御伽草子
未だ日暮前の午後の時に、険峻にして登ることも困難な紫陽花の葉にしがみつく番の舞舞がいた。
番の舞舞は、何も話さない。
時間を気にすることなく、只管に攀じ登る。
目を虫眼鏡のように凝らしてよく見ると、小さな透き通るような殻は、螺旋状に渦を巻いている。
殻の下の方に体を出して、殻の上の方には、角の先の目玉が見える。
その番の一つは、ほんの少し先を進んでいるようだが、お互いに支え合っているようにも見えた。
しかし番の差は少しずつ広くなるように見えた。
一粒の汗を掻くことなく、攀じ登るその様子をじっと見ていると、何だか聞こえる筈のない話し声が聞こえてくるようだった。
「今からここを登れば、日暮前には家に着く。何とか脇目も振らずに登り切ろう」
「うん、でも何だか此の葉は、とっても滑りやすいわ」
「葉が掻いてる汗を少し避けて通ってご覧。滑らずにしっかりとしがみつくことが出来るよ」
紫陽花の葉脈から滲み出るように小さな水泡が所々に見られる。
紫陽花の花が咲く頃は未だ少し先にようだ。
そして紫陽花の木の横の通り道には、大勢の学校帰りの高校生達が賑やかに通り過ぎていた。
「ほら、ご覧。こうやって…こうやって…どうだい。こんな感じで上手く登れるよ」
「…うんと…こらしょ……。ダメだわ。私には上手くできないみたい」
「弱音を吐いちゃダメだよ。キミにも出来る筈さ」
「でも、もう私、我慢ができないわ。今にも足元が滑って、真っ逆さまに落ちてしまいそう」
「そんなこと言わないでおくれよ。だったら僕も一緒に落ちるから」
「そんなことダメよ。私を置いて先に行って頂戴。私なら平気だから」
「嫌だ!キミが落ちるなら、僕も一緒に落ちるから」
番の舞舞は、次第に殻が寄り添い近づいた。
「さあ、もう大丈夫。僕の殻にしがみついて」
紫陽花の木の横の通り道から一人の男子学生の声が近づいてきた。
「……れ、ずっとキミの側にいたいんだ。だ………」
その声の前後は、よく聞き取れなかったが、ハッキリと聞こえた言葉があった。〝ずっとキミの側にいたいんだ〟
今にも滑り落ちそうな舞舞は、横にいた舞舞の殻にしがみついた。
この後、この番の舞舞がどうなったかは、私は知らない。
私は駅に向かって歩き出していた。
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