装は豪勢だし、食事の量も多い。あの職人たちのいた場所の貧しい様子とは、あまりにも対照的だ。私は慈善行為には縁がないが、しかし富の歪な一極集中は好かない。


「そんなに気に入ったのかしら」


 照明の印紙の光の下、私が矯めつ眇めつあの器を眺めていると、リーシアが近寄ってきて小首をかしげた。


「見れば見るほど良い出来だ。粗野なようでいて豪放。一見すると荒削りの素人の作に見え、すべてに匠の技量が嫌味なくあらわれている」


 私は器をリーシアに渡した。


「あなたなら、これにいくらの値をつける?」


 リーシアに問われ、私はしばらく考えてから値段を口にした。


「悪くないわね」


 リーシアは目玉の飛び出るような額を聞いても、顔色一つ変えずに器を手で撫でる。


「あの男は何者なのかしら。これを作った職人?」

「いや、だとしたら少し気になる点がある」

「聞かせて?」

「この陶器の製法はこことは異なる。よその州から持ち込まれたものだ」


 私も商人だ。ここの陶器は仕事柄たくさん眺めてきた。私の鑑定眼は、この器が癸州産ではないと告げていた。だとするとあの男は、なぜこんなものを持っていたのか。


「私たちは、本当に仙人に会ったのかもしれないな」


 だとしたら、これは仙人からの謎かけだろうか。正答ができたら、仙郷にでも案内してくれるのか。


「そんな冗談みたいなことを言って……。でも、興味津々って顔をしてるわね」

「なぜあの男が君にこれを渡したのか、そこは気になる」


 真意が読めないのは落ち着かない。あの男は私が持ち逃げしても構わないと思っているのか。それとも必ず自分の痕を辿ってくると踏んでいるのか。


「ここにとどまっている間に、少し調べてみる必要がありそうね」



◆◆◆◆



 リーシアが就寝してから、私は一人で灯火の下書物を読んでいた。好きな詩集だが、今は頭に入ってこない。私はそれを閉じてから口を開く。


「いるか、黄(ホアン)」

「旦那様、お呼びですか」


 戸が開いて入ってきたのは、やや細身で中背の少年だった。顔形は整っているが、額に傷痕があり、片目に眼帯をしている。彼の名はホアン。私の護衛だ。


「明日から少し調べてもらいたいことがある。昼間私たちが会った奇妙な浮浪者についての情報が欲しい。調べてくれるな」

「おおせのままに。俺は旦那様に拾われた身です。命じられればなんでもやります」


 ホアンは生真面目にうなずく。いつものことだが、この寡黙な少年の忠心は心強い。


「では頼んだぞ」


 私はそれだけ言うと、寝台に入った。


 ホアンを拾ったのは、そういえばこの癸州だった。道案内として雇った地元の労働者の一団にこの少年はいた。眼病で片方の目を患っていたが、勇敢でトラが出た時も果敢に立ち向かった。だが、その勇気が仇となり、トラの爪で彼はその病気の目を失った。私は彼の治療費を払うだけでなく、その勇敢さを評価して彼を私的に雇うことにしたのだ。


 ホアンは無愛想で教育も受けておらず、この癸州に流れ着いた孤児だったらしい。実際「お前の勇敢さを私は評価している。恩に報いよう。一緒に来るか?」と聞いた時も、彼は黙って頷いただけだった。しかし、読み書きを教えて剣術を学ばせ、礼儀作法を教えればホアンはたちまち見違えるようになった。今では私の護衛を務められるほどになった。


「旦那様は恩人です。俺の目を治してくれただけじゃなく、生きる術まで教えてくれた。だから俺は旦那様に従います」

「忠実な護衛は得難い。これからは私の妻にも忠実であってくれ」

「はい。奥方様が旦那様の大切な人なら、俺にとっても大事な人です」


 ホアンとのやり取りを思い出す。癸州出身の彼が、あの男の素性を暴く一助になるとありがたい。



◆◆◆◆



 職人たちの工房が軒を連ねる区画を外れ、しばらく山道をたどる。私とリーシアはロバに乗り、手綱を引くのはホアンだ。


「旦那様に奥方様、もうすぐ着きます」


 ホアンは淡々とそう言った。私は隣のリーシアに聞く。


「リーシア、大丈夫か?」

「貴人の行幸のように輿に乗らせる気? これで充分よ」


 そう言うリーシアの顔色は確かに悪くなかった。


 やがて、眼前に湖が広がる。なかなか趣のある風景だ。遠くには深山を望み、見上げれば行雲。そして遠くでは船の上から網を投げる漁師たち。鳥たちが飛び立ち空へと舞い上がる。水墨画の題材にもなりそうだ。そこの岸辺にホアンはロバを引いていく。ホアンが町の人々から聞いた話によると、あの男はこの辺りによく出没するらしい。


「旦那様、いました」


 ホアンがロバを止める。湖に突き出した岩場に、あの男が笠を頭にかぶり釣り糸を垂らしていた。拍子抜けするほどあっさりと見つけられた。私たちがロバから降りると、ホアンはこちらに背を向けたままの男に呼びかける。


「おい、旦那様があんたをお呼びだ」


 無視するかと思いきや、じろりと男は私たちの方を見た。


「分かっとるわい。だからどうした」


 そう吐き捨てると、男は唾を吐いてから再び湖面を見つめて私たちに背を向ける。丸まったその背中は、まるで老いたサルのようだ。


「なにっ……!」


 気色ばむホアンが男に大股で近づくと、男は再び振り向いて怒鳴る。


「小僧! お前が近づくと魚が逃げるのが分からんのか!? 俺の釣りの邪魔をするでないわ!」


 ホアンがなおも近づくのを、私は止めた。


「よせ。こういう時は待つものだ」


 まだ少年のホアンだ。海千山千と思しきこの大人には手玉に取られるだろう。


「はい」


 すぐにホアンは私に従う。


「釣りと同じよ。魚の方が餌をつつきたくなるようにするの」


 リーシアはロバに括り付けた荷を解いた。


「侍女にこれを用意させておいて正解だったわね」



◆◆◆◆



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