第4話 穴に落ちるばかりが恋ではない

目を閉じて歩き、穴に落ちるばかりが恋ではない。とは幼少期に詩集を読んで、とても印象的だった女性詩人の言葉だ。


僕の魔法の才能が開花したのは、屋外での剣技の授業中のことだった。夏も近い日差しの中、剣技の試合に夢中の大半の男子たちは上半身裸のショートパンツ1枚で汗だくで模擬刀で打ち合い、殆どの女子や性別を選択していない子たちは木陰で涼みながら、その様子を楽しげに批評する。先生は主に男子を指導していて、そんな中、僕は……僕は恥ずかしながら、その一団からも少し離れた木陰で、ショートパンツ一枚で均整の取れた麗しの筋肉が眩しいアグリャと、薄い肌着とショートパンツ姿の汗一つかいていない涼し気なバーンズから剣技の指導を受けていた。二人とも入学三ヶ月で剣技の三年分の単位を取得してしまい、特別に他の生徒の指導を許されているからだ。ちなみに僕もバーンズと同じ格好だ。男である僕も上を脱ぐべきなのだろうが、筋肉の少ない、まだ中性的な肉体を晒すのに抵抗がある。


僕がふらつきながら、両手持ちの模造刀を正面の宙に打ち込むと

「おい、シーレム腰が入ってないぞ」

近くの木陰で大汗かいて水筒の水をがぶ飲みしているジェムルスが煽ってくる。彼も上半身裸だが、全く鍛えていない太ってたるんだ身体は何とも、剥きだしの哀れさと傲慢さ、そして、似合わないのを知っているのにあえて脱いでいる、他の男子への対抗心という可愛らしさがある。アグリャが苦笑いしながら

「おい、計算の天才。剣技も楽しいぞ」

と言うと、ジェムルスは皮肉めいた笑みで

「剣技の天才に返すとな。俺は強みを伸ばすタイプだ。金に好かれる男になるためにはここが重要だろ?」

と自分のきれいな金髪の生えた頭を指さした。ここ一ヶ月で二人は僕を通じて友人になりつつある。ジェムルスは他人にも意地悪をすることが減り、よく僕たちやアグリャと居ることが多くなった。

アグリャはニヤリと笑うと

「休憩にしよう。シーレムはどんな男が好みなんだ?」

「おい、坊ちゃまは男だ」

バーンズから睨まれても彼は気にせず

「ああ、済まなかったな。訂正しよう。どんな男が好みだったんだ?」

僕はいきなり聞かれて困ってしまう。アグリャは自信ありげに上半身をタオルで拭き始めた。ジェムルスは腕を組んで頭が良さげな複雑な計算式を諳んじ始めた。二人のよくわからない張り合いが始まったので、バーンズに目で助けを求めると

「……坊ちゃまは詩などを好まれている。文学的な人間がお好みだ」

と二人に向けて言ってくれて、アグリャとジェムルスは同時に難しい顔をして黙り込む。


これで少し、静かになると木陰に座り込み、バーンズから汗を拭いてもらっていると

アグリャが真剣な眼差しでしゃがみこんできて

「友として、どのような詩集を読むべきか教えてくれないか?」

ジェムルスもその横で真顔で

「俺も詩に興味が出てきた。教えてほしい」

と言ってきて、僕は思わず笑ってしまう。この二人が詩を読むなんて冗談でしょ?しかし、二人が真剣な姿勢を崩さないので

「マリアナ・フロアリマの恋についてとか……ビョルン・スカイダムのうたと世界なんて素敵だと思うけど……」

アグリャが頷いて

「覚えた。明日までには読んでおく。シーレムの口からお気に入りの詩も聞いてみたい」

「……え?」

ジェムルスの頷いて見つめてくる。

バーンズにまた目で助けを求めると

「ふっ、剣技の授業が坊ちゃまの詩の授業になったな。どうぞ、坊ちゃま」

と恭しく頭を下げてきた。そうか、バーンズも聴きたいのね……と僕は軽く咳払いすると

「では、フロアリマの恋についての冒頭詩の一節を」

と言ったあと、深呼吸して気持ちを整え、両目を閉じ、情景を思い浮かべながら


とても暑い日に 昔撫でた黒猫を想う

あの子はどこへ行った 夏の朝靄の中

目を閉じて歩き 

穴に落ちるばかりが恋ではない 

晴れた空ならばきっと

家路を辿る影を濃くして

あの子をまた ここに連れて来る


諳んじ終えて両目を開けると、三人が薄く発光した黒い影に包まれていた。アグリャが自らの体を見回しながら

「……シャドーエンチャントじゃないのかこれ……」

バーンズも口を半開きにして

「百万ゴロラン積んでも王宮に来なかった伝説の魔術師の禁呪……!?……おい、坊ちゃまをからかうな!」

アグリャに怒り出す。何かを理解した表情のジェムルスは早くも剣技をやっている男子たちの方へ走り出し

「ようよう!俺に勝てるやつがいるか!?」

と模造刀を天に突き上げて挑発する。すぐに、いきり立った精悍な男子三人に囲まれた。僕が見ていられなくて後ろを向こうとすると、アグリャから

「大丈夫だ。見ていろ」

と肩を組まれて言われる。

数秒後には、何も鍛えていないジェムルスが模造刀を持った自らそっくりの太った黒い影に完璧にサポートされながら、三人を叩きのめし先生から羽交い締めにされ止められていた。ジェムルスは僕に向けて、腕を突き上げて雄叫びをあげる。アグリャは少し悔しげに

「バーンズ、魔法が切れるまで動くなよ。あいつと違って、俺たちは剣技の単位は重要だ」

バーンズも苦々しく頷いた。そして僕を隠すように前に出る。三人が纏った影は日差しを嫌うように薄れていった。

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