第八話 「狼獣人と盲目奴隷、 光る」

 



 子供の頃憧れ、 いずれそういう世界になるのだと信じてやまなかった童話。


 獣人と人間の恋物語。


 リフィと番になった事で、 その夢は一歩前進したのだと言えよう。


 童話ならここで、 めでたしめでたしと締め括られるのだろうが......これは現実の話だ。

 俺たちの日々は、 続いていく。



 とは言っても何も悲観する事などない。

 俺たち夫婦と、 それを取り巻く元部下たちとの生活はどんどんいいものへと変化していった。



 俺たちはそれぞれの失った時間を取り戻すように、 幸せを貪った。

 一緒にやりたいと思った事ならなんでもやった。

 それをここ数ヶ月のうちに色々と実行し、 俺たち夫婦も屋敷の者たちも、 幸せに溺れるのではないかというくらい楽しい日々を過ごしていた。


 そんな中の一つに、

 人間が夫婦になる時に行うと言う「結婚式」があった。


 本来なら多くの者を招いて皆で盛大に祝ってくれるらしいのだが、

 人間側からお尋ね者である俺がそんな事を出来る訳もなかった。

 だから屋敷に住まう者たちと、 オヤカタたち仕事仲間を誘うので精一杯だった。

 まぁ正直な話、 俺が招ける相手などはこれ以上居ないのだが。


 そう言う訳で、 結婚式自体はなんの弊害もなく、 呼びたい者を呼んで実に華々しく執り行われたのだった。


「意外です。 ウルフォン様はこういう事がお嫌いかと思っておりましたので」


 貴族が着るようなドレスに身を包み、 いつも以上に美しくなったリフィがそんな事を言っていた。

 まぁその通りなのだがこれにはちゃんと理由がある。


 獣人や魔の者の固定概念。

 以前の俺はそういうものに縛られる事が多かった。

 そのせいで死んだ妻や子供には窮屈な思いをさせる事があったであろう。

 だから、 その償いというのは少し違うのだろうが、 せめてリフィにだけはそんな気持ちはさせたくないのである。

 獣人だ人間だという隔たりを打ち壊し、 コイツの為になる事をしたいと思ったのだ。


 それを伝えると、 またリフィは泣いてしまった。

 俺がオロオロしていると周りに揶揄われた。

 そんな、 幸せな結婚式だった。


 そしてこの時俺は思った。

 こうして、 種族での違いを超えた幸福も存在するのだと。

 あの童話のように、 本当にそんな世界が作れるのかもしれないと。

 そんな時代がやってくる為に何かしてみたいと。

 それを、 俺の新たな人生の目標にしてもいいのではないかと。

 そう思ったのだ。


 だがその前にやらなければならない事があるな。

 に、 少しでもリフィとのこうした時間を作ったのだから。


 それが結婚式を行った、 もう一つの理由でもあった。


 ◇◆◇


「リフィ様の目について分かった事があります」


 俺たちが番になってすぐ、 テンシュからそんな事を言われた。

 自分の仕事が忙しい中、 メイドと共に、 文献やリフィの身体を調べてくれていた事が遂に結果として現れたのである。


 俺は嬉しかった。

 やっとリフィとの約束を叶えてやれると一人浮かれた。

 しかし、 それを伝えに来たテンシュとメイドは浮かない顔をしていたのだった。


「ウル様。 落ち着いて、 聞いて、 欲しい」


 珍しくメイドからそんな忠告があった。

 コイツがこう言ってくるあたり、 なんとなく内容が予想出来てしまう。


「結果から言えば、 リフィ様の目は治りません」


 頭に鈍器で殴られたような衝撃が走る。

 治らない。

 そんな事を言われる覚悟もしていたが、 やはり本当にそうだと分かると絶望感もどんでもないものだな。



 テンシュの話によれば、

 リフィの盲目は病気や外的要因な訳ではなく......呪いのようなものだと言うのだ。


 それが何者によってかけられたのかは分からないし、 先天性のものかもしれない。

 とにかくその「呪い」がある時、 奴隷になったリフィを襲ったのだという。


「更に悪い話をすれば......」


 ショックを受ける俺を他所に、 テンシュは話を続ける。


 どうやらこの「呪い」は人の罪悪感や劣等感など、 自分を自分で落とすような感情に反応し発動するらしい。

 己はダメだと、 何も出来ないと、 他人に迷惑をかけていると、

 そんな考えが浮かんだ時身体を蝕んでいくのだという。

 その結果がリフィの盲目だった。

 そしてその「呪い」はずっと身体を蝕み続ける。

 マイナスな感情を抱かないヒトなどいない。

 ましてやリフィともなれば余計だろう。

 大きな感情を抱えれば一気に進行が早まり、 そうでなくてもゆっくり身体を蝕んでいく。

 そしてそう遠くない将来、 リフィは「呪い」に殺されてしまうと言うのだ。


 そして更に悪い事に、 この「呪い」は解呪出来ないらしい。

 正確に言えば出来なくはないらしい。

 しかし感情に大きく関わるソレは、 無理にどうにかすると感情自体を失ってしまう可能性が大きいのだ。


 つまり、

 呪いを解き感情を失うか、

 このまま呪いを放置し死に至らせるか、

 このままではどちらかしか選択肢がないと言うのだ。


「......」


 最早何も言葉が出てこなかった。

 ここまで絶望的な話だと何を言っていいか分からない。

 ただぶつけようのない怒りや悲しみが溢れてくるだけだ。


 以前の俺なら、 「ふざけるな」と二人に掴み掛かっていただろう。

 だが今はそんな気も起こらない。

 しかし、 だ。

 それは絶望に染め上げられ気力も沸かない訳ではなく......この二人がタダでは転ばないと知っているからだ。


「で、 何も手がない訳ではないのだろう? 」


 ただその呪いが解けないと知っただけならば、 呪いの習性なぞ話す必要がない筈だ。

 それはただ絶望を加速させるだけ。

 この二人ならそれが分かっている筈。

 しかしそれをしたという事は......その先があるに違いない。


 その問いかけに、 始めは驚いた二人も渋々と頷いた。

 やはりそうか。

 だがそれでも二人の顔は浮かないままだ。

 例えその方法を知っていたとしても楽観出来ないものなのであろう。

 俺は覚悟してテンシュの話に耳を傾けた。


「正直に言えば、 これはウルフォン様に伝えるべきかまよいました。 それだけ危険を伴い、 なんです」


 その内容は、 彼女の言う通りのものだった......。


 ............。


 確かに、 テンシュがソレを言い淀むのも理解出来た。

 しかし同時にリフィを助けられる唯一の手段でもある。

 だから、 迷いはない。


 俺はその方法を実行出来るよう、 二人に準備を指示した。

 中身に少し口を出し、 その事で多少揉めはしたが、 最後には納得して貰えた。

 いつもコイツらには苦労をかける。


「よいか。 この事は決してリフィに気取られるな」


 準備を進める上で二人にそれだけは強く忠告した。


 リフィは心優しい人間だ。

 俺たちが自分の為に危険な何かをしようとしてると知れば、 必ず止めてくる筈だ。

 それにマイナスな感情を覚えてしまえば症状が悪化しかねない。

 だからこそ、 「呪い」に関する自覚も、 俺たちがソレをどうにかしようと動いてる事も気づかれてはいけないのである。

 気づかれなければ、 今のリフィなら幸福に包まれている為「呪い」の進行も遅いだろうしな。


 何より、 彼女は新婚だ。

 そんな大切な時期に余計な事を考えて欲しくない。

 そう思ったのだ。


 二人もそれには強く賛同してくれた。

 こうして「呪い」の事は三人だけの秘密となり、 密かに準備が進められていったのだった。


 その表で、 俺はリフィを更に幸福にしようと努めた。

 準備を隠す為、

 呪いの進行を遅らせる為、

 その為に色々と夫婦での時間を増やしたのだ。


 勿論それはリフィに単純に喜んで欲しいからでもあるが。

 ......本当なら、 そんな事関係なしに楽しんで貰いたかったものばかりだが。

 そうなる為にも、 俺たちはコレをやり遂げなければいけないのである。


 そして俺たちは、

 表でリフィと共に幸せを感じ、

 裏では準備を押し進める、

 そんな二重生活を送るようになったのだった......。


 ◇◆◇


 それからリフィとは幸せな日常を送った。

 共に何処かに出掛けたり、 何気ない会話をしたり。

 俺がお尋ね者のせいであまり多くの事はしてやれなかったが......それでも、 リフィは何をしても本当に嬉しそうにしてくれた。


 そんな彼女を見て改めて思う。

 俺はコイツを救いたい、 と。


 だからそんな生活を送りつつ、 リフィに気取られないように細心の注意を払いながら準備を進めた。

 そして遂に、 その日がやってきたのである。



「えぇと、 これは一体どういう集まりなんでしょうか? 」


 当日、 洞穴に呼び出されたリフィは戸惑っていた。

 それもそうだろう。

 呼び出した内容は伝えず、 言われた通りに洞穴に来てみれば、 妙にピリついた俺とテンシュとメイドがいる訳だからな。

 雰囲気的にも時期的にもリフィの誕生日をドッキリで祝うとかそんなものでもないと分かるだろうし。

 そうなると何故呼び出されたか判断がつかず混乱するのも無理はない。


「さぁ、 こっちです」


 テンシュがリフィの手を引いて所定の位置に連れて行く。

 その目の前には俺がいた。

 リフィの手を俺が引き継ぐと一瞬安心したような表情を見せる。

 しかしやはり不安なのか、 近くの壁やら地面やらを触り出した。


「これは、 魔法陣......? 」


 彼女の指摘は的確だ。

 このところ家事だけでなくテンシュから魔術を習っているリフィには馴染みのあるものだろう。

 手探りでそれを言い当ててしまうのは相変わらず凄いが。


「その、 そろそろ何を行うのか教えてくださいませんか? 」


 それでもなんの為のものなのかまでは理解出来ないようだ。

 再び俺の方に来て手を握ると不安そうに問い掛けてきた。

 だから言ってやる。


「リフィ。 これからお前の目を治す」


「っ!? 」


 それを聞いて、 リフィは見えない目を輝かせていた。

 しかし直ぐに不安そうな表情に戻りまた聞いてくる。


「それはどういった方法なのでしょう? 皆様に危険は及ばないのですか? 」


 やっと自分の目が治るかもしれないというのに、 こんな時まで他人の心配か。

 どこまで優しい奴なのだコイツは。

 この雰囲気がそう思わせてしまったか。

 なんにせよここまで来て何も話さないというのは無理な話だろう。


 当然こうなる事は予想していた。

 その為リフィの健康状態や精神状態が安定していれば、 これから行う事についてきちんと話そうと打ち合わせしていたのだ。

 話自体は俺がする事になっている。


 俺はテンシュとメイドの方を見た。

 二人は無言で頷いてくれる。

 この瞬間なら大丈夫だと、 三人の意見が合致したのだ。


「正直に言えば危険はある。 だがそれでも俺はお前の目を治したい。 だから話を聞いてくれるか? 」


 俺がそう話すと、 リフィはゆっくりと頷いてくれた。



 まず俺は、 リフィの目が見えないのは「呪い」のせいだと話した。

 彼女のマイナスな感情に反応し身体を蝕む「呪い」、 それが結果として命まで奪ってしまうのだという事まで伝える。

 そして、 この呪いが解呪不可能だという事も。


 恐らく自分の中で何か思い当たる節があったのだろう。

 もしくは覚悟をしていたか。

 リフィは怯える事も動揺する事もなく話しを聞いていた。


 俺達の予想は間違ってはいなかった。

 もし少し前のこの子なら、 その絶望的な状況に飲み飲まれてしまっていただろう。

 しかし彼女は、 ここでの生活の中で精神的な強さを身につけていた。

 そして何より、 結婚した後のリフィは目に見えて生き生きとしている。

 だからきっとリフィはこの話を受け止められる。

 俺たちはそう信じて事実を伝えたのだ。


 目を治せる方法があるからそれを試す。

 それだけ話す事も出来たが、 それではリフィに対する誠意がない。

 何より自分の身体の事だ、 今のこの子ならそれすら向き合おうとする筈、 そしてそれを乗り越えられる筈。

 そう考えた俺達の考えは正しかったようだ。



「呪い」についての話を終え、 俺は解呪は不可能だが目を見えるようにする方法がある事を伝えた。


 ここで俺たちは一悶着起こると予想していた。

 彼女の優しさが迷いを生み、 俺たちに迷惑がかかるならばとそれを実行する事を躊躇すると思ったのだ。

 だからその時の為の説得材料はいくつも用意しておいたのだが......リフィの反応は俺たちの予想を大きく上回っていた。


「お話は聞かせて頂きます。 しかしその上で、 わたくしが皆様に危険が及ぶものだと判断したら......即刻断ります。 わたくしは、 目が治る以上の幸福を与えてもらいました。 まだ自分で勝ち取ったとは言えない。 ですから、 これ以上負担はかけたくないのです」


 キッパリと、 そこまで言うか。


 正直ここまでリフィが強くなっていた事を予想外だった。

 しかし今になって計画を止める訳にはいかない。

 なんにせよリフィ自身が聞きたがっているからな。

 俺は再びテンシュとメイドと目配せをする。

 元々俺が話す予定だったが......ここは完全に俺に任せて欲しいという旨を伝えたのだ。

 二人はそれに納得してくれたようだったので、 俺は次の話を進めた。


「よいか。 お前の目を治す方法......それは、 俺の視覚を半分お前に渡すというものだ」

「っ!? 」


 それを聞いて、 リフィは大きな動揺を見せていた。



 俺が話した内容はこうだ。


 この「呪い」を解く事は不可能。

 それが分かったてテンシュは解呪以外での方法を調べた。

 治療という形でどうにか出来ないか、

 魔術の行使で何とかならないか、

 様々な文献を漁っては目を治す方法を探したという。


 そして行き着いたのが、 魔術を使った方法だ。


 当然これは解呪が出来るものではない。

 そして呪いを解かないと目も治らないと分かっていた。

 だったら解呪せずに呪いだけどうにか出来ないか、 そう考えたのである。


 抑える方法、 誤魔化す方法、 色々調べたが......見つかったのは、 呪いをだけだった。

 解呪出来ないなら押し付けてしまえばいい、 そういう事だ。


 なら誰に押し付けるか。

 そうなると相手は俺しかいないだろう。


「そんなっ! わたくしの呪いをウルフォン様に押し付けるなど......! 」


 ここまで説明した時点でリフィが話に割り込んでいた。

 全く、 話は最後まで聞け。


「落ち着け。 言っただろう、 『半分』だと」

「はん、 ぶん......? 」


 そう、 ここからが本題だ。


 この呪いを解呪する事は出来ない、 だから俺にそれを押し付けさせる。

 しかしそれをリフィが拒否するのは目に見えていた。

 だから俺たちが思いついた方法はこうだ。


 リフィの呪いを半分俺が請け負うと。


 そうすれば彼女の視力は片目だけでも戻る筈なのだ。


「ダメですっ! 」


 それでも拒否しようとするリフィ。

 まぁここまでも予想はしていたがな。

 だから俺は言ってやった。


「良いかリフィ、 俺たちは夫婦だ。

 夫婦というものはその残りの生涯を共にするもの。

 人生を共有するのだ。

 喜びも悲しみもどんな事も二人で歩んでいくのだよ。

 ならばお前のその『呪い』も俺に共有させて欲しい。

 それでは、 ダメか? 」


 それを聞いてリフィは下を向く。

 そしてポツリと漏らした。


「ずるいです。 そんな事を言われたら、 断れなくなってしまうではないですか......」


 ......ああ、 狡くていい。

 お前がそうなると分かっていたからそう提案したのだ。


 リフィはそのまま蹲り泣き始めた。

 自分はこんなにも幸せでいいのかと叫び出した。

 俺はそんな彼女の肩を抱き、 頭を撫でてやる。


 こうして彼女はその方法を受け入れ、 いよいよ儀式を行う事になったのだった。


 リフィは何度も何度も俺に礼を言っていた。

 謝っていた。

 そんな彼女の頭を撫で続け、 「俺がそうしたいだけだ」と伝える。


 そう、 これでいいんだ。

 例え自分の身が犠牲になったとしても、 リフィを救えればそれでいい。

 これが俺の、 彼女への恩返しとなるんだからな。


 ただ一つ後悔があるとすれば......。


 すまん、 リフィ。

 俺は嘘をついた。


 ◇◆◇


 いよいよ儀式が始まる。


 魔法陣の中心に、 俺とリフィがいる。

 メイドは洞穴の入口で何かあった時の為に待機していた。

 テンシュは......この儀式の要だ。

 彼女が魔法陣を使って魔術を使い、 リフィの中の呪いを俺に押し付けるのだ。

 誰もが真剣な表情でその時を待っていた。


「───っ! ──!! 」


 テンシュが詠唱を始める。

 それに魔法陣が反応し光始めた。

 その中に俺たちは包まれ......まるで二人だけの空間にいるような状態になった。


「リフィ」


 俺はそんな空間の中でリフィに声を掛ける。


「怖くはないか? 不安ではないか? 」


 ただでさえ自分の盲目の原因が「呪い」によるものだと知ったばかりだ。

 おまけにそれは治せず旦那に押し付けるしかないという状況......普通の人間ならば精神的な負担が大きい筈である。

 俺に出来る事など少ないが、 せめて少しでも不安を解消してやりたいのだ。

 この儀式にもどう影響するかも分からないからな。


「......それは、 わたくしの『呪い』に影響するからですか? マイナスな感情はいけないとか......」


 少し元気の無い様子のリフィがそう尋ねてくる。

 会話が出来る程なら少しは安心だが......そこでハッとした。

 呪いのその特性について忘れていたからだ。


 いや決して丸々忘れていた訳ではないのだ。

 ただそんな事よりもリフィが辛くないかとかそんな事を考えていたら頭から抜けて......。


「ふふ、 ふふふふっ! 」


 これはやっぱり何かまずい影響が出るんではないかと一人でしどろもどろしていると、 リフィは急に笑い出した。

 どうやら俺の思考は筒抜けらしい。


「本当に、 本当にウルフォン様と出会えて良かった。 呪いを移される自分の事よりも、 呪い自体の事よりも、 わたくしの事を心配して下さる優しい旦那様と......こうして一緒に居れてよかった。 死なないで、 よかった......」


 彼女は笑顔を見せながらも、 大粒の涙を流していた。

 そして俺の胸元に縋り付き、 そのまま泣いた。

 俺はそんなリフィの頭を優しく撫でてやる。


「ウルフォン様こそ、 不安ではないのですか? わたくしの為にこんな......」


 泣きながら問いかけてくる愛しき妻。

 全く、 他人の心配をしているのはお前の方ではないか。


 しかし......不安、 か。

 そうだな。

 ここで嘘をつく理由もあるまい。


「不安なのは、 間違いないな。 しかし不思議と怖くはない。

 なんせ俺の妻は盲目の先輩だ。きっと俺の事を助けてくれるだろうさ」


 そう言いながらリフィの涙を拭う。

 最初は申し訳なさそうな顔をしていた彼女も、 話の最後には穏やかな表情になってくれた。


 そうだ、 俺たちは夫婦だ。

 何かあれば助け合えばいいだけの話。

 何も、 怖くなどないのだ。


「リフィよ」


 頬に手を置きこちらを見上げさせる。


「愛している。 例えお互いがどうなっても、 それだけは変わらんからな」


 そして優しく唇を重ねた。


「わたくしもウルフォン様を心から愛しております。 この命続く限り、 貴方様との幸せを自分で勝ち取りますから......どうかずっとお傍においてくださいね? 」


 返ってきた言葉と表情、 そして匂いからして、 リフィはもう不安も恐怖も感じていないようだ。

 いや、 もしかすると最初からそんな事は思っていなかったのかもしれんな。

 きっと俺やテンシュたちを信じてくれているんだろう。


 不安を抱えているのは、 きっと俺だけだ。


 でもいい。

 さっき素直に答えたようにそれを隠している訳でもない。

 隠してもリフィの目では「見えて」しまうからな。

 だから、 このままでいいのだ。


 弱く怖がりで臆病な俺こそ、 本当の俺なのだから。


 ......ああ、 やっとそれを受け入れられた。


 


「リフィ」


 最後にもう一度声を掛ける。


「目が見えるようになったら、 色んなものを見るのだぞ? これ迄の人生の景色を......全て塗りつぶすぐらいにな」


 リフィはそれを聞いて笑顔で頷いていた。


 ああ。

 にこの顔が見れてよかった......。


 ◇◆◇


 白い空間が、 目の前に広がっている。


 ただただ白く、 それ以外何も見えない。


 俺は今、 夢を見ているんだろうか。


 それとも......。



「ウルフォン様! リフィ様!! 」

「大丈夫? 無事? 無理、 しないで」



 テンシュとメイドの声が聞こえる。

 なんだか騒がしい。

 どうやら夢ではないようだ。

 ならば確認しなければ。

 この儀式がどうなったかを。


 手を伸ばす。

 手探りでリフィを探す。

 少し時間は掛かったが、 すぐそこに彼女は居た。

 どうやら時を同じくして気がついたらしい。

 俺たちはいつの間にか意識を失っていたようだ。


「リフィ、 身体の様子はどうだ? おかしなところはないか? 」


 身体を支え、 頭を撫でながら問いかける。

 すると暫くの間の後、 彼女を声が聞こえてきた。


「ぁ......あぁ......」


 それは絞り出すようなものだった。

 心の底から湧き上がるような、 小さくしかし頭の奥に響くような声だった。


「ああっ!! ああああああっ!!!! 」


 そんな嗚咽はいつの間にか咆哮へと変わる。

 叫ぶような泣くような嘆くような、 大きな声。


 俺はそれを聞いて不安になった。

 もしや儀式が失敗したのでは?

 一抹の不安が頭に過ぎる。

 確認しようにも、 俺にはリフィの表情が「見えない」。


 けれどその後聞こえて来た声と匂いによって、 その不安は消え去る事となる。



「ウルフォン様......ウルフォン、 様......! 」



 喜びの声と、 喜びの匂い。

 それを放つリフィが俺に縋り付いてくる。

 大泣きしながら抱き着いてくる。



「見え、 ます」



 その言葉が決定打だった。



「見えます! 目が見えます! 全てが見えます!! ああっ!! こんなにも世界は美しく......ウルフォン様のお顔は、 想像通りこんなにも......」



 震えた声、 震えた手。

 喜びと愛しさに満ちた彼女の体温が手を通して伝わってくる。

 リフィは俺の頬を撫で、 ものを確かめるように、 何度も何度もなぞっていた。


「見えるのか? 」


 それでも改めて聞いてしまう。

 リフィはその問いかけに、 洞穴中に響き渡る声で答える。


「はい! 見えます!! ウルフォン様の優しいお顔が、 逞しい身体が! 全部、 全部見えるのです!! 」


 良かった。

 儀式は成功したようだ。


 それが分かった途端、 全身の力が抜ける。

 リフィへと愛しさが込み上げてくる。

 力なく彼女を抱きしめ......俺は気づけば叫び、 泣いていた。


「う、 うぉぉっ!! そうか、 そうかっ!! よく頑張った、 よく頑張ったなぁ!! 」


 俺は遂に約束を果たしたのだ。

 そして同時に、 自分の中で何か決着が着いた気がした。

 こんなのは自己満足なのかもしれない。

 しかし、 盲目になった妻や子供を守れなかった過去の、

 そしてそれを全て忘れていた自分の、

 そんな罪から解放された気がしたのだ。


 ......いや、 今はそんな事はどうでもいいか。


 ただただこの瞬間は、 リフィの目が見えるようになった事を喜んでいたい。

 愛しき妻の幸せを共感してやりたい。

 ただ、 それだけなのだから。


 俺たちはその後、 暫くの間強く抱き合って一緒になって泣いた。

 そうして幸せを噛み締め共有した。

 本当に、 本当に良かった。


 ふと、 近くにテンシュもメイドが立っているのに気がついた。

 二人の匂いがしたからだ。

 しかしそこから感じる感情は......そうか、 そうなるか。

 情けない主人で申し訳ないな。


「二人もよく頑張ったな。 本当にご苦労だった。 だからどうか、 今は......」


 今はリフィの快復を祝ってやってくれ。

 そう思いを込めて、 手探りで二人の頭を探し撫でてやる。

 テンシュとメイドは小さく頷くと、 リフィを抱きしめた。


「リフィ様。 おめでとうございます。 本当に、 本当に良かった」

「リフィ様、 偉い。 頑張った。 凄い」


「ああ......お二人とも......ありがとうございます、 ありがとうございます......」


 今度は俺を除く三人が、 抱き合いながら泣き始めた。

 なんと至高の瞬間だろうか。

 全てが上手くいった。

 何もかも全て。

 ......ただ少し悲しいとするならば。

 その三人の姿が「見えない」事だろうか......。


 しかしそんな事を吹き飛ばす奇跡が、 俺の身体に起こった。

 ぼんやりと。

 目の前の三人が黄色く光出したのだ。

 さっき迄は誰がどこにいるかなど分からなかったが......その光のおかげで位置が分かった。

 ぼんやりだが。


 そしてその黄色い光からは、 「喜び」の匂いがした。

 ああ、 そうか。

 これがリフィの言っていた......。


「感情が『見える』という事か......」


 俺は気づけばそう漏らしていた。


「......え? 」


 すると目の前の光のうちの一つの色が、 黄色から青に近い色へと変わっていく。

 匂いは、 「疑心」「戸惑い」などそんな感じか。


 しかししまったな。

 今のでリフィは気づいてしまった。


「え? なんで? 目が、 『見える』......? 」


 動揺を隠せないリフィが縋り付いてくる。


「ウルフォン様! まさか、 まさか旦那様は両目とも......」


 俺は答えない。

 しかしそれを肯定と受け取ったのだろう。

 彼女は今度はテンシュに詰め寄った。


「テンシュ様! 失敗です! 失敗してしまいました! わたくしはあろう事かウルフォン様の両目を......」


 テンシュも何も答えない。

 だが代わりに、 メイドが口を開いた。


「失敗じゃ、 ない」


「え? 」


 それで覚悟を決めたのか、 テンシュもそれに続く。


「これで、 成功なんです。 私が今回行った儀式は......『呪い』をだけ移す魔術ではなく、 移すものだったんですから......」


「え? え? 」


 理解出来ないといったように声を漏らすリフィが、 再び俺のところに戻ってくる。


「う、 嘘ですよね? 例え本当だとしても、 ウルフォン様は、 知らなかったですよね? だってこんな......」


 その言葉に俺は、


「......すまない」


 そう答えるしかなかった。



 今回の儀式は、 最後の最後までリフィに内容を知られる訳にはいかなった。

 そのを。

 理由は目の前のリフィを見れば明らかだ。

 本当はもう少し落ち着いてから話をしようと思っていたが......もう誤魔化しようがないだろう。


 この儀式の本当の目的。

 それはリフィの「呪い」を、 「全て俺に押し付ける事」だったのだ。


 呪いを半分ずつ共有するなどという、 都合のいい方法はなかった。

 見つかったのは「全て押し付ける方法」だけだった。


 本来なら本人に話をすべきだったのいうのは分かってる。

 しかし同時に断られる事も分かっていた。

 だから騙したのだ。


 納得して貰えないなら強行するしかなかった。

 でなければ、 リフィはいつか呪いによって殺される。

 それだけは避けたかった。


 その結果がこれだ。


 俺は、 視力を完全に失った。


 その代わりリフィの視力が完全に戻った。


 望んだ結果だ、 何も後悔はない。

 あるとすればやはり......。


「そんな、 そんな......ウルフォン様! わたくしは、 わたくしは......! こんな事望んでは......! 」


 コイツにこんな後悔を与えてしまった事だろうな。


 それに、


「やっぱり、 止める、 べきだった、 のかな」

「私達も覚悟を決めた筈だったのにね......」


 この二人にも嘘を強要させてしまった事か。

 いつもこの子たちには苦労をかける。

 そんな三人に俺が出来る事と言えば......。



「お前たち。 これまでよく、 俺のわがままに付き合ってくれた。 こんな老いぼれに、 目の見えないお尋ね者の俺なぞにこれ以上付き合う必要はない。 どうか自由に生きてくれ」



 そう、 言ってやる事だけだった。


 こんな俺と居れば今まで以上に苦労をさせるだろう。

 だからこその提案だったのだが......。


「「「......はぁ」」」


 三人からは、 大きなため息と共に、

「怒り」や「呆れ」を伴った匂いと、

 それを示すような赤い光が放たれる。

 そしてその赤の奥には......強く輝く炎のようなものが「見えた」。



「貴方様は、 どんな事があっても、 わたくしを見捨てなかった」



 そう返してきたのはリフィだった。



「絶望する事を許してはくれなかった。 諦める事を見逃してはくださなかった。 一人になる事を、 決してさせはしなかった」



 その言葉には力が、 思いが篭っていた。

 一つ一つ、 耳に届く度に......これ迄の日々が思い出された。

 それぐらい俺の心に響いたのだ。



「だから、 わたくしも同じ事を致します。 絶望させず、 一人にせず、 そして......諦めさせない......! 」



 目が見えなくても分かる。

 こう言ってくれているリフィも。

 テンシュもメイドも。

 きっと真っ直ぐな目で俺を見ているんだろうな。



「ウルフォン様。 わたくしは、 貴方様の目を治す方法を......わたくしから移った呪いを解く方法を探します! 絶対に見つけます!! だから、 だから......」



 ああ。

 そんな風に言われたら、 決意が揺らいでしまうではないか。



「どうか! わたくしから離れないでください!! 」


「私も諦めませんからね! 」

「お世話なら、 任せて」



 リフィが縋りついてくる。

 テンシュもメイドも同じくだ。


 全く、 俺という奴は。

 いつまで経っても弱いままだな。



「ああ、 ああ。 よろしく頼む」



 気づけば大粒の涙を流していた。

 そして三人を強く抱き締め。

 いつまでも、 いつまでも。

 四人で泣いてしまった。


 そして泣き疲れた頃。

 俺たちは誓ったのだった。


 決して、 諦めぬと。


 自分の幸福は、 自分で勝ち取るのだと......。


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