色々

 僕はあれから、地方の大学へ進学し、実家を離れて一人暮らしをしていた。それまで何人かの女性と付き合ったが、どれも長続きせず、半年足らずで別れてしまった。交際のきっかけは全て友達からの紹介で、自分から告白したのは、あの時が最後だった。


 僕はまだ彼女のことが忘れられずにいた。彼女の話口調やリズム、テンポなど、交際している女性と彼女を比較してしまっていた。相手に失礼なことだと思いつつ、いつもそう言う目で見ている自分に嫌悪した。

 自然消滅だったり、相手から別れを切り出されたり、どれも僕から別れを告げたことは一度も無かった。



 僕は大学を卒業して、実家のある地元の会社に就職し、実家から通勤していた。研修期間の間は、定時の五時上がりで、真っ直ぐ実家に帰宅していた。



 この駅を降りて実家に帰る。駅のホームから階段を上って、連絡橋を渡って駅裏の改札口へと向かった。

 この改札口は、昔と変わらず、多くの人が利用していた。改札口から信号を渡って右に行くと懐かしい母校がある。何度、この道を彼女と歩いたことだろうか。


 あの日まで…………。


 この改札口を通る度に、目に入る通学路が胸を締め付けた。


 改札口を出た所で、暫く立ち止まって景色を見ていた。すると後ろから誰かが僕のカバンを掴んで、僕を呼び止めた。


 振り返るとそこにあの時の彼女が僕を見つめて立っていた。


 彼女は今では就職してどこかに勤めているのだろうか。髪を後ろでまとめ、リクルートスーツがよく似合っていた。あの時より少し大人っぽくなったのだろうか。でも目を見れば、あの時の彼女と何も変わりがない僕の好きな彼女のままだった。


「君は?……やあ、久しぶり」


 振り返った瞬間に直ぐに誰かは分かっていたのに、少し恍けてしまった。咄嗟に君に掛ける言葉が見つからなかったからだ。

 でも何でこの駅の改札から出てきたのだろう。電車は今僕が降りた電車以外は来てなかったのに。君の家はこの駅を過ぎて急行で五つ目の駅の筈。学校に何か用事があったのだろうか。それとも知らない間に引っ越したのだろうか。


「確か君の家はこの先の……引越しでもした?」





 私はこの学校から駅までの帰り道の時間がとても好きだった。

 道の左右には桜の木が並び、歩道の端には、季節の花の木や花壇があった。

 それは時間に束縛のない自分だけの時間を楽しめる、解放されたひとときだった。花の木や咲いた花に止まる昆虫や木の上で囀る鳥の声。この道をゆったりと歩く気分は、夢見心地で、最高だった。

 高校に入ってから、ずっと友達が出来なかった私が、初めて友達ができたのも、この道を通ってこの駅を利用したある日のことだった。


「どうしたの? …私のハンカチでよかったら使って」


 駅の連絡橋の上で、泣いてる彼女を見た時のことだった。彼女はカバンから恐らくハンカチを探しているのだろうけど、見つからない様子だった。そして顔は俯き、時折、手で目元を拭っていた。

 私の最高のひとときに誰かが悲しみに暮れることが気の毒に思えてならなかった。私は見て見ぬ振りができなかった。


「ありがとう…」


 私はその彼女の側に寄り添っていると後から彼女の女友達が現れた。その友達は、彼女の肩を摩りながら、一緒に泣き出した。


 この時、私は初めて一度に二人の友達ができた。


 今ではこの駅の連絡橋で見つけた泣いてた彼女は、今年の六月に、私の兄と結婚することが決まっている。


 私は電車の窓から見える駅の連絡橋と通り過ぎる学校からの帰り道を見ながら、あの時の萎れかけた紫陽花の葉に止まった番いの舞舞を思い出していた。





 私はこれまで一度もあの時の涙の理由を大親友の彼女にも、その時、ハンカチを貸してくれた新しい友達にも話したことがない。そして二人もその理由やその時の話をそれ以来、一度もしなかった。



 大親友の彼女とは、大学も同じ地元の大学へ通うこととなり、新しく出来た友達の彼女とも同じ大学へ学科は違えど、通うこととなった。

 あの時、ハンカチを貸してくれた彼女とは、家も近いと言うこともあり、それ以来、よく彼女の家に遊びに行く機会が増えた。

 そしてあの時以来、大親友の彼女は、彼と話しをしなくなった。連絡も取り合っていないようだった。私はその理由を聞けなかった。大学では高校と比べ、それぞれ違う友達が出来たりして、お互いに話す機会も減っていた。でもそれは環境の変化を理由にして自分の後ろめたさから、彼女と向き合っていなかったからだ。

 それにしても、小中高と同じ学校で大学まで同じ。そして卒業して就職した今でも友達というのは、絶滅危惧種、天然記念物級に珍しいことのようだ。


 私は彼女のその優しさに甘えていたのだ。


 私はこの六月に、あの時、ハンカチを貸してくれた彼女の兄と結婚することが決まっている。


「結婚の日取り、決まったんだってね。おめでとう」


「ありがとう。…実は私…話しておきたいことがあるの…」


「なあに? お父さん、お母さんに言うみたいに、これまでありがとうなんて言わないでよ」


「……あの時、本当にごめんなさい。…私のせいで、貴方の幸せを壊してしまったわ…」


 大親友の彼女は、直ぐに何のことかを察した。


「そんな風に思ったことなんて一度もないよ。全然、気にすることじゃないよ」


「私ね。大学に入ってからも時々、彼の友達から彼がどうしているかを聞いていたの。その話によると何度か彼女が出来たんだけど、直ぐに別れちゃってるみたいで、どうやらそれが今でも貴方のことが忘れられない所為だからじゃないか。ってね。それでその友達が彼から直接聞いたら、やっぱりそうだったの」


 大親友の彼女は顔を少し赤らめて、その話しを目を閉じて聞いていた。


「私、その話を聞いたとき、本当に貴方に申し訳ない気持ちで一杯になったわ。…私はこれまで貴方の優しさにずっと甘えてたのが恥ずかしくて…ちゃんと貴方と自分に正直に向き合ってさえいれば…こんなことには…本当にごめんなさい…」


 私は泣きながら彼女に謝った。


「もう、いいのよ。…そんなこと…ずっと心に抱えていたんだね。…私こそ…気づけなくて…ごめんね。…貴方が友達で本当に良かった…」


「ありがとう………」


 このとき彼女こそ、私の一生の友達であるとつくづく思えた。





 私はあの時以来、夢にまで見る恋なんて出来なかった。

 二年のときも、三年になってからも卒業の最後の日まで、何度か告白されたが、全て断ってきた。

 それは大学へ進学してからも同じであった。初めの頃は、よくコンパに誘われもしたが、その内に声もかからなくなった。正直、ほっとしていた。

 大学時代、特に楽しい思い出などとは無縁であった。通学は家から電車で四十分。いつもあの改札口でのこと。あの時の通学路の帰り道でのことを通学する電車の車窓から思い起こしていた。


 あの時、もし……。


 いつもそう考えだしては、その思いを打ち消す毎日だった。

 それでも卒業する頃には、その思いもあの時に比べれば、大分、和らいでいた。


 大学も単位を落とすことなく、そこそこの成績で、無事に卒業することができた。四年生の早い時期に、家からもそれほど遠くない就職先も見つかり、スムーズに内定から採用が決まり、卒業した今年の春から勤務している。

 研修期間の間は、定時の五時上がりで、まだ少し明るい時間にいつもの電車で家路についた。


 あの時の彼のことを思い浮かべていた。

 先日の休みの日、小学校からの大親友の彼女と久しぶりに会って、彼女の結婚の日取りが決まったことをお祝いした。そこで彼女から聞いた彼の大学時代のことが、頭から離れなかった。


 就業時間が終わり、退社して帰りの駅に向かった。電車を待つ時間は殆どなく、ホームに着いた電車に乗った。電車内は、通勤や学生客で満員だった。私はポールに掴まりながら、窓の外のまだ明るい景色をぼんやり見ていた。電車は時折、左右に揺れることがある。その時、つい前のめりになって、ポールの間から前の方の座席に彼が座っているのが見えた。


 彼は紺のスーツ姿で、膝の上にカバンを抱えて、少し下の方を向いていた。

 彼だわ。僅かに見えた下向きの顔は、間違いなく彼だわ。体格はあの時に比べて、少しがっちりとしたんだろうか。私は何とかしてもうちょっと前の方に移動できないか、少しずつ満員の乗客を割って前の方に進んだ。駅に止まる度に乗客は少しずつ減っていくがそれは電車の出入口だけで、客席の間を前に進むことはできなかった。

 何とかしてもうちょっとはっきりと顔が見たい。彼の降りる駅は分かっている。しかし私は乗客と乗客の間で動けなくなってしまっていた。


 彼の降りる駅だ。


 私は訳がわからなくなっていた。


「すみません! 私、ここで降ります!」


 私は大きな声で周りにそう訴えて彼の降りた駅で一緒に降りてしまっていた。


 私は何故、彼と同じ駅で降りてしまったのかホームに立って考えた。

 彼は連絡橋の階段を上り始めていた。

 このままではダメだ。後悔なんてしたくない。

 私はゆっくりと連絡橋の階段に向かった。


 彼に今頃になって、何を言えばいいのか。あの時から話しもしなくなった彼に……。

 彼を嘸かし傷つけてしまったに違いない。

 どんな顔で彼に会えばいいのか。


 私はいつの間にか改札口を通っていた。

 ふと顔を上げるとそこに彼が立っていた。大きな背中が目に入る。


 なんて言えばいいかなんて、どんな顔で彼と会えばいいかなんて、もう心はとっくの昔から決まっていた。


 私は彼が持つカバンを掴んだ。



「君は?……やあ、久しぶり」



 でも、私は……


 どうしても……


 涙を隠せなかった。

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夢の続き 勿里量子 @toshiba

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