第六話 君のために封じた想い
廉斗と佐奈は、互いにとって特別な存在だ。最初にそのことに気付いたのは、ふたりの親友である恭平だった。
中学二年生から始まった恭平の片想いは、三年後の夏に終幕する。ちょうどその頃から、恭平の想い人である佐奈は廉斗を意識し始めていたのだ。
自分の想い人の見つめる先には、いつも自分の友人がいる。何でもそつなくこなす恭平にとって、佐奈の気持ちの矛先が、一ミリも自分に向いていないことほど残酷な現実はなかった。
そして、すぐにそれを超えるような辛い現実が襲いかかる。ただし、その標的は恭平ではなく、廉斗だった。
──廉斗くんがお母さんを事故で亡くしたって……。恭ちゃん、私に何ができるかな?
佐奈は長い付き合いの自分にも「廉斗が好き」とは断言していない。それでも、佐奈の動機が事故で母親の亡くした「親友のため」ではなく、「好きな人のため」であることを恭平は知っていた。
健気な恋だと思う。それをいじらしいと思ってしまうくらいに。恭平は不謹慎だと分かっていても、佐奈にこれほどまでに想われている廉斗が羨ましかった。
しかし、恭平は廉斗が親友として、誇れる人物であることも十分理解していた。
廉斗は誰とでも分け隔てなく接することができる誠実で優しい人物だ。入学して間もない頃から、彼は誰かが困っているようなら進んで助けに行っていた。それに加えて廉斗は成績も良かったため、グループ学習などでは常に中心となって活躍していた。そういった行動から人望もあり、同学年の中でも穏やかで落ち着いた印象のある廉斗は、誰の目から見ても明らかに好印象だった。おまけに顔立ちが良くて身体能力も抜群なのに、大事な場面で凡人がするようなミスを時々やらかしたりと、親近感が湧いてなんだか憎めない。とにかく廉斗は、人間として非の打ち所がなかった。
だから、佐奈は廉斗に惚れたのだろう。同じように人として惹かれた恭平も、廉斗を見捨てられなかった。
──俺たちは変に慰めたりしないで、なるべく普段通りに接してやろうぜ。担任から話を聞かされた時、みんなも戸惑っていたし。
好きだから、分かることがある。人に優しい廉斗が母親の死に傷付かないはずがないと。
そんな様子の廉斗を見て、佐奈も心を痛めるはずだ。
──廉斗が教室に居づらくなったら、佐奈も困るだろ?
──そうだけど……。それ、どういう意味?
先ほどまで曇っていた佐奈の表情が驚きと、ほのかな朱色に染まる。唇を薄く開け、上目遣いで佐奈は恭平だけをじっと見つめていた。その濡れた綺麗な瞳に吸い込まれそうになったところで、ようやく恭平はなけなしの理性を振り絞ってサッと顔を横に背ける。
急ぎ心を落ち着かせた恭平は、佐奈を安心させるために微笑む。
──俺はお前たちの親友として、廉斗を励ましたいってこと。いつかお前たちが、俺が親友で良かったと思ってくれたら嬉しいよ。
お人好しは廉斗だけじゃない。それを彼女に証明したい。相手が廉斗では敵わないのは分かっている。ならばせめて最後の悪あがきは友人のため、好きな人のために役立てたい。
けれど、もしも、ほんの少しでも佐奈の気持ちが自分に傾いてくれるのなら……。
──恭ちゃん、ありがとう。
恭平の最後の希望を打ち消したのは、頬を赤く染めた佐奈の嬉しそうな微笑みだった。きっと笑顔の向こうにいるのは廉斗だ。恭平は火照った身体と胸の高鳴りを
やっと決心できた。もう大丈夫だ。佐奈と共に廉斗を全力で支えよう。そう思うくらいには、恭平は廉斗に対して、憧れに近い友情と恩を感じていた。
──廉斗は俺が部活動の人間関係に悩んでいた時に相談に乗ってくれた。今度は俺が力になりたい。
その日、胸の中で親友への誓いを立てた恭平は佐奈への淡い恋心に鍵をかける。
彼の親友であるふたりは、学年が上がると、晴れて恋人になった。
*
佐奈が新型■■■ウイルスに感染したことは、本人からメッセージアプリ経由で聞かされていた。だが、恭平はクリスマスが終わった三日後に経済学部のある県外の大学から秋田に帰省したばかりで、佐奈の容態を正確に把握できていない。
恭平は気になっていた佐奈の様子について、最近オンライン面会をしたという廉斗に尋ねた。
「佐奈の症状は回復してきているってさ。本人は『終わってみれば酷い風邪みたいだった』って、笑い飛ばしてた。こっちが笑っちゃうくらい逞しいよ」
「やっぱり酷い風邪か。ハハ、佐奈らしい素直な感想だな。肺炎にもならず、元気になったみたいで安心したわ。そろそろ退院か?」
「……ああ。一月二日に退院だ」
「そっか。俺は四日まで秋田にいるから、迷惑じゃなければ今度は三人で会えたら嬉しいよ。もちろん無理にとは言わない。佐奈にもよろしく言っておいてくれ」
せっかく帰省したならばと、恭平は病み上がりの佐奈を気遣いつつ、三人で会いたいと廉斗に提案した。
すると、廉斗から驚くべき回答が返ってくる。
「恭平、僕は佐奈が退院したら別れようかと思ってる」
「は? 冗談だろ?」
「ごめん。きっと、三人で会うのはもう無理だ。佐奈と会うなら、僕抜きで予定を立ててくれ」
恭平の鼓動が早くなり、笑顔が消えていく。酔いが一気に覚めるほどの衝撃だった。
「別れるって本気か? 何でそんな……。急すぎるだろ」
「佐奈が入院して離れてから、ずっと考えていたんだ。僕は佐奈が一番辛い時に限って何もしてやれない。会いに行っても接近が禁止されていて、隣にいることもできなかった」
「それはお前のせいじゃないだろ」
ビールジョッキの持ち手を握る恭平の力が強くなる。
病院がオンライン面会を導入したのは、感染予防の目的があったからだ。表向きの理由はそうだろう。
恭平は全く同じ感染対策をしていて、今年に入ってから感染者数が限りなくゼロに近いインフルエンザウイルスの存在を思い出す。毎年一千万人、一日だと一万人が
恭平は大学の友人から、危篤状態の祖母を看取れず悔やんだ話を聞いて
「廉斗、お前のせいじゃない。そうであってたまるか」
そんな思いも相まって、恭平は廉斗に佐奈のことで諦めて欲しくなかったのだ。
念を押すように廉斗を励ます恭平だったが、廉斗の表情は一向に晴れる気配がない。
「だとしても、佐奈の隣にいられないんじゃ意味がない。僕が心から佐奈を想っていても、それだけじゃダメなんだ。僕はもう……佐奈にだけ『好き』も『愛してる』も言えなくなってしまったから……」
「ちょっと待ってくれ。話が見えない。廉斗、お前に何があったんだ?」
世界規模のとんだ茶番劇に、恭平もやっとか思考が追いついてきたところだ。今度はその意識を目の前の親友に向けなければ。
頭を切り替えた恭平に、廉斗は今まで誰にも話さなかった悩みを打ち明けた。
「呪いだよ」
「呪い? 佐奈にだけ言えないってやつが? ……何だよ、それ」
思いつく限りの方法を何度試しても、伝えたい言葉が形にならない。その苦悩と、重量が増えるばかりの想いを抱えた自分が佐奈を縛りたくない。
そう話す廉斗に、恭平は怒りと戸惑いを隠せなかった。
「ふざけんなよ。誰のために俺が……」
「恭平?」
一番の親友にも、心から好きになった人にも幸せになってもらいたい。だから身を引いた。これでは誰も報われないではないか。
頭を抱えた恭平に廉斗は歪めた顔を元に戻した。恭平はそんな廉斗を見て歯を食いしばる。彼は「俺を心配するより、佐奈の気持ちを考えろ」と言いたかった。けれど、苦しんでいるのは廉斗も同じだ。
そして、自分はお人好しでいなければいけない。あの誓いはまだ有効だった。
「廉斗。頼むから、お前らは誰よりも幸せになってくれ。好きな者同士なら、離れる理由なんかないだろ」
呪いが何だ。新型■■■ウイルス感染症が何だ。現実離れした出来事ばかりだが、この際そんなものは関係ない。心から彼女を愛しているなら、何があっても離れるべきではないのだ。
恭平ができないことを、廉斗はできるのだから。
「お前が呪いだって言うからには、何か人に恨まれるようなことをした自覚があるんだな?」
「……ああ」
「じゃあ、話せなくなったのは恐怖や罪悪感が原因かもしれない。なあ、お前は何かに怯えていないか?」
──許さないから。
直後、廉斗の頭の中で何度も再生された声が二つに重なる。
一瞬で顔色が悪くなった廉斗に気付いた恭平は、慌てて近くのお冷を廉斗に手渡した。
「悪い。いきなり踏み込みすぎたよな」
「いや……」
話が続かないということは、やはり廉斗は相当言いたくないことを自分に隠しているのだろう。それを無理やり聞き出すのはさすがに気が引ける。
「廉斗はいつ呪いにかかったと思う?」
「恐らく、去年の七月だと思う。佐奈と屋内公園に行った時から話せなくなったんだ」
「驚いたな。一年以上その状態なのかよ」
冷たい水で喉を潤した廉斗は、恭平に黙っていたことを詫びた。恭平は笑ってそれを許す。
恭平は決して廉斗に怒っているわけではない。ただ、親友を襲う理不尽な運命が許せなかったのだ。
「なぜそのタイミングで呪われたのか気になるな。異変が起きたのが廉斗だけなら、きっかけを知っているのは多分、お前だけだ」
真っ直ぐな視線が廉斗に突き刺さる。恭平の熱い思いが、廉斗の心に迷いを生む。
「きっとその場所で何か決定的な出来事があったはずだ。心当たりがあるなら、そこから調べてみろ。それまで佐奈に別れ話はなしだ。廉斗、呪いなんかに負けるなよ」
心から応援している。だから力になりたい。恭平はそう思っていた。
だから、まさかこの先、自分が廉斗を裏切ることになるとは思ってもみなかったのだ。
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